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林野紀子さん編     2014年5月29日   真夏日 
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林野とりました ふふふふ 
佐藤:一級建築士受験、あれはえらい大変な試験ですけれど おめでとうございます

林野:ありがとうございます えらい大変でした。ふふふ。色んな人に手伝ってもらいようやく事務所も設立しまして

佐藤: 母親にも一級建築士にもなってと
林野:はいなりました色々資格もとりました

佐藤
:建築に関わる手続きは面倒ですからね。それはお目出度うございました。それで仕事の方は何個か建物は作ったんでしょうか。
林野:やらしてもらいましたね。ただ、この6年経ちましたけど。妊娠 出産が  非常にそっちに時間がとられて

佐藤:それはそうでしょう。
林野:とても大変だったんですよ。全部仕事をやって走り続けてこられたか、というとそうではなくって。自分の中では大変な何年間かでした
佐藤:社会活動もおこない子供も産み育て、家庭の仕事もこなし、ハウス・キーパー雇っているわけじゃないですよね

林野:まさか まさかふふふ 。我が家の場合は両方の両親が遠いんですね。それぞれ電車に乗って2時間とか6時間とか掛かるんで、両親に手伝ってもらえないんですよ。だから大変なときもありました。



佐藤
:子供の世話をしてくれる人、一時的に預けたり するということは
林野:ほとんど しませんでした
佐藤:それは 疲れますねー
林野:最初の1年間は実は夫が育休をとってくれたんですよ。
佐藤:それは それは

林野:というのは、妊娠した時に私が契約して動いているプロジェクトが2つ有って。どうしてもそれが、一つは公共だったので、動かせなかったんですよ。で、両親にも助けてもらえないし。やるしかないということで。「育休をとってくれ」って言ったら「わかった」と言ってくれて ふふふふふ。

 私の希望では2,3ヶ月とってもらえたらいいなーって思ったいたんです。そしたら電話掛かってきて「育休とったよ」「ありがとう」「1年とった」って言われて。「えー!ちょっと待って〜」って。 結果的には凄く助かった部分もありつつ。反面、その分 私が稼がなければいけなくなったので

佐藤:パートナーの給料は育休で なくなっちゃうんですか
林野:半分出るんです半分なんですよ
佐藤: 夫育休期間は林野さんが1.5人分〜! 稼がないといけないんですね
林野:そうなんです。ちょっと騙された感もあって ふふふふふ。初めての子供だし1年間ぐらいゆっくり子供の面倒をみられたら いいかなーという思いもあったんですけれども。それが逆に出来なくなって。働かざるを得なくなった というか
佐藤:そうかそうか 子供産んだ直後から 稼がなければ〜 の状況になったと 単純に育休で幸せだなー とは いかなかったと。

林野:でも 1年とってもらえたのはありがたかったなーと思いますけど。
佐藤:子供を産み育てと、建築の仕事をする時間は当然少なくなるとは想うんですが、子供が居ない時に考えていた 建築に対する考え方はだいぶ変わりましたか

林野変わりましたね
佐藤:何がどのように変化しましたか
林野子供って 死に近いなーっていうか。死んじゃうなーって。危ないなーということに対して実感を持って分かるようになりました。考えてなかったわけじゃないけれども。

佐藤:手摺りが無くって子供が落ちることは頭で分かっていたけど それを親が考えた恐い〜 あの わき出す恐怖の実感は無かったんだと。ちょっとの段差でも頭が大きいからひっくり返りますからね

林野:そうなんですよ。それが一つと。妊娠出産していたときに。つわりが重くって。本当に寝たきりみたいな状態が半年以上続いたりとか
佐藤:my妻も同じで 俺、つわり感染して 吐いてたこともあり分かります。酔わずに吐くって とても辛いですからね それは大変でしたね。

林野
:生んだあと 仕事にもどった、とは言え、夜泣きが酷い子供だったので夜中も何度も起きたりしてたんですよ。
 子供が産まれたのが2011年の9月で、2011年の3月に震災と福島の原発の事故が起きて。距離はあるので、色々な情報を集めようとするし、佐藤さんも来てくださったりして。色んな方が来てくださったりして、話しも聞くんだけれども。実際問題自分は動けないんですよ自分の仕事すら出来ないし、ましてや余裕が無い

そのことが結構 自分には衝撃で


 弱者という言葉はあまりよくないとは思うんですけど。言ってみれば私 弱者になったんですよ。何年間か。自分が朝起きて、起き上がることもままならない。とかご飯も食べることが出来ないとか。

 子供 産まれてからはこの子 このまま死んじゃうんじゃないかーみたいな。被災地へ何かしたい 手助けもしたいんだけれど、も自分としてはそれどころじゃないんですよ。そういう状況があって。

それまで自分はそういう災害があったら助け合わなければいかんみたいな。そういう気持ちはあったんだけど。それもけっこうおこがましかったなーと思って。そんなことを言えるのは健康で自分の生活がある程度あって。そこに手を出せるということまでのハードルっていうのも 有るんだなーということを凄い思いました。

佐藤:そうだね。自分で被災地に手助けしたいと思っても 自分の身体の状況とか精神も含めた生活環境によっては善意があっても出来ない人も居て。被災地救済に参加出来ないことによってストレスを貯め抱えてしまう人も居るのだと実感したんだと。
 簡単に社会活動をしているから、それで救われるのではなくって 被災地救援に参加したいと考える あらゆる人達が参加できる仕組みというものを、目に見えるところだけじゃなくってね。 気持ちだけでもどのように参加させるのかという方法を作っていかなければいけないなーと気が付いたんだと。 建築を作りたいんだけど思いだけ抱えて、作れない人が一杯居るように・・・。

 出産経験を通してみると 「建築出来て素晴らしいだろう」とだけ考えている阿保もいるんだと。建築に思いを抱えている人を仲間にし、どのように参加させるのか。その仕組み作りを考えないで 新建築が出来た出来たと喜んでいる人は阿保に思えるのは当然です。 これから建築をつくるだろう林野さんにとっては大切で貴重な体験でしたね

林野さんは東京大学で世界の最先端建築を学ばれて、世界の建築の潮流も分かってらっして 自分自身が日常生活行為さえままならない状態になっちゃってねー 普通に建築を作れない人よりも大変 深い悩みを持ったんだろうと推察できます。置いてきぼりくっている 〜寂しい気分でしたでしょうね
林野:そういう感じもありましたねー建築 それどころじゃない

佐藤
:今まで学んで来た建築的体験が無になってしまうのではないかと思ったりしたんですか
林野:そこまでは思わなかったですね。
佐藤:辛くって そんな余地さえない
林野:思って居るばあいじゃない、本当に。本当にそうでした。 仕事の締め切りが動かせなかったので、何とか寝かして。2階に上がって仕事を夜中にするんですけど。ニャーニャーって猫の声がするんですよ。春だから猫の声するのかなーと思ったら子供が泣いていた はははははは。そんな感じで

佐藤:子供を産んで 育休とっていただき 建築の仕事もしてしまった 凄い!!えらい!
林野:そんなに褒めてもらって 嬉しいです ふふふふふ

佐藤:大変だと想います。特に育児に対する周辺環境 ほぼ無いし 悪いし。子供を育てるって簡単に語り、実践は女性の方々に任せてしまっている社会ですから。 子供が大人に成長して日本の社会参加するのも大変ですよね。3人の父親ですが「おかあさんとお父さん1人で育てた」んだと常に言われてた。私としては林野さんのすごさ痛さが 身に染みます。カークの運営もなさりつつですが、子育てが1番難しいですかね。

林野:まだ私は3年弱なので、その経験でしか言えないんですけれども。
佐藤:こどもは 生き物ですからね
林野:待った無し!ですものね
佐藤: 死にますから 手抜けないですよね。



すこし話しを変えますが 新しい建築とカークを支えている古建築。 おおぎまちの町家に暮らす事になって。大学で古建築の勉強をなさっていた 訳でもないのに いつの間にか古建築と共にある生活!  填まってしまったね 

林野:そうなんですよ

佐藤:
積極的なのか 渋々なののかどらか分かりませんが、その当たりについては

林野:
一つは実験精神というか。金沢にいると「町家のリノベーションしてくれって」いう話しもけっこう受けるんですね。住宅だったり店舗だったりするんですけど。そういうのをやっていくうちに、実際のところ町家 断熱性能どうなの とか。改修して住んでみて住み心地はどうなの とか。そういうことを試してみたかった。

たぶん近代建築に住む機会は・・。自分の生まれた育ったのは 実は住宅なんですけれども。SRCの住宅で育ったんですよ。なので2階に上がってしまえば下の音はいっさいしないとか。時間が経っているんですけれども建具も歪まないとか。そういう家で育って。

 自分で改修したわけじゃないんですけれども。ここは他の方に頼んで改修したんですが、改修後の感じがどうなのか確かめてみたかったというのが一つあります。

それから、新築で建てるっていうよりも お得なんじゃないかっていう感じがしたんですよ。それも本当にお得なのかやってみたかった。で、自分の家を建てるって凄く色々なことがやれるチャンスだと思ったんで。せっかくチャンスがあるんだったらやってみようと。そういう気持ちでした。



佐藤:
林野イズムがあって それを建築で実現するということじゃなく
林野:ぜんぜん違いますね。 そういうのあんまりないですねふふふふふ。

佐藤:金沢に来ますと古建築に対する行政の手厚い補助政策があることが分かりますからね
林野:ありますしね〜
佐藤:古建築改修に必要な 職人さんなど伝統的技術者も居ますし。沢山 古建築改修の実例もありますし。まずは金沢にある仕組みを知ったり、挑戦したり体験してみるということですよね イズムの実現以前の目の前に古建築ゴロゴロ在りますし

林野そうです。自分が作るんじゃなくって。町家まちやの様式があるわけじゃないですか。その様式の中に一回入ってみたかった。設計する側の者としても。
佐藤:今話している この場所の 建築は100年前なのかそれ以前の建築なのか分かりませんが
林野:一説によれば江戸時代とか言われています
佐藤:では200年ぐらい経っているかもしれないってことかな。その時に建てた人、林野さんではない主体だけれど。その方が発注した形式だけが残っていて。現代人が江戸時代の人々の暮らしに合わせたシステムの建築形式に「失礼します」と入ってきた。

 そのときに、時代も異なるし 主体が入れ替わっちゃうわけですよね。その時にはどんな感じがしますかね。建てた主体が変わり林野さんが建物の意味を変えたり引用したりして活用していくわけですが。そのことについては何か当初考えていましたか

林野:当初は予感だけが有ったんですよ。凄くひかれるものは有って。理屈じゃ無くって。
 今借りて住んでいる扇町の幸町のまちやも、町家なんですけれども。そは それほど古くはなくって、80年ぐらい経ってる町家かな。中は化粧ボードとか貼ってあるような改装してある町家なんですね。そこに「引っ越そう」と決めたときもそうだったのですけど。何か直感的に引かれるものがあってそれは一体何なんだろう?」って思っていたんです。
 ここの改修やら工事をやっているうちに、それは独立していないことなんじゃないか。ということです。町家って一戸だけ野原に建っていても町家じゃなくって。この間口が 隣と接しつつ、細い敷地が在る

 この町家の前の道も江戸時代から続いている古い街道らしいんですけど。そういう町並みが在ってはじめて出来るものなので。最初から建物のコンテキストがどうしても強くあるんですよね
 

 そういう事って、個々の建築を考えるうえで、こんなに楽なのか!っていうか。そういうことが凄い分かりました
 それでも前からコンテキスト主義みたいなことは言われているんだけども。それがもっと積極的な意味として自分に感じられた。

佐藤:近代だと主体の主義主張が完結してる建築 イズムによって自律してい建築みたいな考え方だけども。町家は主体といってもいいような使い手がずらずらずらーっと連なった一つの細胞として連なり生きているかのような状態。
林野:さっき佐藤さんは主体が入れ替わったっておっしゃったんだけど。そういう意味では江戸時代に ここに住んでいた人と 私たちと、そんなにワンノブゼムという意味では関係性は変わっていないと思っていて。ここに入って来てこの町並みに新しく来ましたよっていう意味では。

佐藤:大学での教育は 他者に認められた主体として社会に立っていくみたいな考えで来た近代的時間の中でだったんで、どうしても強い考え方を発明して建築を作っていくという考えだったんでしょう が 町家では 皆が寄り添って一体の生命態として在る、それが個々の主体の肩の力も要らない強さ 生命力も強いという感じがするんですが。林野さん世代はそれでもいいのかな?

林野:それでもいいのか?どうか この町家に実際住んで実証しようかなーと。もしかしたら、あまりにも今気づいてない何かがまだここに残っていて、それが今の私たち世代とぶっかるかも知れないし。もしかしたら思いのほか居心地がいいかも知れないし。住みながらやってみようかなーと。

佐藤:
楽しみですね。 個室があって共有スペースが在って・・が戦後から 今までは一般的ですけれども、町家の場合いは全て連なった くねくねした筒の連続でもあるし。強く区切られてはいないですよね。ズルズルしている。
 その有様 江戸時代の人間のありかたと今日的な人間関係は異なるから、私の部屋は無いじゃないか?という要求になっていくのか。どこでも自分が暮らす部屋であるのだ と考えれば解決は出来る。
 そのように考える他者との領域 重なって在る便利なことも多い。そこで問題が発生するのか暮らしてみないと分からないんだと。次回5年後にまたその当たりを話していただければと思います。

林野:あまり最初から抵抗はなかったですし

佐藤:古建築周りは技術も職人も廃ってしまっているし、新しい機能の発明も難しい中「古いからいいんだ、快適だ」で思考が止まっているかのようで・・。利活用の仕方が主に語られていて、維持管理やそれを支える職人生活のことについてはほとんど施策上も語られない。それでいいのかなーって。
 古建築を美術館にしたり、店にしたりと、それだけで古建築を本当に使っているのかなーって。林野さんの新しい挑戦が古建築の活用の新たな路を見せてくれるかもしれませんね 楽しみです。続きは次回の5年後の聞き取りまで待ちます。たのしみー・・


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