佐藤敏宏の『ゴジラ-1.0』鑑賞録 2024年2月12日作成

(目次)

 はじめに 
 ゴジラって何の喩えなの
 映画館ロビーで 『ゴジラ-1.0』より『夜明けのすべて』が人気
 ゴジラ−1.0を観た
 自由を得るため戦線離脱した兵はなぜトラウマを負うのか


このWEB頁は 『ゴジラ−1.0』の鑑賞録です

■ はじめに

敵前逃亡し自身の無能(脱走兵)と認める男がトラウマを解消できずインポ人間、つづめて言えば隣人と異性を愛せない男としてキャラ設定され物語は始まります。この敵前逃亡兵が得体の知れない怪物・ゴジラと闘う過程で「俺は生きていていいんだ(人間性の回復)」と確信しながら隣人を愛することが可能な男性へと転ずる過程を描くエンターテインメントでした。単なるゴジラは気持ち悪くって怖いね!の映画としても楽しめますが、制作者の多重の思を存分に楽しめる映画なので機会をみつけて鑑賞してください。

 (主役を現在の若者に喩えれば

主人公・映画で描かれた脱走敗残兵を2024年現在に置き換えれば「正規雇用の職業に就けない」あるいは「正規雇用に就いても誇りがもて、生き続ける若い男」。生きる基盤を喪失した暮らしを続けることで不健全な精神状態が続き(異性をふくむ)他者を愛する能力を育めない若者のことです。2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の男性を思い起こせば理解は進むことでしょう。追い詰め孤立し殺人事件を起こしてしまう若者をとりまく悲劇状況は日本政府と国会が生み出した悪政の世に起こるべくして起きてしまう悲劇ですが、若者自身は「競争に勝てないのは自分の能力が劣るからだ」と負け犬として引き受け内向きに生きてしまうようです。

下図に示したように「正規雇用の席は1/3しかない」。ですから負け犬的として自分を受け止める若者は多数存在するはずで、同じ境遇に置かれた若者達が連帯して立ち上がり闘う相手は「ゴジラではない」と気づくべきなんだと思います。2023年版『ゴジラ−1.0』では人間の暮らしや環境を破壊する敵はゴジラ!として描かれていました現在は明らかに政府と経済界の人々でしょうか。第1作から29作までも人の敵はゴジラとして描き続け30作目?なのでしょうか。(─ 30作すべて観て分析た人教えてください)

(政府の無策無能を個人能力の有無にすり替えられちゃう)

最新作の呼び込みのためフォーラム福島の看板には─戦後、日本。無から負へ─と大きな字で印刷されものが展示されていました。この意味を妄想してみすと『ゴジラ−1.0』映画の主役である若い敗残兵の内部にある、戦前の日本政府の政策がつくりだした兵士・特攻兵の内部矛盾がおきる原因を自己分析し解消しようとするはずもありません。一種のカルト教育の成果の下に成長していかざるを得ず帝国日本の兵士いなったのですから、主役のような空軍特攻兵は敵艦に体当たりして死ぬために生きたようで、市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺をした三島由紀夫と同じ世代なのですから、政府によってつくられた人間の矛盾など放置しても、帝国日本の兵もそれを支えた臣民も主人公のような心の傷をだれも気にも留めない社会があったようです。─兵が精神病患者になっていく事実も伏せられている─だが日本帝国が連合軍にたいし無条件降伏したことによって多数生まれた引揚敗残兵、引揚民間人を合わせると630万人ほどと伝えられています。引揚者の波は戦後に起きた住宅難、団塊の世代と言われる人口爆発などよって、後の日本社会に大きな影響を与えました。

主役・敷島浩一のような帰還兵も敗戦後と敗戦前の制度と価値感に引き裂かれながら生きることになった、制度激変の荒波にのなかを生きたのですから内部には帝国日本にたいする失望や裏切りの情、犬死にした兵などの心境を思いだし 幾重にも押し寄せる矛盾の渦巻なかで生きざるを得ず、臣民教育を受けてしまった若者には解決不能とだったと思われます。

現在の若者に安定した職業を与えられれば、彼らの主要で多数の問題は解消してしまうはずです。が、失われた30年と称される政府の無策無能の下で育ってきた若者の心身におきている悲劇はそのまま放置され、これからも放置されるでしょう。それは資本主義の奴隷かつその機械になってしまった経営者たちには「銭もうけを何のためにするのか?」さえ省みることがなく、ひたすら若者を派遣労働者に落としこみ絞りあげることで、企業の内部益確保と保留にいそしんでくことでしょう。下層民から見上げれば経団連に属するような輩は資本主義が生んだゴジラとも言い換えてもさほど間違いではないでしょう。そのような経営者の預金通帳には単なる数字が膨れあがる、それを眺め暮らすことが彼らの幸と感じている阿保だらけなのかもしれません。この映画で描かれた困難に立ち向かうために民間人どうしの連帯はおきないと輩はたかをくくっています。

そのような社会経営者のつくる環境下における若者を救い出すための一つの処方が『ゴジラ−1.0』には描かれていたと読みかえることができたので、好しい映画の一つでもありました。ぐたぐた書いたことはゴジラを現在の若者の職業上の難問と読みかえれば容易に理解できるでしょう。職に就けない若者はどのように救済されるべきか?そのことは『ゴジラ-1.0』には描かれてはいませんでしたので若者が自ら立ち上がり解決するしか道はないのです。ゴジラに食われてしまうか、快適で平安な暮らしをえるためにもゴジラ災禍下にあった人々の連帯を参考にしながら立ち上がって闘ってみてはどうでしょうか。

以下『ゴジラ−1.0』について詳しく鑑賞録を続けますが「読むのが面倒だ」「お前の勝手な感想文など読む時間はない、おれは仕事で疲れている」と思われる方は見出しや貼り付けた絵と動画を追っていただき、映画館に足を運んでいただく切掛けになれば嬉しいです。


 (02へ 続く) 










(参照資料
) 水爆実験は3月1日)読売新聞1954年3月17日東京では3月16日に発信されてるが地方版は1日遅れで再度整理部にて編纂されている。(新聞研究者による)『X年後』によると米の水爆実験によって1000艘以上、1万人の邦人漁夫が被災したとある。が第五福竜丸と漁船員たちが著名にあつかわれるも、幸成丸と乗組員などを含む多数の被爆者の存在は隠され、被災漁夫たちも口を閉ざし(理由も記述されている) 日本政府は水爆実験に協力するのは当然であると、見舞金二万ドル(7.2億円)で1955年1月手打ちした・・とある。
絵:読売新聞紙面など

 02へ続く