佐藤敏宏
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2023年09月の日記          



9月30日  時々 

今日は土曜日で放射線治療はオヤスミ。家の中を掃除する。

■FB投稿

大室佑介さんが三重県からはるばるフクシマ見学・・・来るぜ!(福島地酒買う)
三重県と福島県の地酒比べをすることにした。大室さんとのワイワイは2010年3月8日だった。一年後に大震災おきて一度我が家に寄ってもらい農業ダムが決壊した藤沼湖現場を周ったので12年ぶりかも。
東京都出身の大室さんは「仙台卒制日本一」の方、で磯崎新さんの事務所に勤めたのち、建築家としてもまた、ご夫妻で芸術表現活動もなさり私設美術館も運営し、さらに私設公園も作っていて大活躍中。知る人しか知らないナイスで稀な方でもあるよ。








9月29日  ようやく快晴だった。
今週最後の治療は教授の診察がある。疑問てんなど聞いて納得した。で、排尿の間隔が短くなって頻尿状態になってきた、放射線の影響だという、治療が終わり、2,3週間で治るそうだ。来週どうなるか、さらに短くならないでほしいな・・。

医大診察の帰り道、コラッセの物産館で地酒を2本買う。
ついでにフランスパンも買う。

■今日のFB投稿

ひいさしぶりの快晴の中、9回目の放射線治療。総27GYとなる。(楽ちん治療だ)
晴れたよ!信夫山はすっきり姿を現し雲もかか掛かってない、東側はそうでも西側の安達太良山から家型山などの奥羽の山々頂きは雲で覆われていて見えず。9月末だけど陽射しが強いので車輛の東側は遮光ブラインドを引き摺り降ろして直射陽を防いでいたので車窓から光を浴びた東の風景が見えないのは残念。久しぶりに快晴になったからか?乗客はドンよりした曇空の日より2割ほど多く、革靴の乗客は多数だ。
今日の車内広告は「客の暴力はダメニャ!」を初見した。車内で暴れる客がいる?ほど福島の人々は苛立っていないだろうが、さほど考えもせず都心部に倣い吊り下げているのだろうか?
今日乗ったバスは後部から乗り一番前から降りる古い形式で、初めて体験した。真ん中から乗る型式がほとんどなので今日のバスは古いのだろう。車内はそこかしこの車体から音が発生して賑やかであり、車体自身が賑やかでやかましいバスだった。車体に反して運転手は若い。若者はぼろいバスから運転を始めるのかもしれないが、マイクも使わず自動音声に任せっぱなしだ。で一言も声を発しない無口運転手だった。事細かに肉声でアナウンスする運転手には数日前に乗ったが、乗客はどちらが好きなのか、それぞれをどう思うのかは分からない。老人が多数なので先々の揺れ具合などを細かに伝える運転手の方がいいのではないかな・・と俺は思う。耳が聞こえない老人はどうするんだと言われそうだな・・。
■県立医大は「病のエリートが集う」病院であり、選ばれた人しかゲートを潜り診療を受けることがかなわない。今日の放射線科は賑わっていた。若い女性患者を見ちゃったりすると・・・・こちらの心も痛む。俺のような老人がいてもさほど思うことはないが、家族を引く連れて大名行列を決めている老男性を見ると、この国の女性たちは気の毒だとしきりに思う。また老婦人たちが3人集まると治療報告の合戦となり一気に賑やかになるのだ。さほど効果があるとは思えないが、それが楽しそに、それを楽しみにしえいるようにも見えてしまい、おかしい。押し黙った男性患者に比べ女性患者は明るいし長生きずるのが理解できる。
俺の放射線治療前の準備は下剤のような薬と腸内のガスとなどを無くす(へっこき虫人間)になる薬を日に三度服用する必要があると言われ呑んでいたが、ホルモン剤の副作用で下痢気味が続いているので下痢促進薬は買ったが服用せずに今日まできた。
薬を飲んでも腸内にガスが溜まっていると看護師が肛門からガス抜きし、前立腺の位置を所定にセットしないといけないのだと言う。ガス抜きが要る日はガスが抜けるまで手間取る。ガスはのべつくまなく出るような薬なので、ほとんどバスに乗らない俺は車内で屁したら迷惑だろうか?と思うし、さらに妄想ふうに想うのは、美しい女性が隣に立ったりすると連続して屁が出そうになるのを我慢するのが少し辛いかもしれない・・・そんな美人に屁を浴びせて仕舞ったりして後悔したくない。幸い俺様の好きな美女はまったく乗って来ないので助かるよ・・医大行とそこからの発車バス。
人は男女とも老齢化すると屁が出やすいようだ。寝むりこんで屁をコクの人には普通のことだろう。俺は治療によってガス抜きされるほど屁が出ない老人なのであると知る。肛門にガス抜き管を入れて吸引するようだが、自分の肛門ですら見えないので、何をされているのか分からない間に「ガス抜けました」と治療が始まってしまう。
放射線照射治療より準備段階の方が気分は良くない、俺が仰向けで寝ている台が上昇し、尿の貯まり具合を超音波で確認する、今日は60%ですとか語り合うのだ。そうして照射位置に2人の医師たちが予め俺の体に付けたマーカと投影された光を合わせセットすると準備万端整う。グイーングイーンと機械が動き出し放射線を3GY照射されている時間は30秒も無さそうだ。奇妙な唸なり音をあげながら大きな機械が俺の身体を中心に周る。高価な機械だと思ってしまう、何しろあの短時間で治療費は保険無しだと5万円かかると請求書に印字されるのだからね。それは機械の償却費用が治療費として変換されているのだとしか思えない。
あっという間に放射治療は終わるが台が高くなっているので、いきなり起きると落ちて骨折するほどの高さなのだ。治療中は痛くもかゆくもない、患者にとっては最も楽な治療の一つのような気がする。
癌発見!!あのときは「手術で摘出するのだ・・・」と思っていたので、老後はだらだら漏れ男となり尿漏れパットを当て暮らすのか?やれやれ入院して面倒だ・・・などと想像していたのだが、まるで違って楽ちん治療に落ち着いてしまったのだ。治療科の待合部屋の壁には「仕事と治療の両立可能な放射線治療」というポスターも貼ってあるほどで、治療前の「放射線治療はコワイ、キモチ悪い・・・」との先入観を持つ俺の蒙を開くことが難しそうだとおもったがそうではなかった。俺の放射線治療は怖がるようなものではなく拍子抜けしている。だがそれを知らずに怖がり民間療法に嵌る患者も多いような気もする。
俺は死についても楽観的なので、俺が死んでから「俺の死について考えるよ・・・」と思っている。生きている間は綺麗なお姉さんとワイワイ、友達と酒を飲んでワイワイ、「建築あそび」してワイワイそんなことばかり考えているので、俺の死などはどうでもいい対話テーマの一つでしかない。

9月28日  ときおり雨 午後陽射し戻り気温上昇する

ドンよりと雲った日が続いているが、午後すこし陽射しがもどり気分がいい。
放射線治療を終え、午後一番で家人と食材を買出しに出かける。

■FB投稿

放射線治療8日目 帰り道雨があがり福島駅や信夫山(烏が先)が見えた!
何もない殺風景な岩代清水駅舎と思われるだろうが、ホームに立つと日々異なる姿を見せてくれるので面白い。今朝は蝶が2匹飛び交い午後晴れるのを知らせていた。キャンパスを抱えたご婦人や大きな銀色のキャリーバックを抱えて海外旅行でもするのだろう男性が乗り込んで来た。社内の広告を見ていても毎日違う様をみせる、福島駅に着くと福島ではとても珍しいことに、朝ビールごくりと呑み唇をペロリとなめる男がいたりして大都会みたいだった。(大都会の人々が朝から呑んでいるのを見たり触れるのが、俺は好きだ。)
奥羽新幹線の上り線路付け替え工事は雨合羽を着た作業員が足場を解体しているのを見ると駅舎よりの鉄路を支えるコンクリート打設工事の一部はほぼ終えたのかもしれない。
■蓬莱団地を通過し医大に近づくにつれ昔の都市計画が滅茶苦茶で人間不在、そこで暮らす一人の人間の暮らし方に思いを至らせてない、単に合理的なだけの街づくり計画だったことが手に取るように分かり興味深い。団地の住人も医大の学生も医師たちも機能の一部でしかないと思い込みあるいは考えず、人を捉え計画していないことが分る。そうして、福島の町らしさを体験せず医大を卒業していくのだろうか。医師やその家族、そして医学生の交流の事を想像し、人間の暮らしが継続し保てる町づくり(都市計画)だったらよいのにな・・と想ったりする。
■起伏の多い場所に団地や病院や大学を強引に作ったことで、道路サイドは法面ばかりが目立つような気がする。かといって植樹計画がきっちり出来ているわけでも、看板の計画が出来ているわけでもない。暇な時に誰がこれらの全体計画を指揮したのか調べてみても面白そうだ。
■医大を発ち、福島の町中に入ると疎開空地を転用した平和通り、13号線を強引に接続、4号線やバイパスの強引さともに、人間のスケールを越えて土建屋のやりたい放題ばかりが目につき、旧来の町をズタズタにしてしまって、町から人は団地に押し出され、残った町はズタズタで無個性で散乱しつづける町が申し訳なさそうある。
ガソリン車での移動を前提に練り上げた、老人や子供はどうやって移動するのかさえ飛ばされてしまっている。これはまちづくりの失敗なのではないかとさほど知識もないのに思う。また、旧4号線、バイパスのロードサイドの町並みを眺めることだけでもそれを体験することができるので、通院は思っていたより面白い。
■疎開空地を平和通りと名を改め、13号線はバイパスを苦し紛れに付けたような土建屋主導の街づくりは相変わらず続いていて、夫婦で共働きでおお忙しいの人々はネットで買うのが常態化しているだろう、老人だったアマゾンで買う、そういう人が多い社会になって、なんだこの町はまともな公園もないじゃないか・・と・・ますます時代遅れの町に成っていく事だけは想像できる。ガソリン車を蹴散らし、そこに暮らす人にとって要る、人げんらしい町にするにはすでに手遅れだと俺は思う。かといってコミュニケーションで補うことも成せないだろう(その原因は省略)


9月27日のFB投稿

日に3GY(グレイ)照射する放射線治療7日目
治療台に載る2時間前に家を出る。雲が低く岩代清水駅のホームから東にある信夫山の3つの頂き、もっとも近い烏が先も見えず、信夫山全体は中腹まで見えなず裾の方も薄っすらと霧に包まれぼやけている。
ホームでは毎日違うことが起きるので観察していると面白い、今日は慌てた細身のサラリーマンがスマフォをホームに落とし大慌てノルカパスの音と同時におきたので、パコンピコンと雨の中にあってひと期は賑わった。飯坂線の車両内はベージュの床が傘の水滴で濡れていて、滑り易くなっている。雨の日でもゴム長靴を履いて乗車する客はいず革靴とスニーカーが半々で、俺のような安全靴を履いている者はいない。
医大行きのバスに乗ると、若いサラリーマンがスイカをタッチするも、「スイカでの支払いはできないので、現金で・・」と運転手に言われ大慌てしているけど、現金を持ち合わせず相談している。「帰りも乗るのでしょうから、名前と電話番号を教えていただけきその時に2倍払ってください」ということで決着となりバスは走り出した。
福島交通が発行するノルカパスは現金が不要でバスでも電車でも乗れ、路線のどこまで何度乗っても料金は請求されないのでお買い得、持ち得だ。
行き来の車窓から見える福島市の風景は霞と雨粒がおおい、幻想的でもあり、夢心地であった。
最初の絵はバイパスと旧4号線が交差する場所で晴れていれば、ここの谷間からは信夫山を背にした福島市街が見えてい、推せる場所である。江戸の人々もこの峠を下りおりて福島城のある街を目指したのだと思う。雨が降る中で同じ風景を見ると江戸の徒歩の旅人が現れて来そうな錯覚が起きていい。

■山崎さんに手縫いのズボンを宅急便で送る。生地は家人いち推しだ。高価で軽いのが特徴。







9月26日  午後雨来そうな予想は外れて終日曇り

■早朝7月4日の北加賀屋ワイワイの文字起こしをする。45分ほどできた、明日から絵を付けて仕上げる。
8時じ50分に家を出て県立医大にて放射線治療を受ける。今日はスムーズでいつもより1時間ほど早く家に戻る。

手縫いズボンの紐を縫いつつ、ズボンに縫い付けほぼ完成。弱そうな箇所を明日補強して完成としよう。

■FB投稿

3対の紐で履く手縫いズボンほぼできた
紐通し5ヵ所あるので、どの紐を相手に結ぶかによって形状が変わるズボンにした。耐久性は確認要るが何とかなりそう。だが、着こなし難しいか。センスがモロにでてしまうような気もするズボンとなった。俺は履きこなせないかもな・・・(完成したから分かること)
紐の組わせせが多すぎて、どれがベストなのか・・・デザインした本人も分からなくなる、ボケ老人である(笑)

■昨日のFB投稿
肴キング!の鯛を焼く 少々火が強すぎたな
美味いね鯛様はうまいよ。
宮城県産天然鯛、あまりに安いので放射線治療の平安を願いつつ鯛を焼く。汚染水放流の影響なのかな・・捕れ過ぎたのかな・・


放射線治療5日目(保険加入せずば、毎日5万円の治療費が要る)
最寄りの飯坂線駅は岩城清水だ。駅東には殺風景な賃貸アパートが数棟建ち、都市ガスの配管を節約したようでプロパンボンベ小屋が見える。駅ホームとの間は以前は水田だったが、同じ地主なのだろう家賃の上がりを期待しているのか田植えはされず放置され雑草が茫々している。雑草の奥底から秋の虫たちが盛んに鳴いている。この処数日、天空を雲が覆い青空が少ない。福島駅にむかって電車が走りだすと、安達太良山、吾妻小富士や家型山などの連山のどでっぱら辺りに雲がたなびいていて。山の辺りはさぞ気温は低いことが見て取れる。気温が上がる帰り道に、まだ、あの雲はどでっ腹をうろうろしてあるか?と奥羽の山々を眺めると消えさってしまい、天空の彼方の雲となっていた。

医大行きの福島交通バスは数路線あって10〜15分間隔で福島駅を発車するのでほとんど時間のロスは無い。医大に向かって道の両サイドには現代人の欲望をあらわすように各種看板や店舗が呆れるほど並んでいて、日頃町に出ず引き籠り気味の俺・老人はすっかり煙に巻かれ何も見えなくなった浦島太郎のような気になっては、辺りを何度も見回しては店の名前などをメモしてしまう。バイパス経由で向かうと阿武隈川を大仏橋と天神渡しをすぎると弁天橋の二つの大きな橋が架かっている。バイパス計画の強引さは新旧4号線の両サイドの店舗を比較すると何も言わずとも理解できて面白い。天神橋を渡ると250CCの水を一気飲みして膀胱にそれを溜めつづけ放射線が膀胱に当たり難くするための行動を欠かすと膀胱癌を誘ってしまうので、忘れないようにごくごく、福島盆地井の弁天様天と神様ってどんな姿なのかな?中性なのかな巨乳なのかな・・などと想像しながら一気に飲むのも楽しい。

・・・このように書き出すと切りがないのでここで止めて、いずれ前立腺癌放射線治療記を記しておきたい。世間知らずの俺には見るもの、電車だろうがバスだろうが引っ切り無しに広告の放送があり、身体全身が広告で包まれてしまうような気になる。看板を細かく見るといろいろな事に気づいて、笑ったり呆れたり、欲深い人々だなーなどと勝手な感想を持ってしまう。
■病院のことはメモしてあるが大幅に省略。駅で買ったフランスパンと庭で採れた葡萄を冷凍した粒を一つ一つ口に放り込むと、葡萄がシャーベット状に溶け出し甘い美味い、t変な食べ方だけいろいろ冷凍して食べるのも好きなのである。





9月24日  気温さがり朝方寒くって目が覚める日中25度ほど

今夜からかける毛布を干す。午前家人とてくてく食材を買いにいく。戻って夕方までズボン用紐を縫い続ける。

■FB投稿

紐を縫うばかりの日となる
細い紐ほど難しい紐縫い、8mmまでしかまだ縫えない。今日は4センチ幅の紐2対4本縫いズボンに括りつけてお仕舞。
■明治維新に薩長、会津などの兵隊さんようズボンが津々浦々に広まり、おまけにベルトで腰を締め付ける。あれを脱しようとし紐仕立てにしているが、改良を何度もしている。まだ原型は完成していない。
■目指すは、箱に脚二本(笑)そんなズボンを手に入れたいのだが、作って履いてみると・・・歩きにくいなど・・難しい。まだまだ完成しそうにない。ベルト無しの方が先に原型は完成しそうな予感あり。

■23日FB投稿

手縫いズボン、脚二本合成してみる。キラキラ光けど軽い高価生地
二本の脚を手縫いする。放射線治療を受けCT図像を眺めワイワイすると手縫いの身体寸法の粗さに気付くことになる。関連死者2335名ほどの身体寸法は様々なのだが数に抽象化され語られることで亡くなった方は均等に扱われてしまう残酷さと不思議を想像しながら手縫いしている。









田島さん特注の額も田島さん肉筆画も家人のお気に入りなので、台所に飾って35年ぐらい。絵が下がってきた(笑)それはそうだ、紙も変色してきたな

9月22日  雨が落ちそうで落ちない曇り空少し落ちたけど傘は要らない程度

■放射線治療を受け4日目、帰りに町にでて雑用を済ませる。

■FB投稿

田島征三の闘いに協力、焼却灰置き場(日の出町)代案作成した日もあった
今朝、田島さん元気で闘争中と知る(講師などで指導しているのかも)田島さんとゴミ問題をワイワイしたのは1980末で、その後、絵や陶器も買ったりして、楽しくワイワイ、起こって闘うある種の中まであった。その当時、田島征三さんは日の出町に暮らしていたが、東京都三多摩地域365万人のゴミが日の出町の山間、水源地に埋たてられていて、第二処分場に計画に反対に立ちあがった。ご縁があって東京都の案に対する代案を俺に作れと福島にやってきた(経緯省略─で模型は棄ててしまたが、模型写真は今もある)現在は元・福島一原発、特定原子力施設廃止処置によって出る。行政に反対し代案をつくっても日の目はみないのだが、これが社会を知る好機となるので、俺は積極的になってしまう。核廃棄物の置き場問題の代案をこつこつつくっていもの、田島征三さんの導きが今ごろ開花しているのかもしれない。
■my人生に、下水処理、ゴミ処理系の問題は興味があって、なるべく関わってく(もうじき死ぬのだろうが)田島さんはやたらに女性にもてる技を傍で見ているのも楽しかった・・今は男性にももてているようで、全国を飛び歩いて活動しているようだ(田島さんの今日のFB投稿で知った)。

放射線治療4日目。教授診察をうける。
引き籠りに似た生活をしている老人なので福島市内の事もほとんど知らない。放射線治療を受けに片道一時間往復二時間なのに毎日起きていることが違う。例えば、今日は背丈が1mに満たないような、前後か、小学生90人ほどが元気よく「こむこむ」を目指して誰彼の区別なく挨拶をする、質問すると丁寧に話してくれる。黙りこくった大人とは対照的だ。先生五人(男性一人)に引率されているが先生の洋服というか、なんていうのかな、褒められたようなものを身に着けていないね!と驚いたりする。
インド人の親子だろうが医大目指して3人乗ると途端に対話が途切れなず終点まで賑やかである。帰り路は交通事故を見たりして、人が活動すると様々な事が起きる、あたりまえのことを具体的に見えて面白い。

■教授診察を受けるも、慎重な対応が多いなか、ここまで言うのね・・・と驚いた。my前立腺の正面断面、縦・横断面を見ながら説明を受ける。正確に照射されていることが分る絵だった。いたって暢気な俺がお^いいね教授で話し合ってても面白かった。
放射線治療を受けている患者は様々だが、若い患者はほとんど居ないので嬉しい。小さい患者の鳴き声を病院で聞くのはかなり、お母さんや家族の心情を想像してしまい、観ているのが考えるのも堪えがたい、なんとも言えない感情が湧く。どうか若い人が病にならなければ いいのだが・・。子供の患者が懸命に生きようとし快活に語る姿に接しただけでも勇気も湧くんだけどね。
暇があったら、まよわず若い子どもたち患者の支援ボランティアを行うのがお勧め。(手続きは知らない)
子供達の背負うバックが思い思いで楽しい。制服はなしにして私服でもいいのではないか・・先生の洋服が気を使っているふうもなく、かっこよくないので、先生たちが私服に反対するかもしれない

バスのデティールを見ているだけでも30分はあっという間である








9月21日  午前時折小雨あり
放射線治療3日目 往復3時間半ほど もどり昼寝、起きて手縫いズボンする

■放射線治療3日目(福島交通ノルカバス、飯坂線バス放題)
我が家は道路に開いているので色々な事が起きる、今朝はママチャリに乗った中学生の「男性が猫が自家用車にはねられ死んだ、いつも見ている猫なので何とかしたい」と言って既に遅刻気味にも関わらず猫を葬ってやろうとして我が家に飛び込んで来た。
即死だったようで、警察に連絡して指示通り対応した。
40年間には数度、酔っ払い我が家の庭に寝てしまった男性が寝込んでしまって起きないのでパトカーに応援をたので運んでいってもらった。呑みすぎてここがどこだか分からないほどになるのは仕合せなことだが、他者の所有地で寝込まず公園とか公共施設の軒下で寝込めばいいものを、駅もベンチもなく寝て酔い覚ましする場を提供しなくなって久しい。すべてがモノ売り場となり監視が強化されてしまった。
■肌色と赤いラインが特徴的な福島交通路線バス車両、飯坂線は井の頭線の払い下げ車輛が代々行き来している。今日はテレビ局のクルー4人が乗り込んできて、飯坂線の各駅舎などを紹介する番組を撮影していた。今ごろ放映されているのかもしれない。たぶんFTVだろう。
■放射線治療は機器の値が張るのだろうか、人件費かな、分からないけど、超高額なので保険加入していないければ、俺には支払いできない金額なのだ。(一照射5万円ほどの点数になっている×20回+α

my長男と関東大震災100年(公共放送ニュース)
災害史を30年ほど研究しているmy長男、彼のお婆ちゃんが15才で関東團震災に遭い、身重で東京大空襲に遭ったが奇跡が重なり生き延びたことで、家人が生まれ、my子たちが生まれた。人の生は偶然と奇跡の重なり合いであるのかもしれない。
■関東大震災ではデマなどによって朝鮮人や日本人を殺害した事実もある、首都直下地震でもそうならないように願うがどうか・・(正力松太郎も関わっていたと聞くが)


前立腺癌の位置決めって超アナログなのよ
油性ペンで手描きで線を引いていたので、笑いそうになって、これは建築人からみたら「なんてアナログな現場なことか・・」と思うはずだ、自動CADで墨打ちせんかい!と言っても機器開発には莫大な研究費が要るのだろう・・・オートキャド無いで医師が油性ペンをパカリとキャップを外し手描き(笑)
■身体の腰骨から下10センチほどの両サイドと建築の専門用語では地墨を打つというが、医療用語ではマークを付けるとか言うのかもしれない。CTとMRIによって患者それぞれの前立腺癌の位置決める。大腸の動きと膀胱の膨らみで前立腺癌は動くのだそうだ。で建築では当たと言うが、前立腺位置の右左再度の外側にマークを入れる、腰骨の下、10センチあたりにマーク付がけられる(墨打ち)
で、毎回墨の位置に投稿して両サイドで敷布を医師たちが引き合いしあって位置決めをする。で、放射線を3GY/日20日間当てる続けるとう。
■医大には画像誘導用CT搭載リニアック装置があるけれど、前立腺癌より微妙な臓器癌の放射線治療に使う(俺の勝手な想像)のだと思う。「こちらで治療して・・・」と言っても応じてもらえない。それほど大雑把な治療でいいと医師たちが思い治験は多数あるのだろう、つまり深刻な癌の治療を要する県民優先ということだと思う。それでいい。放射線あびると元気になるよと言い張ったアドバイサーも居たのを思いだしたりして、放射線治療科の様々を見ているのもわるくはないよ。
前立腺癌初体験録・放射線治療2日目(完全予約制でズレなし)
福島市の南に位置する医大医大まで大きく2つのルートがあって、どちらも停車するごとに地名を初めて知る地域もあって興味深い。蓬莱団地には全く縁がないので規模とか様子とが知らなかったのだが、通り道なので古い団地の間取りなどを想像しながら車窓を眺めている。それにしても医大生は不便なところに寮があるので、気の毒に思える。勉強だけして福島を去ってしまうのは町が寂れるわけだ。医大が県庁傍にあってころは医大生も町にたむろしていたので交流してた記憶もある。
■予約しててい待たされるのが常・・・と思っていたが、放射線治療科は準備などあるので30分前に受付を済ませると待たされることがない・・と分かる。様々な患者が往来するけれど混乱もない。放射線を扱うだけあって、病院の端の方にすこしひっそりした橋のあるもの悪くはない。
■昼前に駅に戻ると県知事、市長や市民が集い、白バイが50台ほどいたかも、交通安全のための集会をやっていた。普段あまり町に出ないので、いろいろやっている場に出会うかもしれない。猛暑の治療でなく、外して欲しとお願いしたのに対応してもらい、それだけでもありがたい。(放射線治療開始までは半年以上のホルモン剤治療があると知る)



9月19日  ときどき晴れ 秋めいてきているも蒸し暑い日

今日から福島県立医大で放射線治療が始まる。1日3gyを照射し合計60gyとの事。予約時間がきっちりしてて、家を出て飯坂線とバスを使い1時間ほどで医大に着く。

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今日から一月間の県医大にて放射線治療開始す(お出かけ前に祈念写真)
飯坂線と福島交通を乗り継いで家から1時間で到着。通勤時間帯もさける時間割りを設定していただき混雑にも遭わず通院行き来はスムーズ。放射線科は予約制なので待ち時間もさほどない。(引っ切り無しに患者は現れる)
my癌は簡単な治療のようで画像誘導用CT搭載リニイアック装置は使わず、所用時間は15分ほどだったが、ストレスも感じず「あっ」という間に終えた。治療後変化も感じない、少し高い台に載せられくるくる放射線よう機器が回転するだけ。
土日を除く毎日3グレーイ照射するので後半どのような影響がでるのかは分からない。民間信仰治療には関心がなく医師たちに存分に平均治療・処置してもらうだけでよいと考えている。あとは野となれ山となるでいい。

■12時半ごろ家に戻り、昼飯を軽くたべ、洗濯をしながら手縫いを1時間ほどする。無理のない、体力重視のざっとした1日の時間割りを掴めるようにメモを記入したりしながら行動。夕方少し昼寝をする。年齢も奸計五関係しているのだが、慣れないことなので疲れたのだろう、気持ちよく寝る。



9月17日 時々日も差し雨もあり蒸し暑い日だった

午前中、家人とてくてく近所のスーパーへ出向き食材を買い戻る、往復1時間の運動。

今年7月4日ワイワイの文字起こしを開始する。いままで最長かもの10時間弱の内容だ。1月かけてあらましができればよしとしよう。無理せずコツコツ続けると終わる。

午後、生地に図を書き込み裁断し手縫いを始める。こちらもこつこつ10日間で完成目標。


■文字起こし開始「森純平+家成俊勝+岡田栄造+所員の方々」
とワイワイ記録保存のための文字起こし。今年の7月4日大阪で非公開であれこれ駄弁った。10時間じゃくの記録用・・・タイトル「雑談」だっがテーマぽい流れがあって進んでいった。
■みんなさん集まってワイワイするのが好きな人たちだけだった、ありがとうございました。コツコツ記録作りますのでお待ちください。



■またまた、手縫いズボン縫い始める
今年はズボンを初めて縫った、それを切っ掛けに手縫いの良さが分りだしてしまった。買うより数倍高価な生地代だけど形状を自分で自在に決めて仕立てる面白さもある。量販店の安いそれらはなにが問題なのかもわかるような気がする。高齢者へ「手縫いのすすめ」でも書いてみたら売れそうだ。
my仕立ての先生は同じものを縫おうとすると、軽蔑の視線とだめだしの声が飛んで来て「手縫いは一着しか無いのが基本なのよ爺!」たしかに手間暇かけて量販店の品と同じ形状に仕立てたら馬鹿だな。単純で着やすくって形がいいのはまだまだ修行しないと手に入らないようだ。■とつぜん送り付けられた方々は(笑)さぞ迷惑していることだろう(笑)
















9月15日 強い雨が降ったりやんたり激しい、夜上がる

■19日からの通院用バスの割安定期券を買う、1ヶ月間乗り放題で7000円だった。
途中で映画を見た、感想はFBに投稿

■FB投稿

『青いカフタン(Caftan) の仕立屋』を観る
子供のころから身の周り人々の弔い方は地域じゅうでの土葬、それに接して来たのでこの映画のラストの土葬を暗示する絵、彼方に水平線と沿岸ライン、もっとも手前に墓地の中を死者が担ぎ運ばれて行くシーンはいいよ。(町中を死者を担ぎ運ぶのもいいな・・・死に穢れをまとう日本の死は歴史的文化とは言え悍ましいさを演出しすぎている)「人間の人の弔い方はこのようにあるべきだ」と思うのに十分である。(俺が最後に立ち会った土葬は土湯温泉宿の社長さんの弔いだった─詳しく書かないが昔に戻って人のお墓は二種類、弔い墓とお参りする墓を分ける両墓制がいいと思う)
自分が前立腺癌が見つからずとも若い時分から「すぐ死ぬから奥さん呼べ」と医者に言われた事が数度ある(誤診)ので、我が家ではお互いの末期については語り合っている。で、夫婦で片方が亡くなり弔いをだすお話には驚きはない。この映画が我が家の様と違う点は仕立て屋さんは強度のパパ・コンプレックスによって心が病んで不可解な行動をすると設定されていたこと。その設定によって凡庸な夫妻の愛情に翳りと厚みと解決糸口のなさを加算することになっていて、私には好ましいの末期の愛のありかたの一事例を示してくれた。なるほど・・このような解決方法もあるのは理解できるよ・・・ラストの脱・宗教それほど大げさではないか「おきて破り」によて脱・パパ・コンプレックスしたように思えてよかった。いろいろ予想を裏切られて大変に印象深い1本となった。詳しく書きたがこの辺りで感想はやめておこう。
■ 初耳の「 カフタン」とは日本の晴れ着に似た、モロッコ地方の特別高品で金の糸で刺繍が模様状にたくさんついている衣装で、母から娘へと受け継ぎ何十年も身に着けもののようだ。
■舞台はモロッコ海岸沿いの男性用・公衆浴場もある古い「サレ」という町中で展開される、町中にある店も公共空間も生き生きしていて映画のセットではないと思え、歴史に裏打ちされて現在も彼らの生活に不可欠の場になっていることも分る。最近流行りの新公共・・・日本のわざとらしい死んだような公共空間とはまるで違う、日本のあれはパブリックスペースではない官製品だ・・・と言いたいのだがこの話もここで止めておこう。
■主人公はカフタンなどの高級注文品を手縫いする仕立て屋の夫妻だった。ともに病をもっている。映画が進むほどに明らかになっていく、日本映画のように多量な対話も説明はほとんど無いのだが妻は末期癌患者、夫は強度のパパコンプレックスでこころを病んでいることが分るようにつくられている。
その一生の傷、心の傷の解消法が捻じれててしまう行動になっていることで、単なる夫婦愛とは違う厚みのある夫婦の末期の対応が描かれ好ましい。
監督:マリヤム・トゥザニ 出演:ルブナ・アザバル/サーレフ・バクリ/アイユーブ・ミシウィ。演技が巧い。
■ウォン・カ−ウアイ監督 『若き仕立て屋の恋』をを思い出してしまった。娼婦役のコン・リー演技うますぎるけど。あの映画とはまったく違う「仕立屋物語」で、前立腺癌治療も始めるし手縫いも始めてしまった俺には好感どド・アップ映画だった。なんたって言葉数が少ない、言葉と言葉の間が長い、説明する映像が少ない、それもいい。、










9月14日  日は日に日に短くなるものの暑さはまだ残っている。

夜はコオロギが鳴きわたる秋に気配。

日中雑用をしつつ、空いた時間はすべて19日からの通院時読書本に買った『訂正可能性の哲学』を読みはじめたが、仕舞まで読んでしまった。(笑) どこまで理解できたかは別にして、360頁と厚いが読みやすい本であった。参考文献や註も充実していた。

通院時、読書本にかったが『訂正可能性の哲学』読んでしまった。
東本でもっとも読みやすいのではいか、と思った。リアルな生活が哲学を身近にしてしまって俺でも分る、たくさん読者が増えそうな本になったのではないか・・
依頼手縫いズボンを納めて、時間が空いたので朝から雑用の合間に読み始めて読んでしまった。通院時に何読もうか?もう一度読むか?ハーバーマスの公共性についても書いてあったので『公共圏』を読むことにしよう。「訂正可能性」を「可能態」と読み替えてもさほど間違いがないように感じた。その点で親しみやすのかも『訂正可能性の哲学』


9月11日

 山崎先生の2着目のズボンを構想し生地を裁断する1日、したごしらえ、主に製図だがおもったより広く平らな場所が要る、生地も動かないようにチェックしつつ生地に直に製図を済ませた。この作業が欠くと全体の形状が崩れてしまうのでもとも、方々目配せしなければ成らない。建築の製図よりは抑える点は少ないのだが生地に正確に製図するのがおもったより面倒だ。

9月12日  久しぶりの猛暑 蒸し暑い1日 夜の風は気持ちよくも扇風機要る


早朝からエプロンを縫う、昼過ぎにできたけど格好が悪いので、my涎かけにした。

依頼された夏ズボンを宅配便で近所のコンビニから発送する、明日の夜に着くとのこと。

「2着目も直ぐ縫いなさい」との家人のアドバイスを受けて、生地を並べ、寸法を描き始める。たしかに直ぐの方が改善点も寸法の根拠覚えているので、中断するよりは手間も省けるし楽かもしれない。

明日は寸法を描き入れて、夜、身に着けた感想を聞いて、問題点を修正し明後日から再び手縫い始めようかと。19日から放射線治療なのだが、その前に仕立てあがるかもしれない。





9月11日  

■依頼された夏ズボン 完成したので送り先などを教えてもらう。
少し生地が余ってたので、何気に袋を縫てみた。紐だらけなので、予想外に生地が要るので、小さくなってしまった手縫い袋。まずは人生初手縫い袋、細い紐がそうとう高度な技が要るので家人に教えてもらう。なるほどこういう技があるのね・・としきりに感心しっぱなしだ。

■午前食材を買出しに家人と近所のスーパーにいく。徒歩往復で1時間かかるので4kmほど歩いているのかもしれない。老人は不便を選んで体を鍛えつつ生活するのがよいのではないか。


■FB投稿


依頼された夏ズボン完成!(人生裁縫5着めかも)
体外から吊り下がる「金玉」を夏にはいっそう外気を簡単に取り入れ玉を涼しく保ち暮らすための俺様考案夏ズボン。
改良した点
@吊下げ肩紐をボタンでとめ腰ひもだけで使える
A直線裁ちは膝を腰によって縫い目が破けるので尻カーブ採用
B誰でも簡単に縫えるには簡単な裁断と簡単な縫い方が肝心
C肩ひもを1本にした。
次回改良点、お金があれば生地を1.5倍買い縫い目を分からなく一体化した、金玉に効く夏ズボン。前立腺癌の俺様はいまさら男性ホルモンが量産されても問題なのだそうが、老人様が元気に暮らすには金玉環境を改善し続けることが肝心だと思う。前立腺癌でもピンピン「朝立ち思想」を身に付けちゃおうというわけだ。

人生初、手縫いで小さな袋を縫ったど
7mmほどの細い紐を縫うのが難しいのであった。
高さ20センチ幅12センチ、厚さ3センチほどの袋
■袋をぬってら夏ズボンのアイディア生まれた。手が考えのかも
紐を縫ってばかりの袋縫い。思っていた数倍の生地が要ると知る

9月10日  よそうれた台風は低気圧にかわる。暑さもどるも猛暑にはならず

数日前熱(37.4)あったので福医大で新型コロナにうつったかと思いごごごろ寝ていたら、昨日の夕方から平熱に下がり、怠さが消えた。

体調がよくなったので、頼まれた手縫いズボンを1日中縫う。ほぼでき上る。

■三重から大室さんが遊びに来ることに成り日時の調整をする。

■ドイツからmy長女が一時帰国することになったので、日時調整をメッセージ交信しおおよそを決める。










9月08日 のち

放射線治療のリハーサルを受けに医大に行く。雨降りそうなので電車とバスを使う。無事リハーサルは済む

■帰りに書店で『訂正可能性の哲学』を買う。ついでに塩から用烏賊も買う。
■戻り午後は手縫いズボンのパーツを縫い合わせる。明日は紐などの細かい部材を造るい
■FB投稿

手縫いズボン 縫い合わせる。直線裁ちを放棄して曲線入れた
直線裁ちは膝とお尻の作用でズボンが破けやすいのだが、破けないように妥協した

『訂正可能性の哲学』買う。書店によると入荷したばかり(そうなの)
「最初に買った人はあなた」と言われた。何気にかったんだけどあまり売れないのかな・・しらんけど。東さんの先生は福島高校出身の高橋哲也さんであり先生の著書『戦後責任論』を批判的に論を進めている弟子でもあり面白い、師弟はこうでなくちゃね・・そんな気ががしたので買う。1984年から我が家では「建築あそび」という他者を招き入れ雑魚寝でワイワイ活動をしつづけているので─最近は年取ったので数名限定でお招きって感じかな・・
だから家族とは何か?、他者とは何か?、来客(観光客)の存在は上野さん『近代家族の成立と終焉』をもちだすまでもなく、今世紀に入ると同世代の人がコスパで家族の出来どこと対応する阿保が多くなってしまった。であらためて客と家族とはなにが違うのか?・・・そいうことをか長年考えならが、家族の病や客の事情に合わせて「建築あそび」を続けているので正解は無いのだが、だから、正義をもとめたり、貫くことが目的になるような・・お爺さんとは疎遠である。東さんの読者の多くのように、若い人との交流になってしまう昨今だ。先の『観光客の哲学』は緩くつながることの豊かさをしめしたいたが、今回は家族と観光客の関係を論じているようだ・・通院しながらのんびり読もう


あとは放射線治療を1ヶ月間うけるだけとなる
放射線治療のリハーサルをうけて、準備万端整いましたので、手作いかの塩辛と手作りピクルスと、山崎さんにいただいた島根県の地酒で祝う。
放射線治療うけるまで半年のずんび機関でありました。ずんびは今日でおしまいだそうです。放射線科超満員スケジュールびっしりなのでありました。







9月6日  昼過ぎ激しい雨 1時間半ほどであがる

■朝一番で県庁へいき昨日あった県民会議で配布された資料をもらう。

■午後山崎さんにたのまれた手縫いズボンの生地を拡げ裁断し、印をつける。


■FB投稿

福島県原子力災害対策課へでむき配布された資料をいただく
原子力発電所は(特定原子力施設なのだが・・・)廃炉に関する(廃止措置なのだが)安全確保県民会議が昨日あった。放射線治療と被ったので、資料だけ手に入れるべきなので、確保してきた。放流前と後の資料の厚さが違うのは当然として議題も変わっているもの分かる資料である。デブリ取り出しについて更田さんが説明されていたので、生更田をみたかった・・・
■今後もこつこつ資料集めておこう

強い雨が降っていて おちつかない
8.5災害を思い出すほどだ 信夫山もぼんやりしている

手縫いズボン 頼まれた(笑)曲線裁ちに挑む(←おおげさ)
台風襲来しそうなので頼まれたズボンを縫い始める、今日は型を決め裁断し印をつける。直線裁ちだと破れやすいのですこし逃げをカマス。一度履いて写真とったら壊れちゃう、そういうズボンは捨てがたいのだが・・・。総柄なので目印やラインを付けるのを赤にしてみらみやすいな・・・。

9月5日  夕方に雷雨あり

午前は山崎泰寛先生とのワイワイ記録に絵を付け完成させた。

12時前に家を出て県立医大の放射線科に向かう。駅までは自転車、駅からはバスで往復、片道500円。指定時間に着くも混んでいて少し時間がかかる。放射線技師の説明を受け、CTとMRIを受けたので2時間半ほどかかる。8日は放射線治療のリハーサルをすることになった。今月と来月は放射線治療月間となる。

■FB投稿

県医大にて放射線治療の準備 油性ペンで記し描くのね(笑
あれ、放射線技師たち両サイドから俺の腰や、お腹にマジックでラインを描いた(笑)思ったよりアナログにやはり笑そうだったが、こらえた。ここから10月末までわき目もふらず土日は休みで、放射線治療月間、フクシマであんなに注意していた放射線を1月間投光照射し続けることになった。放射線治療を受けている患者も多く、時間指定された。バスは65才以上乗り放題定期券のようなパスがあると知り、大助かり3万円のバス代はか超圧縮となる福島交通の乗り物各種。さらに75才になると365日無料とのこと。

■4日のFB投稿
山崎泰寛先生と呑み語りあう、その記録に絵を付け終えたぜ!
浜通りの一部を取材し家に戻り夜のmy食堂で、地酒のみながら1時間の語り合った内容。1970年前後のことから語るので複雑だなや・・・語り尽くせないよ。



9月03日 

午前中は文字起こしし、途中で食材買出しに家人と1時間でかけた。暑さはすこし弱くなっていると感じる。

各務滋記者に「水を洗う」という連載記事、ちょっとした調査報道の日時を教えていただき県立図書館に行き、コピーしてきた。1991年12月4日から7日連続、番外編は見開きだった。

■FB投稿

汚染水に関する騒動は国見の下水処理場問題と似てるか?
(大洪水のたびに宮城県へダダ漏らす・・・我が糞尿となる)
1991年朝日新聞福島支局勤務していた各務滋記者とワイワイし、小さな調査報道記事にしていただいた事を思いだした。各務さんにあの記事が掲載された日を教えていただき、県立図書館でコピーしてきた。広域下水処理方法には呆れいた俺は40歳前後は水処理について調査していた。合併処理浄化槽と身近な川の浄化能力を合わせ活かす手法が、県北のうんこをまとめて処理するより、安全で安価で事故のリスクも少ないと思っていた。でも現在の処理水同様ごり押しで押し切られて行く様を、現地に立ち関係者の話を聞いたりして考え、呑み友の福大・北山研二先生にスイスの処理事情の現在も調べ派遣報告してもらった。さらに、淀川+琵琶湖の汚染については本間都さんを招いて建築あそびもした(文字起こし原稿あり)で、あれこれ琵琶湖生協の活動を調べて、こえれが日本には合うと思っていたのだが・・・。
振り返ると大きな記事面積だったな!
長を追っかけまわして調べよとしたが逃げ方上手くって捕まえて聞き出せなかった。知りたかったことは何故問題のあることがスイスイと押し切られ、意見を聞こうとすると反対する者は共産党のレッテルを貼ってしまい問答無用の対応をする、未熟な民主主義の行政になっていない、それは現在の汚染水処理のあれこれをに触れても同じだ、30年前と何も変わらないより、共産党とレッテルも貼らず実行してしまう厚かまし・俺様主義になってしまった。

















9月02日  日中はまだ暑い

今月からは癌大策で病院行重なるので、1月半ほどは病院三昧となると思うので何も予定せず。淡々と人生初治療月間としよう。

■朝一で近所の量販店に行きいろいろ家人とともに買いだす。
■大腸がん検診を受けるために近所の内科医へ行き内視鏡検査の予約を取る。1人先生なので予約が埋まっていて12月末の内視鏡検査となる。家から近いので下剤を呑んでもさほど支障は無さそう。以前は入院して内視鏡検査を受けていたほど病院に行くまでが辛い体験済み。

■残りの時間は山崎さんと語り合った肉声を30分間ほど文字にした。

■FB投稿
一気に増えてしまった診察券を猛暑に眺めていると・・・
寺山修司の短い文を思い出す。そこには人は不完全な死体で生れて来て完全な死体に成ると・・・そう捉えるると面白いよという思考だ。山紫水明だった福島県土はやがて核廃棄物で埋め尽くされ完全な死の大地になることで人為から解放されると捉えたらどうなるのだろうか?完全な台地は生きては人が暮らせない。そう、死がさほど遠くには思えない俺はそのような完全な台地を体験することはできず、完全な死体になるのだろうか?廃炉作業が済む前に、どこからかミサイルが飛んで来て、あそこに堕ちて死の大地にしてしまうのが早いのか?と。だから科学てき言説よりはるかに文学は面白くて人を死からも、死の大地からも開放させちゃうよね。
「懐かしのわが家」 寺山修司
昭和10年12月10日
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかかって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森県市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいい家の庭で
外に向かって育ちすぎた桜の木が
内部から成長しはじめると来たことを
ぼくは子供の頃、ぼくは
汽笛の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

■1日のFB投稿
虫の知らせ!ってあるね。で84日分の「薬」ちょうだいしてきた
自身のがんを気にしていないようで、治療予約日すら忘れていた。予約日だとは夢にも思わず月があらたまったので・・血でるぞと脅からされているので「薬と放射線」について質問電話!「呆けた事いってないでよ、あなた今日予約しているのよ、早く来なさい」と飽きれている様子。20分前じゃないか間に合わないな・・糞暑いのに行きたくねーな。予約してたなんて思い当たらないほどボケ老人と自覚する。
何かのお導き、有りがたしと慌てず、デカイ病院に行く。ホルモン皮下注射をブスリと撃たれ痛い!その予約日だったそうだ。・・真面目に治療しないとね、お婆さん看護婦に俺老人は説教しらているらしいが聞いてない。
治療する意思が無さそうな俺。放射線治療しないとだめですか?放射線浴びたら何年生きますか?・・・5年は100%死なない!と微笑む医師。へへえ〜五年も生きちゃうのすかか〜?儲かった気分にもならない往復の道が暑すぎて熱線じりじり熱中症にてクタバルほうが早かも。