佐藤敏宏 後期ことば悦覧 始めにあたり
 作成:佐藤敏宏

はじめに

ことば悦覧は佐藤敏宏が2008年4月から始めた活動です。内容は各地に暮らす30才前後の建築系若者に推薦していただいた、同じく30才前後の独立系建築家などと語り合い、聞き取り、内容をweb記録にまとめて公開する活動です。

聞き取り回数は5年ごとに20年間で計5回を目標にしておりました。

しかし、活動開始から3年後の2011年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故が発生し、聞き取り活動を中断せざるを得なくなりました。3月15日には2号炉でも炉心溶融が進み、続いて格納容器が破損し割れ、多量の放射性物質が大気中に放出されました。

佐藤が暮らす福島市では同日18時40分に24.24マイクロシーベルト/hという放射線量が観測されました。その夜は運悪く雨とみぞれが振り、大気中の放射性物質は地上に沈着しました。福島市はもちろん、政府も国会も大混乱に陥り、その後、市内の屋敷廻りも含め、広範囲で除染が行われました。

佐藤は、福島市内の放射性物質を取り除くため、除染作業の監理員として関わりました。また、聞き取りに応じてくださった方々から義援金を送っていただいたこともあり、活動を「被災地からの報告」へ切り替えながら、各地の方々と交流を続けることになりました。

その後、2020年には新型コロナ感染症が世界中に広がり、人と会うことさえためらわれる時期が訪れました。佐藤の活動も停止せざるを得なくなりました。オンラインでの語り合いも試したみましたが、双方にとって十分な豊かさを感じられなかったため、1年でやめwることにしました。

すこし話を戻します。ことば悦覧活動を始めた当初、推薦していただいたのは、東京、大阪、京都、仙台、金沢などに暮らす方々でした。活動を始めたばかりの佐藤には、誰に何を聞き、どう聞き取ろを進めればよいのか、また語り合う双方や記録を読む人たちに、どのようにつたえればよいのか、その手法も含め、何も身に付けていませんでした。向う見ずにも、ことば悦覧・活動を始めてしまった、とも言えます。

当時の記録を読み返すと、内容には改良すべき点がたくさんあるように今は思います。一方で、すべて粗削りなところも、これはこれでよいようにも感じます。どっちがいいのか、今もよく分かりません。なぜなら、活動のとう到達目標を定めていないからです。目標を立てず、目標に縛られず生きる。それが佐藤の活動の姿なのです。いい加減なものです。ただ、双方が面白いと思うからこそ関係が成りたち、その関係も継続しているのだとも思います。

たとえば、2008年4月の人選は、東京圏の若者たちが集まる会合に参加した際、目の前にっていた現・東洋大の伊藤暁先生の推薦が切っ掛けでした。偶然出会った若者たちを、伊藤さんの推薦に従って選んだものです。

先にも書きましたが、見たことも会った事もない若い建築系の人たちに、会って、何がおこるのか。何も起こらなくても構いません。ただ、楽しく対話し、彼らが暮らす都市や街、大地の空気を自分の体に取り込みたい。できることなら、その土地の地形を体験し、歴史も知りたい。だだそれだけなのです。こうそた、ある意味で乱暴な人選方法も、そこにある思いも、変わってはいません。他力本願で生き。暮らすという態度ですね。

加えて、できるだけ聞き取りする方の家に泊めていだだくことにしています。少々乱暴なお願いかもしれません。しかし、推薦された方の家に泊まりみ。語り合うことで、その人の暮らしや土地の様子が体に浸み込んで来るように感じます。佐藤は、泊まりこんで聞き取る、ことが最もよい聞き方だと思い込んでいます。これからも、そうした関係を築きながら聞き取り活動を続けるよう、努めていくつもりです。

■今までの あらまし

佐藤の私的活動は、1984年、自邸が完成したのを機に始めた「建築あそび」と、2008年4月に始めた「ことば悦覧」の二つが中心です。もちろん、一級建築士として、2000年までは子育ての資金を稼ぐために、建築設計と事業計画作成を請負ってました。建築設計、建築あそび、聞き取り活動の三つの行為を続けてきた、と言い換えてもよいでしょう。

(注:加えて、建築請負会社の株主でした。でも、2000年には株を手放しました。理由は長くなりますので省略します。機会があれば、記すことになりかもしれません。)

資金を得るための設計活動では、理由は分かりませんが、仲間との関係を継続敵につくることはできませんでした。一方、建築あそびとことば悦覧は、お金を介さない活動です。そのため交流範囲は広がり続け、多くの知人・友人を得ることができました。そのおかげで、佐藤の心の暮らしは豊かになり続けています。この機会に、これまで出会った方々に、あらためて感謝申し上げます。


■後期ことば悦覧

2026年8月から「後期ことば悦覧」を始めました。内容はまとめweb記録を作成、公開することまで進めることができました。

後期ことば悦覧を再会した切っ掛けはmy長女から「活動を続けて亡くなるべき・・・」という言葉でした。

日本各地に出向き、多くのかたに会い、web記録を作ることは、佐藤自身の健康維持にもよさそうです。他者への好奇心を自ら枯渇させ、脳の老化を推し進めることよりも、体の隅々にまでよい循環をもたらすのではないか。そんな気もしています。後期高齢者になると、どうしても家の閉じこもり、情報を遮断して、繭の中で暮らすようになりがちではないか、とも思います。

建築設計を生業として暮らしてきた佐藤は、若い頃から他者との交流は切れることはなく続いてきました。他者との関りによって、自分の人格形成も促されてきた。そんな人生だったと思いました。

年を重ねてからも、面倒なことをしてみる。難しそうだと思っても、事前に調べ、話合いに参加してみる。この二つは、健康維持するうえでも大切なことだと思います。体を動かさずにいると筋肉は衰えますから、タンパク質を摂り、スクワットなどを毎日続けることも、日課として大切にしたいと考えてきました。

脳の健康をたもつためには、動画や新聞などのマスメディアが作る情報に触れることは大切かもしれません、しかし、後期高齢者にとって、そうした情報が必ずしも必要なのだろうか。そんな疑問も感じています。

自分の足で出かけ、自分の手を使って記録を作る。たとえ稚拙であっても、作業に時間がかかっても、すで商品かされた情報を受け取るだけでなく、自ら一次情報をつくることは、様々な場所や人々に、よい循環をもたらす可能性があるのではないか。そんなことを考えたりもします。

そう考えると、まだ会っていない人たちとの交流と語り合いを、これからも積極的に進めてくほうが、よりよい関係を保ち続けられるではないだろうか。佐藤は、そう考えたわけです。

しかし後期ことば悦覧活動を始めることで、注意すべきことも明らかになっています。

それは、1995年、日本でもIT革命が始まりました。2026年現在では、web記録やSNS,、AIを使った暮らしが一般的になったことで起きる問題と無縁ではないからです。2年ほど前から、警鐘を鳴らし再考せよ、そう主張する科学者と若者も現れました。テック企業に資本が集中する。データセンターを維持するために電力と水資源を多量に使う。そのことで、地球の環境をさらに破壊するのではないか。その二つの疑問を解決してから、IT革命の歩み進めてもよいのではないか。そういう内容です。

この二つは佐藤には不明なので、暫く様子を観察してから追記することにします。


■2026年はじめた 後期ことば悦覧概要を岸ておきます。

 8月20日 三枝理子 岩崎伸治さん夫妻に聞き語り合う

 8月21日 「中谷ミチコ 影とぽっこり」展を体験する。

 8月21日 浅野翔さんに聞き語り合う。

 8月22日 名古屋圏の建築系若者と語り合う@MOSS有松


以上です。
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