『NO選挙,NO LIFE』
観戦録

─いまの選挙制度は男にとって優位なそれである

男よ、女性に甘え(人権を犠牲に)各種の営み続けていることを自覚せよ!─
  記録作成: 佐藤敏宏





監督:前田亜紀

プロデューサー:大島 新
音楽: The Bassons(ベーソンズ)
製作:ネツゲン
配給:ナカチカピクチャーズ
2023|日本|カラー|DCP|5.1ch|109 分
公式サイトへ
202311月18日
ポレポレ東中野より全国順次公開
フォーラム福島公開 2023年12月8日〜


左:予告編


観戦録にあたり

・この記録は「私的領域と公的領域」を整理できず暮らしている佐藤がつくりました。
・佐藤は「建築の理想は路上である」とし建築設計業していたので映画の要素や構造を分解し観る病を持っています。
・画像を「鳥の視線」「人の視線」「犬の視線」と分解する。
・背景に流れる音に関しては不快音でなければ自覚せず観る、音痴です。

この観戦録の順序は 12月10日の時の順序を追って記しました。
 1)〜6

1)2023年12月10日のこと
2)監督は女性ですか?
3)始りと仕舞の感想
  間には東京都参院選、畠山理仁さんの家族沖縄知事選、の感想
4)空振り二回で映画を〆る
5)舞台挨拶を観て
6)最後に畠山家と前田監督を包む愛情あるいは「2つの愛情の謎」について
(※:リンクを押し好きな項目から読んいただければ幸いです。 

■ 1) 12月10日のこと


長い間、統合失調症の家人と暮らす佐藤は、炊事、後片付け、食材の買出し、掃除、ゴミ捨て洗濯などに追われていて、気づけば老人になりました。自称、福島市に暮らし家事メン。朝起きて家事を済ませ「今夜の飯は何にしますか・・」と家人にたずね、冷凍してある食材を選びだし解凍する。午前の家事メンを済ませたあとはPCを開いてメールなどチェックするとと午前はお仕舞。(家事労働は時間と体力が要る
今世紀に入り佐藤の日常は、PCとWEBを愛用しているのでEメールやSNSメッセージを確認し返信、その後、日本の各地で建築系若者を聞き取りした肉声を文字記録(註1)作りをします。午後、週に二度は買出です。


今年、福島市は里に初雪もなく温か.い、小晴日和の日が多い。12月10日午前、いつものように家事メン済ませ・・・「聞き取り記録(註)作りをしようか・・・師走の日曜日だし、映画でも観るか」フォーラム福島のWEBサイトを見ました。



 絵:2023年12月8日から上映される映画 フォーラム福島サイトより

『NO選挙、NOLIFE』って変なタイトルだ、LAFFを否定してるって何だろう?開演時間を見ると13時、1時間後だ。

選挙否定や与党+マスコミ批判の内容なら興味をそそられるが、政治を飯の種に観てきたかのような嘘を吐く語りや、上から目線の言説には飽き飽きしている。もしそれなら観たくはない。例えば、20年前は社会批評動画は神保+宮台さんの「マル激トークオンデマンド」だけだったと思うが、この3・11以後、既存マスメディアを見限った人たちはユーチューバへと転身した方が多いようで、ビューを多数得て広告収入を得る新手の瞬間・政経芸人のような輩が激増した。

NO選挙も、それ系かもしれないな?感を働かせよう、男監督なら見ない!と決め、WEBをクリックすると右欄に【監督】前田亜紀とあった。女性監督だろうか?男性名とも思える?舞台挨拶有のおまけつき上映だ。女性監督と想定しでかける準備をした。
男監督映画だったら途中抜け出したりしてもいいし、上映後の話し合いを鑑賞の目的にしてもいい、そう決めて上映30分前に家を出た。






註1:佐藤は建築系の人を聞き取りし記録を続けて24年ほどとなる。








2)チケット売り場で聞く→前田監督は女性です
 


現場をはいずり周って撮るドキュメンタリー映画で女性監督って希なのではないか。石橋湛山記念早稲田大学ジャーナリズム大賞系の鎌仲ひとみさん、古居みずえさんは、善悪を仕分けし3・11後のフクシマを取材してるのは知っていた。前田監督作品もはやり善悪対立のないようなのだろうか。人の中に善悪が混在している内容が好ましいんだけど・・・。

選挙をテーマに女性が現場に立って撮るって、ダイジョブなんだろうか?映画界に生きる女性監督にはパワハラ、セクハラ問題、男女制作賃金格差はないのか?常態化して業界中を巧みにこなしている女性なのだろうか・・・小泉竹中改革以降の20年間この国は「神の国」だと主張していた文教族議員が仕切ってきた。女性にはたい厄介な国だ。いわゆる清和政策研究会の方々は胸を張って男尊女卑だし答弁では嘘をついてもへっちゃら!のありさまだ。まま勢いづいて国防婦人会だってつくりそうな気配もある。
隣の国が攻めてくる前に米国のポンコツ兵器を手に、神の国の臣民たちが叩きに行くので、銃後を担う女たちは団結し男を支援しよう・・・と言い出すイカレタ女性も湧きあがってきそうな気配もある。

家人のような統合失調症患者なら、安心できる居場所と適度な薬でなんとか抑えられるが、人権無視平気な人々に飲ませる薬はない。この世は狂ってきているので、女性とえども優しく人権を守り自立した女性像を想ってはいけない、そうのように身構えて観よう。


■3)作品の 始まりと仕舞を主に

始まり

夜なのか、畠山理仁さん(主役1)の個室内。立候補者取材で得たポスターや撮影したビデオテープの山!各種資料などを乱雑に貯め込んでいる畠山さん。その品々は生活に役立ちそうもないので畠山さんは目的合理主義者でないことが分る。分り易くいいかえれば主役1の畠山さんは選挙オタク(註2)なのだ!と観客は告げられる。

選挙オタク─
選曲の立候補者全員を取材する─畠山理仁みちよしさんを取材する女性監督って、たいへん危険な撮影現場が多いのではないか?との疑問も生れる。さらに当選し万歳三唱するその時だけ平身低頭で名前連呼する政治家たちが被写体だったら、支援者以外はたいして面白くなさそうだ。

主役2主役3たちなどを選挙期間中、毎日、寝ず食わす取材を続ける畠山さん。その畠山さんを追い続ける映像を観ていると、畠山さんと前田監督の意識が混濁同居してしまい「前田監督も選挙オタクなんじゃないか?」と勘違いしそうになる。それは前田監督と主役1〜3の距離が近い、人間の視線で得た絵柄であることで生れる錯覚なのだが、群衆をかき分け主役たちに密着しちゃったようなカメラワーク!危さを感じないのだろうか?と心配してしまうほどの迫力の映像なのだった。


畠山さんが撮る立候補者(主役1〜2)を2例
      
・・・他の候補者の様子はこの映画を観てください

★@
 「スマイル党主?」スーパーマンにスプレした候補者(笑)、架空のキャラ姿で選挙の場をからかっているのか?と誤解を受けそうなんだが、彼は悦に入っている。なにやら本気なのだ、吹き出して笑ってしまった。サブカルやAIで生成する虚像スターを演じるような立候補者で溢れかえれば、投票する人も激増するのではないか?コスプレ候補者たちの群れはアニメ映画より生身日本人だけあって雑多な情報を身に着け登場するから面白い!日本人のオジサンが人気AIキャラを演じるほうが滑稽の迫力度は高いし、フィクションの実体カや錯誤に圧倒される。肩をゆらして笑った。「お父さんやめてよ!」の家族の声が聞こえる中、振り払い選管に現れる候補者を想像してしまう。人間の脳は面白い!メタバースやWEB画僧がふえれば実とフィクションの区分けがつかず、勘違いする人が多くなるだろう。実人は飯食って排泄する。フィクションは飯も食わなければ排泄もしない。区分けは付くはず、、これからの行く末はほんとうに愉快で楽しそうだ。

実は、当選し政治家になった人達だって本当は政治家を演じているだけなのかもしれない。だから、スーパーマンにコスプレして議会に登場したら本当にスーパーマン議員になるそれは楽しい。議場に立つスーパーマンは主権者だって感動する言葉を噴射続けられるのか?AI言語が支配しそうな世にあっては、そこが問われる。スーパーマンは経世済民論を持っているか?昨今話題になっている新宗教系のよろしくない存在ではないのか?等、アニキャラ党の体質を観察したり問うのは面白そうだ。

スーパーマン候補の彼は日常生活の場でもスーパン装束で働き続けていれば大変面白い。だけど選挙期間中だけスーパーマン衣装だったら正常な男じゃないか?毎日スーパーマンを演じ亡くなるまで演じ続けスーパーマンになってほしい。それはスーツヒーロや芸能人あがりの政治家たちのように、きっと当選を果たすだろう。

あ、まずい、最初の候補者の取材現場映像を観ただけで畠山ワールドに巻き込まれてしまっている!画像を撮った前田監督の豊かな感性に毒されてしまっている。マスコミに登場する、焦点がイカレもっともらしく政治を論じている電波芸人より害がない政治家になるだろうか。町の困りごとはスーパーマンに相談、陳情すれば解決せずとも楽しそうな社会になるだろう。

フクシマで起きた過酷で12年も経っても呆れちゃう、核廃棄物処理問題を深刻に語り合う政治状況より、スーパーマンやゴジラに頼れる現実は、希望さえ持てるような気がしちゃう若者は多そうだ。(新海誠監督は呪術で抑える姿を描いた『すずめの戸締り』)




★A
自称超能力者の場合。ベルリンの壁崩壊を世界にバレて・・・しまったと語りだす候補者。

佐藤の独断だがこの方、統合失調症で発言の源泉が佐藤の妻の脳内と働き方が似ている。統合失調症と病識が無ければ候補者になれると知る。なるほど迂遠ではあるが立候補して治療する(笑)脳優先の現在人にとっては新しい治療手法の発見だろう、感心してしまった。治療型新人類の登場はなんとも面白い。患者自身が自身の病に対して何の方策も与えられない現在の無能政治状況に痛烈な一撃が飛んできているんだ。患者自身が治療法を発明しちゃっている!

人間っていいね



★あら!

候補者じゃない、人間も撮影しているよ。珍しい人・陳列館なの?

 公明党女性議員を支援している男性に猛烈な抗議をしている。その男性は原理主義者そのもので普通じゃない熱量を全身に蓄え憤っている。愛する者を、愛が過ぎて焼いてしまうほどに興奮にしているように見える。俺は怒りをエネルギーにして生きる、その気力が湧ず実践し加工せずまま噴射してしまう、なんて愛すべき人間なんだろう。人らしい。 


 トップガンとか、言ったかな?その方の「演説の場」を畠山さんが設えてしまう。候補者のお手伝をしている(笑・そういう畠山さんを数度カメラは捉えている)

畠山さんは候補者との境がなくなり一体化しちゃっている?観察者が立候補者に変わる、そんな瞬間・転倒してく姿が収めらてい。それらの絵からは畠山さんの人間愛に限りがないんだと教えられるし、その現場を見逃さない前田監督の人への愛情と好奇心は凄まじんだよ、と示してもいる事例になっていた。

候補者への好奇心が飯食う欲より優る畠山さん。主役1〜3全員を面白いと思って撮る前田監督。お二人のポリフォニーのような画像た楽しいし、面白い人を観てしまうと俺は大笑いしてしまうからカメラがブレ絵に成らないだろう。
画像をぶらさず撮る、前田監督は冷静でかつ面白いプロ女性だ。
だから、観ている俺も候補者と畠山さんの両者に同化してしまい、監督の視線の結果が映し出されているのだという自覚が消えてしまう。つまり、前田監督の優れた技に巻き込まれてしまう瞬間、観客は映画を見る愉楽にどっぷり浸っていることが分る。そういう楽しみを体感できる映画でもある。

畠山さんも前田監督も変わった言動を無意識でやり続けている人間が大好き!そういう人間への好奇心を露わにする幾重にも入れ子状の絵がつづく。
逆タイプの人間、目的合理主義者や竹中・平蔵のような金を稼ぐ目的で政治言動を行使し世を破壊するような人が嫌いなんだろう(←今世紀はこういう政治家ばかりだ)お二人は。そして、21世紀に増殖した露骨なコスパ生きをする現在人が大嫌いなのだと想像してしまった。



★おまけ

政党交付金を目当にするのか?・・・の人々?
  好い政治家になれない目的合理主義者たち

おまけ1

自転車大好き党の男性候補者とNHKぶっ壊す党だったかな?ガーシー議員を筆頭に泡沫候補立て、合算票数を得ようとしている人々、政党助成金に必要な票数を集めることが目的で立つ人。現制度に則った手法で、票を集めるための機械立候補を自覚し演じている男性。ネット動画であおり人気者になり政党助成金得ることを目的とする合わせ技。組織的に集票を強く意識している、現在の政党と変わらない、小賢しさ。それにまんまと嵌り右傾化する退職後のお爺さんたちが多いと聞く。ルールを巧みにこなす厚かましさに呆れる。(つい最近、日本保守党も旗揚げした。今後の展開に要注意)

なんだか現実的で面白くない映像になりだしている。


主役たち

主役1:畠山理仁(みちよし)さん。1979年生まれ 50歳。選挙取材歴25年、平均睡眠時間2時間。(←本当か?)フリーランスライター。家族4人のお父さん

主役2:参院選東京選挙区立候補者全員と支援2022年者たち多数。7月10日投票率56.55%

主役:2022年8月2日投票、沖縄県知事選候補者3名と支援者たち多数
62才 玉城デニー 339,767票
58才 佐喜島淳 274,844票
61才 下地幹郎 ・53,667票


(註2)「オタク」という言葉は特定の分野、特にサブカルrといわれるジャンルに詳しく没頭して生きている若者をiいうようになった。それは(註)1988年に分かった4人の幼女を連続殺害し犯人の宮崎勉(1962〜2008)は多量(6000)のアニメビデオを収集していたことでオタクとうネガティブな言葉として使われるようになったと記憶している。だが現在は人間らしい人という意味で語られ、笑みをも誘うキーワードになっている。



スーパーマンの映画作品 - Wikipedia



 グラフ総務省PDFより  下の絵サイトへ 




@所属国会議員が5人以上
A所属国会議員が1人以上、かつ、次のいずれかの選挙における
全国を通じた得票率が2%以上のもの



政党交付金の交付
政党交付金の交付を受けようとする政党は、その旨の届出をすることで、交付を受けることができます。
政党交付金の総額は、人口(基準日(通常1月1日)の直近において官報で公示された国勢調査の結果による確定数)に250円を乗じて得た額を基準として、国の予算で決まります。(令和2年国勢調査人口により算出すると約315億円

各政党に交付される政党交付金の額は、政党に所属する国会議員の数と、前回の衆議院議員総選挙、前回と前々回の参議院議員通常選挙の際の得票総数によって決まります。

各政党への政党交付金の額は、毎年1月1日を基準日として算出し、年4回に分けて交付されます。(衆議院議員総選挙又は参議院議員通常選挙が行われた場合は、選挙後に選挙基準日が設けられ、以降の交付額は改めて算定されます。)

★おまけ2

聞きにくいを聞く 20秒

参院選東京区の内、山の中を走るも家屋が見えない。突然駅前広場に着く。立民の蓮舫議員にマイクを向ける畠山さんの取材姿勢は適切で、蓮舫さんが誰にも聞かれたくない!そこを押し分けて畠山さんはズバッと直球勝負の優れ技を抜き問う。慄くように蓮舫氏、思わず本性を語った20秒間。
前田監督はそこでも女性聴衆の声もきちんと拾っていて、面白い。そこにいた彼女たちは、蓮舫氏の演説内容より細身の容姿を羨ましがる(笑)選挙は演説内容より、見た目が肝心だと教える瞬間も捉えていた。

※:参政党関係者の対応はあってはならない、嫌な日本人たちだから記さない(映画を観てください)



畠山理仁さんの家族を取材する

畠山理仁さん家族。奥さま、長男、次男の言葉を観て聞いて、家族愛を感じ涙する人もいるだろう。逆に身につまされ今日までの暮らしぶりを変えよう!と決意した男性もいただろう。

奥さまは、誰もやってない仕事で社会に役立つので・・・と容認発言をする。息子さん2人のコメントは家では呆れるオヤジ「他所で迷惑かけていないか?」と。

東京紙などの巨大ハイクラス(高賃金)のマスコミ記者にはあり得ない畠山家族のコメントだと思った。生活が成り立っていないなか、畠山さんは家庭愛に包まれている人だと分かる。同時に家族愛に甘えて勝手に振舞う日本人男性をも体現しているとも思った。(佐藤の長女が暮らす外国には畠山家族の言葉は無い、男を甘やかさない)

だから畠山さんは、巨大な新聞社やテレビ記者にはない、型破り選挙取材者だとの印象が強化される。畠山さんはある種・・・家族を無視したかのような・・・残酷さを日々背負いつつ、他者に愛情を注いでしまう変な男性なのだ。
その意味は単純だけど、こなせる人は少ない。なぜなら日本の男性の多くは目的合理主義者だからだ。
この取材でお仕舞だ・・」となん度も自分に言い聞かせる畠山さんは目的合理主義者に後ろ髪を引かれつつ、東京紙マスコミ記者のような合理主義者にならない人間性を持っていることが分る。

大手マスコミに所属し選挙に関する調査報道だと、経費もたんまり与えられて活動するだろう。家族は給料も高いから夜討ち朝駆けでも許すだろう。それに国政を預かる政党にだって大手人だったら一目置かれるので総理大臣とワイワイでき、総理とだって親密になり活動しやすいだろう。

与党に偏る糞記事を発信してる者たち。比べると分かることだ、現在の世にあって畠山さんの孤軍奮闘ぶりは奇人の成せる行為なのだと。日本にはまだ、畠山さんのような人間も生存できていたんだ!と驚きを与えてくれる1本の映画だ。


2016年01月19日 安倍総理の誕生日を祝う女性番記者の呆れた所業サイトより

家庭生活を犠牲に、好き勝手なことをやっているオヤジ。その人に光を当てよう!・・・・寝食を奪われても、追いかけ続ける前田監督も凡庸な女性ではなく、かなり変わっていると分る。畠山さんのような面白い人間を観て他者に伝えるのが大好きな映画人だと告白しているようなもんだ

だからだろうか、防衛省の門前あたりで1人演説する女性立候補者も撮影する。この女性候補者はかなり本気だし好感がもてる。身銭を切って休みをとって、立候補して反戦を訴えるなんて姿勢は涙なしでは観ていられない。近隣諸国を敵国に見立て彼らは今にも襲ってくるからと、ポンコツ米国製兵器を押し付けられて基地に装備する。彼女は自衛隊に関するニュースに触れ湧き立つ怒りを、立候補し演説するという能動的な行為に転換する。だが、選挙に立候補して訴える姿勢には拍手するけれど、日本のマスコミが作り出すイカレた煽り情報を真に受け自分の感情を起動させてはならないと、も思う。


沖縄知事選映像で印象に残ったこと


1)沖縄知事選において、1人で応援の辻説法を数十年続けている女性はなかなかいいのだ。本土決戦と米軍基地があり続ける沖縄。そこに暮らしている女性たちの思いがストレートに伝わってきていい。立候補者じゃない女性にマイクを向ける畠山さんの姿も前田監督のカメラは捉えてしまう(知事選は3人なので余裕の振る舞いか)

畠山さんの他所の女性に愛を見てしまう人柄が露出する瞬間を、前田監督は見逃さない。

2)佐喜島候補を心から支援者は居ないと見破る、畠山さんの言葉は印象に残る。仕事欲しさに土建業界が支援している、そのように暗に指摘しているような畠山さんを前田監督は優しくデータに残す。(ゲート前の人々も印象深いけど省略)
本質が孤独な男性を撮る畠山さん、それを見逃さない前田監督。

3)オレンジいでたちの自転車オジサン候補。下地さん夫妻の関係(妻と夫の言動)を畠山さんは、自分の幻影を鏡で見てるように後姿を追いつづける・・・ここだけカメラは地べた目線だ、前田監督の絵は、ここは気付けと指摘しているように思えた

男って、自分の夢ばかり追いかけて妻を見失い哀れだね・・下地婦人の言葉は畠山婦人の言葉と似ていると教えられる。だんだん前田監督の言いたいことの輪郭が明らかになってきて、誤読かもしれないけど気持ちがよくなる。いい腕、好い視点・・二つの事例は似ているし、日本男性は、女性の人生に甘えっぱなしの自己中毒者であることを露わにしてしまっていて、いい。世の不正を暴く前に各自豊かな家庭生活を営むのが、どなたにとっても第一歩だと言っている。

ここまで来ても、多くの観客は畠山さんの異様で特異な活動を礼賛するドキュメンタリーなんだ・・そう勘違いしているはずだ。

俺はそう思わず暗に批判していると分かった。

なぜなら、単に畠山礼賛のドキュメンタリーなら、二人の婦人(畠山+下地)の肉声と困惑ぎみの表情は不要だからだ。畠山さんの息子さんたちの肉声だって不要だ。畠山さん礼賛物語なら彼のリアル生きの背景を全て削除編集する、そういう演出が可能だ。

前田監督にある思いを感じる。

それは、女性にある種の犠牲を強いて居座る日本男性のヒーロー観への問いと指摘だ。同時に「女性の能力を活かしながら共に成長しよう・・」とする男性の不在へ思を、身体を張って、人生(寝食)を犠牲にし描いている前田監督なのだ

外国で暮らす娘を持つ父の佐藤は、若い女性に「男尊女卑が継続しているこの国を捨てよ。自らの能力を活かせる台地で生きよ!」と言うだろう。なぜなら数合わせが得意で主権者を熱くする言葉を持たない野郎だらけの政治家たちがのさばる日本の風土は、敗戦後100年経っても、まま変わらないだろうと確信できる。民俗的な体質だからだ。核爆弾を投下され無条件降伏しても、福一原発事故に遭っても変わらない。男尊女卑、官尊民卑が大好き民俗の体質を自覚し行動したほうがいい。


映画の仕舞は空振り二回

 バッティングセンターのゲージの中の畠山さん



時速170km/hのボールを畠山さんが2度も空振りするシーンが〆だった。

始まりを思い出しつつ仕舞を観ていると前田監督の言いたいことが分かってしまうような気がする。「男は馬鹿な生き物だ」と教えている、その残酷さが突き刺さる映画の〆でもあった。

落選をつづけている老候補者は当てるんだけど、ゲージの中の畠山さんはボールを捉えることができない。畠山さんが空振る絵は畠山さんの候補者取材と無関係な画像なのだが、この絵で観客に違和感をもたせることに成功していると思った。万歳三唱ではない空振りでお仕舞。後味が悪い絵柄だけど、だから監督の強いメッセージ剥き出しで観客に投げ込んでいるのだ。

この映画の真の主張は何か、目的は何か?それを思え!私の(前田監督の)玉を打てるなら打って見せろ!・・・そう想像させる

一球目の空振り。
日本の男って女に甘え、この世を芯で捉えられない、だめな生き物よ!


二球目の空振り。
私・前田亜紀の剛速球を打ってみせろ!


 舞台挨拶を観て


選挙に関する映画が増えてきたが鑑賞後に頑張ろう!!!コールを三度叫ぶって変だ。投票箱を持ち登場する姿は微笑ましいけど、畠山さんの本質を素直にあらわす行為だった。皆でなんでもいいんだけど、コールすると楽しいんだ。映画館で皆で大声をあげて叫ぶなど久しぶり。

上映中は何度も笑いながら観た!他の観客は無表情はおかしいんだよ、ガンバローコールを促されて大声を出すって受動的すぎるだろう。畠山さんは走りっぱなしだし、止まったと思ったら候補者に駆け寄る、あるいは追いかけて声をかけ、疑問を即聞き取る。謎だらけの候補者方も、純粋過ぎておかしいし。おかしい人に素直に、臆せず、無礼に、問いを連発してしまう畠山さんの姿もおかしいんだよ。それを逃さない前田監督はもっとおかしい。がははがはははと笑う俺。

夏休み、小学校の校庭で夜、友達と大騒ぎでヒーローチャンバラ映画を観た現体験を佐藤は持っている。笑いながら映画を見る、画面に声かけながら観る、その癖が抜けないのでどんな映画でも面白ければ笑ってしまう。この映画も何度も笑ってしまった。

『ニューシネマパラダイス』下に埋め込んだ。みなでガヤガヤしながら観る、予告編を観ただけでも分っていだだけるだろう。万国共通で映画はワイワイしながら観るものだ。頑張ろう三唱より、上映中にワイワイできる映画の方がよいと思う。

敗戦から立ち上がった当時、選挙も立ち会い演説会があったそうだ。俺は一度も体験したことがないのだが、そこは賑やか極まっていただろう。血沸き肉躍る人間が生きている、まんまの論戦があった。TVも無い、映画館も少ない、だから選挙の現場が人間を見せる劇場だったはずだ。そのことを、立候補者全員にカメラを向けた、この映画は当時に人間たちを思い起こさせる。最後の頑張ろう共働行為が縮退したそれだった、と思う。

館内に出現した坩堝は現在に合ているのか?次の世つくりに相応しい坩堝なのか?との疑問も残った。





二人が生きている、生きてきた家族の愛の謎について

共に喰らい、共感を体得するための最小単位の家庭・家族。その不健全さによって活動が保れている。そんな現況を認め続けるのは正常な社会ではない・・・・と前田監督はいいたいのだと思った。

畠山さんが育った家庭も、現在営む家庭も豊かで健全であるがゆえに人間に対する好奇心が醸成されている。そんなことは言うまでもない。だが今後の世を豊かに面白くするためには二つの視点が無いと思う。家計も家族も無視し父は放題していいのか?(父中心主義)

家庭内が民主主義に合った営みがなされていず、父親主権言語世界になってはいないのか?家父長制家族の終焉はいまだなされていない。(民俗的体質)

対話・オープンダイアローグが下手、活かせない民族だから何時の世も大きな声、マスメディアが発信する情報に翻弄されたあげく騙されてしまうのだ。

家庭内での各自の語りが疎かにされている家庭で男たちは成長していく。家庭の対話不全の病を日本民族は解消できるのだろうか。それを解消できなければ選挙という事態にも興味が向かないだろう。つまり家庭という事態が貧困なのだ、問題を隠蔽して営まれているのだ。そう前田監督の映画を観て思う。

畠山さんは好い人だけれど、今後この問題にぶつかってしまうだろう。敵と味方に仕分けせず描く前田監督に、選挙取材を捨ててしまい生きる男性・畠山さんの後日映像を期待し、感想を終えよう。

「神の国」大好き男たちによる清和会政治と教育現場の歪みは終焉に向かうのか?偶然にも裏金キックバック疑獄と同じ時期に公開された興味深いドキュメンタリー映画でした。いますぐご近所の上映館めがけ走りだしましょう!


おわり。作成:佐藤敏宏(2023・12・16)