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  2017年10月05日 
龍光寺眞人さんに聞く 杉並区にて
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自衛隊員の活動 個人の活動など

龍光寺余震に怯えて車の中に寝る、その気持ちはわかりますけどね〜
佐藤:木造は地震で揺れるたびに大きな音して、音で怖さが増加される。潰れない構造でも怖くって中に寝ることができないようで自家用車の中で寝たんだね。
大きな災害に遭って被災の日々を体験しました。まず食い物を確保するのにレジ周りが長蛇の列で一時間半ほど時間掛かってました。必要な食い物は1週間後には入って来てましたね。

国交省が各地の建設会社号令を掛け、物を集め、東北自動車道を櫛の背に見立て東西にびる幹線道路を歯に見立てて物資を配布する、くしの歯作戦を実行したそうですよ、後で知ったですね。



松島にある島にも行って見ましたが住人の人々へは、浜に瓦礫が落ちて埋まっていたので船が使えない。で、海上自衛隊がフォーバークラフトをつかって物資を配給したと話してました。

 津波後、瓦礫で埋め尽くされた町の姿 石巻市内 2011年4月




さらに驚いたのは自衛隊の隊員が3月12日には各地の被災地に到着してて、瓦礫を片付け開始したことです。東北自動車道は土盛りして路面の下をコンクリートで四角いトンネルを造って横断させているんだけど、埋戻しが緩いのか段差が出来てて路面が凸凹段差が大きくって、普通の車じゃ通れやしない。自衛隊車両は段差があってもなんのそのなんだろう、翌日から瓦礫片づけ開始してたそうです。

津波による被災地は自衛隊に要請して、瓦礫で埋め尽くされちゃっている道路をまず片付けて使えるように、幹線を整えることから始めた。瓦礫の置き場も苦労してたが一月後には道のメインはほぼ確保されていた。

声を掛けてみたけど、土木作業は初体験のような話もしてたよ。みんな礼儀だだしいくって、航空自衛官だって言ってたかな。そうだよね、自衛隊の全員が建設係であるまいし、全国からかき集め被災地に配置したのだろうから。

 瓦礫が除かれて道が出来始めた町 石巻市内


 岡の上に設えた共同浴場の外観 石巻日和山にて


龍光寺:本当に日本の危機って感じがしましたね。どうしていいか分からなかったですね。

佐藤:その後も初体験のことが続けたんですけど、6年経って暮らしも落ち着いてきたので、聞き取りを少しずつ再開しまた。

2008年から各地に出向いて聞き取りしてたので、その方々から義援金が送られてきたり、物資を持って来てくれました。被災が多すぎ広すぎて対応しきれないですよね。で、義援金の支援があったのでmy長男が旧来から付き合っていた被災地で少し活動しました。

    my活動内容を紹介した『建築雑誌2012年9月号』 の一部 


建築学会の『建築雑誌』2012年9月号で大まかに紹介しました。
発災3か月後に各地に報告へ行き、東京芸大でも東大の生研でも報告しました。2012年12月には滋賀県立大学で話ましたが学生がまとめて『雑口罵乱』にまとめられて刊行されもしました。
時間が経つに従って311震災の記憶は消えてかのようでした。今は福島原発事故の後の状況について人々の興味が向かず、記憶からも消えてしまったか、その様で、脱原発の進め方などの話も無くなってますよね。
今後40年経っても原発事故の廃炉作業が終了するかどうか見通したってないし、廃炉費用は日々の電気料金に加算されている。そのことさえ知らない人が多いように思います。龍光寺さんは興味を持ち続けている少数者のお一人です。
風化っていうのか、全ての災害を記憶して日々生きる必要もないんだけど

龍光寺:日々の暮らしには分からなくってもいいような事みたいなのが一杯あって、その内の大きいものが311震災で出て来た感じがしましたね。こんな事も知らなかったんだーと。本当に驚きましたもの。私もそうですけども、みんなそうなんですよ。皆が知らないんですよ
佐藤:福島でもシーベルトとかベクレルって何それでしたよ。放射能の計測のしかただってほぼ誰も知らなかった。俺もにわか勉強して除染作業をしました。

    2014年1月 福島市内で除染作業の監理員となる


龍光寺:それは初めてのことでしたね。現地の近くの人はもっと凄い違う体験をされたと思うんですけど。まったく違うんですけど日本中の人がショックを受けた体験かなーと思います。

佐藤:この国に暮らす人の大方はショックを受け、心を痛めたと思います。で、そこからどうするか。元に戻すのか、その元ってなにかを考えて、立ち上がるしかないが、ショック受けて終わりでは東日本大震災の体験を活かせない。課題は多く残されたままです。「復興」と「絆」とか言葉を多用して解決した気になるのも風化の後押しのようで問題があるし。負けないとか頑張れとか聞かされ続けると疲れる、聞きたくないと当事者は思ったに違いないよね

龍光寺:それこそ、そんな事しか言えないって、なっちゃいましたね

佐藤:支援する方も・される方も巨大災害に遭ったときに、対応の仕方が分かってなかった、その事に気付いたのはよかったと思います。被災当事者だって何をどう支援して欲しいのか言葉にできなかった。被災地に人は次々にやって来る。報道陣や支援者に、被災地観光にと。彼らに同じ質問され続けてしまいへとへとになって、苛立った人もいた。対応の上手い者は震災スター化していった。被災地の観光風ガイドさんも必要だなとは思いました。被災地を支援し続けるためにも外部からやってくる被災地観光客に対して語り部は要る、ボランティアなどを仕切る係も要る。

龍光寺:ニュースにはなっていないですけど、避難民の生活を調べた人がいて、問題が起っているケース。避難した先でもたくさん集まっているので、トラブルを起こす人はいるわけですよね。なんでトラブル起っているかを調べてみたんですよ、結論としては被災先でトラブル起こす人は避難する前からトラブルを起こしていたっていう、結論が出てしまって。報道は出来ないんですけど、元々トラブルがあった人は避難をしてもトラブルを起こす。それが顕在化してしまったと。そういうのがあるのかなーと思います 
 
      2011年3月15日 県紙面


東京に暮らす私たちは被害を受けてないんですけど、そういう者から見ると避難民は被害を受けていて大変なんだろうなーと思うんです。で、避難先でも人間関係は変わってないんですよね、性格が変わるわけではないですから。元々みんな聖人だったわけではなく、好い人、悪い人ではないですけど、色々な性格の人が居て、人間関係は避難先に行ってもそのまま表れて出ている、その姿が如実に見えてきた。

要は避難民の人々の現実を知らないわけですよね。避難民はなんとなく粛々と非難しているように見えてしまうんですけど、避難先でも元の生活の場と同じような事が起っている。それがもっと圧縮されて、トラブルは分かり易い形で表れているのかなーと思って。その研究結果を聞いてああそうか、そうかと、びっくりしましたねみんな人間なんだよなーと思って。



佐藤:着の身着のままで逃げ出したので下着も無いし食糧もない。時間が経つと物資は送られてくるんだけど分配の方法だって初体験、決まりが無い。生理用品の配布も年齢で分けると問題が起きちゃう。送られて来る下着もサイズが色々で、自分に合った下着を選べるなら問題ないんだけど、与え方の方法も初体験。送る方だってどんなサイズの下着が要るのか分からない。下着に限らずあらゆる事がいちいち混乱しては壁に当たり続ける。その体験が学習され各地の行政にストックされたのか、それも分かりません。

龍光寺:佐藤さんはストレスに強いと思うんですよ、でもストレスに弱い人も一杯、居るわけじゃないですか。そういう人はダメですよね。
佐藤:残念なことに放射能沈着や風評が出てしまい悲観して自殺する人も出た。震災関連死と認めるかどうかでも争いになった。高齢者で寝きりの人が転々と避難先が変わって、環境の変化などで亡くなってしまう、関連死は二千人ぐらいだったかな。津波だけで原発事故がなければ避難を強いることもなかったが途中で死を迎える人もでた。

困っているんだけど他者に助けを求めることが出来なかったり、発信のしかたが下手だってこともあるように思います。自立人間が当たり前だとする社会的認識が共有されているので、弱い者が救って欲しいと声をあげにくいのでしょうね。自立偏重社会だったことも影響しているんですね。「私 困っているから支援して頂戴」と言えない空気があるんだよね

     2011年3月29日県紙面より


龍光寺:そうですよね、その感覚が確かに揺らいだところはありますねー。
佐藤:自立してて困った人を支援したり、自分が困ったら声を挙げて助けを求めることが出来る、両方できる人を目指してなかったんだよね。自立は偉いんだーと考える人がほとんどだったのでしょう。そういう人はポキンと折れ易いかも。

たった一人で生きていくことを条件に制度が整えられていなかった、その認識も出来たか・・。弱者は家族とか地域とかに放り投げ任せっきりの国だったと言える。閉鎖型コミュニティーで問題を解決せよ、になっているようで人々は内向き傾向なんだよね。
小さな政府化と新自由主義志向が20年以上、続いてて、弱者が一人でも暮らし続けられる社会をつくるという、普遍的な暮らし方を共有して心の不安負担を軽くして対応しようという姿勢に思いが至らないよに思います。
介護や子育てはみんなで支援し合う状況になりつつあるけど。他の多くは個人の責任になっている。

龍光寺共同体のありかたみたいなのが、共同体自体が、特に都市に住んでいると希薄になりつつありますし、家族が解体されているとか、そういう教育をなんとなく受けていましたし。だから、そんな事を言ってられないんだなーと思いましたね。
佐藤:個電化から携帯に移り個別化がさらにすすむ暮らし方だよね。その影響もあり、血縁による旧来の家族間のありかたは解体されたとして制度設計してもいいんだけど。そこから個で弱者になったときに相互支援する政策が整えられてればよいが。
経済弱者に配分せず小さな政府化と企業ストックだけ増えてしまい、経済活動を支える分厚い中間層が消えてしまう悪い政治が続いていますよね。福祉のコスト負担を誰がするのかと財務省から脅かされ、騙されているのが実情ですよね。
竹中改革って竹中さんが太り続ける政策で滅茶苦茶でした。が、まだ続いているし、その影響で政治状況は国民を元気にさせず、税金だけむしり取ろうとしている、国民に元気を出せない、そこに大災害来てしまい対応できず、困った政治家たちです。そんなことで多くの国民も共助社会を目指してないようです。海外に出て行く人も多いと聞きます。311以降の社会づくりの道は険しくって遠しだよね。

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