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   2019年06月の日記        

 6月13日 

 昨日届いた仙台にあったmy長女の家具などを配置する。重い家具の移動を家人にサポートしてもらい、なんとか目的の位置にセット出来た。ここからはこつこつ分類整理作業となる。 やや筋肉痛にて夕方から横になる

■FB投稿より
陶仏 (一重孔希作) 今7体発掘す
新緑まばゆいカンカン照陽 物移動作業中
1980年代作だと思う。大きな40センチ前後の陶仏は凍害に遭い頭部だけになっていた。俺の大困難期は80年代末から約30年間なので、身が消えしかめっ面の頭部だけになった陶仏にさえ深い親しみをおぼえる



 6月12日 
 
午後1時半ごろ my長女の家具が届く。机と本棚と椅子だけ来るんだと思い込んでいたら、35個ほど着いて驚く。
 荷解きと仕分けをしておおよその配置をしてみる。

FB投稿より
梅雨晴れぞ! 第2陣 荷来たり ヒリビリ解く
雀くる夕刻 ぐぐったり
男力アップ なるぞぞー ハンバーグこねる 叩く
デカイぞ 焼くぞ 喰らうぞ 呑むぞ



 6月10日  梅雨入り本格化し 気温20度下回りそう 寒いかも

■猿能動、類人猿の労働、人の労働の推移と今世紀に築いた労働の価値と共有について、ぼんやり考えてみようと思うほどの梅雨日。

昨日のFB投稿より
■自殺予防の対策 公開講座始まる
いのちの電話においてボランティア参加するために必要な受講内容と受講講座数と期間などを、知っておくため参加。今日の講師は臨床心理士 桃井真帆先生
参加者老若多数 女性7割
◆日本にあって最も多い殺人者は自分自身である。リーマンショック当時と比較すると1万人減とはいえ現在21000人ほどいる。その数は交通事故死者、通り魔の比ではない。

■ 映画 『アメリ Ami elie 』観る (my子DVD乱観5)
 人は不幸なんぞに決してなれない!都市に暮らして生きる変人こそが人の世界を拡張し、人の暮らしを豊かにする。だから都市に暮らす人こそ変人に成れ!それを伝えているような作品だと想ったよ。
 ネガティブシンキングと「伝統的な価値に倣い生を営むことが人の価値」と勘違いしている大人に囲まれ都市に生きる若者に「そんな迷惑極まる事態で悩むことが起きたら、応答はどうすべきかの。その疑問にナイスチョイスを教え与える=「都市暮らしの愉楽はこれよ」とのメッセージ満載の一作。
 相変わらず宮崎某氏いらい引き子森がもりもり事件を犯すたびに話題になり、前世紀と同手法の羅列でうんざりする。「それは社会悪で国をあげて排除せねば」と審議せず、開かずの国会で今日審議されていた。みんな短絡的過ぎてオカシイよ。近頃のそれを具体的に記せば、幼児を殺害した通り魔や国策を先導した元事務次官の父67歳が引き籠り息子44歳を殺害した事件に関する内容がTLから落ちて来たあれだ。探害事件の多くは自身と親族なので目新しくはまるでない。その事件をマスコミで伝えることに意味があるとも思えない。なので調べる気もまるで起きないが、「なぜ引き籠りの息子は父に殺されなければならなかったのか」、その点には興味を持つ。簡略に記せば「引き籠り人=ダメ人間」「理解不能な子供は他者に迷惑を及ぼす以前に親たちが自分で殺す」。あるいは拡大自殺のような事件を起こす可能性があるから親・自身で殺す。馬鹿だ。
 それらはどちらも引き籠り者の豊な空想力と想いを聞き取って、都市生活をさらに豊かにしよういう姿勢がまるでない点に驚く。異能の他者と共存することで都市に暮らす人々は都市の愉楽を知り、都市の包容力を高める造像力ひとつしり、それを共有し学び実践したいと思うだろうに。そこの単なる一つの思いに至らないのはなぜなんだろう。
 その謎に解を提示するために調べたりする気も起きない。そんな暇があったらジャンピエールジュネによる脚本・監督の「Ami elie」を見続ける方が解の糸口が多数見つかる。

 作品が制作されたのは2003年頃。公開されたとき福島フォーラムでmy長女と一緒に観て盛り上が事を思い出す。要点にさし掛かるとバンドネオンの曲が鳴り出し「この場面を一緒に体験して盛り上がろうぜ」と。バンドネオンが掛かると監督のお気に入りの場面だよと伝えているようで分かり易い。何度見て楽しく、DVDが有れば、それらを微に入り細に入り何度も確認し楽しむことができる。IT革命が人々の暮らしに浸透しだし、映画においても画像処理技術が格段に高まり、まるで夢のようにモノクロとカラーが行きかう。新旧画像を重ね合わせたデータ画が激しく行き来する絵作り。絵作りはPC操作能力があればさほど苦労なく制作できる状況が到来した、その時期だった。(時間だけがやたら要る)

 もちろんヌーベルバーグを経ていきるジュネ監督にとっても私にとっても「筋=起承転結の有無より、瞬間瞬間の愉楽を追求し続ける姿勢の方が今は重要よ」と語っているように思えてけらけら笑ってしまうのだった。それは勘違いなのだろうがこの点は時を経て映画作り、絵作りはどうなり楽しむことになるのだろうと、一層映画に対して興味が湧いてしまうのだった。
 アメリDVDを観てそのことを思い出した。映画館で観るのとは違う見方が出来てDVDの楽しみ方が少しずつ分かってきて、こりゃーますます 死んでなんぞ!はいられんよ!あんたに殺されるなんてまぴらだ!




 6月07日  平年より5日遅れ今日から南東北も梅雨入りしたとのこと

資料と本の整理作業をしようと思うも手に取ってみてしまったり、このDVD鑑賞しようと観てしまう。今まで我が家にあった本や資料と仙台からやって来たそれらを比べちゃうので、いい刺激になっている。
 ひょんな切っ掛けからmy長女の仙台荷物を受け取り保管する事になったが、体力仕事を除けば幸が多くありがたいことだ。

■『愛と宿命の泉』を観た (my子DVD乱観 NO 4)

 1987年に公開されたフランス映画。二部仕立で計3時間45分ほどの大作。舞台は1920年代のフランス南東部プロヴァンス地方で、農業を主とした地域における血縁者による愛憎劇。原作は国民的作家マルセル・パニニョル『プロヴァンス物語/マルセルの夏』。
 自由とヴァカンスは命がけで守ると語られるフランスの人々。映画発祥の地でありヌーベルバーグを経たかの地においても主題は古いだろう。登場人物たちに工夫が凝らされ、俳優たちの演技も素晴らしい。共通普遍のテーマである男と女の愛情を描く姿勢は単調で浅い。その因は都市暮らしの人々を描くのか農村の人々のそれかで生じることだ。日本酒を呑みながら、ゆったりした楽しめる作品。

 主人公はイブ・モンタン演ずる、フロレット家の老男性のジャン。彼は70歳ほだろうか、ちょっとした資産家でもあるらしい。知恵者でもあると自負している。だが彼の小賢しさと振る舞いが、やがてブーメラン効果のように、彼自身に襲い来て失意のもとに命を閉じるという結末。だから因果応報劇なのかも知れな、古典的教訓一杯劇とも言えるかもしれない。キリスト教を信仰する人々にも因果応報概念が有るのかは知らないが、この手のストーリー、血縁者間に起る争いは世界中の家族間で茶飯事だろう。この手の話は苦手なので「これでお仕舞」でもいいが、筋語りに陥らないようにし感想を少しだけ。

 日本に当てはめれば明治末期から大正初期。資産と知恵を持つ老人。高齢者となった私の曾祖父たちはどのような思いで日々生きていたのだろうか。この映画のような具体的想像が生まれてこない。ガラスに刻まれた曾祖父を写真は見たような記憶があるが、その人が曾祖父だったかさえ定かでない。分家育ちでもあり、本家に今でも各種史料が保存されているのか不明だ。曾祖父が書き残し日記があるとも聞いたことがない。当時の他者の日記を読んだこともない。寂しいことではあるが彼らの生き様を想像さえすることが出来ない。
 「日本人は血縁関係者に対する思いが薄い」と思うので多くの老人たちもそうかもしれない。それは以前聞き取りした体験で得たことだが、伴侶の生い立ちと伴侶の家族史をほぼ語れない人が多い。聞き取り活動しweb記録を作ると「あんたそういう人だったのね!」とパートナーに少し感謝された。共に暮らしているパートナーがここに至る、生きて来た歴史といっては大げさだが、伴侶の肝腎な情報が少なすぎるように思う。だから日本においては100年前の他者について朗々と語れる者は、現代史の研究者ぐらいだろう。我が家の「ルーツ語り部」を育てることに努めず暮らすのが現在の日本人の特質の一つのように思う。

 映画の感想に戻る。小さなコミュニティーにつても結婚問題は解決しなければならない大きな課題の一つ。映画は水問題と共に結婚に関する人々の思いに触れながら展開していく。老人の主人公は結婚に失敗していて、結婚していない秘密は映画の重要な鍵となっている。終盤に明かされるがネタバレになるので控える。
 どうしても筋書き写しになってしまう。資産持ちである主人公は血縁者が大好きなのか、資産を見知らぬ者に奪われるのが嫌いなのか、判断できなかったが、家名守・墓守を義務と思い家政婦を雇い一人暮らしをしている。そこに兵役から甥が戻る。
 離れというには高低差と距離が離れているのだが、家屋を与え生活の面倒を見始める。経済支援も含めて微に入り細に入り面倒を見始める。唯一の血縁者なので当然なのだろう。甥は引きこもり系でお人好。カーネーション栽培し生計を立てようと考え、カーネーションの株を新聞に包んで兵役から戻っていた。
 だが、アルプスの西端のその土地は地中海性気候で雨量が極端に少ない。農業用水確保のための堰やダム湖を作れないため、水の確保が農業経営の要となる。イントロで舞台背景が映し出されるのだが、大きな違和肌が方々に露出してる急傾斜地。機材運搬用の道さえない急傾斜地においてこの映画を撮影するスタッフの苦労を想像してしまうほどだ。一見し明らかに農業に適さない乾いた最大斜度30度ぐらいの不毛の地だ。

 邦題「愛と宿命の泉」とあるように、農業用水を確保をめぐる苦労話が、哀調あるれるハーモニカの音色とともに展開する。阿武隈山地の農村に1951年生まれた私は、父たちが稲作のために広瀬川の支流の水を協働管理した現場を見ている。農業における水の管理の肝腎さと協働管理の困難を知ってもいる。100年前でも福島県内の扇状地の多くは荒れ地のままだったろう。西根堰をつくり信達の野拓き、猪苗代湖の水を活用するための安積疏水を設けた。羽鳥湖のような灌漑施設をつくり戦後の成長を支えたが、現在は農業の工業化や六次産業化が進められていて、水問題が第一になることはない。でも、荒れ地を農地に変えきた地に生きて来た事実がなくなるわけではなく、農業の工業化がますます進むとはいえ水が確保されなければそれも成り立たない。だから遠い昔語りとはいえ農業と水と地域の人々の暮らしや考え方を描き、映画化し記録を残すく姿勢には共感が持てる。



 6月05日  雷 小雨あり 

 雷が鳴り響いていたが、一部残っていた夏草の取り除き作業、東側13mほど三本鍬にて掘り起こしながらする。夏前の恒例作業をなんとか終える。

■ 町中に用事で出掛け何時もの酒屋(一番安い)で1升かって背負い戻る。311後、昭和の建物がどんどん壊されて空き地が方々に出来ている。人口減少によて市内にできた過剰とも言える昭和ビルはさらに不要となり解体されていくのだろう。ゆっくり観察していくつもり。

■  『愛と宿命の泉』を観る (my子DVD乱鑑 NO.4)
第一部 JEAN DE FLORRETTE (フロレット家のジャン) 116分
第二部 MANON DES SUOURCES (泉のマノン)  109分
監督タロード・ペり 原作マルセル・バニョール『プロヴァンス物語/マルセルの夏』

 6月04日 青空がみえない薄曇り 

31日仙台から届いた本や資料などの荷解きと、粗い本棚への収納作業は3日まで掛かりようやく終わった。昨日の夕方は荷解きで残った段ボール箱を家人が解体してくれたので、束ねて資源ごみ回収として出だす。今日は運よく、資源ごみ回収日だったので一部活用品を残して全てかたずいた。
 長期間引き籠りを続けていた家人も、2005年6月の一時入院し退院から4年が経ち、生活者として問題ない暮らしぶりとなっている。それは荷造り段ボールを解体したり、片付いた様子を見に来たりし、他者の作業にも興味をもち、手伝おうという、作業を通じた共同体験感とでもいうのだろうが、他者と交わり大切な感情が戻って来た証だろう。 20年前には想いつかない、人間らしさを回復してきて、俺の役割も終えたかのような気分だ。
それにしても人間のホルモンの過剰分泌などによる脳の働きは不思議でしかない、と家人が病になってから思う。ホルモン一つ一つが人格を構成する一つのカギなのか?と。ホルモンの働きは不可解いであり、○○依存症や薬物中毒の件も話題になるけれど、人間には太刀打ちできない代物ではないのか。ホルモンより社会と家庭や身近な暮らしを構築る場の環境を穏やかに変化させることが肝心なのかもしれない。

■ my長女は語学や世界各地の耳慣れない言葉と発音について、子どもの頃から興味があった。今では耳鼻系の医師であり脳と音の働きや相互関係を研究する専門家ようである。ドイツに移民し公務員となり働いているので、他に聞くことも多いし、詳しく聞いても理解できないと想うので聞いてない。なので俺のmy長女への認識は間違っているかもしれない。

 my長女はドイツ移民から数年が経ち、我が家にやって来た多量のDVDは「多様な言葉を聞き取る、日本語以外の言語を聞き取る練習用として買い集めた」と以前、話していた。DVD制作と販売からの制限なのだろう英語DVDが多い。一緒に来た本はアフリカ系言語は西江雅之さん、ロシア語は米原万理,さん、声帯に関しては米山文明さんの著著などが目に入る。ろう文化についての本も多数。面白そうな世界だと背表紙だけ見て思う。
 
 順不同で単に棚に入れただけだが。棚上段右から片っ端に観てやろうと思い、見始めた。数年掛るだろう。最初に観たのはドイツ映画『 HITLER』で歴史を検証作品で、評伝のような動画作品。付属の製作版をも観たが、当然だが制作者の間でもヒトラーについてとう描いていくかは議論になっていた。歴史の事実として共有すべきヒトラー伝はこれからも上書き更新し続けてやがて完成するのだろう。
 
■昨夜は「パリ20区、僕たちのクラス」 を観た(my子DVD NO3).
 第61回カンヌ最高賞受賞作品と書いてある。内容は日本の義務教育制度にくらべて書けば、中学2年生24人とクラスの担任である国語教師との教室内や学校内で起きる出来事に対する先生、生徒、保護者との対応を描写していた。内容のやりとりを理想的の姿とし、作品化しているのか、状況を正確にえがいているのかは分からない。が学校で起きるだろう様々な事を丹念に2時間ちょいに収めた作品だった。

 my子たちの中学生時分で記憶している事は、先生にろくでもない評価を受けていた、それと、PTAの行事などに参加すると先生君主、あるいは生徒の運命を握る独裁者のような「俺様振る舞い」をする者が多かったことだ。合法組織なのかは不明だが慣例的に続いている親がヨイショする仕組み=PTAの会の懇親会では母親は酒をつぎ回りならがヨイショ!。男性教員はそれが大好きなのだ。先生お前はこれだけかよ、世間知らずも甚だしい。彼らのあきれた言動を思い出す。不幸な事に我が子たちは質の悪い一部のいかれた先生に出会っただけだろう。

 福島大学を出てただけで義務教育の教員になる成る者が多く就任していたようで、もっと多様な教師像があった方がよい、例えば県外で教育を受けた先生や東アジア系の外国人の先生も確保し、先生たちの多様な混在に努力すべきだったと思う。
 福大は偉大な大学なのか?俺には分からないんだけど、my子たちの教師はそう信じていた。福大教の信者に見え恐いこと。福大で教鞭をとる先生に対しては神扱いだったし、そのご子息たちが教室にでも居ようものなら 孫様偉大な学級のリーダー様ででなければならないと、アカラサマナ贔屓の引き倒し対応と、単なるそれの価値観を押し付けて来るので、辟易したりあきれることが多かった。

 もっとも酷く強烈に記憶していることは子が教師から「暴力と人権侵害を含む行為に遭った」ことだろう。その事についてmy子は学級文集に原稿をよせ、先生への批判と皮肉交じりの文章書き上げた。だが先生たちの判断により不掲載の処遇をうけてしまった。親ので義務として、今でのその原稿は保存してある(一部絵で公開)。中学の教師による生徒への暴力行為は時効7年ぐらいだと思ったが、刑事事件となると市教育委員会との問答も面倒くさい。子に聞くと「とりあえず行動しないでほしい」ということだったので、メモや診断書などの証拠はきちんと保全しておいて訴えなかった。 子どもが大学生になってからでも間に合う、時効以内に訴えればいいなと思い、保管したままで今日まで忘れていた。
 加えて子が通う中学校の管理職が恩師であったことも暴力沙汰を見過ごすことになった不幸の一員であった。彼は私から見れば酷い姿の先生になったなーと思い、彼とは恩師と話したくないので訴訟の判断を先の延ばしにた一つの理由ではあった。

「パリ20区、僕たちのクラス」は書き込みによるとパリの下町にある中学校の日常を絵がいているのだそうだ。肌の色、でいえば 白色系 アフリカ系、アジア系、中南米系など様々。言語も同様で生徒の共通語はフランス語で統一されている、一端家にもどればスワヒリ語、ラテン語、中国語、朝鮮語だ。なぜか日本人はいない。生徒たちはそれらの違いを受け入れ、互いに尊敬し合い、時には先生や生徒同士も対立し合いながら、活発な対話の中から生きる意味や自分の将来の意味様を思考続けていた。
 日本の中学校のように酷い均質性はなく、生徒に対しては単に詰め込はまったくない描き方だ。教師たちの、いの一番の仕事は生徒の対話能力の向上と相手の語る内容をきちんと理解でき許容できる寛容性の高い人間を育てあげることに力点がおかれていように見えた。でフランス語・母国語での表現能力の向上にはうるさいし、それを高め合うことに力を注いでいた。
 日本の義務教育の現場は移民労働を受け入れるに当たって、東アジアの外国人の子供達を受け入れ教育をする場になっているのだろうか。気になるが、子をもたねば義務教育現場へ、今でも私のような老人がが立ち入り観ることができるのだろうか、今度調べてみたい。

 さらに教師同士の討論も管理職とのやりとりも、すこぶる健全な関係であった。両親と生徒と教員たちの対話のありかたと生徒の悪事を先生たちが討論によって決める姿もよい。生徒の両親は教員と会っても臆せず母国語で応じる。子供がフランス語に通訳して教師に伝えながら、お互いの中のある難問を解くようなありかたになっていて好感がもてた。
 今年の4月から半年のあいだ福島大学の公開授業を受けているが、映画の教室と比べて授業風景がとても殺風景で貧相だ。ドイツの大学の講義は教師が自分の持ち時間以内で自分の研究の現状を淡々んと語る、原稿を読み上げるだけでお仕舞だそうだ。 対話を重視するのか、他者の考え方の現在を静かに聞き入り、応答し合いここの授業を将来の自分の研究と他者の考え方の相違を考えさせるのか、生徒と先生の多様性が担保されていればそれぞれどちらでもいいように思う。共存を語る有識者に会ってみれば酷い権威主義者だったりす。sぽれは日本の日常なので諦めているのだが、明日は誰にとっても体験したことがない人生の一日であることは間違いないのだから、明日を共に考え、試行錯誤する態度と実践が肝腎。あらためて再確認できた。

 この映画は地球上にあるだろう多様な教育場の現在に思いをはせることが出来きてよい映画だと思った。


 6月2日 

記号としてのヒトラーしか知らない俺
ブルーノガンツ主演のヒトラー?最期の12日間?は2005年あたり福島フォーラムで観た。
藤村舜一さんはヒトラーの青年時代の足跡を丹念に現地入り足 身体で『ヒトラーの青年時代』成就された。私はたんに読んだり鑑賞したりしてるだけだ
映画にてガンツさん演じるヒトラーは晩年の12日間を描いている。ドンッマリの末期を密室劇で描いてるたのだが、ガツンさんがど迫力の演技連発する、あんまり似ている!(記号として合いすぎる)ので本人が現れたかのような!錯覚で最後まで圧倒されてしまった。その記憶が蘇ってきた。
渥美清さんは本人として生きたのか、寅さんとして生を全うしたのか、私は知らない。しかし役にハマりすぎて演者が自己を失ってしまう、自己を他者がきやがる!場合もあるように思える。
 あなたは誰を演じて、ほんとは誰なんですか? そのように自身に問うことも映画鑑賞の楽しみの一つである。上手い役者が好演すればするほど、この問いが頭を持ち上げてきてしまい、映画鑑賞どころではなくなる。ほどほどに鑑賞してしておかないなと、荷解きの疲れは解除しない



 6月01日  
 FB投稿より 
荷解き日和 すべて解いた。
昨夜から、仙台から届いたMy長女の本や資料の荷解き作業。備えの本棚に片っ端から収めるも、DVDが想定外に多く、数えてないが700本前後かるかもで溢れるたが、ほぼ終えた。
片方に空箱山ができた。丈夫な資料専用箱はとりおき活用予定。



■ 昨日のFB投稿 
トラック一台 「本と資料」来たなや!
線状降雨帯襲来を寸前で回避する早業にて幸運かも。思ったより多く、箱見た目なので2/3にはボリュームへるな、ても準備した本棚は溢れるかも

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