HOME   佐藤敏宏が作成しました     佐藤敏宏(元・エア建築家)@セシウム都市フクシマ  による聞き取り記録集
「O邸」 設計者 中山英之さんに聴く (2013年 5月 19日千駄ヶ谷にて)

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参照絵など




 2013年5月 19日


 阿佐ヶ谷住宅 webより












































































 GAギャラリー 絵 webより









 ザハ・ハディド 絵webより


































































 コープヒンメルブラウ 絵webより 












 01  (生い立ち)

佐藤:中山さんは何年に生まれましたか
中山:1972年です。

佐藤:どこで?お産まれになりましたか
中山:福岡県  うまれです。はい
佐藤:育ちも 福岡ですか?
中山:いえ。いわゆる何て言うんですかね。帰省出産というやつで。母が自分の実家に産む時だけ戻って。また戻って来るという。産んだら戻って来るという。

佐藤
:お母さんの実家が福岡県であると

中山:そうです、そうです。

佐藤:
育ったのはどこですか?

中山:育ったのはですね、そんなに激しい転勤族ではないですけれど 割と転勤が多くって。一番最初にしゃべれるようになった頃  育ったのは 実は杉並にある阿佐ヶ谷住宅っていう。あれに それとは知らずに住んでいた時期があって。

佐藤:何歳ぐらいのときですか
山中:5歳まではまだなっていなかったかな。その位の時まで。父の仕事の関係であそこが一部 会社の社宅みたいなかたちで借り上げられていて。それであの建築が「優れた建物だ」とか、「ハイカラな建物」ったとか、そういうふうな思いがあって入ったのではなくって。

佐藤:
ふふふふ

中山:たま たま 社宅として、会社が借り上げていたものに、我々の家族が団地住まいみたいなかたちで住んだのが阿佐ヶ谷住宅で。そのことを、それと意識したのは割と最近なんです

 ともに ふふふふふ

佐藤:なるほどね
中山:それで、その後に、青森 に行って父の仕事で
佐藤:青森県はどこでしょうか?
中山:八戸市です。八戸市の港のそこら辺に、色んな工業地帯が在る中に、ある一つの工場で父は働いていて。 その工場で働いている人と、隣に大きな紙を作る三菱の製紙工場っていうのが在って。それと金属会社と違う、鉛とか亜鉛の精錬工場で働いていたんですけど。

その二つの巨大な工場の家族のための団地っていうのが、少し離れた丘の上に在って。その団地に住んでました。
佐藤:団地子だ
中山:団地っ子です

佐藤:部屋は2LDKとかそういうタイプのですか
中山:そうです。だから兄弟3人が一つに部屋に居て。両親の部屋が一つあって。あとはキッチンリビングが 一色単になったみたいな、間取りの。

佐藤:学校は八戸市内ですか?
中山:小学校の4年生までその八戸に居て。そこからまた父の転勤で東京に移って来て。それ以降はずーっと東京です。

佐藤:
ジャー 青森の記憶は結構

中山:けっこう 鮮明ですね。阿佐ヶ谷住宅のことは、ぼやゃりとしか覚えてないですけれど。八戸の団地の事はとても鮮明に覚えております

佐藤:東京に戻られて来て また阿佐ヶ谷住宅に入ったのですか
中山:東京に戻って来たときには、実は親戚の家に、千駄ヶ谷に在るんですけれども。親戚の家に。空いている、家族 一家族ぐらいだったら、転がり込めるスペースがたまたま在っ。そこに転がり込んで。親戚のおうちの一角に。
佐藤:間借りしているような
中山:間借りしてというか。転がり込んでそれ以降 ずーっとそこに居る という感じです。

佐藤:中・高・大学、全て東京ですか
中山:そうなりますね。
佐藤:そうですか。なにか小学生の時分にスポーツとかやってましたか。倶楽部活動とか

中山:スーキーをやっていたんです、実は。青森に居た頃に、「家族で 週末のレジャー」って言うと 「スキー場に 行く 」っていうレジャーで。
藤:雪(質)すごくいいですよね、どこまで行かれましたか。 (所員の方がお茶をもってきてくれる) ありがとうございます

中山:どこまでだったんだろう。あの頃はどこにスキー場に行っていたのか、実は解らないです。車で1時間半ぐらいの所に在るスキー場まで、ちっやなホンダシビックにみんなで、ぎゅーぎゅーに乗っかって、行っていて。

で、東京に戻って来て、東京にもスキーのクラブみたいなのが在って。学校とは別に。愛好者の集まる倶楽部みたいなのが在って。そこに 何か 行っている内に凄い楽しくなっちゃっ。高校出るまでは、高校生の途中までは本当にずーっと、割と真剣に

佐藤:スポーツ少年してたんだ
中山:僕 運動神経 ぜんぜん 良くないんですけど。なぜか スキーだけは非常に上手になって。選手としては三流でしたけれども。競技とかやったりして

 ゆくゆくはスキーの教員免許を とって

ちょうどそのスキーを教えてくれた師匠に当たる人が、群馬の農家のおっちゃんなんですけど。スキー場に行くと まるで別人の様に輝いていて戻って来るとただの酒呑みのおっちゃんに成っちゃうんですけど。妻越村ってう所で白菜を育てている農家をやっていいて。

そのライフ・スタイル〜く 憧れて

それで冬はスキーを教えて夏は野菜を育てて。暇間時にはリフト券をパチパチ切る小屋で、ぼけーっとでも聴いてるみたいな。そういうシンプルな、「シンプルな」と言うと農業にやっている人に失礼かも知れないですけれど。そういう生活に 憧れてしまって

だから高校の時には、全然 勉強を 全くしてなくって大学に行くつもりなんかも 全くなくって

佐藤:農業の手伝いも 少しやったんですか?
中山:いやいやそんな根性もなくって。大学に行くほど勉強してないから、このモラトリアムもそのうち終わっちゃうから。成績も驚くぐらい悪かったので。しょっちゅう母親が学校に、「このままじゃ単位が危ないです」みたいなことで 呼び出されて、母が行く ぐらい成績が悪かったので。

ただ全然平気だったんですね。まあそれも別に大丈夫っていう感じで平気で過ごしてて。何かをやらなければいけない時に成ったらそう、いうオプションが自分には どっかで有るっていうことに、甘えて

 たがいに ふふふふふふ

中山:だから全然 農業体験をやってなんか感動するとか、土にまみれるとか、そんなこと何にもやらない、本当にぼんくらでした ははははは

佐藤:なるほどね。確かにスキー場の 先生 格好いいからねー
中山:そう! かっいいんです。
佐藤:滑れない人にとっては かっこう〜いいよね
中山:この僕も、いまだにスキー場に行けば、そこそこは格好いいんです

 ともに ふふふふふふふ

佐藤:そうですか上手になった。そうか そうか へーえ〜。今はスノーボードの方が多いみたいですけど、家の窓からスキー場見えるけど 20年ぐらいやってないですけどね
中山:ちょうど僕は、高校2年生の時に家族で転がり込んだ家というのが、千駄ヶ谷だったもんですから。この辺(中山英之建築事務所)なんですけど。中学校の通学路の途中にGA ギャラリーが在ったんですよね。

それで、だけど中学生の目から観ると、「屋か?」よく解らない。コンクリートの建物に デッカイ・ガラスがあって。同じ本の表紙がずーらーっと並んでたりするんですよね。普通の本屋とは全然違うけど。建築というジャンルがあることとか、よく知らないので。

こ れ は 一体 何屋?なんだろう」と思って。入ってみたいけど、ちょっと恐くって。入ってみたことが無かったんですけど。
 高2の時、なんか 入ってみたいですよ。一寸 勇気を出して。

 そしたら、ちょうどザハ・ハディードとか。それ以降ずーっとGAに通い続けることになるんですけど。丁度 ザハ・ハディードとかコープ ヒンメル ブラウとかが、ギャラリーで扱われている時期で。

それでザハ・ハディード展の本を買ったんですね。

佐藤:最初に買った建築の 本だったんですか
中山:そう。
佐藤:高校生で
中山:高校生で。それで、まあー「 けっこう かっこ いいな〜」と思ったんです。なんだろー?これは??凄く びっくりして

あ とGAの空間そのものも、階段に手摺りが無かったり。2階と階段が繋がってなかったりとか。まるで自分が知っている世界とは 違う世界があって

佐藤:いきなり高2で建築の 濃い〜所に行きましたね
中山:そう そ う、それでびっくりして。そでザハ・ハディードの本を買ったら。その中に磯崎新たさんが、まだ当時実作が一個も無かったんですよね。で、磯崎新さんが文章を書かれていて、「どうやって、この天才少女が発掘されたのか」「見いだされたのか」っていうエピソードが書いてあったんですね。    その本に。

佐藤:それは 印象深いでしょね
中山:それを観て! 「あ  僕もいつか そんなふうに誰かに発掘して  突然ねー こんな凄い空間で、何か 建築 とか言うね、何かを発表するみたいな事が、自分に 起こったらどうしよう?!」って。妄想すごく膨らんで

 それで もう スキー やめた!って

佐藤:
ははははは 極端で いいす


中山:なって。スキー ひとかどの ね選手になれる訳でも ないし。
佐藤:高校2年生ですからね 東京ではね なれない
中山:そうです。それで何か急に メラ メラと 野心が燃え上がって。それで、もっと知りたいって、なったのが 最初ですね 建築と出会ったのが。はい。

佐藤:ギャラリーが通学路に在るからねー、建築 自習ができちゃますものね。入ってね
中山:そうですそうです
佐藤:本から入ったということですかね。
中山:だから GA ギャラリーの 空間と そこに置かれている 何か よく分からない  とか、小さな 精巧な模型とか。あと 言葉 ですね  何かね

佐藤:読んでも訳が 分からない けど 体が熱くなる、訳の分からないこですからね建築の言葉は
中山: 訳の分からんない こと書いてあるんですけど。何か 今まで 経験したことのない質の言葉ですよね
佐藤:そうですね
中山:何か、小説とかにある、物語とかまた全然違う。新聞とかに書いてあるニュースとも違う種類の言葉 みたいなものでも。そこで触れて。ほとんど意味は分からなかったけれども。何か凄く、その言葉に

佐藤:
高揚したんだ
中山:うん すごく 高揚した 

佐藤ふ ふふふ

中山:すごく高揚した んです。それが最初で

佐藤:自分が置かれた生活環境の中から 自分の人生が決まっていくみたいな感じですよね
中山:そうです。なんも探し求めたり、格好よく追い求めたりする訳ではなく。偶然
佐藤:環境対応型 生きざま 
中山:そうですそうですそうです。だから ドラマチックな事は無く

佐藤:凄い出会い 幸いじゃないですか〜 必要な時期 生きてる場で そこに出会っちゃうのは
中山:そうですよね。凄く 幸福ですよね、それは
佐藤:建築の情報が在る場の近所に住んでしまい建築と出会う。GAギャラリーは事務所の近所でもありますよね

中山:直ぐ ここの路一本隣の路入った所で。家族で転がり込んだ お家っていうのも 直ぐ傍で。中学校も 直ぐ傍だったので
佐藤:建築雑誌は高額だかから高校生で買うのは大変ですよね
中山:GA で当時買えた本というのは、そのザハ・ハディードドローイング集だけで。GA アーキテクトといったな? それ以降はとにかく立ち読みしかしてないです。ただ「何か買って帰りたかった」です、その証を持ち帰るというか、そういう思いがあって。それを買って。

それで 恥ずかしい話なんですけど。コープヒンメルブラウ の ポスターのコープヒンメルブラウのロゴを切り抜いて、野球帽にペタって貼り付けて。「俺はもうこれからは 建築家に成る〜んだ〜」って言って。へへへへへ それで 高校へ行ったりしてました。へふふふふふふ。

佐藤:
そうか、即・態度に表し行動する

中山:その帽子は 何か 友達に 今は、握られていて。実物を。

佐藤: 欲しい それは 貴重ですね ははは
中山どっかで脅されるんじゃないか〜 っていう ふふふふふふふ。凄い 恥ずかしい ですね はははははは  凄い恥ずかしい 思い出

佐藤:
それから ひたすらGA ギャラリーに通い詰めて、高校でのクラブ活動は無しだったんですか、学生らしい運動は何もやらなかったんですか


中山:そうですね。一応 部活とかにも入ってましたけど。ずーと スキーはやっていたので。何か運動部にキチンと在籍してずーっとやるということが、春だとか冬だとか ごっそり (スキーへ行くので)やらなくなっちゃう。

どの部も入れてくれれなくって。本当はラグビーが 凄いやってみたかったですけど。どの部も入れてくれないくって。

それで 何かフィジカルな事に繋がるんじゃないか というので体操部に、器械体操部だけが、そういうイレギューラーな、人気の無い部活だったので。そういう「イレギュラーな人も入れてくれる」っていう。

佐藤:器械体操は素人には厳しいですよ、俺は器械体操部でした
中山:あそうですか
佐藤:素人で入るとめちゃクチャ大変ですよ 平行棒とか

中山:
本〜当、酷いですよ 僕の器械体操部  経験で、1回だけ大会に出場したことがあるんですけど。その大会に出場した時のエピソードは、僕のいわゆるあれです。鉄板です

佐藤:なんですか?それは
中山:本当に酷い 酷い。鉄棒も。吊り輪ってありましょね。吊り輪 上に上がれないんです。筋力が足りなくって
佐藤:吊り輪で 逆上がりすら 出来ない !??器械体操 部員

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