佐藤敏宏
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2023年07月の日記          






7月31日  夕方をすぎると昨日より涼しくなったような気がする

■午前、家人と近所のスーパーに行く。もどって居間の硝子したに網をつけて、空気を取り入れる。空気がよく流れるのできもちがいい。板戸は腐っていて修繕が要る。

■午後、半地下へ移動して原田さん聞き取りの整理をする。

■あっというまに7月は今日でお仕舞だ。

■FB投稿

松本雄吉さんが主宰していた『維新派大全集』1998刊行
地下の書庫には雑多な演劇や短歌の本があり原発汚染水の本は一冊もおいていない。涼しい半地下書庫、ここには10年前に買った本はおいていない。武満徹著書も懐かしい。

今文字起こししている原田さん、家成俊勝さんは今も維新派のメンバーと交流している、一緒に仕事しているようだ





7月30日  昨夕にわか雨がきたけど相変わらずの猛暑日

暑いので2週間ほど半地下へ、避暑作業。葉陰の庭の寒暖計、外気温40℃ほどだった
原田佑馬さんの記録文字にし終える。明日からコツコツ絵などを付けよう。

■FB投稿

家の半地下書庫へ避暑し作業開始
庭の寒暖計40度まじかなので家の半地下へ移動。半月ほど作業することにした。クーラーなしでは猛暑にたち向かえないが38年そうしてきたので39年目もそうする。半地下は大地より1・5mほどしか掘っていないが書庫温27℃で作業に支障ない。書庫に使用したのはこの10年ほどだが以前は子供達の夏の部屋だった。光が入らないようにしているので蛍光灯など照明は要る。
■原田佑馬さんに10カ月前にいただいた、『One Day Esquisse』と『Tomorrow is today』を眺めはじめる。どちらも瑞々しい感性があふれでた良著。前者は特に新型コロナに遭って編み出されたメッセージだけで課題とその提出作品録で若い人いいと思うこと間違いなし。デザイン関係者の間では売れているだろう。



7月29日  昨日と今日は35度超えの猛暑日なので 家にとどまって、文字起こししている。

■28日のFB投稿 夕陽がつくる影絵をぼんやり眺める

地球が沸騰した・・ように暑い
庭から蝉がはい出し一気に蝉時雨

昨日の医大疲れか?ごろごろ猫のようになる









7月27日  相変わらず猛暑

午前8時20分に家をでて福島駅からバスに乗り、県立医大に行く。総合受付の予約は10〜11時。受付は9時40分までかかり放射線科へ。受付の問診、看護婦の問診などを経て12時に主治医(8人も居る毎日変わるらしい)の説明を終える。
マーカーは下がってもホルモン剤を呑む、放射線治療をして癌細胞を死滅させるなど、副作用についても細かに説明を受ける。想像していたより旧来の放射線治療なのではと思った。 

2時過ぎに家にもどり昼寝をしてしまう。暑いので疲れたのは歩いて疲れたのか老人なので疲れるのはそれは分からない。

放射線治療は9月末からやく一月毎日おこなわれることになった。いちどSTやMRIの検査日を挟む。福島県内で誰でも受けている治療法であれば副作用があっても仕方ないと以前から考えていたので、あとは治療してからその都度考えて対応しよう。

■FB投稿

病ありて人生3度目の「福島県立医大」(放射線治療打ち合わせ
・前回は1991年2カ月間の入院だったから30年ぶり。高校1年生の医大は突然で危機的だった・・・よく身体無事だったな〜・・神様に救われまともな身体のまま。今回の癌だどうなるのだろうか・・年齢からみても冥途は近い・・・平均的な治療でと医師にお任せ。医師みな私より若いのがいい、看護婦はもっと若いのである。
■前立腺癌に関する検査でCTなど採取した画像情報は全てもらった。今は病院間でデータ活用し患者にCDでデータを戻してくれる。で、当然のようにいただく。






7月26日  猛暑日だったようだ、暑い日が続く。

手縫いズボンに合う白い靴を買いに行く、ついでの家人の長袖とズボンを仕入れ気に入られる。

■FB投稿

義務教育後、初白い靴!

夏ズボン手縫いしてたら白い靴をはきたくなり買う。違う人生になったような気がしていい。サラリーマン時代を含めて白い靴を履いたことがなかったから新鮮。
靴のデザインもして、手縫いしたら面白そうだと思う・

■家人(都立女子高生生活なども)の聞き取り中(緩い計画)

冥途が見えてきた俺なので、なすべきことが絞られて分り易くなった今年。家人の人生を聞き取りもweb記録にできるようまとめてしまううと2週間ほど前から始める。花の都立女子高生の暮らしぶりも興味深い戦後昭和のリアルな女性の成長する姿が浮かび上がり興味深い。アルバムも多量に残っている(学校で活動していたアルバムの整理を身に着けたという)写真にはすべてメモもついていて、新聞記事より敗戦後の東京都下の家族の姿が何かと具体的に分かる。2,3年掛けてまとめるる緩い計画








7月25日  暑い1日

暑いので9時に食材を買いに家人と近所の量販店へ行く。午後平野選果場に行き桃を発送する。少し早すぎたかな・・。月末がいのかも、だが明後日、県立医大に行くので以降の予定が立たないので仕方なし。

選果場から戻り、DIY店に行き、網を買い蚊の入りそうな場所にセットする。洋品量販店でついでの下着と靴下を買う。家人ものも買う、上着1200円ほど、したズボン1500円と、形はダサいものの間に合うので、手縫いで作る人が居ないのが分る。

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福島市内は桃桃桃!季節到来
平野選果場に行ってみた。まだ少し早いかったかな、午後一体からかな、ここから約2ケ月は桃桃桃三昧。

再生しない庭の緑(植物)をこつこつ手入れ中
除染ですっかり蔦は蒸発してしまったが再生しないものだ。この一月離れの壁を見て、昔の蔦の緑の移ろいをおもいだしてしまう。(人も町も植物も再生なんてありえない)右絵2000年直後の夏の外壁の例


7月24日  猛暑日だったようだ

手縫いズボンの仕上げをし続ける。余った生地で上着も縫う。27日から福島医大で放射線治療が始まるので、それまでに縫いたかったので一段落。1月半ほど手縫いばかりしていた。で、手縫いのコツというか要領が少しわかったような気がする。自在に形を造り上げるまでにはまだ遠い。イメージに近づける要点は分ってきたかも。

■FB投稿

手縫いmy夏ズボン、名「しわしわ」できた。
皺は即興でいれたが凡庸になたので今後改修予定。
今秋から福医大、放射線治療へ通うんだけど、暑いので「着ていない」ふうズボンとした。薄い生地で高価だった。2m買う。生地が少しあまったので「被り裃もどき」名「はんみえ」紐止めも縫った。、軽くて涼しい、スカスカ上着は始め縫った。先生からOkが出る。女性だとお乳が見えて良さそう・・ダメがでるのか知らんが・・・(「世界に一つしかないものを縫え!・・」と先生からだ目が出るのでので、すぐ忘れ雑な俺にはいい先生だ)
■上着のイメージも湧きすぎて縫いたくなるもんだな・・明日からは文字起こし、冥途土産設計などに平凡は日常に戻す。猛暑の
なか医大通院外してもらいたいので週末交渉にいかねば、夏ズボン間に合ってよかった。





7月23日  例年より2日はやく梅雨明けとのニュースあり。

この夏はいて病院にて放射線治療通いするために2着つくっている。今日なんとか完成の目途がたつ。明日完成するだろう。

昨日宅急便で送った手縫いズボンぶじ樫原先生の家についたようだ。写真が送られてくる。

FB投稿

樫原徹先生へ手縫いズボン「つつぬけ」今日の午後いちで届いた。
早速履いて写真を送っていだきました!ありがとうございます、さすが神戸っ子は着こなしがいい感じ・「としちゃんより似合うね・・」と一言、家人に言われる。老人は若い人にはかなわない一例となる。

■おさわがさいたしましたが、明日でもいちどmy手縫いズボン系の投稿しお仕舞です。明後日からは手縫いのズボンを履いて、文字起こし・・あそうそう、今週なかばから放射線治療と冥途の土産設計などもコツコツ再開予定。暑くなっていますが1月間はこのような気候でしょうね、暑中お見舞い申し上げます!まだ梅雨開けてないのかも・・・。











7月22日  

樫原先生よう手縫いズボンにボタンを付けて、宅配便で発送する。午後はこの夏もう一本縫いはく夏ズボンを縫いだす。

■FB投稿


樫原徹先生、手縫い夏ズボン(名称N02筒抜け)できました!
自分が手縫いした(ミシン無い)夏ズボンを他の人に「欲しい」と言われるとは思いもしない老人の幸い。残念なことに近所の生地屋に2.2mしかなく存分にだっぷり布地を使うことができなくって、スカー状の前後垂れが短い。そのことによって太もも素足がチラチラ見える際どき「筒抜け」となって縫い終わる。
■脱・兵隊さん西欧式ズボン=ズボンから和服へ移行する形状なので、和服を着るのに慣れが要るように、この手縫い夏ズボンも履き方を覚えないと蜘蛛の雲の糸のように絡まって履けない。
■もう1本夏ズボンを手縫いしたら、冥途の土産どでかい設計図をしこしこ描く。同時にこの1年で文字化できていない音データを文字にし終えたい。どちらも1年かかりでまとめたい。(作業量が多いな・・・)

股間縫ってないので頭はスイスイ抜けますね(笑 ヤマト宅配便で発送しました。わはははは とどちらの「タマ」もすいすい。



もう一本縫いだす、老人よう(俺用)夏ズボン
今年の夏はこれでお仕舞、夏ズボン名「皺ツル」を仮縫いしてみる。左足の仮縫い皺は、本縫いしてから即興で縫い入れて、ほどよい太さに仕上げる。で左脚部は皺だらけの仕上げ、老人には皺が好い。すいすい空気も抜けるが埃もつもる

7月21日  あめは降らねど 30℃ほどか

樫原徹先生から腹周りなどの寸法が来たので、完成していたパーツを組み立てる。身体が大きいので切れはしもさほど残らないありさま。近所の生地屋さんには同じ生地は無い。なんとか工夫して組み立てる。
ボタンホールは難しいので何度も家人に教えてもらう。ボタンを付ければ完成までとなる。夜になったので、黒っぽい生地なので組み立て作業はせず。

■裁断してたmyズボン用生地をあれこれ眺め組み立てし直し、最初のデザインに近づける工夫をする。生地はたっぷり使うと面白い形状になる。いい生地が欲しいけど売っていないし、高価な生地を使って縫うほど腕は上達していない。

だれかから(ミシンもらおうといいかもしれない。全て捨ててしまった。)


昨日20日は午後1番で食材を買出しにスーパーに行く。
生地に直接図を描いて裁断していたら1日が過ぎた。










7月19日 時々曇り。

1日中樫原先生の手縫いズボンを組み立てる。ほぼできてきた。お腹の周りが不明なのでボタン付けは残っている。

■家人と共に、午後1番に近所のスーパーに出向き食材を買う。
家人は通院の日だった、野菜を沢山食べるような食事に変え1年半ほどだろうか、すっかり健康体形と血液も体質に健康になり、自分でも驚いている。少し聞き取りもする。

FB投稿

手縫いズボン6着目ぬうよ
■糞暑い毎日、手縫いNO2を履いて作業や買い物している股下が閉じず開放ベルトもない吊タイプズボンなので、股間も腹・体周りも空気が通り抜けスイスイスウダラブラブラすう、と快適なので盆前にもう一枚手縫いすることにし準備し始めた。
■樫原先生ようパンツはへその周りの寸法待ち。連絡があれば半日で完成しそう。NO6の生地はバーゲンで買ってあり、糸はいただきもの。昼飯喰らいながらスケッチ。簡単なので模型は作らずとも裁断用製図は生地に直書きできそう。何倍襞にするか?で生地の使用量が決まってしまう、ゴミも少なくしたい超シンプル手縫い夏ズボン。
NO2と同形を樫原先生ズボンにしたら、手縫い先生に「世界に一つじゃねーじゃん」と馬鹿にされてしまう。厳しい先生である。「手縫いは一つしかつくらねーんだよ!だからいいの・・」・・とほほ。

野鳥どうしの闘いすんで卵の殻
庭に卵の殻が落ちていた。昨日激しく囀っては飛び交うなど2種類の野鳥の動きがいつになく激しかった。今朝起きて庭をみたら割れた野鳥の雀の卵殻が落ちていた。
■医大から放射線治療開始の知らせあり。あんなに嫌がっていた放射線を浴び続ける身となる。
■自分が着ている手縫いのズボンを寸法の大きく同じ形状のズボンに縫う。初体験だ、これで世に2つmy夏ズボンが現れた。縫い目みて笑う・・・下手。

昨日は近所の量販店に食材や雑貨を買いに行くも、暑くって偏頭痛も来てしまい早寝をする。12時間ほどねた。



7月17日  暑い1日

樫原徹先生の手縫い夏ズボンを縫い続ける1日。暑い。

樫原徹先生の手縫い筒型夏ズボンちゃくちゃく!
2本の脚部と吊紐2本できた(進捗率50%)身体が大きい先生なので脚部の化粧は5本にして調整する 。それでも吊紐などは継ぐことになった。ハンカチや袋でもオマケにと思ったが、まったく生地に余裕うが無いので断念。切れはしもちょぼしか残らない。(紐、継ぎはぎするしかないぜ)



7月16日  暑い日だった

早朝文字起こしをすこしする。朝食後は樫原先生の夏ズボンを縫い始める。家人に葡萄の弦を紐で誘導し日除けにしたいとの依頼で紐を張る。

夜、家人を聞き取る。

■FB 
樫原徹先生よう手縫い夏ズボン(筒ぬけすうすう)
いつもお世話になっているので、さらに迷惑をかけてしまおうと夏ズボンを作り始める。2作目よりは工夫がほどこされ、手縫いもなれてきた。そんな気がする。
手縫いに要るのはアイロンだが、これはmy長女が移住してしまったので、それを使いはじめた。重くって使い易い。(女性向きではないかも)
■アルゼンチンのドキュメント映画で、シャツ屋を営でいる・・る想のお爺さんを20年前みていたので、それに近づこうと手縫いを始める。アイロンは以前から掛けているので慣れている。












7月15日  梅雨どまんなかの天気、ぐずぐず雨降り止んだり、気温はすこし下がる


家人が老眼鏡のレンズを入れ替えたいというので、コープマートまで往復2時間ほどかけて買い物もしつつ、ちょうどいい脚の運動。

ついでに縫いあげた女性用夏ズボンを宅急便で京都へ向けて発送する。明日よる着とのこと。

■午後は樫原先生用の夏ズボンを前作を改善しつつ新寸法を決め、裁断しつつあちこちから眺める。おおまかに裁断終える。すこしゆったり寸法にしたので、吊紐の生地が足らなくなり、あれこれ調整して捻出する。

明日から手縫いする準備は整った。

■FB投稿
人生初 手縫い女性用夏ズボンできた!
7月4日、家成俊勝+森純平と「建築あそび」(ワイワイ)の時、写真をたくさん撮っていただいた宮地さん(一度しか会ったことがない家成さんスタッフ)に送るために制作してみた。同じ形状の2本脚・・ズボンだが天に上るほどに筒状が消えて消えてスカートになってしまう・・変な夏ズボンを思いついたまま縫ってみた。蒸すきょうとにあっても風通しがいいはずだ。さて腰が入るか・・不明?それも面白い

宅急便でこれから送ります。梅雨盛ん手縫いズボンへ 包まれ世。生地は麻の無地がいいんだけど近所の手芸屋に売ってない

■今ごろかよ!原田祐馬さんとワイワイから文字起こし再開!
昨年10月大阪市ないでワイワイしたのだが、一部しかweb記録ができていない。この間、前立腺癌、冥途の土産設計を含めいろんなことが起きて、対応していたような気がするのだが、10ヶ月も間があいていた。
淀屋橋辺りから土佐堀通を東へ進む北浜あたりに着く。原田さんは川面がみえるビルのワンフロアーを借りデザイン事務所を営んでいる。俺がみると建築家と言える人だ。まいど一方的に喋っているような気がする・・・今日から原田祐馬さん聞き取り文字起こし始める。冥途も見えてきたので、すこし暮らしぶりを変えてしまっていて、色々な作業に対して、それぞれ時間割りを決め暮らしている。オモロイ過ぎる・手縫いズボンもつくる、文字起こしweb記録もつくる、フクシマ問題もさらにするする。で、気まぐれ気味でうろちょろ。そのような様で作業する方が肩がこらない、脳みそにもいい。













7月14日 

前立腺癌の検査治療で病院に行く、マーカーは激減したが、放射線治療をすると言う。医大に1月通うことになるのだ、予約状況によって放射線治療日は決まるとのこと。

■手縫いの女性ズボン、2つの部品を組み合わせるために2日間使ってしまう。単純だけど難しい手縫いズボン。2日組み立てには掛かったけどできたのでよしとしよう。

■FB投稿
・『公共圏ー花田達朗ジャーナリズムコレクション』第3巻
県立図書館より借りて読む。2002年わが屋で開催した「建築あそび」で、2度の講演記録76頁に渡り収録されている。
21年前の講義録はちっとも古くならないどころか、失われた30年後、40年目に突入しても、多く方々に「公共圏」について知り、各自の暮らしの中で活かして欲しいと思うのは21前とも何も変わらない。興味を持たれたかたには是非手にとって読んでいただければ・・・【福島県立図書館番号 070.4 ハタ18Z 3】直ぐ返却しますので。
・花田達朗ジャーナリズムコレクションは全巻、県立図書館が貸し出しています。

・福島市は桃の季節です。桃をたべながらワイワイしよう!来てね。
多品種にあり桃は3日間だけではないです(7月13日、7月27日、8月8日)9月末までももありです。3日間は「桃の日」・・決まったようです(知らない市民は俺)暑い日が続いているので、甘い桃だという気がします、雨が少ないので実は小さ目かな・・・。

・人生初、手縫い女性用夏筒状ズボンの仮組!
右足が動きにくいことが分る。構築物のように衣服は構成できない点がオモロイ。あと少しでできそうなきがしてきたが、ここから確定するのはムズイ。





7月12日 

肉や魚なとの食材を買出しにスーパーに行く。木槿咲きだして美しい。家人の聞き取りも少しする。烏賊の塩辛をつくり食す、一杯1000円だけど手づくりは美味いので、これからもつくるかもだ。烏賊高級海産物になってしまった。

女性用手縫いのズボン、左右同じ形状を作らねばならないものを、鏡状のパーツを作ってしまい。半分作り直しになり、生地に買いにいく。もう同じ生地は完売になり間違うと二色のパンツになってしまう。二色パンツもありのように思う。自分で履いてみてからにしよう。

烏賊の塩辛づくり40年
(家人の「人生」を聞き取りしながら塩辛づくり(今日は昨日に続き幼少から高校卒業まで、両親や兄弟のこともふくめて聞きメモする)烏賊は獲れた地域によって味はまるで違うので飽きることは無い。いきのいい烏賊は生臭くないので、見方さえわかれば誰でも手作り塩辛つくれる。皮をむいてつくることが肝かな。今日のはバターのようなぬ何とも言えない舌にまとわりつくねっとり感が強い、して生臭くないきがいい烏賊だ。今日の烏賊は各段に美味い!一期一会の味なので手作りにかぎる即興味。
近所の魚屋の若い旦那さんが「またつくりますか・・」と笑っている。木槿も気温に合わせるかのように勢いよく咲き始め、夏到来な気分だ。家族の聞き取りは夏場がいいかも。











7月11日 

朝市で近所の量販店に行き、米などを買う。あとはひたすら女性用夏パンツNO4を縫う
こんどは上手く仕上がりそうな気持ちだ。
ついでの家人の人生を聞き取り始める。敗戦後、昭和そのもの、モノづくりの時代だったんだなとシミジミ昭和は誰にでも健康的な感じがしてしまう。


洋裁とブリキのオモチャ
ひたすら手縫いしながら(家人に教えてもらいながら)ついでに彼女の人生を聞き取りもしている。浅草で暮らしていた家族は東京大空襲と敗戦に遭い流転。足立区千住のやっちゃば傍に居を構えたそうだ。おじさんがオモチャ工場を営んでいたそうで、(副業だった)ブリキのオートバイ・おもちゃ作りを手伝い、車輪を付けプレスで固定する作業の手伝いださそうで、小学生自分から働きもん。今でも働きすぎるので「サボれ」と伝えるのだが働く、洋裁は教える、植物には水をやる、料理は作る・・など下町娘も頑張り過ぎるように思う。
彼女の語りによって東京下町の敗戦ご昭和の暮らしぶりが生々しく蘇る。敗戦後の昭和時はどたなもモノづくりに励んで暮らしぶりが詳細まで分かる。(身内のもっとも身近な人間をこつこつ聞き取ることにも時間をさくことにした、貴重な昭和史なので)
その勤勉さと熱さは日本では二度と再現されないように思うのだが・・・政治はどうもそうしたそうだが、まるで状況が違うので無理筋だろう。

■福島県立図書館に花田達朗ジャーナリズムコレクション貸出開始
全6巻揃いました。先月、寄贈した上記の本は第3巻抜けていたので図書館に購入していただけるか打診してが購入し数日前から貸し出し開始したと連絡あり。ありがとうございます!福島県民の皆様、全巻分厚いですがシャーナリズムや公共圏などに興味をお持ちの方てにとっていただけれ幸いです。
(第3巻には2002年、我が家で開催した「建築あそび」での講義録も収録されています)





7月10日 

朝から手縫いし続ける。どうもうまくいかないので、いろいろするほどの悪くなってしまう。とうとうデザインからやり直して、生地も買ってきた。失敗は成功の基とは言うが、感が悪いと同時に洋裁の知識が無さすぎることがうまく仕立てられない因だ。


■女性よう夏ズボン。気に入らないので作り直しするよ。
NO3雑念はいりすぎたのでリセットして忘れる。生地を買って来て。ながめながら紙模型。生地に直接寸法を入れて裁断した。明日から縫うよ。
できたので吊るして見る
家人より作り直しの指令がでてしまう。人生初女性よう夏だぜパンツ(総計3着目)俺が家で履くことにすした。今日も暑いぜ、生地屋に行こう!

■女性用は数段に難しいぜ(家人にたびたびアドバスをもらう)
人生初・手縫いだ!女性の夏用ズボン(大阪の若い女性から依頼、身に着けてもらえるだけで嬉しいものだ。ほぼできてきた。■男性用だと1枚の布で夏ズボンができると知ったが、女性用は1枚1mの生地では不都合な点多い・・解決できそうにないので、2枚の布を使ってしまう。(ミニスカートのことを想えばなんてことないのだが、そうはいかないのだ)

生地があまりすぎるので手持ちのバックも縫ってしまおう。
まだ人生で3着しかズボンを手縫いしていないのだが、目にうつる風景の意味が手縫いしていないで見ていた風景と、別な位相というか違ってしまった。そのことに驚くと同時に「手縫いしてないと気が付かないんだと」そう思っえる冥途が見えて来たとはいえとてもいいよ。


7月8日  早朝は涼しかったが時が経つにつれ気温上昇

大阪で受けた女性用ズボンを縫い続ける。PCやスマフォから手縫いに変えるといろいろ変わることが分かった。健康のためにはIT系にはまるより手縫いがいい。


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夏はく女性用手縫いパンツ。主要部できた。(目標一枚の布で作る)
大阪にて受けた人生初、女性よう手縫いパンツ・・こつこつ縫った。明日完成しそうだぜ。俺様用パンツならこれでお仕舞だが、女性用はここからが難しい。縫っていて気付いた。(馬鹿だね)妙案が浮かばす、いきなり布を当てて仮止めしながら形を検討(1人ではできないのでか支援してもらう)したら、アッというまに妙案に辿り着いた。明日はこの案で仕上げよう。
一枚の布1mでは出来なかったが目標にかなり近づいた。(俺パンツならできることが判明)
男性なので女性用パンツのこと考えた事がなかった。手縫をしていると知らないだらけを知ることができる。今日仕上げたいのだが、はたして女性対応の形状になるのか・・ここからが頭の使いよう

近所の手芸道具売り屋さんには生地の種類が想ったよりすくないので、出会いで決めるしかない。洋服をデザインし販売しようと思うものなら生地から製造したくなるのは当然の理








7月7日  今年一番の暑さかもしれない。

関西活動での書類など整理しつつ洗濯する。整理しえおて、家人と共に近所のスーパーに食材を買出しに行く。ついでにズボン3着分の生地を買う。頼まれた2着分と自分の改良よう夏ズボンをつくるため。

手縫いパンツの2本も!活動中に頼まれた(笑)で生地を買う。
人生初手縫いNO3、4、5ようの生地を買う。NO3は女性の方に頼まれたので早速裁断した。裾のまち縫う、下手だなや(笑)いい感じに仕上がるのは、次の裁断で決まる。型紙は新聞紙であれこれ検討しているのだが、新聞紙は固いのでやりにくい。
NO4着目は俺の生地と同じで形もヘンテコの同じでよい・・で・・という依頼だ。
NO5用生地でグレー、俺ようので幅が広いので上着もできるかもしれないぞ。

人生初手縫い、夏パンツ。5泊6日耐久テスト終えたよ!
その間、二人から注文を受けたので今日生地屋に行き明日からは依頼主のため下手くそ手縫いすることにした。一部破けたり、腰ひもなど使い難い点を改良して縫う予定。
巨大な建築設計している方のストレス解消には手縫いがお勧めです・・・などと投稿してみよう。
■今時分は植物が日に日に変わったいく表情にはおどろくものだが、我が家の庭のそれらも活発な植生は太陽の光とともに枝葉を伸ばし葡萄は手入れもせずも実を膨らませていた。日除け代わりの葡萄の葉はありがたい。壁面を覆っていた蔦は除染されて何もなくなって、復活しないので、ささやかな夏陽射しの覆いにいい。

洗って吊るすとぼろ布にしか見えないのもいいな。身に着けると筒状になり風通しいいし、吊着なので楽ちんで夏向きといい感じの三十重ねだぜ!
今日は暑いですね!簡単な近況報告です。 (7月2〜5日)大阪などでワイワイしました。

(2日)は加嶋章先生と「フクシマ法」と「スペイン植民地都市計画法」について比較して語りあいました。500年前の「フェリーぺ2世法」は現地人の人権や生活の豊かさと守ることを主にまちづくりが実施されています。500年後の現政府は悪質にしてフクシマ人は奴隷化されているように私には見えます。なので、加嶋先生が論文を元手に双方を比較し「分り易い漫画」に仕立ててくれるかもしれません。

(2日夜) 多忙のなか満田衛資さんに時間をさいていただき「関西の方々から311に関連した義援金をいただきました。あれから12年間かかってしまい「活動の意味が、今ごろ分かっきた」ので報告をしたつもりです。が・・ビールと焼肉ご馳走になり「報告は蒸発していた」かもしれません。京都で活動中の竹内泰先生も合流し焼肉屋でワイワイし後、竹内先生に介護されながら銭湯に入りました。

(4日)1年前から予約していた「家成俊勝+森純平」雑談を実施しました。佐藤の司会で、岡田栄造先生にも参加いただき、9時間に渡り雑談。(馬鹿ですね)「千鳥文化」という既存建築の解説付。ドット事務所に戻り「森淳平さんの生い立ちお聞く」+「雑談」+「所員の方々の聞き取り」もしてしました。
「デザインイーストは関西のデザインと建築をガラリと変えた」と岡田先生が語っておりました。あれは2007年柳原照弘さんに我が家に来ていただいて現況報告しえてもらったあと、「大阪でも活動を始める・・・」ように伝えました。加えて2008年5月には柳原さんに紹介してもらった若手を聞き取りながら(柳原さんがついて歩いていたので)「目の前の仲間と共に活動するよう」押し続けました。彼は仲間を集め「DE00」を始めました。「全10回で〆る予定で1回が残っている・・・」と柳原さんは昨年、事務所でワイワイした時に語っていました。

(5日)「重源」好きの私は年に一度の重源法要日なので俊乗堂の法要に参加しました。国宝の重源像は写真の情報より圧倒的によかったです(理由省略)なので、ますます重源が好きになってしまいました。

■数年前から「聞き取り活動(ことば悦覧)は止めよう」と思いながらまとめるよう・・活動していましたが「いつでも止めてもいいかな」という感じです。今後は今までの膨大な記録をまとめることで、人生をお仕舞にしようと思います。いろいろ関西の方々にはご支援いただき、まことにありがとうございます。簡単な報告でした。


7月6日  40度になるという、津々浦々暑いひらしい

恵比寿駅傍のホテルで朝食1300円で食し、荷をまとめて、10時に出る。国交省を目指して日比谷線、霞が関で降りる。門前で建築指導課の女性担当者と電話で語る。変質者扱いされたのだろう途中で電話を切られる。

弁護士会館にいきいろいろ相談する。民事訴訟の場にいっても行政訴訟は馴染みそうもないので、日比谷線で神谷町駅にもどり、原子力規制庁の入ったビルを目指す。六本木の一等地、足下は緑豊か、起伏もおおく巧みに町と森林と休憩所があり、快適だ。
規制庁のビルでは写真撮影も不許可、電話対応もしてくれない。いわゆる門前払い。

午後1時、御徒町北口集合で花田達朗先生と会い駄弁る。「護福まち計画」の今後の展開、や今日の自己満足活動を批判を甘んじて受ける。四半世紀前に建築業界とは縁を切ってしまった俺はいまさら業界と関わりたくはないのだが、計画そのものが油っい私案なので、再度業界と関わらるのか?迷う。しばらく静観して、この1年間活動していた内容の記録をWEB記録にしたりして、私案についてはぼんやり考えよう。

御徒町駅そばで花田一推しのたこ焼き一皿8個入りと缶ビールをご馳走になる。別れる。

新幹線で福島駅17時半ごろついてかつ丼を喰らう。家についてシャワーを浴び家人とあれこれ語り寝る。目覚めたら12時でまた寝る。

■FB投稿

霞が関を周り終え御徒町で花田達朗先生とたこ焼きで昼呑だべる。
東京は暑いであります。ここのたこ焼きは外がカリカリで中がねっとり暑いせいか、外国人観光客(両親と子供など)が大勢来ていて大賑わいのなか食欲を満たしてはアメ横で土産物を買う。ここはまだ外国人にも日本人も人気ですね。京都も奈良も大阪も外国人観光客が戻り、日本人はマスクしてますが外国人はほとんどマスク無でした。家にこもらずこの夏は旅行にどうぞ!






















7月5日 奈良雨 東京 

岡田邸で目覚め、奥さまが準備してくれた朝飯、おにぎりなどを食べる。中学生になったお嬢さんと話して奥さまからメッセージがあったので聞き取る。奈良東大寺にいくので、寝ていた、岡田栄造先生に声をかけて1階に降りてきていただき、近況などすこしわいわいする。

■奈良東大寺を目指す。

バス停近隣車庫から出町柳駅までバスにのり、出町柳から京阪、近鉄をつかって奈良に着く。どんよりとした空模様でさほど暑くはない奈良の天気。近鉄奈良駅から東大寺まではバスで行く。バス内は観光客より奈良に暮らす老人たちの数が多く奈良の高齢化社会を観ている気分がするので落ち着く。

バスを降りて東大寺を目指すも鹿と鹿の糞とその臭いが充満していて熱気に混じり家畜小屋に迷い込んだような気分。1年前にも東大寺観光をしたのだが、7月5日は年に一度の重源さんの法要の日なので再度たずねた。俊乗房は重源さんが生活した房の名で、そのような名をつけたお堂があり、重源さんの像が納められている、今日は特別一般の人間も入れる日なので、入場料600円を支払ってお堂に入る。偶然だが、一番にお堂に入る者となる。そういう幸運というか、珍しいことが起きた。

お堂の中の滞在時間に制限はないので、40人ほどの人が出入りして、畳が敷いてある場所にはあぐらをかいたりすることも可能だったので、荷物をおいて、やく1時間ほど滞在し重源さんの塑像を下から右から左から正面からと何度も観る。薄暗いお堂の中で薄肌色の顔料が剥がれ、老人の皮膚に似た顔の肌荒れの様にも見える、時の流れ重源さんの像は国宝だと思うけど、写真ではみていたが実物は実にいい。表情が厳しく骨太で今にも声を発しそうな口元に目が鋭く何か(暗黒界)をにらみ、頬が落ちていて頬骨からの楯皺がそれらを強調してていい。鎌倉彫刻の傑作だろう。

頼朝によって起こされた鎌倉初期の潮流は岩手の藤原一族の財宝(金や毛皮)を京都や奈良に移動することで、それまで単なる荘園のガードマンだった武士たちが政治を支配した、いわば革命期に当たる。重源は朝廷と武士の世界、貧民と貴族、奈良と地方を行き来して東大寺再建をはかって実現した、建築界にとっては最も興味深い存在の一人だと俺は想って、ある種鑑にしていたようなことろがある。実像に対面し、「護福まち計画」を説明説明するに当たり重源さんにご挨拶にもうでた。

奈良の天気はぐずついていたけれど、人生にひと区切り付けた気分に満たされてよかった。

東海道新幹線を夕方5時すぎ恵比寿駅そばのホテルに着く。


夜8時集合で今夜は樫原徹先生と呑みだべりました。
ついでに「護福まち計画」を説明して疲れさせてやりました。樫原徹先生と呑んでもめちゃ楽しいです!樫原先生お忙しいところお付き合いいただきありがとうございました。


樫原先生は太田さんと恵比寿で事務所をひらいていたこともあって、その辺りを案内されたのだが、50年前恵比寿駅傍のゼネコンの6階の寮に1年チョイくらしていたので、まったくその地域と重なっていて面白い。不思議な縁を感じてしまった。お疲れの樫原先生を捕まえて「護福まち計画」を説明して、疲れさせた。ホテルにもどったら12時直前だったので、呆れた。


7月4日
大阪の宿で目覚め 午前中はデータ整理をする。徒歩で淀屋橋を目指し10時すぎに宿を出る

淀屋橋で岡田先生と合流し天丼を喰う。のち地下鉄で北加賀屋駅を目指す。駅で家成さんとスタッフの方にあい歩きだす。



森純平さん、家成俊勝さん岡田栄造さんと楽しい雑談9時間。
日時2023年7月4日午後1時集合。場所は北加賀屋
1年前に森さんと家成さんに連絡しこの日は家成さんの事務所に集合して長時間の雑談。それを実施しました、楽しいのないんの時を忘れて9時間の雑談でありましたみなさん飽きずに聞く語る食べる、終わらない・・。主な内容は家成さんの案内で千鳥文化を観る。森さんの生い立ちを聞く、家成さんのアーテスト支援活動を聞く、家成事務所の所員の方々の家成事務所に入所した理由を詳細にお聞きし、家成さんを泣かせる・・最後は佐藤の冥途の土産設計「護福まち計画」を説明するなど盛りだくさん・・・面白くって泣けてためになル雑談終わらない「終電に乗り遅れるよ」の声が出て〆とする。
私の呼びかけにて森さん、家成さん応じていただきありがとうございました、またい家成事務所のスタッフのみなさんにはお騒がせしたりなど・・感謝申し上げます!濃かったなや。(web記録は護福まち計画」を説明を除き作る予定です)」

スタッフの皆んさん生い立ちから事務所までをお一人お一人お聞きしてみると、現在の建築教育の問題が浮かびあがっていたようにおもいました。人には話を聞いて見ろですね。



7月3日 

出町柳駅そばの宿を出て、牧野さんの事務所へいき駄弁る。4時ごろ大阪福島駅そばの宿にチェインする。データを整理してたら5時半となる。

牧野研造さんに会う`@京都市内。
数年前に四条から五条へ事務所をひっこしたというので、牧野さん新事務所を訪ねる。14年前は京大卒業して独立したばかりだったが、今は着実に建築をつくりつづけて貫禄十。仕事の内容も多様な展開をみせていた。これからの活躍も楽しみだが、意味不明な造形をこつこつ作っているのは変わらない姿勢。他方で写真撮影に関心がむいているとのことで、本格的に機材などそろえて、たった一冊の写真集もできていた。牧野さんらしい写真もあるしまだバラツキがあるが見ていて楽しい。写真も建築づくりも現場に立たなければ成せない仕事なのでその点でもこれからの展開が楽しみ。
事務所の傍の蕎麦屋さんにて美味い昼食を天丼と蕎麦のセットをご馳走になった。どくとくの感性をもっている方なので見方がちょっと違うし言葉もそうなので、雑談もたのしい。不思議な造形をじっと見ていると牧野さん自身のように見えきて嬉しい。造形をつくる姿勢は初対面のときから全く変わらない。観葉植物の集め方も個性的でそれだけみていても飽きない。



7月2日 

■11ヶ月経った、はるばる来たぜ京都着そく加嶋博士と駄弁る!加嶋章博先生とは30年ぐらいのお付き合い、で福島市の我が家にも泊まっていただいたのだが、福島県内で加嶋先生を知っている人に会った事がない。残念なことなことだけど、当たり前でもある。で、加嶋先生の生い立ちからは博士論文まで、またその後なにしてまんねんを俺が聞き取って記録作りきたのだ。けれど、ちかごろ文字起こしの速度力がまったくもって低下しまくっているのだ、記録がなるかどうかは皆目見当がついていない。
■福島市駅発、午前6:47分ごろの新幹線にのり、京都駅を目指しながら、ひたすら本を読む。でも頭に入らないのは毎度のことなのだかひたすら印刷文字を追い続け5時間後、京都駅に着く。新幹線の外はいい天気で、大宮駅まえから西に富士山が遠くに見えて気持ちがいい。写真を撮るのは席4つ飛び越えないと撮れない、とっても客の頭しか写らないので諦めただ眺めてたら、東京駅に着いた。
■東京駅に前回(2022年10月初旬)着いたときは台風の影響で新幹線が 前面ストップして、駅のプラットフォームは日本人だらけで立っているもの大変だったが、今年はあの混雑は消えて、スイスイ乗れちゃったいい。東海道新幹線はJR御達者クラブに入会していて、3割引きなんだけど各駅停車しか乗れない制限つき切符。それでも東京から京都まで2時間半で着いてしまう速度。快適かどうかは分からないんだけど、ひたすら活字を追い続けたら、あっという間に京都駅。その間めずらしく写真は一枚も撮るきにならず絵は無い。
■加嶋章博先生に会い2003年3月に『スペイン植民都市計画法に関する研究』をネタに、フクシマ問題を解決するために「フクシマ法」と先生が研究している「法」こんなに似てるけど全く違う、加嶋先生の研究されている「法」は500年前のスペイン国王がつくった、俺が読んでもそうだよな・・と思える内容ばかりで、これは建築に関する法律を読んでいる俺としては、全くもって500年後の現在の「フクシマ法」の法が糞法で誰のための法なのか、読んでもさっぱり理解できないし、日本の主権者ならびに家族の基本的人権すらフクシマ法は犯している・・などと駄弁ること4時間 まったくもって面白い、途切れることなく俺が7割り喋り、加嶋先生は3割しか語らない。
最後は藤井厚二先生の「八木邸」に関する話で〆ました。来月から加嶋先生家族はスペインにて1年間生活するそうです。おおいに遊んできてほしいと願うばかりの楽しい4時間でした。

加嶋先生、長時間おつきあいいだだきありがとうございました。京都暑いです。スペインの1年間平安でありますように、そして帰国したら再度ワイワイお願いいたします。


満田衛資先生と会う+竹内泰先生とも会う。二人同士、旧知の仲なんだと知る。
加嶋章博士と出町柳駅で別れて、面倒なので満田先生に出町柳駅に来ていただいて、1日の二人だけの話合いに仕様とおもたら、竹内泰先生か目の前をデカイ体を揺すりながら歩いているのを見てしまう。もちろん声を掛けるのだか、竹内先生ひまだったら3人で
?みましょう聞くまでもなく自然に3人で焼肉屋を目ゼして東山の方をむいて歩きだす。

満田先生は311直後、関西の俺ともから義援金・物資も集めて支援していただいているので、12年経ったので、この12年間俺はなにしてたのかをキチンと報告したい。お二人にフクシマ問題を語ると、分らん、聞きたくないような気がしたので、語らず。焼肉くいつづけ楽しい会話が続いきました。

満田先生は朝、東京→京都→自宅→着替えてから出町柳駅に来ていただきましたです。で数時間3人で呑んでも疲れしらずの満田・竹内先生。俺はへろへろになって満田先生と分かれて、出町柳駅そばの銭湯にドボン、京都の銭湯は何度も入っているんだけど、京都の鴨川も気持ちいけど、銭湯文化がいまだ健在な京都はいいよ。

そして出町柳駅そばの宿に戻る。竹内先生が部屋の外から鍵をかけたようで、俺は部屋から出られない、仕方なく窓から小便を放尿する(糞もしちゃいそう)というの西山卯三先生が学生のころトイレに行くのが面倒だので窓からそういうことをしたのという作り話を想いだしたので書いてみました)年はとりたくねーよろくなこと思い出さない。

京都の朝はきもちいいよ!
出町柳駅傍には高木み江さんがシェアハウスしてオモロイ人たちと暮していたのんだけれど残念なことに高木さんは亡くなってしまった。時は無常に過ぎ去る。だけど俺は度々同じ鴨川の川面を眺めながら、この十数年京都で会った人ことを思い出す、それは過去の話ではなくて、記憶を新しくし続ける行為。だから同じ場所、同じ道を歩き続けるのは、俺は面白いんです。はるばる、また来るよ京都


















7月1日  梅雨まっただなか

蒸し暑いなっているので、網戸を付ける。午後1番で家人とスーパーに食材買出しにいく。もどって明日からの関西活動の準備をする。

■FB投稿

明日から数日、関西で活動します。関係者の皆様よろしくお願いいたします!
関西も暑そう。フクシマの放射能除染により家の庭はほぼ全滅した・・・が、コツコツ緑化して・・・ようやいる緑化しだした。先日、紫陽花も無理やり移植したが一輪咲いた。来年はこんもり咲く紫陽花にしたいので忘れずに剪定しよう。
母屋の屋上、なかなか緑化進まずなので、廃棄畳を敷き詰めて雑草の苗床にするのがいいのかな・・・。

■東電原発から撒き散らされた「放射能」でも家人は狂気を抱えた。
当時、室内は全てガムテープをもちい貼り閉じて、部屋からもでなくなった。すこしずつ放射能発の狂気も消えだし12年かかったが、ようやく、外部空気を招きいれることになるまで戻った。
本来の設計は夏は方々の窓を開け放ち暮らす、エアコンは全く使わず暮らせる設計になっていたのだが・・・あの放射能で家の窓は出入り口以外は全てガムテープ目張り仕上げのときもあった。
■今日、ようや設計の意図の姿で夏を過ごせる、窓、網戸だけ立てて開放できた。風が通り路上のような気流が頻繁に淀まず流れ涼しい家になった。

■人生の最後に読むべき「本」はこれ。2023年も半年すぎた。
『純粋理性批判』イマヌエル・カント著(1724ー1804)79才没。1781年第1版1781年(57才)。改定版1787年。
「末期、生を閉じる前に何をよむのか?」どんな活動して〆るかなども・・あれこれ考えるようになった(いまごろかよ!)。癌さまのおけげだ。それは当然「家族の記録や、家人からもらった手紙など、友人・知人からの語らい録(建築あそび、聞き取り各種活動録」でいい。
まだ末期には間があり「哲学書」を読んだことが無いので、今日から1年掛けて読むことにした。約1000頁あるので、日に3頁か・・読めるのか?理解せず一通り読むだけでもいいしょう、それらな出来そうだ。
■県立図書館から借りたのだが、紙が酸化していて印刷文字と明度が近づいていて、文字が小さいので読みにくい。白内障で人工瞳になってしまったので色がすこし変わったように思う。新品買うか・・岩波版まだ新品あるのだろうか