大室佑介入門     私立大室美術館  2025・5・17 作成:佐藤敏宏

左:原理花子さん

右:中谷ミチコさん

2025年5月18日撮影

自動車のなかで大室佑介さんから原さんのことは少し聞いていた。彼女は三重大学を卒業しゼネコンに勤めたが、数年勤務して退職してしまったという。どうして大室さんと出会ったのかは聞かなかった。1995年、日本ではパーソナルコンピューターが爆発的に普及しだした。そのあたりに生まれた若者は「Z世代」とくくられ語られることがある。コンピューターとスマートフォンが日常にある暮らしの中で建築を学んだ世代だ。その彼女がなぜ大室美術館のお手伝いをすることになったのだろうか?大室さんは「原さんも面白いので聞いてください」、と勧めた。縁ができたので原さんにいろいろお聞きし記録することにした。

■ 原理花子さんに聞く

原:私、読みました!HPのすごい昔の大室さん記録。
佐藤:その記録は2010年の3月、仙台での大室さんの講義と語り合いの記録ですね。
:大室さんがまだギラギラしている感じのとき。


原さんが見たという記録を佐藤にはつい昨日の出来事のように思っている。それは記録を作り何度も目を通して読んでいるからだろう。過去というものは消えてしまい全てが今ここでの肉声に感じてしまう。長年記録作りをつづけている弊害は、過去が消えて今だけが続く感覚で暮らしてしまうことだ。だから一般の人と時間の感覚が著しく異なる、原さんから「すごい昔」という言葉を聞いて、そのことを確認することになった。若いひとにとっては15年前はすごい昔なのだ、人生の半分だもの・・そうかもしれない。


佐藤:今年から、2年かけて「大室佑介入門」を始めました。いろいろ聞いて記録しちゃうよ!第一回目は先に、あらましをざっと聞き取り記録はつくりました。でも、大室さんの暮らしている現場に来て体感しないと入門は始まらないだろう、と思ってはるばるきたぜ白山町!やってきました。原さんとも出会うことになりご縁ができましたね。
来館者は館長さん直々の説明聞くなど贅沢な美術館体験できる場所ですね。何で今日の展覧会を知るんだと思いますか、ネットですかね。

原:
グーグルマップに載っているので、開館してないときでも、聞かれたりします。

佐藤
:グーグル地図で知ったか。原さんと大室さんの出会いは大室さんから移動中に聞きました。ゼネコンに入社したこと、2020年新型コロナに襲われゼネコンを辞めて三重県に戻ってきて近所に住んでいることなどです。原さんは大室美術館の運営の裏などを手伝いしている。今日は朝から開館前のお手伝いいただき、ご苦労様です。慣れたものですね。大室さんのお嬢さんとも一緒に開館を手伝っている、子守も上手に支援されてます。原さんはどこで生まれたんですか

原;山梨県の甲斐市です。県庁所在地が甲府盆地の真ん中で、山梨県の北西部、国中地方が甲斐市で盆地の途中です。大学で三重大学の建築学科に来ました。
佐藤:どうして三重大の建築科に入学したんですか。
:公立大学を受験してて第一志望は首都大、元都立大だったんです。落ちちゃって三重大学にきました。

佐藤
:三重大学は海に面しているから食い物、美味そうじゃないですか。東京より海山の風通しもいいだろうし。
原:建築農業とかに興味があったんです。三重大は農業系の高校だった所で、生物学部がすごい強いんです。入学したらそういう授業もあるかなと思いました。

佐藤:農業と建築が融合したような授業があるか、と期待してたんですね。
:建築自体は工学部の中にあって、生物とかかかわっていなかったです。大学全体としては同じキャンパスなんです。

 わいわいがやがや 雨がすごい。農業系の建築に興味があるのかもしれない、卒制でジビエ調理の小屋を設計していた女子大生には、一度会ったことがある。

佐藤:で、卒業してゼネコンに就職して辞めて。建築家になろうとしたんですか。
:設計はしてみたいな、と思ってて、○○組は民間の仕事が多くって行政の仕事はあまりない。民間の設計ばかりやっていました。歴史ある会社だと聞いてたんですけど、昔の改修とか、文化財とかにも興味があったんで。

佐藤
:ゼネコンに文化財の古建築改修の設計は発注しないでしょうね。専門に設計している業者がいるからね。
原:当時の私は未熟だったので、そういうこともあるだろう、と思って入ったら実際は無くって。建築現場では凄い調子がよくって
佐藤:現場が好きだ、ということですか。
原:性質には合ってましたね。
佐藤:現場管理ということですね。ヘルメットかぶって職人などに指示をだして、施工管理したりする。
原:そうです、最初の1年間は東京の青梅で、Aゾンの物流倉庫を造ってました。面白味はない建築でしたが・・・。

佐藤
:面白味はないけど、建築を造る順序とか現場の管理のしかたとか、作業員の動かし方とか、おおいに勉強になると思うけどね。
:そういうデカい企業も入って、どうなることやら。
佐藤:工事現場は下請けの業者さんが一杯いるんでしょう。
:そうです。下請けさんは規模がデカいだけあって、品質はしっかりしていたし、いろいろ学には面白かったんです。

佐藤:
民間の仕事で、倉庫など物流の裏方建築つくる人も要るよね。新型コロナ時代に遇っちゃったから、遊んだり外に出かけたりできなかったですか。
原:就職した年にちょうどコロナになった。たぶん三月ぐらいからコロナは始まりました。
佐藤:緊急事態宣言は2020年4月16日にでました。3月にニュースになっていた。

原:
4月入社で、みんなどう対応したらいいのか・・。ゼネコンなんで現場には出ろ!と。でマスクしながら現場・業務をする。
佐藤;建築現場は外国人労働者も一杯いるはず、感染防止策は大変そうだね。注意してない職人さんも多かったのでは。
:でも、会社の決まり上はマスクしろ、と言うしかなくって。一番下っ端なので、それを言うのが仕事ですよ!へこたれずに指示してました。

佐藤:
で、ゼネコンを辞めた原因はなんですか。
原:現場は調子がよかったですけど、もともと設計の採用でした。1年経って、現場が竣工までいったときに、設計部に異動になったんです。本社が半蔵門にあって、昔ながらの建物の設計室において、いろいろやるんです。どこも一緒さと思いますけど、凄い人手不足で、どんどん仕事・業務が増えていって。
佐藤:設計は下請けも使っているんでしょう。
原:下請けも使っているんですけど、打合せとか行政への申請とか、いろんな調整とか、お客さんとの間で、入ってすぐなのに!2〜3案件やる・・・みたいな・・・そのなかであまり内部コミュニケーションが無い。飲み会もなければ、食事も一人で食べろ!

佐藤:コロナの世では人間関係は危険きわまりなくなっていた。そういう雰囲気は当時あったね。職場に人はでているけど、引き籠りソーシャル・ディスタンスでの設計仕事だと。
原:なのに業務はしないといけない
佐藤:新人は特に、建築設計は対話から始まるからね、対話なしで新人に仕事やらせちゃうんだね。設計は出来る前提で育てる意識はないんだね。民間仕事だから納期や工期は守らないといけないし。
:行政の打合せもいろいろ調整しにいくんです、彼らもコロナだから、どんどん短縮、短縮で。設計は2年たたないぐらいで辞めたんです。そうして今は、大室美術館に2年いますね、3年目に入る。


人手不足の理由は各社異なるだろうが、ゼネコン各社は経費削減しつづけ、設計部員に限らず新人に対してジョブトレーニングを行う余裕が無くなっていたのかもしれない。設計部の仕事は多種あり、経験なしで先輩などの後見人が付いていなければ、一人前に育たないのではないだろうか。今は出来る設計士を雇えばいいという、考えで新人は切り捨ててしまうのだろう。そういう条件の上に新型コロナに襲われ、設計部内で対話が消えてしまっては、新人はなすすべはないように思う。
現在は建築業界も薄氷を進み仕事を奪い合っているのかもしれない。なら、未来はたいへんに暗い。既に福島市内では一次産業どうよう、請け負いする小さな工務店含めおおかたは蒸発してしまった。後期資本主義、あるいはテクノ封建主義の世と言われているが、このままでは若者は生きていく術もみにつけられないだろう。また、地方で満遍なく頻発する自然災害は、消えた地域の小さな土建屋と下請けの人々が復旧に当たっていた。今後起きるだろう大きな自然災害に、隆盛しているアマゾンは災害派遣する、とは考えられない。政治家も大票田、都心から多く登場するので、限界集落的な地方はホッタラカシ・・になる。そう予想するのは容易なことだ。原さんの話を聞いてそう思った。


佐藤:大室さんと出会うんだから、普通ではないでしょう?原さんはどこでどうなったの。
原:三重大学の大学院にいるときに、私の指導教員の方が。東京から来られたばかりだった。東京芸大出て、大井隆弘2015年東京芸術大学美術研究科建築学専攻博士課程修了・博士(美術)、三井先生の教え子です。三重大に新しく赴任した若い先生。大井先生がTOTO通信で「建売も規制正せば、よいお家」、それで大室さんを取材をしていて、当時建売住宅の記事あります。

佐藤:若い研究者って聞き取りさせられるんだね、バイトかな?
:東京の建売住宅の再考・・・ で、大室さんは大井先生が聞いた後に、三重県に来ることになって、大井先生も三重大にくることになって・・・。

佐藤:原さんが大学に入ったばかりの頃の記事のようだね。衛生陶器やさんの広報誌を学生は読まないよね、たぶん。
原:この時は読んでないです。で、指導教員として三重にこられて、大室さんもバイトを探してらっして、「誰かいない、」と連絡くれて。ちょうど私が院生だったのでここにバイトに通うことになりました。

佐藤
:ここから三重大学までは近いんですか。
:車で、40分ぐらいです。
佐藤:ここに来て大室さんのお手伝いを始めたんだ。聞いていると人と人の出会いって不思議だよね。二人とも三重県にきて出会ってしまった。ここで3年目ですか、お手伝いしながら、お手伝いだけでは食べていけないんだろうけど、他にバイトはやっているんですか。なにもしないで人生を模索しているんですか。大室さんの美術館や大室さんの生き方はどう見えますか?家政婦は観たではないですけど、いろいろ見ていると思いますのでお聞きします。

原:なんだろうな、面白いですよ
佐藤:面白いというのは?何がどう面白いんですか、大室さんが実践していること、まだ分からないかな。建築家も一杯いるけど、そのなかでどういう位置づけで、どう面白いとか・・。
:細かいところまではまだです、これからです。大室さんの作る建築はこういう所にあっても馴染むし、都会にあっても大室建築はいいと思うんです。
佐藤:美術館の全体は改修、改造しながら地域づくりもしている。レジデンスも改修中でね。
原:私は中を片付けました。
佐藤:地域づくりのいろはは、片付けと掃除から始まるんですよ。

:計画して図面を引かれている時は、どうなるんだろうというか、そんな感じで大丈夫かな、とか。大室さんは素材もあまり気にしてないし、いけるのかな?みたいな・・・けど出来上がると、きりっとしてますね。ふふふふ

佐藤:キリっとしているのが大室建築だ。全体理解してないとキリという意味が理解できないじゃない。普通の人が観ても、キリッと聞いても分からない。先ほど来館者に聞いたけど、あれここ?ただの民家やん・・・と答話してました、全然キリっと見えてないよ。
通り過ぎて行ってしまう人もいるし・・・。
佐藤:草生えているだけじゃん、すっと通り過ぎてしまう人もいるね。

原:
こういう所までは気にされていないですよね。建築家によっては外構まで細かく、タイル一枚まできちっとする、大室さんはそういう処もなく。
佐藤:材料だって古い新しい素材の仕分けもなく、新築と古建築の区分けもなく、できて見ればキリっとした場になる、そういうのができちゃう。
原:整えられているのは、本当に面白いなと思ってます。

佐藤:あらゆる素材を平等にみて、配列してキリっとさせちゃう。これから何年かかけて、原さんにとってのキリっとは何か、面白いとは何か、それらを言葉にしていってもらえば嬉しいです。そうすれば、原さんの成長と言葉の数と一緒に豊かになっていくという気がします。まずはキリっとしているということでOK。
原:うまく言えないなー・・。


佐藤:三重大学の建築学科は一学年何人いるんですか。
原:40人です、最初に入って。途中編入で10人ぐらい入学するので、50人ぐらいにはなりますね。
佐藤:ゼネコンに務める人が多いんですか。
原:5人ぐらいがアトリエ系に勤務する人いますね。
佐藤:約一割の者は夢えがいちゃっているんだね、大変だなそれは。東京へでていくのかな、大阪・京都かな。

:私の知っている範囲だと東京の方に出て行きます。
佐藤:東京から情報が流れてくるから、そうなるのかな。
みんな雑誌を見て憧れがある
佐藤:建築雑誌は東京で編集しちゃうからね・・。原さんは生まれたときにはインターネットがある世代、パソコン使ったりしTI活用して大人に育ったんでしょう。
:(1995年生まれ)小学校3年でパソコン触ってました。携帯電話は遅かったんです。高校がスマフォはで始めたんです大学生は皆どちらも持っていた。

(森林組合でバイト)

佐藤:大室美術館では家族のような支援対応になっています。他にバイトはやっているんですか。
:同じこの地域なんですが、森林組合で森林に入るんです。そこで地図作成
佐藤:知り合いで元新聞記者が樵になって、記事発信している人います。森林組合では何をやっているんですか。
:もともとは組合員さん、自分では山を管理しきれないけど、山の管理の共同体みたいな感じで、山の木を代理で間伐してあげる。昔はそれを製材までもっていっていたようです。今は間伐してあげる、ということと、民間の依頼で間伐するとか・・・他に、市の補助金で山の調査をしたりして、測量に入ったりしてます。

佐藤:森林組合でいろいろ地域の山と関わっているんだね。
山の公図を電子化する、そういう事業を津市でやっています。
佐藤:ドローン飛ばして断面とか平面つくるんですか。木は何本生えている?とか調べるのかな。
原:建築の公図と一緒で、山の公図もただの線が法務局に行くとでてくるんです。あれは実務にはそぐわないのです。
佐藤:山の公図なら現場地形とまったく合ってないでしょうね。
原:合ってないです。私の仕事はキャドみたいなソフトを使うんです。で、航空写真のようなものに山の線を合わせていく。

佐藤:山には入らない仕事だね。
:私は山に入ってないです。実務担当の人が作図したのを見て、これは合っているよ、これは合ってないよ、とか判断します。
佐藤:ダメだしされて修正していくこともあるんだ。新しい山の公図を正確に作り直しているバイトですね。
原:そういう事業の一員です。

佐藤:グーグルアースとか使えないんですか。
:あれも使ってます。公図の線は森林組合しかもってないので、それを合わせていく。
佐藤:山の所有者とも打合せするんですか。
最後に所有者に頼んで測量させてもらう。凄い正確な線がでてくるものと、所有者がだめ、と言えば何段階に分けて市に報告する。
佐藤:地味な仕事だね。私有財産制の日本なので大切な仕事だけど。その図面がないと揉めちゃう、争いになるからね。困難な仕事だね。今は外材主流で輸入材だらけだから日本の山に対して、多くの人は興味を失っているしね。
:そうですね、それで公図によっては、なんとか左衛門さんとか、何時から更新してないのよ、そういうのもある。


佐藤
:原さんの名前は。
理花子です。
佐藤:ここに来ていて本当に面白いことはなんですか。
:なんだろうな、白山町に引っ越してきて一番面白いのは、いろんな人の暮らしぶりが観れることです。東京にいたときはそんな余裕はなく、夜帰るのも12時だし。

来館者あらわれる。

大室:一番最初に展示した荒川さん、来館です。
佐藤:第一出展者、それはちょうどいい、話を聞きましょう。
大室:荒川さんから差し入れです。

荒川さんから大きなお菓子6個差し入れある。

原:自分で一杯一杯だったです。
佐藤:ここでの役割は。
原:今は大室家のサポーターです。アシスタントですね。アルバイトで時給いただいてます。呑みに行った帰り、大室さんを駅に迎えに行ったりもします。

佐藤:一方では森林組合の作図士でもあると。
:ミチコさんがお昼の弁当頼んでくれました。
佐藤:自分たちで作ってたべるんじゃないんだ。
:大室さんの家にはいろんな作家さんたちも来られますし。
佐藤:俺みたいな爺さんも来ちゃうし(笑)。
:この2年間は、こうやって他の人生を勉強させてもらっています。
佐藤:ここは原さんにとっては人間博覧会場になっているんだ。
:そうかもしれない、引っ越してきてからずっと、ここで他の人生をのぞき見。
佐藤:ゼネコン設計にいたら、会社の人と依頼する企業の人ぐらいしか出会わないので、この環境は好かったね。


大室:お昼の弁当です。
 弁当が持ち込まれる。
:仕出屋さんが近所にあるんです。今きたかたは荒川朋子さんです、風景画家。
佐藤:ホームページ、観てるのね。1975年愛知県生まれ、名古屋造形大学卒。
:三重県立美術。大室美術館での展示が2016年。「日のながい一日」、というタイトル。


佐藤:大室美術館の展示記録など詳しくないから、記録は一覧できるといいね。今は入場者数などの基礎データ分からない。チラシ毎回作成しているんでそれを掲げて細かいデーターも一覧できるといいな。
:ポスターだけでも、初めてこられた方に説明するときに凄く難しくて
佐藤:原さんは美術館の学芸員じゃないから仕方ないよ。クリアファイルにまとめて綴っておけば説明しやすいかな?無理かな。ネットと連動でもいいけど基礎情報まとめるのが大変だね。俺には大室美術館データは聞き取り後、記録作るので、それがあると整理しやすい。データあれば便利だけど、ここも人手不足だから無理は言えないよ。
社会に出ても、ゼネコン会社員だと下請けだけなので交流範囲が限られてしまうからね。ここは藝術作家は人間の思いを外部化するプロで、ついでに作品を制作している。目まい起きるかも。
原さんの両親は何屋さんでしたか。

父親はサラリーマンで、母親もパートで働いていた。今は仕送り受けてないけど、なんか分からないけど、不安がってます(笑)

佐藤パラサイト娘されちゃう・・・と、お母ちゃんはエライこっちゃー(笑)と不安なのかな。自分の生活が心配なのか分からないね。あ、お客さん来たよ、今日は女性のかたが多いね
原:こういう環境にきて、本当にいろんな暮らしのかたと会えてます。
佐藤:なるほど。原さんの母さんには理解されないかもしれない人がどんどんきます。ここは異世界ですかね。のんびり体験してください。聞かせていただき、ありがとうございました。





■2025年5月17日 昼飯の時間になる

仕出し屋さんから弁当が届く。鯖焼き弁当を選んでいただく。仕出し屋さんから弁当が届いていて、佐藤の分の弁当もあった。荒川朋子さんは持参の弁当をひたいた。雨の中でも外で食べることは気持ちがいい、人は本来外で食事をしていたのだと、想ってしまうほどだった。




荒川
:今日は一杯、車が通りますね、
原:ちょうどです。
佐藤:原さんは弁当を持ってきたんですか。
原:コンビニで買ってきました。

佐藤:大室美術館軒下食堂に早変わり。まだお客さんいるじゃない。原さん弁当屋さんもはじめちゃう?
:私が・・。
中谷:いろんな弁当があるんですよ。お茶これ、呑んでください。
佐藤:まるでピクニックしているみたいですね。館長さん、現代の若者みたいにスマフォに釘付けじゃないですか。今日は雨が降ったりやんだりいい感じです。

 軒下に集まって弁当を食べ始める。空を鳶がヒュールヒュールと鳴きながら飛び回ってる。鳶も昼飯を探しているのだろう。


大室:長時間新聞社の取材受けるんです、全然響かないんですよ。
佐藤:文化部の記者以外はアートについて知識薄いので、大室さんの作品も分からないでしょう。だから、大室さんに響く文章は書けないんじゃないかな。大室さん自身でコラムを書けば問題は解決しますね。書かせてくれないかな・・・アート制作者以外の者が書いて伝えるのは無理でしょう。作家自身が書けばいい、作家も自身を言語化するのは難しいから、作品を制作するんだけど。大室さん今日のような展覧会始めると休む時間ないね。
大室:むちゃくちゃですよ

佐藤
:働きすぎ。俺とずっと喋っていたし疲れるよ館長さんは。


会場、ははははは。大室さんの活動を朝からみているだけでも大忙しで、見ている俺も目まいしそうな気分がうつる。大室さんはわめき指示を飛ばすわけでもなく、テキパキと対応しつづける館長さんだった。



佐藤:
昨日は会津の話とか荒神山の話とか、蒲生氏郷などいろいろ盛りだくさんだったから。俺は無理に荒神山に登ろう、日野町に寄ろう、と言っちゃうからね
大室:楽しかったですよ、昨日は山登った。

原:山登りしたですか!
佐藤:大室さんが働いている大学の目の前に荒神山、300mほどの山がぽつんとあるんです。そこの麓が日夏町です。日夏っていう人が福島にいて饅頭屋さんやっているんです。いろいろ調べたら、松坂藩の蒲生氏郷と一緒に会津若松に行って、若松の名前は日野町の松の森から付けたと書いてあった。日野町に立ち寄って見てきました。
この辺りのいわゆる近江商人は小売りの商売上手な人たちで、会津藩に移住しても商売を盛んにした。荒神山も日夏町の一部なんです。山の裾野にそういうつながりがあるんですよ。

雨音と佐藤の説明が交差しているなか、みなもくもく昼飯の弁当をたべている。鳶はあいかわらず、ヒルルヒュールと上空を飛び回っている。


 荒川朋子さんの聞き取りへつづく