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  2016年 03月の日記


   

 2月の日記 

 3月29日  数日あたたかったので 庭の杏・木蓮の木々花満開
いよいよ春が走り出したようである。大雪にもならずなんとか冬を過ごせホットしている。庭に雑草もはえだしたのですこし除草しなければならない

■近所の建築会社に関係者に集まってもらいワイワイ。俺はほぼファシリテーターに徹して聞き役。1月ほどかかり何が問題でどうすべきなのか分かった。理論は通らないしように思う関係者多い。理を通して話しても理解されないのでやや困る点もある。お金に関しては過敏に反応するのでいろいろ手はありそう。
 お金で動向するのは俺の役割ではないし出番では無いが・・少し手法を考えて伝えそれぞれの関係者に努力してもらい、その地点(基本点)に到達してもらうしかないだろう。頑張れふくしま!に似た言葉を掛けるしかないかな

■中村正義の美術館から案内が来ていた しばらく訪ねていないので、今年は機会があれば入館してみたいものだ


 3月25日 
■午前10時ごろぱらぱらと霰が横殴りに落ちてきた。霰をみたのはいつだったか

■今日の俺の動きは会社関係者の力を無駄なくつなぎ社力を守る術を生み出すためにいろいろ動くようや役割だった。縮めて言えば社守君とでも言えば分かるかもしれない。
 家守という言葉がこの数年時折耳に入るようになった。空き家や活用されない(お金を生み出さないという意味が強い)道路や公園などの公共空間を民間 npoなどが仲介し金を稼げる人を集め収益をつくりだし人と人や仕事と仕事を結びつけ今世紀に合った価値を作り出す者。そういうような意味だろう。

 会社や協力職種の方々の時間や労力・技術をそれぞれの重なりと情報の行き違いなどにより無駄があれば取り除くために原因を探りそれぞれに指示を出し無駄が生まれないようにする者。関係各位に話を聞き無駄と苛立ちをなくす、そのことの適切な手法を考え提示し実践する人=社守だ。
 社守では分からないだろうから前社長の名前を使い○○2号ですと言っていると関係者に受けた。

 社守をするためには建築現場に頻繁に足を踏み入れなければならいので数十年ぶりに新安全靴を履いてみた。大昔のそれは重くて蒸れて手入れしにくい代物だった。新安全靴は昔のものより軽薄な面構えだが軽いので老人になった俺には都合よい。
 シュッシュシュッシュと現場を歩く社守マン現る〜



 3月24日  
■庭の桜のつぼみが色づき来週の中頃には三分咲きになるのではないか。吹く風が冷たかったので開花は進まないのかも知れない

■近所の建築屋さんのお手伝いで夕方から現場を観る。省エネ基準の施行になってないので、どうするか相談する。設計図も不明確で現場の監督さんも現場を把握したり省エネ施工の知識がないようなので、指示の出しようが無い。2020年までにはすべての新築・建築が義務化される予定だが、今年からは2000平米の建築である。小さな建築の省エネ化にはまだ間があるので少しずつ工事業者の足並みをそろえ工事に取り組んでもらわなければならない。で、あれこれ指示。

■昨日、早稲田大学ジャーナリズム研究所hpに学生さんが作った「野球少年」を公開する

 プロ野球選手を志願する部の先輩にスマホで密着。スポーツ科学部3年の石川陽一さんが制作した(動画+写真+文章による)マルチメディアコンテンツ。学生ならではの記事。
 データが落ちてきて見えるまで時間が掛かるのが難点だと思う。NHKには記事と動画は内容は重なっているが完全なメディアミックスになっていて動画も記事も、ともに読み観ないと内容・意図が理解できないその例は無かったので新鮮。 

 3月21日  風冷たし

■福島駅8時初発の高速バスでmy長男と会津の県立博物館に行く。福島大学の阿部先生や愛媛大学の胡(えべす)先生などと合流する。
 ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会事務局高橋満さんよる展示物の解説を聞く。およそ1時間、遺物言葉による連携によってのみ記憶の保全がとてもよくできていて優れた311後の展示内容の先例となっていると思った。
 高橋さんによって丁寧に作り上げられた物語によって慎重に収集整理され招き入れられた遺物たちは多数の人々の声や思いや努力によってようやく存在意義を存分に放っていた。放射能汚染によって数年間まま放置せざるを得なかったことによるよい効果が現れた一例となる。
 たんなる津波被災地では311の翌日からあらゆる物はゴミとして自衛隊によって処分されていて、大きな建物などのみが遺構として保存の是非が語られている状況とは異なる。そのことによってさらに放射能災害の異なる側面にも光が当てられたように思えた。
 各専門家の存在意義が存分に発揮されてとてもよい展示であった。東京巡回展も開かれる予定とのこと、そこで多くの人々に観ていただきたいと思うのであった
 
 絵は富岡駅の改札口と柱用表札、写真 大きな電光板。 左下 天井から落下した状態をまま配置した照明器具

 3月20日  

■19,20日は郡山駅前のビルで第2回全国史料ネット研究交流集会が開かれたので参加した。参加動機は古建築レスキューと古文書や民具などとどのように連携し記録されている事例があることを知りたかったから。



松本大学の福嶋紀子博士による発表内容「神代断層地震と救援ネットの取り組み」によってヘリテージマネージャーたちの目を見張る活躍が報告された。
 さらに311いこうのじしんで大きな被害がでた長野県栄村現在について白水智(しろうずさとし)先生による「救出文化財の活用段階に入った栄村の保全活動
、語られた。 311後の被災地で建築家はどのような活動をすべきか時局ごとに変化していくのは当然としても、2つの発表はそれを見通せるかのような俺にとってはよい内容であった。



20日は斎藤先生による宮城史料ネットの活動にからめて南東北における発足の経緯などから現在の課題まで多様に語られていた。講演2本と18本の報告が行われ、それぞれ最後の熱くって濃い討議が行われた。最後にアピール文が読み上がられ満場一杯の拍手で採択された。

県紙にも大きく取り上げられ、そのことが報告されていた。とても充実し多様で現状を示し問題・課題や共有すべき態度など示されていて興味深い報告内容ばかりであった。



今年の年の瀬には道後温泉で第3回目の交流集会が行われるとのこと。坊ちゃんの湯も改修工事に入る予定だそうでその前に是非来て下さいと胡先生に誘われ、四国はほぼ縁が無い土地だったから是非行きたいと思うのであった。

 3月18日  ぽかぽか陽気になる

■庭の木蓮が開花しだす 
■家人おだやかにて平安、とても長い間我が家には無かった春の平安である 

■近所の建築会社のお手伝いをしている。数日役所などまわり調整し問題を整理し解決策を伝えていた。社長さんに食べ物系を沢山いただいているので貧しい我が家の食卓は豊になってきて、こちらも春のように平安になりつつあり。

 3月14日 曇りのち小雨から夜 

■win8のpcが突然win10に自動更新されてしまい呆然とし更新作業に付き合う。WIN8のままでいいんだけ!と更新せず使い込んでいた。しびれをきたしたマイクロソフトがpcを遠隔操作してくれたのね!・・で気分悪い。
 評判が悪いだろうwin8を8と7の中間でまとめて取っつきやすくしたwin10である。クラウドを使う気分にならない俺には10は手数が掛かりすぎる。操作性は7のままの方がよいのでタイル状のアイコンをばさばさと切り捨て画面を整えた。

■予定がキャンセルになったので手つかずで放置していた早稲田ジャーナリズム研究所のインデックス頁を少し手直しする。作りやすい頁が見やすい頁という姿勢で勝手に作り替えている。
 11日〜はじまった研究所の新hpは俺には理解しづらい。意図が分かりにくいのだ。

タイル状にならべているが各セルの色は変えてはいない。グレーで市松模様に変えてみるのもいいかもしれない。

■デヴィット・クレーバー著『デモクラシー・プロジェクト』を少し読み進める。アメリカの政治状況やメディア状況をアクチュアルに知っていないので、切実感は無いものに、著者の言いたいことは分かるように思えた。

■11日は仙台に出向き竹内泰先生のオープンゼミに参加した。ゼミ修了後竹内先生、大沼先生、安部さんと近くののんべい横町でワイワイする。みな権威主義者ではないので一方的な話につきず対話があり楽しく呑めるので嬉しい場で在った。
 久しぶりに外?み続きを体験したが年を重ねた身にはやや効き過ぎる。まあ楽しいからいいんだけど、これを連日続ける体力は無いとしみじみ思うのであった。
    

 3月11日  
■昨夜遅くmy長男が出張前に家人をみに来る。昨夜は東京大空襲の日で家人は胎児だったが、母親が逃げ惑う中で極度に不安になったり怖がるこころがつくられたのかもしれないな〜などいろいろ賑やかな夜となる
■宮城史料ネットニュース261号の被災歴史資料保全と市民 その役割とは・震災5年目に考える更新作業をする。

■早稲田大学ジャーナリズム研究所のHPの更新もする。内容は新しいサイトが今日から公開された、そのお知らせ
 

 3月10日  

■東北工業大学の高橋恒夫先生の最終講義が午前10時半から行われたので参加した。150名ほどかも知れないが歴史系の先生や気仙大工の方々、町づくり系の方々なの集い高橋先生の講義を聴くことになった。許可を得たので音録もしたのでいずれ記録を作っておこう。
 
 南東北における建築系と歴史系とまちづくり系の先生がたの関係性を理解できて望外だった
  
 気仙大工の藤原さんと名刺交換し2ショットする
   

 3月08日 今日も暖かかった 室温も床暖は稼働しているけれど22℃

■建築系の相談を受け始めて1月が経った。どうしてこうなってしまっているのか?考えてしまうことに数多く出会った気がしている。専門家としてできることを急がず支援していきよく建築界になるよう努めるのが俺の役割だろうと思う

■今日は川俣町山木屋地区に行って来た。美しい阿武隈山地の大地は無惨にも至るところ(丘の上、谷、田畑)廃棄物の仮置き場になっていた。
道路は廃棄物を仮置き場から中間貯蔵施設に運搬しなければいけなので曲がりくねったそれはまっすぐに付け直され、トンネルが掘られまっすぐにまっすぐに少しでも渋滞など起きないように配慮され改良されていると推測できるほど、改修工事が進んでいたのが印象的であった。

山紫水明であった我が大地は俺が生きている間元に戻ることはないだろう。村も町姿も一層人気の無いそれに変わり果てるしかないように思えた。(いったい俺たちは何をしているのだろう、していたのだろうか、何をしてしまったのだろうか?)
 

 田の表面は削りとられ山砂が敷き詰められてもはや農地ではなく単なる岩肌に変えられたように見えてしまう。それが痛々しい。

■my次男も試行錯誤しながら自分の人生をつくっていると連絡あり。音楽もこつこつ作っているとのこと(音アーカイブ) 明日を生きることに正しい答えなど誰も与えることができないので熱中できることを手に入れ、その時間を生き続けることができるように願っている。

 3月06日  春のような・・暖かくなったと思える気温になる

■4月から開かれる予定の福島大学におけるオープンゼミの一つに参加する予定。で1年間の教科書となるデヴィット・クレーバー著『デモクラシー・プロジェクト』を注文していたのだが、届いた。さらさら見る。
 民主主義が現状の問題を解決するためにうまく機能しないのはなぜかについて1年間勉強する予定だ。
 冷戦消滅によって21世紀になって一層明らかになった、金持ちのための金持ちによる巧妙な政治権力状況を何とかして住民が取り戻すためのデモや、金融グローバル資本主義がおこす弊害の一つである格差を解消するために各地で起きている住民運動を語るような内容かもしれない
 グローバル金融資本主義と政治権力がいとも簡単に結びつきグローバル企業のために政治制度も税制度も改正されつづける。日本もそうなっている。高度成長期は一億総中流と言われたがいつの間にか中流が消え去り、今でも中流の主権者を追いる一方。1%の富裕層と99%の貧民と称される状況になりつつある。そんな各国の政治状況をなんとして、みんなのための政治へと取り戻そうとする運動について語られているようだ

 4月からみんなで育てるこれからの民主主義の可能性についてワイワイできれば嬉しい
 
■数日、近所の建築関係社屋に行き混乱し進行する事柄についての対応と相談にのる。どうしちゃうとこのような事になるのか?と社会の不思議を思う。関わったからには争いごとにせず、相互の目的が達成されるようアドバイスし支援し続けるしかなさすだと思う。
 法治国家の日本において法を知らずに事を行うことmp危険に直面し、何とかし解決せねば・・・と思った、初めてだ。


  3月03日 

■午前は避難指示区域で新築に関するあれこれを調べたり役場に電話したりなどの対応。
■午後買い物などの用事対応
■10数年ぶり・・だろうかなあ〜思い出せず。家人が平安になり平凡なる非凡を味わう@ひな祭り。昨夜から準備を行い、お赤飯の作り方、ふかし時間をネットで調べるよう指示がでた。で調べる。45分ほどふかすととても美味しい赤飯おふかしなができる。甘酒やひなあられも注文され買いだした。 

■ 早稲田大学ジャーナリズム研究所の招聘研究員でもあるマーティン・ファクラーさん『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(双葉社)刊行

■グローバル金融資本主義、国家権力、民主主義はともに生きられないと言われ続けている。
で、政治権力と金融資本主義が強く結びつく日本の現状では民主主義がちょっとねーそういう感じです
 民主主義を守り育て続けるためには一人一人の行動が肝心

そんななか、「高市氏言及の停波は違憲」 憲法学者ら見解表明したそうだの記事をめにした。憲法学者の方々も昨年のいわゆる戦争法案をきっかけに行動しだしている。のはよい傾向か。悪すぎると行動しだすってことなのかもしれない。


 3月02日  昨日は3pほど積雪があった。日当たりのよい場所の雪は溶けたが日陰は残っている。今日は気温上昇し、三寒四温で寒〜温のたびに強い風が吹く。

■家人、明日はひな祭りなので、白酒、うぐいす餅、桜餅、ひなあられを買ってきてと注文あり。「お嫁に行かないからハマグリのスープは飲まない」という。
 去年は引き籠もっていたので、この時期そのような注文などなかった。今年は平凡な対話も沢山ではじめている。正常な暮らしは疲れなくって助かるものだ。

■昨日は3dCADをしこしこ練習。今日は川俣町へ出向き放射能で汚染した家屋の解体についてあれこれ相談する。
 国の直轄除染区域で避難指示解除準備区域内であろうが、除線解体するためには、中間貯蔵施設ができる見通しがないので仮り置き場を探して解体なのでいつになるのかさせ見通しがつかない。解体業者も汚染廃棄物の処分地がないので手を出さない状態が続いていると語っている人は多い。

 除線などに関しては環境省の計画ありきで進めようとした最初起動点での問題有りが相変わらず解決されていないので、だらだらと時間ばかりが過ぎて行く。被災民だけが疲弊するだけのようにも見える。幸いにして土地が沢山ある過疎な場所なので解決策は沢山あると考える。詳しい事は書けない。