中山英之建築入門帳
中山英之講演録/東北工業大学主催(@smt)2019年10月14日
2019年文字お越し20年web作成 文責:佐藤敏宏
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■ 中山英之さんによる 自己紹介

 せんだいメディアテークは以下smt)伊東豊雄事務所勤務した年に完成しました。この建物は当時、憧れの建物だった。事務所に入ったときに現場を担当した先輩たちが引き揚げてきて、「闘いを終えた、頼もしい戦士の姿を見るかのように、憧れの眼差しで見ていた」その記憶が今も、ここの場所に来ると 鮮明に蘇ってきます。
 自分なんかがこの場所に立って、自分の建築の話をする機会が、まさか来るなんて・・・・・入所当時の自分に言ったら、飛びあがるんじゃないかと思います。今この場所に立って皆さんとお話できることを光栄に思っています。

 今日(2019年10月14日)はJR東などの電車が動いてないので、「来てくださる予定の皆さんが来られない」という話もありました。台風19号による被災が甚大な状況のときに自分の建築の話をしている暇があったら、被災地に出かけて行って、何かできる手助けをしなければいけないような状態に列島全体がなっています。

 そのような中でも私の、建築の話を聞きに来てくださったみなさん、改めてありがとうございます。

 東京乃木坂に在るギャラリー間(GALLERY・MA)(注0)で、少し前(2019年5月23日〜8月4日)に展覧会をやっていただいて、その時に講演会を行い、そこで準備したスライドを、同じものを持ってきました。その講演会は紀尾井町ホールでしたが、今日はsmtです。話す内容は少し変わるんです。あの時の話を再現させていただきます。


(註:0)TOTOギャラリー・間関連委員会 特別顧問、安藤忠雄、委員=妹島和世/千葉学/塚本由晴/エルウィン・ビライ)

中山英之さん略歴 webより
1972年 福岡県生まれ
1998年 東京藝術大学建築学科卒業
2000年 東京藝術大学大学院美術研究科建築学専攻修士課程修了
2000〜07年 伊東豊雄建築設計事務所勤務
2007年 中山英之建築設計事務所設立
2014年〜 東京藝術大学准教授



 (絵:webより)



 絵:台風19号被害 web河北より

■ 仙台市での展覧会 いわゆる建築展ではない 

 建築の展覧会は東北工業大学一番町ロビーでのCinema館において、上映会が11日から16日まで行われています。今回の展覧は自分の建築展を、いわゆる建築展としてやりませんでした。建築展と呼べなくもないんですが、映画の上映会と呼びました。

本のこと 『1/1000000000』

 なんで、そんな事をしたのか、と言うと、前回(ギャラ間展)の講演の時には、話さなかったんです。

 「今日、会場で本を売っていますよ」と、先ほど福屋先生が紹介してくださいました。私の一冊目の本が10億分の1(『1/1000000000』)というタイトルの本です。
 この本は自分が独立してから色んなことを考えていた。そのことを、1年間ぐらい掛けて、のたうち回りながら七転八倒しながら、やっとのことで書き上げた本なんです。これ以上絞っても、一滴も自分から出てこないというぐらいまで、考えに考えて。書きあげてしまうと、1時間か2時間ぐらいで読めてしまう、そんな分量だったのです。

 「ああこんなものか〜」と思ったんですが。それでも本当に一生懸命書いた本だったんです。

 書き終えて、「やっと自分の仕事に戻って来られる」というふに思った、その時にギャラリー間から、展覧会の話を頂きました。
 




   
 LIXXIL出版2018年3月25日刊行



ギャラリー間 → 一冊刊行せよ!

 smtでこうして話していますけれども、僕にとっては、とっても嬉しいことです。一方、ギャラリー間で展覧会が出来るって、私にとってはとても大きな出来事でした。「やりませんか」という話を伺ったときに、飛び上がるぐらい嬉しかったんです。しばらくして冷静になった時に「これは困ったことになったぞ」と思いました。

 「それは、なぜか」と言うと、その直前に一年掛けて、やっとこさっと、この一冊の本を書き上げたんです。

 ですが、「ギャラリー間の展覧会というのは本を一冊出す」というルールがあるんです。先輩方の展覧会もずーっと本を出していました。ここで「もう一冊本を書かなければいけない」と思って。「一体どうすればいいんだろ〜」しかも書き上がた本の内容を展覧会にするのではなくって、新しい内容を考えて、その内容を一つの本にしなければいけない。それって「どうすればいいんだろ〜」って、凄く悩んだ。

 しばらく考えてあることを思いつきまいた。今、ここに映画の本がありますけれども、最近の世の中の変化について、ちょっと思ったんです。それは、僕が大学生の頃はカメラというのはアナログでした。
 僕が最初にデジカメを買ったのは、大学2、3年生(1972年生まれなので1992〜5年頃)ぐらいだったかな。やっと最初の自分のデジカメを買って。デジカメ持っている人はほとんど居ませんでした。35万画素とかですね。信じられないぐらいプアなデジカメを10万円ぐらいしたかな。買いました。スマフォ(2008年頃から出回る)はまだありません。携帯(3G携帯は2001年頃から)を持っている学生は、一人か二人ぐらいでしたかね。そういう時代でした。

 今この会場に100人いたとしたらカメラ100台じゃきかない台数ですよね。僕のスマフォにも二個カメラが付いてるし、使っているPCにも1個ついているので3個のカメラで2台のカメラを持っています。

 この会場にも数百台のカメラが有って、もし私がここで何かおかしなことをやったら、皆さんが写真を撮って、どこにでも送ることが出来る。すごく不思議な時代になっています。

 しかも最近は、私の同僚の建築家にも、自分で撮るのが上手な建築家が一人います。自分に向けて写真を撮る、自分にカメラを向けるというが、ちょっと前までは、後ろ指を指されるような感じが、まだあったと思う。だけど、今は自分にカメラを向けても、誰も何も思わないですね。それぐらいカメラというものにまつわる自分の生活だとか・・・日常は、この5年ぐらいで変わりました。まだ5年ぐらいだと思うんですよね。

 (2000年ごろ生まれた) 皆さんの間では10年、経っているかもしれません。私のお父さん、そういう世代の人まで、自分に向けてカメラを撮るというのが、一般化したのは、ここ6年(2013年ごろから)の出来事だと思うのです。10年前だったら、そういう事をすることに対して、何となく快く思わない人もいたかもしれない。なので今は時代の変わり目に僕らは偶然生きている。

















 



■ 史上初!施主の自撮り動画展へ

 変わり目に生きている。そう考えた時に、建築の展覧会っていうものを、建築家が自分のコンセプトを、図面を使ったり、模型を使ったり、色んなメディアを通じて、自分の建築を考えるコンセプトのようなものを、展覧会で見ていただく。そういう展覧会ではなくって、施主が自分で暮らしている様子を、自分に向けてカメラを回して、撮影する。今、設計した建築家自身が知らない時間を観る。建物が建築家から施主に建物が引き渡されて、その後、建築家が知らない時間がそこから始まるですけど。建築家が知らない、その時間を施主にセルフィーしてもらえばいいんじゃないか」と思ったんですね。

 自分に向けてカメラを回すということが、変化をしている時代だからこそ、もしかしたら史上初めての施主のセルフィーによる映像展覧会っていうような事が、建築の展覧会が出来るじゃないか。そうすれば、自分の中から一滴も出て来るものが無いっていうぐらいに、想って。私が「どうしよう」と想った、あのピンチを凌げるのではないか・・・と思いました。
 そういうふうに感じだことから、今回の展覧会は「and、then」=「それから」という意味なんです。建築家の知らない時間を過ごしている建物を主に、私ではなく施主が監督をして、撮った映像をお願いして・・・やってくれることになった。

 私が設計した5つの建物について、撮影して、それを展覧会にして、皆さんに観ていただく。そういうような事を考えました。

 そういう風に説明してしまうと、なんだかプアな台所事情で展覧会の内容が決まったのか、っていうふうに聞こえてしまうかもしれないですが。そういう側面がまず一つはあった。

 僕自身が映画が凄く好きだったということも、「今回の展覧会を映像の展覧会にしよう」というふうに思った、大きな切っ掛けでもありました。

■  一番町シネ間@仙台市

 とは言っても、ギャラリーで映像を観るのはあんまり得意じゃない好きじゃない。みなさんもギャラリーに行くと、作家のインタビューとか流れていたりするのを観たりしますよね。あれは僕も苦手なんです。「お金を払ってギャラリーに入ったんだから、全部観なきゃ〜」と何となく思ってしまって、スクリーンの前に座るんですが、たいてい、映画の途中から見始めることになるんですね。半分ぐらい観て「どのぐらいで終わるのかなー」と考えながらも、しばらく座って、「終わった」黒い画面を見て、また始まりから観始めて、観たところまで来たから立とうと。ギャラリーの映像の展示って、そいうふうになってしまいます。

 自分の展覧会で、そういうような時間を作るのが、嫌だった。自分で「映像」と決めたんだけど、映像の展示ってギャラリーで観るのが好きじゃないので「どうしようかなー」と思った時に、ギャラリーで観る映像はそんなに好きじゃないかもしれないけれども、映像が嫌いなわけじゃない。絵を描ていくのが大好きですなんです。映画館とギャラリーは何が違うのか。

 当たり前なんですけど、映画館に行くのは時間を気にして行きますよね。今日のこの講演会は午後1時からとなっているんで「1時にメディアテークに行こう」と。ギャラリーだと、そうはならない。自分の好きな時間に行って、好きなだけ見て、帰ってくればいい。映画館は違う、何時に行って何時に出て来る。自分の中で分っていて、だからこそ「またあそこで観よう」とか「誰を誘って一緒に観よう」とか、ギャラリーに行くのとは違う

 だったら、今回は東北工業大学の一番町ロビーを確保して、シネマと書き換えたら、ギャラリーではなくって、映画館と呼んでしまえば、いいんじゃないか。

 そういうふうに考えてギャラリー間という場所でやっていたが、そのギャラリーを括弧に入れてシネマと書いて、その期間だけは乃木坂のギャラリー間はシネ間と名前が変わって、そういう看板も作って、映画館のような形にした

 一番町ギャラリーを一番町シネマにしてます、タイムスケジュールを掲げて、全部観て1時間掛る。それを観てもらう

 同時に映画館に行くと時々ロビーで、映画にまつわる展示があったりします。例えば主人公が着ていた衣装が展示してあったり、シナリオが展示してあったり、そんなふうに、私のギャラリーにも、映画の中に写っている、背景になっている建物の映画を1本観ると「あの建物どんな形していたんだろうなー」と知りたくなる。そういうふうな気持ちに応えられるように、ロビーに模型が 映画で使ったカメラだとか、映画のために作曲された音楽の楽譜だとか、そういうな物を展示して。映画を一本観終わた後に、その展示を観ると。
 普段、建築のギャラリーで観るのとはちょっと違った雰囲気になって、「あーあのシーンは、あそこはこういうふうになっていたのか」「このシーンの裏がわはこういうふうになっていたんだ」というふうに。今まで感じた事のない、模型の見方とか、図面の眺めだとか、そいうことをしてもらえるようになったのかなーというふうに思っています。

 東北工業大学の一番町ギャラリーは凄く小さかったし、期間も短くって、東京で上映したのと同じようなクオリティーのスクリーンを造ることはできなかったんですけれども。なるべくその時の様子が皆さんに伝えるように そういう形に努力してみました。会期が短いんですが、多くの人が観てくださればなーと願っています。


 その02に続く 



























 ギャラ間看板と自撮り


2019年7月26日ギャラ間にて集合写真
左から 佐藤・中山・岡田・三島