中谷ミチコ影とぽっこり」展を観る  2026・8・2
作成:佐藤敏宏

(その1 浜松駅から美術館まで)  (その2 中谷ミチコ展 について)  (homeへ) 

村上亜沙美さんから招待券 

この展覧会を知ったのは、浜松市で街角製本所を開いている村上亜沙美さんから、チラシと招待券が送られてきたからだ。(村上亜沙美さんとの出会いの記録へ)

届いた小包には手紙チラシが入っていた。手紙には展示の広報物に関わっていることや旦那さんが作るビリヤニを食べに来いともあった。小包から中谷展のチラシをとりだし目を通すと、開催場所期間は浜松市にある秋野不矩美術館で(2026年)7月4日から8月23日まで、展覧会のタイトルは特別展中谷ミチコ影とぽっこり」だった。

村上さんは佐藤にぜひ観て感想を記せと考えているんだろうな、と受け止め観に行くことに決めた。

この機会を活かし「後期・ことば悦覧」と名付けた私的活動を再開・実施しようとも決めた。いままで知り合いの少ない名古屋圏の建築系・若者たちに会うと、どんな体験ができ、興味深い話などを聞き取りしたり、語り合うこともできるはずだ。それに加え、超ローカルの天浜線に乗れるなんて!かなりの贅沢な旅じゃないか。展覧会は観に行こう。

観に行くと決めたけれど、いつ観に行ったらいいのか、直ぐに決められなかった。名古屋の若い人たちと会うためにも時間調整が必要なのだ。会う人が多くなるほど日程調整は難しい。多くの人に会い語り合い続けているが、日程調整は頭を痛めるのが常だし、決まるまで何度も修正しつづけるので手間取る。今回の最終日程も暫く決定することができなかった。


中谷さんの展覧会へ足が向く理由はもう一つあった。2025年5月17日、佐藤は三重県津市白山町にある中谷さんのアトリへの入室許可を得て制作現場を見学していた。兵庫県立美術館に出品する ─「影、魚をねかしつける」というタイトルだと後に知った─ 作品を制作していた。

アトリエに踏みいると大作だと分かった。(287.5×1081.0×210.0cm)中谷さんと少し語り合いながら、制作途中の凸型をながめていた。(その記録へ)

「影とぽっこり」の作品を観て感じたことを書く前に、白山町のアトリエでの体験を少し加えておく

中谷さんは白山町のアトリエから近鉄、東海道新幹線、そして横浜線と乗り継ぎ教壇に立つ暮らしを続けている。なんてタフな女性なんだろう!八王子市内にある多摩美術大学の生徒たちも指導している、という。八王子市への往復を想っただけでも、疲れそうだ。加えてアトリエに戻れば作品を制作し続け、子育てもしている。目も回りそうな暮らしをされていた・・白山町へ行くまで知らなかった。
旦那さんの大室佑介さんも目の回る早さで、暮らしも、制作も、地域との交流も、日々支えているとも知った。さらに私設大室美術館アネックス、まだある、大室庭園美術館も運営していた、スーパーな夫妻なのだ。(俺にはまねはできない)

私設大室美術館・運営実態は白山町を訪ねるまで知らなかった。2泊3日の途中で気が引けたけど、希な機会を放棄するわけにはいかない。密着取材を続けた。(取材記録などの目次へ


遠鉄そして天浜線から秋野美術館へ

前夜、浜松市駅周辺をウロウロ

天竜川の扇状地と不毛と語られた三方ヶ原の大地をもつ浜松市。この市は平成の大合併で1,558.11平方キロメートルとなる。全国の市で第2位の広さになった一度訪ねたぐらいでは市と町の様子は分からない。市内に暮らす人口は76.5万人。2025年のweb情報によると、3万人を超える在留外国人も暮らしていると分かる。

経済バブル崩壊を切っ掛けに安価な労働力をもとめた。それに応じ日系ブラジル人が多数やってきた。1990年の出入国管理及び難民認定法(入管法)改正と、両国の経済状況の変化によると、言われていた。
外国人が日本で働く姿に接する機会は、1980年ごろから飲食店内の接待業 2000年頃からはコンビニの順で多く見かけるようになった。

町中の飲食店に入っても、外国人客と同席することは体験がない。浜松市の夜の飲食店街に入ると外国人に会えるかもしれない。そんな気がしたので駅前のビジネスホテルに一泊した。夜飯時に駅周囲の繁華街をうろついた。町を歩き体験しながら情報を得ることは旅には欠かせない一つなのだ。

浜松駅周辺は鉄路によって、南北の町に分断されていた。それを解消するために鉄路の高架化はすすめられ1979年に完成したという。浜松駅そばにある遠鉄・新浜松駅も高架化され地上を人が移動するには支障はない。駅を出ると北口に丸いバスターミナルがあり自動車も集まるように計画されている。人と車の移動を分けた。だから人は丸いバスターミナルの外周を回るか、地下に下り薄寂しい地下の分配機能でつくられた通路を歩き、地上に登り出る選択はある。地下通路を体験してみたくなり、降りてみた。人の姿を見るのは希だった。多くの駅地下で見る風景と同じで人は地下に潜らず地上を歩きたいのだ。

中華飯屋に入る

浜松市駅周囲の町歩き、中華飯屋に入った。厨房内も店内も客もすべて中国の人たちだけだった。大声を上げテーブルを囲み3、40代の男女が中華料理をつつきながら、楽しそうに呑みつづけていた。

自動券売機とタブレットを使った注文だから聞きには来ない。千円の麻婆豆腐定食を押し、少し待つと目の前のテーブルにつきだされた。一口たべてみた。山椒が効いてなく甘味の多い麻婆豆腐だったが味は好ましかった。
平らげ店を出る。雨が降っているわけでもないのに木曜日の夜だからだろうかさほど人は行き来していなかった。 地方都市の駅前は昼も夜も人気がなくなっている、のかもしれない。


三方ヶ原灌漑事業
 事業に至るまでの経緯 
 金原明善  金原治山治水財団
 

遠鉄に乗り天竜二俣駅へ

 8月21日 

遠鉄の乗車客は日に5万人で、内1・3万人ほどは学生だという。新浜松駅から西鹿島駅までは18km弱で、高架率は4割だ。朝の鹿島行は2両編成で通勤時間も過ぎていたので客は少なく、高架を走るので見晴らしがよい。北に向かって走るから東側の窓は強い朝日を避けるためすべてカーテンがおろされていた。東側の席に座り車窓を眺めると遠くに山並みは見えるも、富士山は見えないかったし太平洋も海面も見えない。天気がよければ浜松城内から富士山は見えるそうだ。
自動車学校駅をすぎると住宅もまばらになり水田の跡だろうが空地も目立ち始めるような気がしたけれど、変わらず郊外住宅が多い。

西鹿嶋駅周囲は固く浸食されにくい地質なのだろう、天竜川が遠江の扇状地にでるまえに苦悶するかのようにS字形に蛇行する。遠州鉄道鹿島駅は天竜川が蛇行形状している南手前にある。

天竜浜名湖線は新所原から掛川まで約68km39駅を2時間掛けて走る。電車ではなくディーゼル気動車用単線の鉄路だ。西鹿島駅は天浜線のほぼ中央より4kmほど東よりにある。

天浜線と遠鉄を1日楽しむには大人用1600円でフリー切符がある。また団体用のため貸し切りイベント列車もあり、貸し切ると新所原から掛川までのカラオケ列車、ビール列車に、地酒列車にも早変わりする。そんな注文も受けている、笑)天竜浜名湖鉄道の案内もある。乗車定員は33〜52人で、貸し切り列車の料金は4.5万円から新型車両(33名乗)は12万円までと表示している。各地のローカル線を調べたことがないので断定できないが、最も高価な新型車両でも一人あたり3600円で別加算だろうがカラオケ列車になり、2時間の旅を満喫できるのは手頃な価格設定だ。ローカル線生き残りの知恵と言える良い企画だと思う。



天竜二俣駅から、秋野不矩美術館

西鹿島駅で天浜線に乗り換える。途中下車したくなることもあるから、1500円で1日乗り放題の切符を買い天竜二俣駅に向かう。

天竜川に架かる鉄橋を走る車窓から天竜川面を覗くと緑色がかり、美しい水質の川には見えない。源流は長野県の諏訪湖の釜口水門とし213km流れ下り遠州灘に注ぐというが、人々の生活している都市部を流れ下ることにより、汚れを集めてしまうからだろう。津々浦々の河川の水質も同様だろう。


天竜二俣駅

天浜線は1両で走るディーゼル車なので、スピードはでない。いたってノンビリ進む。重たいディーゼル車特有の揺れがあり、音もうるさい気がする。だけれどこの揺れと音がローカル線特有の乗り心地を保証しているのだ。

運転手に秋野不矩美術館に行きたいのだが、二俣本町、天竜二俣駅どちらで降りるといいのか、と聞いた。五月蠅がらずに、天竜二俣駅で降りると美術館入館の割引券が貰えるよ、と応してくれた。

天竜二俣駅に降りるとホームには木造の屋根が掛けてあり、駅舎も木造で雰囲気は昭和初期の駅みたいに見える。ホームの先にある車両基地も見えている。転車台や鉄道歴史館もあると案内図にある。人は思ったより多くたむろしていて、改札の駅員も観光客慣れしてる。客裁きの手際がよい。調べてみると現役の「転車台」日本唯一の木造「扇形車庫」など、昭和の歴史を感じる鉄道施設が数多く残る珍しい駅だと分かる。そのうえシン・エヴァンゲリオン劇場版に登場する「第3村」のモデル地として知られている、とあった。だからだろう、孫を連れたお祖母ちゃんなどもうろついている。昭和の雰囲気を今も保ちづづける現役の駅舎は不思議な賑わいに包まれていました。


■ 天竜二俣駅から徒歩で美術館へ 

駅にはレンタサイクルもあったが、二俣川沿いを徒歩で秋野不矩美術館をめざすことにした。歩く速度がこの風景には合っているような気がしたからだ。また、2024年に辻琢磨さんに案内され、二俣川が氾濫し橋が落ちていたのを観にきたこともあった。天竜川がS字型にくねる曲がる場所に二俣川が流れ入る形状になっているので、天竜川の水かさが増えると、二俣川の流れがせき止められ、合流手前で二俣川の流れが周囲に溢れでてしまうのだろう。地形と地図を観ているとそういう気がする。

二俣駅から西に進と信号があり北に折れる。直ぐに小川を渡り進と、道は山裾をそうように北に向きに伸びる。二俣川の川面が見えてくるはずだ。山裾を進み北に向きを変える辺りは旭日町のようだ。町名のついた小さな公民館山車小屋があった。天竜二俣駅にポスターが掲示されていて、8月22と23日は二俣諏訪神社祭典「二俣まつりだ。

祭りの前日だから公民館で神主のお祓いが済んだばかりのようで、揃いの法被を羽織った男たちが公民館から吐き出されるように道にあふれ出るところだった。傍に小さな社がありその前庭に2台の山車が並んでいた。法被姿の男たちは、山車の前に整列し神主が山車ごとに一周しながら祝詞を唱えお払いして歩くのを静かに見守っていた。暫く足をとめその様子をみていた。小規模とはいえ地域の伝統行事が根付き継承される様子を目前に見るのは心地よい。

あす、あさって、町中を山車が練り歩くから、見に来て!」と声も掛けられた。お祓いの途中だったが軽く会釈をし、秋野美術館を目指し平らな道を進んだ。道行く人はいない。民家から出てきたやせ細り小柄な老女に声をかけたら応じたのだが、何か言っていた。聞きなれない地域の言葉だった。老女の背の崖には墓石が積み立ちならび、小さな地震に遭っても崩れ落ちそうではないか、と想いてっぺんまで見上げた。この辺りは墓地に適したほどよい岡がないのだろう。

二俣川と墓に挟まれた縁りをさらに進と二俣大橋が見えた。大橋を渡り左に進むと本田宗一郎ものづくり伝承館大橋を渡らず右に進むと秋野美術館である。

この辺りは扇状地の境に位置していて山地の始まる場所のようで平らな土地をつくるのに苦労しているようだ。秋野美術館周囲をweb地図写真で見ると山肌が露出している場所が多くある。秋野美術館も小高い山のてっぺんを削り平地を設えたようだ。削りひらいた場所に駐車場の億に美術館は建っていた。国土地理の地図付属のツールを活用すると、道から秋野美術館が建つ小さな庭までの高さは24mほどの高低差があると分かる。二俣川からだと30mほど高だ。導入の急な坂道をのぼる、美術館を見上げながら最初の姿を撮影した、それが下図の絵である。


 ( 美術館の 平面図とつなぎ合わせた)


■ 秋野不矩美術館に続く