2023/7月4日午後 森純平、家成俊勝 @北加賀屋 作成:佐藤敏宏
「千鳥文化」を体験し終え

森純平さんの生い立ち皆で聞く02
    
主な聞き手
岡田栄造
家成俊勝
佐藤敏宏
場所:コーポ北加賀屋
 01へもどる

絵撮影:宮地啓子(表記なし絵は全て)

森純平さんに聞く 


学部時代の森純平さん活動いろいろ

佐藤:
一気に松戸のパラダスエアー活動に飛ばしました、ここで一端大学生時代の森さんの語りに戻しましょう。東京芸大の4,5、6年の時はどうだったんですか?芸大は何年で卒業なんですか?
森:4年ですね。
佐藤:修士課程はどこへ。
森:修士はいきました

岡田:そんな感じでずっと東京芸大に居たわけですか?
はい
佐藤:活動は、大学生をしながらお金も稼いだんですか?ボランティアでしたか?
金は全然稼いでないです物と物交換で、丸鋸一つ買って・・・とかやっていた

岡田:森さんはマネージメント能力がめちゃくちゃ高い人なんじゃない?森さんが居れば回る。それはみんなもありがたいし、なんでそうなったかは知らないけど、元々そうだったんだ。
佐藤:活動家ママやパパの影響はありそうですね。理屈をこねてから活動学生でもないし、すっと活動に入っちゃえる学生さんだった。

岡田:
だから周りが嫌にならない。

 2023年7月4日 岡田栄造先生(2023年10月から九州大学教授就任) 撮影:宮地啓子 (以下記述無い絵は全て宮地さん撮影)

佐藤:僕の知りあいの多くは「俺は偉いぞ!怒鳴り散らして喧嘩売っちゃってるよ(笑)
岡田:集まった人を潰してしまったらゼロだもんね。
   家成 わらっている
佐藤:若い森さんがパターナルオヤジで埋め尽くされている日本の社会から生まれたのが不思議!若い誰の能力をも生かして全体の活動をまとめる森さんの姿勢の源泉、そこも不思議なので聞いていきましょう。
岡田:不思議だね、なんで・・・そうなったのか?

佐藤:場所や社会的地位の偉い奴に成るぞ・・・なんて森さんはさっぱり拘っていない。環境に応じて森さんが動いてしまう。若い人は特殊な学会村のような既存権益、会社でもいいけど、それに巻き込まれて地位を確保しようとするけど、中抜きされたり飼い殺しにされちゃう。
だが森さんはそこには絡まらないで自在に移動して活動ができる。そういう環境をつくるというか?仕立てるというか?それがうまい。既得のオヤジなんかに拘る必要もなく、場所が森さんを求めたら素直に活動してきてやる。人との出会いも自由で制限がない。本人も垣根や塀をつくらない。仲間と快適な環境を設えて活動を継続させてしまう。その姿勢が学生の時分から、切れてもいない点も注視したい。
場所が森さんを呼ぶと同時に活動できる仲間も呼び込んじゃう。先輩害毒の害に遭わない身のこなしも面白い。自由の身のこなしと感性は生まれたときからでしょうか、動物的に動ける敏捷性、脳と身体力が強くって活動をいくつも同時にこなせる・・そういう感じかな。その結果の物や場があちこちの町に顕れてきている。

岡田:そういうふうに出来るんだ。
佐藤:森さん自身にストレスが貯まらない。
岡田:だけどちゃんと進むと。学生っていろいろ始めるんだけど、すぐボワンとなっちゃて回らなくなる、尻すぼみばっかり。森さんはそうさせないから。
佐藤:マウント獲るとか中心に成ろうともしないからじゃないかな。
岡田:そういう必要性も感じていない、で活動が続く。

佐藤:パラダイス・エアーは参加している人各自に賃金差無し、すべ割り勘で平等なんだとも語っています、皆さん本業をもっていて活動したら1日18000円の日当だそうです。
岡田:それは時々に応じて、こういうふうにやったらいいと。
森:それはどうなんですかね。




フランスのナント市ビエンナーレに参加したM1

佐藤:4年間、社会活動もし学生もやて成果だしていたんだから修士に進学しなくってもいいじゃないかな?修士はなぜ?
森:卒業しようとしていたんですけど、M1の時にフランスのナント市で、ナントビエンナーレというのがあって。その時に芸大が連携をして、芸大生から4人アーティストが派遣されることがあって。
六角さんがやっていたんですけど僕は4年生だった。次の年はいなかったんだけど「推薦したから行っておいて・・・」と言われて。
佐藤:六角さんに目を掛けられていて、森純平はいいぜ、ナント市に行けと。
森:そうですね。

岡田:なんでそうなったの?
森:何て言っていたかな・・・。
岡田:学校でやっていることを見ているし学校の外でやっていること見てたから?
森:両方の気がしますね。

佐藤
:森に任せて4人派遣すればまとめるだろう・・・と六角先生は思った。
岡田:こいつまとめ役にいいなと。
・・・・家成 笑う
森:たぶん。3年生とかはそういう意味ではなくって、外での活動を設計に入れようとすると難しいじゃないですか?それこそ藤村龍至さん的な入れ方もあるし、もっとドライに入れるかもしれないし、いろいろ課題の中で葛藤していて。たぶんそれらを六角さんはちゃんと観ていて、外の活動のことも何となく分かっていて。
岡田:なるほど。
森:で、行こうかなと。





参照ナントで現代アート巡り

佐藤:ナント・ビエンナーレでは何を作りましたか、作品は作らなかったですか?作家として派遣された?
:作家としてナントに行ったんです。西尾美也(よしなり)さんと加藤翼西岳拡貴(ひろたか)君と言って彫刻家出身なんです、その4人で派遣されて

家成:そうなんですか!
佐藤:みなさん優秀なの?
家成:加藤翼さんめちゃおもろいですよ!
:面白くなっている、その時には引き起こしと言って、それまで引き倒しと言っていたのを丁度、引き起こしに理論に。
佐藤:ひった倒れた何かを起こすんだ?

家成:そうなんですよ、デカイ家、自分の家、最初自分のアパートを実寸大に作ってそれを引き倒すパフォーマンス。それで、東日本大震災があって引き倒しから引き起こしに変わった。
佐藤:なんでも倒すのは自然の力には負けちゃうからね、引き起こしに変えた(笑)
家成:そうなんです、僕も一回、引き起こし現場を手伝った。

佐藤:大きさはどこぐらいの物を引き起こすんですか?
家成:めちゃデカカッたですよ。灯台を引き起こすっていうので手伝いました。

森:僕もそれに行きました!
佐藤:岬に建っている灯台ですか?
:そう、福島県内ですよ。
佐藤:知らなかった、放射線騒ぎでね・・実物の灯台なんて重くって起こせないでしょう?
家成:あれを木で原寸大を作って、それの構造を観てくれって言われて。
  大笑い
京都の構造家・門藤芳樹さんに「一緒に行きましょう」といって、門藤さんを無理矢理連れていって
   場 大爆笑
門藤さん「分からん!」と言ってました。
 ワイワイガヤガヤ
「これでたぶんいけるやろう・・」みたいな。

岡田:それどこに倒れているの?
家成:みんなでロープ掛けて。
佐藤:倒した灯台は誰が造るの?
家成:みんなで作る。
森:そこも みんなで造って。

岡田:灯台の大きさを倒して造って!横たわっている灯台を立てる!
家成:そうなんです!そんとき現場に森さんいたの?
:いました!
家成:そうか、だいぶ前から一緒にいたんだな・・。
佐藤:家成さん古い知り合いだった。同じ場所でアート活動してたんじゃん(笑)
   会場 大笑い
森:最最初の頃から参加してました
家成:僕は参加していても現場は一回しか行かなかったです。構造を1回チェックしに行ったけど「よう分からない!たぶんいけるんじゃないか?

佐藤:デカイ灯台を引き起こすとき折れるかもしれないしね(笑)その計算もやった、作家も含め4人で引き起こし、福島灯台の前に、引き倒しのパフォーマンスをフランスでもやってしまったの?
森:フランスでやりまし。その時はどっちだったかな・・。丁度悩んでいたところだったので、引き起こしといったかも??
佐藤:引き起こすためにはフランスで引き倒した工作物を現地で作らなければならないよね。それも倒れた物を造るわけだね。
はい、現地で造ります

佐藤:みんなで倒れたままを作って、起こして(笑)まま途中で折れずに立つような工作物を作る、というパフォーマンスしちゃっていた(笑)巨大な起き上がり小坊師作れや!(笑)




加藤翼さん引き起こし WEBへ 



WEBより
2011年11月12日 記事を見る

家成:大阪で、加藤さんがパフォーマンスやる時に、引き倒しから引き起こしに変わったんです。
佐藤:あほらしい態度現さず、あほらしいとも思わないで皆真剣に造り引き起こす・・それは愉快だ。壮大な遊びだものね、そりゃ楽しそう・・。
森:けっこう作家として理論的に考えているんです。単純に衝動的にやっているわけではなくて、かなり考えてます。

家成:見た目はたんなるヤンキーにしか見えない!
森:そうなんです(笑
   会場笑い
:キリギリスみたいな感じなんです。
佐藤:それで森さんはフランス引き起こしの現場で何をしていたんですか?
森:僕は別で、自分の造るのがあったんです。引き倒しには、ちゃちゃ入れるだけですね、あとは構造を観る
 会場爆笑 ワイワイがやがや 
岡田:作品作っているんだ。

森:そこでは確か一つだけだったと思います。それも結構でかい、この事務所ぐらいはあったと思う。ひたすら、一月ぐらい居たのかな?・・・。
佐藤:その作品と引き起こしの現場をフランス人が観に来るんでしょう?
森:はい。フランス人の学生チームと一緒にやって。西尾美也君は古いのでもともとUボートの基地だった所で展示したですけど、Uボートを実寸大で作っていた
   佐藤 笑う
家成:ええ!!そんなことやっていたんだ・・・西尾さん!
:オーバーオールみたいなプロジェクトかな。仏像を自分の家で作ったりとかやっていて。
家成:子供の時の頃、大人になってきて写真・・・
森:装いと言っているんですけど、ファッションにして。

佐藤:セルフポートレートでしょうか?
森:そうですね。 服を交換するプロジェクトとかいろいろやっています。M1の時です。
佐藤:修士1年生のときにニースで作品を発表してしまったと。森さんは表現者もしていた。
森:その時は僕はuボートの基地だったので、本当になにも無かったから、会場構成みたいなのと、ベンチを一杯作って、それは作品だとは思ってないですけど、プライザーを持って行って小人をいろんな所に置く・・・入れ替えるみたいな。それに対してなにも自慢も自信もないんですけどね。建築家的な思考を普通にやる。



2021年「縄張りと島」 - 加藤 翼 東京オペラシティ アートギャラリー WEB情報へ



絵:西尾美也さん
WEB記事より・記事を読む


2023年7月4日 森純平さん

バス停、台東区 メグリンにベンチ

家成:ベンチ、土台の場を作っているという感じで?
:そういうことをしました。日本に帰ってきてもそれをやって、その時は台東区にメグリンという循環バスがあるんです。そのバス停にベンチが無くって「台東区中のバス停にひとまずベンチを置かせてくれ」という申請を台東区と消防とか全部出して、一つ1万円ぐらいでベンチを一杯作って。二月ぐらいは置いておくみたいな。

佐藤:それはベンチを置くというアーティストとしての活動ですよね。
森:そう。フランスでベンチを作ったからもあるし、日本で何をやろうか?というときに・・。
家成:実際バス停にベンチ有った方がいいですもんね。
森:そうなんです。終わってからしばらくは置いてありました。「頂戴」と言われて。
岡田:それがM1。


佐藤:では次にM2に頃の話おねがいします。
:いろいろやっていた。芸大でやったのはスカイツリーが出来る前だったんです。今スカイツリーラインと言われている東武線の高架下をスカイツリーに向けて浅草側からジェントリフェケーションというか。もと倉庫だった場所。今は全部、変わってしまったんですけど、改修していく・・・みたいなことをやっていて。
それで一番、隅田川に近い元出版社の倉庫だった区画、ワンフロアー1000uぐらいが2フロア有る場所を、台東区と芸大と墨田区でプロジェクトをやるのがあって。それで一定期間、半年ぐらい借りていて、そこのマイ・タワークラブというという、スカイツリーが出来る前だったので、マイタワーを愛でる会で、その名前で場所を運営していて。それは研究室でのプロジェットですね。

家成:隅田川沿いにデカイギャラリーとかはあった場所とは違うか?ギャラリーとかアートスペースみたいなのがあって。
森:ゲントですか?
家成:デカイエレベーターシャフトがそのまま建っている。

森:もしかするとそこかもしれない。
家成:そうですか。
佐藤:家成さんはそのアートスペイスに立ち寄ったことあると?
家成:あるんですよ、設営で。高橋匡太さんの作品。

佐藤:照明、ライトを一杯使った作品かな?
家成:ライトのあの作品の設営です。

:けど、あそこは学生しか使っていないような気もしますね。
家成:そうですか・・・。









台東区のこみゅにてぃバス めぐりん
WEB記事を読む















高橋匡太さんのサイトへ

森純平の活動年譜 ほしい

佐藤:森さん自身で作った活動年譜のようなものは無いですか?
:無いですね。
佐藤:今後作る気もないですか?今回のワイワイを機会に作ってもらうと助かる。
森:何かつくらないとなー・・。
佐藤:面白い活動やってここにきているので、森活動が一覧できる年譜は欲しいですね。
結婚されたのはいつでしたか?よかったら教えてください。奥様は音の研究者でしたか?結婚は学生時代でしたか?

森:音の研究者で、紐生活はずっとしていて、2015年ぐらいですかね。
佐藤:紐生活は学部生の時からですか?
森:そうです。
佐藤:やはり人にくっつき方がうまいね。

家成:じゃ奥さんがしっかり稼がれていた?
森:いや!実家はあるんですけど、遠いので奥さんの部屋に帰るという・・・。それぐらいの紐です。お金は関係してない。

家成:同級生?
森:同級生。

佐藤:八戸市美術館の音響設計は奥様が担当したそうですよ。
森:そうそう
佐藤:ジャイアントルームの天井からカーテンを下げ音響を調整しているとのことでした。音が響いちゃうからカーテンに吸収させる。

森:今はレコーディングスタジオか、ホールはあまりしてないですけど、映画館とか特殊な音響空間の設計をする事務所にいるんです
岡田:芸大にそういう研究室あるんだ?

森:建築ではないんですけど「音楽環境創造科」と言って、レコーディング系とか建築音響とか、音響認知学とか。そういう系ですね。音をどのように感じるか・・・みたいな。

佐藤:奥様とのコラボは八戸市美術館が初めてだったですか?
森:そうでうす。ただ昔からいろいろな活動をしているので。展覧会の音空間ってあまり好くないじゃないですか?最近はよくなってますけど。「そういうのを変えたいよね・・・」という話はずっとしていて、パブリックスペースの音響空間とか。

家成:変にわーわー響いて聞こえないとかありますね。
森:そうですね、今回八戸でやってみて分かったんですけど、コスト的に変わらず、指向性を変えるだけで音空間的に快適にできるなと、分かったりしたんです。

八戸市美術館のカーテン絵

八戸市美術館 ジャイアントルームとカーテンを見下ろす 撮影佐藤

佐藤:森さんは自分のやってきた活動を伝えてくれない人ですかね?

:ああ、各プロジェクトごとのアーカイブとかはけっこうしているので、バラバラには有る
佐藤:バラバラにある・・・そうでしたか失礼しました。
森:それぞれのwebサイトがあるという感じになってしまうんですよね
佐藤:活動のWEBサイトをたくさん持っているけど、森さん活動年譜のようにはなってないんだね。なるほど。
森:それぞれの場所ごとにイベントが一杯あるので、ムズイです

佐藤
:分かる。森さんらしい、そこら中一斉に活動してて記録は発信しているんだけど他者は森さんの活動や行為を一覧できない。一覧情報がないので森さんだけが分かっている。情報をまとめてくれるマネージャーのような、森おっかけ記録マンが居た方が俺としては分かり易いけど。
森:済みません。

佐藤:この時代にはこの本を読んでた、この活動では誰と共に活動した、森さんの人間関係も含めて可視化されていると、後に続く若者は勉強になるはず。

 会場 大笑い

家成:本とのつながりが分かるといい。
佐藤若いみなさん!森さん活動年譜作りは面白そうだよ

岡田:場を作るとか、興味有ることは。
森:そうですね。
岡田:・・・とういうlことになった。
森:八戸市美術館とかのお陰かは分かりませんが、最近はリアルにも繋がってきているところまでです

佐藤:年譜づくりとか、記録作りを誰かと契約してしまって、その人に任せて刊行すれば売れるんじゃない。
森:佐藤さん、岡田先生よろしくお願いします
     会場大笑い
森:本作り。
佐藤:川勝眞一さんでも原田祐馬さんでもいいのでは?

岡田:多田さん(笑)
家成:時間掛かりそうだ
    会場笑い
岡田:編集者は一杯いるじゃないですか?
佐藤:森さん活動にいつも付いていて、記録をまとめ刊行する。

岡田:森純平年譜、年報みたいなのを毎年刊行する。
     会場 ワイワイ がやがや わらう
岡田:年報。
森:カレンダー。
岡田:一人の人間の年報。

佐藤:昨日、京都で牧野研造さんの聞き取りしたら、彼は写真集を一冊だけ作っていました。安価に本を作ってくれるサイトがあると話していました。編集は自身でするしかないんですがハードカバー仕立てで、一冊千円で作れると言ってました。5000円で売ると儲かりまつせ!編集の手間が掛かるから面倒くさいか?森さんは活動することとweb発信のみだから、だれかお抱え編集者は要るよね。俺は下手くそだし、この先も短いので若い人編集者が現れるといいね。

去年の10月7〜8日辻琢磨さんの改修中の自宅に泊めても、辻さんが造っていた店舗を見たり、ワイワイしました。(WEB記録あり)奥さんが製本作家で「街角製本所」を開いていました。イギリスで製本術を学び各地で製本の講演したり、手作りしたり辻さんの会社カタログとは言ってましたけど、彼の本を夫妻連携作業し刊行していました。
で、森さんは自分の年譜本つくりや編集やる気なさそうだから、森さんと同世代の押しかけ編集人、見つけたいですね(笑)。

森:いや、やる気はありますよ!











浜松市にある街角製本所
と本づくりをしている様子




01 「403作品巡り 」
02  奥様のシャアオフィス 
03 辻さんの家で(1) (2) (3) 
   (4 運動会の朝 辻家改修について) 
04 洪水の跡地めぐり〜保育園の運動会

松戸市での活動

佐藤:
松戸のアーテスト・インレジデンス、パラダイスエアーの話はみなさんは知ってますか?
家成:あまり知りません。

佐藤:去年2022年8月27日午前9時から12時まで、花田達朗先生と、中村睦美さんと押しかけていき聞き取り記録はつくってますので、3時間ほどの記録を見てもらえれば分かると思います。最初の1時間半ほど森さんのレクチャー、説明してもらっています。後半は質疑応答で濃い内容になっています。その記録を見てもらうとして、今日は省略しますので、記録にリンクを張っておきますので、興味のある方は目をとおしてください。


松戸パラダイスエアーについて聞き取り3時間記録を見る 
前1時間ほどは森さんの講義録

岡田:
あれは勝手に始まったんですか?松戸市と最初からですか?
森:どちらかと言うと勝手に始めました
岡田:そこで関係が出来て。
佐藤:町内会から依頼された?

森:
意図的に墨田区のプロジェットとかやっていたんですけど、音楽家の友達もいるので、松戸でライブとかしていると、だいたい都内だと苦情が来るじゃないですか。墨田区の時は墨田区のオンブズマンの人が来てカメラを持ちながら「何デシベル」と言ってきて。
佐藤:音につられて、クレーマー出現する(笑)
:クレーマーみたいな人が、話し合いで負けたらいやなので、3時間ぐらい喋って・・・その人とめちゃ仲良くなったんです。それは芸大的にはそういう話が有ったから、ちょっと止めよう・・・・みたいなになったりして。都内は基本的にどうしてもクレームあるな・・・という感じだったんです。今はだいぶ変わって来てる気はします。

佐藤:そこで、松戸の活動で独自の成果をだしてしまい都内に戻るような戦略に変えたのかな?こっちでやっているから、都内でもやりましょうと。3時間クレーマー的な方と語り合うこともそうだけど、問題が起きたらその場で柔軟に対応し一端逃げを作り、活動の貯めもつくっておいて、攻める。その場所を変えて活動をやめない点が森さんらしい。凡人はそこだけに拘ってしまい、都内のやつらはダメだ・・・・で終えてしまう。そうじゃなくって、出来る場所で実践して問題の場所にまた戻る。

家成:逆輸入してくる
岡田:バランス感覚いいなー。
  ワイワイがやがや 会場大にぎわい
佐藤:森さんの柔軟さについては若い人に老人にも知ってほしいですね。
岡田:柔軟で羨ましいなー(笑)俺なんか直ぐ切れちゃうもの。
佐藤:岡田先生は一度大学辞めたから、そこで溜の効く人に変身したのでは?次に辞めて移動するのは簡単ですからね(笑)
森さんは最初から、既得権益が発生する場所や組織に拘りはない、むしろ既存のそれらに関わらず活動し始めてしまって移動する。

岡田:自分の仕事はなになの?何て定義してますか。
一応、建築と定義しています
岡田:建築家なの?
森:はい。けれど言われて・・・棟梁とか、現場によって違うので、それはそのまま受け入れるスタイルです。
家成:めちゃいいね!

森:この間、『商店建築』にでたけど、そのときはアート・プロデューサーと初めて。ああ、そう呼ばれたかー・・・って。じゃそのままでいこうと・・その乗りです。

佐藤:分人とか分業とか、渡り職人、棟梁とか、専門家から脱することはできちゃっているし、職業が持つ概念に拘らず素直に身体ごと環境応じ変身してしまう早業がいいね。そこが面白い。森さんだけなのか?森さん世代はみなそうなのかな・・・?森さんは素直に場に応じ活動していて、既得権益の塊のようなアカデミズムの建築家という概念にとらわれていないので、日本の中世に活動した著名な僧のようでいいよ!
岡田:本当やね。
佐藤:素直にできてしまうけど、それは米国で活躍するスパー野球人のような専門家を求めて達成感を追求していないと気が済まない、熱狂したい現世だからねとくに光ってみえますよ。森さん活動に他者承認欲求を感じないし森さんは無関心です。現世社会からストレスを受け取ることを未然に防いでしまっている点も巧みですよね。
岡田:賢いな。
佐藤:目の前にあるコミュニティーだけに認められてOKと。そして言いふらさないと。そのことをネタに日本中・・山崎亮的活動もして歩かないのもいい。大衆むけに受ける、金太郎飴作業をしてない、そう見せなないのも優れ者。日本中同じこと言って町起こすなよ・・・と言いたいけど(笑)中央集権国家の写しで時代錯誤のパターナルな姿が多すぎる。









佐藤が八戸市美術館で森さんに最初に会ったその記録
























保育園から発生する子供の声がうるさいというクレーマが現れた(WEBサイト)
左の絵:さいとより 

デザイン・イーストあれこれ

岡田:デザインイースト偉大なんだけど、デザインイーストの人達も自分たちがデザインする状況を作るのに必死だったから・・そういうモチベーションじゃないですか。モチベーションはそこに無いんだよ。関西に自分たちがデザインできる状況を作る。そういう状況が無いと。それをなんとか作らなきゃあかんと。実際そうなった訳だから。
佐藤:東京コンプレックスが有るからですかね?
岡田:そこも、また複雑なんですよ、この話は長くなる!
     会場 大笑い
岡田:関西自体が、もともとが東京コンプレックスで成り立っていた、それを無くしたい・・・という気持ちもあるんですよ。
佐藤:森さんは子供のころから何のコンプレックスも身につけていない。
岡田:だから下の世代の人達に・・・そういの作る気ないし。榊原充大だってそうだし。
佐藤:たしかに有る人と無い人が混じって動いている・・・と感じる。
岡田:川勝はまだちょっと有る。
佐藤:学会に寄って活動しているのでそう見えるかな・・学会向いているので大いに東京コンプレックスは有る川勝眞一さんだね。

岡田:川勝には有るけど榊原には無い。だから榊原モチベーションがよく分からない。
家成:もしかしたら大阪などでデザインイーストみたいなのを実際にやったから、今はもうちょっと、榊原さんのような(脱力系)・・・かたちですか。
岡田:そうかも知れない、デザインイースト関係者は若い人たちに感謝されるべきかもしれない。
 がやがやワイワイ
佐藤:派手に開催したからな・・。
岡田:デザインイーストが無かったら、関西のデザインシーンが全くなにも変わらず昔ながらの喜多俊之と安藤忠雄のような人達が・・・昔から変わらず、東京と俺らは違うと言っているだけの展開になっていたんです。それが関西の世界が変わったんだから!デザインイーストって本当に偉大なんですよ、本当に偉大。

佐藤:柳原照弘さんに「やれよ!」と言って、水野大二郎先生と知り合いだったと知らなくって、彼が俺に大阪での聞き取り対象者を推薦してくれた、聞き取りは他薦が条件だから、その人たちが集まって、力を合わせデカイイベントをやっちゃって、こんなに集めちゃってどうするんだ?収束つかねーんじゃね?(笑)
柳原さんはか弱い声で「大丈夫です」と言ってた・・赤字覚悟してるのかなと。橋本府知事がやってきて盛り上がり喜んだりして、若者の自主イベントに知事が来ちゃったよと。
森:そんなこともあったのか!
佐藤:当時は市長じゃなく府知事だった。

岡田:「DE─00」の時は知事。中之島でやったときに「いいじゃんこんなんで人集まるじゃん」とか言われて。
家成:川が規制緩和で土手に作れるようになった時期なんですよ。それを行政が絡んでやってたから、親水空間作ってと・・・か。
佐藤:派手になったけど、政治家、知事関係の人達と関わるとやばくなるぞ・・・とは伝えた。現在の大阪府の状況を見るとあからさまだけど、一方的に政治利用されちゃうから・・。
家成:本当。結局だれも利用しようとしなかったですけどね
   会場大笑い
佐藤:自由のために政治家とか街づくりはかんけいしないので良かった!芸術、維新系の政治家たちは分からん!これは手に負えんと逃げたかな(笑) 大阪万博でどうなるか?観察すべしだ、でもDEに政治が関わらずは良かった。関西の若者の空気をデザインイーストで激変したですね?

岡田:
全然変わりましたよ、プレーヤーが変わりましたもの!
佐藤:よかったね。
岡田:大阪、関西はまだ、パラレル。DEの人達は昔の人たち、あっちの人達と全然関係無いんだもの。俺は・・・古い彼らは昔から知っていた。前に家を改修したのが平沼さんだから・・その人達は本当に昔ながらの関西ぽい・・・ですよ。それも若い時から来てるから。

佐藤:柳原さんの背中を押し続けて俺よかった!そういう関西状況しらないし、大島哲蔵さんが亡くなって沈没したような時期だった。知らないよそ者が背中を押す効果があるとは今日まで知らなかった(笑)
柳原さんは現在、世界で活躍して金持ちデザイナーになった、それぐらいしか知らない。実際の影響は岡田先生が言う、関西の古い状況をDEに参加した若い人が変えてしまっていたんだと。

岡田本当にそうなんですよ。自分たちがやりたいデザインが出来る状況をつくりたい。それは若い人達がこっちだよねと素直に言えなかったんだもの(笑)
佐藤:なるほど。
 わいわいがやがや

岡田:そういう意味で本当に凄かった。
佐藤:よかった、よかった。森さんはそこからも抜け出してしまっているからね。




DEの前段

2007年3月31日 柳原照弘さんと建築あそび記録

1年後2008年 5月17日 午後 靱公園にて
柳原照弘さんが 08年5月17日に佐藤敏宏の講演会を企画し行い 福島と大阪間往復の交通費と宿泊費を参加者から集めてくれた  全国各地 世界各地に柳原さんのような人が現れると ことば閲覧ことば紀行の厚みもますと思われる そのような行動力のある若者からの連絡を待っております
靭公園で柳原さんと語り合った記録 

★DESIGN EAST002009年9月18日(金)、19日(土)、20日(日)会 場:Nakanoshima Banks[EAST棟] 大阪市北区中之島5丁目(堂島川左岸)



★ 柳原照弘さんデザイン・イースト00を語る
記録を読む @岡田栄造先生の研究



デザインイーストに森さん呼ばれていた

岡田:その後の世代。
デザインイースト、パラダイスで二回スピーカーズセッションには出させていただきました
佐藤:デザイン・イーストに呼ばれ2回来てたんだ!
森:はい。
佐藤:あのときの東京連は藤村龍至さん率いるラウンドアバウト連中と中山英之さんかな?

家成:中山さんも来てくれましたし・・・。
岡田:あのころは藤村さんはイケイケだったから。藤村さんも既存じゃない!メディアつくって自分が設計できるようにしていった。ああいうやり口ですよ。自分の陣地確保のためにメディアを使い切る。それが機能した時代。

佐藤:2004年3月27日、藤村さんは我が家の建築あそびにきて、藤本壮介さんとの建築あそびにもきていたかな・・・で、「何かやれ」と言ってたいけど
結局、既存メディアがへたり始めたときに自分メディアを使って自分が凄い・・・ということになって収束してしまった。
   会場 大笑い
佐藤:既成の価値観じゃねーか??
岡田:そういう作戦なんだよ。
佐藤:まんまと既存の価値観と政治を合わせ保持し続け大学の先生になってしまった。ちっとも建築家として新しさ感じない。でも、人それぞれの建築でいいんだけど、それだけかよ(笑)俺にとっては若い人達が行き詰っている日本の既存権力に絡まれてしまう建築状況はオモロクない。でも、藤村さんの次の世代に森さんが登場したとで助かった気分しています。
芸大に藤村さんが入って芸大の人々の結束が進んだでしょう?芸術と政治は相性悪なのですが、反・藤村でまとまり易い状況を作った。
森:逆にまとまった(笑)

佐藤:芸大の状況が分かりやすくなったのでは?
森:たしかに
佐藤:藤村さんはそういう意味でも建築界には役立つ人間ですよ。
 会場大笑い
岡田:芸大に藤村さんを呼んだ人は誰か・・・。

 


柳原照弘さんのDE説明動画

2004年3月27日
藤村龍至+ベラジュンさん2人などの講演記録(前座)主な参加者は 田中浩也、松川昌平、メインゲストが石川初さんだった

佐藤
:俺が勝手に心配しているのは(笑)家成俊勝さんが既存東京建築(老害)に呼び込まれてしまい家成さんらしさが消えてしまうこと。家成さんを建築界が生き延びるために呼び込むのは分るけど・・・自分で拓けよ、と思う。東京建築人は匠たくみだ、関西にもその手先はいてキモイんだけど・・・とは思うけど、家成さんは東京的既存建築の世界を引っ張る人にはならないでしょう。家成さんが舞い上がってしまうと、関西建築界はとうとう、お仕舞いだ。

家成大笑いしている

岡田:先生だから。個展もギャラ間でやった。
佐藤:ギャラ間から甘い水を流し東京的建築拡張しようとしている腹黒い奴らはいそうだな(笑)そういうのも関西建築界に入り住んで最近目に付くな・・・要注意だよ。メディアが貧困だから仕方がない面もあるけど全国均質になるのはよくないでしょう。関西好きなので大阪らしくやってや!!、と言い続けるしかないかな(笑)

岡田:ギャラ間は建築の展覧会。
佐藤:何か言われちゃいましたか?
家成:みんな気分的には面白がってくれるんですけど。落ち着かへん感じ
岡田:分からないっていうことだ
森:そうでしょうね
家成:説明しづらい。

岡田:いいじゃない、それは混乱してもらえば。
家成:魚谷さんが「あほやなー!!」って一言いってどこかへ行ってしまった。

岡田:ほめ言葉だ!
佐藤:一冊本を刊行したのではないですか?ギャラ間展では招待作家は一冊出すはず!
家成:本だしましたので持って帰ってください!
森:もちろんです。買いました。
佐藤:買ったのね!
森:当然です

1:26:14

絵:2023年夏ギャラ間展に合わせて刊行された本
動画:
出張ラジオ「ドットアーキテクツ展 


 次のワイワイに つづく

 ワイワイ目次  HOME