佐藤敏宏    HOME  

2025年6月の日記      2025年5月の日記へ  FBへ   



 6月15日 のち晴れ気温上昇する 暑い

■1日中 大室美術館で採取した音を文字にしている。

■一度食材を買いだしに行き気分転換、夕飯づくりと買い出しは気分転換になっていい。

■FB投稿

離れの屋上)蔦で鬱蒼と囲まれてきて梅雨の晴れ間
今日は大室美術館の来館者の声を文字にしている。作家にも来館者にも大室美術館があたえる影響はおおきく多岐にわたっていることが理解できる。10年間の私設美術館の活動の重みが言葉のつみかさなりとなっていて、感銘を受ける。公立の美術館ではこのような作家、と鑑賞者との関係と言葉は生まれないだろう。大室美術館は教育の場ではなく、生きる、暮らす、生活の場なのだからこういう言葉が生まれるんだろうね。


 6月14日 の。ち雨、梅雨かも

■1日中、大室美術館で採取した肉声を文字にしつづけている

■FB投稿
「幸せ建築家・賞」をつくりました。
佐藤が会い、観て、体験し、勝手に表彰する賞です。
副賞は福島産地酒1升。(笑)酒が苦手なかたは福島産果物。
いままで認定したのは一人でした。狭き門かもしれません。





6月13日  

■予約していた歯科医院にいき治療をうける。3ヶ月たったけど、まだまだ治療しそう。一部終えたら、来年に回そうかと・・と思案中。

■その他は大室美術館でワイワイした肉声を文字にしつづける。

■FB投稿

年から11年目!「私立大室美術館を所有・運営の夫妻と呑む
通風で禁酒しているんだけど、想像したたより5倍ぐらいい美術館、そしてよい家族だったのでつい水割り焼酎をいただく(アルコールうまいよ!話が面白く弾んでいたからだけど・・)。大室さんは福島産地酒。この席でワイワイした肉声は公開しないと決め語り合った。

○アーテスト・イン・レジデンスも11年前にドイツからアーテスト夫妻がやってきてオープンしたそうで、現在はもっと使いやすくするための改修中でした。車で美術館に向かう自動車の中での大室さん語りだけど「アーテストとお付き合いしているうちに自分・自身を芸術家と言えなくなった・・・」、と語っている。
左:彫刻家の中谷さん 中央:大室さん
(日本に数少ない、佐藤が命名する幸せ建築家の一人。これまで三人しか命名してない )













6月12日  気温はひくくないのですごしやすい

■大室美術館で採取した肉声を文字にし始める。1週間ぐらいかかるかもしれない。
■午前中食材買い出しにいく。混んでなくていい。

■FB投稿

私立大室美術館で採取した肉声を文字化はじめる
三重県津市にある大室+中谷さんご夫妻が運営している私立の美術館(本格的です)に2泊3日滞在し、大室さん家族の暮らしに密着、貴重で迷惑かえりみぬ体験させていただき、大変ありがたかった。でその体験内容を文字と絵で細かく記録しておこう。旅の後の記録づくりが一番面白いような気がするんだけど・・そう思うのは俺だけかな、わからんよ。記録づくりは1月ぐらいかかるのだろうか?どこへ着地するのだろうか?それらは、考えず。予想外のどこに着地してもいい、そうやってつくるのも楽しいのでこつこつ記録を作り続ける。肉声の語りも面白い。入館された人々の肉声も採取したがどれだけ公開できるかは文字にして考えよう。貴重で唯一のmy活動記録にしちゃいたいが(笑
この美術館は広のも魅力だし、参加作家が若くて本格的なアーテストだらけだし、いろいろバランスもいいし、肩にちからいれず活動しているし・・いろいろよい。そうそう不便なのもいいよ。この地方も会津若松との古い縁もあるし










6月11日 時々降ったりやんだり、梅雨到来か

■終日、日野町から大室さんの家までのワイワイを文字にし始める。使わないとは思うのだけれど文字化して、抜けている箇所を補うため。

■FB投稿

私立・大室佑介美術館に関しての記録づくり、今日から開始
2泊3日の超・体験録になりそう、超ばかり付けそう超!
初めて大室庭園美術館に立ち入ると、とたんに「松延総司」の作品が襲来してくる。といってもステルス型作品なので、気づかづ蹴とばしたり、通り過ぎちゃう者も多いかも・・大室さんらしい選定で制作者を招き入れ展示設営していた。公的美術館にはない味わいを体験できるので、超推し(笑)

野鳥はさかんにさえずるも どんより空到来
福島市も梅雨入りしたのだろうか?ならば、数年空梅雨だったから、多雨梅雨なのかも
市内に鎮座する信夫山の松枯れすすみ全滅しそう
DVDに現れた生物学者は「松は全滅してもいい・・・」と語るシーンがあり、目の前の信夫山を遠くに眺めたら茶色ば目立つ、松の木、全滅し始めてたよ









6月10日 時折雨

■梅雨まじかのようなぐずついた空模様と低気温。
■大室佑介入門「日野町篇」を仕上げ公開する。

■FB投稿

日々、使っている会津さん椀、日野椀からうまれたと知る。
我が家の食卓の椀と滋賀県日野町がつながった! 
大室佑介さんの案内で「滋賀県にある日野町」を漫遊体験し、漫遊録をあらかた書き終えた。書きはじめに我が家の会津塗椀と日野町の特産品であり近江商人のもと体力をささえた「日野椀」がつながるとは夢にも思っていなかった。

400年ほどまえ蒲生氏郷とともに日野町から会津若松に移住してきた人々の居住地を現在の地図におとすと、どこなのだ?調べていて分かった。加え、日野の塗師たちは会津塗の椀を生んだ元祖であると知った。(←『蒲生氏郷』谷徹也編著)現在の我が家の食卓の会津塗の椀がで日野町とつながってる、そう思うと活動と記録づくりは望外の喜びもあたえてくれる、行為の一つなんだな




6月9日  

■日野町を訪ねた記録を仕上げ始める。さほど進まぬも見通しが立ってきた。

■FB投稿

先月訪ねた滋賀県日野町 会津のどこに住んだのか?わかった。
蒲生氏郷とともに会津若松に移り住んだ、場所探しをしていたが、ようやく見つけた。時間かかるもんだね










6月7日  夏まじかの気温にて暑い。汗は噴き出ない

■「渡辺豊和最期の記し」データが送られてきたので、目を通した。いろいろ思うことがあり過ぎる、出会いから始まり、渡辺さんの思いを記録し残したほうがいいのかもしれない。

■蒲生氏郷の故郷日野町についてあれこれ書いているが、まだ半分ぐらいしかできてない。こつこつ書こう。
■飯炊き爺さん 鶏ももの照焼きをつくる。皮を綺麗にやけるようになって嬉しい。

■FB投稿

渡辺豊和最期の記し(2025年3月筆)←目を通す
4月20日早朝亡くなっていた豊和さん自身も幸せな家庭生活と建築家人生を得たと記していて、佐藤の想像と同じ内容だった。とはいえ亡くなってしまったのは寂しい、多様な感情が湧き出てきて抑えがたいものもある。
豊和さんとは38年ほどの付き合いだったが、息子さんの菊眞さんとはワイワイし続けているので豊和さん家の歴史を目撃する立場になっているきがした。
建築設計の仕事を一緒にしたことはないけれど、首都移転計画「新都白河」については一緒に白河市内でプレゼンし大きな反響をえたし、反省会も大いに盛り上がり神社にとまり甲子温泉の湯に浸りワイワイした、詳細は省くけど、渡辺豊和、白河に立つ、てことで面白かった。

佐藤が事務局にて豊和さんなどと共催「新都白河」計画の一部
新聞社に売り込みにいったら、翌日簡潔にして明瞭な記事になり発信された。会場は満員だった。その記事と佐藤が作成し白河市内を配り歩いたチラシ(両面刷り)









6月6日  夏日になったかもしれない 気温上昇してた

■予約していた歯科医にいき治療を受ける。来週新しい歯が埋め込まれる予定。帰りに食材を買う。いつものスーパーの米はまだ値下がりしない。

■午後、滋賀県、日野町や蒲生氏郷について書いてみた。旅行の後に本を読んだりして記録を作るのが習慣になってきた。HPないの記録が増え続ける。

■FB投稿

通風にもかかわらず飯炊き爺さん「初海老天丼」。
海老の下処理など時間が要るっうに無謀だったかも。揚げすぎ、タレが決め手なのに、疲れてしまい垂れを煮詰めている時間手抜きしてしまい締まりのない味だったけど、自分でつくるとなんでも美味すぎて、食いすぎになるっちゃうのは老人には大問題。
天丼は旬の野菜天丼にが分相応のようなきがする。








6月5日  

午前中、鈴木達治郎先生2020年代を語る、チェックPDFがきていたので、こつこつ修正する。その後食材を買い出しにいく。

■午後1時半に雑誌社の斎藤さんとあってワイワイする。
■そのご、とあるギャラリーを訪ね、今後の展示予定を聞き取る。
■そのご、市役所にいき情報開示請求書を出す。県庁にも提出しようか迷う。

■FB投稿

福島市駅前そばに出現したサンチャイルド像について聞かれた
で、その方を関係する場に案内しつつ、ついでに55回目だけど、福島市公文書開示請求書を提出した。(まだ続けている、馬鹿だね俺って・・・)次に像に関係する箇所の現場に立って、いろいろ聞き取りもした。事件当時より会う人皆口が軽くなっていて情報は得やすく、起動させた面々のその後(当時の腹の内)も分かりやすくなっている・・・と感じる。時間のフィルターった想っているより人に思わぬ効果を与えているんだ、と知り、いい系経験をしている気分。(数年ごとに開示請求は続ける覚悟で何年目だかわすれた)
●絵は解体撤去するようすを佐藤が撮影したもの。

●美術品を公共空間にセットすることに作家も行政もかなりでたらめ・・・をやっているよ。法律ないのだから仕方がないんだけど、それは国会議員からから地方の市町村の政治家たちの怠慢と無知、どちらが先でもいいだけど。アートと街づくりなどと言う前に議論しないと始まらないんだけど。









6月4日 

■8時頃菊眞さんのFB投稿によって、渡辺豊和さんが4月30日に亡くなっていたとしった。長いあいだパーキンソン病を患っていたし、新コロナがおきて会いに行くことがはばかられるようになってた。10年ほどまえに訪ねてお酒をごちそうになったことがある。それが最後となった。


    1992年3月メキシコにあるモンティアルバン遺跡で

■FB投稿

渡辺豊和さんが4月30日亡くなった。
いい奥さんにめぐまれた豊和さんは「幸せ建築家」だった。さらに仲のよいご夫婦の暮らしぶりで幸せ建築家の2階建てのような暮らし方を所有し営んでもいた。だから、あるときは福島から3人の友達をつれてもいった、いつ訪ねても歓待されたし笑い声と対話の切れないご夫妻であった、としみじみ思う。(近頃、なにかにつけ笑い合う夫婦や家族同士が少ないのは気になるけど原因は明らかだ)
●田舎者の佐藤は建築家という生き物を身近に知ることがなかったので、1991年奈良県中央部にある渡辺豊和さんの自邸に2週間泊めていただき、いわゆる日本の建築家の暮らしぶりという実態をありのままを観察させていただいた。同時に初期作品を虱潰しに観て歩いた。そこで所有者に叱られたり、説教されたり、寿司や酒をふるまわれ歓迎されたりした。なるほど建築家とその建築と世の中はこういうことになっているのか、と。建築の事実を自分なりに確認することができた。貴重な体験を得た。
●東北人(南三県は東北じゃない、と語ってたが)佐藤はなぜか、建築の関係ではなく人間としてお付き合いさせていただき、福島市の我が家に来て12時間の講義を頂戴し、12時間美味い福島の地酒を呑み続け、まま倒れ雑魚寝もさせてしまった・・そんな思いが懐かしい。
今日、亡くなられた豊和さんは、天空に夢を馳せ巨大な宇宙建築づくりに余念がないことだろう、と想像するだけで、悲しみというよりおかしいから不思議だ。亡くなってもそのような思いを襲う人間はほかにいないだろう。
最晩年の建築は宮城県白石市にあり、次男の菊眞さんと体験した。初期の代表作である兵庫県西脇市にある「古窯陶芸館」と対を成し現在の世に人知れず建っている。始めと仕舞もいかしている。幸せ建築家とはこのような仕事をして亡くなる人のことなのだろう。
●写真は1992年撮影で、世界の遺跡巡りと巨石文化を愛した豊和さんにつれられて、メキシコのモンティアルバン遺跡で撮った。

●東日本大震災後、豊和さんの自邸をたずね呑んだ。そうそう?む前に辺りを30分ほど散歩して語り合った。両手の筋肉の動きがおかしかったと記憶している。あれいらい自邸を訪ねてはいない。

●豊和さんに尋ねたことがある「芥川龍之介を目指していたんじゃないですか」と。「なんでわかるんや?」文章を読んでいるとそう感じるんです」と応じたら、微笑んでいた。本好きの豊和さんは幼少のころから図書館通いをつづけ、作家になるつもりだったそうだ。作家になるより建築を目指して物書きになるように、遠回りの道をお母さんに指南されたと語っていた。数えたことはないけど多数刊行している。出版社に原稿を持ち歩いているよ(笑)とも語っていた
●佐藤は最初の著書『芸能としての建築』が一番すきだ『大和に眠る太陽の都』も推し、初期作品が建築どうよういいんだ。












6月3日 曇りのち

■昨夜は同世代でフランスの映画監督ジャンピエールジュネ監督2014年公開の、『天才スピヴォエット』を二度観た。お話の筋や人物設定はアメリに比べれば感情移入しにくいんだけど、画質と色彩はロードムービーになっても冴えわたり、どのように撮影したのだろう・・・と思い二度見た。『アメリ』の味はままを突き抜けて、奇想天外でありえないんだけど・・・面白い。映画の面白がりかたを拓いているように想えた。

■蒲生氏郷の故郷体験記を書くため、午前、県立図書館に行き、蒲生氏郷関連の本を借りてきて目を通しはじめた。おれより400才ほど年上の戦国武将で、会津若松の町づくりや産業の基礎をつくった武人におもえる。毒殺説もありそれだけ、嫉妬と羨望が入り混じった目立つひとだったのだろう。

■FB投稿

滋賀県 日野町案内役は氏郷くん、彼のにわか勉強しはじめる
県立図書館へいき蒲生氏郷関連本や資料をあたる。貸出不可のものもあって寂しいが貴重な資料は図書館内で目をとおせばいい。
福島県会津若松の若松の鶴ヶ城というなも蒲生氏郷ゆかりのものだが、戊辰戦争敗北の痛手がおおきく、斗南への国替えもあり、松平容保が人気なんだと思う。









6月01日 曇りのち夕方 ひさしぶりに陽射しをめでた。

■午前と午後、先月20日鈴木先生と語り合った内容を見直す。
 昼飯をくいながらレモンを煮る。最近トルコ産レモンが安価で手に入る。ワックスと防腐剤をとるため洗剤と塩で洗い、その後煮る。俺の内蔵にいいようなので、食べ始めた。健康にいいという民間信仰みたいなもにだが、多少の防腐剤とワックスの摂取はしかたがない。
■午後いちでシチューのリクエストがあったので食材を買いにいく。

■FB投稿

トルコ産レモンを煮る(煮る前に食われちゃうんだ・・)
酸っぱいの嫌いなのだが、大混乱の世を見届けたいので俺の体に効く・・と風聞が流れたのでスーパーからレモンを買ってきて煮た。甜菜糖を入れても苦い、その苦さが内蔵に効くのだという。

長生きして歴史の終わりに現れた、帝国主義の大混乱を観察して記録もコツコツ、落し蓋してコトコト煮詰めるだけでも唾液でるよ。(トルコ産でも洗剤と塩で洗い水でも洗うことを忘れないで処置後、ガブリとやることが肝心のようだ)

夕刻、ふいに陽射しきた!うれしい。

除染前は外壁は鬱蒼と蔦が茂り、新緑も紅葉も美しかった。除染から1年経ったけど植物繁る外壁は戻る気配ない。蔦植えなおしがいいのかな。