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   2018年 01月の日記               

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 1月28日 昨日は雪を二度掃く。寒い日が続いている。

 311が過ぎ、ようやく落ち着て建築に関することをあれこれ考えてみようと思うようになった。それに際し、敗戦をまたいで占領下を過ごし、戦後最も活躍した丹下健三について復習するのがよいはず!と直感的に思った。311の大災害以上の危機を乗り越え戦後の日本の状況を手に入れた人々を再考し、次の一歩を踏み出すべきなのではないか。

 1913年生まれの丹下は敗戦時は32歳。1964年第一回東京オリンピック51歳。世界の建築的至宝である代々木第一体育館、第二体育館を明治神宮に対座させ完成させている。人間と建築と都市と国家を地続きにし象徴的な建築を人々に示し来るべき未来や生活の仕方、人間像や都市を提示し日本の建築界を引っ張る稀有な存在。多くの優れた弟子を育てた教育者でもある。

 代々木体育館を最初に見たのは中学3年の春の修学旅行で。高校を卒業して恵比寿で働いてい時分には何度もプールで泳いだり、常時開かれていたエントランスコートを散歩したりしていたので親しみがある。(現在は塀がつけられ常時入れない)

2015年開催。丹下健三没10年『今、何故、丹下なのか』を問うのシンポジューム動画


設計を担当された斎藤公男さんが体育館内部の隅々にまで入り込み紹介している動画も貴重である 30分に分割されていたが2本続けて観る



 1月25日 雪 昨日今日とても寒い、東京では昭和45年来の氷点下4度とのこと日本列島凍みついているかのよう。二度雪を掃く。

治療のため仙台へ。家を9時過ぎに出る。雪の中自転車を漕いでいたらTV局のクルーが福島駅前の自転車置き場まで追いかけてきたので、取材を受けた。放送されたかどうかは知らない。
 パウダースノーなので自転車に乗っても支障はなかった。アイスバーンになり、まだらに溶けると危ないので、明日以降は注意して自転車の乗るか、消えるまで乗らないか。

駅に着くと、各駅停車は30分以上遅れていた。新幹線は15分ほど遅れていた。各駅で立ち往生したら予約していた予定が消化できないので新幹線に乗る。

 仙台は数センチしか積もってなかったが路面は凍り付いて吹く風冷たかった。寒い中、用事を済ませmy長男の家に立ち寄る。一泊しようかと思ったが、寒すぎ家のことが心配だったので戻る。あたふたあたふたし続けた日だった。年に一度くらいこういう日もある。大雪が続いているので炬燵で丸くなっているのが安全だけども、予約を入れていたの仙台に行かざるをえなかった。

若い時分は大雪ふれふれで、スキー三昧だったが今は滑らない。スキーをしなくなってからというもの1月2月は好きになれない。老人になってもスキーはすべきなのかも。
■今朝は受験勉強し、模試を受けたら全然解けない夢だった。解けない問題はあれかもしれない。答えが無い事態だけど、すこし勉強しようて臨むことにしよう。


 1月23 昨夜から降り続いたべた雪30センチ超えかも、昼毎までは陽射しがあり雪を掃くのも楽だったが午後よこなぐりの雨となる。真冬にしては変な天候

■東北工業大学の福屋先生から京都の満田衛資さんの講演会が1月30日午後6時から2時間ほどあるとのお誘いをいただいたので、事務局に参加表明のメールをする。
 満田さんの自邸を訪ね聞き取りをしたのは去年の1月30日だったので丁度一年ぶりにお会いすることになる。1年前の聞き取り記録

■去年は京都と東京で計22人に会い聞き取り活動をすることができた。今年はどうなるか、まだ予定も立てていない。数か月かかるだろう通院もしているし、年度末になると花田先生の最終講義などもあるので、冬は家にこもって未整理の雑事をコツコツするつもり。暖かくなってから外に出向き聞き取り活動しようと今日も冬ごもり。

■スイス在住の建築家なのかも知れない クリスチャン・ケレツ講演会の動画を観る。環境を活かした暮らしをするための装置としての建築はミニマリズム、だがミニマリズム風建築を支える構造は複雑で野獣的。合理的な構造なのは不明だが想定としては新しい空間が提示されている。体験してみたくなる魅力を発している。講演日は2013年7月19日 
 










 アマゾンで中古本で8000円強

 『PrpjectJapan』の表紙




 1月22日  夕方から春先のようなべた雪。数時間で10センチほど積もる。関東圏の方が積もっているらしく、雪に不慣れな都会なので都内の主だった駅に入場規制が掛かったとの知らせが流れている。積雪21センチとか帰宅困難者が出そうな夜になる

■19日同様にhpの修理。2001年の記録に手を入れる。
     
  五十嵐太郎さん (新宗教と建築
  田中浩也さん 情報技術環境など)
  槻橋 修ん(リバース・ア−キテクチャ

レム・コールハースさん動画記録を見つけたので観る。(2012.5.17 に会見)

 1970年前後に日本におきたメタボリズムの建築について関係者を取材し刊行され『PrpjectJapan』を出版し招かれたもよう。元ジャーナリストであり取材姿勢が優れて掘り起こしもすばらしい。語りも簡潔で適格なので説得力もある。(時間のあるとき繰り返して観よう)日本人の女性スタッフの太田佳代子さんがサポートされていたようだ。
 丹下健三さんが弟子たちを招き自宅で議論している様子の写真も感銘をうけてしまう。磯崎新さん・黒川紀章さんなど優れた建築家を教育し世界的建築家に育った。
 高校2年生のとき福島市内の西澤書店で買った黒川紀章さんの『行動建築論』が生まれた背景を知ることが出来た気分。レムコールハースさんのおかげである。
仲間と集まって熱く建築などを語る場をつくらねばならないと、再度思い立つ。

 見田宗介さんの時代区分による1945年から1970年までの理想の時代を生きた男たちの熱気が伝わってくるような写真ではないか。理想時代が去り75年から95年までを虚構の時代、1995年から現在は不可能性の時代だと言う。311の原発事故を第二の敗戦と捉えて、ここから再び理想の時代を拓くのがよいのではないか。男たちよ熱くなれ!
 





 1月19日   真冬のはずだが例年より暖かい感じ

ようやく始める
 この数日2000年代に作ったmyHPの中の建築あそびに関する各頁を古い順に修理し続けている。修理を要する頁が幾枚になるのか考えず、まずは始めた。
 修理箇所は以前から気付いてたが気持ちが充実せず放置したままとなっていた。どんな不具合に手を入れるのか。WIN用ソフトで作った頁をアイフォンやアップル仕様のモニターで表示すると、文字が動いて重なり合う、ズレるなどだ。その不具合を一頁ずつ開き長め、手をいれだした。あんがい手間取りそうだがコツコツ作業しよう。

 2000年に作った記録は修理をほぼ終えた。
 渡辺豊和さん (初期住宅を語る 
 八重樫直人さん (自作を語る)
 山中新太郎さん  (山中新太郎の現在)
 植田実さん(95〜0までの住宅) 


 1月16日  寒さが緩む

■2月3日花田達朗先生よりHP更新の依頼あり。先生の最終講義に合わせ、全著作集(全7)の編集作業が順調に進でいるとのこと。3日に出る本は500頁あるそうだ。

■東北大の五十嵐先生よりメールあり。3月3、4日に仙台のメディアテークで行われ卒業設計日本一決定戦のことについて。返信する。2003年から開催されているがじっくり体験したことはない。そういう機会があるといいね。

 接近したのはこの時が唯一だと思う。2010年のその日にダメハウスと称される学生さんのシェアハウスにて、かつて日本一になった大室祐介さんから、日本一当時のあれこれを聞き、記録を残してたことを思い出した。
 2011年に311が起きてしまい、以前の記憶が飛んでしまっていたが、読み返してみたらとても面白かった。(大室さんに聞いた記録などへ

その時の ダメハウスで撮った集合写真も貼って置こう。前列右から二番目が大室さん 後ろの列で座っているのが俺様 懐かしい絵だがここに集いし若者たちは今何をして生きているのだろうか。元気で建築考えているかなー 分からない。
 


 1月15日  相変わらず放射冷却で冷える日が続いている,と昼頃に書いたが夜は雨

1年半ぶりに日記書き始めたけど手間取りすらすら書けない。常日頃から書こうとして続けないと書けないようだ。つまり頭中を整理せずに単に時間が経って年取るだけで、記録も記憶も残らないということか。せめて自分のために日記ぐらいは書き続けよう。何事も継続は地力つくなり、だ。

花田達朗先生の最終講義を拝聴するための段取りをする。
 ネットを介して電車や宿の手配は便利だけど、福島駅に行き旅行案内所で手続きをする方が体を動かすことになる。で、近頃はそうしている。

最終講義「公共圏、アンタゴニズム、そしてジャーナリズム」
日時: 2018年2月3日(土曜日)午後2時30分開場(午後3時より講義)
会場: 早稲田キャンパス 15号館02教室
      (アンタゴニズムとは敵対主義という意味だと知る)

 最終講義は誰でも聴講できるので参加してください(誰も読んでないだろうが書いておこう)。講義終了後、大学の近くでお祝い会が開かれる。参加者は制限され費用は5000円。祝う会も大勢の人が来ると好いのだが。

SNS中毒になる者が多いと聞いたりする。簡単な声かけ合いだったり、イベント情報を手に入れたり、メモ代わりにSNSを利用するのは便利なので使っている。でも、SNSが生活の大部分を占め日常生活をしコントロールすることは問題だ。SNS中毒と言われる状態は自覚して避けたい。貴重な人生の時間をSNSで使い果たすのは知的な動物である人間にとっては愚かな行為だ。長い文章を書く努力をしたり、生身の人間に会って、もめ合ったり、喜び合ったり、議論した合ったりする者が豊かな生を生きていると確信すている。
 SNSは政治的な道具であることに自覚的であるべきだ。資金力の有る組織が人を雇って賑わっている風に見せることはたやすく可能だ。例のいいねボタンをワンクリック数円払って数を増やすことができるってことを常識にしたり、子供に教えておくべきだ。

 新物の罠はどんな道具にも仕込まれている。消費欲をそそるために発明し作り続ける、商品に付いてくる罠、その罠にはまるのは常なので、商品に流されて暮らさず、意図してリアルな人間関係を沢山作り続け交流する態度が肝要。結果人生の成果など、うまく行かずとも自分らしい生き方が出来ていることになるのでそれでよいではないか。

 WEBはすべからく生身の人間関係を豊にするための道具と心得て扱うべし。そう思って十数年経ったが、2000年以降my人生における人間関係はそれ以前とはまるで違う様相になっていると実感しているので、こんなことを書いている















 失礼があるかもしれんが、酔っぱらったままアップした、FBでのつぶやき。ままコピペ

久しぶりに仙台の建築系の学生の方々が主催のする語り場に参加した。後五十嵐太郎先生と堀井よしひろ先生とで、仙台の街中で呑みました。午前2時ごろまで。
感想として、先生がたの学生時代の
オモロ語りは今日の参加学生には無意味な空気でした。さらに参加学生さんがたは、ここに参加したり、先生の語りを聞くとはと何がメリットなの?と問う。 それに対して堀井先生は脳内ホルモンで感じろ!と突き放している。場に、合うことはオモロ感じだが、一年生には伝わらない!この誤配はいいね!
さらにくわえれば、仙台の地域に、我こそは建築家なりの者もさんかしてない!のが笑える! 彼彼女たちは足下の後輩に愛は無いの?ただ自分がスポットライト浴びたいだけなのか!!?それならさびしいかぎり!
東北大学卒の先輩達は自分が、スポット浴びない場には参加しないの?と疑問が浮かぶよね、そんなほどに誰も居ない。いるのは昔からから顔見知りの阿部仁史さんの事務所の面々だけ、それしか見当たらない!
愛なき空虚のそれも、アクチュアルでいい!!(その寂しさを共有しませんか、そこからですよ!)みなさん。...
ま、分かったのて、時々仙台の、建築系ダベリバに来るからしらせろ!てめーら!俺をよへ!ガハハ



会場で気になった点

1)上座と下座の対面式

2)6人の先生方の話を順に聞かず、6グループに分け15分毎にテーマを決めてワイワイ後、各グループ学生の代表者を毎回変えて5分ずつ発表する。
 それを3度くりかえずことで参加学生の多くが話す機会を得るよう運営する。(ワールド・カフェ形式)

3)登壇の各先生方は日本の社会ではある種の勝者。
 なので、参加学生がそこを目指すとどうしても競い合い、争い合い、蹴落し合う社会となる。敵だらけの社会の延長。それをさらに伸ばす結果を産む場になっている。
 競争型で権威者をつくる社会をまた産みだしたいのか。参加型で生を共有し分かち合う合う社会にするのか。それらが混在している場を作っているのは、混乱を生み続ける機会になってしまうのではないか

4)先生方をのぞく大人たちは阿部仁史事務所の面々のみ、またはその事務売所を卒業した大人しか居ない。それは仙台の社会の中で共有されるべき場にする努力がどこか抜けているか、あるいは建築系の大人たちにはまるで余裕がないのか。
 それとも情報の発し方の問題で結果がそうなのか。不明であった。
 「市民なき日本」などと笑い合うだけで留まっていいのか)

 1月13日  のち曇り

 放射冷却現象によるとかで、昨日と今日の最低気温は午前7時ごろマイナス5度前後。日中も気温は4,5度と冷え込んでいて、庭に薄っすら積もった雪は溶けない。ザラザサと音をたてながら雪を掃く。
 北陸方面では大雪で電車や車が動けなくなったとのニュースも聞こえる。そんな中でも毎年恒例のセンター試験が明日までとか、もっとも冷える時間に宿を出る受験生はさぞ寒かろう

■仙台から戻り郵便受けを見ると投函した封書が戻ってきてた。人生初めてかもの出来事。切手を貼っていなかった、相手に届けられなくってよかった。食材を買いに行ったついでにポストした、それが切手を貼ってなかったとは(老化の一例か)。郵便配達員に手間を掛けさせてしまった。家にあった50円切手を二枚貼り再投函。

■11日の事を追記
 鼻周りの治療予約日で待合でFBを見ていたら第二回目のハウスレクチャーの告知が目がとまった。会場は東西線から徒歩7分ほどの卸町。午後7時開場とあ。福島に戻らず変更し参加してみたくなった。
 2003年から阿部仁史さんの建築事務所を一晩だけレクチャー会場に仕立て開催だったかな。2014年から休止していたとある。
 今夜は再会2回目とのこと。以前と異なり学生が主体で開催とのこと。「会の様子はどう変わったのか、顔触れはどのようになっているのか」

 夕食を早めに済ませ卸町に向かった。地下鉄を下りてキョロキョロ、暗闇で歩み出すべき方向が分からない。スマフォの地図情報を開いても心もとない、行き交う人に尋ねて歩き出した。途中、今日の講師である堀井義博さんに抜かれそうになり、声を掛ける。方向よし。
 
 語り場終了後、町中に出て五十嵐太郎先生、堀井義博先生と呑む。その時の様子をFBから日記に貼り替えておく

 開場で話し合われた内容はメモをとっていた。そのノートをmy長男の家に忘れて福島に戻ったので、いつか機会を見てあらましを書き残したい

 呑み会では「せんだいデザインリーグ2018」について多く語られた。リーグ戦が抱える問題点を改善すべく、二人の先生がたは決勝戦の翌日に、ファイナリストから漏れた学生さんたちから話を聞き出し、語り合うために「エスキース塾」を始めたそうだ。そこまでの経緯についての内容が印象深い

 堀井先生は特に「学生自らがリーグ戦組織にはまった人間になったかのような、役割分担を表示し名刺まで作って持ち歩き、配るのはけしからん」と言う。
 勝手に堀井先生の語りを翻訳してしまうと「学生を離れて自ら社会にとって役立つ機械になる・なりたがるのはけしからん、自由である学生身分の放棄であり、学生の持つ自由を殺す行為だろう」おおいなる誤訳で間違っているかも知れない。

 学生が社会に適合すべく機械に成る行為を進んで行うことが彼・彼女らの脳内ドーパミン出まくる事ならば、怒ることなのか?という疑問が湧く。
 学生がそういう行為に陥ったりドーパミン出しまくったりしちゃう、それは彼・彼女が生まれ育って来た教育現場や社会の方に向かってけしからんと言うべきなのではないか。または少しでも改善するために、学生が関わる社会に暮らす大人たちが環境改善に努力すべきなのではないか。
 で「エスキース塾」を開いているわけだ。デザインリーグを全て体験したことはないが「エスキース塾」の言葉に触れ、ドーパミン出た。
 

 1月11日 仙台市内  

 my長男の家でゆったり寝る。少し片づけをするも手が進まず、休憩ばかりしてた。本がたくさん有るので興味の向く本に出合うと読んでしまう。

 目についた一冊は、我が家の傍を走る飯坂線など、福島交通の様子を時代順に紹介してる『福島交通七十年の歩み』。
 50年ほど前の高校への通学時に見いて卒業後年に廃線てとなり、今は福島市内に飯坂線があるのみ。
 交差点で足止めされた懐かしのちんちん電車。全ての車両の設計図や写真で姿も、さらに路線図が載っていて貴重品だ。
 1977年発行4500円と当時としても高価本だったろう。社員にでも配布されてたものが古書店に出ていたのだろうか?有った。

■今日はPC持参で仙台のmy長男の家に来てみた。軽いPCを持参し出歩きホームページ内の日記や他の頁を快適に更新するための品々は何が要るのか要らないのか確かめようと思ったからだ。少し作業してみるとマウスは持ち歩いた方が便利だと分かる。小さいマウスでもいいだろう。他にWi-Fi機材老眼鏡と、アップ後の確認のために一台のスマフォでよさそう。
 同じHP作業に要る機材の重さ2001年ごろと比較すると格段に軽くなり容量も小さくなっている。 これにICレコーダがあれば、聞き取を持ち歩けばweb記録もいつでもどこでも作り出せる。

 1月10日 晴れたり曇ったり

 福島駅発pm5時半ごろの各駅停車に乗り仙台に。数年前に仙台市内の病院で手術した鼻周りが、年末に腫れあがってしまい入院した。たいした状況にならなかった。原因が分かっり数か月間通院し治療しなければならなくなった。ほどほどに治ったら、仙台市内の病院なので福島市内から遠路だから、紹介状を書いてもらい福島で治療する予定だ。

 通勤客で満席だと思って早めに乗ったが、車内は空席が目立ったまま仙台駅に着く。仙台駅周りは整備され続け都心の駅周辺と変わらぬ多量の商品と人ごみで、東北一人勝ち都市の様相をしめしつづけ、益々利便性は増し続けている。
 福島の我が家の傍にあるスーパーの食品と仙台駅に集まる品々を値段を比べると、後者は格段に高額。所得階層が低い者は低品質の食品買い求め商店はそれに対する姿が露わである。さらに高額な食品群が欲しい者は仙台の町中に在る高級デパー地下にある。新鮮で美味しい。噂によるとデパ地下で売れ残った食品は駅そばの市場で安売りされているとか、真偽のほどは不明だが、格差社会の現在なら、在り得そうな話だ

 地下鉄東西線に2駅乗るとmy長男の家。長男とだべり深夜に寝る。20年で格段に利便性が増している仙台市内。


 1月09 真冬なのに昨夜も 今日の夕方も小雨降る 

 1年半ほどサボってしまったweb日記を今月から再開しようと思い立つ。年老いた者にはSNSのTL表示は情報過多であると思うし、それらは日々蓄積される情報量を一覧する機能が好くないというか、俺には使い勝手が好くないと感じる。違和感の理由はスマフォとSNSの機能を熟知してないことで、使い方が下手だからだかも知れない。老人脳化し続けているので、理由をあげつらうのだろう。

 まずはコツコツ下準備をする。pcの使い方もネットの発信方法も分からず始めた2001年5月24日のweb初日記は今は公開していないが、再読してみたら面白い(自分の書いた記録だから面白いのかも) 過去のデータはデカくて重いPCの内に有る。
 これからは、PCを持ち歩き、書きたい時にどこででも日記を更新できるようにしたい。幸い数年前にmy長男に買ってもらった軽くて小さなPCが有る。それを持ち歩き更新するつもり。

 準備が要るので少しコツコツする。サーバーへ転送したり、データを整理したりHPの世話(更新)や書き込みにも手間が掛かる。(だからブログやSNSが更新作業の手軽さによって急に流行ってる) だが俺は年老いたので手間が掛かる方がいいと考える。老化防止だと言い張り、老人は面倒臭いことをあえて行うのがいい。例えば車を捨て不便さを選んで徒歩で目的地に行くとか、美味しいを食べ過ぎずに粗食の方を選んだりしたり、それらを意識して行わないと、利便性と美味しさに任せ流れ暮らすと、体内脂肪が増えつづるのだろう。老ける速度が増すように思う。(貧乏人の言い訳かも) さらに平凡な欲望を身に付けづ、他者承認が全く無い行為を積み重ねる(無駄を重ねる)。それは老若を問わず、人が夢中になれる活動を発見しコツコツ積み重ね続け死んでいける者にしか得られない幸いかもしれない。  ( データを転入する間 ぐたぐた書いている)


20年ぶり家族そろって集合写真を撮影することができた。コンビニで写真用紙に印刷 家人に渡す 一枚30円 (共に日記仕様に画像を加工している)

■講義録作成費用について請求書の提出依頼があったので書く