HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
川井操さんに聞く 2017年1月29日 彦根あたりにて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その2 川井:それが、「あ!そうなんだ」と 佐藤:傍に居る人の情報は若者に大な影響を与えるんだね、で内井先生に会いにいかれたんですか 川井:行ったわけでもなかったんですよね〜 佐藤:そこ 甘いね 川井:そこは甘いですね。 森田:いなかっぺ そこは なかなか 行けないよ 川井:行けないですよね〜。その勇気は無かったですねー 佐藤:誰かが作った情報を頼りにね・・人生の舵を切る〜 川井:そうそう 佐藤:事実を確かめずに 川井:完全にステレオタイプで滋賀県立大って所を 佐藤:たまたま運が強い川井さんで、もしかしたらろくでもない建築系大学だったたかも 川井:そうそう、そうかも知れないですね 森田:そこ、その人が持っている引きの強さだね 川井:うん、うん 佐藤:内井先生の名前が出て思い出したけど、19歳で東京に出てきてゼネコンの設計部に所属して最初に建築家の作品を見に行ったのは内井さんの桜台コートビレッジ 森田:おーー 川井:そうなんですかへー 佐藤:内部は入れないけど路地状通路など体験してね、いいねーと 高足カニみたいな柱脚でギザギザプランで 川井:雁行の 佐藤:建物の在り方よりも各戸へのアプローチに感激して こういう仕事をしちゃう建築家がいるんだなと、ゼネコン設計だとマッチ箱積み上げて直線通路つけて終わりみたいな設計ばかりなんだよね 売らない通路を真剣に考えて作ってあった、これが建築家の仕事なのかと。 (写真 WEBより) 川井:それ言われて思い出したのは・・雑誌とか調べてはいましたね。図書館とかに行って、新建築社で内井昭蔵まるまる一冊みたいなのが 80年代にでた本があって、それは読んでて。 東京も建築マップみたいな本を買って、一人歩きもしてて。その中で内井先生は土着的な感じがしていいなーっていう、感覚としては持っていたような気がします。うろ覚えですけど。 佐藤:それで滋賀県立大を受験するわけですね 川井:受験して 佐藤:どうどうと 正面から入ったと 川井:そうです 佐藤:おれは先生の大のファンだから入れてよと言っても入れないよね、勉強はだいじょぶだったんですけ 川井:勉強はしましたね、半年 佐藤:実家は金が無いんだし、パン職人して生きていかなければだったんだから、浪人の生活費はどうしてたんですか 川井:実家に帰りました、実家で勉強してて 佐藤:親に寄生してて勉強したんだと 一度、安来に戻ってね 川井:でセンターを受けて、第一志望は京都工芸繊維にしてたんでしけど。当時、京都工芸繊維は試験が無くって、センター8割とったら合格って。僕8割ぎりぎり届かなくって、そこで冒険するよりも、自分が工学系は嫌だとかあったから無理せず少し田舎だけど滋賀県大に行ってみようかなーとなんとなく思って。 親はけっこう反対していたんですよ。 佐藤:京都のほうがいいぞ〜ですか 川井:とか、地方の公立大学なんか行ってお前どうするんだと。すごい反対されて。 さすがに僕も、東京経由で帰ってきたから、親の意見で決めたくないって。その時に親の情報を初めて自分がね・・。色々東京を歩いたりして自分で集めて、ここが いいって、はっきりしてきて。そしたら、「わかった」っていい感じで 佐藤:初めて親を説得できた 川井:説得というほどでもないんですけども「金かからないし、いいか」と 佐藤:一発で 川井:一発で受かりましたね 佐藤:できたての大学だから先輩は少なそうだよね 川井:僕で6期生なんですよ 佐藤:一応びっちり学生さんはいて、ドクターは無かったのかな 川井:入学したら初めてのM2が居るっていう状況で 佐藤:なにもかも初々しいね 川井:建物も初々しいし、で 佐藤:やることなすことみな初めての感あり〜 川井:みんなが初めてのことやってる雰囲気が凄くあって、先輩もゼミとかよくわからないんだけど、内井先生の話を聞いてるとか。僕も入学してすぐに うふふふふ 内井先生が居る!!っていうので 入ってから凄いギラギラしてて ふふふ 佐藤:ぎらぎら川井〜内井先生に会いに行く〜 川井:会いに行って。1年の4月から内井ゼミに参加したからははははは 会場はははははは 森田:へーえ 佐藤:1年生からいきなりゼミ参加 めずらしいね〜 川井:はい 1年の4月から内井ゼミ参加して。先輩の話もめちゃ楽しいし 佐藤:普通の学生は1、2年はゼミに所属しないで3、4でゼミに参加ですか 川井:そうそう 佐藤:新入生がいきなり内井ゼミに殴り込んで行くと、ゼミ生として合格もしてないのにゼミ生みたいな面をして参加してた 川井:でもそれ 内井先生も僕が内井先生のファンですって、 佐藤:ははははは 川井:過剰に言ったんですよ 内井先生のファンで滋賀県大に入りましたって言ったら・・ちょうどゼミやっていて。 すごい嬉しそうにして〜・こんな奴が来てくれた〜って感じで。 すー^^ーごい 嬉しそうにしてくれて。そこで自分語りをしてくれて 早稲田の今井兼次さんの所で勉強して。今和次郎が居て、吉坂隆正さんが居てとかの話から、菊竹清訓さんの所に狙い撃ちでスカウトされて入って。菊竹時代の苦労話して・・・というストーリーをばーっと語ってくれたんですよ すごい!こんな事を先生がダイレクトに教えてくれるの〜みたいな感じで、理科大じゃ考えられねーなみたいな。 本当に嬉しくって僕もフラストレーションあったし。 受けなおして行ったってことと建築家ってよく分からない人に初めて会って、そうやって自分語りをしてくれたってことを凄く嬉しくって。 佐藤:友達の内井さんの話は嘘じゃなかったと、内井先生のファンであると言ったら内井先生も喜んでくれて。ラブラブな関係だね 川井:そうそう、それと松岡 拓公雄先生(たけお)というアーキテクトファイブの人がいて。当時、鳥取フラワーパーク (とっとり花回廊)っていう大きいなんて言うんですかね。フラードームみたいなのを、円形で回廊が回っている施設を作っていて、それが新建築に載っていたんですよ。 花回廊WEB頁表紙より 僕 実家帰ったときに両親と(観に行った) 安来の本屋のどこにも新建築なんて置いてないんですけど、新建築を本屋さんに頼んで家に送ってもらってたんですよ。それだけ見るようにしようと思って。 ちょうど鳥取フラワーパーク アーキテクトファイブ。こういうの作っている人がいるんだと。アーキテクトファイブってどういう人が居るんだろうと思って。東京芸大の出身の人だ、みたいな感じで頭に入ってて。 僕オリエンテーションのときに、松岡先生から喫煙のルール、マナーを言われたんですよ。僕も二十歳になっていてタバコを吸っていて。「ここにタバコ吸う子は居る」って「居たら手を挙げて」って、僕だけ手挙げてたんです ははははは 一番前の席で。すごい印象に残っていたらしくって。 その後学食でばったり会って。「君ねー覚えているよ、知っているよ。手挙げてたよね」みたいな事言われて。松岡先生に「建築家の方でしょうか」ぼくも丁寧に聞いて、「そうだよ」って、「アーキテクトファイブって所に行ってるんだー」みたな。 「え!アーキテクトファイブですか」「あの東京芸大出身の丹下事務所出身のアーキテクトファイブの方々ですか」 かいじょうはははは 一回生に言われて 「お前はなんでそんなこと知っているんだ」みたな感じなって かいじょう はははははは これは凄い奴が入ってきたと。俺 スター級の扱いを受けちゃって 会場 がは はははははは がははは 1年生にとんでもない奴が入ってきた、こんな奴が居たんだよと、滋賀県大 ざわついて。 佐藤:たまたま雑誌で見てた、隣の県の施設のこと詳しく見たので〜 川井:たまたま、それで一回生で内井先生の所に割り込んで来てファンだって言って。内井先生も凄い喜んでくれたりとか。大学中がけっこうな騒ぎになって かいじょう ははははははは とんでもない奴が入って来た。今までの滋賀県大史に居ない奴が入ってきたと 佐藤:偶然が重なってたんだけど、入学時に過大評価されちゃって 川井:過大評価され、俺もその環境がいけいけ ワクワクで 楽しくって、毎日 大学が楽しくって。先輩も 着き切で手伝いさせてもらって 佐藤:先生と先輩・新入生が相思相愛になってて いいんじゃない 川井:研究室の先輩にくっついてて何でもさせてくださいと 佐藤:入学したばかりなのに、すっかりゼミ生 川井:わくわくうきうきで 最初そういう妙なテンションと学科全体も僕に凄い期待してくれる感じが出てて。半年ぐらいは続きましたね 佐藤:パン屋時代の事はすっかり忘れてしまってましたでしょう 川井:そうですね、だけどちょっと半年ぐらいで報告しに行きましたけど、パン屋に 佐藤:律儀だね、普通の人は幸せ現状におぼれて過去のことなんか思い出さないよね かいじょうふふふふふ 森田:律儀 行かないですよ 川井:パン屋に報告に行ったら 当時の店長も凄い喜んでくれて 。 佐藤:この記録公開したら、その翌日からは大学の川井先生の部屋には小麦粉の入った大きな袋が置いてあるよ きっと かいじょう ははははは 森田:粉 置いておくと先生が勝手に こねてくれる〜 佐藤:こねてパンまで焼いて お腹を空かしたゼミ生に提供してくれるー、粉を見るとパンを焼かずにはいれない いいよな 川井:だから凄いテンション高くって、新しい大学だから、どんどん仕掛けてやろうと思って。4回生ぐらいまで集めたコンペ・サークルを立ち上げたりとかふふふふふ僕が代表で。1年の前期でふふふふそれは一回出して終わちゃったんですけども。学内の先生にレビューしてもらったりとか。 木匠塾って今でもあるんですけども、それも一回生で代表をやったりとか。とりあえずエネルギーだけは余っている感じ 佐藤:どこの木匠塾ですか 川井:僕は川上村木匠塾(HPへ)って言って一番古くからある木匠塾。当時それしかなかったんですけど。 佐藤:渡辺豊和さんとか内田康博さんとかもね 川井:あれは加子母の方ですものね、県立大学は川上木匠塾っていうのが当時唯一あって、それに一回生で代表してたりして。 川上村木匠塾HPより 佐藤:行動的な学生でしたね 川井:凄い行動的でしたね〜。そうやって4年生の卒論の手伝いを 佐藤:学部生のときは順風満帆で活動して・・・ 川井:かなり好き勝手やってましたね 夏休みは4回生の先輩の卒論の実測手伝いというって、鴨川の川床 床を全部先輩と実測したりとか。そういうのでめちゃくちゃ充実してましたね 佐藤:実測も木匠塾も肉体系活動ですけど、理論はどうなってました、議論は 川井:議論は、丹治先輩、超仲良くって。で彼がDANWASHITSU (ダンワシツ)っていうをやっていて一発目誰を呼んだの、聞いたのかなー。次に神戸芸工の花田さん DANWASHITSU FBより 佐藤:日建設計から先生になられた方ね 川井:丹治さんが大ファンで花田さんをお呼びして、それを聞き、これも面白いと思って。とか芸術家の誰だったかなー。栃木でやっている芸術家のなんていう人だたかなー。 佐藤:何を作っている人ですか 川井:DANWASHITSUの本見せてもらっていい DANWASHITSUが企画編集発行している『雑口罵乱(ざっくばらん)』という記録を開きなばめはじめる (俺も載ってるぜー→) 藤本均定成さんていう陶芸家の人がいて・・・ その03へ |
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