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   2002年12月の日記


12月31日 晴れ・・少し冷える

昨日あたりから道が混んでいて買い物にでかけるのが少々億劫。自転車で少量買うのが賢い・・昨夜福島郵便局 に年賀葉書を出しにでかけてみると普段ならがら空きの駐車・・は車が道へあふれだして50〜100mほどエンジンを吹かして連なっていた。

今日のスパーも同様で、駐車場から車が溢れだして、付近の道まで混んでいる。隙間をぬい食料を仕入れる。普段より高値だと思う・・。

今年の正月はmy長男のみが帰ってきてて、私にジャレツク。もうじき30だというのに子供時分となんら変わらず、おどけて母親を笑わせている。my長男あと5〜6年は日本史の研究生活と称して方々でかけ、ネタ集め・・無収入に近い生活に明け暮れそう・・当然のごとく普通の家庭生活を求める様子はなく、「結婚をしちゃうと勉強する時間が無くなっちゃう・・」とほざいているが・・日本史の研究して女性にもてるとは思わない。
 今時の若い娘は近世史よりベッカムさまのようなハンサムな外見がお好きなんだから・・それは古今東西あんまり変わりはないな・・・ハンサムな基準が少しづつ変化してるくらいなものかな・・

今年の研究成果などを見せていただく。人様の眼にふれても耐えることができるような資料となっている・・ノンビリ近世の歴史書を読むのもまたいい。街の成り立ちや、レアな地図、近世の街計画図・・完成後の絵図面は多数あるのだそうだが、計画図は少ないとのこと・・近世のアンビルドな街図を見たりしてすごす。

一年通して日記を書いたことになる・・50年生きてはじめてで、HPのおかげだと思う。少々気になるというか格好をつけたかった。たとえば建築の設計依頼が押し寄せて来て、次々に新しい建築を手に入れる様子など日記に書きたかった。そうは神様がさせてくれず、全く依頼無しの1年の記録となった。・・暇をいかして建築あそびの記録や建築体験記それから多次元フォトコラージュを数本つくることができた。それも建築を考える一つの方法ではある・・。

それらは人と人とに触れることができる豊かな時間であった。



12月30日 晴れ

年賀状の住所書き込みをする。掲示板いやeメールでのやり取りでは住所が残ってなく・・手間取りますんですね・・。


12月 29日 晴れ
 実家に正月の餅をいただきにでかける。今年は綺麗に切りそろえてあるので、難しい持ちきり作業はなしになった。食べるのみ

28日の追加。
午前中年賀状をつくり、午後建築あそびの準備の買い物などをする

5時に仙台の八重樫直人さん石井さん、優史郎さん 太田さん集合
保原の由美ちゃんとサポターの面々がそろい、今年最後の建築あそびと忘年会

ワイワイのみ食べて後八重樫さんのスライド・・といっても雑誌社が撮ったスライドだけだから、雑誌社が見た八重樫建築というべきでしょう。版権の関係で写真データは頂けないとのことでした。自分のめで見た写真は持ってるべきなんじゃないかと思う。

数年の間に作った建築群はいずれも同じ建築言語を使いまとめて純化して行く過程を眺めることになった。そう撮ったとも言える。あらゆる事が一つの建築言語にまとまる強度といっていいだろう。
壁と開口部のみの協奏曲へと純化進行していく様子。壁と開口が等価になる限界を見るまで・・追求し続けている。そのことによって鮮明になるのは素材の存在とそれぞれの面積の緊張関係かな。・・・そういうことが延々と追求されて行く。

数学者が公理を見るまで苦悶するような感じでしょうか

その後はベンバン地酒を呑んで超酔っぱらいことになりました・・のんだのんだ・・



12月28日 晴れ・・昨日まで降ってた雪が行き来する車によって踏み固めれカチカチカチカチでスルスルスルチに圧雪状態。雪道に慣れているけど・・とても滑りやすい朝。空気も樹木もこの冬一番の冷えに固まっている。東からの日射しが強くなってきたので昼には寒さが和らぐかもしれない。

今年最後の建築あそびは忘年会をかねて今晩おこなう。講師は仙台在住の建築家の八重樫直人さん。処女作は多様に読める表情であったが、近頃一気にミニマムな手法で建築を完成させつつあるよう・・それとも迷いをミニマムによって封じ込んでいるのかな・・不況にもかかわらず順調に建築を手に入れている。その上デザインは純化の道をまっしぐらして・・あっという間にやること無くなるんじゃないのと傍で見てて心配にもなる・・余計な心配だな。

この2年の変遷をマトメテ聞くことになりそうです。

日本史を研究してる・・my長男も参加することになりそうだ・・メール・・・

12月28日に帰省します。手みやげは、今月発刊された『桑折町史』です。仕事が形になってゆくのは気持ちいいものです。ではまた
・・・と
ながねんの試行錯誤が今年は数冊の本となって現実の空間に出現した・・ありがたきことである・・・。



12月27日 昨日からの雪は方々に7〜8センチほど積もり夕方ようやくやむ。時々風が吹いては地吹雪のなかから雪女が現れて、うつくしき世界に連れて行ってくれそうだ

明日の忘年会兼建築あそびの準備を終えたので・・・

ギャングオブニューヨークを見る。19世紀半ばのニューヨークでの移民と先に移住した移民との抗争を描く。父親の仇討ち話が芯となり展開してゆく話・・。南北戦争時下の混沌とした世界を描いたのなか・・。ギャング・政治家・牧師・移民・売春婦・お金持ち・・様々な人人の生活が覗ける。とにかく暴力シーンと殺人のシーンが多すぎるのが難点である。長い映画。暴力と破壊の繰り返しで終わりなんだが主役は死なず・・で相変わらず。仇討ちが正しいとは思わぬが、仇討ちして正しきものは生き残るという考えらしい・・なんだコリャと思う。仇討ちは両方が死ぬして不毛の地が残されるというのが筋というもんだろうに・・。

人間は止めども無く人を殺すものなんだ・・と今更ながら教えて頂かなくもいいよ。アメリカはそいう空気が必要なのかな。人を殺してはいけない・・・という理由は発見出来そうもない・・。やったらやり返すのは今だに無くならないし、新聞記事から殺人記事が将来も無くならないだろうなー。法律ってのを作ってそのことを止めようとしてはいるが・・ヤッパチ人は人を殺すんだな。大量殺戮映画ってのは正月に見るような映画とは違う感じがするよ。

日本では年末恒例の・・仇討ちと言えば忠臣蔵だろうよ。何たって300年も語り継がれている。時代とともに良いように解釈し利用されて来てもいるが、喧嘩両成敗・・・手抜きした幕府へ批判など原因はいろいろあるようだ。止めどもない抗争に発展せず、両者が死んだという・・そうそう世の中変わらないぜ・・庶民は仇討ち観戦さ・・こんなことがお好きなようだ。喧嘩がチョイト大きく成った程度が好きらしい。我慢に我慢を重ねて本懐を遂げるてこもと好きらしいね。

年末の仇討ち話は忠臣蔵だと・・デカプリオに教えてやれよ・・それにしてもアメリカの映画界には大勢俳優がいるもんだ。アメリカ製忠臣蔵をみてみたい気もするが・・



12月26日 昨夜の雨が小雪にかわり寒い一日

建築あそびや私のことを豊に紹介していただいた。花田達朗さんが建築業界12月号に「小さな公共圏みつけた」というタイトルで。内容を読みたいと掲示板に書き込みがあった。

いずれ許可を得てWEBにアップしたいと思う。HPを開いていると著作権や肖像権のことは常に気がかりだ。画像をバシバシ撮ってアップして訴えられる可能性はたぶんにありそうに思う。建物だってやたらに撮るとお金を請求されそうだ・・と心配してたらきりがない。

思うに・・知的なこと・オリジナルなことてのは少々あるだけでいいだろうと。多少の期間著作権を守ってあげ 後は人類の宝として、共有の財産として活用し新たなオリジナルを生産するために活用すべきという考えたい。
 音楽であろうが、映画であろうが、著書であろうが・著作者が死んで後永遠に著作権を特定の企業や個人に与えるべきではないと思っている。

建築のデザインなんてのも真似したいヤツはすればいい。真似は決してオリジナルな領域に近づくことは出来ないけど、新たなオリジナルを生む苗床にななるだろう。

そんなことを思った。。。


今月は毎日日記を書くので
 12月8日のことを

my次男の部屋で眼をさました・・飯を食べダベル・・元気そうだ。12時から太田浩史さんのところで勉強会があるがそうとう遅れて参加。
一部は「トーマス・ヘルッウォークの建築と技術」浅野先生・松本さん・村田さん・金子さんらが熱心に・・ 春に展覧会を企画してる鶴谷さんも参加してあれ翻訳依頼などしております。

 5時過ぎから二部。ピザとビールなど手に入れ メンバーを入れ替えて・・リチャード・ロジャーズのコンパクトシティの読書会・・桑田先生・太田さんの話を聞く・・
とは言っても・・昨夜の槻橋さん・・チャン達の結婚式の2次会から呑んでいたワインが体から抜けていない・・で宙を遊泳してるかんじ・・写真を撮ってもピント定まらず・・

22時過ぎ南泰裕さんと太田さんの事務所を出て 呑みする・・代々木駅近くで安くて家庭料理の店の居酒屋 三平へ・・日曜日なので休み。残念・・で田中浩也さんちに押し掛ける・・なにやら田中氏慌てたようすである・・がじき南本の「住居はいかに可能か」のサイン会会場になる・・

しばらくワイワイして呑みに代々木駅そばへ12時頃・・呑みダベル3時半頃・・で戻る・・田中さんちにもどりスライド会・・ ニューギニアの集落調査パークハウス工事写真 4次元サイコロ多次元フォトコラージュなどを見る・・夜があけて朝になってしまった。おおお・・雪が積もっているよ

南泰裕さんの当日の感想を掲示板より写す

佐藤敏宏さま

先日は出版記念の祝い酒をいただき、どうもありがとうございました。おかげさまで、出版記念パーティには多くの方々に来ていただき、楽しい会となりました。 パーティのちょうど一週間前に、佐藤さん、田中浩也さんと、深夜、雪の降るのも気付かぬままに、いろいろとお話しできたのは、とても有意義で楽しかったです。佐藤さんの建築作品や建築観、田中さんの非常に興味深い研究内容等々、純然たる思考によるディスクールの快楽を、ひさ方ぶりに体験した気がしました。 あのときにお話ししていた「建築的プロジェクトX」、大小に渡って様々な形でやっていけるといいですね。

それでは、またお会い出来る日を楽しみにしております。


田中さん感想

「純然たる思考によるディスクールの快楽!」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
おおくのひとと共有したいですね。


 9日に成っているよ

南さん事務所へ・・田中さん大学へ・・私・・田中さんちで寝る・・午後おきだして塚本由晴さん設計のミニハウスを捜しにでかける。駅近くで田中さんとすれ違い握手をして別れる。ここは代々木なんだけど大雪が降っていてとても寒い

東武東上線でミニハウス傍のある駅で降りる・・雪はどんどん降って道は真っ白。革靴じゃ滑るね・・下町風情がのこるいい感じの商店街をおおよそ10分のところの八百屋のおばさんに聞く・・「あの当たりに変わった住宅はないですか」・・そうだね・・「その道を登っていって何件めにあるよ」と道が細いので分からないンじゃないかと思う。縁があるから見つかる。チャイムを押して挨拶しようとするが留守らしい。

しかたなくデジカでメバジバシと撮る、ミニハウスの反対側は工事中で見えないけど、仮囲いの塀に登り撮る。雪で滑り降りる。いたいし冷たいね・・

ミニハウス見つけた・・感想などはまたの機会に



12月25日 雨・・雪じゃなくて真冬の雨は救われる

年末になると喪中の葉書を例年数通いただく。勅使河原三郎さんとKARASUを立ち上げ現在も共に活躍中の宮田佳さんからも・・お母さんが亡くなったと・・。

宮田さんのお母さんとはたった一度吉祥寺のご自宅でお会いした。勅使河原さんとおじゃまし、おじいさんの宮田重雄(医師であり絵描き、検索すると多数出てくるよ)さんの絵や、重雄さんの友人であった世界的に超有名人の絵など多数見せていただいた。そしてヨーロッパのモダンな雑誌も多数。宮田さんの家は谷口吉生さんのお父さんの設計で建築も興味深かった。

帰りにお母さんからいただいた句集「だんらん」(1973年・宮田家・私家版非売品)は寺山修司の句集真っ赤な表紙の「花粉航海」とともに数少ない宝ものである。何とも心地よい家族の句集と家族から捨てられた寺山の句集が手元にあるのはいい。

宮田・勅使河原の二人だったKARASUの初公演が福島市民会館であったが、その時の感情を、句にし短冊に下手な絵をつけて、勅使河原さんにさしあげたことがあったなー・・「稽古場に飾ってあるよ」なんて言ってた・・・なんと天才詩人に・・今思うと汗がでますね・・私が出版したパフォーマンスの本も持っていた・・さすが・・で・・俳句へと話が発展して、宮田家の句集「だんらん」をいただくことになった。

「だんらん」とのタイトルは佳さん(孫)のかわいい毛筆。白い表紙はお爺さんの重雄さん(316句)、さび色表紙はお婆さん(152句)鶯色の表紙はお母さん(135句)と三冊別の和綴じ本で1セット。お母さんの句を一部書き写す。

校章の胸にたしかに風ひかる

骨壺の軽さ抱きて雪解道

春炬燵別離は人を育てけり

置いて來し子は聞きわけて桐の花

花みかん帰り重たき宿の下駄

吾子の手にあまる白扇入門す

熱の子に唄ひつくして夏の月

クリスマスカロル歌い母子の常の卓




12月24日 寒し

日記を書くことや HPを 更新することによって自分のおこないを全て記録する年になりそうだ。そのことがいいことなのか無意味なことなのかは分からない。更新記録を眺めると、以前と比べて人に会う機会が断然多くなったということがわかる。人に出会うということはとても豊かなことだと思っている。

建築あそびの講師をお願いした方々建築あそびに参加していただいた方々突然路上でお会いした方々・・WEB上でお会いした方々・・・ありがとうございました。とても良い勉強をさせていただきました。今年の経験を生かし来年も建築あそび等行動し、建築のことを互いに考えてゆきたいですね。

今年 my建築が実現してれば ・・何もい言うこと無しなんですが・・・それもしかたのないことです。来年はどんな出会いがまっているのか・・そしてどんな建築を考えることができるか・・・どんな建築と出会うことができるか・・と・・いまからとても楽しみです・・



12月23日 晴れ 少し寒い

冷やすこと

今年というか例年、いや毎日(?)していること。手を洗うついでにキンタマを洗い冷やす。つかったらかかすな・・。パブリックな洗面所ではできないので、所員のおらん仕事場で洗う。

頭がボンヤリしてきたら延髄あたりの首筋を洗い冷やす

鼻を洗い冷やす。都会にでかけたり、人混みに出掛けたりして鼻が乾くので鼻うがいというよりは鼻を洗い冷やす。これでゴミと雑菌が鼻垂れと共に体外に出ていくので、風邪の予防になる

首を洗い冷やすことは 頭の血圧を下げる効果があるような・・くも膜下の出血の予防になるかも・・・もしかすると逆効果かも、医学的なことは分からないけど、気分がスッキリする。

kinntamaを洗い冷やすことは、筋肉を使いすぎたとき、例えば大魔神が完璧なクローザーをこなし取材に応じるときに、肩筋をつかいすぎて肩を冷やいているじゃないか。使いすぎた筋肉を冷やし炎症を予防する。俺がkinntamaを使い切って行かせても、誰も取材にこないのが寂しいけど・・くるわけなーな・・まいいよ。

kinntamaは入澤俊氏先生いわく大切な男の・・なので、冷やし・・ます。とにかくいつ使うのは分からないけど・・自主トレじゃないな、 自主的な手入れは怠ってはならない。若者よkinntamaを使ったら直ぐに洗面所へ行って洗い冷やしたまえ、快復力抜群であるよ・

昨日の日記の後に書くようなことではないけど・・大切なことであるから・・

きょうはマイノリティーレポートを観る

シンドラーのリストは委細かまわずユダヤ人をみつけ、収容所へたたき込む話だったけど、もうチョイ進歩して、というか誤解して、人間が生みだした(これが味噌)システムによって未来殺人罪で殺人を犯す前の人間・・(キリスト以外信じないアマリカ的価値観)を収容してしまうお話

家族愛、職場愛、親子愛、無菌室とゴミ箱の様な都市。・・自然と人工。そんな対比のなかで物語が進展していく。展開の早さが2時間半ぐらいの画像を退屈させない

指紋又は瞳で人の違いを判別するのかはどうでもいいけど、軽々と違法行為で移植する医者がいるのはいいね。

未来殺人犯を予知する中枢が人間の脳・・感情というのが笑える・・狂気は原爆を作らず理性のみが原爆と戦争をおこす・・てなかんじで・・

・・・シンドラーのリストをバージョンアップしたようなんだけど、断然面白くても・・シンドラーのリストを越える感情を他者のなかに湧きおこすことができなかった(少なくても私は起きなかった)・・娯楽は未来をそして希望を描く必要がないか・・といったことをおう・・・・見せ物的HPもね・・



12月22日 晴れ

 花田達朗 様
建設業界12月号ありがとうございました。小さい公共圏みつけたというタイトルで、示唆に富む文章ありがとうございました。久しぶりに真の批評に出会い、想像が膨らんでしまいました。

私の設計した建築と発注者達の関係がつくりだす建築の社会化について。
友人知人が集い呑み語りあう建築あそび
その場が一夜で消えて無くなるささやかなの公共圏であったり、my住居(プライベートな世界)がパブリックな空間に変わりうるという事実・・・そこから所有しない住居へとの可能性を書いていただきました。

11月20日に東京大学出版会から発行された南泰裕さんの著書「住居はいかに可能か」は、都市と住居が対立するモノではなく、それらは互いに無限入れ子の連鎖になりつつ成長・拡張する。その様な状況下(極限都市と南さんは命名してます)にあっては都市が個を疎外しているように感じさるのだが、都市の母胎は住居そのものであることを鮮やかに再確認させてくれます。

また現実に彼は半年ほど前に都市化へと向かう住居(都市の住化とも言えます)を出現させてくれました。

私が 花田達朗さんと南泰裕さんと出会うことによって、ある種の環が見えてきました

・・都市 ←→住居←→パブリックな空間←→プライベートな空間 ←→親密圏←→公共圏←→都市 ←→住居←→パブリックな空間←→・・・


それらの豊かで危険な環が幾重にも重なり成長し明滅する未来へと・・想像がすすみます。そのことによって住居の設計方法はもちろんのこと、人と人や都市と人の有り様を具体的に想像することができました。

現実の世でそれを具現化できるのかはコレからの運しだいです・・が、描くとこが出来つつあるのですから幸せなこととなりました。感謝!



12月21日 曇り 夕方になるほど冷え込む・・雪・・・かなー

花田達朗さんから「建設業界2002年12月号」が郵送されてきました。p46〜47に「小さい公共圏みつけた」というタイトルで,私のことや建築あそびのことが一気に格調高く・・書いてありました・・・またそこから生み出されるであろう可能性や、住居がパブリックな空間へ変容しそこで言葉が交通する意味・意義など・・豊富に・・・いずれ掲載許可をいただきWEBアップしたいと思います。
 今年は3月と11月の2度も建築あそびの講師をしていただいたり、書いていたただいたりと・・・・花田さんありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

 昨日書いた・・国家的建築家制度をどのようにつくるのか・・に対して群居という名の同人誌で京大の布野修司さんが(「タウン・アーキテクト」構想序説)というタイトルで コレからの建築家の可能性を提案しています。タウン・アーキテクトは建築家や建築士である必要はないんだけど、読んでみましょう。その群居44号(1998年)表紙をスキャンして掲示板にはりつける。。4年経った現在では京都コミュニティ・デザイン・リーグという組織を作って活動してる。活動の様子はHPで紹介されています。

HPプロフールの中の設立主旨から「タウンアーキテクトの役割と仕事−京都コミュニティ・デザイン・リーグの提案」を読むことができます。

渡辺豊和さんの次男の渡辺菊真さんも布野さんと協働で活動してるようです。



12月20日 晴れ 

溜まりに貯まった仕事場の家賃の金策をして、大屋さんの所へでかけて行き支払う。年賀酒の絞り時期らしく杜氏たち酒蔵から溢れている。

大屋さんはそうとう年輩なのだけれとPC歴10年以上でドス版からHPをつくり公開しているとか。HP作りには便利らしいソフトをいただく。仕事場には15年も住み着いてるからかもしらないが 私には親切である。

・・1週間ほど壊れた飯釜では・・満足な飯が炊けない。新米を手に入れたのに炊きあがった飯・・コレが新米の炊きたて・・とても食えた代物ではない。・・で・・帰り道 電気屋に寄って飯釜を買う。炊飯器もいろいろあり過ぎて選択にまよう。4000円〜5万ぐらいまである。7千円の4合炊きに決める。ついでにデジカメのコーナーでウロウロする2万円切るものもあよ・・myデジカメの修理はあきらめる。3万円で超薄型小形のあれがいいかと思ったりする。
PCやプリンターコーナーを散策。安価になってることと性能アップに驚かされるね。でも買えないの・・。

渡辺豊和さんの45才の著書「芸能としての建築」をスキャンして掲示板にアップする。掲示板に書いた文章

6才で1・1/2を世に問い 書いた文が入ってます
(「住宅はいかに可能か」を35才で書いた
 南泰裕さんがいかに天才的か !(^^)! 分かるだろうよ)

コレを読んで建築家でまともな文章を書ける人が居ると思ったことよ
同時に日本における建築家の姿や将来・・本来を知りましたね
最初のページに
・・先達によって考えられてきた西洋型建築家の職能意識が如何に
根拠を持たないものであるか身にしみて感じ始めていた・・

で始まり建築家とその芸能性を語り始めてますよ
でも 私は建築家をやめるツモリにはならなかった・・

 渡辺さんが建築家として世で成功してるかどうか・・疑問であるよ
 そのようなモノでしょう。日本における建築家は

建築的プロジェクトXは建築家自身が制度を作り上げないとあり得ない
んじゃないかと・・私は思ってます・・芸能の民として浮遊するのみか
国家的建築家制度を築きあげることができるか・・

具体的にはどうすればいいのかは分からないけど、群居という雑誌で京大の布野修司さんがタウンアーキテクトという構想を提案していました。渡辺豊和さん次男の菊真さんも布野さんとともに活動しているようです。京都コミュニティーデザインリーグというHPのなかの設立主旨プロィールの中でタウンアーキテクト構想の内容が紹介されていますよ。今後建築家(現在30万人の一級建築士なんかな・・)は半分から三分の一にならざるを得ないようです。



12月19日 晴れ 寒さが戻ってきそうで風が吹いている

 渡辺豊和さんの記録の一部をアップした。2年も放置してしまったなー
2000年11月25日に渡辺豊和さんをお招きし建築あそびを開いた。渡辺さんの講話は記録していた。12時から始まり酔いツブレテ布団に倒れ込むまで12時間ほど話は続いた。おおよそ25ヶ月ほど前のこと。

当時はHPを開いて記録を公開するなんてことは、夢にも考えていなかった。話は制限無しであった。240枚のスライドの絵と話の内容とを公開しようと思うと1カット5kbでもHPの1.5割ほどになってしまう。たちまち建築あそびの記録だけでmyHPのダダ許容量はオーバーする。

建築あそびはそれ以前に何度も開いていた。講話はほぼ全て文字化して・・やがて印刷物にでもしようと思っていた。面白い方がいいと思って時間制限なしだ。

公開できない資料もある。仕方のないことである。



12月18日 ・・晴れ・・・日射しが暖かく、しのぎやすい天気
今月は毎日日記を書く予定だった。7日に槻橋修さんのパーティーに行き書き忘れいたので当日の事を書く・・今日の日記は20時間後に書くかも・・

午後
パリのぺーロー事務所で手伝ってる松田達さんから南泰裕さんとの建築あそびのデータが届いた。うち3枚ほど掲示板にはる。渡辺豊和さんから2年前の建築あそびの一部の校正が届く。早速訂正してWEBアップしたいと思う。

 不要な本を処分。一部ブックオフへ1冊20〜35円ほどかな・・で引き取っていただく。他焼却場へ持って行き・・大きな窯の口へ放り投げる。でかーいとても臭ーく・・て・・卒倒思想・・。福島のゴミ焼却場は2カ所あって我が家からはどちらも車で10分ほどのところと近い。不燃ゴミも粗大ゴミも処分してくれるそうだ・・モウモウと上がる煙突からの煙か湯気か・・あらゆるものが熱と灰に還元されちゃうところだ・・。

12月7日のこと・・ 晴れ少し寒いが・・

ボーナスが出たらしいmyサポーターが電車賃をカンパしてくれたので、かねて連絡してた槻橋修さんの結婚式後のパーティーにでかける。

もちろん各駅停車である。12月の各駅停車は車内が景観ともに寒い。この数年の不景気の成果が車内にまで忍び込んでいるのかもしれない。あと数日すると青春18切符がつかえるが今日はまだ使えない・・そんな風な旅人も無い。

福島駅を11時少し前の電車に乗ると、宇都宮には2時チョイ前につく。宇都宮から乗る若い女性は流行のいでたちをしてる。新宿まで2時間を切っているので働きに出てるのかもしれない、水商売でばんばってる風の女性が数人同じ車両に居るのが・・宇都宮からの風景。

この電車は宇都宮から大船までの宇都宮線と言うらしく、大宮・池袋・新宿・・恵比寿・・〜大船までらしい。新宿駅には4時チョイ前に着く・・で乗り換え。原宿から地下鉄で乃木坂まで。乃木坂から会場まで徒歩数分。

福島は快晴だったが、宇都宮あたりから雲行きが怪しくなり大宮では雨。新宿駅構内で傘を買う。乃木坂駅は氷雨・・雪になるかも・・冷たい。

会場に着くと受付開始より1時間も早い。もちろんスタッフとお手伝いの方々しかいない。暇なので会場設営を手伝う。槻橋さんの大学の学生さんとスライドショーのスクリーンようの紙を貼り付ける仕事・・あちらへ貼ったりこちらへ貼ったりと・・なかなかうまく行かないがまぁ・・その辺に決まる。

会場にはチラホラ客が・・最初に藤本壮介さんとスタッフに挨拶。五十嵐太郎さん・・山中新太郎さん・・と順に・・・会場は満員電車の様相を呈して来る。

なにやら新郎新婦が螺旋階段を下りて来る。ガサゴソガサゴゴ・・乾杯の音頭を・・なんていきなり言うんだろうなー・・適当なことをほざいて乾杯と言う・・こいうのっ無しでいいんじゃないかー・・とおもうがワイワイワイワイ・・菅野裕子さんに出会う、南さんの住宅のことでアアワイワイ・・堀井義博さん夫妻・・三好隆之夫妻・・大川信行夫妻・・山中新太郎夫妻・・張希実子さん・・順にワイワイ・・松口龍さん・境洋人さん・・伊藤香織さんに名刺をいただく。

絶対来てるだろうと思った、奈尾信英さんに会い・・建築あそびの講師をお願いする。今日の目的は全て達成・・

3次会場は槻橋さんが改装したバー・・堀井さんが全方向に向かって怒っている・・松本晴子さんとワイワイ・・奈尾さんと会場をあとにして・・地下鉄乗り場まで・・途中奈尾さんと別れmy次男の所へ・・夜中までダベル・・



12月17日 夕方強い風が吹いた・・また寒さが戻ってくるかもしれない

仕事場の大屋さんから家賃の催促があったらしい「造り酒は売れないし・・社員にボーナス払えない・・家賃でボーナス払うんだから・・払ってほしい・・」とか。仕事場の家賃がボーナスのかたになっているとは・・知らなかった。今年初め仕事場を引き払うつもりだったが・・半額でいいから使っていて欲しいということだったので・・ボンヤリしていた・・来年そうそう仕事場を変えよう。

 未明に腹がすいて飯を食べに家に戻る。BSで黒沢明の「どん底」をみてしまう。モノクロがとても綺麗である。山田五十鈴が演じるヒステリーはなかなかいい。三船はこの映画ではいまいち・・と思う。どん底をあばらやじゃなくて、宮廷に置き換えて描いた方が落差があって面白かったんじゃないかと思う。貧乏人だろうが貴族だろうが心情はさほど変わらないだろう・・どん底の心情ってやつは・・しつこくだめを押すのもいいか。

山田五十鈴は現在85さいのおばあさんだそうだが、検索するとある・・どの写真も・・・WEB上にある五十鈴顔は昨夜の五十鈴の嫉妬し狂った美しくてコワーイ・・迫力がでてないので残念・・女は美しくて・・鬼に変身するモノを内包してる方が魅力があるのだと納得した映画。・・対して男の魅力とはどういうものか・・

どん底をみて私は今金がないのでその点はどん底に近い環境にあるようにも思うが・・心情は全く異なる。家族・友達仲間などの人間との関係と交わる言葉たちがまるで異なる・・金が無いくらいではどん底の住人になれず・・至って呑気なものであるから・・ドンゾ湖の湖面を飛び回る蝶の気分とでも言っておこう・・しかし生まれてこのかた人は等しくどん底の住人だったと言えないこともない・・同じモノをどちらから見るかだけだな・・世界を自己中心的に観ると どん底のような ああいう人間関係の描き方が可能だろう。

どん底をグループホームの家として見たりしていた・・どちらかというとどん底風公共圏としてみてたかも・・・最初に写し出される画面が一番いいと思った・・徐々に右に回って坊主達がゴミをどん底に向かって放り投げる・・前の画面がいい・・。



12月16日 晴れ 寒さがゆる

欅・桜・銀杏・蔦などの庭に多量に積もった落ち葉をかき集める。落ち葉の積もった庭もいいが雪を掃くのに落ち葉は邪魔になる。

坪庭の隅の落ち葉をかき集めていると雉鳩が1羽死んでいる。先日の雪で寒さにでも負けたのだろう・・丁寧に葬る。

この十数年薪ストーブの煙突には春から夏にかけ雀が巣をつくり雛をかえしていた。雀は冬は煙突に住み着かないのでストーブは使えた・・が、2年まえから雉鳩つがいがやって来て、煙突の上に巣を作り雛を孵した。鳩は一年中住み着いて、ゴロゴロホッホーと鳴きちらしていた。で薪ストーブの使用を断念していた。・・片割れはどうしたのだろうか・・しばらく様子をみることにする。


14日に南泰裕さんの「住居はいかに可能か」の出版記念パーティーも無事終了したようだ。南さんからメール・・

おかげさまで、出版パーティの方も、無事終了いたしました。トークセッションの模様は、「10+1WEB」にてビデオ公開されることになりました。田中浩也さんや藤本荘介さんにも来ていただけました・・・・・・いろいろな出会いがつながって、建築に関わる人にプラスになるような何かが生まれて行けばよいなー・・・・・・

トークセッションの記録がWEBでみることができそうだ・・楽しみ・・・・私も そう思い希望します・・・



12月15日 晴れ 寒さがゆるむ

福島駅近くに1週間ほど放置駐車しておいた自転車をとりにでかける。我が家から駅までは歩いて30分チョイだろうか、師走なのに何にも表情をかえることがない町。夕暮れ時の繁華街は数名の客引きが固まって話し込んでいる。

仕事場にもどり森山大道さんの写真集を眺めてすごす。最初の写真集を友達が私にくれたので持っている・・胎児がホルマリン漬けに・芸人などもある・・・もある・・・さすがに汚い・・。WEBで捜してみたら、森山さんのページがあった。
 その写真集も公開されている。
パリを撮ったまとまりも・・人はほとんど写されてないマネキンとポスターに写った人。マネキンもポスターの中の人物も生き物のようだ。パリも汚い。あたりまえか・・。

BOX2で森山さんの個展がひらかれたとき森山さん達と呑んだ。その時いろいろ話して・・おもしろかった。葉書をいただいたことがある・・遠い昔・・色白で女性的な印象を与える森山さんの顔と太い文字を思い出す。




12月14日 晴れているがさむい

myサポーターの還暦祝いで真夜中まで呑む。
料理は忘年会の練習メニュー。地酒しぼりたてにて爽やか。




12月13日
 晴れ 仕事場は灯油が切れて吐く息白し

南泰裕さんの「住居はいかに可能か」を読み終える。感想。半分は分からないけど興奮を覚える。

極限都市のクリトリスの存在と成長を舌先で確認しつつ銀河の乳をたらしこむ


とでも言っておこう

とぶつぶつ交換のリンゴを求め・・先輩の家へ出掛ける。互いに高校時代に器械体操をしていた。毎日グリグル地球を回転させていて おいらは脳味噌が捻れてしまったんだけど、先輩は硬いので捻れなかった。唯一学生時代からの付き合いがある人だ。

NECで集積回路の設計をしてたんだが、お兄さんが急死して、仕方なく末っ子の先輩が農家の跡取りになって早20数年・・。すっかりリンゴ農家のおじさんになっているけど、性格は全く変わってないね。凝り性が幸いして格別に美味いリンゴを作るオッサンになっている。美味リンゴが市販されることはない。全て贈答用としてはけてしまうからだ。店で売ってるリンゴは、食えるかもしれないが、モット美味いのが在ることは知っておいた方がいいように思う。
 
喰いたい人は10kg入りで送料共で5000円ぐらいだから注文してくれ・・なんて言ってはみたが・・予約が一杯で手に入れることは出来ないだろう・・マスマス喰いたくなる人は屑を・・屑なんだけど充分美味いものを手に入れるか来年まで待つしかない。

そんなことで・・毎年恒例で出かける。ついでに、クラブ担任の悪口を語りあうのが楽しみでもある。いくら言っても言い尽きることはない。それだけ教師に期待を持っていたという証でもある。期待が外れると、一生悪口を言われるから教師は気の毒である。教え子達が思い切り悪口言ってるなんて知らない・・知らないふりが出来るからどんどん教師の階段を駆け上がり、超偉くなっているとか。社会的地位が高いほど人間として優れていると思っているんだそうだ。あの世界は教え子に尊敬されないヤツほど偉くなるらしい。教師に限ったことでもないな・・。

俺のことを後輩達は鬼と言ってたそうだ。今でも言ってるだろう・・・なんで俺は・・社会的地位が高まり・・ボーナス転がり込んでこないやろうなー・・きっと間抜けだからだ・・毎日楽しいから・・間抜けでもよし・・



12月12日 晴れ 今日も寒い・・当たり前なんだけど

夜中から南泰裕さんの「住居はいかに可能か」ー極限都市の住居論ーをコタツに潜り込んで読む。エキサイティング半分ほど読み終えて朝方寝る。

Park House  建築あそび  住居はいかに可能

の順で・・南泰裕さんの実践と思考を具体的に実空間で 体験したり 聞いたり 読んだりした・・・その経過は・・私の能力を察した神様の配慮だと・・強ーく思う

 もしかすると大島哲蔵さんからの贈り物かもしれない。今年の6月9日に大阪で大島さんの葬儀があった。その帰り道の10日 原宿の飲み屋で偶然出会い、11日には南さん設計し工事中のPark Houseに出会った。この住居は都市そのものじゃないかと想い・・・竣工後見学にでかけ・・そうだと確認した。建築あそびで学生時代からPark Houseまでの実践の経緯をお伺いした。「住居はいかに可能 」(東京大学出版会ー2900+税)で・・より詳細に深く南泰裕さんを知りつつある・・その幸運は神様と大島さんがくれたのかもしれない・・。


花田達朗さんとの建築あそび 続編の記録をアップしたら、花田さんからメールあり

アップにこぎつけられ、お疲れ様でした。いま見てみました。一段とカラフル、ヴィジュアルで、楽しいですね。・・・・・・・・公共圏論に関心を持つ方々は案外いて、今週月曜日には横浜の「生活クラブ生協」の研修会に呼ばれて、話しをする機会がありました。雪の降った日です。寒かったですよ。「公共圏の脱植民地化のために」と題して話をしました。・・・

読みやすさを優先してます・・とメール。公共圏に興味をもつ人が増えているのは良いこと何じゃないかと思う。

参議院の憲法調査会でも・・公共の福祉、義務についての討議のなかで・・「公共性をめぐる新しい理論動向」という・・なかで公共圏に触れられている・・議事録が公開されている・・


12月11日 晴れ 冷えが厳しくなってきた

11月2日の花田達朗教授との建築あそびの記録ようやくWEBにアップした。ホッ。当日参加して頂いた方々ならび花田先生に感謝いたします。多くの人に読まれて公共圏という言葉の持つ意味を理解していただけると嬉しいなーと思う。

毎週写真館を入れかえる。・・・大島さんの追悼会の様子。

刈谷の0さんから毎年恒例のブツブツ交換品が届く。15年は続いてるだろー・・かなー・・。こちら福島の密入りリンゴ。あちら奥さんの実家の釧路のウメー鮭。数日前のおばさんからの野菜・・今日の鮭。コレで今年の飯のオカズが整いました・・年は越せるかもしれないね。



12月10日 昨日の雪が嘘のような快晴 今年初の積雪も溶けるのが早い

7日から上京してた。昨日の深夜我が家に戻る。庭先には野菜うずたかく積まれている。今年、最初に積雪を見たのは代々木。田中浩也さんちの通路だった。福島の雪も似たようにべたべたしていて暖かい雪だ。ベチャベチャ鬱陶しい。今年は暖冬だそうでキュンキュン鳴る若い雪には会えないかもしれぬ。

 天こ盛りの野菜は町中で農家を営むおばさんが持って来てくれたそうだ。長いも・・・こいつでお好み焼きさなー・・。ネギ・・寄せ鍋に湯豆腐。白菜に蕪に大根など山盛りある。我が家で食する2〜3月分の野菜ってな感じの量。貧乏につき有り難し。
 ネギをタップリ入れたうどんを食いたかったので嬉しいね・・。太くて美味そうなネギだ。早速作ってたべようーっと。

それぞれの野菜を新聞紙に包み保存する。藁に包んだ納豆もあるよ・・。

五十嵐さんの記事が載っている地元紙を実家に見に行った日に、「藁で大豆を包んだ昔ながらが懐かしいー・・納豆喰いたいナー・・」なんて話していたら早速煮た大豆を藁で包み昔の納豆・作ってれたそうで・・食べる。

 なんだか違うナー私が求めていた納豆とは・・糸は強力なんだが豆自身の味が違うんだなー・・苦労して作ってくれたのに・・おばさんには悪いが・。マジイものはまずいよ・・。
 スパーの納豆の豆味に慣れすぎた我が身なのかなー・・反省・・手作りの納豆・豆を適度に腐らせるための温度管理が難しいんだよなー・・。


花田先生への質問の回答も届いている・・先生の記録は今日中にアップしたいなー・・太ネギうどん 喰ってからにしよう。

7日から9日までの話は明日から思い出しながら詳しく書いことにする。メモだけ・・。

7日 槻橋修さんの結婚式の二次会パーティーにて大都会の空気と人に飲み込まれる。my次男の部屋に泊まる

8日 太田浩史さんの事務所で・・話を聞く・・勉強さしていただき、深夜からは南泰裕さんと田中浩也さんの家に行き朝まで呑み・・スライドショーなどして話。

9日 塚本由晴さんのミニハウスを雪の中で捜す。寒い・・。環八工事中で写真撮りにくし・・工事の仮囲いの塀に登り撮る・塀から滑り落ちる・・冷たい いたい。幸い雪の上へ・・なので汚れることはなかった。

10日 家に戻り寝る。風邪引いたか都市に酔ったか・・喉がおかしい・・午前中寝てる・・奇妙な夢ばかり見る・・。



12月6日 大島哲蔵さんの月命日につき便りを写して、WEBアップする
大島哲蔵さんが唯一my建築を批評・感想を書いてくれていた文章が出てきた。
BOX12の感想。

花田達朗教授が業界紙に書いた「重源の皺」のWEBアップの許可が下りる。ほぼ準備が整い来週はじめには建築あそびの記録を公開出来そう。



12月5日  夕方全天 鉛色の雲が広がる。寒さはゆるみ暖かい。

 五十嵐太郎さんが共同通信社を通して配信した見聞録が福島民報新聞に10月6日に掲載されていた。「偶然母親が見つけて保管してるよ」とmy妹が話しているので昨日の夕方 実家に行く。

私が生まれた家の在る所は福島県庁から東へ直線距離で10kmぐらいだろう。小学生自分には徒歩で福島市街まででかけた覚えがあるから歩けない距離ではない。でも阿武隈川や阿武隈山地が阻んでいて福島の街は東へ延びることなできず・・都市化とは無縁の辺鄙な地である。

 今でも小学校の分校がある。同級生は10人だった。姪のEは1人だったそうだ。福島駅から車で20〜30分。とても静かな集落で、土と水が綺麗なんだろうか・・その地で採れた野菜や果物は格別味がいい。今時分になると漬け物がうまい・・作り手が上手というよりは水よく、気温が低いので漬け物に合う土地なのだろう。

記事保管の話は半信半疑で出掛けたのだが・・本当に五十嵐さんの記事(見聞録)が民報新聞の文化欄に掲載されていた。暇に任せて文化欄まで眺めていた母親が息子の名前を発見したそうだ・・2月も連絡せず保管していた。そんな親子関係だ。ご両人に感謝 。もう一方の地元紙の民友新聞の記事も保管してあった。

民友の社会面トップに掲載された日は朝の6時から電話が鳴りだし・・遠縁の方々や母親の姉弟等と、次々に電話があったそうだ。私の電話は数回・・鳴っただけ。

親孝行をしようとも思わないし、した記憶がない・・で、五十嵐さんや地元記者の方々に親孝行を代行して頂いたような気分だ。ありがたい。2月前の話を・・今頃になって感謝しても遅いなー・・。



 実家には猫が2匹いた。一匹は優しくかったが年老いたオス。このオス野良娘にモテモテだそうだ。片方は街で拾ってきたのだそで、元気のいいツヤヤカナ・メス猫。当然発情し契りを結び出産とあいなったそうだ。

それを見ていた老人雄猫の愛人・野良娘がやって来て、生まれたての子猫をバリバリとかみ・・喰らったそうだ。・・頭をがぶりと喰っいちぎり、次々と・・

 死に絶えた子猫の死骸を母娘猫もバリバリ・・と喰い平らげっちゃつたそうだ。で実家には子猫がいないんだそうだ。猫が共食いするとは知らなかった。人間の感覚や感情を猫に当てはめても 無意味な事だが・・たくましいというか・・残酷と言えばいいのか・・生き物のそのような光景を眺めて人は鬼子母神を創造する切っ掛けを得たのかもしれない。


昨夜の映画「命」の中の母親・・子供の事が載った新聞記事を保管している母親・・葉書で「私も気持ちを立て直すのに必死の日々です」と6月に亡くなた大島さんの母さん・・。明日は大島哲蔵さんの月命日だ。



12月4日 全天を少しグレーがかった雲が覆っている.。放射現象が押さえられて暖かいように思う。11月に吹雪きがあったけど今年は暖冬とか・・寒がりなので暖冬は歓迎だ。

映画 命 を見る。監督:篠原哲雄・出演:江角マキコ・豊川悦司・・・原作:柳美里。柳さんの本は読んでいる方かもしれない。

 寺山修司の女性版みよう・・と予想して読み始めたが・・寺山とは異なり私性の追求に向かわず、他者との関係性、主に愛情の欠乏(外に向かって)の中で物語りが展開しているので予想は外る。
 寺山は一人っ子のうえ貧しかった。柳さんは・・確か三人姉弟でお金持ちの家庭で育ったとか。家庭環境も違うので当たり前だな。東由多加さんを介して二人は繋がっているので縁はあるだろう。東さんは天井桟敷の初演から関わり後に別れ東京キッド・・柳さんは東京キッドブラザースで育てられたそうだ。

家族解散とか崩壊とかいわれた時期に育った少女の心象をえがく代表的な作家。いかに家族を再構築するか実験中ということかな。家族が住む住宅を設計することが多いので、男とは異なる視点で家族を書いている彼女は興味ぶかい作家だ。

映画 命 の感想。原作をなぞり過ぎてい陳腐な作品になっていた。

妊娠して子供が生まれ、慈しみ育てる。年老いて死をむかえ嘆き悲しむ。長い時間のなかで繰り返してきた事だろうが。当たり前のことを当たり前に出来なくなった人・人は他者を慈しみ愛すことが困難なようだ。他者の愛情だけを希求するんだね。自己が愛されることだけ求めるなんて、かなり殺風景なんじゃないかい。




12月3日 雲は多いが晴れ  瓶類を集める日らしく収集車の音がした。

夜中に始めた建築あそびの記録訂正・・花田教授の校正済み原稿をPC画面と照らし会わせて修正していたら、通勤や通学の足音が響いていた
 PC上の表示画面と作り画面の文字の大きさのズレがチョイト有って、そのズレが意外に厄介なのだ。モノター表示がズレるので訂正箇所の見当が外れる。モニター上でここね・・・と思って作り画面に切り替えるとズレル。ここが訂正箇所かと見当をつけるんだが・・なかなか見つけにくい・・毎度のことである。・・でもなんとか一通り訂正した。数日チェックして週末上京し戻ったらWEBにUPしよう

建築家の故村野さんは50〜60歳にかけて設計依頼がなくて、毎日畑仕事を・・晴耕雨読で生きていたそうだ。生活費は家賃収入だったと思うが・・雨の日は資本論を読みふけっていたとか・・。
 長生きした方で60代から90代まで猛烈に建築を作っている。身近なところでいえば90歳ぐらいで設計した高輪プリンスホテルがある。商業建築も沢山設計しているようだ。大阪に住んで若い者を集めてアレコレ建築を語り聞かせる私塾を開いていたようである。現在渡辺豊和さんが春秋塾を開いているのもその影響だとうかがったことがある。

村野さんのような大建築家と比較するつもりはないけど、油の乗り切った50代の10年を全く仕事をせずに暮らすという状態は、建築家にどんな心理的影響を与えるのだろうか・・と時々想像してみることがある。

 生来の性悪が祟ってこの1年全く設計依頼がなかった・・あと9年仕事無しで生きていくなんて私には退屈過ぎるように思う。耕す畑もなければ貸す建築もないから喰うのにも苦労することだろう。
 これから10年生きる保証は何も無いんで、そうそう心配してもせんないことだ。日々生きているだけで充分だ。

10年待っても仕事の依頼があるかどうかは分からない・・当たり前だな・・唐における10年間を円仁が旅行記に残している。世界三大旅行記かな。僧が旅をする場合、飯はだだで喰わせもらった。僧と認められず金を取られたこともあったようだ。また誰でもに飯を与えるような場所があったとも書いてあるそうだ。

そんな話を聞いて思ったことがある。・・コレからの9年間は年に3度利用できる青春18切符を手に全国の建築を見て歩く。その中で体験記を書いてWEBで公開する・・・・・青春18切符は12月・3月・7月の各10日から40日程利用出来るように思ったが・・12月は東京〜関西周辺・・3月は四国から九州方面・・・7月は北東北から北海道の建築を見て体験記・・・・

建築が何処にあるかは雑誌で調べたり、HPで募集し・・各地方の建築家の方々から連絡していただけばいいなー。若い人で「俺の建築見てくれ」と思っている人は沢山いるだろうか?・・ら・・・建築あそびは忙しい状態でやるのがいい。暇なときはこちらが行動するのがいい。

人間が生きてゆくうえで、他人や地球に迷惑を掛けない生き方は晴耕雨読で自給自足の生活だろうな・・その他は大方が地球上ではゴミや害なんだろうなー・・今まで建築で生きてきたのだから、旅する生活の方が晴耕雨読よりはましだろう・・なんて甘いこと・・・

 師走ならぬ・・近頃師は12月は殺人的スケジュールなんておっしゃるから
 師殺・・の月であるそうだ・・




 12月2日 晴れ少々気温が緩んでいたが晴れた夜間放射冷却にて冷えだしている

花田達朗教授から先月の建築あそびの校正が郵送にて届く・・早速直さねばならない・・。花田教授ありがとうございました

渡辺豊和さん(教授と呼んだことがないなー・・反省)から若松のさざえ堂の話が入っている、新聞記事とスライド(my栄螺堂内部写真はデジカメと比べものにならずいいね)が書留にて届く。11月23日産経新聞 特集記事。丸々一頁です・・。
 「新・日本学講座−関西発
 (日本建築・闇の神秘ー鳳凰堂殻江戸城まで)・
項目
鳳凰堂世界唯一のフラクタル空間 
頼道のニヒリズムと自然観
投入堂 修験の闇
姫路城 血籠めの闇
江戸と栄螺堂 螺旋の神秘
鳳凰堂と栄螺堂の超現代性

 
歴史好きとオカルティスト渡辺豊和面目躍如・・新聞記事なので要領よくまとめてあります。myさざえ堂写真も掲載されていまして・・役に立ちました。ほっ

槻橋修さんから2年まえの建築あそびの写真を求められて捜す・・なかなか見つからない。PC内を捜していたが・・そうだ・・当時はHPとデジカメ無かったんだと気が付き・スライドを家捜し・・がない・・新酒にすっかり酔っていて写真無かったかナー・・PM10頃所在に気づきスキャン・・メールにて送る・・役に立つといいなー



12月1日 晴れ 

所用にて仙台のmy長女の所へドライブ。混雑をさけるため山道を走る。高速道路が寄り添うように うねうね山間を抜けて仙台市ないへ・・

寄せ鍋をして食べる。お気に入りの魚屋でネタを仕入れ一人600円でたらふく食えたよ・・。松島湾のカキと鱈と豚肉と野菜など・・最後はウドンでしめる。