佐藤敏宏
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2023年06月の日記          






6月30日  午後雨あがる

近所のスーパーに食材などを買いに家人といく。解に

つゆと梅雨 どまんなか目を 手縫いする
雨は毎日ふるけど手縫い三昧には似合う穀雨だ。移植した紫陽花も花一つ咲きだす。手縫いは今日で一端おえて、週末はワイワイ活動@関西。関西のみなさんお騒がせしなうよう静かに行動しますのでよろしく。



午後、月末雑事で町に行く。銀行をまわる。帰り道図書館により『純粋理性批判』を借りて読み始める。

夕方近所の魚屋さんで烏賊を買う。1ぱい1000円プラス税だった。

「いかの塩辛、つくれ!」との指示があったので烏賊を買った。
烏賊の塩辛つくるの俺の得意技。スーパーの塩辛は食えなくなるんだけど。素材によって味がまるで異なるのも烏賊の塩辛の魅力。6月30日魚屋で買ったら、いっぱい1000円+80税だった。人生で最高値の烏賊を掴んんだ。人生最安値の烏賊は鰺ヶ沢で20は一箱1000円だった。温暖化によって烏賊は。高級魚になっていたのか。これからは、塩辛じゃなくって鯵の叩き作ることにしよう。(小骨を抜くの面倒なんだけど)

6月28日 

『差別』をフォーラム福島で観る。
牧内さんによる自主上映企画をフォーラムに持ち込んで日本では二か所目の会場となったとのこと。一般公開されていない。
韓国のキム・ジウン、キム・ビト監督ドキュメンタリー作品。主題は日本で唯一 教育無償化から朝鮮学校が外された、例の問題。下村博文・文科大臣が2012年12月2日に朝鮮学校のみ無償化の対象校から外したことで、裁判闘争となる。三権分立の日本とは名ばかりで自公政権に忖度ばかりするなれ合い政府、裁判所なので結果は分っているのだが、彼女らは団結し闘いつづける、日本人はとおに忘れた闘争心があるし、熱いコミュニティーも繋がりも連帯も生きている。日本の政治家は嫉妬していじめているのではないかたお思われるほど彼女たちの闘争する姿は美しく輝く生身の人間そのものである。
日本政府は朝鮮学校の生徒たちを正当な理由もなく差別しているのは周知の事実で、いまさら観はいなめないのだが、悪意のないキム監督たちの制作意図は時を積み重ねつつ、素直な構成によって描いているので主張が分り易く、女性たちの表情が力づよい、日本には無くなってしまった(元から無いのだろう)闘争の姿が普遍的だと思うので、この映画は世界に広まっていくだろうと思った。関係する弁護士にかぎらず一般の日本人も差別解決しようと長年闘ってきている。それを知るきっかけになる。この20数年、日本は恥ずかしすぎるな・・・解決しそうもないな・・と見てて思った。
■映画終了後、牧内さん、キム監督、前川喜平前文科省事務次官で短い語り合いというか、意見交換というか、そういう時間が設定された。最初に俺が質問するのは俺流なので、2点「監督が在日朝鮮人学校について知らなかった理由1点、加えて在日朝鮮人学生などを悪い印象をもっていたのはなぜか?そう語られたので、その理由を簡潔にお聞きする。
韓国では在日朝鮮人学校についての歴史教育がなされていないので、無知であると知る。(日本は近現代史の教育ていない長年の悪弊は日本が帝国主義国家であり、朝鮮半島を含む広い土地を植民地支配していた歴史を知らない人も居るだろう。)
北との関係は好くない韓国ではあるが、キム監は朝鮮人学校の学生たちの笑顔と明るい挨拶に魅かたことなどが語られた。(絵を見ているとそれが雄弁にかたっているので、監督が説明するまでもないのだが・・)
前川喜平さんの語りは、下村大臣のもとで働いていたので、政権内部での生々しい感じの前川節。各種動画で見ての通りだ。・・・政権のぐたぐたは20数年見飽きてしまっている、だからといって若い人に希望を見いだすという高齢者などの常套句も俺は無責任な気がする。



人生初てぬい「夏ズボン」性的(静的)すぎるので、・・・いろいろ改良中。縫製も、布など生地なんとも扱っていると自在いなり、紙の模型より、作りやすいので、おもろいす。



人生初!手縫い夏ズボン2着目できた。腰ベルトから解放された。
夏ズボンなのでブカブカにした。ボタンホールとボタン付けは極めてむずかしい。他はこつこつ縫い合わせるだけ。作業着と縫い付けてしまう場合もある。針を指に刺してしまうこともありなど、縫い合わせには「アイロンと糸と針と針刺し」要る。腰のベルトから解放されたぜ。


6月28日    梅雨 移植した植木にはありがたい雨

昨日かり縫いしたズボンを1日中つなぎ縫いする。夜までかかってボタンホールとボタンも付けて完成した。ボタンは県立工業高校時卒業時に一つとっていたものを代用する。ボタンホールとボタン付ける位置が正確に合ってないとすっきり見えない。
一枚目のズボンは動き難い(公家ふうで活発な動きできず)ので改良した2枚目は、俺様夏ズボンのイメージをまま完成に至。家人に褒められる。ボタンホールぐしゃぐしゃになっているので満足できず。難しい。ミシンがあると簡単だと言われたが・・・捨ててしまったので手縫いで今後もつくることにする。

■7月2日から京都、大阪奈、良に行くので新幹線の切符を買いに駅に行く。帰り路土砂降りにうたれ、びしょ濡れとなる。シャワーを浴びついでに髪の毛を自刈してすっきり。

京都聞き取り活動準備は衣類だけとなる。


6月27日 


■1日中 夏ズボン縫いつづけていた。午前一番で家人とともに米10kgを近所の量販店で買う。麦藁帽しふうの帽子と靴下も買う。

仮縫いしてみる(一人ではできないので家人に支援願う) 
人生初縫製、夏ズボン二枚目仮縫いする。一枚目は動きが表現されにくい静的なズボンにした。2枚目は色は地味だから形状は破調(笑)派手すぎ頭狂っているなと言われるだろ。確認申請で毎度言われてたことと同じだな、変な建築申請してくるな・・って。変なの着てるんじゃねーよ・・)で老人のトンマな動きを大バーに表す、怪獣でもあるかのような動きになる形状にした。ズボンは背後のみ縫っただけ。、股下から前面へかけては全く縫い付けていな。だが着物の様に重ね着にしているので、男性器も見えないよ、トイレも腹の出具合にも難なく用を足せる。ブカブカ吊形状に見せかけている・・スイスイ通気抜ける・・夏向きズボン+腹巻エプロン付き(着ている気がしない、ぶかぶか破調ズボン)



6月26日 も薄日あり

人生初ズボン、俺様手縫い縫製2着目吊りズボン
午前中縫い合わせる作業。仮の名「だらつつ」。足2本つなぎ合わせる、(仮着してみる)足2本は全部つないで閉じた形状ではないので、股下からすいすい通気し、胴回りから熱気が抜ける形。
走りまわれる、自転車をこげる、チャック無しでも下着がみえない重ねたっぷり、体重の増減に紐などで簡単に縛ることができる。脛部の細かいタグ襞は田舎者の証で誇りじゃなくゴミが溜まる形状。午後は吊ズボンなので

吊っていないので 足を広げないと落ちて下着まるみえになるので、こんなポーズで。麦わら帽子でが合う作業着にもできる
襞が真横にであいのは縫いがへただから。

いろいろな処に襞が現れ、海から上がった怪獣の足みちだな・・。
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6月25日  

早朝、庭の復元作業をこつこつする。

我が屋の硝子に雀が激突し即死!
柿の木の根元に埋葬する。

朝飯後はこつこつ2着目のズボンの手縫いをする。

初ズボン縫製 2着目両足のデザイン派手!
作品名「ずぼらつぬけ」(意はずぼらで筒抜け田舎者用ぱんつ」
色鉛筆と建築用巻き尺と消すゴムで目印つけて、皺を7本つけるためタっぐを縫い付けた。無地なので皺をつけおるが・・・予想より派手や!ボケ老人と言われそうだな。









6月24日 雨上がる 晴れてきそうだ

人生二枚目、名「ブカダラ」夏ズボン。縫製開始。生地を裁断した。

真っすぐ手縫いも満足にできないので、下手くそ縫い目が目立たない生地をえらぶ。だらしない系なので「ブカダラ」ズボンと名付け裁断した。大雑把なスケッチをしたら、新聞紙をもちいて、切り貼りしては手直ししながら型紙をつくる。型紙ができたら気付いたデザインを加えながら適度に裁断する。縦横と中心がキッチリ抑えて、考えたり、修正と縫製しないグシャグシャに仕上がると分かり始める。

白内障手術の手術後、色彩が正確に把握できていないように思える、レンズのせいで見えるもの?なのかな・それらは瑞雲掛かって見える・・それは汚くみえない、人工的に見えるという幸いなことももおもえる。すこしずつサイボーグ老人になっている。

森の家、除染後復活しないので・・しかたないこつこつ移植。
■関西プチ活動が迫ってきたいるので、出かける前に移植などこつこつ。今日は泥だらけ。泥んこ遊びみちたいで気持ちいよ。植物の根が強いのか、俺の足腰弱いのか分からんけどで地べたに座って伐根するのが楽ちん老人となり。今日はボケの移植は根が絡み合って訳わからないので株分け断念し、挿し木みたいになってしまった。根が出てくればいいが。
■初て縫い、2枚目を裁断したので、裾など、方々縫う。2枚目は仕付け糸を買ってきたので・・安心しているとズレてしまう。初心者はこれだから、まいいやズボンになれば・・・紺色なので白の色い鉛筆で線引きするといい感だ、でも根性が曲がっているのだろう、曲がる、ズレまがりズボンんをごまかすために方法を家人に伝授してもらう。生地も1.5倍、縫う長さ長すぎる・・だが縫うのは直線だけなので初心者向きかも。カーブ縫えないからだった。





6月23日 ぐずついた天気よる雨となる

■午前中は雪柳の移植をする。北側道路の際に植えてあった、紫陽花と雪柳だがボケを残して全て移植を終えることになる。樹木それぞれ根の貼り方に特徴があって、移植も面白く難しい。

■午後、食材を求めに近所のスーパーへ家人と駄弁りながら徒歩でいく。往復1時間で買出しを終える。ついでに手芸品でもう一枚夏ズボンを作ろうと生地3mを買う。つつぬけでブカブカのモズボンにすようとしているので3m長さにで買う。生地代は2550円。生地の根で購入できる古着もありそだが、オリジナルな形態にしたいので手縫いする。
型紙もつくる。なんとかなるかも。


初て縫い夏ズボン、2着目の型紙をつくる。午後は生地買うよ。
型紙は新聞紙を鋏で切り、ボンドで貼り合わせ作る。スケッチした仕上げ予想図があると修正しながら型紙作ることができ、楽。スケッチは自分おもいなので、実採寸したズボンの絵とプロポーションが異なる。デブ体系じゃないのが型紙撮るとバレる







6月22日

朝一番で紫陽花の3株目を移植。一番おおきかったので、汗だく
他は人生初ズボンを手縫いし続ける。仕上げる

人生で初・夏ズボンできた。名前「つつぬけ」
今日は仕上げ縫い付け。難しいよ!ズボンをはいている気がせず、裸であるいている気分。重ねているだけだけど正面からパンツ見えず、トイレはまま用を足せる、さらに着ているけど着てる気をおこさせない←名品だな(笑)熱気は筒抜けで、涼しい!


■仕上げ、脛つけ縫い、わずか50センチを縫うのに6時間かかる。単純な形態なので、上下分からなくなって、上下間違えて縫い付け解いて縫う。左右縫い合わせてしまい履けないズボンに成り、解く。キツク縫い過ぎてほどいてまた縫う。紐付け、ホック付けて完成。
単純にまっ直ぐ手縫いなのに1日か掛かって仕上げた。首回り、肩回りなど、初縫い曲線縫い、仕立てられぬえねーや。←今日の感想。

滅茶苦茶へたな手縫いなんだけど、そうは見えない、見せないような形状を想って手縫いしています


■家成俊勝+森純平とワイワイ」 します
場所:大阪市のあちこち 司会佐藤 お題:「雑談」
非公開:参加者限定
(佐藤に聞き取られweb記録で晒されちゃった人々)
参加費用その場で決める!覚悟参加要










6月21日 

午前中、紫陽花の株移植する 根がはっているので1株移植するのに1時間かかりぐったりしてしまう。

午後は縫いかけていた手縫いの夏ズボン、パーツ3個をつなぎ合わせて来てみる。細かい模様と丸く縫うのが難しく縫い目が吊ってしまう。ほどいてやり直すしかない。

夏ズボン一枚ではたりないので、もう1枚絵を描いてみる。単純な手縫いで俺が縫えるよう考える。生地は2mあればでき上ることも分る。近所の手芸屋さんで生地販売があるので、縫う気になる。

■夏ズボン模型も調子こき投稿の馬鹿老人。作品名「つつぬけ1,2」
熱気で蒸れた空気がすいすい抜ける「つつぬけ」男女兼用です、生地はお好みの合わせます(受注生産体制の言葉だな?)■山道拓人さん(ホウセイ大学の先生)に褒められたので、ノリノリ■紙で作った完成よそうmy夏ズボン。プロボーションが出鱈目は毎度のこと。縫いながら決めるので全体の構成だけできていればよし、紙模型配信します、各自作ってみてください。デザイン料使用料は2%です(取り過ぎかな)150円以下だね。

この夏2枚目の「つつぬけ」ズボン デザインスケッチしてみる。1枚目完成してから生地買いにいくことにする。

■FB投稿

今ごろかよ!手縫いだ、人生はつ手縫い夏ズボン。昼から縫ってみた・・・脛パーツ縫いすぎてしまう(も一度解いて縫うよ)重ね着ふう夏パンツに裁断、予想よりすーうすう抜けて涼しい!繋がり最小限だ夏ズボン!を追求したてのでまあまあ。トイレ時も問題なし。縫い目酷い(笑)が目立たぬ生地を選んでたのでヘタレ縫い目でも問題なさそう。
誰でも縫える、布地截つ作業も簡単。たった三枚の型紙だけとシンプルにして縫い目を極力なくない、ので初心者縫製でもスルリト身に付けられる夏ズボンできそ。デザイン俺、人生の晩期は洋裁するする趣味もいよさそういかも・・はまらないようにしなければ・・・。

褒められたので調子にのりますよ! うまく縫えないギザ技 ギザ技といって誤魔化す、嫌な老人になるのは早いので、明日縫い直して再アップします

波動きたので、ズボンの名は「つつぬけ」にきめました。次投稿に仕上げりズボンの模型をのせます ご批評よろしくお願いします!













6月20日  気温あがる。

■あさおきて、my設計建築の登録有形文化財リストを作成し、菊地さんに電送する。

50年経つとmy建築、登録結形文化財候補建築にって??
■文化庁では福島県内の近現代建築登録有形文化財候補建築のリスト作成しているという。■昨年、福島市内で設計事務所を営んでいる菊地さんから「大学の先生から2000年まで建築雑誌掲載された建築物のリスト作りを依頼され作業中なので。佐藤建築もリストつくって」と言われていた。今朝、提出した。
我が家は住んで38年、千万家は23年経った。50年経過するまではまだ間があるけれど、文化財に登録されるより、俺の寿命が尽きるほうが早そうだ。子供達に伝えておこう。俺のおかしな建築が文化財候補だって(笑)ありがたい建築にカテゴライズされるようになったのか(笑to
文化は捉える感じる意識の問題だし、それはなぜか日本、ありがたい、明治建築のせいだと思うが、古建築を見て体験しても、俺はありがたいと思ったことがない、いじょなんじゃねー、これを作るこういう精神がそんざいしたのね・・などとはよく思う。
半世紀って口で言うより生きて建築にくらし実感として長いよ・・・。放射能をmy建築たちは浴び除染した・・と思うし、その中を使われる続けた誇りと埃が重なり、年を重ねた生きている建築の味は分る人にしかわからない。錆たち汚くなって美しくなる、老人も同様きたなくなる人、美しいと感じる人がいるように建築も二つにわかれると思ったりする。
■投稿の建築は住宅だけれど、確認申請で県北建設事務所の担当者から、舌打ちされた。my建築は確認申請を提出するたびに同じ対応で、この建築をつくる当時は請負業者に確認を下請けさせてしまって、まいどまいの嫌味な顔を避けていた時期だと思う。つくる時にmy建築は理解されることがなかった。が、たった一人の建築批評家である植田実さんには俺の設計意図を見抜かれてしまって、こりゃ拙いいことになったと思ったけど・・・田舎者でいたい、それを演じていたいのだが・・・植田さんの言うこと書く事には田舎者だから知らない・・理解できないしという態度でごまかした。そうい体験もした建築たちが県の登録文化財候補って、まずくないのかな。わからねーや。どうでもいいけど使われているものあるし解体された建築も、使われなくなって美しくなっているmy建築もある。廃墟や遺跡になったら内部の陰影はことのほか美しいように設計している、だれも居ない建築内部は誰も知る体験は出来ない、設計者の脳内に確実にある建築で、探検したくなる建築空間なのだが・・。我が家もボロボロになって腐りだしたら光の変化による建築の表出がもっとも美しくなるように考えて造った。そのような空間が出現するのは子供が住み続けるので、彼が亡くなる60年ぐあい先のことだが


9時過ぎから午前中、裏の紫陽花の株を物干し用庭に移植する。ぐったり労働2時間。ホルモン剤効果で肌はカサカサ、活力は落ちてきている。男性ホルモンを押さえているのでこのようなもだ

コンクリートの球体と天窓の支え枠構造にしているので、造るのが難しかった。型枠大工さんの施工費を算出するのもむずかしかったので、一部作ってもらってから、倍数して値決めした。造るときは作り方と金額合わせに集中しているので、文化などとたわごとを思うことはないぜよ。ましてや俺様は建築家だなと思ったことはない。設計業者なのだ

紫陽花2株移植。根の抵抗に遭いへとへと。
我が家の除染後しょくぶつ庭再生仕事こつこつ。311以前は外壁すべてに蔦がはって、夏は冷却効果あり、秋は紅葉で家が包まれる、庭の木々は大きくなり、森ふうとなっていたが放射能沈着により311数年たち除染で丸裸。蔦は消え、樹木もほご切り捨て殺風景となった。そのごいろいろ植物を植えて「森の家」再生に挑んでいるのだが、311以前の森ににた植物で庭に満ちることがない。こつこつ植樹作業しているのだが、まるで再生せず。老化した自分の身体のに合わせている植物もへたれてしまうのか。今日は物干し場に紫陽花を移植してみた・・しげってくれるのか。








6月19日 あつい日であった。

午前中県庁の建築指導課に行ってワイワイ、ついでに原子力災害対策かにいって、議論。
家にもどり野菜畑を紫陽花畑にすべく作業する。 なんとなく格好は付きつきそうだ。

■7月4日大阪でワイワイの件の関係者、森純平さんと家成さんに電話して、家成さんの事務所に午後一番で集合する。友達は呼んでいい。
公開トークはギャラ間でYouTubeラジオを使ってやることにしよう、で同意。
岡田栄造先生をお誘いする。


■FBでのこと
2018年、福島市で起きたサンチャイルドの一件を通じ、お話をするようになった佐藤敏宏さん。
一点、重箱の隅をつつくことになるが、気になった記述というか認識のところがある。
〈 …イチエフのメルトダウンも、想定外の高さの津波による全電源喪失をその最大の原因と言って差し支えないだろう〉
これを書いた辻さん一行を案内した経産省現地の木野さんがこのような説明をしたのかも知れないが、福島原発を襲った津波の高さは想定外≠ナはなく、2008年の東電関連会社による調査で想定されていた事実がある。
それにも関わらず、東電経営層は金がかかるのを嫌って対策を先送りしたために、防げたはずの非常用電源水没をもたらしたーーのであって、繰り返しになるが、東電にとって想定外の事態ではなかったのである、


対する佐藤の投稿

フクシマの事態の多色を知らない浜松市の若いかたが体験をし投稿しているのです。小林さまの、個人の情報をもとに思えば ご指摘は正鵠を得てるような気がします。(物証あり)けれども、それを書きだし広報しだすと元記者のかたはすっきりすると思いますが、私は福島県民なので他者の皆がとりつしまがなるように思います。小林さまは辻さんの投稿をシぇア活用していただかない方がいいのでは・・・と思います。お互いに表現の自由は認めるとしてもです、知らない人がフクシマの人々に伝えきれてないのは、福島県人の怠慢こそ、情報発信をしていないいぇの問題なのだと私は思います、ウザイと言われようが福島県民自身が他者に理解してもらえるよう努力をするしかないと私は勝手におもいます。よけいなことですがご配慮ください。

6月18日梅雨空だけど陽射しつよく我が周り  気温上昇中暑い

■12日の体験記を仕上げ公開した。 廃止措置に監視てほぼまんぞくだと思う記録になった。今後はこつこつ絵を描くことと、関連する各会合にできるだけ参加して、情報を得ることに尽きるかも。途中で飽きてしまうかも、それは行き当たりばったりでいい。

■中間指針第五次追補等を踏まえた追加賠償のご案内東電サイト
■福島第一癌発事故 原子力災害賠償金追加賠償8万円 (WEB請求サイトPDF


種田元晴博士から論文と書籍 熱風のように届いた
初夏だよー 冥途の路を ひた歩く
夏のような天気になてた暑い。種田博士よりいろいろ送って送っていだいた。同人誌『同時代』特集時のみぎわ─はそれぞれ著者の想い、筆を持つ姿勢、各自内容の濃淡とゆれ、と戸惑いが素直に印刷されていて楽しい紙媒体だ。著者各人の苦闘・旧らいの風も懐かしくい素直な書籍だと思った。
■福一(特定原子力施設廃止措置)に関し昨年末からいろいろご縁があり、情報をまとめたり私案の下描きを制作したりしていたがやく8ヶ月で見通せるまでになった。今日からは 以前のような生活スタイルに戻そう・・といってもまだやることは残っているので、急に暮らしぶりはかえられないんだが・・俺の貧乏はいいな、銭がなしこそがこの時を豊かにする唯一の方法のような気もする。


辻琢磨さんが我が家に!2泊3日をつかって体験したことなど、FBに投稿。
辻さんの見た我が家の写真もたくさんあります。私の評なども。ここからフクシマに関する対話は始まるのだと思いまして、投稿ありがとうございます。指摘の点もあるので「護福まち」計画と日々の言動に反映していくつもりです。これからもフクシマに興味をもちつづけ、お付き合いください!いろいろ、ありがとうございます。



6月17日  午前中気温は低かったが昼頃には上昇してしまう

辻琢磨さんがFBに我が家での体験のことなどを投稿していたので、読んだり、自分の福一廃止措置現場体験記を仕上げる、間違い訂正をしつづける。いくら訂正しても間違いがあるので、もう諦めよう。



除染と福一福二廃止措置は同質
12日福一(廃止措置特定原子力施設)を政府の方の案内誘導で体験した。その記録を先ほどやっと仕上げた。(まだ間違い多いのは通常なことだも)
http://www.fullchin.jp/00hairo/202306tuzi/0612tai.html
福島市の除染監理員をになっていたので、除染に関する各種法律や被曝の基準値はこでしこまれた。福一も巨大な除染作業現場であり、県内市町村で独自におこなっていた除染と質は同じだと、言える。
今日公開した福一体験記は、先に修正なしでアップしているので、そのWEB頁を見てしまった人もいるだろう、それでも主に言いたいことは変わらない。WEB体験記録を公開しているのだが、整理が下手な俺にはWEBは紙情報整理より使い勝手が比較にならないほどいいのだ。自分の記憶が曖昧になるから作って、語り合いをする時にアクセスし開いては、間違えてないか?チェックる資料庫。自分のための情報庫なのであって、他者の方がアクセスして私のWEB記録をながめ、阿保!ばか、ものを知らないなど、すっきりしてもらうのもいい、どのよう理解し感想をもとうが俺は責任はとらない。見る者の自由のだ。(料金も取ったことがない)
隠密行動を各所で広げている政府や東電の手先のような人たちは居る。彼らはフクシマに出入りしているし、政府や各種機関の手先のような福島県内有識者ばかりのような気もする、補助金に群がる外部の意識高いフクシマ入植者も多数を見てきた。だからそういう輩も、気に成らないけど注意をして付き合うようしている。時間をかけると真っ黒に染まっている可能性もあるので、記録を作りつつそれを鏡に見立て眺めて確認しているだけのWEB記録だ。
ある種・手先の人々は福島県人が知るべき多量の資料を持っている、床屋やマスコミのオヤジより遥かに膨大な資料と作戦をもっている、知れば付き合えばさらに情報の多さを知る。で彼らに囲い込まれないとその各種情報は手に入らないし政府と東電のフクシマ戦略も触れることはできない。黒く染まるのもよい、潔白を主張し情報もなく孤高を決めるのも、それは自由意思の領域なので各人判断し行動すればよい。
(彼らの狂気と私の狂気を比べて眺めることは思ったより愉快なことだ。それを気づかせる、辻琢磨さんはさらに私を建築界的発想をもって指導しに我が家に来たのだ、そう思う。俺はどちらにも無縁に生きているので大変ありがたい、少ない建築友人のお一人だから大切にし余生を愉楽しつづけたい。)

6月16日  午前中 強い雨 昼、雨あがる

午前中は12日の体験記を修正しつづける。間違い、打ち込み違い、修正違いが目だつ。こつこつ修正する。

昼過ぎ、家人と食材を買いにスーパーにいく。往復たわいのない会話をし喉を鍛えている気がする。水瓶の水が澄んできて、メダカはよく見えるようになる。蓮の葉が浮かんできた。金魚はまだみえない。

午後と、夜、体験記を修正しつづける。

6月12日 特定原子力施設、廃炉処置現場をみる体験記を書いた。
直ぐ忘れてしまうボケ老人となったので、メモをもとに書いて、後日読み返してもあの体験を再現できるようにしたつもりだが、どうだろうか?少し発酵させたのちあらためて読んで加筆してみよう。



6月15日 

雨の中、近所の医院に行き、新コロナの予防接種をうける。無料だった。昼から腕がいたくなる。発熱はしないが、すこし体温上昇し怠い。

昼寝などしつつやり過ごして1日が終わる。

庭の水甕にメダカと金魚を放ち、スイレンを植える。
放射能の除染後、傷んでしまった木々は311以前には戻らぬも復活の兆しはあったもののショボいままであるあり。今年の木々は再生するかのようで逞しい。森の家と呼ばれる様に戻るまでには数十年かかるように思う。(my次男は生垣にしたいという)1週間ほど溜めた水にボウフラがわいたが、金魚か食ってしまった。水はもっと澄むかな。

■my長男の御下がり頂戴する。
古着を段ボール2箱もらう・・・量が多すぎるような気もするがmy長男が中・高・大で着ていたセーターは、傷まずほぼ新品同様といえる。足が長すぎる登山メーカのズボン、短くすればはける。ゆったりした純毛のシャツ・・ブランドもののコートなど箱二つ一杯の「古着」をもらう。
今世紀に入って身に付ける、ものはさほど買わずmy長男と次男の古着を愛用している。今年は手作りシャツもつくったので、着るものには不自由しなく箪笥からはみだしそうだ。
■my長男は50年間、同じことを日々繰り返しても飽きることをしらない変わった奴だといえばよさげだが、50年間なんの成長しないのがいい。俺の教えは「役立つことはするな!」唯一それだけ、大学時分には反発していたが、311過ぎた今は役だっていないとのこと・・何よりである。



6月14日  

伝承館に関する公文書を取りに福島県庁に行く。その足で庭に設えた水瓶で飼うメダカと金魚を買う。

午後、は間に少し休憩昼寝を挟んで6月12日のWEB記録作り出す。1時間ほどの体験記ろくなのだだ、情報が多量に詰め込んでしまったので、記録量は多い。コツコツ作業しよう。

■久しぶりの3人のショットを決める ホルモン剤をのみだしてから表情の老化が著しいと感じてしまう。見た目は悪くっても、薬をのんで長生きし老害を演じ続けたい。さてどうなるかは知らないので淡々と楽しい日常を積み重ね続けるだけでよい。









6月13日  

辻琢磨さん午前8過ぎに帰る、2泊3日の我が家体験ありがとうございました。家人との楽しい会話たすかりました。

■浜松市で暮らす建築人、辻琢磨さんにとってフクシマは情報が多すぎた?
そんな感じがする、2泊3日に渡る辻さん三昧は今朝終わる。「建築あそび」を思い出していいな。また老害化してきている俺もうじきあの世かもしれない・・老害を演じる老人で突き抜けることにしよう・・とも思えた。辻さん21世紀都市・フクシマを体験しにきていただきありがとうございました。手作り本「更新設計01─辻堂の引っ越し」お土産ありがとうございました。(ゆっくり目をとおして感想を書いて公開します)。

■福島県原子力発電所の廃炉に関する安全確保県民会議に初参加
これもいまごろかよ!シリーズものだな。福島県と規制庁など政府のやる気なさ(うまく説明していると思っているだけで岡目八目からは話がかみ合っていない、対話になっていない、議長の資質がほぼ無能だと思った)と浜通りの被災地参加者の熱量が高くたの組織の人との熱差が際立っていて、興味ぶかい会合の一つなり。TVは’局、記者多数。WEBで動画配信もあるので現地に参加する必要が無いと手抜いてしまうと貴重な立ち話などの情報は得られない、現場に入るのが肝心なので、のこのこ参加して拝聴。いろいろ分って面白い。会議だった(内容省略)
■3・11以降多種多様な会合に参加しては貴重な専門的資料を得て保存してきたが、原子力学会と東電資料はとても分厚い!お金の使える量が配布資料で一目でわかる。東電は模型まで持参していてたので、質問すると丁寧に答えてくれる、参加者しか得られない権利を味わう。いいよいろいろ聞けて(会議中は無言厳守)今日の資料も分厚い。さすが東電カラーコピー分厚い、とほほ規制庁しろくろでページ薄し、エネ庁既存のパンフレットと少しのPDFペーパ(東電が作っている感じ)で済ませる。
早めに行って東電の頭よしおさんたちに立ち話でジャンジャン質問してしまう、こういのありがたいよ、立ち話重要です。

1号炉の格納容器かぶ(ペデストリアルデッキ周りの鉄筋露出問題は見た目で潰れた1m沈下したとしてもさほどの影響がない、水平力が小さいので全体に崩壊に影響し建築が崩壊するとは現在は想えないと俺も考えていたので、同様な説明で、巷の大騒ぎには加わりたくないと思っていた。これからも加わらないだろう。


6月12日 もう東北福島も梅雨入りかもしれない。ドンよりとした曇り空。

辻さんの車で元福島第一原子力発電所をめざして朝8時に家をでる。高速道路を使ったので、2時間かからず富岡の待合の場所に着く。・・以下体験記に綴ることにして日記はここまで。


いまごろかよシリーズ、今回は元・原子力発電所編
(老害人=俺には)目が腐り脳が腐りだす最適な場所であった。(ましな老人になれるかな?─体験記は後日書き上げよう)法律名「特定原子力施設=元F-1とF-2」の現在を見て体験し、道中ワイワイもした。入場許可誘導者がいなければ体験できない2箇所を体験。神のお導きであるが、身体が病と老いで朽ち果てる晩年に、日本近代150年間の突端ふう営為に出会う。私の欲望がそれを生み出した現地(鏡)に到達できた。このうえなき極楽支援施設・悪所を体験できたのは望外なことであった。とりあえず祝日にしておきたい。
■終日アッシー君であり案内役と指導を担ってくれた浜松市からはるばるやってきた、私にとっては神の使者である辻琢磨さんには感謝申!
■私案(冥途の土産設計)を手持ちし双葉町役場と大熊町役場の係の方々に会い藪から棒人間になりすまし説明してまわった。「津波で壊れないよう・・考えてね・・」と指導いただきありがし。私案は案内いただいた、頻繁に発電所に入りつづけている経産省の木野さんの語りや意見と合う点が多いのには、ちょっとだけ驚いたし、これでいいんんだなとも思えた。ー写真撮影は経産省の木野さん。


6月11日  どんより雨がおちそうなそら 目白が毎日やってきて囀るのはいい

■午前中my2023夏ズボンの縫いを始める。初めての手縫いなので、うまく早くは抜い合わせできないのだが、脛の2パーツは縫い合わせすることができた。午後は身頃の部分を縫う段取りをする。大きいのでそう簡単には抜い合わせできない。

■浜松から辻さんが遊びに来るということなので、福島産の地酒なとを福島駅まわりの物産館に買いに行く。

■午後5時半すぎ、辻さん到着、予定より10分ほど遅れ。早速小雨のなか2ショットする。あとは駄弁りながら呑んだり。10時ぐらいまでワイワイ。原発がなぜ日本にできたのか?福島はなぜ原発が10炉あったのか、今は原発ではなく特定原子力施設であること、廃炉じゃなくって、廃止措置がおこなわれていて、廃炉は不可能だなどを説明したが、情報量が多すぎて理解に至とは思えない。護福まち計画についても説明する。原発の事故の経緯と現在が身についてないと、護福まち計画は理解できない。そのことが分って貴重だ



夕方、浜松市から辻琢磨さんきちゃいました!
マジに建築の次を考えている人は勝手にくるのだが、若い人は考えてないので福島には来ない。来なくていいんだけど。今日は珍しいな。浜松市から福島市は東京駅をはさんで同じような距離だと思います、自家用車で6時間で着かないと思うな。
■明日は。福一元発電所の現場に入り、ついでに周辺・・の町役場を歩き回ろうぜ!ってなとで、早出して浜通り視察します(一緒に見て歩くことにしました、俺は新発見があるとすれば各町役場の人との問答だと思う)
■原発事故の何が問題なのか?を知らない人に説明してわかっていただくのは難しい。元発電所の事故がどのように問題なのか、広報して届いてない、中抜き業者の仕業にばかり税金吸い上げられて、伝わっていない。その実例としても、辻さんの来福は貴重です。



来客があればここで自撮り、いつもの場所で2ショット。派手な赤シャツで我が家に来た建築人は記憶に無いな、いいね。





















6月10日  のちくもり

2023夏用シャツ完成する。正面から見るとダラシナ系、後ろから見るまとも、そうみせるようデザインしたが、いい感じのだらしなさに見えていい。

昨日生地を買ってきた夏ズボンは自分で手縫いしてみようと、今日は生地を裁って仮縫いしてみた。そしてできたシャツと重ねてもみる。

■FB投稿

2023年夏myシャツできた!(麻地きもちい)
山形産薪が原料のボタンをコツコツ付けた。難しいものだ。合わせたmy夏ズボンの生地を裁った。上手に縫えないが手づくりなのでまいいな。

ボタンは薪の屑から削り出した。紐は河原から拾ってきた感じに。着心地いい、既成の手持ちシャツ着たくない。

2023my夏ズボン 裁断ていた生地を猫に邪魔されつつ仮縫い。
ズボンは腰巻あじ重ね着仕立て、風スースー通がパンツは見えない点が難しい。2023年夏は「ダラシナ」「だら品」がキーワドと決め通風も加味し、誰でも縫えるを目標に。人生初裁縫。縫わずに済むには「水に溶けない布ボンド」あるといいが。夏シャツと合わせると女学生の重ね着ふうになればよい、だらしな度はお爺さんの方が上級だったらいいが。







6月9日  午前中雨 午後上がる。

ズボンをつくってみたくなったので家人と生地を買いにいく。1m1200円ほどで2m買う。その足で食材も買う。

もどって型紙作ったら1mでもできそうな気がする。やや短めのをもう一枚裁断し。2枚つくるといいかな(欲張りすぎだろう。

■シャツの次は2023夏用のズボンのデザインできた(笑)
袴に近い変なズボンかな。シャツに合う生地を買ってきた(いい生地屋は福島市には無いように思うので手芸屋さんで)。涼しい夏用袴パンツ」トイレも簡単、ズボンの模型を作った。シャツは家人に縫ってもらったが、パンツは自分で縫うので、縫うの長さは最小、裁断も簡単明瞭、しかも涼しい仕上がり・・で、紙を切って模型つくった。これでいいや。

ボンドで貼り付け仕上げでもいいんだが、洗濯するとバラバラになってしまうので、手縫いするよ。
夏よう袴みたいな・・型紙できた。生地いるし、裁縫って大きな台が要ると仕事すすむんだね。

■大熊町、双葉、富岡それぞれの計画を見比べてみた
なるほど・・。(冊子を請け負う業者がいるのだろう、編集ソフトを使えばお役人さんたちだけで作れると思うのだが、他の業務に追われいそがしいのだろう・・)

■ すうっすぱい!庭の杏子をもいで煮る。すっぱすぎ。



■FBでの応答
水産課でアドバイスいただきました。当時の補償契約内容について調整した県も、今は誰も知らようだし書面もないですね。(見せないだけかも)「県漁連は永久に放棄した・・」と言うだけで会ってくれません。当時1億円で各漁協同士が配分争いとなる・・記事だけある。どこまで放棄したのか?は漁連、水産課判断と東電判断では食い違うのか?知りたい(東電には相手にされず連絡なし─応じる必要もないでしょう)と思いました。当時の契約書を見ない事には・・(語っても根拠がない、書いても創作になり、書きたくない。)で、漁協や東電の争点に対して他者は批判不可能に思いました。(県も漁協も風評被害を持ち出すしかないのは腑に落ちます)★公共水面については誰の所有物でもないので、その立場からの海投棄反対表明は日本人は誰でも可能だと思いました。■漁業権にいても興味がなかったのですが、私案(海上)を作成しているの、でいたしかたなく勉強中です。建築・不動産とは捉える方法や思考がことなり簡明なもに思います。世間には地上と海上の混同と誤解があると思いいました。私案を実現した場合は補償金はほとど要らない(計算上)ようです。■双葉町、大熊町、富岡町の勢いの違いはなにから生まれるのか?そちらの方を知りたいです。町長と東電の関係の濃淡なのか・・も。

よい意見交換がなるといいですね、根気の要る活動ごくろうさまです。私の方は日々作られている公文書を整理仕訳保存する県職員がいない、それを保存する公文書館も無い。何が伝承館だと笑うしない(3・11後に作られた県庁内の書面は捨てられてしまっているのでしょう─聞きとりしている建築系は無いです)それは県民の怠慢と無作為だなと思います。抗議しても糠に釘ですね。公文書関係の専門研究者は東北大の加藤先生しか私は知りません。福大などの教育機関に居るのか?不明です。■たった12年前のことで、人類史、日本の歴史の刻まれる惨事の身近な公文書記録が無い、保存されていない。調べようも書きようも、他者に伝えようもないですね。感情的に行政批判を放つのは無責任者だと感じますが(新聞・雑誌などしか保存なし。)■いつも投稿ありがとうございます!


6月8日 のち曇り 気温はやや高め

■全集完成!第6巻刊行発売 おめでとうございます!
花田達朗先生の全集は福島県立図書館にはすでに寄贈済です。手続きが要るとのことで、まだ貸出できるようにはなっていません。直、どなたでも借りて読むことができるようになるでしょう。ぐだぐだな現在の政治状況に至ったのは何故か・・・などお考えのかたにもお勧めいたします。(サキノハカを更新する

■午前。家人と買い物をする。その後県庁に出向き、一月前に公文書開示請求していたものを取りに行く、全くの不発だった。

FB投稿

汚染水に関する第一報 公文書を得る
一月かかかってこれかよ、公文書館もたぬ県民の悲劇とも言える。あのような過酷事故に遭ってわずか12年前の応答録が無いとは・・社会通念に照らしても、こんなもので県が納得したとは思えない、大丈夫か?・・このような貧相を受けて納得してたのか・・そう思う公文書開示内容。不服は1年間申し出可能なのだが、永遠に申請し続けることも可能だと思うけど・・申請する気が起きない。(こういう応じかたもあるのだなと学んだ)






6月7日 

朝いちで県庁に行く。水産課にて漁業権のことを聞き取る、沖1.5kmまで東電の補償した範囲らしい、南北は福一の幅らしい。

そのことを調べようと補償契約について漁協に電話してみる。県漁連は永遠に漁業権は東電にという。発電していないのに・・おかしい。で県立図書館でいつ交渉したのか調べる。

民報の記事を1967年2月12日を見つけコピーをとった。図書館の方々はいろいろ調べる方法を知っている。 漁業法と『漁業権とはなにか』を借りて来る。

■建築指導課にもよる、どうも根拠法が無いようだ。1週間経ってわからないなんておかしいだろう。
原子力災害対策課により県民監視会議と公文書の開示につてワイワイ。あした開示されることになった。

■FB投稿より

今ごろかよ!福一汚染水しらべ。キビタンに遭遇2ショット(笑
汚染水に関するマスコミ報道はどうも臭い?と思うので足で河北新報、福島県庁の関係課をうろいろ回る。とある部署では、すでに顔見知りになってしまったので、アポなしで行っても担当者は寄ってく来てワイワイできてしまい、何でも教えてくれる。彼らも庁内をうろうろしているので、出会えば立ち話もできる。いい感じ。東電のやりたい放題・・はこれが根拠だったか??も分かる。他もいろいろ収穫多い午前中。































6月6日  のち曇り

2023my夏シャツ 襟できた。身ごろに縫い合わせ完成
非対称(変なともいうな)襟。老人の手縫いで粗ふう仕手なってきてよろしいかな。
なんとなくだらしない老人という雰囲気がでていればいいのだが。

今日で読み終えようともくもく読む 内藤亮一さんの章が熱いしスリルがあり面白く共感と諦めも共有できたように思う。

速水清孝の人柄 みたり!『建築家と建築士─法と住宅をめぐる百年』読み終える。
デザインや自らの手法を熱く語る者には出会うことはあっても建築基準法や建築士法から日本の建築や都市住宅を熱く語る人に出会うことはなかった。(単に知らないだけだ)目次頁を作った。  http://www.fullchin.jp/hon/hayami/202305.html
身の周りの建築(住宅)の質が100年間、よろしくないと速水先生も思っているようだ。加えて3・11後一つの敷地を分割して建売する物件を多く見かける。その様を先生は嘆きうれいてうるかもしれないな・・と思う。それはPCソフトを使ってコピーを繰り返し各種図面を打ち出し、工務店に渡す、あっというまに代願書類を作成してしまい、確認申請すませる。構造はプレカット屋さんにお任せ建前もプレカット屋さんですませる。後、内外装を仕上げ設備を整え検査を済ませる。その後、屋根付き駐車場を建てる。明かな建蔽率違反なのだが、それで売る。
そういう土地を小間切れにして、必要な装置(建築)要るものは検査後造る。この売り方は全国津々浦々そうなのかもしれない。3・11の原子力災害バブル下でそのような建築(住宅)を目撃してしまうになった。土地の問題や販売価格の問題もある、建築家が住宅に手をださない問題もある。
今は解散してしまった、県住宅供給公社に務めて不動産につついては博識を自負している物知りだという女性に「駐車場建築は建蔽率換算するんですよ」と言ったら、あんたは馬鹿で無能で役人の言うことを信じないのね」と夫婦で馬鹿にされたことを思い出す。そういう認識が常態化しつづけスラム化の温床をつくるのだ。で身の周りの町の景観は整わないのだな・・と思ったな、それを想いだしながら読んだ。成す術なしはいまも変わらない、100年前もそうだったが、不燃化や耐震化、断熱性能はあがったが、どうなの?よ・・後進の方にお任せしておれはすっかりエア建築人なのだ。
速水清孝さんの存在を数ヵ月まえに県職員かたに教えいただき、県立図書館に上記の蔵書をリクエストしてたい。それを読み終えた。



6月5日 

午前中 片頭痛の症状でたので寝る。突然片頭痛症状は起きるのだが、たびたびでもないので原因が分らにまま、50年以上経つ。寝て起きると頭は重いけど治る。

昨日裁断した生地を家人が抜い合わせ始める。仮にきてみたが思った通り涼しい。いけそう。

2023夏用 myシャツ。だっぷりスースーぶかぶか手描き絵の通り
家人こつこつ縫い合わせる。変わった襟がつくと完成、ボタンは薪を削りだした6個のみ。
ズボンの絵も描きたくなるもんだね(笑)
袴と股引の中間風ズボンいるいる。老後は自分の服、洋裁をするのがいいかも・・


新しい学校のリーダーズの頁をつくる(広告が表示されないから)70年代ふうでもあるがダンスが挑発的でいけている。彼女たちの創作ダンスだそうだ。適格で上手い。

コンクリートの新しい頁をつくる 

帰還困難区域の樹木をどうやって保管するのかなど参考になりそうだからつくって眺める。






6月4日  風あるも爽やかなり

家人に夏シャツよう生地を裁つための図面=型紙をお願いする。あっというまにできた。

2023夏myシャツ 型紙できた!10万年後も着ちゃう。
生地は昨年 大阪市南久太郎町の生地屋でかっていた。熱気たまり暑いかな?通気孔もうけるか?思案中。ボタンは山形から来た薪で作る予定。




汚染水放流に関する態度表明ニュースをみおとしていたので FBに貼る
■いいぞ、相馬双葉漁業組合! 
自分でやるしかないと立ち上がったもよう
(特定原子力施設から発生する難問なので規制庁にも申し入れるべきなのでは?



6月3日  台風一過かぜあるもいい天気になる

庭の葡萄 房たくさんつけた バラも盛り 絹さや病
台風の影響で風強し 雨無し。

木漏れ日 風やみだす

明日は町内会の清掃日なので家の周りの雑草取りをする。といっても数週間まえから少しずつとっていた。子供たちが「森の家」と名付けたまでにmy森は復活してないが、木漏れ日はすこし落ちるようになる。外壁にうっそうと蔦が付いてると野鳥が寄って来るし蛙もくる。のだが10年掛かってももとに戻らないだろう。こつこつホルモン剤効きすぎて痩せたのかな?夕方になると怠い、奇妙な夢を毎日みる薬害効果はお気に入りだけど。

満田衛資さんにWEB電話し、いろいろアドバイスを受ける


汚染水関連の資料WEB頁つくる。




6月2日 台風の影響で強い雨もあり一日雨

午前家人と食材などを買いにいく。駄弁りながら歩くのでいい気分だ。

雨なので活動せず。『建築課と建築士』を読む。 FーREI開所式の集合写真に名前を当てていく。
■FB投稿

台風の影響でどんより暗く雨なので、活動せず読書
福島市出身の堀切善次郎と建築士法のかかわりも書いてあった。速水先生は福島県庁誕生史の論文「福島県庁舎の設計と建設過程」も建築学会で発表されている。いま読んでいるあと少し・・か。速水清考著『建築家と建築士ー法と住宅をめぐる百年』もふくめ福島県内の建築関係者の話題に上らないのが不思議・謎・・なんでだろう。推測するに福島県・建築士会の会長も速水本を読んでいないのでは?と思ったりする。県内の自称ふくめた建築家達も読んでいないだろう、話題を耳にしたことがない(俺そういう面倒な人とは付き合いないので知らないだけかも)。雨の日は書を読むのもいいね。■建築士法の誕生史を丁寧にあらわされていて面白い。堀切善次郎(飯坂村、現・福島市飯坂温泉生まれ)1884ー1979)が内務省で建築士法にあたえた影響(p86)や西山卯三生誕の地を探索しているんだけど、西山さんと大阪府の技師たちが建築士法の成立にも影響を与えていたと知る。■西山卯三のことも書いてみたいのだが・・フクシマのことに追われてしまってる←馬鹿だね俺って関わってはいけない領域に踏み込んでしまった)

同著には建築代願人という職業がでている。1970年代東京で働いていた、同時に数物件の設計をしなければならない、そういう状態にゼネコン設計マンは追いやられる。で確認申請は代願屋さんにアウトソーシングするのが常だった。仕事ができるようになるほど代願屋頼みになっていって、東京都庁の建築課など役所との打ち合わせはしなくなることを思い出した。福島市にもどると建築家といいながら代願人だったりして面喰ったりしたんだけど、歴史上は建築士より代願屋さんの方が先に誕生したようだ。建築建てるときの申請提出先は警察だったんぜ!なんて経験はしてないので、おれは青い野郎とも言える







6月1日  

朝一で県庁にいき巨大な私案を説明する。河川整備課 計画課 商工労働部、原子力災害対策課 イノベ構想担当課など。

嫌なをされることもなく、立ち話でもなく、打ち合わせ室に招いていただき、私案のコピーをもとっていただくこともあり、県職員も方も被災当事者である、そのことで齟齬が生じないように感じた。

防潮堤を設置するには海岸法の許可が要る。福島県内は40数か所完成していて3ヶ所は進行中とのこと。私案の計画は海岸保全地域内にあたる。で、ピラミットを造る場合には許可を得る必要である。それは占用許可である。海岸法の目的は海岸を守ること。国有財産を使用する許可となる。窓口は相双葉建設事務所の行政課。

■朝いちから「ひとつひとつ実現するふくしま」に出向き各部署を周る
「巨大すぎる私案は現在の法にてらし違法・・あるの」問題を確認中。違法はほぼなさそうな・・・そのような感触。私案をコピーして保存する職員多数(いい感じだ)で、サイン入りするする!(笑)数百年後はきっと高価な資料になるといいよ(笑)
■法律は分らないのでそ部署ごとに根拠法を教えてもらい、討議
どうも違法性のは無いを確認中。昨日とおなじでアポなしでも突撃でも「立ち話ではなんなので・・」と打ち合わせ室に招かれ数十分に語り合いすることができた。防潮堤にも似ているので河川整備課および計画課もたずねる・・・なるほ!どなるほど・・なのだ。浪江出身の職員がいて大いに同意される。あからさまな同意は職員の立場上できないのだが、ついうなずいて声に発したりする。被災民当事者にしかわからない感情が伝わっているのだろうか・・。建築指導課にも巨大私案を持っていく。「建築ではない」とのこと。他のことは難しくて(?)来週には根拠法を教えていただけることに?
■イノベに関する突撃聞きとりもしているのだが、今日は手のひらを返される。福島県職員は辛い立場にあるのが分るので押し問答はせず引き下がる。←気の毒千万だと感じる(すでに知りたいことは得てしまったので追い込みたくない)