佐藤敏宏の『ゴジラ-1.0』鑑賞録 2024年2月12日作成
(目次)

 はじめに 
 ゴジラって何の喩えなの
 映画館ロビーで聞く 『ゴジラ-1.0』より『夜明けのすべて』が人気
 ゴジラ−1.0を観た
 自由を得るため戦線離脱した兵はなぜトラウマを負うのか

その2 

■ ゴジラって何の喩えなの

 (ゴジラ−1.0を観た動機

1954年の第一作、英語名 GODZILLA (Wikipedia)は本多猪四郎、円谷英二などによって制作された有名な怪獣映画。1951年生まれの佐藤は鑑賞した記憶がない。(中古DVD取り寄せた)米国のビキニ環礁での水爆実験によってゴジラが生まれたそれはなんとなく知っていた。ゴジラ映画誕生から70年間の詳しい制作経過と「ゴジラ映画」の本数は知らなかった。最新『ゴジラ−1.0』のパンフレットを開くと中ほどに、見開きで『ゴジラ』映画史が掲載されていて30作目!ゴジラ登場70周年にあたり30作目として制作したことが分った。

佐藤が映画館に足を向けたのは、2月初旬にZOOMで「核」をテーマに話し合いを持ったで観る気になった。その語り合いで『ゴジラ−1.0』が話題にあがり推された。推しがあったので観にいっただけではなく、佐藤が暮らす身の周りフクシマには3・11後に放射能が沈着しためのフクシマ問題が永遠に終わそうもない・・・と思っているからだ。なにか手がかりがあるかもしれない。(何もなかった)

佐藤は冥途の土産「護福まちづくり」の絵を描いている。福一原子力発電所から噴き出た核廃棄物の後処置と記憶をふくめた保存を主にテーマに、巨大な保管施設の設計案のことだ。計画の依頼者はいないく、佐藤自身の自腹プロジェット。完成は300年後の2323年を目標としている。300年後完成なので案を提示している佐藤自身は見届けることが出来ない計画案でもある。


フクシマ問題発生の本当の原因は(不誠実だと思うが)東電と政府から広報され続ける情報のみで知るしかない。悲しいことに経産省と環境省と規制庁の広報漬けにされている。映画『ゴジラ』は娯楽作品だし70年前のゴジラは核兵器(水爆)の実験過程で現れた暴れ首都を壊す生物になっている。「福島原発の壊れちまった原子炉建屋をすべて!ゴジラにたのんで日本海溝に深く沈め埋めてほしい!!」と、真顔で語る元・県庁マンに会ってもいる。『ゴジラ-1・0』はフクシマ問題を加味しているはず原爆とフクシマ問題に関して・・どのように描いているのか?それも興味はあった。(描かれていなかった第一作はの科学者にたいして批判的だ)

フクシマのマスコミ各位も各機関から多額の広告費をうけとって経営の屋台骨にかわっているのだろう。県は「TOKIO課」という課を新設し、年間数億円を支払ってまで、頑張る安全フクシマの広報活動を欠かすことはない。(広告会社から政治家や官僚へのキックバック明かされていない)事故の原因と今後の対策の本質を明かさず、多量で長期にわたる広報活動はフクシマ被災民を呆けさせようと躍起になっている姿にしか見えない13年間だった。言い過ぎだろうか・・。性加害の温床をささえてきた芸能人を高値で使わずに福島県は300億ぐらい掛けて福島版ゴジラを制作しフクシマの問題を発信してみてはどうだろうか、と言いたくなるのだが・・・。

まずは映画を観よう、フクシマ後の「ゴジラ-1.0」何の喩えなのだろうか? 









無音でみてください
動画:核実験・水爆説明付


(注)『ゴジラ−1.0』はエンターテインメントとしての完成度は多くの人が推しまくっている私が記す必要もなく、VFXの精緻さも同様に考え触れずに鑑賞録を作成しました。



ゴジラ全高さ50.1m

(ビルなら12階建ほど)


ゴジラって何んの喩え─映画館に行くまでに思ったこと



『ゴジラ─1.0』は自然災害巨大地震の喩えと受けとめ鑑賞したい

1995年に発災した阪神淡路大震災によって誰もが知るように日本列島は大地動乱期に突入している。今年(2024年)、元旦に能登半島で数年発生していた地震は大地震となり町を焼き尽くす火災も発生した。日本列島に今後も起き続ける地震よる大災害は常態化しするだろう。西日本大震災(通称・南海トラフ地震)や首都直下地震富士山噴火などは「30年以内に起きる」との内容で京大防災研の動画が警鐘発している。

  第一作は水爆 30作目は巨大災害

70年後の最新作は巨大地震をゴジラと読みかえた映画によって「揺れ動く大地に生きている人々は互いに手を携えて困難を乗り越えてほしい」という願いが投影されているのだろうか?

一方、フクシマ問題はあまりにも面倒な因果なので、忘却し暮らすことが楽。なので「知らない語らない」と決め暮らしてもいる人も多い。それで対立が生れ対話なしのフクシマの沈黙が常態化するのだ。フクシマの人々は福一事故や廃炉について話題にすることを憚り語らない。佐藤は県内に暮らす人と原発事故後のことを話し合ったことがない。他県の人が訪ね来て廃炉現場に立った後、語り合いはもっているのに、フクシマを体験したフクシマ人とは語り合えないのは残念だ。ゴジラは、フクシマの人々にとっての原子力災害を咀嚼し大災害の喩えとてして複雑化をともないながら描かれる続けてほしい。

行政や政府が負の記憶を消し去る行為に抗いあまを隠しながら、後の人々が災害の困難を乗り越え、さらに次の世の人々にわる可能性を孕んでいる事態が「ゴジラを鑑賞すること」と語られ非難訓練と同等の効果がだろうし、円谷英二出身でもあるフクシマ県発ゴジラ映画いとなれば、効き目が大きいだろう。また、継続し映画を制作すれば安全教育にもなり、次世代の人々にとって、「ゴジラ」を考え続けることが職業にもなり、娯楽にもなり生活の糧にもなってほしいと願いながら、フォーラム福島に向かった。




フォーラム福島のロビーで聞く

 『ゴジラ-1.0』より「夜明けのすべて」が人気のわけ

『ゴジラ−1.0』を推していただいたので、怪獣ファンではないけれどフォーラム福島に2月11日夕刻6時の上映に間に合うように家を出た。

数ヵ月上映しているので「観客は俺一人かな」と思い入場したら家族(両親、中学生ほどの娘 小学生の息子)一組、60歳ほどの夫妻一組、50才すぎの女性が2名。それに私で計9名で鑑賞することになった。

受付で「今若い人に受けている映画は何か」とたずねたら「夜明けのすべて」と。パンフレットの棚をみると売り切れだ。入荷待ちになるほど若い人が観ていることが了解できた。この映画館でパンフレットが売り切れ買えなかった映画名を知らないかった。内容は、生きずらい社会を若者どうしがささやかで確かな繋がりをてらしだすかけがいのない物語とチラシに書いてあった。

正規雇用3割で安定した推移であるけれど、自営業や加族従業者が減り続けそこのこに応じるように非正規雇用の割合が上昇をつづけて止まらないと言われている(小熊英二さんの動画か採取した絵)。



福島市にもシャッター通りと称されるすさんだ商店街はある。30年間市役所が手をいれるのだが解消せず人はロードサイドショップやモールに流れ戻ってこない。シャッター通りの元は度成長期に合わせるように数を増し繁栄した商店街で、1980年代から都市整備と称した区画整理の地上げにも遇い福島市の中心市街の目抜き通りからでも個人商店は消えつづけた。今では福島市内在住の自営業者の?忙店を見つけることは難しい、30年間にわたる失われた時代をへて辺りを見回すと2020年代にはチェーン店が蔓延してしまって、福島駅前中心街の居住人口が数名というありさまだ。

そんな状況下で福島市内に暮らす若者が目指す天職を得るのは困難至極であろう想う。というのも我が家には若者が居ないから20代の若者の困難を知る術が無いからだ。

福島市内にかぎらず地方都市の若者の働く場所は少ないのだろう。だから、フォーラム福島では『夜明けのすべて』のような質の映画が若者から人気を得るようのだろうか?彼ら彼女たの置かれた就職環境を知るほどに涙無くしては語れない気分になるのだが、経済の右肩下がりと人口減少に拍車がかかる世にあっては救い出すだては公的な職業開発と海外移住しかない。

だが政府は自助政策を続けているので若者仕事も壮年の仕事だってつくりだす政策をうつことはないく、介護問題も基本は解決策は放置。50才の働き盛りが80才の老人の介護をするために職を離れてしまう問題も起きて地力が低下してしまう。このような雇用環境下だから小熊英二さん示しているように、若い人々は学費ロインを背負ってでも安定していそうに見える、3割ほどしかない正規雇用の席を得ようと大学で勉強するどころか、リクルートスーツに身を固め丁寧語身に着け連発し学問を身に着けることはそっちのけで就職活動し、30%の正規雇用の椅子を目指す活動に専念集中する姿が目に浮かぶ。

全国津々浦々に効く、通用し給与が一定の職能別労働組合がない悲劇は若い人にも響いていて、同一労働同一賃金も護られるはずもなく、大学卒業後は社会人としてキャリアを重ねて転職・会社を変わればベテランも新人扱いされちゃう。給与補償だって無い。

職能組合が会社と交渉するシステムがないので、このような悲劇はどんな職業でもおきているだろう。博士号をもっていたりすると、人間を会社システムの機械教育をするため、意見をあれこれ言う邪魔人間あつかいされ、ドクターでもどん底人生を歩まなばならないのがポスドク問題と言われる事態だろう。

だから、人材の無駄遣いが横行している日本は激変する地球上の情勢に対応可能な若者を育てることすらできない。幾重にも若者に希望も夢ももたせないことで『夜明のすべて』を観る若者が2/3と固定し存在し続ける。

受付で『夜明けのすべて』がフォーラム福島で人気をはくしている背景を佐藤はこのよう考えた。

で次に本題のゴジラ映画について鑑賞録に入ろう。




絵:人気ランキング より
興行通信社調べ 2024/2/9-2/11

  4位『夜明けのすべて』
 10位『ゴジラー1.0』


 

■ ゴジラ−1.0を観た 
 @物語の舞台
 A登場人物
 B物語の内容
 C2020年代において男性が活躍・主役の映画は時代錯誤をすすめる

 @映画の主な舞台
 (イ)大戸島(伊豆大島と想定し鑑賞)
 (ロ)東京大空襲被災地(絵:古図でみる東京大空襲より)
  (義理の両親兄姉は上野公園に避難 宮城(現皇居)と上野公園など緑が防炎機能を果す)
 (ハ)晴海通り 
 (二)相模湾の海上と1500mの深海



 A主な登場人物とその背景
 
 イ)敷島浩一:戦闘機ゼロ戦にのり連合軍の戦艦に体当たり自死する目的で作られた特殊部隊の隊員。敷島は連合軍艦隊を攻撃するたため飛び立つも理由は描かれず敵前逃亡し整備基地の大戸島に帰還着陸。終戦となり焼け野原となった故郷・東京の実家にもどるも家族は全員焼死。敵前逃亡の戦犯行為をトラウマとして抱え込んで暮らすことになり、自分自身も愛せずもちろん他人をも愛することができない飛行機乗りの青年。(役:神木隆之介)

 ロ)大石典子:東京空襲にて鰥寡孤独となった若い女性。典子は焼け野原で乳飲み子を拾って育てている女性として設定。各国にゴジラ映画を売るためにはラブストーリは不可欠だ。山崎貴監督苦渋があらわれているのだろうか、盛り上がりのないラブストーリに借りだされた女性。(役:浜辺美波)

 ハ)橘宗作:大戸島の整備基地で働いている腕利きの整備士。橘宗作を『ゴジラ-1.0』配置されなければワサビの無い寿司になっていただろう。そのうえ敷島浩一のトラウマを蒸発させるるためになくては成らない重要な役割と粋な整備をする結末で鑑賞者の感動を誘う不可欠な脇役。(役:青木崇高)

 二)野田健治:戦争中は兵器開発に携わっていた技術士官で、理化学研究所のような場所で働いていた博士。未開の生物であるゴジラを倒すために様々な案を提案し実践指導するも失敗する、で敷島がゴジラに突撃する伏線を整える。映画の筋を盛り上げるために不った可欠な脇役。(役:吉岡秀隆、観た顔だとおもっていたら 寅さんの満男を演じた方だった)

 ホ)太田澄子:敷島の実家があった焼け跡に暮らし、敷島が引き揚げてきた敷島の隣人。彼女も東京大空襲に遇い鰥寡孤独となった婦人。(役:安藤サクラ・演技に迫力がありすぎて叔母さんに見えない点は気に成った)

(注)鑑賞してて思った違和感は役作りで減量してないことが原因だと思う、敗戦直後の人々は食うや食わずで焼け出されたのだから、栄養失調同然の痩せた身体だと思う。ラッセルクロー監督作品『ディバイナイー 戦禍に光をもとめて』を観ると、監督が役者に減量とハードなトレーニングを課して第一次大戦の映画の役作りしていることが分かった。

B 物語の内容 
 筋を追いながら合わせて感想と気づきも書きすすめよう
(←ネタバレご免)

佐藤は映画を鑑賞するときに始りと仕舞を記憶するようにしている。では『ゴジラ−1.0』の始まりと仕舞を書いてから内容に進んでいきたい。

始まりのこと)蒼い海面が映し出され正面に島がみえる。やがてスクリーンの頭上からゼロ戦が降りてくる

仕舞のここと)敷島のゴジラへの特効が成功し頭が吹き飛んでしまったゴジラのトルソーが相模湾深くに沈降ししつ再生の泡を吹きだし続ける。

 ゼロ戦が降りてくる事態とゴジラが海底に沈降する事態が(空と海)対になっていて、ゴジラ映画・ゴジラ物語(災害の物語)には仕舞が無いと示しているようであった。


■ イントロ─大戸島での出来事の描き方 あれこれ

〇敵前逃亡した敷島は大戸島の整備基地滑走路に着陸する

太平洋戦争下の日本軍は兵站の失敗で多くの日本兵を餓死させたことは有名な事実で鑑賞者の多くも知っているかもしれない。最初に現れた敷島の表情はふくよかにして艶やかなだったから、役作りに失敗したのか?と思ったが次々に現れる役者さんもふくよかで敗戦マジかの飢え死にしそうな日本人には見えなない点が気になった。けれど、掛け持出演も多そうな現代の役者の皆さんに求めることがまともな事なのか分からないけれどメモ書きしておこう。
負けそう、敵前逃亡、軍規を犯しても着陸する兵士の切羽詰まるはずの事態に置かれた兵士の表情には見えなかったが、敗戦まじかの悲劇を描くえいがじゃないのでさほどの問題ではない。筋に戻ろう。

〇「いいんじゃないか結果はとうに見えている

大戸島に帰還なった敷島浩一に向かってを整備士の橘宗作は慰めの言葉を発する。その言葉を聞くことで観客はこの映画は反戦映画であることが分るったはずだ。なぜなら1945年の太平洋戦争敗戦濃厚時にもかあくわらず一億玉砕を煽っていたマスコミ報道の内容と真逆の言葉だからだ。

〇波間になにか生物魚のようなものが浮かんでいるサイレンが鳴りゴジラが現れる

 ゴジラが現れた後の大戸島での出来事で重要な点は敷島はゴジラを狙撃しない。そことで橘宗作を1人残して整備兵を全滅させる・・そのことによって帰還おめでとうと慰めた橘宗作が敷島紘一に「みな死んだぞ!お前が撃たなかったからだ・・」と憎しみを抱く動機をあたえる脚本になって、この設定が映画終盤にさしかかると緊張と安堵と友愛を生み出す・・いい味をだす、涙を誘う伏線と機能していた。

ここまでが『ゴジラ−1.0』の導入部である

イントロ部分で佐藤が気にかかったのはゴジラと出現で会いの描き方に怖さが足らない点だった。古代生物怪獣もので印象にのこっているのは『ジュラシッrクパーク』でのイントロに描かれたような恐竜の怖さ描き方が印象にのこらない、演出が今一なのではないか?と思った。イントロゴジラをつかって観客を超恐怖誘導しないと、物語の緊張感がそがれ継続しにくい。

次に筋を追って観戦記をつづけよう。


まとめ・・・はこのようにしたい→他者承認というのかヒーロ活躍願望潜在的に持っている男たちに見せるためのゴジラ映画は害がおおそうなので、脱してほしい
杉並から世界に拡散した「原水爆禁止」運動 声を上げた一軒の魚屋、公民館を拠点にした「市民の戦い」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)