『マンハッタン計画』より おもな相関図

1939年
ニールス・ボーア 1885年10月7日 - 1962年11月18日 訪米し 
      ドイツのO・ハーンF/ストラスマン ウラン核分裂現象
      コペンハーゲンで確認したと報告   
     
レオ・シラード 1898年2月11日ー1964年5月30日
ユージン・ウィグナー 1902年11月17日 - 1995年1月1日
エドワード・テラー 1908年1月15日 - 2003年9月9日  水爆の父と

      

 3名はアインシュタインを説得し書簡作成

 レーマンコーポレーション副社長 アレキサンダーザックス→ ルーズヴェルト大統領へアインシュタインの書簡を提起する(1939年8月2日)

1939年9月 ヨーロッパで戦争勃発
  ローズベルト大統領 武器禁輸措置を撤回し忙殺
 10月11日 ザックスと大統領会見アインスタイン書簡シラード書簡を手渡す
   ナチスによって我々が吹き飛ばされないよう手当しろ!!

 10月12日 ウラニュームに関する大統領諮問委員会設置

 ライマン・ブリックス国立標準局長が委員長となる
  ・実験結果確認を待たねばならない
  ・いくつかの大学における研究を支持することが妥当である

   「軍+官+学+産

 大統領   機密保持を条件に承認
   国防研究委員会
   科学研究政策局
   再考最高政策グループ 内に軍事政策委員会
  ・シカゴ+ ロスアラモス+

大統領 製造段階に進める時点で陸軍省へ渡す
 

アインシュタイン
1879年3月14日 - 1955年4月18日

軍事政策委員会 新型兵器合同委員会

 ジエムス・コナント 委員長1893年3月26日 - 1978年2月11日 
 ヴァネバー・ブッシュ 委員長代理1890年3月11日 - 1974年6月30日

    

文民統制 科学者の立場代弁 

 レズリー・グローヴズ准将 1896年8月17日 - 1970年7月13日
  (科学研究開発局指令官 軍事政策委員会執行官

 爆弾6個
 陸軍主管のもと私企業(デュポン社)による製造特許権は政府に帰属

 基礎研究と開発計画同時進行

(注)秘密行動にて 
  資金調達難航 、 陸海空への重要資材割り当て難航
  連合軍への補給と武器貸与 
  航空機6万機 4万5千両 高射砲2万基 船舶 800万トン増強 


新型兵器合同委員会 1943年4月1日
機密政策 

ヘンリースティムソン陸軍長官 
 6万ドルの資金調達 議会指導者への工作 会計記録の作成

レズリー・グローヴズ准将 
 テネシー州 ワシントン ニューメキシコに補助施設建設 用地取得


ロスアラモス科学研究所シカゴ冶金研究所


ロスアラモス人口6000人 民間4000 兵士2000人 平均年齢25才


ロスアラモス理事会 
 ジエムス・コナント 委員長と レズリー・グローヴズ准将 のもと

 オッペンハイマーは文民の所長 4つの作業部門の長

  1理論
  2実験物理
  3科学
  4冶金
   (5兵器)

  運営審議会 毎週科学者研究会
  機密保持政策にて参加資格制限あり 

 

 大統領
 ルランクリン・ルーズベルト 1882年1月30日 - 1945年4月12日
 ハリー・S・トルーマン  1884年5月8日 - 1972年12月26日
 ドワイト・D・アイゼンハワー 1890年10月14日 - 1969年3月28日