菊眞展記録 目次へ    記録作成 文責 佐藤敏宏
2019年12月3〜5日 高知市文化プラザかるぽーと 市民ギャラリー第三展示室
  渡辺菊眞建築展 建てる建築 建てぬ建築 感涙の風景
   2019年12月3日 会場で聞き取る  
  01 会場構成について (音源322)

佐藤:渡辺菊眞建築展、開催、おめでとうございます。
渡辺:いいえ、どうも、ありがとうございます。
佐藤:説明文がたくさん掲げてありますけれど、まだ何も読んでいないです。ざっと見た会場構成は、会場入ってすぐの右側が実作・作品ですね(建てる建築)。手前から古い順に時系列にそって整然と、奥へ行くほど新しい、実作のデータや模型が並んでいると。入口を入り正面奥が左サイドになっていて、学生の卒業制作から現在までのプロジェクト(建てぬ建築)が並んでいる構成ですね。
渡辺:(プロジェクト作品は)敷地は具体的なんです。けれども、基本は構想作品群です。仮想のものです。
佐藤:真ん中の写真の列で風景写真(感涙の風景)などが等間隔に、びっしりと並んでいます。
渡辺:これは、時系列で大学時代の京都から、奈良。日本各地と世界各地で撮った写真で、一番奥が高知で撮った写真です。基本的には出会った順です。京都の写真が一番古いのです。それと合わせたようなかたちで風景を、ずーと時系列に展示してあります。

佐藤:たくさん展示してあり、写真の文章を含めて、ほとんど読んでないんです
渡辺:はははは
佐藤:全体に展示文字部分には、どのような何を書いているんですか。3つに分けて展示している意図も含めて。

渡辺:はい。三つなんです、三部作、今言いました三つですね。仮定の構想がこちら側で「建てない建築」が奥で真ん中は、自然が作ったり、作り人知らずの景観を「感涙の風景」として、それがど真ん中に展示してあります。



 個展会場入り口の様子
 (2019年12月3〜5日


 (高知新聞、楠瀬記者取材中) 入り口より
 奥壁 建てぬ建築
 中立板 感涙の風景
 手前 建てる建築

■ 建てる建築 実作について

佐藤
:「建てる建築」の文字はコンセプトが書いてあるんですか。
渡辺:書いてはあるんですけど、結局は実際に建ったものだけが「建てる建築」ではなくて、ですね。建てる気満々で作っていても、諸事情でポシャルやつもあるじゃないですか。それは「建てる建築」に入れているんですよ。実際に建てることを目的にして取り組んだものは、建っていようが建っていまいが、「建てる建築」として展示しています。

佐藤:菊眞さんが「建てるぞー」と思って、仕事として受けた、建てる気満々で計画し始めた建築も含まれているんだと。そうすると、左側の模型や図面群には「建てる建築」ではないんだと。イメージ・トレーニング、思考実験的建築群だと。

アフリカの実作
 
(東アフリカエコビレッジ・ウガンダ共和国カージ村2007年着手2010年竣

佐藤: では「建てる建築」から
(最初の実作である、角館の曳屋建築が抜けている、後段にあります)
 このアフリカの模型は前回のインタビュー2009年12月12日10年前には完成してましたね。小さい模型と、小さい一部の実作はありましたね。全体構想もありましたかね。実作を作って、全体模型を地域の人に説明したんでしたか、順序でしたか。

渡辺:順序が逆ですね。全体の絵を描いて、12棟住戸が在って。あとは風力だとか、そこにある自然エネルギーみたいなものを活かして、自給自足できるようなプランを描いた。全体の絵と模型がこれなんです。これが先にあってですね「こういうものを実現させていきましょう」と、プロポーズをして。それに対して「まずは試しにこれを一戸建ててみましょう」という流れでした。

佐藤:計画全体は、住むための建築だけですか、生産基地にもなっているんですか。宗教施設にもなっているんですか。
渡辺:宗教は入ってなくって、ほぼ住むのと、あっ!そう住むだけ、ですね。
佐藤:外部に段があるなど、司祭空間にも見えますけど。
渡辺:そうではないんですよ。ど真ん中に給水塔が在るんです。割合即物的な中心があるような形です。
佐藤:この実作建築の骨組みは基本が土嚢ですよね。直線の壁も土嚢だったんですか。(土嚢建築の始まりが、この頁の中ほどに書いてある
渡辺:若干弧を描いてはいます。これも土嚢で造ろうと思っていましたね。これが、あの全体から1棟取り出し、それが建設されて出来た、ということなんです。
佐藤:パッと見はかわいらしい、オッパイ・ハウスふうですね。ここの住居に実際、地元の人が住んでいたんでしょう。

渡辺:結局ですね、「この村のシンボル・ハウスにして使う」ということになって。なにか特定の人が住むということは、やめちゃったみたいです。
佐藤:実現した建築だが、使われかは、すこし変わったと。
渡辺:建ってます。これが建った建築ですね
佐藤:地元の人が見ると、あまりにも恰好が好過ぎて、神様が住んでいるじゃないかと思われたとか。村人が恐れ多くって暮らせなかったのかな。
渡辺:確かに寺院ぽくなっちゃったか ふふふふ
佐藤:ドゴン族の「おっぱいハウス」とも少し違う、村の人にとっては異形だったかな。地元の人は怖れいっちゃったのかな。

渡辺:現地にある、こういう、茅の家が多くって
佐藤:屋根が小さいので、シンボリックに見えてしまったと。
渡辺:そうなですよ、住居じゃなくなっちゃって、これが宗教施設みたいになっちゃったんです。はははは。
佐藤:村の人たちは、押し付けられた計画を脱し、勝手に解釈して使い込んで、菊眞建築に魂を入れちゃうのは、とてもいいですよね。菊眞建築の用途を、彼ら自身が発明するのはいいよね。建築家としては嬉しい出来事ですよね。
渡辺:私は嬉しかったんですけどね。

佐藤:日本人が押しかけて来て、造ってくれた建築を、日本人提供者の意図どうりに、地元の人が使い続けるって気持ちわるいと思うね、俺は。
渡辺:こういう全体の話も無くなってですね。実現した建築を中心に、好き好きに配置して、果樹を植えたりし、変わったようです。
 これの建築が切掛けには十分に成ったようです。出来上がったのはマスタープランと関係ないような状態になりました。

佐藤:施工は、全て村の人たちが自力建設ですよね。土嚢もそうですよね。
渡辺:そうですね。土嚢の土も、この土地を掘り返してます。
佐藤:セメントを混ぜるんでしたか。土嚢袋はどこからか買うと。
渡辺:セメントを混ぜますね。10%とかですね。かなり貧調合です。ここでは日干し煉瓦も作っているので、凝縮性が元々ある土なので、速乾性を付与するような感じですかね。
佐藤:かなり硬くなるんですね。地元の土は、雨が少ないから建築材としていいんだと。
渡辺:そうです。
 渡辺菊眞さんによる、会場構成について
 (2019年12月6日 FB投稿より)
 「渡辺菊眞建築展 建てる建築 建てぬ建築 感涙の風景」の会場風景を紹介します。この空間自体の構成含めて建築だと思っています。
 三日月のような平面形は奥にいくとすぼまります。この空間の中央を背骨のように「感涙の風景」が、直線状の壁には「建てる建築」が、そして円弧状の壁には「建てぬ建築」が並びます。3廊式のバシリカ形式です。入り口から奥にむかって時間が進んでいきます。感涙の風景は完全に等間隔に並び時間を刻みます。最奥部ではどの列を進んでも一つの場所にいきつきます。そこには「渡辺菊眞の建築思考」が記されます。時間とともに深化した思考過程がうかがえるはずです。
 今回「なぜ、都市部でなく高知での展示会か」と、幾人かに問われました。その答えは明快です。京都で空間技巧の世界に触れ、奈良で古代空間のコスモロジーとおおらかさを知り、高知で空と地と海のもとで生きる根元の風景と出会いました。私の建築の多くは京都奈良で培ったことを活かしつつも、高知の風景との出会いから勇気をもらったものです。風景の巨大な師匠が高知にいます。展示することが恩返しになるとは思いませんが、恩ある土地に感謝しそこで展示を開催することはごく自然なことだと思いますし、当然のことだと感じています。
もちろん、都市部でも可能であれば展示を開催し、たくさんの方に見ていただきたく思っております。
 私自身「ハクション大魔王」のような人間で、よばれさえすれば、どこにだって飛んでいきます。建てる建築のインド、アフリカ、アフガン、ヨルダン、タイもそうでした。呼ばれないとツボから飛び出せないのです(なんじゃそりゃ)。

 とはいえ、飛び出せないから、何もおしめしできないのはダメです。そこで、今回の展示の内容について、再度整理して図録を作成しようと思います。またまた総力戦で頑張ります。とはいえ、そんな簡単ではないので(財力ないので)、まずは雛形の1冊作成を目指します。その1冊を運んではみなさんにお見せできたら幸いです。あとはどうにか増やせるよう頑張ります。

 今回のパネル枚数は400枚。真剣にみてくださったみなさんはクタクタになっておられました。図録もそんな感じの分厚いヤツかと思います。ただし、展示会とちがってゆっくり、じっくりと読めますので、それをお楽しみにしていただけたらと思います(1冊だとみなさんが手元に入手できず大問題なのだけど)。

 ともあれ、個展を通して、渡辺菊眞と渡辺菊眞の建築がとてもたくさんの人々、場所、そして風景に支えられてることを改めて感じました。渡辺菊眞の建築が未来の「感涙の風景」になることが、一番の恩返しだと思っております。これからも精進いたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。





東アフリカエコビレッジ (2007〜10)

佐藤:石の建築も2009年だから、10年前の聞き取りで聞きましたね。地元の石工が造ったと。(註: )
渡辺:ヨルダンです。(ヨルダンの石の建築について10年前に話している頁へ)
佐藤:施工の監督もしたんでしたかね
渡辺:図面は書けますけれども、石工の監督なんか、できようもないですから。石工さんにお任せですね。
藤:土嚢作りは自分たちで出来るけど、石の扱いは地元の人にも無理そうだね
渡辺:土嚢は最初にワークショップみたいなことをやって「こんなふうにして積みますよ」と。そこだけは一緒にやります、しばらくしたら出来てしまうので。
佐藤:素材もそこら中にある土だし
渡辺:手を抜かれると危ないので、それは観てますけど。

佐藤:地元の人が土嚢建築を造れると。そのことが分ったら、地元の人たち皆で勝手に造っている、そういうことは起きてましたか。勝手に造っちゃう人が、いそうな気もするけど、どうですか。
渡辺:袋の問題もあるかもしれないです。
佐藤:そうか、袋とセメント、工業製品を買わなきゃいけない

渡辺:セメントが安い地域じゃないと、しんどいものありまして。元々はアメリカの方が開発された工法なんです。「そんなに万能じゃないなー」と。造ってて、正直そう思いました。雨には強くないですし。
佐藤:建築用素材に、工業製品を入れてしまうと、その段階で、遠隔地、このような地域の人々にとっては、自力建設のハードルが、ぐーんと上がってしまうと。袋とセメントなど工業製品を買わないと造れない工法だと。その点が明らかになったと。

渡辺:「土嚢を、主たる工法でやり続ける」と思われてはいるですけど、私自身はそういう事はあまり思っていなくって。長くやってきたので、良さも欠陥も分かってですね。
佐藤:工業化製品が紛れ込でしまってはねー
渡辺:それをあまり言わないですよ。書いてあるけど。「地球上どもでも出来る」と言うけど、実はそうでもなくって。気候風土もそうですけれども、砂みたいにサラサラな土だと全然固まらないので。土嚢建築は土質も問う(選ぶ)んですね。それがあるので、場所を選びますね。
佐藤:土と名が付くから、地球上のどの土で、どこでも可能みたいに思い込みがちだよね。
渡辺:そうなんですよ。やってみて「全然違うなー」と思いました。
佐藤:ははははは。

渡辺:なんでもかんでも、どこでも、ここでも、土嚢建築を推奨する気にはなりませんねー、経験をへて。ははははは。
佐藤:どのような土でも土嚢建築は可能だと、受け止められがちだと。
渡辺:はい。いまだに受け止められがちです、はい。なので、石のように奇麗には積めないので、専門の手に職をもっている人ですけど。土嚢だとま、あまあ、ちょっと訓練すれば、だいたいの人に造れる、できちゃうんですが。


(註: )この頁の中ほどにあり
 南シューナ地区コミュニティーセンター ヨルダンハシュミット共和国バイカル県2007年着手2009年竣工



( 東アフリカエコビレッジ模型)

2001年インドで最初の土嚢建築を造る(西インド曼荼羅 インド共和国グジャラート州)

■ 信長創始の寺 安土山そう見寺本堂 妻と二人三脚案

佐藤:アフリカの円の連続から、一気に四角な平面重ね造りになりましたね。安土山ソウ見寺本堂。お、寺の実施設計ですか。
渡辺:織田信長が創始(創祀)した寺が、安土城の傍に在りまして。そこの「本堂を復元する」というコンペテションがあったんです。「コンペ、通れば建てるよ」みたいなふれ込みもあったもんで、建てることを前提ですね。これは建て方のプロセスを説明した絵です。
佐藤:天辺に木造の櫓が載っている。
渡辺:屋根が付いて、こんな格好です。

佐藤:どういう構成ですか、三層構造なのかな。
渡辺:結局は二階ということです。古文書に「二階建だった」と、記されているので。そんな仏堂が、あの時期には無いので、この寺は史跡だけなんです。三重の塔とか仁王門とか。信長どこからか、甲賀とかから持って来たらしくって、この地での自前建物が、あんま無くって。とにかく「あちこちから信長が持って来たものを再設置した寺院」ということが分ってまして。「おそらく本堂もどこからか持って来たんだろう」という話のようなんです。
 二階建の寺院なんであるわけないので。ここも復元で考えて「一階を持って来た仏堂と、二階にくっ付けた建築も、たぶんどっかから持って来ていて。それらを垂直に、ガチャンとした合体させた。そのようなものを信長は造ったのではないのかなー」と推測し復元案を出したんですよ。
 そうなると、二階の下に空洞が出来るんですね、懐が深いので。二階がここにあっても、ここに空洞が出来るから、中二階なるものが生まれちゃう。ということが、あるんですよ。
佐藤:信長は寄せ集めの芸術のプロだな。本堂の上は神社ですか、寺ですか
渡辺:寺です。
佐藤:寺が二重、重なっている
渡辺:二階に信長がどこからか持って来た、本人のご神体を祀っていたらしいです
佐藤:二階に信長を祀る、信長らしい、安土城の原型みたいなものかな

渡辺:文書に書いてあったので。上の堂の中に自分を象った梵残(ぼんざん)とかいう、訳のわからないものを祀ってたらしいです。
佐藤:上下の構成はそういうことで、平面は自分でつくったんですか。

渡辺:遺跡があるので、プランはおおむね礎石で決まって来ています。その礎石から当時を観ると、仏堂のプランとか、調べたときに、その当時に在りそうな平面を選んでいるわけです。上に載っている、ちっちゃな建物も、文書に寸法が記されているんです。ものすごく、ちっちゃいんですよ。その小ささが、みんなを苦しめました。そんな仏堂なんか無いので。

佐藤:苦しめたのは、寺の二段重ねもあるけれど、二階が小さすぎた、ということですか。
渡辺:「小さすぎて、あり得ない」ということです。古文書はあり得ないという人が多くって。
佐藤:人が入れないほど小さいの。
渡辺:いや、多宝塔に入れます。普通重層古建築って円覚寺舎利殿という、何か既視感があるプロポーションなら、在るんですけど。それとは程遠いので「文書が間違っているんじゃないか」という人達が多かったんです。
佐藤:有識者が分からんと「文書が間違っている」と。二階には上れないということですか。
渡辺:階段をつけて上れるようにしました。
佐藤:日本の古建築は平屋が多いので、重層にすると階段が難しいですよね
渡辺:はい、難しいです。かなり急な階段を回さないといけないので。どちらかと言うと城郭に近いかも知れません。信長が造っているので、時代的にはやり得たのかなーという気はしてまして。
 日本古建築って、裏で隠しちゃうような事があって。多層階にすると、こここをぶち抜かないといけないので。結局は割と合理的に中身は付いてくるんです。

佐藤:そういう提案で、コンペの結果はどうでしたか。
渡辺:これ自体は三等ぐらいで、そもそも建つ権利もないんです。ただ一位の案も建っていないので、だからペンデングですよ

   共に はははははは
佐藤:この時、日本の宗教ふう古建築に、初めて取り組んだんですか。
渡辺:初めてですね。
佐藤:ここまで、宗教古建築、どこでも学んでもなかったですよね。
渡辺:私は、すごく興味をもっているんです。
佐藤:立面は日本の古建築ぽくは見えるけど。構成を聞いていると、そういう建築でもないね。この建築をもって、渡辺菊眞を神や仏の古建築の世界へ誘ってくれた案ということですか。

渡辺:好きといえば、好きなんですよ。「信長が選んで来て再設置しているような物だから、おそらく、寺としても信仰の空間じゃない」と思っていまして。

佐藤:信長の独特の遊び、遊戯建築だと。
渡辺:他にやっていた寺院案は、歴史の先生が多かったので、彼らとしては「同時代に、似たような寺が無いのか」みたいなものを、必死になって探していて、在る訳ないんですよ。
佐藤:信長は仏教的な古建築・歴史の継承なんて、考えていないんだと。
渡辺:そうです、そこの経験踏まえた、思い入れ深い建物です はははは。
佐藤:信長になった気分で、きっちり作ってあげると。
渡辺:そうです、一番楽しかった。

佐藤:建築を構成するというよりは、小説のような作り方だよね。想像しないと越えられなかった、できなかった部位はどこですか。
渡辺:やっぱり、ここですね。こういった仏堂の上に、しかも内陣の位置が礎石から分かるわけで。内陣も上にちっちゃいのが載る、とすると「どういうふうに架構をつくってくるのか」って話があって。
佐藤:和風・古建築を勉強したこと、ありましたかね
渡辺妻が、古建築の構造とかをやる、専門の人で、なので、彼女にだいぶ聞きました。
佐藤:夫婦が二人三脚の「建てる建築」だと。
渡辺:はははははは
佐藤:あそ〜妻さん、古建築構造専門家!。それはいいねー!

渡辺:ただ面白いことを言っていて「文書ではこうかもしれないけど、これ、風で折れるよ」って言う。
佐藤:あ、そう。

渡辺:面白い話があって「江戸の後期に燃えた」と言われている。ですけど、その時に描かれた絵図は、これと似てもにつかなくって。二階が、ぼってりしているんですよ。なので「初期に信長が造らせた、建築は風圧で折れたんじゃないのか」という話があって。
佐藤:それは面白い!「信長の思念が風で折れた」って話はいいね。どの辺が弱いのかな。小屋裏懐は、四方八方から三角でがっん、ですけど。

渡辺:偏心していることもあって、それの背中の、これがあ〜。これの場合特にはみ出している。ははは、これがたぶんアウトで。
佐藤:さすが信長のいい加減寄せ集め建築、徹底してて、いいね
渡辺:そうですね。ははははは。こちから見ると はははは。
佐藤:合わないなら、ちょっとずらし偏っていても置いてしまうと、はははは。

渡辺:この案、建てる建築は、その意味で面白かったですね。
佐藤:平面は礎石の型に合わせて、立面は想像したんだと。
渡辺:この平面に対して、2階はここに載らなければいけないので、その架構は難しかったんですよ
佐藤:風で折れて、江戸に在ったのは信長以外の人が、2階を太らせ、ぼってりに作り替えた、それが面白いね。信長は神も仏も無視できたけど風には負けていたと。なるほど。この建築で、渡辺菊眞は夫婦二人三脚でもって、古建築の道も拓いたと。
 お客様が来場しました。一旦中断して、また後に続きを聞きとりをしましょう。

渡辺:はい。

 02へ つづく 


 そう見寺本堂再建計画
 滋賀県安土町 2008年