資本主義の終焉か人間の終焉か 202109161文字起こし記録
未来への大分岐ー資本主義の終わりか、人間の終焉か?

マルクス・ガブリエル マイケル・ハート ポールメイソン 斎藤幸平編
斎藤マルクス・ガブリエルマイケル・ハートポールメイソン。ガブリエルはテレビでもよくでて有名だとは思います。海外の知識人の方々と対話を通じて今の日本だけじゃなくって世界のおかれている状況を分析し、それが特に危機的な状況にあるという分析に基づいて、どうやって今の新自由主義でもいいし、人によってはファシスト、ファシズムと言うかもしれません、危機的な民主主義であつたり、資本主義であったりに対抗するような、特に左派のビジョンをどうやって打ち出していけるのか、というのを徹底討論した。本になっています。

今日は一橋大学の時代の先輩でもある白井聡先生に来ていただいて、せっかく白井さんも来てくださっているので、この本で扱われていなかった新しい状況、つまり日本で言ったら、この間の選挙の話であったり、最近のMMTに代表されるような新しいリフレ派の親衛隊みたいな人、そういうのも含めて議論して、この本の内容を少し紹介できたらいいなと思っています。 

白井:これが今日、店頭に並び始めたということです。この本の読みどころが、どこなのか?と、三人登場しているわけです。マイケルハート(右の絵)アントニオネグリのパートナー、友人としてエンパイアーとかマルチチュードとか数々の大著を一緒に書いてきたことで知られる方ですね。
カルクス・ガブリエル、この人は最近、新実在論という立場を打ち出して現代哲学の旗手として活躍している。ポールメーソンという人はよく知らなかったんですけれども、この人は何でしょうね、イギリスやヨーロッパの文脈ではどうい政治的な立場の人と受け止められているですかね。
斎藤:一番有名なジャーナリストとしてBBCに出たりもしている、ツイッターのフォロアの数なんかも何十万人いるような左派のトロツキーストに近いような立場の運動に属して、元々は労働党を支援しているような左派ジャーナリストですね。

白井:そうすると、あんまり日本だと、どんな人に近いのかなーと思うとイメージしがたいところがありますね。

斎藤:ヨーロッパのイギリスというのは労働党の中でも(この本にも書いてます)かなり左派の人たち。共産主義寄りの人たちの伝統があって、その中で独自の理論であったり、ジャーナリズムに向けての発信をやってきて。そういう中で出てきている人です。

白井:メディア露出の仕方非常に軽やか、といいましょうか、日本で言うと一瞬、森永卓郎さんみたいな感じなのかなーと思ったんだけど、ちょっと違いますよね。

斎藤:もっとゴリゴリした感じのマルクス理論にベースを持ちながらも。
彼の本を読めば分かる、日本語でもあるんですよ。フォースとキャピタリズムという東洋経済から出てます。単に今の左派って対案が出せずに困っていて、すぐに左派脳(NO)というけれど、じゃーどんな社会にしたいんだと言ったら、ノーが出せない。ノーと言っているだけじゃー、不十分なわけです。実際にノーと言わなければいけないものもあるんだけど、ノーと言っているだけじゃー本当にだめで、もっと新しいものを出していかなかればいけない。そういう課題は、イギリスなんかも、サッチャー以降第三の道にブレアとか陥ってずーっと出せなかった。
今は若世代も含めて、メーソンもそうなんですけれども、ポスト・キャピタリズムというかたちで明確に資本主義じゃない、左派の社会というのを情報テクノロジーとか、オートメーションとかを使って、だして、若い世代にすごい影響を与えているんです。(倫理資本主義論)


マイケル・ハート

アントニオ・ネグリ






この動画で倫理資本主義という言葉を知る


絵:ポールメイソン 左派ジャーナリスト

白井:なるほど、実は森永卓郎さんは年収3000万円が人が努力して稼げる額のマックスだからそれ以上、稼いでいるとするとそれはたいがい不当な手段で人から奪ったようなものだから、全部税金として没収すればいいと言ってましたね。けっこうゴリゴリなところもあるんじゃないかと思うですけどね。
この話は余談として、今斎藤さんがおっしゃったように、この本のいいところは、何かと言うと、とにかく資本主義もうだめなんじゃねーかと。もうあきまへんなと。どうにもこうにもどうにもならないくなっているんじゃないかと、いうことは。いろんな人が言っているとこです。

日本で言えば代表的には、言説で影響力、衝撃をもたらしたのは水野和夫先生だったと思います。水野さんの場合は証券マン出身ですね。それこそ金融資本主義の突端で、最前線で働いていた方が「どうも観察をしていると、もうだめらしい」と言い出したんで、ビジネス界含めて大きな衝撃が走ったということがあったわけです。どうもダメらしいということは分かったんだけども、とって代わる社会のビジョンみたいなものがなかなか出せないねと。日本に限らず、万国共通した悩みであって、そういうのがこれですよ、ぱっと出せれば苦労はしないんですけども。それは難しいことなんですが、この本はそこの難問に逃げずに取り組んで、できる限りのことをやろうとしている、そこが読みどころだなーと思った。いろいろ議論が分かれる問題があるんですよね。あとで話を深めたいと思います。

例えばベーシックインカム(BI)というアイディアがありますね。これについては左派の間でも賛同する人多いれでど、本当にこれはベーシックインカムはいいものなんだろーか。それとも、実はおっかないものなんなんじゃないかと。そういう危惧を私は持っています。
で、例えばマイケルハートとの対談においては、マイケルハートはけっこうBI肯定は派なんですね。ベーシックインカムやたら大きな一歩になるよという立場をとっている。これに対して斎藤さんはそう簡単に言えないんじゃないですかと。しっかり突っ込んでいて、ほかの対話者との間でも同様の構図が見えてる。

例えばポールメーソンとの間の技術ですね、特に情報技術が資本主義を変えている。言ってみればポールメーソンはそれを巧く使おうというアイディアでもあるんですね。キャピタリズムを展望しようということでもあるんだけれども、これまたそう簡単にいくんですかねーというのは疑問もあるところでして。そこらへんで、いろいろ見解が分かれる事柄に関して逐一、斎藤さんはきちんとした突っ込みを入れて、本音の突っ込みもあれば、あるいは議論を明確にするために、よくある突っ込みというのをあえて入れて、みたという部分もあるとは思うですけれども。
だいぶこれで、各人が言っているアイディアが明確になったんじゃないかなーと思ったんです。その辺はいかがですか。

斎藤:どうしても、対談だと生ものなので、もう一回撮りなおしてくだい、実際にロンドンでやったりベルリンでやったりとか、しているんですけれども。時間が限られている中で一発勝負。できるだけ しかも別に私とハートでマルクス研究者として、お前のここのマルクス解釈がおかしいという話を逐一するというもの可能なわけですけれども、あくまでもハートを知らなくっても、メーソンを知らなくっても、この本を読んで理解できる。さらに言えば、それを読んだ事で今の社会がどういう状況にあるのか、端的に言えば大分岐の時代に面している事です。
気候変動の例が一番わかりやすいと思うんです。今言われているのは、2100年までの気候の地球温度上昇を1.5℃に収めないといけない。1.5℃を超えると本当に危険な状態で、パリ協定なんか2℃を目指しているんですけれども、2℃でも相当、今のまま放っておくと4.8℃ぐらい上がる。4.8℃上がるとどうなるかと言うと、最近の研究だと海面が2mちかく上がるんですね。2mってどのぐらいかと言うとバングラディッシュに住んでいる人の2億人ぐらいが移動を迫られる。さらに言えば世界の穀倉地帯と呼ばれるような、デルタ地域というのは当然水面に近いから全部沈んでしまう海面上昇シュミレーションで、


 絵:2m上昇シュミレーション例

干ばつも酷くなったり、相当な台風の大型化、ハリケーンの大型化、で難民が莫大に生まれるわけですよね。食糧危機も重なる。こういう状況になったら本当に今EUがせいぜい100万人200万人ぐらいの難民でパニックになっているんですけど、ドイツにそれぐらい来て。そんな規模じゃない、何億人みたいな移住が起きる可能性がある。こういう状況にならないためには1.5℃にしなきゃいけない。だけど1.5℃にしようとする思ったら2030年までに、あと10年しかなくって、その間に二酸化炭素の排出量を半減させなきゃいけない。2050年までに純排出をゼロにしなきゃいけない。こういうラディカルな変革が求められすような時代。

これをやらなくっても、政治家はいいわけです。政治家は自分たちが次の選挙で選ばれること以上のことを考えないわけだから、今回の選挙で分かるように誰一人として気候変動の問題について論じる人がいなかったですね。でも人類という観点、あるいは僕らの世代、さらに僕の子供もいますけど、その子供の世代にすれば、この問題というのは本当に大きな問題なんですよ。これを今どうするかという、ことで、本当に人間が終わるか、あるいは資本主義を終わせて、もっと持続可能な社会をつくっていくかどうか。

こういう危機的な状況、気候変動だけじゃなくって、メーソンが言っているように、サーバー独裁の危機であるとか、いろんな問題があるわけですけれども、複雑な危機が混ざり合っているわけです。民主主義の危機であったり、債務危機であったり、そういう時代に世界の知識人が今の状況をどう判断して、どういうオルタナティブを出せるかというのが理論家に科せられた一番大きな使命だと思っている。そういうのが伝わるように、できるだけわかりやすく多くの人がもっと知らなきゃいけないことなんです。

気候変動のことだったり、民主主義の問題だったり。この本で強調したかったのは、単にエリートと官僚とか政治家が考えて対処してくれる問題ではまったくないわけですね。むしろエリートの人達は、そのまま、ビジネスチャンスを見つけるかもしれないし、気にくわなかったらどこかほかの国の移住したりするかもしれない。いろんな対策があるわけです。自分たちだけは、ドームみたいなのを造って、そこでスポーツができるような、甲子園はそこでやりますみたいな、そういう対策をとれる技術はどんどんでてくるわけです。

その裏ではそういう所から排除される人々、貧しい人々であったり、外国の人であったり、ここで階級問題だったり、人種の問題というのが再び中心的な問題になって、そこがどういうふうに技術が使われるか、あるいはどういう解決策を打ち出していくのか、というのは単にエリートや政治家に任せておいては、いけない問題なんです。自分たちの問題であるし、社会問題として社会運動とか、下からのかたちで変えていかない限りは、よくならない。だけど今の日本の状況というのは・・・どんどん、どんどんそういった問題を、階級の問題であったり、なんらかの社会運動といいうものとうということですね。のぞいて普遍的な政策とか制度変更だけで、できるだけスマートに解決してしまおう。

上からやって制度変えて手っ取り早くやってできないんじゃないかという、そういう発想がいろんな所で、垣間見える。でもそれでは本当の解決策にはならないし、今のジェレミー・コービンとかバーニー・サンダース とか実際にやろうとしていることというのも、正しく理解できないよと。日本の紹介のされ方では、見えないものがかなりあるんじゃないかというのを今回、イギリス人とかアメリカ人左派の知識人に実際聞くことで分かることがあると思います。 

白井:(マルクス・ガブリエルなどと)対話をしながらどんなことを感じたのかなーいうことをいろいろ伺っていきたいなと思います。

まず最初にマイケル・ハートさんであります。僕はネグリハートの著作というのはいろいろ読んできましたけれども、いつも思うのはこの人たちは本当に優れた教科書を書くなという事なんですよね。つまり現在のラジカルな社会科学の中で言われている大事なことをしっかり全部押さえて、ちゃんと言及をしてやっているなと。で、そのことはたいへん、カタログ的にすごくいいんですけれども、一方で彼らの言説が本当に革命にたどり着くのか?いろいろ疑問があるなーと。常々思って来たことでして。

僕はそれで一番気になるのは、ハートとネグリのキー概念になるわけですけど非物質的労働の概念ですね。19,20世紀の資本主義は物を作ることが、大事だった。そこに利潤が生まれる源泉だった。だけれども、物は飽和していると。20世紀後半末ごろから、21世紀に掛けて、利益の源泉は言ってみれば脳味噌になってくるんだと。比喩的に言えば汗水流して物を作ってればかってはそれで個人的にも儲かったし、きちんとお給料がもらえたということになりますし、資本主義のシステムとしても資本蓄積が進んだと。ところがそれでは立ちいかないよと。となると、アイディアとか洗練されたデザインとか、こいうものが重要になってくる。といのが言ってみれば成熟した、爛熟したと言うべきなのかわかりませんけれども、資本主義の姿なんだと。そうなると言ってみれば体を動かす労働よりも、頭・脳を動かす労働の方が大事なんだということになって来るわけなんですね。
このことについてネグリハートは基本的に肯定的に捉えたわけです。つまりどういうことかというと、19世紀型の工場で規格品を大量生産して、分業オートメーション化が進んでいくわけですけども、そこにおいて人間は製造ラインに貼り付けられて、延々と単調な作業をさせられると。それは非常に不快なことなわけです。

その不快なことの代償として賃金が払われると。いうような資本主義だったのが。資本主義のいわば資本蓄積の基軸がそういうものではなくなったんだと。いわば面白いアイディアを考えつくこと。というのがラインに張り付くよりも大事なことになって来ている。だからこれはある意味、労働者の抵抗ですね、こんな働き方は嫌だという抵抗が労働のあり方非物質化させていったんだと。だからこの変化というのは基本的にいいもんであって、そして、そこを中心として、もっと人間的な政治経済のシステムが、生まれてくるはずだと。大まかに言えば、そういう展望。

たとえばエンパイヤーだとかマルチチュードで、先立つ仕事の中でもそういう見方をしているんです、僕はこれは非常に違和感があるわけなんです。
といいますのは、頭がアイディア頭で考えつくことが利潤の源泉になる、なんていうかたちで仕事をしている人というのは、結局世界の勤労者の何分の一でしかないわけですよね。相変わらず、例えば自分たちの、日本のような国に暮らしていると、自分たちにの身の回りからは単純労働、あるいは危険労働である、単調である、そのようなきつい労働汚い労働)、工場は身の回りからは一見消えたかのように見えるけれども、そのような労働を強いられる工場は海外に輸出されただけの話であると。決して消えてはいないわけですね。利潤の源泉がアイデアになったというけれども、本当かよと。

現在の資本主義が典型的ですけれども、どうやってこの間企業が過去最高の業績とか上げてきたか、と言ったらそれは雇用の脱正規化、非正規化であって、端的に言えば労働力の価値のダンピングですよね。だから、アイディアで利潤なんてたいして生まれてないんですよ。

そう考えた時に、さらに言えば、ハートやネグリはいってみれば労働の転換が 革命につながっていくんだというような、議論を立てましたけれども、こういったいわば資本主義の変形というものをより穏便なかたちで、穏健なかたちで政策に取り込んでいくと、いうことは実際行われたけですね。
具体的に言えばイギリスの労働党のニューレーバーですね、第三の道の政策であり、それの理論的支柱はアンソニーギデンズというもともとマルクス主義者と社会主義だですけども、この人がブレア首相のブレーンとなって、これからの資本主義というのは頭だと。体じゃない頭だと、だから教育大事なんだとということで、もっともっと教育に力を入れますよと、いう政策をやるというのが、ニューレーバーの目玉だったわけです。

 アンソニー・ギデンズ
それからアメリカにおいては、ロバートライシュという人が学者がいました、優れた労働経済学者ですけれども、この人はクリントン政権の顧問になって、考え方としてはギデンズに似てます。シンボリックアナリスという言葉を使っていましたけれども、シンボリックアナリスト、象徴ですね、アナリストは分析者ですね、象徴を分析する者といういみですけれども、要するに象徴を使って仕事をする。その場合の象徴ってなんですか、というと言語なんですよね、根本的には。つまり体を動かすんじゃなくって、しゃべることが仕事になるような人が増えてるんですと。だから皆さん頭脳を鍛えましょうと。いうことですね。

それによって利潤を生むような、それが利潤の源泉になっているような資本主義の世界に対応しなければ、ならない。こういう訳でハートやネグリの提言したことというのは別に革命てなこと取り除いて、穏便、穏健化されたかたちで実際にはサイシン申告でもって政策の中に取り入れられてったわけですよね。

ところがそれが何を生み出しましたかと言うと、全然良き世界は生み出していない。だから言ってみれば非物質的労働を概念にして、拠点にして革命を展望するというような、ものの考え方というのは、どうやら私は全然成り立たないのではないかというのがこ間思って来たことなんですよね。

それで斎藤さんどういう感じを持っています。



 ロバード・ライシュ
斎藤:だからむしろ、何で今の資本主義が停滞している事かなのか、その原因が非物質的労働に基づいたような労働が広まっている、つまり今の利潤の出方というのはさっきも白井さんがおっしゃったように、新しい投資先というのはないので 結局利潤を上げようと思ったらできるだけ労働者に支払う部分を減らして剰余価値の部分を増やすというきわめて、やばい方法ですね。つまり労働者のプリミティブな方法によってしか利益が蓄えられなくなっている。なんでか?というと

、ここでおっしゃっているように非物質的な アイディアを出す。知識に基づいて、あるいは情報に基づいてた生産のあり方というのが、基本的に、これはメーソンもハートも言っていることです。独占であったり、私的所有となじまない性質ものだ。知識とか情報は他人とシェアして初めて意味を持つし、発展させていくためには有用性を保つためにもは(非物質てきな知性など)、独占していちゃダメなんです。おれはこれ知っているぜーと言っていたらそれ以上、知識が発展しないし、情報の意味ない、使ってほかの人と広めていく、すぐにコピーできちゃう。こういった特殊なもの(非物質)というのが資本主義の私有、私的所有 独占の論理となじまないもの。なじまないのにも関わらず、これしかないので資本主義は必死にそれを特許を通じたり、いろんな独占を守っていくことによって、のみ、利潤を何とかする、利潤といわないレント、アクセス権を制限することによてその利用権を徴収する。古典的なレントというかたちでしか資本主義はもはや儲けをだせなくなっている。ということろに、まさにそこに、資本主義の限界がある

逆から見れば、価値とか利潤という概念事態がこれだけ社会的な共同性、ネットワークとか、そういうものが発展してくると、もはや時代遅れになる。
重要なのは情報とかシェアとかシェアリングエコノミーとか、そういのも最近よく日本でも注目されるようになっていますけれども、こういうのも本来はなじまない、できるだけ多くの人たちをネットワークにつないでいった便利さ、でも増していけば増して行くほど人々は貨幣とかを通じなくっても自動的にお互いのやりとり、いろんな情報であったり、なんなら物のやりとりまでできるようになっていく
今までの資本主義の200年間の積み上げてきた、知的所有システムが崩壊する効果がある。これがしかもメーソンとかによれば、オートメーション化とか、3Dプリンターとかの技術も、常にアップデートされて、新しい情報を元にソフトウエアーというかたちで新しい物がどんどん造れる、より効率的につくれるようになっていく。こういうのはどんどん一回そういうノウハウさえ生まれれば世界中にそれが分散して、脱中心主義的な生産活動になっていく。

そうしたら今までみたいにでかい企業がでかい工場を建ててみたいなモデルから、いろんな所でバラバラに現地で調達できるような物を使ってどんどんどんどん、低コストで人々が機械を自由に使って、いろんなものを3Dプリンターで造っれるような社会になっていけば、物も情報も全部みんながシェアして潤沢な社会が実現できる、その時は資本主義じゃないんだというような、議論をしている。

それが本当にどのぐら早く実現するとか、本当にそうなるか?というのは、この後のもう一個重要な点があって、そうはならないですね、資本主義はできるだけ、プラットフォームを独占しようとして、共有をもう一回独占して自分たちだけのものにしようとする。いろんなルールがあって、見ればわかります。

ウーバーを使うためには使用料を払わなければいけないとかフェースブックを使おうと思えば自分のデータを提供しなければならない。グーグルだって僕らのやっている作業からデータを集めている。から便利になるけれども、同時にそのデータを全部グーグルが独占することによってそれが、悪い使われかたをしてしまう。フェースブックのブリッチ(ザッカーバーグの情報流出問題か) まさにそうなわけですけど。だから、ここには本当にせめぎ合いがあるわけです、技術というのは今言ったみたいなかたちで非物質に代表される情報とか知とか、それに基づいた物質的な生産も含めてですね。新しいもっと社会共同に基づいた自由なんですね。



水平的なモデルの生産とか生活を可能にする萌芽も含めてるんだけれども、資本はそれを必死に利潤の源泉に変えようとしていくる、そのためには手段を選ばない。ここがまさに、今後の21世紀のハートという、階級闘争だ、それが自動的に実現される、そういう楽観的な議論もあるわけですね。
井上さんとか、純 経済とか、これを自動化すれば経済成長めちゃして、みんな労働から解放されるんだ・・・みたいな。労働から解放されるというのは一面ではいい契機があるわけですよ。ぼくらはもう、まさにデーイビット・グレーバーがブルシットジョブと、世の中には糞くだらない、本人たちがこんなの社会にとって意味がないなと思うような労働があふれているけれど、と言って世界中で大ヒットしているわけですけれど。
今の社会では生産力が高まり過ぎているにも関わらず、資本主義とはとにかく働かせないといけないので、もはや無意味な労働を作り出しつづけなければいけない。ということでブルシットジョブ。本来であれば労働時間なんていうのは、40時間働かなければいけないなんていうのは、マルクスの時代から言われてる40時間なので、今だったら25時間ぐらいで本来ではいいわけですよ。だけど我々は40時間以上、働くことを強いられてそれで余った物をひたすら買うように、強いられている。これまさに環境にとっても悪い、だから本来であればもっと労働時間を減らして、新しい別の仕方を、こういうネットワークとかで、意味を見いだすような社会のあり方が、可能になりつつある。

だけど、それは自動的には実現できない、できるだけ早く実現するためには、まさにせめぎ合い。こういう、そこで出てくるのは階級闘争という感じがどうしても出てきちゃう、1%のプラットフォームを独占する人々とそれ以外の、利用しないいけない人々の闘い。こういう闘いの側面を普通の理論家は避けがちな、落合さんの本とか、井上さんの本とか、階級なんて言葉一言も出てこない。それじゃダメなんだ。
それじゃやられる、ああいうのは1%の理論で皆さんを自由にするぞと言って騙しているだけなんで。そういうのをハートとかメーソンはよく分かっている。




デヴィッド・グレーバー
白井:今いろいろ面白い局面になっていて、それこそ情報を関連の技術というのは、ある意味非常なるせめぎ合いの場なんですよね。で、GAFAの独占問題とうのは相当言われるように、ようやくなって来て、確かフランスでしたっけ、大幅な関税をやるのかな。要するに超巨大独占企業に発展してしまったこれらの企業を、なんらか力をそぐような事をするような政策を打たないと、やばいだろうということに、ブロジョア政府ですらそういうふうに思うようになって来たと。
で、今階級闘争の話が出てきましたけれども、これ、非常に重要なテーマでして、この本がある種新しいテクノロジーみたいなものが社会を変えつつあって、それで資本主義がどうなるーみたいな、テーマの本だというふうに見ちゃうと、確かにそのための本ってたくさんあるよと、いう話になるんですよね。じゃーこの本の独自性はどこにある、やっぱりこれはマルクス主義ということなんですけれども。階級闘争の問題をきちんと提起しているっていうことなんですね。

例えば機械の利用、テクノロジーの利用に関して言えば、マルクスが既に資本論の中で有名な一説があるんですね。機械が発展するということはいいじゃないか、という言説はマルクスが生きていた時代にもあったわけですね。

ところがマルクスはその理論というのを甘いと言って批判するわけです。で、確かに機械をそれまで人力でやっていたものを機械に置き換えることで危険が除去されたり、大幅に生産性が向上したりするわけだけれども、だからと言って、それがそのまま、労働者階級の利益になるのか?と、言ったらそれはならないんだと。

例えば、人力でやっていたものが大幅に機械に取り替えられちゃうと。100人掛かりでやっていたのが一人の機械を見張れる奴が居れば十分だということになると、何が起こるのかというと99人失業するわけですよね。そうするとその99人というのは、また労働市場に呼び戻されるわけですから、そこで、資本家としては労賃が下げることができるよねとになる。

つまり機械化というのはそれ自体では確かに危険の除去や豊かさをもたらすはずなのに、必ずしも労働者階級の利害に利益にならないと、いうことを指摘しています。だからどういうふうに使われるのかということが、問題なんだと。
で、それというのは現代にもそのまま残っている。引き続き現在でも存在し続けている問題です。だからAIでいいですね、とも悪いですねとも何とも言えないわけですよね。

たぶん私はこのまま資本主義社会の世の中が続いてるまんまAIが導入をされたならば、どうなるだろうかと。言ったらそれこそ、これは失業者の山をつくるためだけに、使われることになっていくだろうと。

ユーバー(Uber)だったそうなんですよね。あのシステムれ事態は画期的で便利だと言えるかもしれないけれども、あれは結局のところ、いわゆる運転手という職業を奪うと、いうところへとつながっているわけですよね。つまりタクシー運転手の賃金というのはどんどんどんどん下がっていくっていうことになります。

それから自動運転これも同じでしょう。自動運転本当に現実化されていくとですね、すさまじいインパクトがありますよ、世の中で、日本でもどの国でもタクシーの運転手トラックの運転手、バスやら、いわゆる運転手という職業に就いている人が一体何人いるでしょうか。相当な数ですよね。これが全部失業するということになると、並大抵ではない、インパクトがあるはずです。ちなみに路線バスの運転手はどこも人で不足で、人材確保するのが大変だと言われています。けれども、若い人が入って来てくれないと嘆いてます、当たり前ですよね、これだけもうすぐ自動運転に全部なるんだなるんだと言われていてて、誰がその運転手になろうと思いますかと。だからこういう、結局、運転手という階級を、職業を無くして、さらに労働者階級の力を失わせるという事にしか、私はいまのところつながらないだろうと。

AIの話をしたんで、BIの話をするべきだと思います。

まさにここもですね、階級闘争が先鋭化する場所も議題だと思うんですよね。BIのそもそもアイデアの発明者は誰かと言うとこの本の中で指摘、斎藤さんが指摘されているんですけれども、経済学者のフリードマンですね。この人は負の所得税というアイデアを出して、税制というのが、いわゆる社会民主主義的な税務における税制というのはあまりにも複雑であると、でこれを単純化する必要があると。で、基本的に新自由主義者ですから、税金なんかなるべく取らないべきだと、みんな自己責任だと。

だから貧乏人が貧乏になるのはしょうがないんじゃない。基本的にそういう考え方を持っているわけなんですけれども、だけどさすがにそのフリードマンも貧窮者はそのまま飢え死んじゃえばいいとは言わないです。さすがにそこまでは言わない。ので、それは助ける必要があるよと、で、ベーシックインカム(BI)的なものをそこで提唱している。



ミルトン・フリードマン
で、さーの後議論はどうなっていったか、まどういうわけだか、フリードマンがBI的な事を言ったってのはあんまり注目を受けなかったような気がしますけれども、だんだんBIはいわゆる左派、それもかなりラディカルな左派の専売特許という感じになって、いくわけです。で、しかし働いてもいないのにとにかく金は生きているだけでもらえます、そんな考えはとんでもない考えだと、いうのが世の中の主流派の考えだったわけですけれども、最近明らかに風向きが変わって来てるわけですよね。けっこう悪くないんじゃないのと。それこそフリードマンが元祖だったといいました。

日本でも例えばホリ右衛門ですね。ホリ右衛門なんかも、要するにこれは行政の合理化っていう事と結びついているんですけれども、BI悪くないよと、と言っているわけです。そうするとだんだんこれは左派の思想なんだから経済保守主義者の思想なんだかよく分からなくなって来ていると。いう感じですね。でこういう中で、BIの是非というものを考えていった時に、どういう思想といいましょうか、どういう根拠に基づいて採用されるのかとに非常に重要な事柄がかかっていると思うんですね。

つまり、ある種左派的なヒューマニズムだったり、あるいは、これはもっとも根本的な問題なんですけれども、労働と賃金というものをどうやって引き離すかっていう問題なんですよね。

働かざる者喰うべからず、言ってみればこの標語によょって近代は始まったと、言えるかと思いますけれども。働かざる者喰うべからずということは、逆に言えば働かない者は喰っちゃいけないんだと、いうことですよね。

言ってみれば勤労がかつては単なる苦痛であり、卑しまれていた労働の価値というものが近代において発見をされて。だから働かざる者喰うべからずなんだけど、同時に働くことが誇りになんだと。

こういういわば大思想革命が起こって、近代の歴史の2〜300年は展開してきたわけですけれども、ところが今、ある種様々な社会発展、テクノロジーの発展等々を経てどうも働くって事とお金がもらえるということは、実はあんまり関係ないんじゃないかということになって来たわけですね。

そうすると、第二の思想革命ですね。それの触媒としてBIっていうものを見いだしていく。という考え方が、今左側からはあるわけです。だけれども同時に右側からのBIっていうものありうるわけですよね。

ホリ右衛門はものすごく露骨な言い方をしています、ああいう性格の人ですから。彼いわく、彼も資本主義の現在の構造というのをいわばラディカルな左派と似たような認識で見ていて、どういうことかというと、別にみんな働いたって、そんなのは資本蓄積に貢献してないよと。っていうか、凡人は働いてもほとんど意味無いからと、いうことすら言っています。ものすごいエリート主義なんですね。
働いて資本蓄積、に貢献するような人というのは極一部の天才的な起業家みたいなね、そういう人たちだけだっていうことを言っています。だからどうせ働いたって意味無んだから、べつに働く意味の無い大部分の人間というのは、ぼーっとしておとなしくしてりゃいいんだと。じゃどうやって生きていったらいいんですか、分かったよ金配ってやっからさーと。それで適当に消費でもしてなさいよ

まあすごくあけすけに言えばこういう考え方からホリ右衛門はBIいいんじゃないって言ってます。

さーどんな考えで、仮にBIが実現されるとして、どんな考え方でそれが実現されるんだろうかと、前者のような第二の思考の革命として労働と収入というのを切り離す、それによる人間の解放っていう観点でそれが行われるのか、それともどうせ働いたって役に立たないんだから、小遣いもらってだらだらしてなーさいと。という思想に基づいてBIが導入されるのか、僕はここに大きな違いがあるだろうと思います。

斎藤さんが適切にも思ったんですけど、BIの話の中でカールポランニの、大転換に言及されているんですね。ポランニの大転換の中で、救貧法の話が出てきます。あれは何世紀の話でしたっけ。18世紀、17世紀、イギリスですね。いわゆるエンクロージャー(囲い込む)ですね、信仰、振興によって農村から追い出された人たちというのが浮浪者になっていくんですね。それが社会問題化します。で当時のイングランド政府はそれを放置はしなかったんですね、どうしたかというと、救貧法と言う言法律を作って、早い話が金を配ったんですね、金を配ってなんとか生きていけるように、したと。

一見これってすごくヒューマニステックですよね、人道的ですよね。というふうに思われるわけですけれども、結局これがポランニに言わせれば全く結局のところ逆の結果をもたらしていくことに、なったんだと。

つまり救貧法による保護受給者というのはそれに依存していくようになってしまって、自尊心というものを究極的に失っていったと。そして、そうすると今度は国家の絞り始めるわけですね、そんなにやたらにお金配り続けるわけにもいきませんからといって、絞り始める。
そすると、でもしかし、もらっていた人たちは、救貧法による保護をもらっていた人たちっていうのは、もはや勤労意欲も失っている。というかたちで、そうなるとまた単なる無気力な浮浪者になっていく。そうするとイギリス、イングランドはどうしたか、というと浮浪者を取り締まる、めちゃくちゃ厳しい法律をつくるわけですね。浮浪罪、浮浪していることが最高では死刑になっちゃうというような、すさまじい法律をつくっていくわけです。



カールポランニン
これどういうことなのかと言うと、一見そうやって人道的な動機もあってできた法律というのが人間の価値というのを主観的にも、客観的にも切り下げていくということになるんですよね。結局のところ自分は保護によって生かしてもらってるに過ぎない、というふうに思うようになった人間は、自分自身に対して価値を感じることができなくなってくる。で社会の目は当然あんな奴に価値は無いということになる。あんな奴は価値がないんだから、掃除しちゃえという発想も出てくる
掃除されちゃうよというふうに泣かされた本人たちも、しょうがないかなと、自分は価値がない存在だし、というふうに思いこんでしまう。こういうかたちでヒューマニステックな動きで作られた法律が人間の価値の切り下げにつながっていったんだということを、ポランニは指摘してるんですね。

私は非常に恐れているのはBIが実現しちゃったら、これは現代でも同じ事が起こるんじゃーないのか。あるいはBIが、これは結局、国家がそれを配るんだということになるでしうけれども、うまいこと金を配れている時はいいのかもしれません。持つのかもしれません。
だけれども、何らかの理由によってある種経済の大混乱、であるとか、あるいは天変地異でもって大変なコスト負担が生じてしまったときとか、財政破綻とか、こういった事態によって金を配れなくなたらどうするんだと。いうことですね。金を配れなくなった時に、労働ということによっていわば人間の価値が計られていた、これまでは働いていたんだけど、それ止めましょうと。別に労働していなくってもお金はもらえますとなった。

BIが導入されれば、そうなるんですけども。だけれども、労働してこそ価値があるんだという価値観そのものは残っているですよ。

そいう中で金を配れないとなったらどうなっていくのか。ある意味、人間がゴミ扱いされているっていうことになるんじゃないかと、すごく危惧しているんですね、そこを、そういうふうな点については斎藤さんどうお考えですか。

斎藤:だから、まさにちょうどいま3階でもブックフェアをやっているんですけど、そこの中に一冊とりあげた、ロボットの驚異というマーティンホフォードという人の本があって、そこで描かれている社会というのはそういう社会ですね。

つまり情報技術っていうのは、本当にGAFAに代表されるような一部の富の圧倒的な集中をもたらすわけですね。だって人数要らないんで。その人たちの一部の人たちがソフトウエアーなり、プラットフォームを作ってそこを独占さえしてしまえば、いいけれども、その後の雇用も生まれないので、もう全然いままでみたいな福祉国家モデル的なある種の労働者階級、富の再分配、ぜんぜん無い。何が起きるかというと、95%ぐらいのミドルクラスと言われるような層が急速に没落していって、95%が全体的に下がって、残りの5%そこそこの人たちと、1%のスーパー金持ちみたいな、人々が生まれるような極端に二極化するような社会が本当に生まれるようになる。

で、そうすると究極的にはそれにオートメーションが重なったら、機械が自動的に自分たちが必要な物を1%の人のためにどんどん作ってくれるんであれば、労働者要らないので、自分たちの生活をある種のゲーイテットコミュニティーみたなかたちで、守って囲って区分して、それをドローンロボット兵士によて守らせるというような、本当にテクノ封建主義という時代が資本主義の行く末だということをマーティンホードは指摘している。



指摘をこの本の中でもマルクスガブリエルであったり、ポールメーソンがしている。

ただ、それを防ぐためにいろんな考え方があると思うんですけれども、要するにただ言ってしまえば、機械がもし機械を作って機械が必要な物を作るような社会に究極的になっていくんだとしたら、もはやその時に、作ったものというのが資本家に特定の一個人に属さなきゃいけないっていうことの、正当性っていのはもやはないわけですね。
機械が機械を作ってんだから、誰に属そうが、実はもうどうでもいい。逆に機械さえ共有財産にしてしまえば、もはやその産物をみんなで分け与え、分かち合うような社会に一気に移行できる。その時には資本主義の論が成り立たない。

テクノ封建主義にならざるを得ないということは、まさに、資本主義が行き詰まっているわけです。最終的には武力と監視によって、押しつけて1%対99%とというかたちでやらなければいけない。それはもう資本主義ではないわけですよね。露骨な身分制の社会に逆戻りしたのであれば、もっともベーシックな資本主義の、マルクスが言っていて自由平等所有ベンサムっていう原理が明らかに崩壊するので、その瞬間に資本主義は終わっている。でも、もっといい別の解決策としては共同財産にしてしまえば、こうした問題は一気に解決する可能性もある。

これはポールメーソンがそういう話をしています。

ただいきなりそこに行くにせよ、どうにせよ、マーティンフォードなども結局はベーシックインカムしかないのだっていう話になるんですね。ここにやっぱりある種の想像力の限界が、つまり貨幣商品というのはどうしようもない、そういものは常にありつづけなければいけないし、常に使い続けなければいけないんだっていう、規定があって。左派さえも本来マルクス主義を研究している人たちというのは、貨幣とか商品というのは無いような社会をどうやって作っていくのか、というを本来考えてきたはずなんだけれども、今ではやっぱり貨幣とか使っていこうとみたいな、こんだけ貨幣の力が強くなっていくと。この強い物を使わなかったら社会は変えられないんだという発想にとらわれるように。

本来ならマルクスがまさにそれを物心崇拝だというふうに批判したんだけれど、それ使おうぜと、力があるから、ハートもそういうところがややある。問題はそういう時の思考方法としてまさにベーシックインカムが右派も左派も。まさに白井さんがおっしゃったように、右派も左派も関係なく一般的に受け入れらるような、発想。だから実現可能だと。つまり闘わなくっていいわけですよ。右派も左派もみんなああーベーシックインカムだったらやろうとなったら、異夢同床かもしれないけれど、みんなで協力できるかもしれないですね。

でこれ似たような発想が実はバージョン違いであって、もっとリアルな話だと井出えいいちさん、慶応の先生が言っている消費税を上げましょうという話があるんですね。社会保障費とか今苦しいので、そういうのをどうしようかと、でも今の階級パワーバランスを考えたら、所得税法人税上げられません、だから消費税、消費税は金持ちも払わなきゃいけない。だけど貧しい人たちも負担する。だからみんなに一律の税金なのでこれであれば、ブルジョワも受け入れる、だから消費税しかないんだと、こういう論理です。

で、上げた分を彼の場合はベーシックインカムじゃなくって、ベーシックサービスとして、社会の再生産にとって必要な福祉であったり、医療であったり、教育にお金を使ってそれを無償化していきましょうと。そういう発想です。これ一見対立する、でも何が共通しているかというと、普遍的なものなので、社会的に闘争を経ずにして、政策で変えることができる。つまり闘争なしに受け入れられるようなスマートな手段を提示する事で社会の制度を変えましょうと。 制度を政治の社会レベルで変えていきましょう、そうすれば社会はよくなって、みんなの生活が安定しますと。これが本当なのか?って考えなければいけない。

何が抜け落ちているかというと、まさに今白井さんがおっしゃった階級の自由が抜けている。つまりそもそも社会保障とかを拡充できるような所得税、とか法人税を上げるような力を持たない、パワーバランスを持たないなかで、消費税だけ上げたらどうなるか。それが上げた分が社会保障費に使われる保証はゼロなんですよ。

これ最近山本太郎さんがテレビでよく言って話題になっていますけど、この間上げた消費税どうなったかと言ったら法人税と所得税を下げるのに補填するのに使われた。これはまったく同じ事がなぜ起きないと保証できるのか、全然分からない。

でパワーバランスを変えることなくして政策を実行するだけでは、決してその政策は当初どんなにリベラルで、どんだけいいような考えから出てきてような発想であっても、結果は結局資本の支配を強める結果になってしまった。ベーシックインカムなんだ、本当にそうなんですね

そういう危険性を、一見不変に見えるけれども、最終的な運用であるとか、実際の分配がどうなるかというのは、パワーバランス階級の問題に帰って来ざるを得ない。階級のパワーバランスを変えてオートメーションが本当に労働時間をラジカルに削減して、週15時間労働、ケインズの言う有名な話がありますけど、2030年には週労道が15時間になって、人類にとっても問題となるのはむしろ余暇であって、むしろポスト・キャピタリズムが待っているんじゃないか。でもなしにはね、まさに無い、闘争がないというのが、最近の左派が闘争を下げちゃっているので、どうしようもない。

白井:全く同感でね、消費税を上げろというような事をね、いわば、ご本人的には左派だと思っているけれども、財政学者が言うとるわけですけれども、アホかと。いう話なんですよね。

たしかに理屈で言えばですね、理論的に言えば税金100%でもいいわけですよ。税金100%で全部取られて収入とられてもそれ以上に給付してもらえているなーと。それ以上に返って来ているなーと思ったら全部取られても文句はないかけですよね、だけれどもなぜそうはならないのか、絶対いやだと。思わざるを得ないのかと言ったら、それは政府に透明性がないからですよね。どんな使い方をされるもんだかと。だからできるだけ税金を払いたくない。という風に思わざるを得ない。だから消費税を上げるなんて話でも、階級闘争もそうですけれども、言ってみれば金がどうやってどういうふうに使われているのか、どうやってそれが決定されているのか。スエーデンを目指すんだったら、スエーデンの民主主義制度と同等の透明性に達していなければ、そもそもそんなのお話にならない。わけですよ。
ほんで、だから結局階級関係を無視したままこの政策は正しいとか正しくないとか言ったってしょうがないと。

さらに今ホットなのがMMT理論ですよね。で、今MMT理論を支持している論客の多くがリフレ派だったんですよね。リフレーション政策を支持していた論客が、MMT理論に乗り換えたといいましか、これはある意味一貫した話なんです。どういう事かと言うとリフレーション政策というのはマイルドインフレを目指す政策であると。貨幣供給量を増やしてと、だからこれは当然アベノミクスのいわゆる異次元金融緩和を支持するというか、もっと言えばそれを準備した思想。この政策を準備した思想に他ならないわけです。

だけどアベノミックスの、ぜんぜん本当の意味での景気回復はぜんぜんできていないと。何が悪いんでしょうかと、それは貨幣供給量を増やしたけれども、これが全然、出回っていない。豚積みといいます。要するに銀行の倉庫に眠っている状態にあるわけですよね。これが動き始めないとインフレーションには絶対ならない。だからそうすると何がアベノミクスは良くなかったんだろうか、要するに財政出動しなかったからだと、金融緩和と同時に財政出動をすればアベノミクス政策というのは本来の狙いを達成できたはずなのに、ということになる。だからそれを合わせればMMT理論だとうことなんですよね。

さー、今の話で言うと何となく筋は通っているように聞こえるけれども、本当であろうかと思うわけなんです。僕が初めてリフレ政策というのを自分で耳にしたのは、安部政権になるずーと前のことでして、安部政権になる3,4年ぐらい前に、ある学者、その方は今日本銀行の副総裁を務めておられます。ある学者とある勉強会みたな後で話した居たときに、その学者が「バブル崩壊以降の日銀の政策のことを口を極めて批判しておりました、で私はよく分からないままにはあそうですかと聞いていたんですね、で、聞いていて、とにかく、いろいろその時は説明をしてくれて、ふーんと思ったですが、どうにもこうにも拭えなかった違和感は何かと言うと、どうもその先生の話を聞いていると、バブル崩壊移行の日本経済がうまくいっていない、日本経済が悪くなると自動的にほかにも一杯悪くなりますから、日本社会は全体的にうまくいかなくなったということですけれども。

それの原因は要は日銀が間違った政策をとったからだと。こういう説明をしておられたわけですね、本当かなーと。そんな単純な話なんだろうかと。逆に言えば日銀が正しい政策さえとれば日本経済はちゃんとしていたし、日本社会も今みたいにこんな酷いことには、全然なっていなかったハズだと。となるわけですね。

本当かなーと思うわけです。嘘やろうと。その発想のおかしさというのはモノスゴイエリート主義 だと思うですよね。日銀の政策を決めているって誰ですかと言ったら優秀なる括弧付きの優秀な日本銀行の方々。あるいはそれにアドバイスする経済学者等とも含まれるのかもしれませんけれども、ともかくそのような経済の事をよく知り抜いているというふうに称されている、エリート達、要はこの人たちがしっかり居れば日本社会は大丈夫なんだと、こういう話です、本当かいなと。おもうわけですよね。結局のところ、日銀が悪いんだと話はリフレ派の中心思想になっていきます。だからこそ、黒田総裁になって。彼がリフレ派のテーゼを受け入れて、リフレ派の彼らの夢はかなったわけです。そうだついに日銀が正しい事をし始めるぞと。

さーうまくいってますかと、からっきしうまくいってないですね、そこで彼らが言い訳をしているわけです。これはアベノミクスっていうのはアクセルと一緒にブレーキを踏んでいるようなもんだと、アクセルというのは要するに金融緩和ですね、ブレーキというのは公共事業を絞るたということですね。で、だからうまくいってないんだと。まあそれには一面の真理っていのはあるのかもしれません。だけれども、じゃーそで言えばブレーキペダルから足を離して、もう一丁アクセルペダルを同時に踏み込むんだと、それでバチーンばく進だぜーと、いきますかいなーと思うわけですよね。

MMT理論というのは一方で左派の理論でもあるわけです。で、確に左派の理論におきましては、一面あるんですね。アクセルを二本にしてそれを両足でばーんと踏みやいいんだど。いうふうな部分というのも無きにしもあらずであります。

だけれども、ようはどんなアクセルを踏むんかいなということなんですよね。金は刷ったぞーと、さーこれをどう使うかだと。これを使って始めて経済がまた動着始めるんだと。使い方って一杯あるんですよね。僕は安部政権が夢見ている論を採用する可能性だった十分あると思うんですよ。でその時に、何に使うんでしょうか、たぶん戦争だと思います。戦争こそある意味ものすごい勢いで需要を増やす、特効薬でありますから。

日本の経済というのは戦後経済というのは戦争によって発展して来たものに他ならないわけですから、朝鮮戦争特需ベトナム戦争等々、だから、そんなに都合良く対岸の火事でうまいこと戦争が起こってくれるわけじゃないですから。じゃーしょうがないじゃないですかと、最後は自分の国で血も流しつつやるっていうのが、ある意味筋じゃないですかと。いう話でもあるわけですよ。

だから、言ってみれば今の支配階級ブロックがそのまんま、支配を維持しながら、正しい政策をやると、どうなるのかと。今言ったような事が十分予想される。だからそれこそ正しい政策が行われる前にきっちり我々は階級闘争で勝っておかなければダメなんだということなんですよね。
それをどやってやっていったらいいのかなーと。

斎藤:時間なので最後に一点、この話に関連して言えば、今だから反緊縮というのが左派の主流だったり、それを日本に輸入しようとしているんですが何が抜け落ちていのか?と言うと単にばんばん金を刷って金を配ろうみたいな話では全然ないんですよ。彼らはコービンとかは、それとセットにこのお金はどこに使うかっということまで明確に言っている。どこに使うかといったら、一点は気候変動対策です。気候変動を語らない左翼っていうのはもはや世界基準では左翼ではないですね。で、今の日本で左派のリフレ派の人たちが語ったことを聞いたことはいっぺんもない、彼らは世界基準では左派ではない。それが一点。

もう一点は、コービン達は何て言っているかと言うと、このお金を協同組合がお金を借りやすいようにしようと。協同組合というのは儲けのためじゃなくって労働者たちが自分たちで生産手段を管理しているので、銀行からお金を借りなくっても設備更新が出来無くって、大企業に負けちゃっている。だけど本来であれば労働者たちが自分たちで職場を管理する、マルクス的な理念にも近いもののですね、そこで、彼らがお金を借りて、もう一回協同組合を、つまりロンドンとかに、金融都市みたいになって、イギリス全体を衰退してるんですね、産業が。
それをもう一回呼び込んで労働者達が自分たちで生産手段を持つような、労働組合を作るためにお金を貸そうと。そのために、金融緩和をしようと。そういう話をしている、これがまさに、資本主義の所有音根本のありかたを労働督現場から変えていくという明確なマルクス的な観点。階級闘争の観点があって、提案されている反緊縮であって、今の日本みたいに刷って、あとは使ってくださいみたいな。話では、さっき言った消費税の話と一緒で、刷ったお金がどこに使われるかは、分からない。

常に階級闘争とセットにしなければいけない

それを道しるべとして使える理論というのは依然としてマルクスであるというのが、この本で言いたかったことの一つです。

白井:今日の二人の話の中からも、今何が問題になっているのかなーと事がいくらか、あぶり出せたんじゃーないかなと思います。そして、いわゆるいい政策、ただしそうに見える政策というのも、それを下支えする階級闘争の動きあるいは社会運動の動きっていうのが、無かったら、けっして、それは本当のものにはならない。ということです、ということがこの本の中でもでも強調されている一つのテーマなんですよね。そういう意味ジャー今、日本でも起きていることというのは興味深いことはいろいろあると思います。

立憲民主党が一時期はずぶん勢いがあったけれども結局のところは、あれは永田町の住人がやっているだけだよねと、いうことにみんな気付いちゃったんですよね、なので、さーっと熱が引いていってる。でそしてそこの中で山本太郎さんがだーとと出てきた。山本太郎さんという人は2011年の原発事故で、そこから社会運動が、それまでやっていた、人たちおもちろんさらに活発にということはありますけれども、膨大な新規参入者というのが現れた。それは新安保闘争もあって、一見沈滞しているように見えるけれども、そうじゃないと思います。言ってみれば地下のマグマのように、ずーとある。でその中で、そのマグマに支えられて、そのマグマの中から山本太郎さんという政治家が生まれたというふうに僕は見ているんですね。なので、、そういう意味じゃー本当の
革命的ポリテクスをやる条件というのは少しずつ出てきているんじゃないかなーというふうに僕は思うんですけれど。それに賛同していだけるかどうかを聞いて終わりにしたい。

斎藤:社会運動が全然ないので、逆に危険なのは今の状況で何も希望がないので、注目するっていったら太郎さんのれいわぐらいだったので、そこで一部の人たちはすごい熱狂しちゃっているわけですが、そんなに言っても二議席ですし、もっと冷静に状況をみなければいけなくって、他方もっと私が言いたいのは、太郎さんのやっていることっていいうのはこの本でハートと議論しているサンダースやコービンが体現しようとしているリーダーシップの問題に近いような部分に含んでいると思うんですね。
私も太郎さんとの交流はかってはありましたけれども、そういう中で、そういう当事者や現場でものごとを考える、そこから学ぶんですよね。明確に打ち出している人、そういう起点はある。
ただその現場を学ぶにしても現場がなければ学べないので、そういう現場が今に日本には少ない、ちっちゃいわけです。気候変動の問題、太郎さんが何で言わないのっていうとそれを言うような現場が無いわけです。社会運動がないわけです。そういう問題を作らずに単に早く問題を解決しないかなーと、今の日本だめとか、言ってもしょうがないので、少しでもアクションを起こしていく。そういうための一つの問題提起になればいいなーと思ってます。
ありがとうございました 。