| 浅野翔さんに聴く 2026年8月21日夜 浅野さんの自宅マンション | 作成:佐藤敏宏 | |
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(その4) ■ moss ARIMATSU モスアリマツについて 浅野:モスアリマツで、月替わりのシェフとか週替わりの教室とかをやり始める人が出てきました。今までとは違うコミュニケーションの拠点のような場が有松にできました。目の前に幼稚園があるので、そこのお母さんたちが来てくれることによって、こんな人達がいたんだな・・と。こんな使い方ができるんだな・・とか知ることになりました。 徐々に有松は動き始めている感じがします。そこは僕の中では凄く重要な、─縮退の話ではないですけど─大室佑介さんの私立美術館運営の話もそうです。出会う、そこに行く切っ掛けに理由が無いと、ただ単に縮小していっても、孤立化していくだけだと思うんです。 ![]() モスアリマツの内部 レンタルスペース 奥:チャレンジ・レストランとカウンター。 ハブになるような場所だったり、定期的に新しい風が吹いてくる場所だったり、大室さんの美術館だったら、作品がくるとか。ここだったら教室が変わるとか。カフェの出店者が替わるとか。そういうのがあることによって行き易くなる。それを見ていて凄く思います。 佐藤:そうだね。情報が入れ替わったり、催しものが定期的にあったり、参勤交代ではないけど、各地の文化が強制的に攪拌されることで、地域が生き続けることができた、そういう仕掛けが要るんだろうね。出かけて行くなり、来てもらうための継続的な仕掛けをつくり、行き来しているうちに状況は入れ替わって循環してしまう、そういう仕掛けだね、 浅野:僕が仕掛けたことによって人が来ることで、全然違う文脈で勝手に繋がっていく。有松は有松絞の町であるねという紋切り型の捉え方をされてしまうので、そうじゃない人と価値観に出会うために場所を運営してるんだな・・と改めて気が付きました。 今、2年経ちました。それらをやりつつ、違うところで・・個人的なテーマとして思っているのは、産地というメタファーは今、面白いと思ってます。産地というと職人とか材料とか、制作物とか物ばっかりが見えてきます。が、そこに材料が生まれるだけの土壌があったり、何万年何億年という時間軸がそこに埋もれていたり、それを形にする経験や道具や、環境があったりする。しかもそれを製品として消費するだけではなく、お祭りや目に見えない存在も含めた祝祭の関係性のようなものを、ここ有松にはあったりする、と思っています。 AIが頑張ってるとか言うんだけど、もう一度産地の係わりかたを再定義したり、更新した定義にすればAIがあっても、AIすら巻き込んだ産地像は出来て来るんじゃないかと思います。 新しい新興住宅街だったとしてもそこには確実に土地があるので、埋め立てはしているんだけど、確実に出入りする人が居るわけだし、誰かが経験を持ち込んで形にしていく。 佐藤:今日の日中は天竜二俣駅の傍にある秋野不矩美術館にいきました。駅から美術館に行く途中に、町内会の男たちが山車を小屋から曳き出して、神主にお祓いをしてもらっていました。明日からお祭りで町中を練り歩くんで、事前のお祓を皆で営んでいました。 ああいう神様が居るんだ─というフィクションですけれど─、現代人は気候変動とか巨大地震が起きることで、自然と繋がり生きている、自分たちの生活が成り立っているんだ、と自覚せざると得ない。阪神大震災をきっかけに1995年以降、災害が頻発するようになっています。自然を恐れ鎮めて暮らし続けていかなければ、という共通の体験と認識ができています。 地域の自然とのつながりで暮らしが成り立っているという意識が共有されてないと、自然からじっぺ返しを喰らう。それをみんな分かる事態がフクシマの原発事故や新型コロナ禍、また線状降雨帯に頻繁に襲われて大水害が各地に起きている。一方的な自然酷使は大災害に至るんだと、共に分かって来ました。 地域の産業とつなげて生活を包む自然や原料と廃棄物を繋いで目の前を包んでいる自然の様を自覚しました。有松の製品もその自然の過程の中で出来て、加工製品化することで生活がなり立っていたんだ・・・と、製品の背景に広く目が行くようになっている気がしました。 |
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一方でトヨタなどに働きに行き糧を得ている家庭の奥さんたちが、何かやりたいんだけど、何をどしたらいいのか分からないし、場所もない。彼女たちが始動する切っ掛けを作り支援してくれる人の存在も分からない。皆さん少しでも暮らしやすい社会環境にしていこうと、思っている。次の世にとっても良いと。やりたいと思うっている女性も増えている。講を組織して定例司祭を続けてきた男性衆とはすこし視線が異なる。 男女それぞれの共同態を一体に繋ぐ神様は現代の人に無く、金だけだと意識に変わってしまった。(─株投資で金を得る。政府による政策が人々の価値感を歪めたとも言える。日本版イギリス病蔓延中)。 人間が自然と繋がり暮らしていると思うことなく、投資で資金回収を推し、好き勝手に暮らし始めている。自然との共生、共同態を破壊してしまった後の世に浅野さんは立っていると。手越川(藍染川)はどぶ川化しているし、海岸は廃プラスチックだらけだし、フクシマは放射能まみれになった。神様を更新し次の社会に合った神さまを創作することが、今、必要になっているだね。 そうして自分たちは新しい次をつくるために有松に参加していると意識に向かう。そういう基地や場をつくることが大切なんだろうね。次の世へ継承ようとする意識も生まれ暇も活用できる。そういう事態の生まれる場を皆さん求め続けているんだと。 政治はお祭りを作り続けるしかなくなっているし、金もあるんだけど、行政通じてしか社会に流れない。金利ゼロが長期化していたので、市井の人々の財布にはさほど金が循環していない、流れ続けて来ない。大店舗法によって地域の商店経営は破壊尽くされてしまった、焦土が残された後に浅野さんは活動し始めたと。 そういう自覚は大切なんだろうね。多くの人達は分かっているんだけど、対応して次の作り方が見いだせない。 どうしたらいいか分からない。 浅野:面倒くさいことだと思っている人は多い。 佐藤:面倒で話が通じないからいいわけで、簡単に分かってもね・・・。 浅野:話が分かり易く、通じ易くなると伝統工芸はいいよね、っていう話まで戻ってしまう。 佐藤:習慣化し受け入れるような形で、自分も参加し年間のべつくまなく、活動が出来だしてきたと。その形が今後、金銭も生み出すような生産につながっていくといいんだろうね。株投資より、製品を経て高収益を得るのは劣るし難しいだろうね。お爺さんたちは高度成長期に成長し過ぎて、作れば売れる、その状況に慣れ親しみ過ぎてしまってたから、リセットできずに、ズルズルしてきちゃった。 浅野:土地柄もあって、愛知県の金属関係の産業は効率化とたくさん製造することの権化みたいな世界。 佐藤:車づくりのトヨタが中心にあるから隅々まで名古屋圏に波及していると。 浅野:いかに効率的にいかに無駄なくという世界だから。無駄なものに見えると、そこで思考が切れてしまうんですよね。自分と関係ないものだという姿勢。 佐藤:だいたい人生なんかほとんど無駄なんだけどね(笑)無駄なんだと自身だけは認めたくないんだろうね。 |
![]() (2023年6月12日 原子力特定施設(元・福一原発)一号炉前にて 佐藤左から2人目 撮影経産省) |
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■うんち絞り 浅野:話とびますね。9月にね、有松絞の産地で長野県で牛を飼っている人がいるんです。その人が完全放牧していて、牛がどこで食べてきた葉っぱか分からないけど、完全にウンチが緑色だったり、臭くないんですよ。 そのうんこを使って草木染をするんですよ。有松うんち絞りと僕は呼んです。出来上がった物が綺麗な物なのか、汚い物なのか、草木染なのか・・。しかも何だったら現地に行ってウンチを測って、うんちを食べて分解する虫がめっちゃいるんですよ。虫も入ってくるし、暮らしはいかに人間以外の物で作られていたのか、それを体験できる牧場なんです。 そういう機会を有松でやります、これは産業にもならないし、アート作品なのかと聞かれたらそうでもない。でもたぶん有松の皆の価値観を揺るがすインパクトがある。そういう文脈も踏まえやろうとしています。 佐藤:なるほど。 浅野:去年あいちトリエンナーレに参加して、アーティストの高い熱意を持った試みなどを観たり、聞いたり、触れたりしたから、感化されてもいますけれど。建築の設計からも離れているんですけれど。 佐藤:DEとかLRAJとかのイベントは過去に成功モデルがあって、それを自分たちが代替えしようとしていた。新しい成功モデルを作ろうとした手法じゃない。だから近代の先端をさらに模索しちゃうので結果は行き詰ってしまう、それは自明だった。 近代の延長の成功モデル、そうではないモデルを浅野さんは生み出すため、色々行為を続け考えないと次の循環は生まれない。 マスメディアから作り出される価値観を寄せ集めて、いろいろ手を変えて驚かせるのもいいんだけど、フクシマの原発事故を経た今は、あういう成功モデルは限界にきたと知ってしまった若い人達が挑むことではない。失敗モデルで成功していると思えるような試行錯誤から生み出すように変容させないと、浅野さんは元気がでないね。まだまだ成功モデルがあるような錯覚を生み出す活動は過去を加速させ行き詰らせるだけなんだよね。 浅野:僕の中で、これがいいかな、というのは分からないです。だけど現代版宮沢賢治モデルなんだろうなと思います。あまり清貧にはならないようにはしたいんです。農民芸術の話だったりと、あれは有松で活動の文脈的にも近いと思ってます。彼はストーリーを作ることによって、ある種の神話的な体系を作ろうとしてたわけです。 僕が伝統工芸の産地でやろうしている事、お祭り、まだ神話までは作れていないですけど。そういうものが作れるんだとしたら、もしかしたら一つの作品になるのかなと思っています。あるいはそれを共有する。 ![]() 浅野さんがベランダで試作循環させているアクアポニックスのシステム図 記事へ ■循環し続ける生態へ参加するつくりかた 佐藤:もう男の思考は次の帝国主義戦争に行くのがはっきりしたから。宮沢賢治も男だした。今の話を聞いて思いだしした。大室さんの奥様、中谷ミチコさんの最新作は小さな作品の連作でした。あの連作の意気はいいと思いました。 連作のタイトルは「産む人とそれを助ける人たち」 でした。出産から埋葬までの一連の作品で、生命の循環へと制作意識が移行していました。作品作りの姿勢が循環しだしたように見えました。人が生まれて死んでいく、それぞれの作品がつらなり途切れず循環している。 中谷ミチコさんははっきり宣言はしてないんだけ。自分が作品を制作し、子供を産み、周りの人々に助けられ、自身の死と埋葬も人々に助けられて循環し続けていく社会を意識しだした証だと思いました。主体的自己を探しあぐねて悶絶している作品から脱した先にこの連作が生まれた。水際の子は中谷さん自身の身体から子供が他者の手を借り手、脱出し人(他者)が生まれる。そういう過程を制作していました。眠ってしまったというのは生まれたきた子供とともとお母さんが一緒に寝ている作品。子供たちが集まって話をしている群像。中谷さんの意識は生命の循環に辿りついくことで新境地に至り新作が制作されていた。(中谷ミチコ展体験記へ) 男性の場合は成功が到達。でお仕舞だから産み循環する共感には至りにくい体質だと思う。中谷さんの作品は生まれ循環していいく、だから完成が無い、達成が次の生へ綱なる。循環すること全体が作品の完成なんだと気付いた気がしました。影であり実像でもある凹彫刻作品を経ることで、その地平に辿りついた。中谷さんの思考、そのプロセスを観ることができました。 成功、あるいは完成はなく何時も揺らぎ続けて次に移行していく。女性のほうが生と循環について気付き易いんではないかな。 有松の講の人たちは神に近づき、自分も同化したら達成して終わる。めぐる季節に合わせて循環する伝統行事として営んでいるが 自然の循環のなかから生まれている製品の循環へ目が行っていないのかもしれないね。有松うんち絞りも、その生の循環に至る試作になるといいね。 浅野:お祭り済むと、やったぞ!(でお仕舞) 佐藤:上手く達成できたということより、他者の手を経⇒続き循環しているという意思に替わればいいんだろうけど。男は達成でお仕舞にしている。 女性にたくさん参加してもらう、体が弱くて達成できない人にも、障害を持っていて達成できない人にも、そういう人と一緒に循環しつづける有松態をつくり維持継承していくことが可能か?そこに一歩ふみいれウンチ絞りが循環をつなぐ媒体になるといいよね。 男たちが作った文嶺講ではなく、その裏かたは女性たちがやっているはずで、有松の彼女たちは表にでてきてない。女性たちの裏支えとルーティンワークの重要さについては認知・理解していない、と感じます。だから浅野はうろちょろ何をやっているだ?という言葉が出てくるんだと思います。女性の裏支えを多く知らせる構造にかえていくのがいいように思います。女性特有の弱さとしなやかさで循環させつづけて有松を変容させ続ける。そういう場に変えていけば、次の可能性は広がるでしょうね。 ■有松で藍、木綿を育てる 浅野:そう思います。別に農業をやっているわけではないんですけど、有松で藍と木綿を育てるというプロジェクトを4年ぐらい続けています。毎年苗を100づつ作り無料で配ってます。携帯の画像で、今こんなふうに育ちました、種取って来年また植えてみます・・・そういうことをずっとやっています。 反応が返ってくるのは9割が女性なんです。ここが上手くいかなかった、こうやたら上手くいったよ・・・など皆で声掛け合いなが、すすめる企画があります。 ぼくは、この企画はすごくいいな!と思っています。普通だったらこの糸でこんな浴衣ができました、そういう製品を目標にするはずだと思うんです。みんなで育てる、それが目標ではないけど共通の意識としてあって、上手くいったり、いかなかったりする。枯れちゃったという人には私の苗を持っていって、と呼びかけ合う。 それが佐藤さんが今話したような循環とか支え合いとかの文脈で動いています。有松絞イコール産業とか伝統とかではない形の関わり方がそこにあるなと思っています。僕はこの企画はほとんど前には出ませんけれど、それは凄く面白いなと思います。 ![]() モスアリマツでの草木染の様子 後列左:浅野さん (浅野さんFBより) 佐藤:共有できる体験をつくり、共感し合える意識を作ってるんだね。絞りは一回性のもので繰り返せないけど、プリントできたとか繰り返せないように見えてしまう。縮退環境で製品を目指すと、共感の意識が醸成されにくい。そういう落とし穴を作っているのが、製品を達生したと思うので 浅野さんが語ったような意識しに到達しにくくなるんだろうね。 一品しか目指さない、それは工業製品ができた悪い面の力の反映で、秀吉の金の茶室のような、ここだけ、一品だけという意識に連なってしまうだろうね。一回しかできない染め方なんだけど、それを仕立てて一品だけ高価価値ある、という意識を有松絞りの製品のなかで転換できる企画を掘り起せるかどうか、かもしれないね。 浅野:苗配布し共有できる意識(有松・公共圏)の企画はすごく面白いと思います。それをどうやったら広く共有できるのだろう、そういう思いです。 佐藤:うんち絞りでもいい。餌となる植物や牛も毎日変化しているから、牛から日々排泄物の色も内容物も毎日微妙に違っている、うんち絞りの色彩の変化として現れる。ルーティンワークに見えるかもしれないけど、同じ色彩の絞りはできない。藍染の場合はなるべく同じ質に高めようとす技が評価されるのかもしれない。その後継としての工業製品でも同じ色をたくさん作り多量に生産し薄利多売で利益を得る仕組み。そこから目の前の有松を観ちゃうと、成功譚有松を一度なくす。一回しか出来ず、日々新しい絞りが出来続け循環していくんだ、という意識に変わると・・。 浅野:有松絞を百貨店とかで見ちゃうと一個しかない。だから、これが完成形だと皆思ってしまうんです。有松に来れば同じような物がちょっとずつ違う形である。一つ一つの絞りの違いを見ることができる、そこが絞り産地のいいところだと思いますよ。 魚も切り身で入っていたら、こんな物だと思ってしまうけど、一杯並んでいたら細部の違いや大きさの違いも理解できて切り身もいろいろだと思える。 佐藤:生産地に来るよさは同じ絞りは無いんだと、思えるようになる点なんだね。工業製品じゃない、揺らぎのオモシロさを有松に来て知ることができる。人間が工業製品じゃないので皆違う、そう自覚できにくい世から浅野さんは脱出しだしている。ここまで話をお聞きして、そう思います。 ■有松絞祭り 浅野:発注者側も工業製品を見る目とそういう思いになっているから、なんやこれ違うじゃないかと言って来ます。赤と緑の色違いだったら駄目だけど、濃い赤薄い赤の違を価値観として扱われていない。有松絞りを工業製品的な物の見方になってしまっているので、そういう声が出ます。 有松絞祭りは毎年6月に2日間、9万人来てます。買い物に来たり、地元の人たちは賑やかしで来ていたり、イベントがあります。広報部部長なんで祭りの広報をずっとやっています。情報発信をする時に産業的な手法、男性的なやり方だったら、僕も正直先が無いなと思っています。これからどんどん人が減っていくし、作る人が減っていくのに、こんな商品凄いですよ・・・と言っててたら、意味ないなと思ったんです。 一緒に入ってくれている女性のデザイナー、ディレクターの人が同世代ですけど、一緒に入ってやっていく。関わりかたのグラデーションをもっと増やしそうとして、そういう事を意識してやっています。 応援するのも一つの体験だし、絞りを体験するのも一つの体験だし、それを誰かに言うのも体験だし。有松絞りは浴衣なので、お祖母ちゃんの浴衣を孫に渡す。そういうのもある。新しい物を買うだけじゃなく、受け継いでいく良さを感じられるような情報発信の仕方をしていきたいと話合っています。 その時に横三、縦三、友達3人で違う物を選んで、縦三で親子三代で着て、ちょっと違うのかもしれないけど、同じ文脈の中で楽しめるような仕組みを情報発信側からできないですかね・・と、言っていたことを思いだしました。 僕たちも産地の時間の中で捉えたら僅かな時間しか同時態を共有できていないです。で、先代の人達の試みもあるし。これから来るであろう試みもある。いまはそれらを同時に考えなくちゃいけなから、意識し易くしてくれているのが産地の魅力だと思います。産地でやっているデザインリサーチャーがやらなければいけないのは、この部分なんじゃないかと思っています。 2026年のありまつ絞り祭りの様子を紹介する動画 佐藤:製品が完成に至るまでの小さな歴史のようなもとして捉える。それを忘れちゃっているんだね。だから整理 (有松レコードの整理技法)して始めるのが良さそう。 浅野:サンプルしか残ってないんだけど、これを見て皆さん発注するんです。このサンプルがどうやって出来てきたのか、どういうプロセスがそこに有ったのか・・・イメージがなく、この柄を作りたいです!になってしまうんですね。 佐藤:製品としてのみ、有松絞りを見てしっているんだね。有松の自然や地形そして有松の歴史との係わりから生まれてきた有松絞として見ていない。浅野さんの有松での挑戦は難しいけど面白いですね。評価もなく、お金にはならないかもしれないが興味深い挑戦ですね。 浅野:うんち絞りの体験をさせてもらった牧場に行ったときに、酪農家の放牧している人が、酪農の牛は数年で殺して肉にしたり、搾乳したりしてお仕舞なんだけど、その方は10年ちかく放牧していて、殺した牛は2,3頭だそうです。放牧牛はずっと生きているんですって。 普通の酪農家と言ったら酪農できる職種は2,3個しかない。うちには50個の仕事があるんです、と言ってました。牛と触れ合う、牛舎の傍で泊まる、うんち染めをする、山を一緒に歩くとかも。 僕が関りかたを変えようとした話の先進的な事例だと思います。あのかたの関わり方、人は減るけど仕事の量は増やせる、そういう発想はすごく面白いと思います! 奥様:もう7時ですけどご飯は大丈夫ですか。 浅野:そろそろ飯を喰いにいきましょうか・・。 二人は立ち上がり 近所のカレー屋さんに夕飯を喰いに行くのでありました。 以上で浅野翔さんと語るはお仕舞です。続きは次回聞き取り語りまでお待ちください。 |
![]() うんち絞り様子 浅野さんFBより |
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