2022/10/06 原田祐馬さんにきく  @大阪市内原田事務所 2023年8月3日作成:佐藤敏宏
■15年ぶりの聞き取りです!


原田さんの事務所でトラヤン中心

佐藤
:前回の聞き取りは靭(うつぼ)公園そば、2008年5月12日(夜)西京町堀のシェア事務所で原田さんの話を聞き取りさせてもらいました、15年めになってしまいました。これなんですか?
原田:お茶です
佐藤:カフェイン入ってますか?
原田:カフェイン入っている?
所員:ほうじ茶です。
佐藤:俺、カフェイン入り呑むと興奮してだめなの・・・・。
原田:笑・・・興奮するんですか!

佐藤:お酒の方が落ち着く。15年経ちました、そこで、あのとき事務所をシェアしていた笹岡周平さんを聞き取りしてきました。笹岡さん記録
原田:今回ですか!へー。
佐藤:そうです。15年前、大島哲蔵さんの弟子筋の柳原照弘さん。彼を我が家に呼んで講演してもらいた(2007年3月31日)。大阪ふう元気が堕ちていたと感じたので、柳原照弘さんに大阪市内に暮らしている若い方々を紹介していただいて聞き取りし、記録を公開しました。あの時の人々で現在、大阪に残っている人は笹岡さん、原田さん、家成俊勝さん、柳原さんですね。他は大阪から引っ越したり、連絡したけど反応しない(笑)など、いろんな人に分かれました。他県に転居してしまう、大阪市内から遠ざかる人もいますので、大阪という地域に限定して始めたので会う気が薄くなっちゃいますよ。

原田さんも家成俊勝さんも明治期につくられた日本の建築家像から見ると傍流だと決つけられるんだろうけれど・・・・お二人には日本における本来の建築家要素が満ちていて、当然のように活躍中です。それはおもしろいですね。

原田:はい!

佐藤:笹岡さんはなぜか?20世紀的な建築家像(安藤像)へのコンプレックスがあって、インテリアデザナーと自称しているんだけど、俺が見るに笹岡さんも建築家の活動だと思うんだけどね。でも日本では5000人ほどいるらしい建築家系の人々がインテリアデザイナーを無言で差別視・・・真面目な笹岡さんはその差別視の影響で建築家と胸を張れないようでした。

原田:笑)差別されている、はい。

佐藤
:そのような建築家から見ると脇野郎たちが、脇役の人たちがいつの時代でも面白いのは理の当然でして、俺が聞き取りしているのは脇役的で次の世に肝心な人が多いように思います。中心を目指してなる古い建築家タイプ、明治期に西欧からは輸入された建築家像の型で、最も目につくのは、大学の先生を勤めながらの建築家です。友達はいますけどあまり聞き取りしていません。さほど興味が向かないような気がします。

大阪は特に顕著に正常「我、建築かなり!」と自称する人は私の前からは消えてしまいました。私が相手にされないだけですね(笑) 旧来の建築家が見ると、「こいつら脇役・・」に見えるけど、その人たちがすでに「建築」本来ののメインを担っている。そういう面白い現象が起きてしまった15年でした。これでいいのだ、大阪だ!と思います。俺はそう思って見てました。

脇役ふう人々が次の社会状況をつくりだしていて、デザインイーストの活動を挙げるまでもなく、脇役たちが「大阪のデザイン状況をガラリと変えてしまった」と岡田栄造先生は語っています。 そのことがこの15年間聞き取りしてて明らかになったことです。

今回は地下鉄を使わず、大阪の中之島周辺を歩いて行き来しています。わずか1時間ちょいで中之島の端から端まで行き着くことができて、その周辺で多くの人々が活躍している、それを身体で実感しています。上町台地の地形、起伏も分かるし。大阪市歴史博物館に行くと資料が山のようにある。難波宮(なにわのみや)のこともわかるし、古地図もあるので現在と以前の町のようすと変化する姿、史的経緯を比較しやすい大阪市内です。古地図情報がないと分からないダイナミックな人々の息遣いが大阪では感じることができます。





















2008年 5月12日左から 笹岡、柳原、原田さん


 15年前のトラヤン 
建築家は設計図の入業者である。それをささえる原田さん。

自称、建築家達にはある種の滑稽さも見えてしまう。建築家は行政マンから見ると図面納入業者だ。「設計屋」というのが日本の社会通念。権力者や行政の下請けで建築図面を納める仕事をする人たち、その姿は100年間変わっていない。彼らが次の社会をつくりだすわけではないのは古来もそうだった。自称本流・建築家は虐げられてきた歴史をひっくりかえし、偉ぶりたい?・・かのような人が多いように見えました。いびつな建築メディアが演出しつくりだした建築家像の幻想を見ているのかもしれません。メディアの創作した建築家像だから仲間を囲い込まないと虚しくくてしょうがないのでは・・・いいねを押し合う。関西もかなり東京系に毒されているように思います。

原田さんはそいう状況の中で、大阪ど真ん中で建築家を支えながらご苦労されてきている。釈迦に説法になってしまいました。たぶん今も支えて苦労されていると推測していました。

原田:
はい!

ご不満の方は
『建築家と建築士─ 法と住宅をめぐる百年』 速水清孝著を参照ください



多数の建築家と組んで仕事をしている原田さん

佐藤
:原田さんは最近建築家や行政と組んで仕事をして来られていると思います・・・。

原田:建築家と組んでやること、凄い増えています。大活躍のMさんともやっていますし家成俊勝さんとも組んでやっているんです。

佐藤:原田さんは私が見るに、自称、聖なる建築家から傍流建築家をふくめて全て見ている、体感し、知っている・・稀な脇・建築家ということになりますね。

原田:いろんな建築家と仕事しています!

佐藤:家成さんの「千鳥文化」はこれからの都市の姿そのものだと思います。
原田:行ったことありますか?
佐藤:体験しています。昔から知っている家成さんは建築家と呼ばれるのが好きじゃない・・・と推測してます。経済学部だったと思いますが大学を卒業して、友達のお手伝いで配筋工から、バーをつくったり、アーテストのお手伝い作業から、建築業の道もこなされている。現場当事者の強者ですから・・。今は大学で教えているけど「建築科」の教師じゃない。昨日は家成さんなどと、酒呑んみならが9時間もワイワイしても、内容はみな忘れてしまった(笑)

原田:
すごい(笑) 

佐藤:
呑んだくれて駄弁っているだけです・・・最近は「映画」つくったり、「演劇」で演出と役者としても登壇したり、アーテスト支援は相変わらずおこなっている。三人のチームは分散しましたが、昔より活動が多彩になっていました。多彩に都市を遊んでて、話もいいです。家成さん映画作っているの知ってますか?

原田:知ってます。観たんですか?

佐藤:ちょっとだけ、映画のパンフレットいただきました。チラ見だけでは解説つけないと見て分からなのではないか?と。いきなり英語だし。宇宙船に乗っているのに重力が働いて、地面に足が着地してて、100年後に観たらオモロイ映画だと思います。宇宙船も手づくり・・・昔あった松本雄吉さんの元・維新の人たちが担当者なのかな?京都で演劇のリハーサルだそうです。家成さん役者にもなっちゃっていました。(佐藤は寺山修司の影響をおおいに受けて育った)

原田:京都のエクスペリメントの何かで・・・。
佐藤:今日も夜にリハーサルするんだそうです。けど、即興演劇にリハーサル要るのか?妖しいリハーサルだな・・・維新派の元女優さんもかんでいるのかな・・?わからないです。

原田:こないだ喋てたんですけど「台詞ない」って言ってたんです。






「GOP THE MOVIE 〜ギャラテック運輸の初仕事」特別パンフレット 


原田さん友の近況を伝える

佐藤:
家成さん映画も「筋なしで作った」とは言ってた。一般の人が見ても分からないとは思った。レーモンルーセル演劇を超えているのか・・・(笑)

原田:うん、うん。家成さん面白いですねー。ずっと家成さんと一緒に仕事やっているので、15年間ずっと一緒にやっていますね。オモロイですよ、今日も朝はオンラインで打ち合わせしてました。

佐藤:柳原さんは「原田さんとはグットデザイン賞の審査会場で会いました・・」と言ってました。柳原さんはぺらぺら語らないけど世界各地に事務所もって活動しているそうです。先行投資かもしれないけど・・・そう言ってました。神戸にも事務所を引っ越すので、俺に使わせて、と言ったら「いいですよ」と。(笑。原田さんも岡田栄造さんと知り合いでしたか?

原田:もちろん知り合いです。

藤:岡田栄造先生、大学を辞めて、近況を見たり聞き取りに行って、で岡田先生の家に泊めてもらったら・・・毎晩10時頃出かけて京都の町中でカラオケ歌っていた(笑)カラオケ三昧。一緒にカラオケしましたよ(笑)気持ちよさそうに尾崎豊の歌をうたってました(笑)

原田:
・・・・笑っている・・・。










2022年7月23日四条大宮の居酒屋で
魚谷さん、佐藤、岡田先生とカラオケする


佐藤:
周りも・・・大学辞めちゃたんで心配しているふう・・・なので、岡田先生の夜中カラオケに付き合いました。真夜中集まってカラオケで盛り上がる、いいね。さすが大都会京都・・・面白かった。大阪に来ると日本の次が分るような気分です。

主流の建築家は資本主義の中で生産されたイズムをもとに機能的な物をつくっているんだと思います。建築の壁は取り払ったようなオープンスペースは設けているけれど、行政の壁はきちんとセットされているから、警備員は立ってないにしても入れない人もいる。

大阪は街中に、路上生活者にオープンスペースをだまって開放し、閉店後の食材を与えていたが、共存したり弱者を救ったりしない、役所の縦割りでつくられている建築。で、貧困は逆に見えにくくなってしまった15年間でした。差別と分断が進んでいると思います。

大阪にスクウォッターが居なくなっているね!15年間で彼らは隠されてしまった?かな。大阪万博を口実にかもしれないけど 居なくなったね。

原田:そうなんですよ。ちょっと戻ってきたんですけど、また減りました
佐藤:
天満?天満橋?

原田:天満橋。
佐藤:あの公園にたくさん暮らしていたんだけど見えなくなってしまいました。
田:今も何人かあの辺にいるんですけど、麻雀したりしてました。最高の人たちなんで。


2022年7月19日 はるばる来たぜ大阪!柳原照弘さんの事務所にお邪魔して駄弁りました

見えなくなった大阪のスクウォッターたち

佐藤:
15年前に淀屋橋から難波まで歩いて下ると、夜遅く、お店の前に段ボールで棺桶のようなものを造って、お店のあまりものをもらって食べ、寝てました。お店が開店する前に立ち去る姿が印象的でした。

原田
:だいぶ減ったんじゃないかな。

佐藤:あの人たちはどこで暮らしているんだろう?ね。
原田:そうなんですよ、それこそ公園が綺麗になり過ぎて、まず事務所の前が綺麗になって、次に南側の方にきて路上も綺麗になって、ドンドン放浪している人たちの居場所がなくなっているんだな・・・という感じはします。

佐藤:実態は派遣社員やシングルマザーとかも、新型コロナがきちゃったから生活が大変なはずななのに、たくさん路上に暮らしてた人々はどこへ隠された・・んだろうか?

原田:本当に見えないです。

佐藤:幸せに暮らしていればいいんだけど、新コロナに遭って女性の自殺者数は増えたとニュースは流していました。大阪の彼らはどこへ行ったのか?と見ていました。大阪の福島駅から、原田さんの事務所まで歩いて来る間に1人だけ居ました。朝日新聞社の前の辺りだったかな。お爺さんでした。何も持っていなかったけど食料はあるのでしょう。皮膚病気味い見えた。大阪市はシャワーを提供してあれげればいいのに・・・。

原田:せめてトイレの手洗いでお湯がでるとかね・・。

佐藤:今回の大阪うろうろでは上・下水場には行く時間がなかったです。大阪市役所で川の流れしか辿れなかった。都市の様子は表面的には隣で使っていない容積を買って積み増して巨大なビルは出来ているんで変わったかのような姿です。ああいうビルは機能だけの建築だから100年たったら要らなくなるような気がしますね。

原田:します。大阪はめちゃめちゃデカイもの立ちまくってはいないような気はします。東京は凄い。

佐藤:浜松町のビルは超高層は建て替えているという。東京駅そばには藤本壮介さんデザインの超高層ビルができるという。

原田さんは山形でも建築を造ってますね?



「増える「移動する野宿者」
 厚生労働省の2003年の調査によると、全国の野宿者2万5296人のうち、4分の1を大阪市が占めた。東京23区の5927人を上回る6603人で、市町村を含めても全国最多。野宿の主な理由は不景気による仕事の減少や倒産、失業だった。

大阪城公園のスクウォッターに関する記事










三菱地所 トーチタワー絵WEBより


建築家たちとの仕事について

原田:山形は大西麻貴と一緒にcopal(コパル)という屋内遊戯施設。(『新建築』を出してくる)新建築に載っています。

佐藤:場所はどこですか、長井市?
原田:山形市内なんですけど。こういう建物です。
佐藤:道の駅ですか?
原田:違います、子供たちの、福島もそうだと思いますけど山形は雪が降る。

佐藤:地形に合わせて後ろの景観も楽しめる建築だね。
原田:それで全部ぬるっと中の空間も全部つながっていて、ほぼ階段が無いような建築です。

佐藤:ドローンで撮影しているんですか。
原田:この絵はドローンで撮ってますね。新建築の写真部の写真ですね。表紙は撮っても怒られないですよ。山形は雪が降るので子供たちの遊び場です。山形市は幾つか整備していて。



絵:原田さんTwitterより


絵:右絵ともに 原田さんのインスタグラムより

佐藤
:木造ですか?
原田:違います。ここは木造なんですけど。「コパル Copal」という名称です。インクルーシブ・プレース・コパルが本名です。これはネーミングライツです、企業が名前をつける、シェルターさんが自分たちで広告費を払うっていうことです。

佐藤:建物に企業名所を冠して経費に当てる、賄う手法が流行っていますね。

原田:そうです。ここは運営と設計がかなり一体となっていて面白いんですよ。ずっと喧々諤々と・・・かなり話し合ったから。

佐藤:大西さんと百田(ひゃくた)さんは運営にも関わっているということですか?
原田:運営は別で、会社が入っています。
佐藤:原田さんはどういう仕事をされたんですか?

原田僕らはロゴとかサインとかそういうのをずっとやっていて、これが立ち上がる時からいろいろ伴走してずっと一緒に考えて、時折打ち合わせしてやっていました。これで山形へはずっと行ってました。










コパル上空絵グーグルマップより

デザインイースト00


 絵:DESIGN EAST 00サイトより

佐藤
:・・・「大阪アーキフォーラム」の活動について長話をしている・・・  

原田さんはデザイナーに成らなくっても調整役になると凄腕でいい・・・建築家幻想をいだいて家族に迷惑をかけている人も多そうですよ。目の前の幸せな家族の暮らしを壊しつづけているような(笑)人にも時々会います。仕事を続けていれば才能は自然に芽吹いてきてしまうでしょうけれど。原田さんはデザイナーになるぞ・・・と思ってなかったでしょう?成り行きで今の姿になっている。

原田:家成さんも成り行きです(笑)よね。

佐藤:15年前、脇でうろうろしててスターになるぞと思っていない人が、少なくても私にはそう見えた、15年後はおおいに注目される人に変わっています。

それは、社会や時代を素直に受けとり建築にしたりデザインにしているという証でもあるように思います。コラボを申し込む建築家には原田さんは時代に合う感性を身に着けていると写るからかもですね。原田さんの都会的でその素直な感性がいい。原田さんもデザイナーになるぞとは思っていなかった?

原田:思っていなかったです。家成さんも成り行きですものね。

佐藤:脇にいてスターになるぞと思っていない人々が15年経ってみると、いい仕事している。笹岡さんは一度会社が赤字になって借金背負うったそうです。

原田:ここで一緒にやっていたから知っています!笹岡さんがやめるということから、僕らが今この事務所を借りているんです。

佐藤:そうでしたか!今は笹岡さんは復活していました。「スタッフは女性4人と男性1一人だ」といってました。
原田:笹岡さんは時々来て打ち合わせするです。

佐藤:それは何よりです。笹岡事務所の場所は秀吉の大阪城も難波宮(なにわのみや)あった上町台地の突端に構えていまして、地震が起きても安全そうですよ。

原田:確かに。




絵:岡田栄造作
2009年12月11日 岡田ゼミにてワイワイする

佐藤
:家成さんは水没するような河口に事務所あるんだけど笹岡さんは上町台地にどんと。家成さんたちの事務所のシェアの仕方と展開はいいし、スタッフもいい感じです。今年、出会った若い人で一番いい感じだと思ったのは森純平さん(八戸市美術館記録)でした。森さんのことはご存知だと思いますが・・。

原田:はい。

佐藤:松戸市にあるアーテストinレジデンス、森さんのあの組織つくり方と雇う雇われる関係が無い、なかで18000円で賃金均等割りも新鮮でした。(パラダイスエアー記録へ)次の世代の仕事の共有の仕方はとてもいい感じだと思いました。それぞれプロの仕事をもって集い協力し新しい仕事に挑む。道を拓いている様がいいですね。森さんも脇族に分類できるいい感じの人でした。

原田:そうですね。(笑)  家成さんはやっていますね。

佐藤:近代が成熟しきった後には家成さんや森さんや原田さんのような人が要る。家成さんが関係している千鳥文化の人というか発注者たちは切実さの中で生きているし、それを支援しているのがいいわけで、前世紀ふう行政の使い走りはしていないのが大阪らしくっていい。

2022年6月23日八戸市美術館
右・森純平さんと佐藤

15年目ぶりに原田事務所

原田:今回大阪は用事があって来たわけですか?

佐藤:スターと時の目標は15年間で5回聞き取りするということだったけど、原田佑馬論も書いて結果は「脇族万歳」を書いて(笑)人生を終わりにしようと思って、15年前は聞き取り始めたんです。が・・人々の様を、伝えようと。そしたら3・11と原発事故に襲われてしまい大混乱中です。でも、15年経ったので〆の聞き取りしにきました。

変化しているのは当然で、成りあがって決まった人もいるし、家成さんのように相変わらずアーティストの下働きもして、本来の建築家の仕事ぶりでしたし。家成事務所で働いている人たちも若くて活気があり、そういう場で成長していけるのは若いスタッフにも今後の社会にも効くよね。i

原田:いいですよね。

佐藤:ビート神社も上がりっぱなしで降りて来ないのもいい。それを建築を造る場で活かしてもいる。で、千鳥文化のような濃い都市空間も生まれて維持し続けている、育ててもいる。生活と共に多様な家成さんの活動がある様はいい。家成さんの次の世代は土井さんだと思うけど、大阪でしか会っていない、身の周りにもいるのだろうけれど、俺には見えていない。

原田:土井君の世代は確かに。

佐藤:西の家成、東の森として観ると、見通しがよくなるし、身の周りの界隈が楽しくなると思う。西の土井なのか・・森さんと土井さんは同世代かもしれないな・・・。

東京は政治経済の中心だから脇族は育ちにくい。見えにくい。京都の脇役としての大阪は長いので脇にも筋金がはっている人多い。が東はどうも大阪のような脇族は見当たらないで、主役成りたい者どうしが争っている感じがします。

原田:そうですね。


やく1年後2023年7月4日家成さんの事務所にて、森純平+家成俊勝+岡田栄造+所員の方々と9時間の雑談をする。

佐藤:
大島哲蔵さんの勉強会で出会った若者たちが関西の新しい波をつくってしまった。原田:(翻訳)だめだった奴ら!(笑)
佐藤:「俺は頭良かった」と自分で思い込んでいる人は相変わらず資本主義の消費行動の中の建築をつくり有名にはなっている。

原田:大阪はそういう状況でいられる土壌ではあるかもしれないですね。

佐藤:実力主義と自由さ、それが=大阪らしさで、まだ残っているのはいいね。家成さんの住んでる仕事場は北加賀屋の家具工場を再生して使っている。見た目は汚い集合に見える、無理せず始めた、そこがいい。綺麗なものや美しい状況しか見せず、汚いものは裏に隠して物を売ったり、綺麗なビルを建てたりするのが20世紀的消費の本質だ。
最たるものが「原発とそのゴミ」でしです。フクシマで目の当たりいしています、凄まじい核ゴミの量、出続けています。けど東京圏・都会の人は「核発電のゴミ」は見ずに暮らしている、綺麗な町だと・・・のんきだ。
家成さんはモノをつくる、ものを生み出す場の汚さをも引き受けてから創作する態度は好感が持てます。

東日本大震災をはさんでここ原田事務を会場にして2011年6月4日に報告会させてもらいました。原田さんの聞き取りは今日で2度目なんです。で聞きとりなんですが・・・俺が喋っていますね(笑

原田:あ、そうか!

佐藤:3・11の災害時には関西の皆さんに義援金を頂戴したのを切っ掛けに、古建築・土蔵を直したり、津波に遇った港町づくりの支援をしたりし、そこで新聞を発行したりしました。建築系の人が手伝いに来ると建築を造ろうとしたり模型を出してきたりするので・・・・建築系はつくるな!と禁止発令して活動してました(笑。

原田:笑

被災地からの報告会Twitter佐藤の投稿より

2011年6月4日(土)原田事務所で被災地からの報告する。Twitter関連投稿
今夜は大阪で被災地からの報告を行います 会場設営などの関係者のみなさん 参加予定者のみなさん 週末の貴重な時間を割いて来ていただけるとのことありがとうございます

6月5日投稿
大阪での被災地からの報告会はデザインする20〜30代が主な中心層でしたが 次の社会をつくりだすのは彼らなので 熱心に討議されました、将来への心構えと、南海地震の備えた暮らし方などもなども知ることができ多様に聞くことができました

昨夜の6時からの大阪(原田事務所)での被災地からの報告会へも多数参加いただき 報告+それぞれの3・11自撮り+課題を語る+中の島二次会 深夜まで大変活発な対話・交流会となり、協力申出もあり、親密度がさらにましました みなさんありがとうございました 大阪は多様で自由度濃いです

原田さんの悩み 

佐藤:家の大国柱である夫が船と共に大津波にさらわれた泣いている被災者に向かって「家を造りましょう・・なんていう根性!」を剥き出しにして被災地にやってくる馬鹿がたくさんいたんですよ。(立派な根性ともいう)

災害危険地域に指定され津波に遇ってびくともしない唐桑御殿といわれた住宅は解体されてしまい、そこに家は造れないのに・・・案を持ってくるんだよ、呆れる。で、酷い建築系の人とは絶縁して1人で高台移転の土地をまとめたり、行政の人と何度も話し合って、防潮堤の位置を山側に送ったり、防潮堤が完成しても生活に支障が起きなよう土木事務所と交渉したりしました。同時に交渉の支援、戦略を練ってましたGMしました。

家成・原田さんのスタッフたちが自分で考えて創作し発注者と交渉するように自立してしまえばいいように、被災地の人たちも自分で考え行動できるようになれば・・・支援はお仕舞にしました。脇にいる人は相対化、当事者にならないので相対化の視線をもってGMになれるからいい。

原田:まさにけっこう悩んでいるところで。当事者であるべきか?脇にいるべきか?確かにそうだな・・・。

佐藤:俺は「重源」好きだから東大寺にも狭山池と博物館にも行ってきましたた。彼は身分は坊主で東大寺が焼け落ちた再興をたのまれて建築家になる。溜池が壊れれば土木技術者になる。平安な普段は脇にいて社会を観ている。寺の再興には山口県から材木伐りだして瀬戸内海を曳航し木津川を運ぶ、それらの当事者ではない。でも天皇からも乞食からも資金をもらう勧進興行はする。さらに頼朝と手を結び平泉藤原の金を巻き上げて使う。坊主だけど脇にもいてGMしている。で現在は俊乗房重源はお堂を造ってもらい年に一度7月5日に法要されている。当時の東大寺のリーダーは誰だか知らないけど重源のためのお堂が1200年間守られている。

やがて、家成神社や原田佑馬神社がつくられてデザイン仲間に祀られる、そういう可能性はある。脇の人は越境して活動するから社会を相対化して観てしまう。同時に行動すべきことが見えたりする、と推測します。現代の政治や社会のメインに入ってしまうと越境は不可能でタレントを演じるための自分の毒に自分が冒され重鎮になるが身動きはとれない。原田さんは当事者になりたい、なって欲しいという圧は強いですか?

原田:いろんな地域にいくと、その現地で。10年ぐらい前は現地で・・・今はそれがある種のムーブメントになってしまって、どこに行っても俺は地元でやっているという・・。

佐藤:金太郎あめ野郎が一杯いるんだ。

原田:一杯増えて来て、そうなると、その人たちと競争することもあるし、その人たちと協働でやることもあるし、僕らがやる方がいいこともある。当事者性があるといい・・・という欠陥みたいなことがあるじゃないですか。

佐藤:地元の情報をたくさん持ち知っているのは地域の人だからで当たり前、そのネタで原田さんの足を引っ張ろうと思ったらいくらでも引っ張れる。そういう人が現れたら面従腹背で対応するのがいいよう思うんだけど。そうなる原因だけど押さえて次に生かせばいいのでは。 ・・・八戸美術館の話をしている・・・・岡田先生の現況話もしている・・・・


絵:WEBサイトより 

建築家・大西さんたちとの関係

原田:私は今は吹田に住んでいます。15年前からみんなバラバラに仕事してました。デザインイースト開催時も、それぞれ別の仕事を持ちながらお互い活動してました。

佐藤:森さんが主宰する松戸市のパラダイスAIRも個人各位が専門的仕事を持ちつつ集って運営する手法でした。八戸美術館の設計は3人共同だったそうですが原田さんは京都駅傍で大学づくり参加していましたかね?

原田:大学一緒につくっています。あれはプロポーザルコンペのときに、僕らが大西さんに「大学出たよ」って言って、一緒にチーム・アップして応募したんですよ。

佐藤:大西さんとはなにがきっかけで協働するようになったんですか?15年前は靭公園の傍の事務所は笹岡さんと二人で、建築家とのコラボの話は無かったですよ。ヤノベさんのトラヤン見て盛り上がてたんだけど。

原田:あのころは、その後、京都造形大でも教えていました。今は造形大の授業は終わりました。今は名古屋の方で教えてます。任期がのびて、のびて最後は客員の名前が付きながら毎週行くみたいなかたちで名古屋は名芸に行ってます。名芸のグラフィック系のところです。

佐藤:教えていると情報整理ができるからいいのでは?

原田:そうですね。


原田さんの本 デザイン教科書の傑作!誕生

佐藤:原田さんの本は出来ているんですか?

原田:One Day Esquisse』これはコロナの時にオンラインで対話して生まれた本です。大学で教えていた学生が新型コロナで授業が突然止まるじゃないですか。で「何か課題だして下さい」と突然いわれて。

課題を出したら、それの学生がTwitterにその課題を投稿したんです。「こういうことやったよ」と投稿したら、そういうことに興味を持つ人が何人か出てきて、オンラインでワークショップして、即日設計じゃないですけど即日課題みたいなものをして、その制作をみんなで出し合って、みんなでそれについて意見を言い合う。それをオンラインで50回ぐらいやっていたんです。それらをまとめた本です。

佐藤:オンライン授業の記録集!?

原田:全然・・・授業じゃないです。勝手にやったんです。授業料もらってないんです(笑)参加者名簿もあります。本当に日本全国からメッセージ来て、誰が参加してもいいような場でしたし、zoomすると時間が掛かるから、メッセージとラインだけのやり取りでやりました。

佐藤:外国の人はいましたか?

原田:外国の人はいなかったかな。大学院生もいました。毎日、朝に課題だして夜にみんな提出してきて、それをみんなで観ながらワイワイディスカッションしていく。本の刊行はデザインの『アイディア』という雑誌を作っている出版社にお願いして作ってもらいました。 けっこうおもしろかったんです。

佐藤:新型コロナ社会に遭って教育現場の重要な歴史資料になってますね!原田さんもやっているね!

原田:オルタナティブで夜な夜な毎日やっていました。ドンドン凄い大変になって行って(笑)自分でけでは課題を考えられへんようになって。知り合いの建築家とデザイナーに一個課題考えてと・・・・連絡して考えてもらって、徐々にほんまのオンラインの学校みたいになっていきました。

佐藤:zoomなしで言葉だけでデザインについて意見交換うまくいきまいしたか?受講者のボキャブラリーの量の問題はなかったですか?

原田:批判はしないみたいなルールを作って、思った事をみなさん指つかってキーボードではお喋りなので問題なかったです。こういうの面白いよねーと徐々にやっていったんです。ほんまに、本にあるようにラインで講評1人1人書いていって。

佐藤:それはめちゃ編集が大変じゃん(笑)
原田:笑)レファレンスあったらリンクを打って、とやりながらみんなでワイワイやっていました。
佐藤:おなじ意思をもった人がオンラインに集う、新しい対応で凄いですね。新しい教科書というか、誰にでもわかる、いいデザインの教科書ですね。

原田:この本がもとで秋田公立美大の人から声をかけてもらいました。今は基礎教育センターみたいなのをつくることがあって、それのお手伝いをしています。

佐藤:原田さんどんどん仕事が広がっていきますね!この世もななかないいね、目を開いて見ている人が居るんだね!

原田:見ているんです「本見ました!」と言われます。




『One Day Esquisse』2020年11月25日刊行 暇を持て余している方は原田先生の課題に挑んでみることをおすすめします
将来、デザインで飯をくいたいと思っている人にはお勧めです。課題に挑んでください。

■紙とネット 出会いの差異のこと

佐藤
:本、紙媒体とネットの融合は力を出しますね!SNSも限界が見えてきた今時だが、紙には戻れないよね?

原田:完璧には戻れないですけど、本はいいです。

佐藤:コロナに遭ってチャット記録を本にしたら大学から声が掛かる・・・いい時代だね。

原田:もっと面白いのは顔をみたことない人ばかりです。メッセージ交換ですから、ZOOMしてないので。で、名前は知っている。時々展覧会とかに行くと、声を掛けられます。リアルな原田が出て来たと(笑)

佐藤:ネット時代の出会い方は、オンライン後に豊かリアル・ワイワイをもつんだ。リアルの場で偶然会うとそうなる、いいですね(笑)

原田:あの時の!・・みたいな出会い方です(笑) 

佐藤:そういうことはデザインの力が芯になるんだね。デザイン精神が人と人が出会う骨、骨格になっていると。領域を絞り基本をきっちりやっていると、オンラインを経てもリアルの場で出会った時に対話が発生すると。コロナ時代がやってきて、教科書も一冊誕生した!原田先生ができるなら俺もと想いやってみると、これが簡単にはできないんだな・・。

原田:いやいや(笑)一緒にカリキュラムとつくるのはできます。 

佐藤:真似しても、金太郎あめの顔がくずれちゃうね、いいね。コロナ下でもいいことやってたんだね。びっくりしたわ!

原田:はい、そういうことしてました。

佐藤:この団地本『Tomorrow is Today』もいいね。他の領域の人に説明しても理解してもらえないかもしれないけど・・・家成さんのつくった映画に似ているね。



建築家との出会い話に戻る

佐藤:15年前はヤノベさんとずっと仕事するのか・・・と思ってましたが。
原田:今はほとんどやっていないですね。
佐藤:なにがどうなって原田さんは建築の人々と関わることになったんですか?

原田:家成さんとずっと仕事をしているのは大きいとは思います。一番身近な建築に係わる人としての家成さんはあるかもしれません。で、大西さんもあるかな。
大西さんとの関係は12,3年前に最初O+Hのロゴか何かを作ったんですよ。そこから図書館を一緒につくったりとか、何やかにや色んなポジションに挑戦し続けて今という感じです。

佐藤:大西さんは学生時分から日本一位になったり、有名人だから、スタッフいなかった?
原田:グラフィックの人はいない。いがいに現場にいて手を動かしてやっている人なので。

佐藤:乾さんはアレグサンダーの手法をやっていたように思いましたが詳細は知らないです。
原田:乾さんは小さい風景を一杯集めてやってましたね。

佐藤:原田さん、建築の中心に来ちゃった感じですね。京都の土地はあぶない・・かったのかな・・そういう土地のようですが?
原田:いろいろ難しいです、はい。

佐藤:川勝さんとも一緒ですか?
原田:榊原さんの方です。

佐藤:榊原さんは一度、川勝家で仕事してた時に聞き取りしただけです。岡田先生によると榊原さんが京都の若い人をまとめていると言ってました。

原田:榊原君、一緒にいい仕事、けっこうやっています。今は京都にいますね。





絵:大西さん百田さんのHP より。



『現代建築─社会を映し出す建築100年史』p311
京都市立芸術大学移転。
RING ARCHITECTS’のチームで応募



建築に係わる人は皆さん建築家でいい

佐藤
:榊原さん変わっちゃったのね。
原田:進化しています。

佐藤:大西さんと出会って気に入られ、同世代で気の合う人に出会えてよかったね。
原田:もう、一緒につくっているっていう感じですね。プロポとかは基本設計のところから一緒にディスカッションしたり打ち合わせしています。

佐藤;すでに原田さんは建築家ですね。
原田:いえいえ、そんなことはないです。

佐藤:「建築に係わる人は皆建築家だ!」といっているので原田さは俺から見ると建築家です。建築といわれる界隈に暗黙にある差別意識を無くした方が仲間が増える。

原田:
なるほど。

佐藤:21世紀に合った新しい建築メディアをつくらないと150年続いてきた輸入された建築家像の旧弊害は消えてなくならないね。

原田:(建築)どんどん薄くなっていますから(笑)時間の問題やなと。
佐藤:資本に尻たたかれて新しい建築はもう要らないんだけどね。資本は首を絞め合っても利益をだそうとうする害毒に近くなってます、日本では。

原田:そうですね。

佐藤:でも、日本の建築メディアは自立できなかったし消えそうだ。大手ゼネコンや下請け・設備メーカーの資本による出版会社が主流だった。建築業界に建築家メディアの多くは支えられて成り立っていた。大阪には柳々堂さんがあるか。あれが基本だけど売れないのか?売らないのかわからないんだけど、大きくならない。

原田さんは建築家と基本プランから一緒に話し合いして進めているということだから、建築メディアも変化していくといいんじゃない。

原田:建築家と同じ事務所でやっている感じですかね

佐藤:東大寺再興するときも原田さんのように考えて参加している人が一杯いたはずで、重源だけの名前が残っているが・・・。

原田:「一緒につくろうよ!」と言ってくれるのは大西さんたちです。ぼくはいろんな人たちと共有するので、中間。

佐藤:原田さんの方が古来からの建築家(古来日本では建築家とは言っていない)らしいので強力ですよ。線は引かずGMするっていうことだから。

原田:僕らはグラフィックじゃないですか、それで面白いなーと思っていて、建築的構造というかレイアー的にはグラフィックは一番最後です。で最後だから見えてくるところではあるんです。建築工事でグラフィックは一番予算を削られることが多い。そこを押さえて上のプロのところから関わっている、全部通して見えるから凄いいい楽しいです。 

佐藤:利用者を含め作に偏らず、建築を統合的に見える位置が保たれているのはいい。


原田さんの事務所の方々と集合写真を撮る

佐藤: 15年前はたった一人だったのに大勢仲間がでいましたね
原田:15年前、やまちゃんおらんかったか?

佐藤:靭公園そばの事務所で1人でしたよ。

 集合写真を撮る準備ワイワイ。

原田:おれ端でいい
佐藤:番頭さんはだれ、番頭さんは真ん中でいいよ。俺、あんまり上手じゃないから撮れればいい。

原田:それが売りですよね(笑)
佐藤:上手に撮れるならカメラマンになってるよ。原田事務所に入所した皆さんはえらいね。

 会場大爆笑

佐藤:おれはそう思うよ。

わいわいがやがや
 はいチーズ 


佐藤:みなさん、いい原田事務所にはいったんだから頑張てね!

 会場 はい!はい。

佐藤:この場所で311直後、被災地からの報告させてもらったことがあります。
原田:12年前ですね。

佐藤:福島の田舎から大阪にやってきて、15年前から聞き取りしているんだけど、残ったのは原田さんと原田さんの友達の家成さん。それから笹岡さん。

原田:本当に聞き取りして、全く無編集でしゃべったことを全部出るっていう(笑)恐ろしいブログみたいなもの。 突然、公開される。

佐藤:前回の記録はwebアップされている。あのときは夜おそかったので、ちょっとだけでした。 柳原さんも、原田さんも笹岡さんも仕事無かったから話すことちょっとだけだった。

原田:はい。
佐藤:トラヤンのモデルを前にヤノベさんの話ばかりしていた。仕事の話はせずトラヤン話をして終わる。

原田:15年前はそうですね。

佐藤:俺は福島で放射能あびたから、大混乱しちゃって活動してたんです。が15年経ったので聞き取りしにきました。4人しか残ってないね。

原田:柳原、原田、笹岡、家成ですか。
佐藤:そうですね。他の人も大阪市内には居る無視されたり、俺が会いに行かないこともあるね。原田さんと4人はメインだと俺は想っているけど、そう思っている人は少ないかも。

原田:たぶんいない。

佐藤:所員の皆さんはどこで原田さんとの人間関係できて原田事務所に来きました?
原田:半分はゼミですね。

佐藤:所員の方々、そこの雑誌に載ってますね。

原田:この本の参加者、これと大学でも教えていましたし。

所員:ゼミ生で拾われました

原田:笑 造形大のゼミ生ですね、家成さんが教えていた学科ですね。
佐藤:そうなんだ、家成さんとも繋がっているわけね。
原田:福井でやっていたデザインスクールがあって。

佐藤:福井・地方から原田さんの事務所さん来たんですか!?
女性所員:そうです。

佐藤:おお、皆さん脇族なんだね。メインにならずに楽しくデザインなどしながら暮らしている人々。
女性:脇族です。

原田:彼女は千葉出身ですね。
佐藤:千葉か、千葉の先が無いからね息苦しくって大阪へ泳いで渡ってきたと。
原田:(笑)

福井出身の女性:出身は福井です。
佐藤:原田先生とどこで知り合ったんですか?
福井女性:仕事見て飛び込んできたんです!

原田:この2人はほぼ「飛込族」ですね、もう一人今日はいないんですけど飛び込みがいます。

佐藤:いい事務所に飛び込んで来たね!
男性:僕は大学で知り合い来ました。
佐藤:このなかで才能が一番はだれですか?
原田:みんなそれぞれ才能ありますね。マネージメントは苦手かもしれないけど全員デザイナーなんです。


所員の方々の仕事ぶり


佐藤:一人一人がデザインしたデザイン集は無いんですか
原田:これで説明するのが早いですね

佐藤:みんな自慢してくれよ!
原田:笑)、本の中身、これはURの古くなった団地を塗り替えるプロジェクトです。
佐藤:いい!

     みな笑う


佐藤:これは流行りそうだね。「孤独死」って言葉知っているでしょう?千葉県松戸市にある常盤平団地がテーマでとりあげられた、40年代含めて男性が孤独死していた!「ひとり団地で」というNHK特集で放映され団地に関する社会問題になった。
このカラーで包まれると孤独死事件発生そうにないね。場所はどこですか?

原田:大阪です。神戸の山奥もあります。
佐藤:人間も馬にもいい衣装を着せろと、馬子にも衣裳髪形と言うからね。色塗り替えただけで変わるよね。




2020年2月25日発行
『Tomorrow is Today』古い団地の色塗り替えサインのデザイン。高野ユリカさんの写真集でもある。


原田:
本当にそんな感じですね、薄い服を着ている感じですね。衣替えした。
これは陸上競技場のサイン計画です。

佐藤:このサインはどんなコンセプトなんですか?
男性:これは、そうですね

佐藤:そうですねっていうコンセプト?

会場 笑う

男性:高松の屋島というところなんです、文字から全部作ってくれ、この文字とかラインとか

佐藤:ガムテープ、修正テープ貼ったみたいでいいね。
原田:筆で描けるようにデザインしていて、中高生が使う場所なんです。
佐藤:うまいんだけど、下手に見せる、なるほど、技使ってますね。

原田:これもヤマちゃんだよね。淀屋橋の仕事も。
佐藤:ヤマちゃん色々できるんじゃない!
原田:一番長いです。竹尾という紙の商社の淀屋橋店、インテリアは柳原さんです。彼と初めて一緒にやった仕事です。


 絵:WEBより 

佐藤:カロが最初じゃないの?
原田:カロは一緒に仕事してないんです。紙のプロダクトを開発してます。

佐藤:デザイナーの力すごいね。

原田:千鳥文化があるとこで色々やている千島土地さんの広報紙(株)みたいなのも担当しています。今はWEBサイトに変わって紙じゃなくなっています。

これは大西さんたちとやった「ふくちのち」という図書館のプロジェットです。みなさん一流の人たちを相手にコラボしているから成長しちゃうからいい。

芝川:dot architectsもヴェネチア・ビエンナーレ建築展にも出展したりと大分有名になってきました。アートでも建築でもその業界で有名な人が出てきてくれないとブランドとしては弱いですから、そういう意味ではとても誇らしく思っています
以上は千島土地社長インタビュー録 より。



絵 :ふくちのち WEBより

佐藤:建築業界の中心に居る人たちは要注意だけどね、

原田:脇族を巻き込んでいく(笑

佐藤:中心に近づいて固定すると演技させられ、自由な活動はできにくくなるから要注意。

原田:これは装丁とかやってます。

佐藤:みなさん何でもできちゃうんだね、すげーなー・・。これいいね、若いサラリーマンのオジサン元気でるよこれは。場所どこですか。

原田:ミッドタウンです。
佐藤:さすがですね、企業の中心にいると、こういうことは発想できなくなるからね・・。中心に居る人がやると、おい落書きしてんじゃねーよと言われるけど、脇族が提案すると中心を射貫いてしまう、いいね次の世が見えるね・・。

原田:これはいろんな場所のサインで、いろんな所員が担当しています。

原田:家成さんが今日リハがある京都イクスペリメントで、2019年だったかな。

佐藤:さすがみなプロ集団だ、凄い。

原田:あとはタンポポの家、障害者の施設の仕事もずっとやっていています。
    (2020年2月10日 展覧会記事へ

佐藤:皆さんは世がちゃんと見えているんだね。社会が見えていなかったらこういうデザイナできないよ。壁の落書きみたいなデザインは議論しないと成立しないんじゃない?説得したりしないとできないでしょう。疑問視されそう。

原田:そうですね。
佐藤:実際できて使い出すと威力発揮しちゃう。
原田:「面白い」って言って楽しんでもらってます。できたらみんな喜んで。

佐藤:いきなり見せつけられたら「おれ責任とれない」と言うな・・・(笑、出世に影響するから採用しないと言われるよ。

原田:影響する(笑
佐藤:凄いデザインの力、原田事務所の破壊力いい。写真もいいけど現物のほうがいいだろうね。

原田:実際の方が生き生きしています。

佐藤:団地の塗り替え仕事、色だけで脱近代の建物に換えてしまうというのは面白いね。どうしようもない団地色だったんでしょう?

原田:最初はベージュの建物でボロボロやったものね。
佐藤:一つの建築に見えないところがすごくいいね、一枚のぺらっとした写真みたいに見えるのがいい。

所員:たしかに。

佐藤:現物は太陽が動くから陰翳がでちゃう、立体的に見えるんだろうけど写真は軽快に撮っているから意図が伝わる。

原田:けっこう意識して撮ってます。

佐藤:ネットで見てたきがするけど、写真の撮り方がうまいんだね、ぐっと伝わってくるね。

原田:笑)
佐藤:これらの仕事を見ているとデザインは閉塞した現在の社会は変えられるなと思いました。
原田:ですね。

佐藤:建築では社会は変わらないから・・安心したまえ。デザイナーの仕事威力あるよ。

原田:と建築家が言っているのが面白い(笑

佐藤:変わらないところか、資本の巨大化にともなって疎外感を感じさせる巨大な建築物になっている。人から離れて都市が悪くなっている。デザインは人から離れることなく世を変えるね、原田さんたちの仕事を拝見し、チラ見だけどそう思いまいした。今日は時間を割いていただきありがとうございました!

 会場ありがとうございました わいわいがやがや 


2022年10月6日 原田事務所にて 別れ際に集合写真を撮る

最後までみていただきありがとうございました。
作成・文責:佐藤敏宏