2021年10月16日 川井操さん語り 学会17時から30分間 作成:佐藤敏宏
川井式 改修の手法


辻:
滋賀県立大学の川井操さんにお越しいただきました。川井さんは4回連続で参加してくださって、最後回ではセッションリーダーを務めていただきました。滋賀県立大学出身で東京理科大学の教職を挟み今は母校に帰って教えられています。
参加セッションの確認させていただきます。初年度2016年はセッション7の「まちや建築のリテラシーを育む建築教育とは?」。2017年はセッション15の「観光によって地域を育むための制度と空間とは?」。2018年がセッション26の「産業を埋め込むことで見いだされる生活の形とは?」。そしてセッションリーダーを務められ自身で設定されたテーマがセッション29の「リノベーションの新時代はアジアから拓くのか?」。4回参加していただきました。
川井:結果的にがすごいやってきたなーと思っています。2019年がリノベーションの新時代をアジアから拓く。僕がメインとなって関わったセッションでした。そこから新型コロナが始まってしまい、それ以降アジアに行くことがほとんどできていないです。ですから、それ以降の活動も自分自身のこともいろいろありました。その話をしつつ、そのこととアジアとの関係性のようなところまで射程が広いですけれども、今の自分の実態の話を語りたいと思います。

スライド3枚という縛りが面白いなーと思いました。どの三枚にしようかと大いに悩んだんですよ。(ご飯の絵が出る)晩飯時に飯の絵を出してすみません。2019年ごろ体調がめちゃくちゃ悪くって、みなさんに相談を受けてもらったりしていました。体も心も疲れたところで、新型コロナの感染状態に入っていきました。
パンデミックの中で暮らしながら自分の事をいろいろ見直したいと思いました。あの時期には、出張もすべてキャンセルになってしまい、することも無いので滋賀県の美味しい食べ物を集めようと思いまして。県内で頑張っている農家の方々とつながりながら食事について、自分の体について、見直すことにしました。
まず美味しい食べ物を探す活動をし始めました。米作りに参加させてもらったり、野菜を作らせてもらったり、畑で捕まえた鹿の肉をいただいたりしました。食は自給自足まではいきませんけれども、1年ぐらい掛けてある程度自前でできるようにしたと思っていますが、まだ半分もいってないんです。ただ私が顔を知っている人たちの生産した農産品で食べることができるまでなりまして、生活がおおきく変わってきました。
食生活が変わることで心も体の調子も回復し整ってきました。食は改めて大事だなーと思いましたね。
心身が整ってきましてその時に、自分の食している食材を建築に置き換えたらどうなるのだろう?、そう思っていました。食は自分の知っている物に近ければ近いほど体の調子がよくなったり、食事が楽しくなったりしました。食べることに感謝を持つことも強まりました。
一方で建築について、ほとんど産地を知らない建材を使っているんじゃないかなーと再確認することになりました。そこで、できる限り自分で採ることができる建材や自分がタッチした建材で建築をつくるということも実践してみたくなりました。

食と絡めて、建築づくりでも同じ思いで実践することを少しずつ始めました。





お見せしている絵は、農家の方の納屋を休憩所にしてほしいと依頼され改修したものです。当初はほとんど朽ちかけた寸前の納屋だったんですが、その状態が美しく見えました。元々農家の方の落葉小屋が農地のそばにずーらーっと並んでいました。今は3棟だけ残っています。そこで、真ん中の落ち葉小屋を休憩所に改修しました。改修費用はほぼ無料だったので、ここで頂いた稲わらを使ったり、後ろの竹藪から切り出した竹を使ったりしました。この場所で直接採れる建材でリノベーションをしたんです。
自分が大きくタッチしたということではなく、半ば周囲にあった自然な建材で、農家さん、百姓が改修したみたいな感じで仕上げたいなーという意識がありました。改修工事の様々な手つきを大きく見せないと考えて工事を行いました。そっと直っていた、そういう状態を目指して改修を行いました。
この工事が自分の中では手応えがありまして、面白いなー思いましたし腑に落ちました。建築家的な手つきとは違う、百姓が修繕するかのような手つきで、改修ができた。それが大きな手応えになりました。


そこから次に、彦根市において江戸末期に造られた足軽屋敷を購入したんです。それも同じ手つきで、改修をしたいなーと思いまして、できるだけ直採取した稲わらだとか、竹であるとかを生かす。滋賀県はヨシが採れるのでヨシを使った建材で改修することにしまいた。真ん中に見えている建物は、昭和の後期に造られた増築棟なんです。まずはそこを直採取した建材で畑を耕しながら改修して住む予定です。解体して使えなくなった建材は一部を田畑で使うとかしました。自分の食材と、造るための建材を身近な近いところから、耕作したり、直採取の建材を使って造ったり、そういう手つきで建築も造っていきたいなーと思います。

アジアの研究と周縁について

辻:
アジアの研究の流れは、今は、お休み状態なんですか?

川井:そうなんです。

川勝:川井さんの主なフィールドは中国ですよね?
川井:そうなんです。いつもレクチャーする時には、必ずアジアの文脈で、スライドも入れて語ります。それでもう少し分かりやすくなるんですが、今日はそこを省いてます。
僕がアジアで研究してきたフィールドは、スラムとか農村とか、都市の周縁、都市の周りである種、疎外されたエリアです。都市の真ん中に在っても都市からある距離を持って暮らしている地域、そういう周縁性、場所性を自分でリサーチをする。そういう研究スタイルでした。
そこでやっている手つきというのは、ある種の周縁性のような事ですが、日本でも応用できる、そんな感覚を持ってやっています。周縁性、その場所性の感覚を自分で畑や田んぼを見つけ出す。足軽屋敷も城下から見ますと一番はずれに在る。そういう地方での周縁性は、アジアで調査研究してきたフィールドとの差異がさほど無いという実感があります。


川勝:ある種の産業化された素材が豊富に有る周縁。それはスラムなんかも同じで、有り合わせの物、そのエリアおける野性的なマテリアルで造られていくことですが、その事は近代以前の手法で作られた建築、その場所で採れる物で造られている建築との連続性があるんだろうなとお聞きして思いました。

川井:現在、友人と北京で四合院の改修に取組んでいます。そのスラム化した四合院の中で共同通路みたいなものが在りまして、その場所の排水環境がよくない。そこで排水溝を整備しようとしています。そこでは逆に流通材の煉瓦を使おうという話をしています。僕が今、滋賀県内、ここの場所で採れている物と、アジアや北京に行って流通されている煉瓦を使おうという行為は、抽象化されたレベルにおいては同じかなーと。それは自然素材という縛りを持っている訳じゃなくって、できるだけ自分で建材を採取するという行為になるような気がしています。


川勝:実際に活動される中で、中心と周縁という関係性そのものも、相対化される部分かなと思うんです。僕は京都市北部の廃村に関わっています。初めは、めちゃくちゃ周縁だなーと思って関わっていましたが、しばらく関わっていると、実はそこには街道が通っていて、川の道で福井と京都をつなぐ道があり、川は京都だけど滋賀の琵琶湖に注ぐ川の上流にあって・・・。そんな感じで、周縁だと思っていたけど、ここを中心に位置づけていくネットワークみたいなものがあるなーと気がつきました。そうした意識はありますか。

川井:それは結構日々感じることがあります。中心というのはすごく具体化していった時に中心に向かうと思うんです。あらゆる行為とか法規とか、作物を採るとか、何か自分の行為が具体に向かっていくと、中心に向かって行くと思うんです。周縁を意識するのは、距離を測るという抽象化するような行為に近い。場所性の問題も常に中心と周縁の問題が必ず細部にまできちんと組み込んでいるような感じがあります。それも耕作と改修作業しながらでも感じることだし、常に、そこの往来をやっているような感じがあります。足軽屋敷の作業をしている事そのものも周縁と中心を意識することで行っていることです。

中央の学会活動に参加しているのはなぜか?


川井さんはアジアと滋賀をベースにしつつ生活されています。僕は個人的には建築学会の委員会で川井さんと一緒になるんですが、建築学会は田町に在ります。新型コロナの前だったので、パラレルセッションズも、田町にみんなで集まって、地方から来てくれて。川井さん自身も学会の委員会を幾つか経験されています。そういう行為のモチベーションは、建築の学問としては中央に当たる部分だと思います。それらのバランスの取り方、どう言ったモチベーションで4年間パラレルに参加してくださったのですか?お伺いしてみたいです。
川井:自分が単純にこのような行為が身体にいいからやっているとか、米は自分で栽培して建築は自分で造ろうという行為がある。一方でそれを批評的に観たい。それらを社会批評と、ある種エッジの立った姿として表現したい!という欲求とが最近、強くなっています。
数年前までは、自分の中で周縁と中央のありかた、そのことには自覚的ではなかったんです。今は、この思いを相対化する作業をやってきていたんだなと思い始めています。その過程が無ければ、食材、建材、これらのアプローチにはならなかったと思います。

今の建築家の活動と作品など、あるいは皆さんがやってらっしゃる活動などを相対化しているのは、常にフラットな場所として学会はすごくおもしろいなーと思います。それは建築という学問に携わっているんだったら、日々、批評的な行為として、どこで自分が立ち居振舞わなければいけないのか?とても重要だと思います。

辻:学会での活動は、ともすると、周縁だと押上げにくい環境があったりするのかも知れません。建築討論でチャウドックを取り上げたり、秋田の西方さんを取り上げたり、どちらかというと周縁と言っていいと思いますが、それらの場所の作品性の裏にある批評性をどうやって吸い上げるかに興味があるのでしょうか。
特に、この前の落日荘訪問などもそうでした。川井さんの意識に常にあるのかなーと面白く拝見してました。それを同世代の建築設計者に伝えようとされていると。私も含めて、伊藤さんとか、能作さんとか、討論委員会の話はそういう形なんです。パラレルセッションズの中でも、川井さんは2019年は推薦制ということで、池上さんと常民の永岡さんを推薦していただきました。そういう、周縁という言い方がしっくい来ないですね、エッジの効いてるフロンティアを中央につなげるような方程式があるんですかね。


川井:それはめちゃくちゃありますね。東大の岡部明子さんと、こないだそういう話をしました。僕は学会では他にインフォーマル居住委員会というのもやっています。インフォマリティーというのは、裏側じゃないだけど、フォーマルじゃない。インフォーマル、そこにある自由社会、自由度の高い領域みたいなのは、必ず日本にもあるし、勿論アジアにもあります。あらゆる領域にあります。
みんなが正義の方に向かってしまうとインフォマリティーとの境界は遮断された壁になってしまいます。インフォーマルな世界を人間がそれぞれ持っていないと、息苦しい。つまらない世の中になっていく。そういうことを岡部さんたちと喋っていました。
つまらない息苦しい社会を広げて繋げたい、という意思は潜在的にあります。今日の活動もインフォマリティーの世界だと僕は思います。フォーマルな世界となんとか結び付けてもっと軟らかくしたいという意識があります。

辻:研究者といいますか、アカディミアの内側から、あるいは学会を通して、行うというのは、メディアっぽい姿勢、アプローチだと思うんですが・・。そこが川井さんの特徴になっているなと改めて思います。研究者っぽくはない、かといって純然たる建築家でもない。その立ち位置も特徴的だと思いました。

川井:だから、こないだも岩崎駿介さんとそういう話をしになりました。建築家なんて名乗らないのがいい、と。そう彼ははっきり言うんです。そこまで否定的ではないんですが僕も建築家像にははまっていない、百姓には凄い最近はまっているんです。
自分の活動も週一回か二回畑作業をして、週一回はセルフビルド、自宅の改修をおこない、週二回は大学で授業をしています。そういう日割り事で仕事を変えて、あるしゅ百姓的に暮らす。そういうマルチナありかた(生き方=渡り職人的)が今の自分にはしっくり来ているんです。

辻:百姓。マルチタスキング、マルチワークス、そういう姿を「百姓」と言い換えるのが特徴なんでしょうね。



脱・辛い生活 渡り職人的 分人的

川勝:マルチ・ワークも単にいろいろ出来るというだけじゃなくって、先に神永さんの話にもありましたが、人格というか、こういう人であるみたいな事でもありますね。常に建築家、研究者じゃなくて、それを幾つも使い分けながら、暮らしていくということなんでしょうか。

川井:あとは、オフとか、神永さんの感覚に近いのかもしれないですね。オフの時間、教育の現場だけに居ると辛い。対人間ばっかりになって、対学生ばかりの生活になって。それを職能としてやってしまうと、僕は今は辛いなーと思っています。
自分がオフグリットに成れる場所を複数持っていないと、これからは皆さんも辛いんじゃいかと(笑)。自らもそうですし、皆さんもそうじゃないのかと。

辻:共感できます。(笑)建築とは全然関係ないメンバーで、週一でガチンコのフットサルをやっています。10年ぐらい続けていまして、10年間名前も知らない人とか居ます。(笑)名前すら知らなくっても、どういうプレーをするかは分かるんです。当然、僕の仕事も彼らは分らないんです。でも、そこに、403仲間のヤダが居たり、スタッフが入っていたり、クライアントもいたりします。一部の人は名前は知っているんです。全然名前を知らない人もいます。息抜きとしては素晴らしいですね。一回、教職も、肩書も全部外せるような場所をどうやってこしらえるのか、それは重要なんすね。

川井:重要な話だなと思います。僕が畑を耕している場所は家から車で1時間ぐらい掛かります。そんなに遠くまで行く必要はないですが、その道程の時間がいいんですよ。1時間も掛けて行く。その無駄な時間がいい

川勝:よく行く居酒屋で、話したことは無いけども何時も来ているお客さん。濃い人間関係じゃないだけど、居酒屋に行くことによって育まれる場。みんなで対話をして議論して何か場をつくっていくこととは違うモード。たぶん皆さんその場を愛して、その場がうまく回るように気遣いならが、そこを運営されている。そういうあり方とうのも、いいなーと思います。
川井さんの場合は人じゃなくって、植物とか物とか、周りの場所とか、それらとの関係、その事の重要性がありますね。人以外のものとの接続、人とたくさんつながるんじゃなくって、自分が生きている環境の中で、人以外のものとも繋がっていく感覚。それが川井さんにとって重要なのかなと思いました。

辻:そういう気付きを学会に持ち帰って哲学的にフィードバックしたり、なぜそういうオフグリットが必要なのか。人と物の関係のところにまた批評性を与えられるといい。そうじゃないと、単にメンタルヘルスはこの方がということだと個人の問題で終わっちゃう。(笑)

川井:そこに全部回収されちゃいますから。

辻:それは大前提として息苦しい社会というのがあります。共感は得られると思いますし、それは一方で価値だと思います。

川井:先日、ギャラリー・IHAのオンラインレクチャーで話をさせてもらった時に、足軽屋敷の畑の話をしたら、長谷川逸子さんが喜んでくれました。(笑)「戦後の東京はこういう状態だったらしんですよ。みんなで畑を耕して、みんなで野菜を育てて、町屋などの裏の空き地を耕していたらしいですよ。その情景を思い出したと言ってました。私はみんなの言う公共性に疑問を持っていた。本当のコミュニティーや公共性というのはこういう畑や生の、物と物のやりとりの中から生まれるんだ・・みたいな事を興奮気味に話ていました。上の世代の人もみんな感づいているんだと思います。

川勝:それを公共性と呼ぶのか?みんが思い浮かべている公共性というもののあり方が違っていたりすると思います。

川井:その辺はまた議論させてください。

辻:時間が来てしまいました。
川井:お疲れさまでした。


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