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   2020年02月の日記        

 2月28日 

 ■竹内泰先生の博士論文『京都のおける地蔵の配置に関する研究ー都市形成と聖祠の配置の関係に注目して』を頂きながら、東北工大卒制展の審査会を観て後、竹内先生とゼミ生とで呑む。お金は払ってないので、竹内先生のおごりとなった。労作完成のお祝いどころか、ご馳走になってしまう。
 高橋響さん「まちの編み方」と鈴木祐琴彩さん「ニートを社会から孤立させない」の二人にインタビューを申しこみ承諾を得る。1月以内には実施する予定だ。
 2018年度仙台デザインリーグを観戦し7人の方にインタビューして卒業制作の課題などを知り、大学を卒業する若い人にも興味が湧くようになったので、機会があれば制作者の肉声を記録しておきたくなるっている。工大卒制展2019の講評会の内容については、いろいろ感想はあるが、インタビュー記録の中に書き込んでいく予定だ。
   

 2月27日 

用事があり駅の売店に行ったが、普段りょり空いていた。コロナ感染症騒動の影響が福島駅にも出ているような気がした。
 政府は「3月2日から春休みまで全国の小中高まで全休」の指示したようだ。さてもたいへんだな。親も、子どもも学校も対応に奔走しそうだ。いきなり指示されても対応できない、まったくもって、満足な水際防止対応もできずに、水際対応しつつ、すこし感染者がでるまで、準備を整えなさいと指示すて 全休にすればいいのだが、いきなり来週から休みというなんと乱暴な政治家が多いことか
 フクシマ放射能さわぎ同様、正確な情報を与え、万が一患者になったらきちんと治療救済できるような各種対策と物理的な場や人を補填すればいいのだが。具体的な指示をださずに「休め」だけだろうな。学校は市町村の教育委員会が対応するんだろう。
 大都会での感染症への素早い対応は必要だ。また、そのことによって功を奏するよう祈る者だが。
 田舎にも適応させる、一網打尽に網掛けしても問題が多そうだ。まず経済活動が一気に滞るだろうし、家庭の人の心に不安を与えるばかりだろう。誰でもばい菌汚い危険と言い合いそうだ。そんな打撃を与えて解消するのが面倒そうだ、と思ったりする。
 感染症の無い地域の人人はあきれ顔して、この1月なにをして暮していくのだろうか。俺が心配することではないが、会社も休んで家族全員で、家族全員でサバイバルの練習すればいいけれど、本当に給料支給されなくなっては、サバイバルどこではないな。家族で虐め合い殺し合いに似た様相を呈してしまうのではないか。 それは、日ごろから働くだけで、みなさん休み家族と楽しく暮らす術ももっていないだろうと思うからだ。会社からの指示を与えられた、その事だけに対応して、お給料を頂戴している、単調な暮らしだからな。そういう労働歯車ににた人々は一月仕事しないで、休んでいろと言われたら、苦痛なのではないか。、それほどに労働中毒患者は多そうだ。

 さて、来月は楽しみだ。なんでも過剰になる人々に囲まれて、それらを観ていたい。まだ色々やる事あるので、それほど、退屈ではないので、関心したり観察しないかもしれない。


 2月26日  気温が下がりつつあり冷えるも夜薪ストーブ焚かず

■ 日増しに新型コロナウィルスによる風邪に関するニュースがSNS上にあふれている。豪華客船の患者の封じ込めに失敗したり、水際対策の失敗などで各地に広まっている。対応の甘さなどもあり政権支持が不支持へと逆転したとのこと。株かも下落している。民主主義をこわし続けても平気な現政権は、主権者によって変えられずもコロナで倒れるのかもしれない。それにしてもweb国会中継チラ見したけど、県選出の法務大臣の発言は法を無視したでたら対応がすぎる。法務大臣じゃなく法無視大臣だな。

 プロ野球のオープン戦は72全試合無観客で行うとのニュースもながれ、北海道では学校を一時休みにするような書き込みもめについた。来月中に沈静化するかどうかで大流行となってしまうのかここが踏ん張どころ、対策の見せ所。各種イベントの中止の報もひっきりなしだ。ますます中止の報が現れるようになった。
 いまのところ風邪対策しか手はないようだ。手洗いとうがいと、不要に人ごみに混じり込まないなど。普段通りの生活、そして免疫力を高めておくことぐらいしか俺には対策はなさそう。
■古文の勉強をしようと思い。ネットで中学生古文動画を見始める。小津久足さんの『陸奥日記』(180年前に書かれた)を俺訳してみたくなった。誤読は楽しいく、現代文にも意図的それもあることだなんだがあまり意味が違うとよくないだろう。こつこつ習うことにしよう。

■昨日のFB投稿 『陸奥日記』を読んでいる。残すは下巻となる。
土地勘があると紀行文は親しみがもちやすいものだ

小津久足さん、福島県小高鎌ケ原まで来た
つながれぬ心ひろ野にあそべるはわれにひとしき馬とこそみれ
江戸から2週間の徒歩。商人は、身分は低いが、小高の野馬と同じように移動の自由があり、それを自覚し満喫している久足(ひさたり)さんの一首。宿屋なくって、小高の子馬のように狼に喰われる自由もある、危険な旅でもある
馬の耳も風をやしりしおどろきぬ松かさおつる並松のかげ
天然の中を二本の足で旅する、その心ぼそさがよい。現代人は天然の中に生きる儚さや心ぼそさを排除してきたが、江戸人にはあり得ない他の危険性も抱えてしまっている

180年前小高で獲れた鮭は一匹150文とある。現在は福島原発放射能のめ木戸川あたりでも捕ってないだろう(川漁業についても知らない)
新田の伊勢屋 うつくしくかざつた今夜の宿はどうも遊郭をかねている。
江戸時代人口が少ない時代なのにそこかしこに遊郭在り、どの地方でも遊郭従事者の割合は高そうだ
現在は勿来あるかもしれないがたの浜通には無さそうだが
相馬中村藩は治安がよく障子だけにて雨戸はたてないとある。
精進して正月の3日間は白い餅を食べないと、ある。この藩のひとたちは他所にいってもそうするとある


■古関さんの演目時刻激変@福島駅東口広場
理由は分からぬが、黄昏どきの18時演奏開始の「長崎の鐘」がよかったが10時と14時30分の二回演奏。やりすぎ
1日一度演奏が好ましいと思う俺 (演奏してるって知らない市民多いのも、よかったね.何か、おかしなことを企ててる輩いるんだろうかな)
・ 間違いてる!@福島市政だより
さっきポストからとりだして、おー愛情ないな!古関さんの演目は30分毎に変わようになってただよ!いつからか知らないけど、変だらか、福島駅の人に聞いたら福島役所がは管理して変えたんでしらん!と言われたよ。古関さんにもサンチャイルド にだっても愛情ない、市役所関係者だろうが、古関さんの名の尻馬に乗り、まともに古関さん情報さえ各所とすり合わせてない。そのことがバレバレじゃん(笑

 2月24日  午前中すこし気温が低かったが 夜には薪ストーブなし

■高知紀行 02頁目を書きいている、今日は粗い書き込みをして たくさん削りをいれたりし、長い内容締めだした。締め出してから味付け情報を手に入れ加えていきたい。

■夜の肴と飯は家人のリクエストにて、鯛のフルーツマリネと海産パスタを作る。フルーツは先日和歌山県御坊市から送られてきた、柑橘類と、福島市の富士リンゴを合える。
 FB投稿より
手づくりフルーツ鯛マリネ(今夜の肴)
酢やオリーブ油などにて手前ドレッドシングが近頃好きになる。それに福島市のフジリンゴと和歌山県御坊市から届きました、金柑なとも入れ混ぜ、喰らう!地酒に酢の物は合い美味い!
 飯は烏賊ふのパスタ(写真とり忘れ) 今夜の腑は大きくってウニ味!濃厚でクリーミー満載!(烏賊の腑の当たり外れを愉しむのが好き
 金柑の皮は甘酸っぱいて、すこしだけ苦くてよい、皮が独特の苦み、それは二度目の初恋の別離味なんだけど、金柑を入れた。二度目の初恋には種が多いのは愛嬌

羽田空港の事 東京都心上空を飛行機が飛び着陸するようなことに成っているのだと言う 記事へ























 2月20日  穏やかな日ざしあり 

■ 高知紀行を公開したが、ネットを見ると、資料用の絵が文が離れすぎるので、直す作業をしぶくする。アップル・スマフォで見ると、字と絵が甚だしくズレる。原因は分からないけれど、ズレない方法だけは今回訂正して知った。次回からは文章の資料を、絵をこまめにつけるよう心掛けてweb頁を作ってみたい。

■ 小津久足著『陸奥日記』、1840年3月から1ヶ月ほどの旅日記。深川から銚子をへ霞ケ浦を渡り、筑波山に登り下る。そのところまで読む。

 古語なので正確には理解できていないのだが、まずは分らぬなりに一通り読んで味わってみようと、昨日から読み出す。現在の電車の旅と比べてみると、面白い違いに気付くこと多い。社寺仏閣をめぐり、訪ねた風景を愛で、宿の人と交流する徒歩の旅。
 180年前の陸奥の旅での交通手段は馬籠、川船と徒歩なので、旅日記だけれど、現在の旅日記とは、記されている内容がまるで違う。
 例えば強い風がでて船が運行されない。これは新幹線や在来線は台風なみの風以外には止まらない。が川船は少しの風が出ても止まってしまう、波がかぶり船に水が入ると、沈没する危険であるからだろう。徒歩の旅の好さも分る。桜や菜の花の臭いに包まれたり、蛙の啼く音に包まれたりする。新幹線では道々の植物の花をめで臭いや野鳥のさえずりなどに包まれたりすることはない。ただただ目的地に短時間で到着することだで突っ走る、外が大風なのか音も聞こえない。だから接する人も駅員や売店の売り子ぐらいで、どちにしても、こちらから声を掛けないかぎり挨拶などもしれくれない。もちろん同様に地元の一般の人と会話の一つも交わされることはなく、旅が済んでしまうこともある。江戸の旅と比べると現在の目的地へと単に早く移動することで、捨ててしまっている「何か」が分かる。
 現在の生活の仕方と異なることで、日本人が失った価値や行為、それに手に入れた仕合せなる事を浮かび上がらせることが、古の旅日記を読むことの楽しみの一つだろう。

 旅日記を書くことは旅程で感じた思いを記すことにもなるが、時を経て再読すると、人との関係や暮らしぶりの変化が浮かび変化を理解できたりして、人生を深く味わうことが可能なような気がする。暮らしの心得では、清福おおき者と富おおき者は共に手に入れる者は少なきは、世の常と書いてもある。21世紀に入り20年間、現在に社会の動向は、銭をたくさんもつ者が言いたい放題、やりたい放題の社会になっていて、あまりにも清福の者を自覚し心穏やかに暮らす者が少なく、下品な世として照らし出されたりして、おもしろい。宿の劣悪さ例えば布団汚いことはほとんどない現在だから、江戸の悪しき点も分かる。

 web検索してみると男山、女山のある筑波山の奇妙な風習が目に付いた。農閑期の行事、大規模な歌垣が行われたとある。 近隣から男女が集まって歌を交わし、舞おどり、楽しむのはよしとしても、豊穣の喜びを祝い、性交を楽しんだとある。(証拠の古文書はないので嘘かもしれない)五穀豊穣が性行為行動と直接結びつき、実践されていたとは知らなかった。
 36歳の壮年久足さんの足でも、筑波山に登る様子はやや辛そうだ、68歳になった現在の俺には登山はむりかもしれないが、筑波山に登ってみたくなる。






 2月18日  のち夕方小雪がきて冷えだす

■一日こつこつ書いたり、訂正したりし、ようやく高知紀行、最初の1web頁を公開した。素人仕事だが、書いている、出来上がって読むと予想外に面白い。(左の絵は紀行文につけた資料の一部だ)

 こんな感じの要点は書きたいとは思っているのだが、全体がどんな展開になって最後にまとまるのか?今は想像するのも難しい。すこしずつ書きつづけて、たっぷり、おもしろい紀行文を手に入れたいと思っている。だが、誤字脱字がおおいので、そちらの方に気が撮とられることが多い。だが訂正もこつこつして、仕上げていこう。
 今年中の完成をめざし書き始めたので、時間もたっぷりある。毎月1頁は仕上げたいのと思っている。まずは今月2週間ほどで、最初の頁を公開したことは、予想外に早かったと思う。

 小津久足さんの『陸奥日記』を1年ぶりに開いて、紀行文の解説をふたたび読んでみた。「自分なりの現代語翻訳を書きまとめてみたい」などと、身分不相応のことも思いついてしまう、紀行文の思わぬ展開に驚いてしまう。きっちり書くととんでもない発見がありそうな気がするので、やる気満々だ(笑)

■コロナウィルスによる風邪症状の影響で来月5日に開かれる予定だった中国の全人代が異例の延期になった、とのニュースが流れている。中国のり患者は7万人を超えて広がり続けているともいう。日本でも全国各地で患者が現れている。とどめようがないのだろう。外出したら丹念な手洗いや、まめにうがいをすること、そして体力を落とさないようにゆっくり休眠すること。むやみに不安にならないことが肝腎の暮らし方のようだ。

 2月17日  すこし気温が下がったので薪ストーブを燃す.日付が変わるごろ小雨ふりだす

 高知紀行をすこし書く。1頁目に覚えておきたいデータや表を加えたり、絵を付けたりする。よそう以上に紀行を記すのは楽しくって、奥が深いと思う。
 
 my長男などが2018年3月に刊行した『小津久足 陸奥日記』を手に取ってみてみた。
 小津久足(ひさたり)
さんは江戸時代後期に伊勢・松坂を拠点とした海産物を扱った豪商・湯浅屋与右衛門家の主人だそうだ。小津安二郎さんの祖先筋の人でもあるとのこと。
 高橋陽一先生によると「12万字におよぶ明快で細やかな記述で、東北の実情を書きつくし、江戸時代の旅行史の金字塔であるのみならず、江戸時代の東北地域史、さらには江戸時代人の精神史を探る上でのバイブルと言えるだろう」とある。

 東北文化資料叢書第11集なので、多くの人には手に入らないので、いつか一般の旅行文学愛好者の届くように、書籍化なることを願う。出来たら古文に現代語の註が細かくついていると理解が深まるかもしれない。(原本は慶応大学にある) 古文辞書を片手にすこしずつ読み進めよう。

 2月15日  4月初旬のあたたかさとなる。薪ストーブは燃さず

■国権を呑む
 18年ぶりかも、俺には辛口。都会では以前から有名な酒蔵の産酒。新潟にくだり阿賀野川となる、阿賀川沿いの南会津田島には三軒の酒蔵がある。近頃は米は県さん酒造好適米の「夢の香」だと思う。それぞれ味は異なり離れてないので会津酒造、開当男山、国権を訪ね、呑み比べる旅もよい。
ラベルも変わりエンブレムに蛇目だ!よほど自信満々なのだろう。

OFFICIAL BOOK制作陣が勝手に選ぶ 「せんだいデザインリーグ」歴代日本一の中の日本一 大室さんがえらばれたとか。
10年経ったか。2010年3月(大震災1年前だった)大室さんに卒業設計日本一の作品などについて語っていただいた。その記録を思い出した。   http://www5c.biglobe.ne.jp/…/2…/sen/02yusuke/01/oomuro01.htm

■新型ウィルスによる風邪の患者が日本国内のあちこちに現れだす。死者も一人でて、拡散する気配。子供は罹りにくいようだが、糖尿病などを持つ者や高齢者が亡くなる、免疫力が衰える人が重篤になりやすいとのこと。 
 20秒の手洗いや、アルコール消毒が効果があるとか。マスクは他者にうつさないためには効果があるが防護にはなりにくいと言う。大勢の人が集まる場所へ行かず、不要な外室は避けるべきとのこと。
 拡散状況は加速するのか、多数の人が患うのかなど、これから数か月様子をみないと分からないようだ。現在の様子だと国内では広範囲に広まっているような気がする。重篤にならぬよう、お互い配慮し合うしかない。

■家人から刺身のリクエストがあり、近所のスーパーになく駅中の魚屋に行く。鮪もタコも高値になったなーと思う。俺が今世紀に入って単に貧しくなっただけなんだと、再確認。ま、貧しくとも楽しく暮らす方法を探ってみよう。


 2月14日  暖冬だ、2月なのに

■高知紀行をまとめるために、こつこつ作業する。寝台車に乗る前に、高田馬場で花田先生と合い昼ビールし、7週間ドイツに旅行の感想をきいた。主にドイツの右傾化などから始め、多岐に渡り楽しいこととなった。その内容をすこし書いた。辺りを書いた。今日はそのことで終わり
 
■ 昨日は早朝から、3年ごとに課せられている一級建築士の定期講習を受けた。早口TV講義のあと、1時間で40問〇×式の考査があった。白内障が進行しているので、回答用紙の印刷物が小さいうえに、薄い赤で印刷されているので、見にくいったらない。問題は黒字印刷なので読める。問題は老眼鏡なしでは読めない。定期講習は4度目で12年経った事に成るが、その間老化を視力の衰えで知る。
 大きな回答用紙にしてほしいと依頼してみようか、などと帰りの新幹線で思う。

 耐震偽装・アネハ事件を切っ掛けに、法制度が便乗的につくられて、建築士に対する罰則強化が図られた。講義会場は仙台会場より断然環境が悪い、郡山会場。受講者は30人ぐらい。女性は50過ぎだろう一人。80%は白髪をたたえた老人だった。作業服を着ている人が多数だったから、施工関係の人たちが多いのだろう。建築士もやがて10数年すれば、人手不足になっていくだろう。 
 行く道の吾妻小富士は曇天の中にあった、 雪ウサギは表れてないし、高湯スキー場の刻印も見えないので、例年通り山々は、寒い。 

■大型トラックを運転しているmy次男も2日間講習とかであった。

 2月12日 

 夜7時37分ごろやや強い地震あり。重機が庭に入ってきたのかという、ごーっという音と揺れが続き、ぐらぐらしだす。北海道でも同時刻に地震ありて、北アメリカプレートが同時に動いている感じだ。フォッサマグナが動き出す前兆なんだろうか、とふと思う。大地動乱の時代は始まったばかりである。
■ あす一級建築士の定期講習を受講するので、あれこれ準備、写真を撮ったら酷く老人になるを自覚する。
■先生が、興味があるということなので、仙台高専の坂口太陽先生に、『雑口罵乱F』を二冊をユーパックのような物で発送する。
■:高知紀行のため、こつこつ資料整理をする。

 2月10日 

 花田達朗先生よりHPの新頁の依頼があり、こつこつ作る。題は「小林宏一さんのこと」。内容は最終講義から2年が経ち、その間何をしてのかの報告と、昨年末なくなられた、小林宏一さんとの交流についてである。
 〆には「・・談話を楽しんだ日々が目に浮かぶ。「思い出すこと」(Erinnerung)とは生きることの重要な一部であり、現在の人生の構成要素にほかならない。」とあり、花田先生の新境地のようにおもった。
 ついでにリクエストをだす。内容を朗読して音源を送ってほしい。そして河原宏さんのことを書いて欲しいとの2点。世界の人に向けて講義をするようなイメージで読んで欲しいと思う。

 近頃、白内障がすこし進んでいて、体調が悪いと、右目が霞んで両目を開いても見えにくい。どりらの眼も視力に差が無く、バランスよく見えることが快適さにおいては肝心なのだと思うようになる。
 特に照明が暗い場所ではほとんど見にくくって、嫌だ、そういう会場に入りたくない、そういう思いに襲われる。
 でネットを観る人から、ネットで聞く人に変わりつつある。YouTubeには多数の落語も講演録がもあり、探し出して何度も聞くようになった。講演者の息遣いや性格そして、話芸まで楽しめる。
 音で聞くことの方が、人間の文字より先にあった本来な行為だと思う。文字を書くこともするが、朗読や話芸をも勉強しよう、そんな気分に襲われている。
 茂木健一郎さんと島田雅彦さんの2時間ほどの「脳と文学」と題するワイワイ音を聞いていると、聞く良さも捨てたもんじゃないと思う。YouTubeでmy日記や記録もつくり公開するのも楽しいかも。だが動画は手間がかかるんだけど、FBでままアップという手もあり、あれこれ方々へと思案してしまうな・・・。


 2月08日 
 人はうろちちょろするのが人なので、うろちょろしに仙台高専の卒業展を観に行く。やはり、うろちょろも楽しかった。■以下はFB投稿にしたものだがメモ代わりに貼っておく。

■坂口先生引きいる仙台高専卒業制作発表会
 興味深い場でありました。(坂口先生お世話になりました!)
楽天牧歌風からシニカルでニヒルな態度の作品まで揃つていて、バランスがよい。
 いずれにしても一人一人、忘れなければ一生付き合うはずのテーマが並んでいて、それぞれの学生の立つ位置が照らし出されるので、卒業制作発表会は機能していた。
学生の使い分ける態度は大人のそれを、なぞっているので、大人より大人であった。(まだ20歳なのに驚くべきこと)

ドレスコード決まってるのか?受け付けでたずねたら、「決めてない」とのこと、モギケンヘアーの若者が居るのかと見てたが、ジェリーたちの方がラフないいでたち。
311震災後、東京大学、東京理科大、東京芸大、県立滋賀大学、東北大、東北工大、京大、福大、仙台高専、それぞれの学生さんと交流、ワイワイした。若者たちはそれぞれの領域にくらす大人を映すスクリーンなんだね。
学生苦手感、ようやく消えた始めたたも
アーキテクチャーと言う概念は、芸術、建築、都市、社会を観るためのものなので、それらを作るアーキテクトを育てる場は、自由奔放で現在の社会の法律や倫理に拘束されてはならない。そう言う思いも湧き立った、鑑賞会だった
(坂口先生より)佐藤さん 来場有難うございました。「卒業設計発表会が機能する。」良いフレーズだと思いました。宿題にします。U20の建築最強のユースチームになればと試行錯誤と妄想の連続ですが。。。今後とも鋭い眼差しで宜しくお願い致します。


★ 返信)初高専生との交流でした。毎年度、ご苦労様です。制作数も40と手ごろでしたし、内容のバラ付きと配列もまあまあで興味深い会でした。(現在を批評する、荒馬てき作品が少ないのは、学生の社会空気を読む力のが強いからでしょうかね)
発表会場は視力が衰えて来た私には暗過ぎで、長時間メモしてる場には適していなくって、少ししか拝聴しておりませんでした。(後部の壁は立てずの、ほうが出入りも楽で、良い)
 高専を卒業することが始まりなのか、建築からおさらばする会として、近頃流行りの学ぶことのから去り、金儲けを始める、そのゴングが鳴らされる場なのか、判断は出来ませんでした。(私が大学は学ぶ場だと勘違いしてるからなのかもしれません)
いずれにしても、それぞれの、学生にとって、ショー化していず、卒業設計発表会が機能している様子を実感いたしました。
批評家である大人たちはもっと現在の歴史的価値と意味を勉強すべきだとも思いました
 とにかく坂口先生一人で、u20建築最強ユースチームを目指す!その心意気に敬意を表します!楽しみです




★国立仙台高専 卒業制作発表を観ている
偶然隣に座った、『F1』佐々木さん、『減解ノ終退整』平河内さんの説明を聞くことがてきた。
 これから終盤、平河内さんよりはじまる。土地は福島市飯野地区だ。説明力の差はあれ、結局は選びだす審査員の知性と認識が照らし出される
説明は原稿をあらかじめ書いておいた内容を読む形式。
坂口先生の突っ込みはいるも、押し返せるか。力の見せ所です。建築を作ることの否定なので、先生方はさぞ押し返せるか、言い方が困るだろう。応答。指導者と若者とのギャップ浮きでてよい。(意欲を誘導できない教育システム)

原子炉を残して、311津波とその後の原発事後を体験させる記念館。高専で5年間学んだ集大成だと説明。
物語の練りこみ手薄にて、つけ込まれるのが印象的。共に考える練り込む場ではないのかも

 原子炉を残して、311津波とその後の原発事後を体験させる記念館。高専で5年間学んだ集大成だと説明。
物語の練りこみ手薄にて、つけ込まれるのが印象的。共に考える練り込む場ではないのかも




 2月07日  

■東京圏から福島市に引っ越してきて40年経つ、今月の20日で。まずは家人と前祝にをすることにした。養殖鮪の刺身で乾杯。養殖鮪というが高価で日頃は手が出ないんだが、奮発する。

■ 近所の産直農協販売所に行き、リンゴを30個ほど買ってくる。贈答用のリンゴはすでになく、傷や小ぶりの品が多いし、軟らかくなってきている。だが植物繊維を採るのはとてもよい品だ。3月末ぐらいまでリンゴがあるといいのだが、初旬までかな。
■my長男にたのまれて、戸籍をとる。俺は伊達郡小国村で生まれたことになっていた。福島市に吸収合併される前だったとは、合併話は調べてもみなかった。気の向いた時にでも、こつこつ調べてみたくなる。
 戸籍の様式も電子化されていて、プリントアウトした品が以前の戸籍様式と違っていて、驚く。ほとんど戸籍なんて縁なく暮らしているので、新鮮な驚きを体験して頼まれてよかった。

■東北工業大学の竹内康先生、博士論文ようやく完成したとのこと、早く読みたい!(たぶん超大作)


 2月06日 

 5センチほどの積雪あり、この冬はじめて雪を掃く。最近寒いのでじじこまってたり、炬燵で本を読みふけったり、PCで作業ばかりしているのだ、体全体が凝り固まってしまい、頭痛が来るようになったので、1日3回ラジオ体操をするようにした。朝起きて一回、日中背中が張りだしたら、1回、夜寝る前に1回。
 ラジオ体操を実施したら、凝りが取れていて頭痛に襲われなくなってよい。家人も見計らってラジオ体操をしている、その上、足踏みも欠かさず続けているので、顔色が好くなり、足取りもしっかりしてきている。
 人間も動物だから、脳だけ使っていては体の具合が悪くなるようだ、脳を使って体全体を動かすのが、体調を保持するには欠かせないようだ。 体調がよくなると忘れてしまうので、老化も進んできたので、ラジオ体操をする日常を手に入れてたい。

■一級建築士の定期講習会を申し込んでおいたら、受験票が来た。12000円と振込料300円ほどかかった。アネハ事件を切っ掛けに受講制度がつくられてしまい、建築士の自立した倫理は消えてしまい、制度罰だけが残った。

 2月05日  時々小雪ふり、今年初めてかもの薄っすら積雪あり

■高知紀行を書き始めた。まだ文字とデータと資料整理しているところだ。1ヶ月ぐらい掛けて書き上げたいと思うが、締め切りがあるわけではないので、急ぐわけでもない。今後の小説など書く時の資料作りと思ってはじめてみる。
 あれこれ思い出しては面白がっている。旅に出たら、できるだけ資料は集め、きちんと袋・フォルダに日付を書き入れ、入れ保管しておけば、後々使い易い。
 次回、旅に出る時は心して資料を集めておこう。旅先のその日の地方新聞は買って保存しておくのが、後々効くように思う。歴史の今の社会の中に生きているのだから、照らし合わせみると、たくさん発想は得やすい。照らし合わせて自分の行動を想うのも面白いのだから。



 2月04日  数日小春日和がつづいている

■中国で拡大するコロナウィルスによる肺炎患者数は 中国以外の27の国に広まりっている。初動対応の遅れを中国政府は認め謝罪会見したとのニュースが昨日流れていた。予想では患者は7万人台になるとのこと、まだ1万数千人なので、今後数か月はこの話題が止まないであろう。日本政府は入国規制をしているようだが、果たしてどうなるか。

■花田先生の最終講義から2年がたった。講義録を読み返した。国内のマスコミ状況はさらに悪化し、安倍政権のやりたい放題を止められないどころか、進んで雇用聞きになっているらしい。新聞購読しなくなって久しいが、近頃のマスコミ事情は分からない。

■昨年の12月2日から高知市に出かけたので、その時の記録として、紀行文を書いておこうとおもい、数日資料調べしていた。今日から少しずつ書きだした。なるべく長く書いてみようと思い、始めたことだ。
 どれだけ長く書けるのか試してみようとコツコツ書きだした。これは書いておきたいことが何点かあるので、仕舞方は決めていない。