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 10月16日  曇ったり 
■落ち葉の季節が到来するまえに庭の欅の枝を全て払いゴミ袋に詰めた。小さな落ち葉が方々散ってしまうので近隣迷惑防止策を毎年おこなっている。



■13日せんだいメディアテークでシンポジウムが開かれた。福島県浜通りの歴史と文化の継承「『大字誌ふるさと請戸』という方法というお題だった。およそ4時間ほどで、古代から近現代までを5人の先生が分別して語られた。そのご各地に暮らす請戸の人々の感想が述べられた。被災地の歴史をどう記述するのか、住民と専門家の共同編集と刊行によって、また一つ好い事例が示された。
 打ち上げにも参加させていただき、請戸の人々の肉声を採取したので、それを全て文字にしてしまった。その場でしか語れない貴重な記録を作った気分だ。

■サンチャイルド入門のために色々な人々の肉声を文字にしている。自分一人では体験できない多様なフクシマを知ることになるので、面白いと思う。もう少し広げて戦後史=自分の生きて来た時間を記録できるような感じまで深堀して記録がつくれるようにしてみたい。(欲張りすぎかも)




 10月12日  小雨もある

サンチャイルド入門として資料を毎日作っている。記録づくりは1970年万博以降の自分史を鏡に映す行為となってもいるので、面白い。

 人は還暦というのだが、60才になる2011年は自分が生きて来た時間の資料を集め始めていた。作業は3ヶ月弱で東日本大震災に襲われ放射能沈着によって大混乱していた。混乱の時間は7年経つ今年になってようやく落ち着いた感じだ。その落ち着きは家人病が安定して来てるからでもある。
 建築あそびだけは再再開するはまだ出来ないが、それ以外はほぼ311以前に暮らしのようになってきている。

今日、粗い記録は作った。批評というか入門を書くための、資料とするのだが、領域が広すぎるし、データ量が多いので誰も読みたくならないだろうが、my興味の核心に触れてきているような気がして、嬉しくお気に入りだ。自分史づくりにも役立つ思うのでサンチャイルド入門資料つくりコツコツ年内は作業を続けよう。





参照記事以下 民の声新聞よりコピー



 10月08日  たり曇ったり 

■ サンチャイルド入門 として資料データを作成中 ほんの一部だがまず1本目 粗いけど4枚のweb頁が出来た。公開は読みなおし等を済ませ数か月後を目指している。

■民の声新聞によってアンケートの一部が公開されている (公開サイトへ)
10月6日の投稿を画像にして貼る(web頁にコピーすると、ぐしゃぐしゃに乱れるから)




 感想は忘れちゃうので以下 箇条書きめもに

 ■福島市によって公開されそうになかった貴重なアンケートについて調査などされ、記事とし報告して頂きました。民の声新聞さまの活動に対して福島市に暮らす者の一人として感謝申し上げます。ありがとうございます。またシェアされその事をお知らせ頂きました小林様にも御礼を申し上げます。
基金に寄贈された はず。ヤノベケンジさんによって、この世で最初に制作されたサンチャイルドは、なぜ福島市に寄贈されたのか?基金と福島市長に架橋した者は誰か、何の、目的で架橋したのか?それが解明されればサンチャイルド解体撤去事件の全容は見える事になる。(その意義や今後の課題追求はそこからしかスタート出来ない)
■また一つ福島市、行政の恥が露わになってしまった。
■津々浦々に未だ存在する、記者クラブ制度によるマスコミの機能不全。その一例が、福島市サンチャイルド解体撤去事件に関する内容とし報告されることになった。
福島市の市民が知るべき事の一例が報告された事で、町にあふれだす憶測とうわさを封じることになった。貴重である。報道されぬことで、人々が誤った行動をし社会に不要な混...乱を未然に防止したことになるからだ。その価値を再度ここで共有しておきたい。
マスコミが果たさなければならない存在価値の一つが、彼らによって行われなかった事は市民にとつては事件と言える。それも合わせて記録して記憶しておきたい。
この事件を通し福島市外に暮らす稀なる方の活動を手本として学びたい。応ずる具体的な行為としては、疑問に思った内容については、自らかが一つ一つ調べ、報告し、共有すべき。そんな状況にあり、それこそが、この地に暮らす私の義務とさえ言える。その事実も確認できた。
■福島市市議会議員の方々はいったい何してるんだろう。
■長年にわたり多様な権力サイドが無償で提供する場と人材、光熱費などを、記者クラブの面々が独占し続けてる。そうするとこうなるしかない。権力サイドの広報係へと落ちるだけ。ならは無償で配布するしかないよ


 10月05日  

■くだもの里暮し実りの秋なのに・・・くだものが無い。産直へ行って梨、リンゴ、葡萄など買いもとめた。庭にヒヨドリ来て囀る。もうじき吾妻山に初雪が降るのだろう。

■庭の木々も少し色づいてきたいる。冬支度せよということなのかも

■サンチャイルド系の基礎データを整理しているので、だいぶ見通しが良くなってきている。まだまだ資料集めないといけないけど。のんびり続けよう。

 10月04日 晴れたり曇ったり

■久しぶりに動画編集をしてみたら、2日ほどかかったがほぼ忘れてしまっていて、思っていて全体動画をつくることができなかった。そこで8分ほどの試作動画を作ってみた。編集はなんどかできても、書き出し方法が分からず、2GBほどのデータになってしまた。強引にYouTubeにアップしてみたら、4時間ほどかかってしまった。 サンチャイルドに関して写真と動画をたくさん撮ったので、活用のしかたを考えてみたい。










 室崎益輝(よしてる)さんによる
 講義動画
お題は平成の災害史
 




 10月01日 台風一過 陽射しあるも風強く曇ったり

■今日から衣替え。台風の影響で気温がやや暖かい。9月は建築学会の仙台大会でのお手伝いと、サンチャイルド騒動が起きたので出来るだけ時間をみつけ福島駅東口そばのでこむこむに通い、動画や市民の声を聞く努力をしてみた。二つの出来事に対応したのでハードワーク気味だったようで、唇や口の中に痛みが出ていたが、この数日のんびりを心掛け治療というごろ寝をしていたので、回復著しい。たぶん呑み過ぎ、動きすぎで、免疫力が低下して雑菌にやられたのだろう。老化には抗わないに限るのだろう。

■サンチャウルド騒動などに関して、時間をかけて記録をつくりたいと思っている。福島市に暮らしているのだが、SNSやマスコミで語れて続けている、分断と対立、風評被害となどについても実態を知ったり、それを記録しておきたいと思うようになった。もちろん原発事故が起きた戦後の政治、や近頃のSNSによる対立の助長に関することなども記録できたらと思っている。コツコツ実感とメディアのそれらを記録していくことにしたい。
 今日は採取した音データを整理しておきたい。

■NHKの番組がフェースブックのタイムラインに落ちてきたので観た。浪江町出身のNHKディレクターが浪江町に通い、町の変化や人々の現状の声を取り上げた番組。取材、そこで起きる分断や対立が具体的な人の姿を通して描かれている溝などについて。メモ感想をFBに昨日書いたのだが、日記にも貼って後のまとめのための、データにしたい。

目撃!にっぽん「私と故郷と原発事故」20180923 



(観た後で書いた感想、次に観ずに書いた感想をめも)

目撃!にっぽん「私と故郷と原発事故」 感想を貼る
 (800人対19200人+他者すべて)

中筋さんがtv番組を投稿され19時間経って観ることが出来た。忘れないうちに感想をメモ書きしておきたい。(フクシマを生きるために回遊民の視線も要る)
 定住を固守し追い求め、定住しようとしない人を「部外者」として排除してしまう人(定住人)、地域を離れ仕事と暮らしを確立し、育った地域を故郷と想い続け愛情を注ごうとする人(元住人)、原発事故後、子育てや治療の事で故郷を離れ定住人を断念し「渡り型」暮らし選んだ人(渡り人)、それら3者の対立の内容と、それぞれのが他者に対して観てしまう分断の溝、溝を観ることで抱くそれぞれの苦悩が具体的かつ鮮明に映像化されていた。
 立場を異にした3者の例え方が分からないので、定住人=農業型、元定住人=回遊狩猟採取型、渡り人=養殖型と言い換えて置くことにするが、農業型の人々は、浪江町長・馬場有さんの「どこにいても浪江町民」という、その思いの可能性を理解していない。さらにその思想を実現するために必要な寛容性を具体的に身に着けて暮らしていな...い。そのことで溝が深まり相互理解が困難になる、その具体例を見ることができる番組。ディレクターに苦言メールを送っていたが事が明かされているが、それは、馬場さん自身が常々が発した言葉の真の意味の広がりと奥の深さと可能性と、それを手に入れるために乗り越えなければならない関門の数を理解していなかったのではないか。その疑問が浮かび上がり動画でもある。(番組ではそう描いていないが受け止めることができた)
 私が動画の中に描かれた人物で、21世紀型人間と表記しておくが、これから必要な暮らし方、そして最も魅力的存在になっていくであろう人と想えた方は(あるいは萌芽)、番組をつくった公共放送の方ではなく、千葉に定住を決め、浪江町と行き来し、原発事故で故郷から離散孤立してしまった住民たちの声を町政に届けたり、離散者と定住者に架橋している町会議員の方である。渡り人=町を養殖する人の暮らし方と言っておこう。
 最後に、原発事故被災地では定住型の暮らしを破壊し尽くし、多様な暮らし方を強い続けているのだが、それを21紀人を実現する一種の難問と受け止めてみたい。世界が多様性を求め続け、その下で生きるために必要な能力は、多様な言葉とその意味を受け止め続ける胆力、そして他者の言葉を認めなくてもいいが許す寛容性を身に着け、対立と分断を消化してりまう人が現れる必要がある。動画に描かれた状況はフクシマを経た21世紀人が辿り着くべき大地などではない。おそらく世界の人々と言い換えても許されるだろう「フクシマに生きる人々皆」がこの動画に提示されている苦難と困難を乗り越え、「定住人」、「元住人」、「渡り人」、が行きかい許容し合う寛容性を持った豊かな世界を拓く。そんな、私の暮らしを手に入れることを望んでみたい。(豊であることと困難であることは同義のように思うからだ。)

■感想は時間のあるときに観て書くことに
 メモ)中筋純 プロ、フォトグラファーのサイトよりシェアさせて頂きました。我が家はTVもないので詳細は不明だ。浪江出身のディレクターを主に制作した自主動画か、勤め先の日本放送協会の最近の番組なのかも知れない。内容については時間のあるときにでも確認したい。ユーチューブにアップされてる動画かもしれない。
 原発事故で被災した非取材者は何かに翻弄され続けているので、映像を鵜呑みにするのは厳禁だ。判断は20年前後ぐらい経たないと、共に語り合い寛容し合うのは難しいだろう。済み燃料取り出しも済んでいないのだし、帰還困難区域においては、生物に対して、そこにある放射能の被害の科学的情報も、ほぼ手に入れてないだろう。危険にて入って調べる者も少ないのではないだろうか。それらの集めた情報を共有し語り合い住民と共有しようとする場だって、チリバラになった人々にはほぼ無いのだろう。そのうえ廃炉の目処もたつはずもない。
 そんな中で番組を作り公開する自由は憲法て保障されているので、どんどん作る能力のある者は作り公開して頂きたい。私たち被災者がそれらの内容について、いちいち、反応してはならないように思う。被災者同士が番組内容を急いで評価して、その事で日本人同士の意見の違いを、ことさら鮮明にし、分別して勝ち誇るかのような愚かな様をつくりだす行為は慎みたい。してはならないとも思う。じっと観察する胆力こそ、フクシマを暮らすものは、SNSなどの政治権力や経済権力が簡単に支配動員し、彼らに有利な情報を垂れ流すことが可能な現在、今でこそ彼らに情報に誘導されることなく、東北人の胆力こそ発揮させ路をよ拓こうではないか。状況は劇的に改善されないのだから。



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