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  2013年 11月の日記
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 11月30日   

午後11時半に桑折町につき ヘリテージマネージャー育成講習会場を 建築士会の方と設営する 1時間ほど余裕があったので 桑折町を逍遙する。

311直後自主的に訪ね応急処置などしつつ調査しあうるいた大きな家屋敷が解体されて素材や野積みになっていた。 もったいない様に思うも桑折町とコミットしてないので手立てが無かった、ことを思い出す

1時から 被災した 旧伊達郡役所の工事現場を管理した方の講義を受ける。後現場見学をする シンプルな擬洋風建築で 日本に3棟しか残っていない郡役所だそうだ。 望楼は昭和54年に改修時に付けたことなど知る。 東南アジアを回る洋風とアメリカ経由の洋風が 桑折町や山形県で合流し 造られた建築である  山形にある 明治初期の病院建築とは比較にならないほど質素。 あちらは三島氏が力を入れまくった建築だ

    

■夕方保原町の 旧家移築建築を観る 

田舎の金持ちが 贅を尽くしたかのような建築で観るべき点がないと 思った。思想が無い単に 関係者が 真似にまねを重ねた 田舎の建築であった。お金の使い方を知らない 金持ちの下品な建築であった。 地方からこのましい建築におけるプチ文化が芽生えないのはなぜか?を知るためにはよい例なのではないか?

 資料館の廃寺の品の数々はなかなか 好い 足利幕府との関係を知るためと この地の宗教的繁栄を知る貴重な資料が多い。特に最古の棟名札と瓦の破片はいい

 11月29日   吾妻の山々雪化粧あつくなり 山裾まで化粧間近か

■ 除染作業監理員の仕事をし続けていると 環境汚染され尽くした未来都市の戦士のような気分になってしまうので おかしい。もしかすると セシウム都市福島は未来の世界の状況を先取りし浮かび上がらせ 世界に警鐘を鳴らし続ける効果さえあるのではないかと 思えてくる

未来都市に暮らす月7万円ほどの年金を元手に闘う 老戦士の俺は かっこよく見えるようで FB仲間に賞賛される(??)ことが多くなっている(笑

 資格がなければだめだし 簡単に除染作業監理員の仕事をする領域に入り込むことは出来ない (そのことが ようやく理解できるようになってきた 継続的で複雑な監理業務を重ねないと公金を使った仕事にはならないからね)



■よる 『調査報道VS権力』 まえがき公開するために HPの更新作業をする

北海道新聞記者の時代に優れた記事を連発し 公務員の裏金作りの実態をあばき社会に知らしめた人が高田さんである。日本各地の 多くの行政マンたちが 空出張などつくりだした公金で酒を飲み歩くことがへり 主産業がお役所である福島市の町もすっかり寂れた。 

■ 除染作業監理員の仕事は建築士会から委託され受託する形式だが ようやく書式がとどき日当など委託内容が分かる(遡ること2ヶ月の泥縄ぶり) 士会に出向き印鑑を押す 

監理員と監理員補助員の関係が不明だったが 色々分かるようになってきた。データ監理も危険極まる状況なんだが 少し改善出来る点があるので提案し対応していただく。 建築士は監理業務は慣れているのであるが 

■ 28日  時々時雨れがあるも 朝がた冷えていた。

放射能によって汚染された家屋敷からどれだけ放射能が取り除かれたかを 検査し続ける1日 


  

■ 27日 件数が多いとのことで早めに出て 監理員の仕事を1日中おこなう 放射能の在りかを探し出し 少しでも多く居住環境から取り除かせるよう監理する 仕事であるが 1グラムでも土にへばりついた放射能を取り除くのは 机上の議論より健康的に思う。

■ セシウム都市の汚染 現場に出て動き回るので 食欲も睡眠よくも快調に出るでる その上 放射能汚染地域の実態と問題を身近で具体的に知ることができるので 年老いた俺には 興味深い 見えない放射能隊と戦闘している気にもなるような・・・(笑)


■ 夜 早稲田大学 ジャーナリズム教育研究所のHPの更新をする 高田昌幸さんの『@Fkushima 私たちの望むものは』のまえがきとあとがきを公開する。インタビュー集でなかなかよい 

高田さんから本を頂い読んだが 311以降のよい記録であると思う。中でも 大熊町の元町長の志賀秀朗 さんの記事を読むと  貨幣経済の大きな波に組み込まれた 社会における 周辺・周縁=地方の生きる貧とは何か?を 考える端緒になるし、 日本の社会が戦争を捨て 経済大国を目指すなかで 生み出される 辺境の人々の「貧しい」とは何か?や彼らの心境が理解できる内容になっている だろう 。

 除染作業監理員をしていると 豊かさと利便性が隅々まで行き届いている今でも 貧しさから脱することが好いことのように考え生きて人々と接し続けることができる。 貨幣経済の中に起こる貧しさと称される根源を考える機会になるので 除染作業監理員の仕事も多義的である 

  11月26日  時々時雨れあり 朝 風あり冷えた

 午前中 除染作業監理員の仕事をする 冷えるのでトイレカーの厄介になる。時々時雨れ来る


 午後 滋賀県立大学で 4時間ほどだったろうか?忘れた 俺クチャーした文字原稿の校正を終え データを電送する 色々話している 俺の部分は 40頁ほどの記録となるようだ。本が出来るまで 学生さん頑張ってね


  11月25日    曇り空に 庭の花々鮮やかなり

午前中 御山北側の共同住宅の除染作業監理員の仕事をする 。

午後 石巻市本間家土蔵改修ようHPのなかの 本間英一さんが発行しているニュースを更新する

 早稲田大学ジャーナリズム教育研究所のHPの更新をつづける 夜なかまで掛かっても終わらず。花田達朗先生の伝言更新も飛び込む ペタンしておこう

 特定秘密保護法案は「国益」のためではなく、政治家と官僚のためにある。権力をもった者たちはそれを決して失いたくない。失わないためには、手段を選ばない。つまり政治権力を握っている人間は表では人々のため、「国家社会のために」と言いつつも、見えないところではその権力を使って自己保存という自己利益のために何をやっているかわからない。それは当然秘密にしておかなければならない。したがって、秘密(隠すべき事実)を表に出してしまうような「内部告発者」(公務員)や、秘密(隠された事実)を「調査報道」しようとするジャーナリストは排除しなければならない。これはリアルに見て、わかりやすい話ではある。しかし、政治がその露骨な本音路線のままに行くというのなら、「近代民主制」の理念と制度は吹っ飛んでしまう。中世への逆戻りだ。立憲法治国家、主権在民、憲法主義を作ってきた営々たる努力を愚弄するものである。今や政治の規範意識(政治は何をすべきで、何をすべきでないか)のダムが決壊したのではないか、規範のタガが外れたのではないかと思う。こうなると、逆説的だが、特定秘密保護法案を推進・支持するような政治体制の成立を目の前にしたとき、「調査報道」ジャーナリズムの必要性が今まで以上に高まったと言える。何故なら、政治家と官僚はこの法案をもって、秘密にしたいことがたくさんあるということを告白し、これから秘密にして実行したい政治がたくさんあるということを予告しているのだから。これからジャーナリズムによる「公権力の監視機能」(公衆のための番犬機能)をめぐって、ジャーナリストVS 〈政治家+官僚+有識者〉の長く、より厳しい闘いが始まるだろう。 以上 花田達朗先生の伝言


 11月24日       

 福島市の除染業務監理員の仕事をしているので 自主勉強会があるから参加せよと 高畑さんより連絡があり 10時〜15時までワイワイ

環境省・環境再生事務所課長さん、復興庁の係長さん 除染プラザの国立環境研究所の方2名 山田先生などと 話し合う。

・福島市の除染工事が完了している建物を公的資金などを得て 住民自らが再除染は可能か? (個人的には公的資金は出ないと考える)

・住民が町内会除染組合などの組織を作って請け負うことは可能か? 土建業者でも人集めにくろうしているので 数万戸単位で発注される除染工事を請け負い可能な組織を町内会が作れるとは思えないので私的には 可能性はないだろうと思った

■ありえるなら 町内会活動資金支援のような別メニューに支援事業のなかの仕事となろうが 除染工事が発注されてしまってる地域で行うことは 行政は力を貸さないだとうと推測した



 防護措置と除染工事を合わせて被曝を押さえるという話しもでておもしろかった。(鉄筋コンクリートで住宅を作作りつづけようとした、私としてはRC建築でもってで建防護はナイスと思います。

市民主導組織に対し 請負契約を結び 除染さしたら、税金投入する仕事としてはリスクが大き過ぎます。町内会組織では 環境省に認定通る技術レベルと監理レベルを保つのは難しいだろうと感じました。地区から孤立した活動の様にも見えるし。ー



 11月23日  

 滋賀県大で俺クチャー文字データの第2回目の校正依頼がきて しこしこ見直す。問題点が少なくなってきている。32頁ほどの内容だ。一部頁の柄をペタンしておこう。





花田達朗先生もちかごろ更新速度があがっているので 早稲田大学ジャーナリズム教育研究所のHPの更新作業にも追われる。 下記画像の本の 花田先生の解説はなかなか好いので 文字データを送ってもらい 頁をつくった。多くの人に読んで もらいたい。(文字データの頁を開いて読む) 


■ 双子の蔵だったが、311の大津波に遭っても奇跡的に1棟が残り 全国各地から寄せられた義援金支援にて 俺が修繕工事を監理していた 石巻本間家土蔵に設置されていた足場がとれ 完了となる。 お披露目は来年の春に行うこととなる、その知らせが本間さんからある。実に長い期間を必要としたが 無理なく着実に工事を進めることができた、また多くの事を学ぶ。震災遺構をどのようなシステムで残すのがベストなのか?モデルにすべく慎重にことを運んだ成果はいずれ 多くの人々に知り渡るよう 望みたい。





 11月 22日のこと

■ 福島市除染作業監理員の仕事の割り振りは 山谷や池袋、そして釜が先の手配ににていて その日の朝にならないと仕事があるのかどうかも分からない 酷すぎる状態で ガバナンスがまるで効いてない ていたらくぶりである。 仕事をまとめる能力がないうえに 日々泥縄じょうたいを改善するすべも持たずの烏合の衆とかしているのだ。ということをこの1週間関わって 感じる。

今日は 監理員の仕事がないので 建物を見て歩く。さわやかな晩秋の中 色々な人に会い 建築のことを語らう 楽しいね。


■我が家の紅葉は 銀杏が見頃だ。のこるは欅 暖かいので12月に落葉かもしれない。


 ■11月21日のこと 

  除染作業監理員の仕事をする よい天気にめぐまれた。監理員の仕事をすると 長年おこなっていた 多様なmy仕事ができなくなるので 長く続けるような仕事ではないように思うが 郷土を綺麗にもしたいので 折り合いを探っていこう




  11月20日   

 ■除染作業監理員の仕事をする  作業中の今日の被曝積算線量 は0.9μSv JRの線路の土手は線量が高い 各駅停車に乗ると 積算線量がどうなるのか 次回仙台に行くときに積算線量計を身につけて測ってみよう

 空間線量は70万円ほどするという シンチレーションサーベメーターと呼ばれる計測器があれば 誤差は2割と言われているのけれども、持ち日々計測することでしか分からないことがある、そういうことを監理員を続けているとより具体的に知ることになるだろう。そんな便利もあるのだが高価すぎるので、持てない。

3万円ほどだという簡易線量計を作っているメーカーが数値を保障する機器で計測しないと 「誰がその数値の正しさを証明するのよ、メーカが保証しない数値は意味が無い」と 今中先生より教えていただいたことがある 

作業のための賃料を頂いたなら 買って自分で興味のある部位を計測してみるつもりだ。




 ■除染作業監理員にとっては便利なツールが 公開されました。青文字 除染プラザより福島県、京都大学、JAEAの3者によって、生活エリアの空間線量率を知るシステム「KURAMA−II」が開発され、このシステムの開発の経緯や仕組み、データの見方、今後の展開について等の説明がありました。 道路を主として生活空間の放射線量についてリアルタイムで情報を見ることや
放射線量の経時変化と道路等の除染の効果が可視化できることが期待されています
■KURAMA−IIの詳細はこちらよりご覧ください。
http://info-fukushima.jaea.go.jp/joho/project.html
さっそく先日から始めた 監理員の仕事の範囲を赤で囲って見る



Pcで見るためには グーグルアースをダウンロードする必要がある。早速 使って観る。だいたいの汚染量が分かるのでとても便利だ。 赤く囲った部分は 俺が 1週間ほど前から監理員をしている該当地区だ。 渡利地区が高いことや 汚染には ムラがあり、 マクロからミクロまでムラムラ なので 除染作業を否定する人もあろうが マメに汚染調査し放射能を取り除くしかないと思

■ 我が家の庭も晩秋の彩り 今年も柿の実は捨てることにした


 11月19日  

 ■ 午前中は 除染作業監理員の仕事をする。驚くことに 線量が2μSV以上ある住宅があった 3000cpmだったり 除染しても 福島市の目標値である 600cpm 0.4μSV/h 成らない。 10mほどのホットスポットを見詰めた

 周囲の家々は0.1〜2μSVなのに この家は高い。俺なりの推測だが セルフビルドで建物と建物をつなぎまくり 雨水の処理も 枡を設けず JR敷地内に 違法だと思うような 雨水排水だ。所有者=セルビルダーが質の悪い造作仕事してたことに、放射能物質が 敷地内にとどまってしまった例だと思う

除染作業は 放射能をたっぷり貯めた 薄い(vu管と専門家は言う) 横引き薄い配水管は 所有者が自ら 交換するしか 方法が無いの旨伝えた 。「午後自分で横引き薄い排水管を交換する」と所有者は語っていた。

  
■ 午後 監理員が必ずうけなければいけない 健康診断を受ける 。身長・体重・血圧・血液検査・視力・聴力・心電図採取・肺のレントゲン撮影(医療被曝) 問診を受けて終える

■ 除染監理員事務所にて5時まで記録など整理する 

■ 夜、早稲田ジャーナリズム教育研究所のHP更新作業をする

■色々 作業が重なり 肩凝るようになり 俺にとっては効果が高いピップエレキバンを買う。
 

 11月 18日  のち曇 

■季節の変わり目で 気圧変化が大きいので 家人の心が安定せず 幻視が激しいような発言多し。 汚れが見えるらしく 取り除く作業を汚れを閉じ込める ガムテープ作業を熱心に行っている

■日中は 除染作業監理員の仕事を1日する。晴れと曇では気温の差が大きいので 外部での作業が多いので着る物の対応が難しい

■ 昼は野猿のようにバナナ 林檎 みかんとする 。動くと3食喰いので 40年間一日 2食 だったので 野猿似食事でも多すぎる感じだ

■ 花田先生からのHP更新も続々来るので 更新続ける 色々活動しすぎてて 手に負えなくなるのか 時間を上手に使い 全てこなしてみよう

■ 昨日の福島市長選 四選めざした現職 瀬戸氏 32851票 新人小林氏 72441票  新人の圧勝となる 郡山市、いわき市につづき現職落選

 11月17日  

 野中章弘先生ひきいる 早稲田大学で ジャーナリズム教育を受けている 学生さん+先輩 35名ほどと 16,17日で飯舘村など研修をして歩いた。飯舘の人数名の話しを聞くことができた。 飯舘村内の対立が起きた 源を知ることが出来た

 今回の研修でそのことが 最も 俺には好かったぇーと思うのである。 対立が起きた源を知り合い そのうえで語り合うわないと 閉塞した状況が開かれてつつ互いに有効にな時間と人間関係を持つことが出来ない と俺は思うので 好かった。

  2日間の簡単な動画を作り公開した

プチ記録動画を観る 

■ 福島市市長選挙があり 現職 瀬戸氏は圧倒的な負けぼろ負け! 新人の小林氏当選(財務省から環境省を経 立候補だそう) 除染推進課の職員のかたがた顔が青ざめたことだろう


 11月15日  

 ■昨夜は真夜中まで 早稲田大学ジャーナリズム教育研究所の記事づくりをする 花田達朗先生もドイツから戻り 半年すぎようやくエンジンが掛かって毎日更新指示がでている。読書人とい対談記事は内容が濃いので記者志望の若者など読むことをすすめたい (下記の記事内容を読む

     
 
 ■ 故郷の台地から少しでも放射能を除き すっきりした気分で建築を作り続けたいので 昨日につづき除染監理員の仕事をする。一通りの流れを知るも 監理後の書類づくり エクセル慣れずに手間取るのみ。 HP作成ももセルで作っているが 書類はセル数が多すぎ設定を理解してないのアイコンの指示も多すぎるので 使い慣れるしかない。

■非直轄である福島市は市が独自作業方法をつくっているので 20μSv/年以下の地域バラバラの手法で除染が進んでいる。監理員制度は福島市独自のものである 除染業者にとっては目の上のたんこぶ的存在だろうが 放射能がただしく取り除かれたのかどうか 検査をする第三者は要る。 今日の工区は関西弁が飛び交っている地域だった。

 


 11月 13日  

 我が家の 床暖房の用の手入れ。福島市内で行われた建築士が3年に一度受ける定期講習会を受け損なったので、仙台に申し込みむため(日建)うろうろ。 を午前中。

ヘリテージ育成講習会最終 会のための 地域のお宝を 探し歩き 色々な人に会う午後。 提案したいお宝ありすぎて 所有者に会い続けていいのやら など悩むも 福島市で貴重な古い建築を専門家たちが調べ 人々と共有しようとする活動が始まったとアナウンスするのも 好いのではないか などと 考え、思いつくまま 1月末まで時間をつくっては訪ね聞き取り記録し 調べるつもり

■ 11月は福島市内の除染の作業に関わり地域を綺麗にしたいと思うもなかなか関われず。明日からすこし 本腰を入れたいんだが、まだ 全てのmy仕事が終わったない。でも始めよう

 夕方から建築士会の事務所に出向き 除染のあれこれを色々教えていただく 。なるほど・・問題はわかったが 解決方法が 分からない事態が多い。


 11月12日  時々初雪が降り 冷え冷えとしている

早朝 除染作業へ参加せよと電話があり 驚く。関係者に電話してみたら 俺に連絡せずに表が出回っていたようで。 除染作業に行かずに済んだ

■ 昨日  滋賀県立大学で昨年行った俺クチャー=講義内容を文字にし出版物用に編集されたデータが送られてきてたので、少し眺めていた。

 今日は印刷物が速達で届いた。 1日中 校正し続け 午後8時頃第一弾校正を終えデータを電送する。 学生さんのセンスで 本作りっていいよね!。俺の分は全部で32頁。 何人の講師をまとめて一冊にするのか分からないが 5人ぐらいかもしれない。 なら200頁ぐらいの本かも。
 

 だらだらと話した内容を丁寧にまとめてあったが 聞き違いもある。全体を直さず データに沿って俺クチャーの意図に合う言葉に訂正してみた。

今までまとめた本は6冊めだそうだ。俺の講義が入って本が出版されると7冊目なんだそうだ。「ど田舎・元エア建築家の生活を聞こう」と題した章になるんだだだだ。

滋賀県大のDANNWASITUという学生さん主体の活動 学生さんたちが講師を決め連絡して開催されてる。布野修司先生が指導されて 継続は力となって人々の前に現れ続けている。 

俺は じんわり思うんだが・・60過ぎのど田舎爺さんが 若い大学生に声を掛けていただき 長い講義と 朝まで大宴会をしやい大の盛り上が 、1年後に本にもなる! そんな人間に俺がなるとは 若い時分の俺は想像してなかった。 ありがたいことだぜ 

 311以降 俺のような活動をしている人に出会ったことが無いので きっと学生さんたちは意味不明な生き物に遭遇したかったんだろう 気の毒なことなのかも 知れない

 元・エア建築家と称していたのは 下の段、10日の日記に現れた小さな建築を設計していたからだ。今年中に完成する。来年から しばらくの間は元・エア建築家と称するしかないな。

 11月10日  のち小雨 

 なまこ と愛称で呼んでる建築を 12年振りに造っている。躯体が出来た

福一原発事故後 放射能におびえて暮らして居る日々なので、放射線を遮りたい建築を造っている。事故現場から流れるニュースに触れていると原発事故収束しているとはほど遠い現況だと思って暮らして居る。で再度放射能沈着から放射線を遮るための小さなMy建築

 ようやく 躯体がらあらわに。支保工材を外して自立したので、内部に入り体験する。 コールドジョイントも無く綺麗にRCが打ち上がっている。海鼠なのでもうちょい表面が荒々しくっても好かったかもしれないなどと 贅沢な感想をもった。

似たような4坪ほどの領域が5つ単純に並んでいるので写真では それぞれの領域の特徴を表し難い 右下2枚がぎゅーっと幅を絞った廊下。
 

 のちに発注者とワイワイする。単純だけと、複雑な体験が得られ、記憶の共有化が可視化されていて、ギリシャの神殿のようだね、と発注者は語った。

 俺はギリシャに行った事がないので反応できなかったが、この家に発注者の両親など 生きていた人々と、それ以前の人々、そして今この地で暮らしている人々との記憶の媒介機能を小さい建築に担わせるために、設計したので発注者が躯体を体験して後の発言を聞いて後、12年振りに設計する気になって、少し他者に役立つ者になれたようなきがした。

 
仕上がりの精度にはほぼ興味が湧かないので建築士としては失格かもしれない。いままで40年ほど作って来たmy建築群とは別位相の建築のように思ってる。(工事遅れぎみ)狭いストイックな廊下の設置が 多能な効果を生みだす、装置になると好いのだか、まだ少し先まで不明だ



発注者が「この建築に曾祖父が作った仏像を飾るの」と言いながら 小さくて愛くるしくって優しげな毘沙門様と 厨子に入った穏やかな表情の観音像 を突然 見せてくれた!! (日々の平安を願う そういう祖先の気持ちを木造に込めていたんだな〜

 祖先が作った2体の仏像の存在を今日まで知らなかったので 飛び上がるほど驚いてしまった。 でも時を経た祖先の手のぬくもりが細かく刻まれているその仏像達が この無骨で小さなmy建築を 確かな災害に遭いつづけてもたくましく生き続ける人々の記憶を継承続けるための物としての存在を許してくれてるように思えた。 12年ぶりに設計してよかった (もう少しmy建築を作り続けた方がよいかもしれないと反省した)


海鼠の建築的 性能だが また放射能が沈着しそうな気がしているんで、俺が暮らす「セシウム都市福島」にあって放射能災害から避難し続けて放置すれば「腐ってしまうよ」の 木造建築など作る気になれない。もちろん木造建築はセシウム光線をすかすかに通すので建築家としては作ってはいけない構築物だ考えている。 なまこは RCの躯体に金属板を巻いて 多重防御にする設計。 水幕で覆うことも考えたが予算が足らなかった

 11月09日   



午後ヘリテージマネージャー育成講習会に参加 

 1) 景観法概要・福島県の景観行政・補助金制度等について
 2) 大内宿の保存と活用 について 俺と同い年で 結いの会顧問してる方の講義 。役所を45歳で退職され 屋根葺き職人となり 現在後進の指導や次世代のリーダーを育成され居るとのこと。
3) 白河市の歴史まちづくりについて 佐川さんの講義。佐川さんとは20数年ぶりに会う。歴史系の方が工学系の都市政策室長になられているので 色々質問したかったが 時間が押していて焦っていしまい 好い質問にならなかった。

 建築系の人々の仕事は 敷地と発注者が限られていてことで仕事の目的が明確になりすぎる 造ることのみに走る欠点がある。まちづくりは発注者も 期限も存在しないが 現在まちに暮らして居る人々が対象である事、だが歴史はこれから生まれて来る人々、そして死んでしまった人々の記憶を継続させる仕事なので 時間の射程が長い それらを横串でつなぐ術を知り尽くしてる文系での佐川さんには大いに期待しているので 勇んで望んだ講習会だったのでっと好い質問をしたかった。へぐってしまって答えの分かり難い愚問になってしまった。 再度機会を作り 聞き取りに挑戦してみたい

 観光による地域作りの問題点を多数気づくことになった。 詳細は略



■ 11月08日 昨夜は朝日新聞の 『プロメティウスの罠』の紙面を仕切っていた 依光隆明さんと 会い居酒屋閉店まで二人で呑んで 楽しかったので。中でも福島のジャーナリズムの現在についても突破口は有るのか?の質疑応答は面白かった。(建築家系に質問もに適応できるので)、その他 研究所のことも情報交換 「 依光さんの熱さ が福島に無いのはなぜか?」など日頃聞きたかった質問しワイワイ よい夜だったな〜 都会に暮らすと日々刺激的な人々に会い語り合うことが出来るんで 都市は人々による優れた発明品だ そこに自分の時を浸したいと 思うものだ

来週は沖縄研修で一緒させていただいた早稲田のジャーナリズム演習の学生が35人ほど野中先生と一緒に来福し 熱い議論をする予定 


 11月05日〜 07日 まで  〜  

 07日 陸前高砂傍の病院にて大腸検査を入院し受ける 検査結果は胃は毎年 大腸は2年後検査するよう進められた 検査費用は 保険がきいても 3万円ほど 貧乏生活にはこたえるけれど 死んでは何も始まらないので 点検することにして 大腸は3度目の内視鏡検査

夜福島に戻り『プロメティウスの罠』を始めた 朝日新聞の依光隆明さんの講義を聴き 講演会後 今野先生と3人で西口の居酒屋へ行き 今野先生が途中帰るも 依光さんと 閉店まで呑み語る  2ショットをするも依光さんはジャーナリストなので顔出しは危険なので 小さなアイコンとしておこう 。依光さんのような人間として熱い志を捨てない人が 多い福島であってほしいものだ 



 05日 色々福島の家で整えてのち my長男の家兼my仙台疎開部屋行く。明日から1泊入院し 大腸検査を受けるため 身元引き受け人が要り 捺印が必要なのだ。仙台駅はイーグルスの初の日本一・優勝を祝う幕や クリスマス飾り付けも出来ていて 年末モードに入ってしまった様子 





 11月04日   やや暖かし 

 2008年から 5年ごとに建築系の人々を聞き取りweb記録をつくっているが 311以降 活動が停滞気味である。原因は色々活動しすぎて収拾ついてないだけだけど。

今日は 9月に大阪で取材した広島県出身の 幸家太郎さんのweb頁記録を作り仕上げる

幸家さんとは 15年以上の付き合いだが、アメリカから戻ったあと 大阪で内装工事や建築改修そしてまちづくり 店舗デザインや スピーカーも作っているし 屋台も ロケットストーブも作っている等 15年前の予想とはかなり違う道を歩いている。  幸家さん記録へ  従来の建築家の道とは異なるけど 次の時代の建築系の人々は幸家さんののように多領域に展開したくましく生き続けていくように思う。面白い人生をおくっている知り合いの一人。 




■ 11月03日 古建築活用方法を見学に行く 講演会場となっていた 
 土蔵は 過去の防火用物入れ建築なので  よい活用方に出会ったことがないので、今後もコツコツ機会あるごと 見学して歩く予定 かっこよくぐーっと来る 転用例に出会いたいものだ 



 プロ野球日本シリーズは田中投手の連投(前日160球ほど投げ 9回から登板)高校野球 みたいな 昔の野球じゃあるまいに 采配にも驚く 優勝もしし伝説となった。 来期から大リーグとのこと 野球界にかぎらず 力のある若者はドンドン世界各地に発ち活躍すべし 



■ 11月02日 高知新聞の高田昌幸さんに送っていただいた 本を読む。フクシマ問題とは何か?を記録し 311災害の現実を未来の人々の記憶にするための努力が各方面で続いている。市井の人々の声を丹念に拾って編集したよい本だった
 


 鎌仲監督に偶然出会いワイワイする

 


■ 11月1日 宮城大の竹内先生からの依頼で 建築学会の『建築雑誌』に書いた原稿が本になって 送られてきた。 

311以降 宮城県唐桑半島で まちづくりの手伝いもしたり 平凡な老後にしたかったのだが ますます 俺がこの先どうなるのか?分からない 。まずは 自分の人生を振り返って書けという お題だった。で振り返って書いてしまった。 

奇妙な建築家としての人生であるな〜と 送られてきた本を手に取り思った。