HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
和田寛司・小西由吾さんに聞く 2017年1月・31日京都市内にて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その2 佐藤:部員数 ぎりぎりなんだ 和田:そうなんです ぎりぎり6人で。僕たちが入らんと廃部。だから1年生から3年生までずーっと同じ人がキャプテンして、その人がずーっとアタッカーで。僕の後に後輩が4人しかいなかったんですよ。で、卒業する頃にはぎりぎり6人になっって。 かなり弱かったんですけど。中学2年生ぐらいになったときに、バレーボールの世界で有名な先生がおられて。叩きなおされて、それでようやく。 それでも弱かったんですけど試合でなんとなく勝てるようになった。勝てちゃったんですよ。 佐藤:どのぐらいの規模の中学校だったねすか 和田:40人で8クラスかな。 佐藤:都会なので狭い敷地でしたか 和田:敷地は割と広かったですね 校舎が3棟あって1、2、3年生の棟があって。 佐藤:でそこで無事卒業できましたか。 和田:そうですね、でまだその時は将来のことを何も考えてなくって。男子校とか どんなんやろうというのがあって。 佐藤:女子嫌いかな 和田:そんなんやない、ずーっとバレーボール部で男だけやったんで。こんな感じ楽しいな〜って、もちろん女の子も好きです。この感じ楽しいなーって。男子校ってモテルらしいって言う噂も聞いたし。ずーっと男だけっていうもの楽しいんじゃんじゃないかと。 佐藤:女の子が居る方が楽しいんじゃない 和田:それでどうしようかなーと思っていたら、凄い仲の良かった友人が何人か「京都の男子校に行っって」それジャー僕も行くかなと。 佐藤:公立ですか 和田:私立です 佐藤:学費高そうだね 和田:そうなんです。親不孝ですよね。最初は「えー」って言われたんですけど。進学校でもなく、ただ男だけの学校、今は進学校になっているかな。僕なんの理由で行ったんかなー。エスカレーターで龍谷大学につながっているみたいな。そこまで考えてなかった、両親はそこやったらみたいなのあったかも知れない。 佐藤:男子校に入って3年間はどんな感じでしたか 和田:バレーボール部に最初入ろうと思ったんですけど。高校3年間費やすほど興味はなかったんで。そこでヒップホップが流行ってたんですね。部活ないかなーと思って探してたら、ブレークダンス部っていうのがあって。 これやなーと思って行ったらそこも、廃部しかけで。僕が入ってすぐ廃部しちゃって。直ぐ帰宅部になっちゃったんですよ。3、4か月ぐらいやって、やる人が居なかったんですよね。 佐藤:ヒップホップって詩人ですよね 和田:そうですね。それもやりたかったんで 佐藤:漫画みたぐらいで言葉が身に着くのかな 和田:ふふふふ、その後ブレークダンスやめて、ヒップホップやりたいなーと思って。ラップを友達とやろうという話になりまして。 佐藤:小さいときからお喋り好きだったの 和田:そうです。お笑いとかも流行ってたのかな。お笑い好きの友達が居たんです。その友達はボケで、僕にちょっかい掛けて、僕が突っ込む、お喋りはよくしてたんです。そいつも同じ高校に行ってて。おしゃべり好きはあったのかも知れないですね。 でラップを始めて。みんなクラブしているんですけど、僕たちはその間 曲を書いて。夜 佐藤:曲を書くって詩を書くっていうことですか 和田:そうですね。曲は元々あるインスツルメンタルの曲を乗せて、分からない言葉を発し気持ちよくなって、それを高校の時はしてたんです。見かねた高校の先生が「お前なんかやりたいことないんか」みたいな事言われて。 佐藤:やりたいことやっている和田さんに向かって質問する先生 どうなの 和田:ふふふふ「お前どうすうや」みたいな、ちょうど面談の時に「将来どうするの」みたいな話になったんで。年に一回あり、1年生のときに建築って言っていたみたいなんですよ。なんでそんなタイミングで建築って言ったのかなー。 佐藤:居候おばさん見てて大工さんと言わないところがおしゃれか 和田:そんときは大工とか嫌だったんですよ。たいへんかなと思って。土方仕事って大変かなーと。大工を土方だと思ってたんで。 佐藤:ふふふうふ 和田:大変やろうなーと思って。それで僕は設計とかしたいなと。そうだ思ったんです、そのおばちゃん観てて。 それで建築とかってどうなんやろうと先生に言ったら、「じゃーお前 俺 美術部やから美術部に入れよ」って言われ。でもラップしたいしなーふふふふふ 僕ちょっと気が弱いので、断り切れず。「はい」みたいなので入部することになりました。そこから美術部に通い出したんですけど。 当時ねおたく文化が世に浸透しつつあって。 マニアックな濃いお宅がちょこちょこ高校の中にも居て。美術部はその吹き溜まりになっていて。僕、着いていけなくって。 佐藤:お宅も色々あるでしょうが何おたくの集まりだったんですか 和田:アニメとかですね、いかがわしい漫画とかを皆持ってきて、エロ同人誌、それを買ってくるんですね。マニアックなやつを買ってきて。 みんなで読んでて、「これついていけへんなー」と思って、段々美術部に行く回数が減って。幽霊部員になり3年生になる頃にはもう行かなくなったんですね。でもラップは続けていて。 佐藤:美術部で作品は作らなかったんですか 和田:作品んもちょっと作ってましたね。その当たりから京都はカフェブームみたいなが来て、京都のエフィッシュというカフェに高校生のときに初めて行って。 あ!おしゃれやなー。ビルをイノベーションして白い空間にしてて。そこが「おしゃれやなー」と思って。こういうのってインテリアなんかなーと何となく雑誌とか読んで思って。 建築とインテリアの違いがよくわからないけど、インテリア設計みたいなのしたいなーと。その辺からちゃんと考え始めて。進路をインテリアがある学校へ。 佐藤:デザイナーだから力仕事もなさそうだし、こっちがいいなと 和田:インテリアデザイナーになりたいなーと思って。その時も馬鹿だったので、建築とンテリアの違いも分かってなかったんで。 とにかくインテリアのある大学を調べたんですけど。インテリアって全然出てこなくって。インテリアって大学で学べへんのかなーって。専門学校が一校あったんです。 京都建築大学校っていう専門学校が、園部の方にあるんです。そこに書いてあったから、一回見学に行ってみて。どうやらそこに行ったらインテリアの勉強もできて、2級建築士もとれる。これめっちゃーおいしいやん。と馬鹿なんですね。 佐藤:専門学校は2年ぐらいですか 和田:4年なんですよ。2年間専門学校に行ってあとの2年間は2級建築士のライセンスをとったり、卒業設計したりするっていう期間なんですけど。 そこで僕は専門学校に行くとこにしたんですね。美術系の学校とかも考えてたんですけど。なんせインテリアという文字が出てこなかったんで ふふふふ それですぐにこれはちょっと失敗したなーと 思って その03 |
|