佐藤敏宏
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2024年6月の日記       5月の日記へ



6月16日  さほど暑くならず過ごしやすい日だった

■昨夜、煮た杏じゃむ食べ、杏ジュースを呑む。美味い!

■長崎漫遊webペイジ5枚目を書く。6枚目を書けば5月28日の漫遊記はまとまる、でつづいて6月29日長崎漫遊記へとなるが、完成まで果たしていつまでかかるか不明だ。

■午後、花田先生のwebペイジを更新アップする

■夜7時から辻琢磨さんと両親を聞き取る。やく2時間。

webオンラインがつながるまでだいぶ時間かかり過ぎて・・・大に弱る。オンラインワイワイもいろいろあるので、今夜はどうも上手に繋がれないのだが・・。やっと繋がって、出足まずく、繋がったので、どうもうまく聞き取れなかったかもしれない。聞き取るって難しいね。

とはいえ、これからも、、迷惑かけても、いろんな人に聞き取りするつもりだ。よろしくっていうことです。







6月15日  今日も夏日暑いひだったよ。

雑用と食材買い出しの合間に長崎漫遊記を書く

■FB投稿

杏を摘果しジュースとジャムに!するする。暑いよ!
福島市一気に気温上昇、ととに庭の「杏」熟れすぎ落ちだしたので、全て摘果して煮ている。甘酸っぱい香りに台所満たされている。適度に甘酸っぱいジュースも美味いね。今年は実すぐりしたので、粒が一定になっている。惜しまず、ひと手間かけると効くね。

都知事選に「AIゆりこ」登場ってTL落ちてきたけど、候補者の代理で語っていいのかね?アバターなら何人でも複製できる金持ちのための道具だと思うけど。どうなのかな。電通仕込・金持ちAI使うって今後選挙って問題ないのかね、しらんけど、生身で立会演説会でガチコンすべきだろう。立会演説会にアバター登場させちゃったりするかな・・

今日も猛暑になりそうだぜ福島市内
涼しい時間に雑用を済ませ外にでず、長崎漫遊記の継ぎ書きはじめる。今日は「長崎原爆資料館」を体験し感じたことやままに書き出した。展示屋さんたちは一筆書きのように計画するのが大好きみたいだね。俺はトコロテンじゃねぇんだから、押すな!・・・こういう展示計画はどうもな・・という気分で見まわった。人が多いのには仰天した、家に帰ったら長崎の被爆のことを一人でもおおく語って伝えてほしいものだ。









 6月14日  午前から暑い1日 33℃とか。

■鈴木達治郎先生の1980代について語っていただいたweb記録に絵をつけて、先生にお知らせする。ついでに年譜も修正する。

■午後、あついのでPC作業はやめてごろごろしながら読書する。『ご冗談でしょうファインマンさん T U』をよぼ読み終える。原爆についてワイワイしているので、「下から見たロスアラモス」は『オッペンハイマー』伝記とは視線が違うので、下から目線をもってその当事者が書いているので、伝記の欠点も分かったような気がする。男性が書いているからだとは思うが、あの伝記は赤裸々には書いてあると思うのだが、立派だよ科学者とロスアラモス視線で書いている。ファインマンさんは実に具体的で的確な視線で存分なくロスアラモス欠点を記述していて、貴重な視線だと思った。他には日本に来て帝国ホテルに泊まるより和風旅館で日本文化を堪能するのがいいとか、教科書の委員になって教科書選びの問題を散々かきまくっている。子供の豊かな才能を開花させる教科書になっていず、知識を押し付ける意味のない教科書だと酷評している。日本の教科書にファインマンさんが触れたら絶句することだろうと邪推しながら読んだ。

■今日のFB 
八戸市美術館に関する記事が投稿されています読んでね! 勝手に森潤平さん(先生ニ就任)推し歩いているお爺さんです。

八戸市美術館に関する記事が投稿されています読んでね!
 勝手に森潤平さん(先生ニ就任暑中見舞 いるいるそんな 水無月哉
このとこと数日福島市は猛暑なみの気温になっているようです(気温測ってないけど暑い)桃もどんどん大きくなっていて、ひと月も経てば、桃かじる月がやってきます。
桃かじりながら原発ごのフクシマも体験しよう!
(お誘いなのだが効き目なさそう))推し歩いているお爺さんです

鈴木達治郎先生早稲田大学で有料,全4回講義7月4日〜 
若い方、おおいに参加され核兵器開発の歴史から核廃絶まで学び、戦争や平和についても考えつつ21世紀を生き抜いてください!!よろしくお願いいたします。

6月12日  気温上昇し夏のようになった午後、夜風は涼しくっていい

■午前 鈴達次郎先生の1980年語りを文字にする。
■午後、スーパーに食材を買いにいく。他は鈴木先生の文字記録に絵をつけ始める。

■FB投稿

夏用麻糸で袋をあんでもらう
家人あんていし手芸盛ん。世界に一つしかない夏袋かんせいした。夏は麻が似合うのでは・・。
糸代3000円なのに完成した袋をメリカリで売り出すと「500円でも売れない」と次男に告げられたが・・。






6月11日 

朝から、鈴木達治郎先生の1980年代を文字にしつづける。といっても休憩すると寝てしまう、老人なのであった。眠い眠い、逆らわず寝る。

合間に『ご冗談でしょうファインマンさん』第ニ巻も読み進む。

■FB投稿

昨年の初夏、移植した紫陽花さいた!
選定の仕方分からず、いい加減にぶった切って、北道路面の幅の狭い庭から物干し場の移した。・・咲いておおいに喜ばれる。紫陽花は水滴が似合うね。(昨日撮った)今日はカンカン照りの福島市なのでぐったり・・しおれている。


6月10日  昼ごろ強い日差しあり 

何度も昼寝しつつ、文字起こしする1日 長崎漫遊記4ペイじめも書きはじめた。
















6月9日  昨年移植した、あじさいと額紫陽花が咲きだした。

寝ても休んでも疲れがとれないのはホルモン剤の効果なのではないかと疑いだしている。薬休むと男性ホルモンによって元気になりそうなのだが・・医師に言われたとおり残る半年ちょいは言いつけをまもることにしよう。

■午前中、長崎漫遊記、その3を書く。まだ半分まで来てない。休みながら、こつこつ続けよう。

■午後、鈴木達治先生の1980年代語りを文字にする。45分ほど文字になる嬉しい。

■FB投稿

長崎漫遊記・・原爆資料館の入口に来た。そこまで書いた。
「爆心地を訪ね体験する」それと原爆資料館を体感することをいの一番に掲げ長崎市を訪ねた。想像していより遥かに豊かな町の体験だった。原爆資料館にたどり着くまで2WEBペイジ半書いてようやく資料館の入口の坂道まで書いた。(資料館・内部での体験を明日から書き継ぐつもり)
絵は資料館の入場券と一緒に渡される資料にあったものだ。
丸い斜路の絵はフクシマ伝承館にも転写され、造られている。が、俺にはこの長いクルクルした斜路が鑑賞者に与える、強要・移動する意味が長崎原爆資料館に入っても腑に落ちないままだった。
資料館の回りは地図絵のように、関係施設がびっしりと設えられていて、1日では見尽くせない濃密な地域であった。そうして長崎市の人々は、原爆を記憶を伝承することに注力し、日本に数少ない場所であることを示していた。
だから原発で豊かに暮らすことになている日本各地の人人は訪ねるべき観光地は長崎市なのだと、思うことになった。そうして東京電力第一原子力発電所構内も体験するのがおすすめだ。それは敗戦後のエネルギーと現実と、それを選択することでおきた悲劇を知る貴重な体験になるだろう。フクシマ〜ヒロシマ〜ナガサキの旅を多くの人に俺は推しますです。


6月8日 

午前中、長崎漫遊を書く。まだ原爆資料館に至ってない。こつこつ少しずつ書くことにしている。
ストリートビューで確かめる、6月6日に作成した地図に間違いがあったので修正する。

■午後、鈴木達治先生の1980年代語りを文字にしだす。毎日30分ずつ文字にする予定だ。

ときどく『ご冗談でしょうファインマンさん』を読みながら・・。

























6月7日 薄曇り

■家人の司令で北側の道路面の草むしりをする。20mオーバーの距離に生えた夏草をこつこつ掘り起こし採る。筋肉衰えているので、疲れる。一気にやらずに何でもサボりぎみになっているこの頃。


■昨夜 鈴木達治郎先生の1980年代を聞かせてもらったので、絵と音データを整理時、文字起こしはいつでもできるように準備する。毎日こつこつ文字にして年譜などに投影していこう。

■午後、近所のスーパーに食材を買い出しにいく。体力が落ちているのか、前立腺がんの薬ホルモン剤の効果なのか、大腿骨と背中の筋力がおちて、疲れやすくなっているようにおもう。元気がなくなっていると書いたほうがいいかも。

■残りの時間は長崎漫遊記を書いては、webアップしアンドロイドに読ませつつ修正をする。これは便利だ。文章が下手くそなことも分かってしまうのだが・・モツコツ続ければすこしは分かり易い紀行文も書けるようになるかもしれない。

■夜はmy次男が会社の呑み会だということで、家人と二人し早めに乾杯して飯を食べて、寝ながらユーチューブ見ていたら本当に寝込んでしまった。近頃寝すぎているように思う。寝るわりには筋力が回復しないのはどうしてだろうか・・とあらぬ想像をする。

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鈴木達治郎先生 1980年代を語る
昨夜ワイワイしました。80年代は日本経済も人々の気分もナンバーワン観あふれた、一種気でも狂ったような様でしたから覚えておられる方も多いと思います。そんななか、鈴木先生は国際エネルギーフォーラムを経、1986年からMIT(環境政策研究所)にて技術経営組織、規制、政策ををあわせ、日欧の原子力発電所の安全パフォーマンスを学ぶプロジェクトイン参加されていました(ディレクター)。欧米・日本・米国の事例を徹底的に集め失敗から学ぶ、そこから徹底した合理主義にもとづいた原発運営の実例などの一端をおしえていただきました。
次回は日本の経済バブル崩壊から失われた30年が始まっ平成の世下で、鈴木先生はどのように研究し、暮らしていたのか・・・などをお聞きします。
鈴木先生の明る、笑顔を絶やさず困難に立ち向かい、問題が起きると動物的にとっさに判断する・・・その姿勢と、研究者にもかかわらず仕事をとりに声掛け、動き回り仕留める・・・アメリカ・MIT仕込の生きる研究者の姿勢は、多くの者にとっても鑑と言っても過言ではないのでしょう。35年後の現在も変わりなく「核廃絶」を主に活動されている稀な方です。

ちょっと褒めすぎ…こちらこそありがとうございます

じょじょに専門的になっていますのでおおめにみてください!次回は「冷戦崩壊後」私はこれで核戦争は無くなるのかと思ってしまいましたが・・その影響のあれこれのこともよろしくお聞かせお願いします







6月6日

夜7時より、鈴木達治郎先生の1980年代を聞き取りする。専門的な話に入ってきているので、以前いただいたPDFを追いながら質問する。

2時間弱で終える、次回は1990年代について聞き取る予定だ。

借りてきた本を読んだり、長崎漫遊記を書いたりしていた2日間。長崎漫遊記web版はまだ下記始めたばかりだが、長く書くと決めてはじめた。完成まで1ヶ月ぐらい掛かるかも、出来たあとは東京漫遊2024を書く予定。


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■長崎漫遊2024を書き始めた(奥深すぎる長崎!)
「2017年8月26日 岡田治子さんに聞」も思い出してしまった。
岡田治子さんと家族は満州から引きあげ、長崎市のおばさんを訪ねた話を記録したことを思い出した。引きあげてきて、おばさんを頼りにしようと、このあたりを歩いたのか・・・キョロキョロみてしまった、かなり坂道だった。治子さんは大村市で暮らし成長し東京に出て、現在は千葉の稲毛で暮らしている。

■ファインマンさんが体験したロスアラモス、それを知る
(今年度は原爆と核発電あれこれ、そしてまち歩き三昧ときめた)
長崎漫遊しドイツに帰ったmy長女から「家に置いてるほんの中に『ご冗談でしょうファインマンさん』って本があるはず。ファインマンって(オッペンハイマーと)同時代の物理学者で、映画『オッペンハイマー』にもちらっとでてくる。その人の自伝。ロスアラモのこともなにか書いてあったきがする。」
早速さがして読もうとしたが、my次男の鍵つき書庫にある・・しかたがないから県立図書館で借りてきて読み始めた。「下から見たロスアラモス」という50ペイジほどの節があった。オッペンハイマーの評伝にあるロスアラモス、映画『オッペンハイマー』、『シャドー・メーカーズ』で描き出されたロスアラモス。オッペンハイマーは所長でボス、ロスアラモスの下っ端物理学者、ファインマンさんの回想録で浮かび上がるロスアラモスや最初の核実験の様子が独特の筆致で表現されていた。大変興味深い内容。講演録のような書なので読みやす点もおすすめか・・。









6月4日 晴れたり曇ったり雨が落ちてきたり梅雨らしい天候だった

■午前中、長崎漫遊記を少し書く。11時ごろ県図書館に本を返却し他の本『ご冗談でしょう、ファインマンさん』1,2巻借りてくる。「下から見たロスアラモス」を読む。

■午後疲れたので横になると、2時間ほど寝入ってしまった。東京漫遊で貯まった疲れがようやく抜けていくような気がする。
 
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長崎市と写真家たち(機会があれば写真家の軌跡を踏みしめたい)
写真家の東松照明さんが撮影した組写真「風化する時」(オリジナルプリント)を衝撃を受けながら観たのは1982年12月、福島市の文化センターで実行委員となり開催した「東松照明の世界・展」の設営会場だった。
展覧会の冒頭写真は1945年8月9日11時2分で停止した懐中時計ではじまっていて、片岡津代さんなどを被爆者数名と被爆者2世の浦川志津香が成長し花嫁衣装姿で御仕舞にちかづく。東松さんは晩年長崎市に移り住んで長崎市をこよなく愛した写真家の一人でもある。
長崎市は写真と縁が深い。写真が日本列島に最初(1984年)にオランダ船によってもたらされた(沢木耕太郎著『日本人の写真・歴史と現在』)地でもある。さらに日本人初のプロカメラマン・上野彦馬さんは今も長崎市観光案内図にも紹介されている。
1945年8月10日長崎市の被爆後を撮影したのは山端庸介さんという軍の記録兵で「井樋ノ口のおにぎりを持った親子」や原爆資料館に展示されている写真、さらに1952年に出版になった『原爆の長崎』を観ている人もおおいだろう。















6月3日  曇り時々はれては、夕刻から強い雨 

■午前、電気量販店に行き6畳用エアコンを調査する。設備工事店にエアコンをつけてもらったほうがいいと思ったので、電話をして調査に来てもらい今月中に設置してもらおうと思う。(長生きに効くかは分からいけど、そしてお金は無いけど、少しでも快適な環境で老後をすこしてもらいたいので、家人のためのエアコンだ)

■長崎漫遊記を書き始めるもさほど進まず、資料を整理していると、読んでしまうからだ。(長崎と関わる人では東松照明さん、上野彦馬さんなど写真系の人も興味があるけど、今回は訪ねることができなかった・・・)
旅の記録づくりとしては順序が逆になってしまうのだが、その後に東京漫遊2024も書くことにした。

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今日から「長崎市漫遊記」webペイジ作り開始
「1F原発事故後フクシマを生きているので・・俺、長崎市のファットマンの爆心地を今年は訪ねようと計画してるよ」とmy長女とたべっていた。ダベリは「東京漫遊2024」の宿住居(星座型居住実践)で飯炊き爺さんしながら。
PC操作していたmy長女が「マイレージが貯まっていれば・・カチャカチャキーを打つ・・・たまっているので、それ使うと2人で行ける!」と応じてきた。
■長崎市に行くなら、長崎大学の鈴木達治郎先生に会ってワイワイしたいので、連絡するとウィーンで会議中だが長崎に戻る6月28日夜なら時間があるとメッセージがあった。そうして28、29日、一泊二日の長崎市漫遊が決まった。
■事前準備なしの旅だったが、その地に生きる人に会う、地形と歴史を体験することは面白く教わることも多い。








6月2日 朝がたから晩まで 

■午前、午後先月末にデータ整理をするもさほどはかどらず。原因は新PCと新スマフォを同時に手に入れてしまったからだと思う。どちらもまだ慣れてない老人であるよ。

■大阪の林さんからメッセージあり、アーキフォーラムのビデオを撮影した画像を探すも見つからず。残念。林さんはアーキフォーラムをテーマに博士論文を書かれている方だ。

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老人はスマフォとPCを同時に新しくするものではない!ようだ。
俺が阿呆なのかもしれないけど、画像データ整理手法乱れまくって落ち着かないくってゲンナリ。新スマフォにしたら1カット当たりのデータ量が多すぎてゲンナリ。同時に新パソコンの画像ファイル作成のしかた下手でゲンナリ。おまけに記憶力無くなっていて、撮影した日を思い出せないくってゲンナリ。
夕飯早めに食って酒でも呑んで・・老化に逆らわぬことにしよう。
音データ整理はスムーズなのに・・撮影に数台カメラを使うからかもな・・・。
めまぐるしく・・・活動し過ぎかも・・my長女の「IT術生活に」付いていけない老人パパとなる。









6月1日  

重い荷物も背負ったり都内の乗り換えで階段を登り降りしたりしたので、筋肉痛(年はとりたくないな)なおらず。

午前、午後my長女帰国に合わせて各地訪問した写真データとパンフレッtなどの資料を整理する。

my長女も無事ドイツに戻ってのんびりしているとのこと。そうそう、飛行機の中で『オッペンハイマー』を英語版でを観で短い感想メッセージあり。

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我が家に戻り、データ整理・HP日記を粗書きしアップ

 この十日間の出来事を「東京・長崎漫遊記」としてまとめてweb記録にしたいのでデータを整理する。記憶がすでにごちゃ混ぜになっていて呆れる・・記憶力と体力がなくなっての強い味方はデジタル機器各種だが・・・それらの機器を使いこなせていないので、最適な使いこなし方を編み出さなければと思う。my長女の使い方を観ていたが到底娘にようには使いこなせない・・と諦め気味。

仕事場から見える
信夫山にかかる雲ともに美しい日だ。雨でホコリが地にほちたからかも。今年も梅雨は少なめなのかな、モコモコ感でていて、夏めいているような気がする。
■10日間にいただいたお菓子を食べて、あの時を想い味わう