大室佑介入門     私立大室美術館  2025・5・17 作成:佐藤敏宏

私立大室美術館に多くの来館者があるという。その人達はどこから、どんなことを思いもってやって来るのだろうか、雨の土曜日で電車の駅からも少し遠い場所に。佐藤はそのことも知りたいし、来館者が語る大室美術館には10年間の蓄積でできた、もう一つの大室美術館が立ち現れるようにも思えた。そこで今日の来館者全てに声をかけ、聞き取りを実施した。これらの記録にはこの日だから発せられた館長さんなどの肉声も加えてある。
2025年5月17日雨でゆったりしていたので多くの肉声を得ることになった。それらを要約するのは困難ではない、簡略化は後にできるので、まま保存する。一期一会は瞬間かもしれないが、webでやって来るかたにとっては大室美術館についての永遠の言葉になることもある。



来館者に聞く その1 「松坂からの夫妻

来館者と語る大室美術館

佐藤:こんにちは、私は大室さんを15年おっかけし、聞き取りしている老人です、福島から昨日きまして、話を聞いたり家屋敷を体験したりしてます。ご夫妻は今日、最初のお客さんですので、感想などお聞かせ願いますか。



夫・客妻:
ははははは。 
馬鹿爺さんが現れ話を聞かれるのは愉快だ・・美術館で聞き取りされるのは初めてなのでうれしい・・など、複雑な感情は一気に笑い声になり佐藤は受け入れられた。

妻:今日初めてこさせてもらって・・・松坂からきました。
佐藤:雨も降ってます。話は長くなるもんで、お茶もお菓子もあります、召し上がってください。
大室:このかた、昨日来たんですけど、滋賀の区民館とカフェが合わさってる所で待ち合わせをしまして、気づいたら地域の俳句の会にまざろうとしていた(笑)。

妻:私は大室さんというよりは沓沢さんの知り合いです
佐藤:作家の話はまだ聞いてないんです。お会いしてもいません。作品から母親の視線を感じるから、女性作家なんだろうとは思いました。
夫・妻:そうですね。

佐藤:今日は雨音が響くから、作品が本当に生きているみたいで、動物の作品を観るにはいい日ですね。
妻:前来たときにはこの路は通ったりしましたけど、ここに美術館がある、ことは知らなくって。
夫:沓沢さんの展示をする!っていうんで、そんなら行ってみようか!」ということで・・。
:(館長が)建築家さんということも存じ上げてなかったのです。建築をお好きですか。
佐藤:はい!元建築家と言われたりして各地の若い建築家の話をずっと聞いて生きてます。
妻:15年追っかけてみえるということは、凄いですね。

佐藤:そうでもないです。大室さんは私立美術館を運営され、美術作品に理解もあって、設計事務所で儲かっているわけでもないので、無理もせず、楽しむと言うのは変だけど、普通に暮らして生きている。やっているぞ!感をだしてない。美術館運営が生活の一部になっています。
これからの若い人たちで、成熟した日本の後の、生き方みたいなものを体現しているんだな、と俺は勝手に思っているんです。日本の建築家で私立美術館を運営している人は一人しかいないと思います、俺が知らないだけかな・・。賑やかな町中で美術館とか、路上で展をする者はいるんですけど、それらは見え切ってみせるぞー!という姿勢だったり、作品を販売することが目的です。主催者は仲介手数料をいただき運営しているんでしょうね。大室さんは経済生活とあまり関係ない特殊な美術館運営活動とその場を見せている・・・そう思うんです。
自分で古い建物を修繕したり改修したりして。分館もつくり、アーティストレジデンスも改修工事して運営しようとしてます。それらは全て既存の古い建物を使っています。美術館だと言い張っているわけですけど、中に入ると美術館になっている。

佐藤は大室さんの活動を伝えてみたが情報量が多くて理解されてはいないだろう、と思ったが今日の役割である。

妻:はい、すごいと思います。
佐藤:初めてこられたそうですが、美術館内、綺麗になっています。ここは元・工場だったそうで、床は古いまま使っています。分館はいかれましたか。
夫・妻:今から行こうと思ってます。
佐藤:分館は建物が2重になっていて、真っ暗なので、最初なにも見えないですよ。暗さに眼がなれて、見えてきます。
妻:感性がすごいでしょうね。
佐藤:どうですかね、美術館を作りつづけて、運営することも好きなので、生活と区別できない人は大室さんのような暮らしになるんでしょう。大室さんらしい生き方なのでありのままですよね。
妻:大室さんの代表的な建築物はなんですか。
佐藤:大室さんは従来の建築家像とは異なるから、代表作はこれですとはまだないと想います。生活と彼の行為全体としての、私立大室美術館群が代表作です。新築物件で建築家として見栄を切る人ではないと思います。失われた30年後の日本に現れた建築家です、・・・強いて言えばですが。

妻:大室さんは若いですよね。
佐藤:40半ばです。
妻:25才ぐらいの時からおっかけているんですか。
佐藤:大室さんは建築系の学生が卒業するときに制作する卒制。その作品全国コンテストは仙台で開催されるんです。そこで日本一位になってしまった学生さんでした。その時は鼻っ柱が強くって建築家になるぞ、という意気込みが強かった、と想います。ずっと見ていると建築家界の空気があほらしくなってきたんでしょうか、生活と表現を一体となした暮らしそのものが大室さんの建築ということでしょう。そう思って見てもらえれば私は嬉しいです。
長年、FBで見ていて津市に引っ越してきて10年。美術館を開館し、庭園美術館、分館、そして人が宿泊して制作できるレジデンスも併設する場へと増殖してます。作品を作りながら、地域の人とも親しく交流し、作品も鑑賞できる場つくりをされています。

大室美術館を知らない人に聞き取りを始めてしまい、大室さんの解説をしてしまっている佐藤。この反転は予想外だった、沓沢ファンである方が来館されたのだから、仕方がないことだとも思った。

妻:地元がこちらということなんですね。
佐藤:大室さんの地元は東京です。10年住んでてそういう空気はあります。
妻:東京のかたなんですか!どうしてここの地を選ばれたんですか。
佐藤;奥様もアーティストですが、奥様のお爺ちゃんの家を10年前に引き継いだんだそうです。
:こちらに縁があって来られたと。
佐藤:そのようです。作家ですから、作品の制作は広い場所があれば山の中だろうが都心だろうがどこでしてもいい、場所が広いほうがいい。東京は土地代が高い、無理して大都会で制作する必要はないんでしょうね。
夫:そうですね。
佐藤:東京都心で美術館、庭園美術館、分館そして住宅を持つ事は大作家といえども不可能でしょうから。
妻:そうですよね

佐藤:この辺りの土地の値段は知らないですけれど、家屋敷、制作する場、暮らす場、美術館をもつ贅沢な暮らしができています。今日は雨なので小さな小屋ふうパビリオン展示ケースは並べられないので残念です。雨に影響をうけて展示したり、しなかったりと自由に自然と対話しながら運営ができるのも私立大室美術館ならではなので、いいですよね。

夫:受付にあった小さな小屋ですね。
:お天気よかったら素敵でしたよね〜!

佐藤:そうですね、雨の日もいいです。雨音と一体になって鑑賞できますから、晴れの日にまた来ていただければと思います

夫・妻:はははははは

佐藤:松坂からは近いんでしょうから、友達さそっていただき、庭園美術館に敷物をならべて、ランチする、それもナイスだと思います。お茶もでてますので、喫茶室にいかなくっても済みます。虫もいますよ。
夫・婦:はははは。

佐藤は頼まれたわけでもなく、大室美術館への誘客をしてしまう。初来館者には迷惑だったかもしれない。

佐藤:俺の感想ばかり言っててもしょうがないですね。最初見て、なにこれ・・・と思われたでしょうか・・

夫:どこにあるん??美術館って。ここってナビで見ると、家のところが美術館になっていて。これ普通の家やよ!って・・はははは。
妻:案内してもらって。
佐藤:普通の民家で美術館やっているわけないだろう・・・・と、思いますでしょう・・ところが内部に入ると美術館!

妻:私的っていうのも凄いなと、自分で運営されている、っていう美術館も凄いですね。私立美術館だからどんな感じの美術館なんやろう、と思って。沓沢さん、私はファンなんです。
佐藤:そうでしたか、今回の展示作品は沓沢さん奥様の作品だそうです。旦那さんは料理人をされ、近くにお店をだされていると聞きました。
水木の方で、日本料理屋さんですね。

佐藤:知り合いの料理店の奥様が作家である、というのもいいですね。大室さんの暮らしぶりを見ていると家事の時間も多いです、昔の主婦役もやってますからね。それで館長さんです。美術館と生活、二つが一体になっていて暮らしていまして、いいですよ。一つの職業で社会に打って出るぞー!ではないんです、総体で大室さん。生活の場の一部を解放し見せてくれる。大室夫妻の生活知ることで、美術と暮らしと地域の深い関係が分かる、その場所になっています。その点は新しい試みだと想います。招いている作品もそういう作家が多いんじゃないでしょうか、詳しく調べてないですけど。沓沢さんの作品は庭園美術館に置いても、違和感がない。雨でぬれるほうがいいかも、と勝手なこと言ってしまいました(笑

妻:そうですね。
佐藤:沓沢さんは料理店を営みながら動物とともに暮らしている、ことは想像できます。彼女の日常が芸術になっている。それを分かりやすくするには、美術館に生きた山羊をまま展示してもいいですけどね。
 共に笑う
夫・婦:自分とこで山羊飼ってみえますね はははは
佐藤:山羊を放し飼いにして、餌をあげる展示もいい・・・抽象度あげたほうがより美術作品として作家は表現しやすいのだと想います。
:そういうところからインスピレーションを受けて、作品を作ってらっしゃる。
夫:動物の陶器の器とかも作ってらっしゃるんです。蓋に可愛らしい動物がついているんです。
妻:そういうところも通ずるところがあったり・・・。

来館者に沓沢佐知子さんについて詳しく、教えてもいただきありがたい。作家と鑑賞者関係の成立の一例をお聞きしているようなきがした。アートの入り口はどこにでもある、その証かもしれない。

佐藤:屋内に展示している、水たまりや水滴がおちている作品も並んでます。俺の勝手な解釈ですけれど、生命礼賛、命や暮らしと連動した作品ですよね。命の原点である水たまりのような作品も置いてある。雨が強くなって雨音がはげしい。建材がぼろぼろになっていったり、雨音が激しくなって融合すると、作品がより生き物らしく輝きを増すよう見えてきますよね。
:そうですね。
佐藤:展示室の中は雨音に誘導され、自分も幻想の世界に立ち誘導されていくような錯覚がうまれます。
妻:そうですね。
佐藤:沓沢作品は、晴れている日に鑑賞するよりいいのではないでしょうか。でも、雨の日に偶然来館して生命が輝いてよかったと思いました。
知り合いに教えられて夫婦で来てみればぼろ屋?と家、なんじゃこれは民家じゃないかい、と驚きますよね。沓沢さんの藝術作品は知っていたんですか。

:知ってましたけど、だいたいギャラリーに置かれる作品を僕らは観に行く。そういう感じだろうと思いながら、ここに来たもんで・・・・

夫・婦ではははは 大笑いしている

え!これ・・あれと思って、まず沓沢さんは陶芸家やと思っていたぐらいですから、完全にこれ観る、と芸術家さんじゃないですか。陶芸家やとおもっとった!先入観があったもんで。

夫妻は沓沢佐知子さんを陶芸家とお思っていたと告白している。アーティストで作品を制作する女性だと初めて知ったように驚きを隠さなかった。

佐藤:陶芸は日用品で売る、ここに展示されている鹿と山羊はアート作品で、制作者の内部は分離されていないのですね。が、見る側はそうは思ってないので、料理屋の奥様と分けて見てしまいますからね。彼女はそれら、すべてを生きている女性なんだろうけど。
妻:たしかに彼女をそれぞれ分けてみえますね。でも、この場所やからと、沓沢さんもこういう作品をおかれたのかもな・・と思いました。

沓沢さんは大室美術館の環境に合わせた作品を制作したのだろうと、奥様は言い出した佐藤にはそれは分からない、なぜなら会って聞いてないし。脱近代、いわゆる目的合理を生きていない、彼女にそこことを確認していないからだ。

佐藤:それは大室さんの誘いかたがうまいのかも知りません。次回、沓沢さんにそのこと、この会場に合った作品を作ったのか、とお聞きしてみてください。
妻:沓沢さんの本当にやりたいことが、ここで爆発しているような気がします。

奥様は沓沢佐知子さんの深層を観てしまったような、爆発という言葉を使った

佐藤:この場所で作品を見る方が作家の暮らしなどとの距離も、作品との距離も近いです。都心のピカピカの美術館内で観ても多くを理解はできると思います。大室美術館は作家とも自然とも境界がない、少ない、境界は刈り取られて生き続けている場で、そのまま観ることを強いています。で、ここは作家の違う面を見ている、そういう思いを鑑賞者に与えるはずです。それが大室さんの思いに有るし、彼の技の一つでもあると思います。

:そうかも知れませんね。作家さんもギャラリーさんに合わせた作品を持っていかれたりするので。京都のギャラリーでやられている時は、お茶周りでした。
佐藤:お茶周りも京都に観に行きましたか、さすが沓沢さんのファンですね。

:(ほほえむ)お茶周りの片口とか、椀とか多いんです。ここ大室さんから頼まれたというのは、まさに沓沢さんにある芸術魂的なところとの兼ね合いで、今回、こういう作品展になったのかな、と思います。

佐藤:なるほど、大室美術館に来館され、沓沢さんを再発見されたわけですね。
夫妻:そうですね〜。
佐藤:本当は沓沢さんはこういう人だったかも、と再確認。日本料理店の裏方さんかと思っていたが・・。
:器とか、我が家にも何個かあるんですけど、質感とかそういう部分はまったく、こんな感じなんです。カラスが載って居たりとか。
妻:ちょっと草っぽい物が中に混じっていたりとか。

夫は自宅にある沓沢さんの器と大室美術館に展示されている作品の共通部分について気づき、語りだした

佐藤:土の中に水たまりですよね。土が天然の器。
:今回そうですよね、凄い!
佐藤:だれでも見ている、土の器。水たまりを抽象化して大室美術館の屋内に展示してあります。
:それを表現されているってことですよね。
佐藤:素材は現代のものですけど、水と土の関係を抽象度をあげて見せている。ちょうど大室美術館とは逆ベクトルです。ふさわしい作品の並び、苔も敷いてあります、都会の美術館にいくと違う展示方法で、見せかたを工夫しなければいけない。
:たしかに、ギャラリーさんの意向もあるでしょうしね。
佐藤:大室さんが作家の本来、本質のようなものを引き出すために、美術館を運営しているのは理解できますでしょう。大室さんが都会のようなピカピカの美術館して運営していたら、作家たちは誘われても今回のような作品は来ないでしょうね。ここで、売ってもいるのか??わからないです。
夫:ふふふふ
妻:大室美術館というところが、こういう展示になるのかもしれませんね。ギャラリーさんですと器を販売しすることもありますけど、ここは美術作品として見せる

佐藤:入館料300円ですから、みえをはらなくっても済むようにしている。
そういうことを思うと、すごいですね。
佐藤:そうですね。大室美術館のファンになっていただいて。でも、通年開館してないんです、夏は暑くって屋内に入れないんだそうです。
:ははははは。
夫:そうですか!ふふふふ。

佐藤:気温がほどよい頃に開館してるそうです。春と秋に開館するようです。庭園美術館に柿の木があって、今年は豊作の年だそうだから、秋に来館されて柿の実をとって喰いながら鑑賞するのもよさそうですよ。
妻:ふふふふ

(松坂の話)

佐藤:住んでらっしゃるのは松坂の街中ですか。松坂商人が有名で福島県の会津若松と関係があるんです。この辺りを統治していた蒲生氏郷が会津若松に国替えになって、松坂の町人を連れてい移住しているので、甲賀町と言う通りもあります。
夫:そうなんだ!
佐藤:名字を聞くとこちらの人もいます、会津若松の若松は氏郷が故郷の若松の杜を懐かしんで会津若松と命名したと言われています。滋賀県日野町に書いてありました。日野町からこのあたり一帯と松坂までも、福島県の会津若松とご縁が深いんです。400年の時間がたってはいますが(笑)。松坂商人や近江商人の考え方は会津若松にも伝わっているんです、味噌づくり、お椀の漆製品つくりなどの産業、地酒の醸造。松坂の話を聞いていると情報が集まってきて、商業が盛んなり東京支店をだして繁盛させていますよね。有名人もでてますし。

妻:本居宣長さんとか・・・。
佐藤:小津さんもそうですし。
:小津安二郎さんですね。
佐藤:彼の祖先の小津久足(ひさたり)さんは東京支店から歩いて、馬にも乗ったかな、松島までいき旅の記録を残し名文との評もあります。松坂の人達は商売も繁盛させて、文化的な行為も残して、楽しんでらっしゃったようです。働くだけじゃない、旅をしてエッセーも残している。歩きですから、時々かごや馬に乗ったかもしれないけど。今だとweb検索して、ストリュートビュ見ると行った気になるけど、来てみる、行ってみると違います。

妻:実際自分で観るのがいいですよね
佐藤:そうです、大室美術館に来ていただいた今日最初に会ったお客さん・・・ということで3人で写真を撮ってネットにアップしますけど、問題ないでしょうか。
夫・妻:はははは、問題ないです

3人でショットする。お互い:ありがとうございました。二人は分館へと足をむけた。激しい雨が屋根、下屋と大地をたたきつけている次の来館者は見えない。辺りをみまわすと新緑の騒めきも喜び雑草は輝いている。
ここに座っていると、1980年代末、佐藤は川崎市の細山に在る、篠原一男設計『直方体の森』(住宅)。発注者で所有者だった日本画家の故・中村正義の家を、彼の専用美術館にするため、アドバイスをしたり、序文を書いたりしたことがある。俺は館長さんと友達なのだった。そのことを不意に思い出した。著名な設計者の建築であったため、来館者がそこら中叩いたり、物入れをあけぞき見する。困った奴ら・建築関係者が大勢来館するので何とかしてよ・・と相談も受けた。既存建築の美術館への転用結果も様々なものだとしみじみ思った。

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大室さんが下屋に一服しにやってくる二人で雨だれを眺めながら駄弁る。


大室:夕方までやみそうにないですね。
佐藤:、俺にとっては作品を雨の中で体験もできるので、いいです。雨音BGMも鳴り響いてて、晴れの日より表情が豊なのでよいです。昨日の夕方は晴れていたので。松坂の方の山が水墨画みたいな雲がかかって見え、日本はいいな・・・という感じがでて、来てよかったなとおもいました。今日は雨あがっても昨日の夕方のようには見えないでしょう。
大室:このあと水蒸気が蒸発して雲だらけになると思います。 

佐藤:庭園美術館と道路の間にソーラーパネル並んで先に山が見えてなかったら、景観は壊れちゃったね。
大室:ぶち壊しでしたね。
佐藤:道路があって、その先に水田があって、奥にいくと山並みがある、今のほうが、庭園美術館には合っていますね。
大室:そのうち、あの道路をうちの私道と繋げてもいいかなと思っていて、あそこは無理やりつなげているんです、道作って、小さいパビリオンとか、畑にしてもいいし。なんでもできますよ。

右の絵は大室さんが庭園美術館から白山町の田畑へ続きやがて山々をかけあがり、天空に連なるための、初めの架け橋。見過ごす来館者はおおそうだ。

佐藤:そうだね、迷わず取得を決断しましたね。ソーラー発電会社は日本人以外の人が運営してるんじゃないんですか?
大室:地元の土建屋さんが紹介していたんですよ。話し合って、彼らは仕事だけど地域が嫌いなわけじゃないから・・・。
佐藤:違約金はらってもらえれば、とドライな対応してくれたわけですね。
大室:はい。違約金いれると決めたら親切で司法書士いれたりして書面作ってくれて。手続き料は俺らが出すは・・・、と言って手続きしてくれたりした。
佐藤:儲かれば誰に売ろうがいいと。
大室:そうですね。

佐藤:地元の人も、原発事故から14年たって最近はソーラー発電を嫌がっているんじゃないのかな。見た目が悪いから、し日本の風景になじまないと思っているゆおですね。
大室:そうそう、低いって言いうんですけど人間の背丈より高いから、風景はまったく見えなくなっちゃうんですね。
佐藤:変わった奴がいるもんだな・・と思われたろうね。農地を買って美術館にしちゃったよ。その決断と胆力は的確ですけれどね。
大室:そういう時だけは、直観的なところもあったと思います。「この景色なくなったら終わりだよね」と、話し合ってました。あそこが人の土地じゃなくなったから、ここに壁付の下屋があったんですよ。それを取り払って塗りなおして屋根を葺いて、向こうまでずっと抜けるようにしたんです。(右の絵参照)
この一部だけ借りてるけど、草刈りして勝手に使っていいよと、いずれ売ってもらうようなかたちにしてます。分館までそうなんです。杭のところまで変な分かれかたしてるんです。

大室さんの推しがありアシスタントをつとめている原さん、きたので、聞き取りを始める佐藤。





下屋の南側についていた壁を取り払った現在の図 下屋にはお爺さんが買い集めた椅子たちが配置されている。
手前は受付コーナー

 原理花さんに聞くへ続く