| 佐藤敏宏 建築あそびin moss 有松 1 2026/8/22 |
作成:佐藤敏宏 | |
(その1) ■はじめに 名古屋市内に暮らす浅野翔さんを聞き取りするために8月21日夜名古屋入りした。彼の家に泊めていただき、21日夜に2時間ちょいで、大学を卒業してからのことを聞き取った。 翌22日は有松の町が招くような快晴だった。朝から有松天満社を登り下りしてのち有松重要伝統的建造物群保存地区を逍遥体験。午後は暑すぎたので中町の「山車小屋」に潜り込み避暑をしながら、喋りたくてしかたがない、が客が来ないから、退屈きわまっていたお爺さん受付の解説を聞いた。そばには夏休みの課題の取材中の小学生がいた。1時間ほどお爺さんの話に耳を傾けつづけた。3つの地域の山車の競い合い、それぞれの町の意気込み、山車裾の新調していること、衰退していく今後のこと・・・などを本当か嘘かわからないけど、熱心に聞いた。2階に上がるように勧められたが佐藤は店の旦那の視線を体験したくないので辞退し、座敷に飾ってある絵の解説を一人で聞いた。「中世の合戦場がどこだったのか分からない、今、言っているのは嘘だ・・・」という。そうだろ、平たんすぎて目印がなかった当時の人だって荒れ野に石碑を建てることなど考えもおよばなかっただろう。 このweb頁は、18時からは佐藤の30代(1980年代クロニクル)と40代(1990年代クロニクル)を語るように、と申し付けがあったので、6時30分ごろからノンビリ語り始め、しばらく話していると参加者自身がそれぞれの思いを語りだした。そのために開いた会なので、順調な滑り出しは嬉しかった。色々語り合った主な内容を記録した肉声4時間ほどの文字と絵などをまとめた記録である。(段取りは全て浅野翔さんが行った、感謝あるのみ。) ![]() 2026年8月22日PM6時頃 @moss ARIMATSU ■若者への手がかりが無い 情報交換できない 浅野:今、めちゃくちゃ悩ましいのは名古屋の20代30代の面白い人誰かいますか?と言われた時に、手がかりがインスタグラムしかない。検索がぜんぜん出来ないんだよ。だから彼らの様子は全然分からないんだよね。 谷繁:(僕ら世代は)Twitterに育てられたんで、インスタグラムは・・・。 浅野:今ほんとうにそうなんだよ。だから、ぼくのイメージでは居ると思うんだよ。僕らの採っている情報のコミュニティー・レイヤーと、20代の情報レイヤーがあまりにも違い過ぎて、あんま繋がってない。 佐藤:マスコミ人以外は人と人がつながる情報交換しかない。他者と出会って、そこで関係性を構築維持することで情報交換ができたんだと。野生的コミュニケーでのみ交流、いい時代に育っていたんだ、俺は(笑)。 先ほど谷繁さんから大阪圏において20世紀末建築好きな若者に影響をあたえていた大島哲蔵さんの話が出てきました。大島さんを知っている若い人が名古屋にいるとは驚きです。前世紀の大島さんと佐藤のFAX通信録はweb公開しています。 思い出せば、『10+1』が刊行されたばかりで、大島さんは原稿採用された!と、喜んでいる気持ちを著したFAX文などもあります。佐藤が送ったFAX原稿は残ってないんですよ(笑)。大島さんが発信した内容は全部記録にして残しました。2000年に亡くなる直前まで交信したり、棺桶に入れたり。実家にも書店にも行き来もしてました。 我が家に大阪圏の若い人を連れて来ていただいたときは「建築あそび」を開きました。彼らの作品紹介してもらったり建築情報を交換してました。当時はweb記録が無いので交換した内容は覚えていません。 関西に行くと実家にも書店の床にも泊めてもらった。浄土寺浄土堂や閑谷学校などに連れていってもらいました。 ですから、大島さんの洋書店に集まる大阪圏若者とも交流が始まりました。一部の人達とは今でも交流しています。彼は生命保険会社の重役の息子さんだったので、超金持ちボンボンなんだけど左翼的な活動をしてきたそうで、心に捻じれも持ってましたが、仲間からは愛されていました。彼が亡くなり大阪は沈没しちゃいました。私は2000年から東京圏の人たちと交流し始めるようになったのは、大島さんの死です。 参加者の誰かがやって来る。荷物を置いたり場所移動したりし始める 浅野:松田が僕を有松につなげた。 佐藤:皆さん、今日は来ていただいてありがとうございます。名前と住所をノートに書いてください。今1990年代の話をしていました。 浅野:1980年代からようやく90年代語り。 佐藤:俺はリアルな情報が豊かにある、幸せな場で生きていたと分かっりました。 |
![]() 『10+1』NO5 1996年5月10日発行 この本は大島さんよりいただいた。淀屋橋で洋書店「squatter 」を営んでいた。大阪圏の建築若者のたまり場であり情報発信源だった。佐藤が知る若者は現在、大学の教壇にたっている。 |
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浅野:ある種ネットワークに早く接続するとかじゃなく、情報交換がゆっくりしか出来ない、コミュニケーションだったり。 佐藤:俺が出かけたり、来てもらって、交流した人達の家にも相互に泊まりあっていたし。(俺の家はお前の家、お前の家は俺の家) 浅野:そこが凄いな・・・と思うのは今でも36年前でも、同じ様に泊まり歩いているし。 佐藤:その人の家に行って泊めてもらわないと地域の人々の暮らしぶり、一次情報は得られないので、文化状況なんて、紙媒体からはまったく実態は分からないですよ。人間の大方のことはその人が暮らしぶりに現れているし生活文化は地域から発するからね。 浅野:どれだけ、フィールドワークして現地を泊まったりとか取材したりしているか知らないけど。「渡辺豊和さんの設計した建築を見たいから・・」と言って建築家の自邸に2週間泊まります?!相当凄い。迎い入れる側も凄いなと思う。 佐藤:そうかね(笑い)無学なんで何もしらない俺40才だったけど。呆れられるかもしれないけど、奥様から苦情は言われなかったし嫌な顔はされなかったよ。「お前が一番長く泊まってた。」とは言われたね。(会場笑)俺のファンが来たと思ってるから嬉しく歓迎してもらえた。 当時は関西の三奇人(毛綱モン太・渡辺豊和・安藤忠雄)と称されていたし、鼻もつままれていたし。普通の人は訪ねていかないだろうね。 浅野:それを実行している、わざわざ手紙を書いて送って・・・。 佐藤:渡辺豊和さんの初期建築を観に行くので、当然、発注者とも挨拶したり長居して話合うから。苦情を聞かされても聞いていると、お寿司とかビールとか出てきたりもしたよ。 会場 大笑い 俺は渡辺建築の発注者の人に愛されたかもしれないね。それらを渡辺さんに包み隠さず教えてあげた。「渡辺さんあの発注者の方はこのように批判してましたから、反省した方がいいですよ・・」なんても伝えた。渡辺さんは喜んで聞いていたよ。自分に対する苦情を間接的に聞くために俺の帰りを楽しみに待っていてくれるんだよね。 (参照:)渡辺豊和さんは日本で唯一建築基準法を改正した建築家である。それは龍神村村民体育館(学会賞受賞作品)によって「木造建築の軒高9mと最高高さ13m」の法制限を撤廃したことで、後に続く巨大木造建築への道を拓いた。知る人はほとんどいない。 (2000年11月25日 我が家で開いた「渡辺豊和さんの記録へ12時間分」) |
宮城県白石市にある 渡辺豊和さん最晩年の「現代磐座」非公開 楽器のように音が生まれ響き合う場となっている 2021年11月20日撮影 |
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■松田考平さん自己紹介 松田:松田考平といいます。株式会社matomatoという社(HPへ)を代表しておりまして、仕事は建築設計と建築図面のアウトソーシング事業をメインにやっています。 佐藤:図面のアウトソーシングって内容はどんなものですか。 松田:ベトナムのホーチミン、そこにベトナム人のスタッフが60人ぐらいいます。クライアントは全て日本企業です。メインは木造住宅でして、日本の建売住宅とか注文住宅をやっているハウスメーカーさん、デベロッパーさんがクライアントです。 現在、彼らは設計者が足りてないんですって。ベトナム人のスタッフが確認申請とか基本図面を描いています。 佐藤:データを伝送して、オンライン会議などでやり取りしてできる世になってるからね。 松田:「遠隔でベトナム人スタッフを雇えますよ」というサービスを運営してるんです。 佐藤:そういうことか、で仲介料はちゃんと松田さんは取っているんですよね。 松田:そうです。マネージメント料としていただきます。 佐藤:賢いじゃないですか。 松田:ぼくは浅野君とは同級生で同じ時期に建築学科にいました。僕は大同工業大学で、誰でも入れる大学です。でも、ぼくもやっぱり雑誌を見て有名なアトリエ系建築家になりたいなーと憧れていたんです。 佐藤:建築系雑誌情報に騙され(笑)有名建築家像に憧れちゃっていたんだ。 松田:20年前には月5万円でもいいから有名な所で働きたい、と思ってました。 浅野:松田君はフラット─(大島さん洋書店・名古屋支店だった場が名古屋圏の学外ワイワイに変わっていた─のメンバーでもあるし・・・ 佐藤:俺は松田さんは殴ってないよね(笑 松田:殴ってない。 佐藤:俺がフラットで、暴れていたあの時に松田さんはいたんだ。 松田:居ました。 佐藤:懐かしいな。すまんことでもありました。 松田:僕はその先輩たちから5,6年下の世代なので。 佐藤:五十嵐太郎先生が中部大にいて「フラットという若者たちが建築あそびのような事を始めたから入魂してくれ、」と言ってきた。入魂しすぎちゃっていた。「ここの学生たちは、反応悪すぎるよ・・・」と。 松田:僕は五十嵐太郎さんが名古屋にいた時代に。 佐藤:中部大学の専任講師だったかもね。自転車漕いで遊びに行ったよ(笑) 松田:そう、若手に建築家としていた山田幸司という建築家。 佐藤:あ、事故だか自殺だか分からないけど亡くなったね。一度、東北大で会った。 松田:僕は山田幸司研究室の出身なんです。ぼくが大学4年生の時に・・先生は建築ラジオやっていて。大学の先生をやりながら建築ラジオもやりながら、SNSが出始めた時でした。建築家の人達も、良くも悪くも悪さができた社会でした。学生に手を出すとか、お酒呑んで暴れちゃうとか、大学の先生なんだけど、そういうのまだ残っていた。 佐藤:セクハラパワハラなんでもあった時代だったと。 松田:で、山田先生は真っ最中に亡くなっちゃったんです。 佐藤:酔って階段から落ちたのか、自殺だったのかどっちだったんですか? 松田:呑む人だったから「酔っぱらって階段で泥酔して転んで死んだ」って言われている。けど、恨みも買う人だったので。ラジオやったからそこで悪口も言ったり、暴露しちゃう・・・それももした。 同じ時期には今は更生しました、北川(啓介)さん(1974年生)。名工大の先生になってます。 北川さんも当時「もう一つの資料集成へ」という企画をやってました。僕らが建築学科に入ると青い資料集成をわたされるんです。そこにはテーブルは700で椅子というのは400という寸法が載っている。それをパロディって夜のお店の資料集成を作る。キャバクラとか風俗とか夜のお店の部屋だけど、どういう寸法で出来ているか。それをやっていたら、ちゃんと○○〇脅されて「お前何やってんだ!」と。で、ちゃんと数百万取られたという噂が流れた。北川さんは大同大で学生に●▽してしまい出禁になちゃう。 シーラカンスの出身なんで名古屋なんで宇野さん・・・今も宇野が大同大の教授をやっています。 佐藤:松田さんは今何歳ですか。 松田:39才です。 谷繁:大同大は今もシーラカンス系の人が多いの? 松田:伊藤さんという人が去年、シーラカンスは宇野研と伊藤研が。 佐藤:今まで交流は一度だけだったし山田さんのことは忘れてました。 松田:僕はSNSができる前に、ヤンチャな建築家たちが名古屋で居たときに学生だった。 谷繁:ヤンチャという言葉で片づける。(笑 松田:学校のなかでずっとサングラスしているんですよ。学生には「駄目だ」と言っても自分では煙草も吸ってます。スーツも着ないでギャルソンか山本耀司を着ている。 宇野さんは「俺らは社会でやっていけない、そういうのが嫌だから好きな恰好をしている。大学だからと言ってお前らがまともになれよ、とは言わないし、俺はここでタバコ吸っていても、公共の建築を請け負う仕事できるぐらい真面目に提案をして納得できるプレゼンするし。建築に本気だから。自分の行動を正当化するわけではないけど大学の先生だからって真面目にやらないですよ・・」というスタンスだったんです。 谷繁:後半部分が大事ですね。 松田:そういういい感じの中二病みたいな先生がいた。お、建築家ってかっこういいなと。 谷繁:でも大学で働いちゃだめじゃん。 松田:いいですよ、大同大なんて面接したら入れる。大同の建築学科というのは宇野さんという人がいて新しい校舎が出来て、一定の功績はあると思います。 ワイワイガヤガヤ 松田:そんな事をやって今はシーラカンス出たあとに独立して、仕事やっている。 浅野:建築はやっているんだけど、ベトナムの仕事もそうだけど違う側でやっている。松田君は2014年かな、ぼくが戻ってきたときに有松でファッションデザイナーの人とかが展示をしたときの、会場構成みたいなことをやっていました。 で、絞り屋さんとか藍染屋さんとか繋がって。「地元で困っている人がいるから会わない、」という感じで、有松に会いに行ったのが切っ掛けです。僕は今に至る有松での活動になる。 谷繁:有松って、名産絞り屋さん。 浅野:いやいや、伝統工芸士も絞りの人もいる。そうでない人もいる。牛乳絞っているから生絞り。 ガヤガヤガヤガヤ 浅野:絞り屋さんって何人いるか数えるのは難しいよ。で、ここmossを造るときは設計士は別の人が動いていて、松田君には内装を依頼。飲食店の事業とか内装とか、皆が関わる方法を考えたいから提案して、とお願いして。ここにある左官の壁がその実例です。めちゃ綺麗な左官の壁と無茶苦茶ぼこぼこの壁とがある。低い所が汚くっていい。上のほうばっかり綺麗にした。玄関周りはプロの人が仕上げているから、めちゃ綺麗なんです。 松田さんがマンスリーハウスを説明している動画 ■佐藤のイメージなど 松田:僕は佐藤さんのイメージは403の辻さんとよくイベントというか、辻さんは浅野君の2,3才上。 谷繁:名古屋工芸大で非常勤に呼んでもらったりした。今はやってないです。3年ぐらい呼んでもらって。他の大学で働いていたときも非常勤講師で事務所のCADで図面描いて、授業もやっていた。 佐藤:松田さんも辻さんと知り合いでしたか。 松田:学生の頃から面識はあって。辻さんは□ですね、アカデミックなんだけどバックパッカーみたいな建築家だよね。大学もチリに呼ばれて行ったり。その後浜松に行った。マテリアルビューローと言って3人でやっていて。彼らの活動を見て僕らは20代前半の建築学生とか若い人たちはインディーズですげーカッコいいことやっているなーと当時は見えたんです。 でも今思うと金にならない、あれは何だったんだろう?たぶん廻りの人もそう見ていたんだろうなと思います。ただ凄く大きいムーブメントのように見えていたが、そんなことは無く、小さいコミュニティーの中で一時のカリスマ性みたいなのがあった。 その上の世代に藤村龍至さんがいて。造ることと考える事を同じぐらいの熱量で両方をやっているみたいな・・。 浅野:辻さんたちがいた時代がギリギリ建築ノートという雑誌があった。そこに寄稿していたぎりぎりの世代なんですよ。僕らの世代になってくると雑誌自体が終わっちゃっていた。学生がテキスト書いてどこかに載せるということは・・・。 松田:新聞みたいなやつもあったよね。フリーペーパーで。 佐藤:ラウンドアバウトジャーナルで刊行したフリぺじゃないの?俺は彼らの内部に入り込んでただ見ていた。その後語り合ってあれは何か・・・の記録もつくってあるし、ラッキーな場に立ち会っていたかも俺・。 松田:2010年代は建築の読み物があったね。 浅野:『ネモハ』もあった。 谷繁:東北大は『ネモハ』か。 (参照*最後の印刷物として東大博士課程の学生が刊行し『エディフィカーレ(Edificare)』は1991年から1996年にかけて東京大学建築学科の大学院生(五十嵐太郎氏や南泰裕氏ら)が発行した伝説的な建築同人誌。) |
![]() 松田考平さんと |
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佐藤:今日は浅野さんを聞き取りしに有松にやってきたんです。浅野さんからは30、40代の事を語れと。だいぶ昔の話ですよ。谷繁さんの感想話を聞くと、おれはいい時代にいい場所、田舎で暮らしていたということらしいです。 谷繁:福島市という場所。東京に居るとわざわざ会いに来てくれない。(2026年)4月に名古屋に来たんです。そしたら東京の友達はわざわざ会いに来てくれるんです。隣のゼミにいた人が2年も会ってないのに、名古屋に会いに来る。新幹線の1時間半って大事だなと思います。「名古屋に来た、谷繁がいる会おう!」と。東京にいちゃうと隣駅にいても会わない。 佐藤:退屈だから色々やった。福島にいたから好かったとも思ってないけどね。 浅野:退屈かもしれないけども、東京でやるよりは福島でやるほうが事件性は高いというのはあるかもしれない。 佐藤;東京を脱出したあとなので、事件性などとは考えなかった。周りに新聞記者がいて呑み友になったので、活動してて良かったかもね。 谷繁:勅使河原三郎、と森山大道と東松照明の写真展、状況劇場と福島公演の手伝いをする。1980年代はアングラの全盛時代だ。 ![]() 1982年12月 福島市の若者たちと東松照明さんを囲んで呑み会 (長髪の佐藤31才) 佐藤:写真家では瀬戸正人さんの作品を買った。俺が死んだらゴミにされるかも、なので、3年前に県立美術館に寄贈しました。、内藤正敏さんの写真展は観ただけです、1980年代に会った表現者たちは困った人たちだらけだった。けど、二次会で呑みながら表現者の人間を知るのはオモシロかった。建築家系は困った人だらけだしね・・・一部の人以外には会いたくないよ。 2020年代に入り大島哲蔵さんの事を知っている人に会うのは今日が初めてです!。 浅野:そういう空間は今どこの空間にあるのだろう、それが分からない。 1988年6月4日 森山さんからの葉書 呑んで写真についてワイワイした。佐藤36才 |
![]() 2022年7月 瀬戸正人作品と佐藤 バンコク、ハノイより 福島県立美術館に寄贈 ![]() 1988年my建築内 内藤正敏写真展の様子 勅使河原三郎さんの練習風景 |
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(梅若能楽堂会館) 谷繁:大江宏が設計した梅若能楽学院会館というのがあります。そこで実測イベントをやりました。一回目は9月。小堀・・さんなどと実測イベントをおこないました。10月は能楽師の松山高之さんと、原たもりさんというベルリンで活躍していたダンサーの方、振付師の人を呼びます。そこで空間体験をする。2日間企画しています。 原かおりさんという建築家とコラボしてやっているダンサーに。10年前の方が分野横断的に色んな企画を組もうとしている建築家の人が多かったんです。10年たったら、それぞれの領域で閉じこもってしまって・・・。そういうカルチャーになりつつある。 15年ぐらい前は分野横断的に一緒にイベントやろうとか、もうちょっと多かったんじゃないかな、とついこの間話し合っていた。そういう事をやる人が建築界で減っているなーと。やんないといけないんだなと思います。 |
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■小出一葉さん(こいでかずは)自己紹介 小出(こいで):最近「おどり場」 (一般社団法人おどり場) 浅野:名古屋の堀那珂川運河の文化施設。 小出:隣の敷地に・・アートセンターと文化センターというのは、まだ事業計画が固まりきってない。ですけど、設計とか事業提案のようなものをちょっとずつやっている。けっこう幅広いんです。なんか、ギャラリー自体がいろんな企画をやっていて、アート系だけじゃない。落語家を呼んだりしている。色んな興味がある人は集まるんだけど限られた人間になってしまう。ワークショップをやろうか、とか。財源が少ないから、WSやるような設計やってます。 豊田市美術館でやっていた、会場構成もやらせてもらったりしています。静岡県立美術館ではこれからの・・私だけで。「おどり場」っていうよりは・・最初の話だと展示の話じゃなくって、美術館全体のサインであったり、替えたいんだよね、と。そういう相談から始まって、最終的に・・。計画だけじゃなくってサインもちょっと展示室に置いたり、デザインをいじったりして。いろんなメンバーで、設計だけじゃなくってデザイナーとか、それでやったプロジェクトもある。 その団体がなんで始まったかと言うと、自主企画で小さいサインのようなことをやりました。その時は3回期企画でした。1回期目は普通のこの場所ぐらいの展示から始まりました。そのテキストを書いた刊行物を印刷したこともあります。それらのアーカイブを2回目に郵送された内容を見て搬送することでした。3回期目が街に出て商店街を歩いたり。謎のエリアの回遊的な「おどり場」。参加している人達が展示して、それを回遊しつつ見る。 風景をテーマにし、活動しています。これからも・・・風景をテーマにしている人とコレクティブしています。 ■家賃も、いろいろ高い名古屋 浅野:名古屋も・・・メディアアーティストみたいなのがいたりし、個別ではいるはずです。出会う瞬間は限定的です。 南澤:有松・・・高いじゃない。 小出:電車賃が高いのは・・・ガヤガヤ 谷繁:有松は東京にくらべると、東京では200円、それが500円かかる。そういうことが大事な話なんじゃないか。名古屋と言っているものの範囲がすごい広い。 岐阜、富山、常滑、豊田がもうちょっと近ければ、ものづくりに近い町。アーティストが集まるし、建築家も集まるし。ものづくりに関わる人たちが林業とか窯業とか煉瓦とか、(関ケ原)石材とか、三州瓦の産地とかも。距離の近さで面白い物を創れる。名古屋はそういう可能性がある。 浅野:佐藤さんと有松をうろちょろしながら、有松は家賃が高い、という話をした。 谷繁:無駄に家賃高い。空いているのに高い。月30万円の募集だしている。空いてるなら10万円で出せ。会場うんうん。 浅野:今、30万円で出ている所が1年たって25万に下がって。 谷繁:まず10万円で出して、ちょっとずっ価値を上げて20,30万円を目指して行きましょうね、というオーナーさんが多いと。まずは安くして若い人に入ってもらうのが先でしょう、そう思う。 ここからは、自己紹介をまわしていきましょう。 |
![]() 小出さんと2ショット |
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■南澤智規さん自己紹介 南澤:名出身は名古屋大学の谷口研究室でした。当時は恒川先生もいて。大学院は東工大に行って。実家は関東の千葉です。 その後は組織設計事務所の昭和設計でした。会社の先輩と二人で大阪事務所で始め、今、僕は雇われている身分です。 佐藤:この時勢下で組織事務所を出て、個人事務所を二人で始めた理由はどいうものですか。 南澤:時勢は読んでいるわけじゃないんです。(笑)ずっと辞めたいと思っていました。 佐藤:組織を辞めたいのは何か不自由があったんですか。 南澤:いきなりアトリエ事務所で勉強するのは、初めに組織に行って5年ぐらいで辞めようかなと思ってました。入ったら仕事が途切れないから辞める機会がない。7年目ぐらいになって、現場もすべて終わる時が来た、よし辞めようと。 佐藤:7年間!辞めるタイミングを見計らって暮らしていたんですね。 南澤:辞めるのはここしかないと思ってると、先に辞めた先輩から声が掛った。辞めたのに高知の図書館の仕事がありました。で、しばらくは喰っていけるなと思った。 佐藤:組織事務所で働いていると地方行政が発注する公共建築の設計仕事の取り方を学んでしまっていますからね。 南澤:そうです。 佐藤:個人事務所で設計は最優秀で実施設計など取っても、政治的な(首長)意図でぽしゃる場合もあります。どう考えてどう対応していたんですか。しょうがねーな・・で済ませた? 南澤田:しょうがねーな。 佐藤:福島県内では2000年ぐらいまではオープンコンペが盛んでした。後のメンテに東京事務所は経費が高すぎるということにもなってました。 福島県内では代議士の秘書して行政に上から顔を広めて知ってもらい仕事を取る。そういう経営手法というか自らを守る防御処置法はあるんですか。 南澤:ふふふふ、それはさすがにできなかった。 佐藤:独立したてで現金資源が無いんで、政治家に撒く金がないと。 南澤:辞めて分かりましたけど、プロポに出せる参加条件が無いことが多い。出せたとしても参加のハードルが低いので競合相手が多い。だから数を撃ちまくってやらなければいけない。会社始まって1年間は撃ちまくるそれをやっていました。とにかくコンペに出しまくっていた。勝率はまったく上がらない。 佐藤:福島県では県発注の仕事などを請け負うために設計協同組合という天下り組織があります。組合と競合するはずです。がオープンコンペは少なくなるでしょう。 福島県の場合は、後の補修工事監理のことを想定していて、地元の設計事務所と東京の事務所の共同企業設計体をつくり請け負わせていますよ。それがコンペ条件だったりする。地元建築士になりすます東京設計者も現れていて(笑)。建築課の職員と知り合いなので、彼は怒っています。 岡松愛子さんが入場参加する 浅野: さっき言っていたフォトグラファーの松岡さんです。 南澤:今は二拠点です。 佐藤:南澤さんは暮らしの拠点は有松ですか、大阪ですか。 南澤:暮らしの拠点はこっちです。たまに大阪に行って意思疎通をしてます。 佐藤:オンラインで打合せできるけど、大阪にも行くと。 南澤:二人だけなんで、しかも会社員時代から知り合いなので、お互い仕事の仕方は分かっている。 佐藤:気の合う仲間で経営しているんだね。工事費はどのぐらいの額なんですか。 南澤:高知はめちゃくちゃ安くってしかもJV。同じ元・昭和設計出身で独立した事務所と昭和設計の時から付き合いのある地元の設計事務所と三社JVです。赤字でした。 佐藤:赤字?! 南澤:高知駅から車で2時間ぐらいかかる場所です。交通費がかかる(笑) 松田:三者等分ですか。 南澤:ほぼ等分でした。プロポ審査員(正確には設計アドバイザー)は赤松さん、審査後も設計アドバイザーとして入ってくださって。ほかにもいろんな専門家が関わっており、これはすごいのができるぞと・・・儲けを無視した作品を作るぞ(笑)と割り切って。 谷繁:高知はいい公共建築が多いですから。 南澤:よい意味で行政が任せる感じ・・。 谷繁:最近、四万十市に硬派のいい劇場がある。四万十市10万人なのに、こんなデカい劇場、成り立つのか、ちょっと不安になるぐらい大きい。 佐藤:どうしてそんなに田舎の行政に金があるのかね? 谷繁:金は無い。先を見てないだけかもしれない。逆に言うと人々が移動し合う、香川には行けないんです。大きな箱が無いと人が来ない。そういう状況にあります。図書館とかも。 佐藤:完成は何時なんですか。 南澤:その図書館は完成しました。朝ドラの・・・・。 谷繁:牧野富太郎が生まれた酒蔵があるんですよ。富太郎は酒蔵の息子なんです。 南澤:佐川町の図書館には植物学者・牧野富太郎の資料を展示するコーナーとかもあります。 佐藤:7年間かけ辞めて、コンペで仕事取って赤字とはいい根性ですね。 南澤:ただ、次のプロポにその実績が載せることができるメリットはあります。 佐藤:血を吹き出しながら仕事をしていると。真剣勝負だな。子供も生まれたので死ぬわけにもいかないよ。頑張って仕事取り続けて生きるしかない、追い込んでますね。いいですね。 南澤:バランスとりながらです。 佐藤:責任背負う方が力が出せると、面白いね。 |
![]() 腕を組む 南澤智規さん |
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■岡松愛子さんの自己紹介 谷繁:岡松さんはどうですか。 岡松:今日は夫は予定がありまして・・・。 佐藤:フォトグラファーで、何の写真を撮っているんですか。 岡松:建築なんです。名古屋だといろいろな写真とかが多くて。農業の取材とか(微笑)いろいろやっています。 佐藤:独立され一人で写真家をしているんだと。 岡松:そうです。 浅野:基本的にぼくの飲み会の特徴は、僕は全員知っているけど、参加者どうしは「初めまして」が多い。 谷繁:小出さんがオドリバを紹介し。 小出:瀬川さんのやっている場で・・・。 岡松:瀬川さんは新年会議で・・・。 浅野:これなんだろう。小出一葉さんはぼくと同じで国際芸術祭「あいち2025」のラーニングで一緒でした。岡松さんにはラーニングの撮影の一部をお願いしました。 佐藤:今回有松に来たのは、浅野さんのその後を聴きとるのが目的です。浅野さんからは人を集めるから、お前の30,40代を語れとの注文もいただいたんです。今までそういう注文無いですよ。だから有松の他の人に出会える、オマケが付いたのが今夜この場所です。皆さんの自己紹介を聞いてて思うけど、定期的に集まってワイワイすべきでしょうね。 浅野:そうなんです。 佐藤:目的もたず設定せずに集まって語り合う。 谷繁:「建築あそび」に限らず、学生時代に年間、東京で建築家とか若手のアーティストか、博論書いたばかりの若手の研究者とかを呼んでました。月に一回。学生を集めて話してもらう会をずっとやっていました。そうしていると、みんな忙しくなって執筆時間がなくなる。 佐藤:月一はやり過ぎかも。(笑) 谷繁:今日はオンラインつないで、やっていました。とにかく執筆時間を確保する。それを学生時代はずっとやっていました。その前にウルトラスタジオ。今売れている建築家の語りを4,5年前に聞いていた。それを今もちゃんとやらなければいけないなという気持ちと、名古屋市立大学に着任(2026年4月)してから学生の ・・・びっくりした。芸大とか東大とかですと、毎週のようによく分からない会があります。 浅野:どうなるか分からない建築家の卵にちょっとだけ喰いぶちを与える。 谷繁:建築家の話を聞く会は名古屋だと半年に1回。 浅野:で、大学内で閉じているし。 谷繁:授業で閉じている。これは拙い!なと。学生の日常が就職情報以外なく、よく分からない建築家がなぜか分からないけど来ている状況を見せたい。 浅野:大同大学は松田君みたいな分からない奴がもそもそしていて。 松田:わが社に新卒でスタッフが入ったんです。金城出身なんです。名古屋の三大お嬢様学校です。 ガヤガヤガヤガヤ 有名じゃなくっても自分のところに建築家いるの知らない。 南澤:今は兵庫で現場が始まっているんだけど遠い。 ガヤガヤ ガヤガヤ |
![]() 写真家岡松愛子さんと |
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■有松絞り祭りの会場づくり 浅野:南澤さんと奥さんが有松の絞り祭りで空間構成をやってくれました。その会場の写真を岡松さんに撮っていただきました。 話が行き交い、にぎやかになる 佐藤:福島市から来ても有松は泊まる場所、浅野さんの家があるので宿の心配ないんです。 岡松:そうなんですか。 浅野:昨日から泊まってます。 佐藤:有松には長期滞在できると分かりました。MOSS有松には厨房機器があるので、飯炊き爺さんしている俺にはいい場所ですね。この床に寝てもいい。長期滞在し名古屋圏の聞き取りや観察はできる。そのことも分かりました。以前、友達で朝日新聞の記者が名古屋勤務だったので、彼の家に1週間とまりつづけ、堀川めぐりや、遡上し矢田川の取り入れ堰もみました。名古屋地形とスクウォッターの方が育てていた歩道植え込みの野菜を見てあるきまして、名古屋都市農園などはおおよそ体感してます。 この会場、場所の借り方どうなっているんですか。 浅野:ぼくが運営しています。 岡松:浅野さんと佐藤さんはどういうご縁なんですか。HP見たら2010年位に京都でお会いしたんですか。 佐藤:そうです。京都の知り合いの一軒屋を会場として、俺の家のように色んな人を集めてワイワイした。そこで語り合ったんです。彼の肉声を文字にして公開しています。 岡松:京都でしたか。 佐藤:浅野さんには京都で2009年12月に初めて会いました。浅野さんは学生でした。が、京都版建築あそび、その会場になぜか来ていたんです。誰が呼んだかは知りません。当時、彼はTwitterを使いこなし情報発信している若者でした。米国では2007年頃からTwitterは使われていて、その中身は離婚家族同士で罵倒し合う(笑)。早稲田大学のジャーナリズム研究所の授業でSNSに関する米国の現況が講義されていたので文字起こしもし、本も刊行を手伝いました。2年後の京都ではTwitterは浅野さんだけ使っていました。いわゆる津田大介信者のツダル人でした。 その会合で、浅野さんは大人たちにいろいろ突っ込まれ、いじられていましたので、聞き取りの最後に12時過ぎの真夜中から、浅野さんを聞き取りし始めて浅野さんの聞き取りWEB記録をつくり公開しました。また聞き取りしようと思い、誰にしようかと思い、浅野さんを思い出したのです。あの続きを作るために17年ぶりに浅野さんを聞き取りに来たんです。 (注:浅野さんとの語り合い記録は間もなく完成します。) 岡松:福島からみえたんですか。 佐藤:はい。20日に福島の家を出て、上野の路上で偶然であった30才前の建築家夫妻の聞き取りして、浜松市内の宿に泊まりました。21日は秋野不矩美術館に開催中の中谷ミチコさんの「影とぽっこり」という傑作を観て、天浜線に揺られ豊橋に出て、鳴海の浅野さんの家に泊めてもらいました。 今日は朝から伝統建築群、建指定地域の空間に身を浸して、有松を体感しました。夕方会場にきて少し語りまして、今は参加者各自の皆さんの自己紹介になりました。面白そうな人がいたら、時々来て継続的に聞き取ることもできるかな・・と思ってお聞きしてました。 東京発の建築雑誌やマスメディアに浸ってしまうと、あれは二次情報なので脳みそも体も犯されます。そういう情報は見ない触れないで、足で見るのが好きなんです。そして自分にとって必要な情報は自分の足で探す。それだと、偶然、ナイスな人に会うから不思議です。この方法は昔から、いいと思いやってます。 |
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■ 小学校での有松絞りのイベント会場づくり 谷繁:南澤さんは屋号はあるんですか。 南澤:屋号はこれから決めます。野望だったら、今は事務所は大阪ですけど名古屋支店を作って東海地区を中心に仕事を取れるようにする・・・ですかね。 岡松:南澤さんはご夫妻で仕事・活動されているんですか。 南澤:ゆくゆくはそうしたいな・・・と話しています。今は妻とべつべつに仕事しています。 谷繁:設備設計している。今、設備設計士みつからない状態です。 南澤:いま、兵庫でやっているキャンプ場。それの設備は妻の事務所で担当なんです。 谷繁:ぼくの案件で設備士みつからない時はお願いしていいですか。(笑) 松田:岡松さんは鈴木・・さんが旦那さんなんですね。それはそれは・・。 浅野:俺らは学生の時からの知り合い(笑)。 南澤:電気設備士、だれか見つからない?、って皆に言われる(笑) 浅野:このスライドは有松で今年の6月に南澤さん夫妻に会場構成をお願いしたものです。小学校の体育館に天井に二重リングその下にブースとか、いろんなことをやっていた。 谷繁: ・・のこと知らなかった。 浅野:普通は知らない。木綿の産地の事、知らない。織物の工場がありました。そこは僕らが仕事関わっているインフレンサーのかたに、「どういう仕事ができますかね?」。ここはみんなが飯を喰っている。 イベントの様子をスライドを観ながら説明している 南澤さんが造ったリング越しに見る。来客や参加者が写真を撮る背景としてもインパクトがある物が欲しいので、その話を伝えました。これもなんだろうな?「小学校の体育館だから、時間制限もあり金曜日の午後に設営をして、」みたいにしてもいいかも。時間制限もあり金曜日の午後に設営をして、土曜日朝までに展示を作る。なかなかキツイ時間割でした。 南澤:設営時間の制約がきつい。それと、いかにも「小学校の体育館」という雰囲気を消したい。これらを少ない手数でデザインしたいと思いました。 ガヤガヤ 浅野:これもよく覚えていないけれど、隠すというよりは縁を切るような感じです。生地を下げて作れたらいいなと。有松絞はプリント生地と比べると不思議な技術。と間をカットしようかな。 谷繁:有松絞りを選んで着る人って上品。 浅野:そういうものあって。でも皆の中で憧れなのか、こんな事も出来るんだ!みたいな事を、いいバランスで。派手でもあるんだけど組み合わせることによって、マッチング出来た、という達成感もある。だから皆、楽しんでくださっている。こういう空間を作って・・・と南澤夫妻にお願いしました。このリングは果たしてできるんだろうか?夕方みなで行って組み立てた。 南澤:毎週会議には参加していた。一反の木綿地は約12mの長さです。そのまま吊るして。それを4枚重ねています。絞りというテーマで繋がっていて、色々な光景の中で着ていく魅力を一つにつなげる、そんなイメージでグルりと木綿地で作れたらいいなと。 ガヤガヤワイワイ 浅野:体育館の2階に手すり吊っている。ここにワイヤーを通した。 南澤:ワイヤーを吊り点にし12点吊り。背景が蛍光灯なので煩雑なので、ワイヤーとかテグスが背景に紛れて消えて見えます。 浅野:水平にならないので、皆で作業した。 南澤;リングに一斉に固定し、キャットウォークから吊り下げた。最初針金でやっていたんですけれど、形がかわるので、木の棒に変えた。900の長さ5�o×30�oの木の棒を互い違いに接着して。自宅の風呂場の浴槽で水につけて木を曲げ加工した。 会場 笑 お風呂入れない フフフ 浅野: どうしようか、と思った。万博は大屋根のリングだけど、どんな名前にするって(笑い)上から見るとこんな感じです。(スライド絵で説明)」 南澤:多少は歪んでいるんです。 浅野:人が入った写真が印象的です。絞りの浴衣着ている人と、それを集合で着ている人達がたくさん居る。そうそうこのように見る機会はない。うさこまさんの回は人の数が凄かったよね。 岡松:そうですね。 浅野:この辺りがぼくと一緒に絞り祭りをやってくれる広報部の女性2人です。出展者の中には依頼していないのにYouTubeで開催前日に投稿してくれて。有松絞り祭りはこんなんですと。 最初の一年目は展示を手伝ってもらった、企画を一緒にやった。二年目の時は着ている メーカーさんと一緒に作りませんか、という話になった。 僕はこの時間帯はこの場に居られないぐらいに、あちこちで色んな事が起きていたので、写真を見てから、「こんなに人いたんだ」と驚いて。 岡松:居ました。 浅野:最初は絞り屋さんたち実行委員会が自分たちで展示をしていたらしい。今では一緒に有松絞りを盛り上げてくださいと、協力してくださいと頼んだら前向きに参加してくれた人たちがいる。 谷繁:同じ絞りの浴衣を着た人たちがこんなにいたら、それだけでイベントだ。 浅野:そうそう。みんな仲良くなってネットワーク作って。9月には130人ぐらいでツアーしてくれたりした。初めて見る人たちがあんな着こなし方があるんだ、と言って。じゃこんな事やれたらいいな・・・とも言ってたりした。 絞りを実演してくれる人が居たり。織の様子を説明するおばちゃんが居たり。 こっちでは藍と木綿の苗を配布している人達がいて。100苗ほど毎回配っているんです。そういう事もやってます。 |
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■ 修理修繕研究 谷繁:今、修理修繕研究会というのを個人的にやっています。京都のみったんという人にインタビューしたんです。個人的な事業を作るために、風土とかガジェットとか建築を修理修繕しながら、長く使い続けるために、たくさん取材したり。 みったんさんが言っていたのは直しているところを見せたり、ものづくりは見せることが修理修繕とかを普通にやる社会が一番すごい。 これは修理している絵です。ラーニング、破れたところを直す技術、それが付加価値に繋がる。そういうのをちゃんと調べたい。ぼくもラーニングを勉強している。 浅野:ぼくもやりたいです。この中でやり始めたのは、穴の開いた靴下を縫うこと。靴下履いていると、家系的に靴下に穴が開き易い。 会場わらい 指が長いのか、爪が固いのか分からないけど。5本指でも親指部分が直ぐ穴開いてしまう。爪切ってて、本当に酷いときは2回しか履いてないのに穴が開いてしまった。 メーカー品なのにな・・・ 会場 わらう 1:00:00 その後3時間ほど語り合いは続く 記録作成中 |
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