佐藤敏宏  HOME  05月日記へ     2020年06月の日記       

 6月28日  すこし陽射しが強かったが夕刻爽やかであった

■古建築保存の話合いの文字おしをしつつ、動画で日記を自撮りしてみたり、物干し用の庭に種をまいたり、しておえる
■今日の自撮り日記

■ 27日の自撮り日記








 6月26日  梅雨空のもとときどき霧雨あり 肌寒い日

昨日から文字お越しをしている、途中サポート事業申請したくないと連絡がはいり、少し混乱する。多くの人が関わりだすと、理解し合うのも難しい、しやろうとすることを共有することが難しい。こつこつ対応しているが、なにしろ現地に住んでいないので、電話越しでは誤解が多くなる。

■古建築保存活動支援をしているが福島県のサポート事業の申請をしようか、したいのか、所有者と数日やるとりをしているが、疑問点を県庁に行き聞き取る。提出するのかどうかも含めて急ぎすぎて対応が間に合うかどうか分からない、ができることは対応してみよう。知らない者の強みということか

■一人で居るので声を出さない日が多い。声を出さないと喉の周りの筋力が衰える。そうして誤飲性肺炎になって死ぬ老人が多いそうで、今から喉を鍛えておこうとおもう、さてどうすればいいのか・・・そうそうFB、毎日スマフォに話しかけて、自撮りフェースブックに10分投稿すれば、声を出す機会になりよさそうだ。そう思い自撮り動画を始めてしまったら、自分がおもっていたより、色々効果絶大だと感じた

そうだ、日記も自撮りでやってみようと、今日初めて日記動画を後取してみた。県庁に行ったついでに、阿武隈川や県庁舎を背景に自転しながら撮ってみた。7分ちょいの動画だが、フェースブックにもYouTubeにもアップした。Wi-Fiの能力が劣るのでYouTubeにアップは時間がかかる。

■10分ほどの、FBへの動画投稿は エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』を読む01
環境管理型社会が構築されつつあり、それが完成する前に読んでおこう(FB使用者はここから見ることができる

2本目は20分ほどの動画 西江雅之著『食べる』を読む03ニワトリの話の章 (FB使用者はここから見ることが出来る


■初日 誰も見ていないのが気持ちいい…今日から始める感じがいい







 6月24日  時々雨あり

■電車の乗り現地へいく、よる9時前に福島駅に着いたが、サラリーマンや学生が主に乗車率は座席7割ほどかなーと思った。ほどほど人は出ている

■古建築保存支援活動をしているが、今日は所有者と、相続権者と地域の支援者に、現地に集まっていただき、保存の意志を確認し、今後の活動の展開をどうするのか話し合う。2時間ほど話合った。その内容は文字にする予定。
■駅そばのイタリア屋でビールを二杯のんでマルゲリータを食べる。男性客が3人いて、女性客は1人合計五人だった。座席数4割かも。ずーっと開業していて、事業継続支援金も受けったと経営者は語っていた。







 6月23日  今にも雨が落ちそうな梅雨空、雨は降らずに過ごした

 ■県中に在る古建築保存のため、古建築所有者と初めて会う。90歳の方だけど打てば響く、情報が整理されているので、そく応じ行動していただける,方だと分かる。
 保存への道はたくさんあるので、さほど心配はないのだが、誰も体験したことがない仕事なので成功例を示してなぞることはできな。成功例をなぞり、確認しながら生きて来た人にとっては不安かもしれない。不安が高じて仲間あれしないように、部外者の私は、意見をいいながら、全体のマネージメンとをする役割だと思う。
 
ちょっと時間があったので、古戦場を観て動画を撮ってみた。途中電話が入り、切れてしまったのが残念だ。 再度作り直そうと思う。外で自撮り動画を撮るのは難しいが、なんでも一人で笑われながらしていこう。
■FB投稿
本宮の戦場に来た 途中で連絡が入り中断。二本の動画に分かれてしまった。
「栗の花は人の精子の匂いがするるんだど」通りすがりの老女か教えくれた。血の匂いに近そうだ。ここは152年まえの7月27と28日、戊辰戦争本宮の戦場である
三春藩が西軍に寝返り、河野広中は板垣退助と手を組んで二本松藩を攻めたてた場。#敏動画 #歴史話 #古建築支援




 6月22日 梅雨寒 

 夏草がぼうぼうになりだしたので、家の周りの草むしりを始める。雑草はたくましいような陽射し気温が上がると水の上昇とともに伸びる伸びる。人は陽が射しても伸びたり知識は増えないのは何故かなど思う暇も無く、雑用のため町の銀行にでかけたりした、銀行の行列は距離を保ち、スーパーも同様で、そんなことしなくてもいいのだが、近づくと白眼視されてしまうので、日本は自己規制で監理する怖いサイトだと思う。coco何やらで感染者が近づくとスマフォが教える、環境管理型に個人情報を差し出して、さらに自分の行動歴に関し提供し、管理してもらうことと交換に自分のデーターを進んで差し出す人が多くなるのだろう。そのような事をせずともすでに位置情報は監視されているので・・・これ以上はいいと俺は思う。利便安全と監視される不自由を調整出来る者が何人ぐらいいるのか解らない。

 そろそろスマフォは必要な時間だけ付けてあとは電源を切る、または持参しないで、作業場だけで使う方が賢そうだ。

■今日も2本 昨日は1本、自撮り動画をFBにアップした URLは以下です 

■はじめまして「佐藤獅子の介」です! すすのすけと読みます。「すとし」の間の音声に2度発声し、私を呼んで頂きたいと思います 今日からセシウム「敏ちゃんとテレビ局」の番組に時々ですが登場いたします。よろしくでます、敏ちわんと道中の様子も届けしようかまーとと思ったので、昨夜必死にうまれてきましたた。獅子の介ですcovid19後を楽しく!快楽しましょうよ
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3183272695061592/3183257285063133/?type=3&theater
■自撮り上野彦馬から自彫刻の時代へ?日本初自撮りは上野彦馬さん。(徳川慶喜さんだと思ってた) 自彫刻のドゥエン ハンソンさん作品もいいですよねー。3dプリンターで自彫刻時代の到来ですよ #敏動画 #自撮り #歴史など
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3182294065159455/3182282311827297/?type=3&theater
■父の日に思ったこと。山田昌弘さんの『希望格差社会』を読みかえし、子供を支援してきたか?と問う日にしたいのもだ。
#敏動画 #格差など #身の回りのこと 
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3179769758745219/3179756285413233/?type=3&theater





  6月20日 

今日は梅雨の晴れ間にて、快適な天候だった。近頃、白内障が進んでPC文字を打つのが面倒になり、Facebookに動画を自撮りしてアップしてしまう。簡単なんだけれども、Wi-Fi回線使いすぎて、アップロードする時間が遅すぎるのが難点である。
 一日1回 10分弱の動画をアップするのはほどほどの速度で公開できるので、文句はいえない。で、同じ動画をYouTubeに更にアップすると、今度はWi-Fiが全く動くなる、そこでアップするのがドンドン鬱陶しくなり、YouTubeから離れてしまう。
一度アップすると、両方のサイトを見ている人に共有できる、なら苦労せず、自mytv局が即座につくれてしまう。

 COVID19以降はこういう要求に対応できない、サイトは誰もたずなてアップロードしなくなるだろう。なんか身勝手な思いだけど、それが視力が衰えている高齢者のSNSの思いである。

環境管理型社会から今は逃れにくい、で逃れたいなら、スマフォとSNSを使わなければいければいい、だけなんだけれどかな、麻薬まではいかなくっても、これが癖になるので困る
■FBにアップしたmy動画のURLを貼っておこう。これはFBを使っていない人がクリックしても、動画が表示されないのでFacebookを利用してない人はクリックしないでください
6月20日のFBアップ動画URL
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3176750262380502/3176746982380830/?type=3&theater
6月19日のFBアップ動画URL
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3174444862611042/3174440385944823/?type=3&theater













 6月18日 たり  たり

 古建築支援のために町史を読み込んで抜き出した、名前ベつ+年代=時系列データを並べ始める。データ量が多いので骨が折れるのだが、日本の一地域の近世期末から、近代現代の歴史を追い並べることになるので困難ではない。それよりは、年を重ねたせいであろうが、200年ほどの前の人の動機やその後の行動をしてしまうことが解る。
 価値観が酷く違うのだけれど、日々を生きるために自分の行動を律して暮らして、「これがベストだ」と信じてしまうので、その結果は、あんがい価値観が単調なのだ。それが一地方における近代合理の歴史というものなんだろう。そう妙に納得できるのだ。

■ 支援活動に公的補助金を活用したいと所有者が思い立ったようで、数週間後には申請してもいいかなーと思い立つ。そこまで行くにはハードルが高いのだが、所有者支援者ともにストレスが掛からない、第一歩を踏み出せるように、マネージメントしていくつもりだ。できたら、現地に3カ月ぐらい住み込んで、その土地の息遣いと土地勘を体に浸み込まさたいのだが・・許可がでるかどうか、交渉してみよう。

■FB投稿より
皆川魔鬼子『TEXTURE』1988年刊行
私は「なくていいよ!」県北地域で数年前からイオンモールつくるぞ騒動が始まり、再び数日まえから騒がしくなってきた。モールは要らない私は、洋服を買わずに皆川魔鬼子さんの素材集を観て喜んでるいる変な爺さんであるよ(笑 #敏動画 #皆川魔鬼子作品集
下 URLは今日のFBに投稿した動画、FB友なら観る事ができる。いずれ、日記にはめ込める技を勉強します。 はめ込みHTMLさほど難しくないのだろうが、調べようと思っていても忘れてしまう。 今日の俺のFB投稿動画へ
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3171900072865521/3171890142866514/?type=3&theater









 6月16日 

福島市産のサクランボ 食べごろだと思い近くの産直に行ってみた。外出する人が少なく値崩れしてるとの風聞にたがい、産直店では例年並みの値段で、あまりやすくない、スーパー並みの値段だと思ったが、1ケース買った。
 程よい陽のエネルギーが、ほのかな甘みとなり、ぷりぷりの食感もよい。お勧めはやはり農地で取り立てを喰らうことだと思う。生産農家の人の言うことには採った瞬間から味が落ちるのがサクランボだと言う。
でも産直のサクランボでも数段甘み酸味の野生が保たれれていて、一粒サクランボを口に入れ喰む、あの味は伝えてがたき幸いの一つで、都会暮らしの人には気軽にこの味を体験していただけなのが残念です。そう思う味である。

■古建築保存支援活動をつづけているが、所有者の方から貴重な資料が送られてきた。やはり、所有者の家にはいろいろあるようだ。でも多量にあり過ぎて、簡潔にまとめるのには、専門的知識と多数の時間が要するだろうと、思い始める。
 大学の博士課程の近現代史の論文テーマに最適だと思うが、現在博士課程に進む学生がさほど多くはいないので、探し当てるのが難しそうだ、がもしかするとそういう学生に会うことに成るかもしれないので、情報発信できるように、まずは調査のための、下ごしらえをしてしまいたい。こつこつ作業あるのみ。
■fb投稿より
新都白河が私に教えてくれたもの
渡辺豊和さんと京都造形芸術大学の研究者たちが提案した『新都白河」について20回ほどにわたりFB動画にアップしてきました。
最後に諸経費と収支表現と現在の感想動画をアップします。赤字は私が授業料とらえ支払いました。赤字の処理は自営業者なので、さほどの負担も感じず出来ることでした。
(FB 動画URL 
https://www.facebook.com/toshihiro.sato.100/videos/pcb.3166921926696669/3166908173364711/?type=3&theater











 6月15日 真夏の気温になったり、梅雨空になったり変化が激しい。

こ の数日、1997年10月28日 白川市の文化センターで開催した「新都白河」を聞く会における講演内容と、一月の後の反省会・対話の内容を、手作り本にしたものを読んいる。どちらも10分前後の自撮り動画であるが、9分割した内容を、下手な読み方で、こつこつFBにだけアップし続けていた。

 本を読んで、自撮りを実践してみると、ラジオに出演しているアナウンサーも登場するお客さんも、発音が綺麗で、発声がうまく、聞き取り易い。それに比べて俺は下手過ぎる!発声方法と読み方の下手さに呆れる。がめげずに続けよう、聞き取り易く話せる可能性があるだろうから、ボケ防止にもなるし、一切かまわず続けている。

 COVID19によって世の中はオンラインブームのようだ。Wi-Fi環境と、それを発信する周辺機器・道具がないので、一度もオンライン対話や呑み会に参加したことがない。参加したいと思わないのは、スカイプ・オンラインテレビ電話経験して、あの空虚な感覚が、そう思わせるのかもしれない。そんなことで、今年の新コロナ騒動によるオンラインブームに気をとられることはない。

■資料を捨てずに保存してあるので、講演会当時の事を、23年前の様子を思い出しやすい。3カ月前の7月25日に文化センターへ使用許可申請を出している。参加予定は200名として、関係者が15人と申請書の記録にある、もちろん申請者は私だ、使用料は21、530円だった。
 
 収支は入金が264,200円で支出が647、732円で 283、532円の赤字だった。赤字は私が全て負担した。無学者なので社会勉強に対する授業料と当時は考えていた。設計の仕事もしていたので、お金はあったのだろう。

 いろいろ記録を見ているが、亡くなって人も居るし、当時は頻繁に会っていたが23年後の現在はあの関係者には誰にも会わず、交流はなくなっているが、感慨ぶかい。

 市民的行動の、活動の肝と言えるかもしれない。主体的に前のめり身構えで参加すること、活動は積極的に行動しつづけ、追い出されるぐらいがちょうどよい、そして後悔しないことに尽きるように思う。

■自撮りした「新都白河」を聞く会の反省会動画を YouTubeに全てアップしようと思うが・・・・先日、Wi-Fiを使いすぎて、受送信が酷く遅くなったので、迷ってしまっている。 少しづつアップし続けるのか、全部繋いで一気にアップするのがいいのか、思案中。どちらも酷く手間がかかることは間違いないのだ。
 FBへの動画アップはどうして?、とても簡単で、10分ほどの自撮り動画でも、あっという間にアップできちゃうのだ。不思議だ。YouTubeはその点では、FBに劣るというか差がつきすぎている。




今日作った猿の肴

鯛茶漬けとマグロのマリネとフルーツサラダで呑む うまい 果物を冷やして肴にするのが、お気に入りだ

 6月11日 がち、夕方いちじ少し雨おちるもすぐ止む

 白内障の悪化は、冷えた地酒・酒の呑みが影響あるのかもしれないが、1日PC作業はせず過ごす。
■今日から福島市も梅雨入りとのこと、会津は36度超えて真夏なみの気温だったそうだ。去年もそうだが、梅雨明け後より、今頃の方が夏の気候みたいで、体調不良にならないように、よく食べて寝ることにしよう。

■昼前に古建築保存の長田博士から電話があり、いろいろ話す。学生とともに調査を行っていただけそうだ・・・とのこと。若い人に興味を持っていただき、保存活動が軌道にのることを願うばかり。コロナウイルス感染症災禍下なので、具体的な保存活動、他者に向けた行為としては、ほとんど動きは無いのだが、東京も来週は元の生活に戻るようなので、少しずつ様子が変わっていくかも知れない。

■主な町史を目を通し、どのような年表をつくるか、のんびり考えてみた。あしたから、拾い出したデータを並べてみたい。
■FB投稿より
猿の肴
我が家にも梅雨がきたので、猿の肴で呑む
年老いた者なのでゴリラや猿よように果物を肴に地酒を呑む。飯は養殖鯛の茶漬けと冷やしうどん。夏だなやー、すこし早いが暑いさ    負けない飯盛り爺さんとなる。寸前まで何を作るが考える事なく食い物になれば吉

 6月10日 真夏になったかのような 36℃ほど夜9時で10度さがり26℃

 町史を1007頁に目を通し要点を書きだし終える。要点を打ち出してぼんやり眺める。明日から年表つくりしようと思いながら見ている。まだスカスカだと思うが、COVID19で聞き取り作業ができない状況なので、しかたがない。
■昼日陰で家人の髪を切る。ぼうぼうの髪を切ってほしいとのことだった、お互い年老いてきて髪の毛が思うように伸びないので、気に入った髪型に設えるのは難しい注文だと思う。年齢や身体能力に合わせてそれらしく清潔にすればいいのではないかと思うのだが・・・。

 6月09日  昼は少し暑いが朝夕すごしやすい

 福島県のへそ的位置にある古建築保存支援のため、平均1000頁ある町史を3冊ようやく読み、抜粋しweb頁に保管した。
 町史は内容が濃いうえに分厚くて重いので、開くのも見続けるのも、少々くたびれる。でも、必要な部分3000頁には目を通した感じで、すこしすっきりする。
 近世期から300年ほどの内容なので、簡単にまとめるのは難しいが、やはり地域の政府に政策によって混乱というか、変化というか、それらの具体的な出来事を読むのは、とてもその時代のリアルさを生きている、一緒に暮らしているような気分に浸れてよいのであった。

 旅籠屋の飯盛り女もついでに調べてみたが、悲劇的な話はあまり記載されていないが、人数や軒数などリアルい書いてあって、地域社会と切り離せない文化であることも分かる。それは江戸政府が、町の賑わいをつくる政策として政策を実施したからであり、それに貧しさや不作飢饉などが重なり、継続されていることが解る。必要悪とも言えるし、旅人が気楽に活用したことで、町が繁栄する、活気づくという側面も見えてきて、簡単にそのことを批判する気もなれない。だが飯盛り女たちの健康に関すること、女衒たちの活動の詳細も記されていないので、片手落ちは免れない。そう思う。







梁川の貸座敷と飯盛り女たちとその客の様子

 6月7日  昼前後はすこし暑いけれど、朝夕は今時分の気候が体によい

右目白内障すすみ、霞むもPc作業は続けられるほど。思ったより霞み目すすんでいるかも、酒の飲みすぎかもしれないなー。

昨日今日も相変わらず、分厚い町史を読み込んでデータをつくり整理している。二本松藩の政策として町の活況をつくるための二本松藩の政策による旅籠屋やそこに暮らす芸妓や飯盛り女たちのことも整理する。複雑にして一気には理解できない情報量だ・・けれども、ぼにゃりと、江戸末期から明治初期の人々の動きが目に映えてくるようになる、凄い興味深いことだが、コレラの対応話もあり、対応ぶりと、数年にわたる出来事で段々悪化していく様子が分かる。今後のCOVID19騒動と似ているかもしれない。

■以下FB投稿
1871年(明治6)貸座敷と娼妓 福島県内27
・娼妓年齢は14〜6歳以上。娼妓営業を許可する上で花柳病の予防は不可欠であった。政府は1871年(明治4)4月民部省沙汰「娼妓微毒検査法施設」を立てるように達している。・・・その12条に各地梅毒病院並検査日割を定めている。娼妓は定期的に指定院によって検査をうける。本宮では公立本宮病院において、毎月6日・20日二回受検している。
1871年の時点で福島県下の貸座敷娼妓営業箇所は27ヶ所であった(『福島県達全報』・『福島県報類纂』 遠藤精吾家近代文書)
 瀬ノ上・飯坂・桑折・藤田・梁川・保原・松川・二本松・土湯・白坂・白河・矢吹・須賀川・郡山・本宮・三春・小野新町・久ノ浜・植田・中ノ作・湯本・富岡・小高・中村・若松・津川
 ■・明治12年〜23年の貸座敷数 261 娼妓916〜1024人(町史3−180)・・・1885年(明治18)貸座敷数・娼妓とも半減するがその原因は不明である(町史3−180)...
◆飯盛り女と客の様の春画も探してみたいとのだが




 道端の花たち



6月5日 真夏になったのか?そうおもうような気温となる

 数日、31・1の時にいただいた義援いただいたPCは、動画アップしすぎて、発熱がひどく、ときどきクラッシュしてしまうようなので、2日ほどそのPCからデータ移動をするための地味な作業をしていた。
 なんとかデータはすべて吸い出して、新しいHDにコピーし済んだ。うっかり氷がお湯になると、PCが壊れるので危険で目が離せない地味作業だった

 PCは常時2台併用をしていないと、壊れた時に喪失感が大きすぎるので、そうしていたのだが、一台壊れたので、娘がドイツ移住したときにもらった古いを使い始めた。タワー型でありでかいモニターで画面は見やすい。老眼鏡の距離が合っていないので、首が疲れるのが問題だ。
 右目が白内障が進みどももも〜と霞のかかり方が激しくなっているような気がする。体調と視力は連動しているので、のんびりしてると目にも効くのだが、それだと退屈して仕方がなく、脳に悪い。なんとも自分の心身とはいえ、扱いが面倒なものである。

■福島県の中通りのある市に在る古建築の保存支援活動をしているのだが、新型コロナ感染症に人々が過剰に反応していて、なんだかさっぱり手の施しようがなく、単に時間が経過していく。
 それでは時間がおしいので、往復書簡にて、できることを続けている。町の歴史と古建築に関わる情報を、町史を読み込んで整理している。それに基づいて今日も一通袋にて投函してきた。

■時間の空いたら町史を読む。そこにはたくさんの未体験の重宝が詰まっていて、読み込み出すと、きりがない。それは数百年の地域の様子を多領域にわたって、歴史家たちが長時間、(たぶん10数年かけて編纂している)の積み重ねて編纂された内容なので、当然だが、とてもおもしろい事は限りない。COVID19の社会には最適の読書のように思える。

■今日のFB投稿
年金を全て廃止し「人間の安全保障金」の恒の支給がよいのでは?
covid19中のドタバタ政策通過中だが無駄な手間をかけすぎていて効率よくない。公務員の数も減らし過ぎている。そこに多重災害が襲うと、今夏のように社会機能が麻痺して止まりそうにもなる。チャンスとばかり、うわまえはねるは、ポヒル輩が繁殖しだす。よくない社会だ。混乱に乗じて懐を増やすことを企み者な、新自由とか抜かし我がもの顔に既存社会を破壊してしまう。
長い生を暮らす一人の人生には、いろいろあり、突然、働けなくなる事もある。サボりでも精神で疾患でも働けなくなる。老若男女の一人一人を社全体で常に支援する仕組みつくるチャスをcovid19か与えている。そのように観える。

女性との文通、投函する(covid19効果)
一週間でまとめた内容を見易く、江戸末期を中心に町史を読み込んで整理して資料作成すした。それをマスクして郵便局にいきましょうして、投函する。(1855年 に検断)



 YouTubeにアップした
my動画はここから観ることが可能!















 6月02日   

 先月末からスマフォ自撮り動画で本の紹介とその著者との関わりを7本語って、それぞれを10分以内にまとめてアップしてみた。
 やってみると面白い、ぶっつけ本番で思いついたことを語っているだけで、メモ的動画とも言える。そして話し方が下手で、年代も間違ってばかりなんだけど、嵌ってしまった(笑) 
それはたぶんCOVID19効果なんだろうと言う気がする
誰かに会ってワイワイ暮すのが常だったので、それがウィルスに突然はばまれて、しまい、人々は、ホームせよ!の号令に従うばかりで観てると気持ち悪い。そういう下地と社会背景があるから、動画が面白いと感じるのだ。そう思う

 でも、それならスマフォ動画とその動画をスマフォアップを身に着けてしまうまでやってみようと思った。

■で、1997年10月28日に、渡辺豊和さんが白河市で語って「新都白河」。その記録は本にする予定で、版下まで出来ていた。それを読んで自撮りしてみた。新都白河について知らせるという意味もあるし、スマフォ自撮り関連を体験する気もあった。
 で数日夜昼、やってみた。一番問題なのは撮った動画をアップする時間がとても掛かることだった。資料を集めて語るのはさほど正確ではないが、口下手でもあるけれど自撮りしててストレスには成らない。アップに要する時間はかなりストレスになった。
今朝は早朝ならスイスイアップできるかも?!と思って、アップしてみた、10分動画が15分ぐらいでアップできてしまった。日中なら数時間かかっていたのだ。Wi-Fi通信回線の混雑とその能力によってアップに要する時間にムラが生まれるのだろうと推測した。
 なにはともあれ、スマフォ動画の可能性が分かった気になったのは、挑んだ成果と言える

■FB投稿より
スマフォ自撮り動画を10本YouTubeにアップ
 FB友のお誘いで、本と著者の事などを語る自撮り動画をFBとYouTubeにアップして比べてみた。
 アップ速度がFBは速い!一覧性はYouTubeが圧倒的によい。など分かり、今後の自撮り動画の使い方を考えるに役に立ち過ぎた。数日で11本あげてしまった(笑。
アップに要する時間が大問だった。早朝なら速い!日中は10分もので1時ほど、夜の混線時は数時間も掛かるのだった
 ◆スマフォ動画を始めたたのは、311直後に堀井義博さんにスマフォを頂きました。」無くしたスマフォが出て来て、1台余ったからやるから何か撮って見せて」だった。津波被災地などを片っ端から撮ってアップした。...
何十マンビューも受けるとは思わなかった。 
 世界中の人々が見るmy動画もあれば、私しか見ない動画もある。その差異がとても思いし、いいのだ。自分が記録として撮っているのだが、受け手はそう見ない、見る志向が撮り手とは違うのだった。それは当然なんだが、それを知るのもちょっとした快感だったりする