sunchild 入門  市長とヤノベ氏 会見記録 2018年作成 
■2018年7月6日 臨時記者会見動画を文字化 (福島市役所 )  参照 注など

市長:みなさんおはようございます。私から発表させていただきます。この度若い世代に強い支持を得ている現代アーテスト・ヤノベケンジさんの代表作「サンチャイルドが寄贈され駅前の「こむこむ館」の敷地内に設置されることになりました。

 サンチャイルドは、「原子力災害を受けた福島の再生を願って制作された」(注1)作品です。放射線量ゼロの環境で防護服のマスクを外した男の子(性別不明と作者)がほほ笑むもので、安全・安心で平和な福島と、未来に向かって復興再生していく、希望をイメージしています。(注2)

 これまで、この作品は資料にありますように、福島現代美術ビエンナーレ2012でも展示されたほか、国際芸術祭アイチトリエンナーレ2013のメインビジュアル、メイン作品としてですね、展示されるなど、国内外で多くの展示をされてました。そして人々に感銘を与えて来た作品です。私もこれまで倉敷の大原美術館(下の絵)や茨木市にある、設置されているこの像、あるいは大阪駅前で鑑賞した事がありました。強い感銘を受けました。大阪でも道行く人が足を止め、作品に見入り、写真を撮っている姿が引っ切り無しに見受けられました。


 (絵:大原美術館に関した市長ツイートより 3ショットが公開されている)


 サンチャイルド日本に初めて設置時

(注1)2011年11月22日 設置記者会見より 大阪万博記念公園ヤノベ氏発言より
 黄色い服は、これは私自身が今まで作品で使用していたアトムスーツと言う服になります。これは放射能を防護する服。体中にガイガーカウンターという放射線のセンサーを備えていて、すぐにでも放射性物質を洗い流せるようなタイプの服です。この服を着て1997年にチェルノブイリに行きアトムスーツ・プロジェクトも行った事があります。その時に使用した服のデザインを着た子供が、ヘルメットを脱いで立ち上がっている像ですね、彫刻作品をつくりました。
 簡単に言いますと、これは
希望を表すモニュメントですね。綺麗な空気を吸っても生きていける世界を求めて、左手には小さな太陽という心の希望の灯ですね。それを携えていて、二本足でしっかりと立ち上がって遠い未来を見つめている、そういう像です。
皆さん、もうお分かりだと思うんですけど、今(2011年11月)日本の状況はとても大変になっています。世界の状況も、とても大変。そういう大変な状況でも下を向かず、遠い、遠い未来見すえて、誇り高く希望を持って、(大変な状況に)向き合って、歩み続けるビジョン、イメージ多くの人に持って頂きたい。 新しい時代を担う子供たち持って頂きたいと思って、この作品を作りました。

(注2)福島は原子力未来の都市廃墟か?

 プリキチャ
という原子力発電所のために作った町の廃墟ですよね。その中に入って。そこは1970年大阪万国博覧会と同時に作られた、原子力未来の都市廃墟なんです。。・・・・・写真を観た時に絶望的な廃虚から、その希望の太陽みたいなものが、その人形を探し出させて新しい時代をつくっていく再生のイメージを、ビジョンを得たんです

 私は原子力災害を風化させる事無く、皆に向け希望を持って復興創生に取り組む福島市。そして福島県のシンボルに成るものとして、喜んで寄贈いただくことにいたしました。今後サンチャイルドに託された精神をしっかりと受け止め、さらなる復興創生の加速に取り組んでいきたいと考えます。
 
 またサンチャイルドの精神(注3)は特に子供たちに受け止めて頂きたいなと、感じていただきたいなと、いうヤノベさんの願い。そして私どもも同感でございますので、そういった面では子供たちが多く来館する駅前の、(子どもの夢を育む施設)こむこむ館の敷地内に設置することにしたものであります。

 まだ時期は確定いたしておりませんが、8月の初めには除幕して皆さんに見ていただけることになると思いますので、ぜひご覧をいただきたいと思います。

■愛称募集について

 また、資料にありますように、このサンチャイルドの愛称を子供たちに決めて欲しいなーと思って、その愛称を募集しいたします。ここに書いてあります通り市内の各学校に送付する専用葉書で申し込んでいただきたいと思います。申し込まれた方にはこの缶バッチとこの塗り絵のシートを、これもヤノベさんのオリジナルでありますけれども、差し上げたいというふうに思っております。こむこむ館に持参された方に差し上げるという事にいたしております。

最後になりますが、この寄贈に当たりまして、ご協力を頂きました「一般財団法人ふくしま未来研究会」様、それからヤノベケンジさんに心から感謝を申し上げまして、今日のご報告にさしていただきたいと思います。本当にやのべさんありがとうございまいした。

ヤノベ:ありがとうございました。

(注3)
サンチャイルドの主題・モチーフについて

 このサンチャイルドの像は、ある作品をモチーフ(motif・主題・動機・理由)にしています。その作品というのは何だと思いますか。はい分かりませんね。
 ミケランジェロのダビデ像なんですよ。イタリアルネサンスの代表作。イタリアルネサンス、要するに芸術の復興運動。ルネサンスという再生運動ですよね。それはイタリアにペストが蔓延して、イタリア国民が多く国民が大量死してしまった後に生まれた文化的な運動なんですね。
 で、再生復活、そういう言葉のルネサンス、まさにピッタリじゃないですか。しかもこのダビデ像ですね。皆さんご存知だと思います。
宿敵ゴリアーデに立ち向かうエーゲ海の少年(イスラエル国王の二代目統治者)の巨大な5mほどの大理石の像なんんですねど。
 
巨人、巨大敵に立ち向かって二本足で、今まさに石を投げつけてコリアテを倒そうとする(巨人コリアテとの戦いに臨み石を投げつけようと狙いを定めている)少年の睨み付けた像ですよね。左斜め上を見て、手には石を投げるための道具を持っているという。

 そういう
再生復活という芸術運動。そして、巨大な敵に立ち向かう弱者。弱いと思われる者。「そのモチーフが今の時代にまさに降り立つべきものではないか」ということで、芸術の代表的な歴史的な作品を引用しているということです。
ヤノベさんによる サンチャイルド 紹介

ヤノベ:はい、ありがとうございます。ヤノベケンジです。私は大阪生まれで、今京都の大学でも教鞭を執っているんですけど、現代美術作家としてたくさんの作品をこれまで作ってきました。今流さしていただいてる映像(注4)っていうのは、サンチャイルドが造られてから、この2018年福島に来させていただくという、記録なんです。

 僕自身は2010年ですね。震災前に福島県立美術館で展覧会(注5)をさしていただいたと言う縁がありまして、福島の美術館の方、大学の方には縁がありました。
 ■作品を持って社会を変えていきたい

 とてつもない災害が起きて、僕も心を痛めまして、直ぐに美術館の関係者(荒木学芸員など)に連絡をとったんです。なかなか連絡とれない。こういう絶望的な、日本全国自体がね状況になっている時に「なんとかアートで状況を変えたい」という思いから、福島には通いながら美術館でワークショップ(注6)をさしていただいたり。子供たちに勇気づけようとしたりとか「人として何ができるんだろう」っていうことを色々やっている内に「作品をもって社会を変えて行きたい」という事で、この子供の像ですね。
 本当に2011年みんなが「心を折れてそうな時に、元気がでるような子供の像を作って日本から世界に発信したい」という積りで当時、このサンチャイルドというね、子供の像、防護服を脱いでもおもいっきり空気が吸える世の中をイメージできる世の中を作りたいと、像をつくりました。僕は夢中で、京都の大学生と一緒に。

 それが、色んな場所ですね、大阪、東京、そして、モスクワ、イスラエル世界まで展示さしていただく事になったんですけど。2012年には福島ビエンナーレという福島空港の所でも、たくさんの人のクラウドファンディングによって、運ばれて。毎年毎年そういう形で福島の方々と関わっている内に、色んな人々と関係が出来、色んな方々の協力で、ほぼ毎年の割合で福島では展覧会を開催さしていただくことになり、そして、このサンチャイルド2011年に造った作品に対して、福島の方々非常にある種の愛情を持って、寄せていただいて。

 僕自身も当初は今の状況を変えたい、夢中で作って作品だったんですけど。もちろん福島の方々の事を想いながら造って来た作品だったという事で。そういう風な思いを頂けるならば、ぜひ寄贈さて頂きたいっていうことを、2年ほど前から伝えていたんですが。(注7)

■福島市、寄贈受け入れる 

 この度、市長の強い思いで、こむこむと言う、本当に子供の施設、未来から来た子供の像、この作品が受け入れられる、招かれるとなって、とても感動しております。感謝しております。


 (市長ツートより コムコムではなく こむこむ館)

 この作品を迎えるに当たって、塗り絵のプロジェットで小学生の方に、こういう缶バッチを観てもらったり、あるいはこのサンチャイルドですね。これ男の子か女の子か分らない子供の像なんですけど、その作品にニックネームを付けていただいて、作品をより身近なものに感じて自分たちの町の一つにキャラクター、シンボル、そういうふうな思いで、今後明く拓けていく未来の福島を担っていく子供たちに、この作品に心寄せていただければなーと思っております。なので、ぜひ、ニックネーム募集というのは教育委員会の方々の協力で全小学生に伝えていただくということで、僕自身もどんな名前が来るのか、楽しみにしております。

 で、僕も市長も、ふくしま未来研究会の佐藤(勝三)さんも、それを審査して、ニックネームが決まれば、飛び切りのプレゼントを僕も用意していますので、たくさんの方に、子供の方々に応募していただきたいと思っております。

■ 三体あるサンチャイルド イチチャイルドを寄贈

 今サンチャイルド自身は、今日本には三つ三体有るんですね。2011年に一生懸命世界に発信するために造った三体の内に一体は大阪に立ってまして。今度福島に来るサンチャイルドというのは一番最初に造った記念すべき、一番最初にこの世の中に生まれたサンチャイルドを持って来るために、今京都の造形芸術大学の方で一生懸命、屋外で恒久設置出来るように頑張って仕事しております。

 本当にたくさんの方々に招かれて、来さしていただけるという意味ではとてつもない幸せを感じておりますので、この作品を愛していただけたらと思っております。産みの親は僕ですけれども、育ての親は福島になると思います。よろしくお願いします。以上です



 (注4)会見場で流された動画
 The Way of Sun Child 2011 2018
 (注5)
以下 福島県立美術館HPより
 胸さわぎの夏休み イチハラ×やなぎ×ヤノベ×小沢=∞、美術館で熱くなれ!
 アートは現代社会とどのように関わっていけるのだろうか。この展覧会では、時代を見据えながらその中でどうしたら生きていくことができるのか、この時代に生きるということはどういうことなのか、創作活動を通じて思考を積み重ねてきた4人の作家たちの活動を紹介した。
 今を生きる女性の本音を言葉にしてきたイチハラヒロコ(1963- )、老い、ジェンダーをテーマにCGを用いた写真や映像作品を制作するやなぎみわ(1967- )、
豊かな想像力と確かな技術で奇想天外な機械彫刻を作るヤノベケンジ(1965- )、人々との関係性を築きながら様々なプロジェクトを展開する小沢剛(1965- )。
 展覧会場を訪れた人たちは、各々の作品が持つそうした磁力のようなものに、ざわざわとした胸さわぎを感じたに違いない。



 (注6)会期:2010年7月17日-8月29日
 トらやんの空飛ぶ箱舟大作戦


 (注7)2016年11月17日 GOGにて
 ヤノベケンジ氏より、ふくしま自然エネルギー基金に寄贈目録が渡された。荒木康子県美学芸員、赤坂憲雄県博物館長など立ち会う。(民友新聞2016年11月18日記事あり)
























市長:ありがとうございます.ではこのへんで握手でもしましょうかね。
ヤノベ:はははははは
市長:いらない?、そういう映像も要りませんか。要らなかったら、やんない
 会場ははははは
市長:これ(立て板)を真ん中に置いて。
 
会場 そうすると握手が見えない シャッター音続く
     こちらもお願いしまーす なんども繰り返す

■ 質疑応答

質疑応答

福島民報:よろしくお願いします。まずサンチャイルド、一番最初に制作されたものだとおっしゃっていたんですが、一番最初に制作したのは何年で

ヤノベ
:2011年の6月には制作を始めていました。完成したのは10月ですね。最初は、大阪万博会場跡地の太陽の塔の前(注8:記者会見録は後日公開予定)で、展示させていただいて。その間、岡本太郎さんの太陽の塔というのは、僕は幼いころからみていて、一つのシンボリックな日本を元気にする象徴だったので、その太陽のエネルギーを受けた太陽の子供のような気持ち(自分で何でもつくれる)で、展示させていただいて。そこから東京から世界各国、福島に至るまで展示のツアーが始まったという感じでいます。

民報:もう一点、今回こういった形で福島市への寄贈が決まった経緯というのはどういた流れだったんですか

ヤノベ:2年ぐらい前に(2016年11月17日GOGにて寄贈目録わたされた ・記録公開予定)
 ずーっと毎年毎年2011年からほぼ1年おきに展示させていただいたり、その間に色んな方々と出会う事になって、ふくしま自然エネルギー基金の方々が、ちょうどその赤坂憲雄さん(福島県立博物館館長+ふくしま自然エネルギー基金評議員)っていう、ご存知ですかね、方が運営している、オフグリッドというギャラリーで(GOG)「エネルギー問題に関して作品を展開する作家を招きたい」という時に、この福島でも行われている活動を、展示させて頂いて、それが切っ掛けで。
 それ以前からサンチャイルドについては、非常に興味を持ったれる方がたくさん(県博小林学芸員・県美荒木学芸員などか)居たんですけど「寄贈して頂きたい」という切っ掛けで、始まって「じゃー寄贈します」って。
 そこで、2017、8年の始め木幡さんがその話を聞かれて、「それはもう、市の方に是非展示したい」という話になって(注9)

 実際にその展示をするに当たっては、この「ふくしま未来研究会」の方の協力によって、運ばれたという。そういう様々な方の、本当に前向きな「ぜひ」「ぜひ」っていう声に後押しされて、「それならば、作品も幸せだし僕もとてつもない気持ち、感謝の気持ちで一杯だ」ということで、具体的な形に、すごくスピーディに決まっていった。はい経過です。



(注8)
2011年11月22日 設置記者会見より 大阪万博記念公園ヤノベ氏発言より「太陽の塔について}

 太陽の塔というのは、1970年に大阪万国博覧会がこの場所で開かれたんですけど。僕は1965年生まれです。6歳の時、1971年に隣の町の茨木市に引っ越して来ました。つまり1971年に私がここにへ移り住んできたときは万国博覧会は既に終わっていて、未来都市は全て壊されていたと。つまり、取り壊し現場、大阪万国博覧会の取り壊し現場で遊んだ体験が僕自身の万博体験です。そこで観たのは未来の廃墟。つまり終わってしまった未来ですね。
 でも「未来が終わってしまった」からと言って、子供心に悲しい思いをしたんじゃなくって、何も無くなってしまった未来だからこそ、自分で何でも作れるんじゃないか。何でも作っていいんじゃないかという、そういうイマジネーションをその時に、想像力を掻き立てられた


(注9)2016年11月17日ヤノベ発言)

 「イチチャイルドは本当は福島にあるべきだ」とも思ってはいてるですよ。だから、例えばね、県の美術館とか博物館に置いていただけるとしたら全然この「イチチャイルド目は寄贈してもいいなー」とぐらい思っていて。・・・と語っていた



■毎日新聞(女性):改めてお伺いしたいのですが、最初に福島でサンチャイルドを展示するになったのは福島空港

ヤノベ:そうですね、
市長:12年です
ヤノベ:12年の、福島現代美術ビエンナーレっていう、これは福島大学の主催で行われていた、芸術祭があったんですね。その時に福島大学の渡辺晃一教授という、アーテストでもあるんですけど。その方の企画で、作品を是非展示して欲しい、特にこのサンチャイルド。2011年に造っていたんですけど、これを福島に持ってきてそれを発信したいという話を受けて。
 で、輸送がかなり、輸送費が問題だということだったんですど、その時にクラウドファンディングっていうことを行いまして。そのとき日本全国の方々が寄付して頂いて、その輸送費を持って福島空港に展示さして頂いたということが出来て。それは、半年ぐらいの期間だったんですけど。でもそれで結構、たくさんの方が、作品を福島から見せたいというので、思いが重なったと言うのは非常に嬉しかった出来事でした。

毎日新聞:その福島空港で展示した際に、どういった手ごたえ、反応を寄せられたのか。それを見て今回福島市で恒久的に常設されるに当たって、どういった事を・・改めて教えていただければ

ヤノベ:2012年当時は、やはり、僕自身も作品を見せるタイミングかどうかっていうのは非常に迷いはあったんですれど、それは福島の方々が凄く要望して頂いたという事で、実際設置するまでは、正直「どういうふうに思われるのかなー」「こんな物を今、持ち込んでいいのかなー」っていう思いは有ったんですけれど。やはり、これは本当に明るい子供の像で、ここにあふれる思い、そういうものを観る方々、子供も大人も、そこにおられる方々が感じて頂いたっていう事で。それを聞いて安心したのと、こういう関わりかたもあるんだなーという思いで、その時は・・しましたし。
 やはり全国の人々が芸術が今福島を変えるのではないかという思いで、寄付をしていただけたので。という、たくさんの方々の賛同を得れたというのは、とても嬉しかったですね。
 今回も、作品を求められている方がたくさん居てたっていうのは存じあげてたんですけど。なかなか僕も福島にずーっと居てるわけじゃないので、どういう受け止められ方するのか、っていう事僕自身も、そこまでなかなか理解しがたい、けど。  やはり今説明さえていただいたように、市長を始め、たくさんの方々の強いプッシュによって。こういう状況、今で、こそこれは福島から発信するべきなんだという強い思いに押されて。まあ、そういった形で皆が、今ポジティブに行動を起こそうとされている、そういう思いが伝わったので、それはもう全面協力で、力合わさしていただきたという思いだったので。

 僕としても、作品を作る2011年の時点では、本当に自分の表現とか、自分の作品とか言うよりも、「何かしない」人として。で僕に出来る事はモノを作る事だけだ、じゃそれで、何か出来きるのかなーという思いだけで造った作品で。
 これがどこに設置されるのか、とかどうなるのかっていう事よりも、今これで何とかしたい。でたくさんの学生たちも色んな人たちも協力してくれた作品でもあるので、まさか、こんな形で、自分の思いが福島に繋がるとは思っていなかったので。ある意味、夢のような出来事が起きたなー。という意味でも感謝の気持でしかないですね。

 これを切っ掛けにもしかしたら、僕の芸術で、何か東北の地が変わるんじゃないかという切っ掛けにちょっとでもなってくれたら嬉しいですし。市長もたぶんそういう事も考えておられるんじゃないか思っております



 市長:ありがとうございました。皆さん先ほども言いましたけれど。県内では原子力災害に対する思いって、いろいろあると思うですね。それに関するような事は一切消し去りたいという、そういう気持ちの方もいらっしゃると思うんです。
 我々はこれからどんどん希望を持って前に前に進んで行かなければいけないんですけども。でもやっぱり、原子力災害を受けたというこの事実、あるいはその我々の辛い思いをですね、それは風化させてはいけないと思うんです。

 そういった事を風化させる事無く、希望を持って前に進むという点では、これは本当に私は福島のシンボルになる作品だと思います。それが本来、福島県でどこに設置していいか、という議論も有るかと思うんですが。やっぱりそこは福島という名前の付いたね我が町で展示をするのが、これは私は一番いいんじゃないかと思って。今回「ぜひに福島市に寄贈いただきた」ということでお願いいたしました。


 今回こういう事で実現いたします。本当に嬉しく思いますし、これは福島市だけではなくって、本当にこの福島の思いをですね、県外の多くの方々。そして全国、世界の方にやはり、この福島の地で観ていただくというのが、また特別な意味があるのではないかなーというふうに思います。よろしくお願いします。