佐藤敏宏  HOME  6月の日記へ 
   2019年07月の日記        

 7月29日 晴れたり曇ったり 昼頃強い雨 

my長男にいただいた宮城県産の日本酒を呑む。今日も海鮮スパゲッティをつくり食べる。魚や大豆にてタンパク質補充し肉は避けているこの頃。
以下FB投稿

我が家で呑む
今年はつ油蝉きてりて鳴く。夏らしいい夕暮にはいただきものの「天上夢幻」宮城県加美町の中勇酒造店産の純米吟醸酒。酒造好適米は宮城の蔵の華とある。蝉の音に合わせ喉を鳴らす。この酒は冷やすとスッキリ常温で辛口となり、くせなき日本酒。米と水が素直なんだも推測してみる。
酒の肴は宮城県で養殖してる鮭をオイルで焼くだけ。臭みもなく柔らか。近頃日本酒に肴はフルーツが好みとなる。しょっぱい辛い肉系肴は苦手となる。


 7月27日 
 久しぶりにmy長男の講義を聞く
FB投稿より

公開授業5日目3コマ受講する@福島大学
これからの地域と歴史 文化遺産
全15コマ本日で終了
内山大介先生による 文化遺産としての民俗 地域研究としての民俗学
渡辺智弘先生による 福島県文化振興財団の現在(勝手にお題つけた)...
佐藤大介先生による ふるさとの歴史を学び、救う意味 宮城の事例から見る史料レスキューの歩みも国際的位置づけ

 全15コマ最前線の歴史研究と行政や研究者の現在を深く理解することができた。来年も継続してこの授業が開催されるようだ。数年続けないと姿を現さない事態もあるのでとても楽しみである。授業料7000円。歴史好きの専門家である講師各位に直に質問できるだけでもウホホッーの豊快楽!



 7月26日 

FB投稿より

花田達朗先生と久しぶりに昼ビールしてます
@高田馬場



■ 中山英之さんトークイベント@ギャラ間
スタートギリギリ間に合う
「例外音楽/建築論」
中山さん三島さんといきなり3ショット
大勢の観客あり(事前に申し込み制)



「例外音楽/建築論」と題したトークイベント
ギャラ間て行われた 中山英之さん 岡田栄造さん 野口順哉さん佐々木敦さんによる現在の表現者に不可欠な身構えについて 2時間。佐々木さんの著書『例外小説』を下敷きにしての対話。4者を繋ぎ止める媒体は『OKADA HOUSE』岡田栄造監督 音楽 野口順哉 氏(シナリオは岡田?野口) 舞台は京都市内のO邸 9分の短編映画。
かの作品を通して、負けるでもない、サブカルでもない、外道でもない、動員するする建築(家)でもなくある。次を拓くために。息を抜かずに慎重に互いに概念拡張し共振する事で、それぞれの領域の可能性を具体的に開こうとする。佐々木さんが加わったことで対話が豊かになってて、かつスリリングな語り合いの場でした。(若い有名 建築家志望の者には理解できなのではなきかも)
退屈極まる動員建築系の人々には無縁の場でもあると思うのだが、メインが消え無くなった動揺はどの領域にも現在あり多くの他者の共感を得るはずだ。マスにも稀ににも落ちないで本道を歩きます、その姿勢を続けるには孤立しては成せないのだか、親切で具体的...な語りによって、その事を表し多くの示唆をあたえる。
それらは例外施主(発注者)岡田栄造 、例外建築家中山英之が出会う事によって初めて可能性な建築の地平と、施主の地平を拓いていて清々しい限りである。このような事態は例外建築事態なので10年前から観察させて頂いていました(分かり易く言えば京都の俺の家の映画)

岡田栄造監督は岡本喜八監督張りの多数のカット割りにて観客を飽きさせない、音楽の野口順哉監督は感情を喚起させないよう映像をフォローしない、二人は決めない振りして決め続ける。そんな清々しい態度と二人の豊かな関係のなか(お隣りさん同士らしい)彼らは往復書簡風にやり取りを繰り返し重ね続け1年かかって完成させたという。映画の舞台の床の状態は限りなく雑然と撮り、人が使用不可能な建築の場は素直に、美しく撮る。階段周りの絵が特に美しい!それらが入り混じるを得ないショットは生活部を限りなく抑制し画像を作っている。(一度しか観てないのでこんな感想)

中山英之さんの展覧会でもあり発注者.あるいはそれぞれの中山建築の住み手たちが作った短編を繋いだオムニバス映画を上映するたねの場となっているという。残念ながら高田馬場で花田達朗先生とのジャーナリズム系の話が盛り上がってしまい上映時間に間に合わず全編鑑賞できなかった。

例外人間たち万歳!!また一つ貴重な時空に身を浸すことができ嬉しいひと時であった。


映画のポスター@中山英之さんシネマ館
建築の理想は路上なりと言い続けてるおれが『HOUSE ROAD』を見逃してしまうとは!まずい!老いぼれになったと自覚しておこう。ネクストO邸なのに!絵はギャラ間にて走り撮りす。


 7月23日 くもり
FB投稿より

今日も夕陽ごず
夕陽色の海鮮パスタを作る
地酒を呑む



 7月22日  相変わらず梅雨空 

■参院選挙が終わる。投票率50%割りこむ。与党議席を減らし維新など合わせても改憲提出発議3分の二に届かず。れいわという左サイドの大衆ふう政党が2議席を得た。かれらは重い障害を持つ二人のようなので、選ばれた彼らに合わせ議場の物理的改善と議事の進め方など変えなければいけないのだろう。その点はとてもよい効果が現れるので期待したい。福島県はジミンが10万票ほどの差をつけて野党統一候補に勝った。投票前に第二原発4基も廃炉のニュースを流していたので、その影響は少し有り応援メディア振りか。原発事故の本質的は反省もなされぬまま、これからも経済・復興へとドンドン傾くばかりだろう。日本人らしいといえばそうだが。人は賢く生きるために事態が起きた因をしらべたり記憶したり、反省したくない生き物なのだろう。脳は快楽を求め彷徨うということなのかも。
 福島県と青森以外は野党共闘候補が勝ち残り、このような戦い方がこれからの主流となるのだろう。秋田県は迎撃ミサイル配備に反対の意思を示したようだし、隣の新潟県は原発再稼働を阻止する統一候補が勝つなど少し変化が分かり易くなったのかも。

■今日のFB投稿より

イワン レオニドフ 作品集
今日の掘り出し物。1989年にロンドンで刊行された『IVAN LEONIDOV』2人のANDRIさんによって成る。お一人は息子さんかも。
イワンさんの世界に浸ってしまうと数年は脱出できなくなりそうなので、じっと観ないことにして整理する。体験してみたい。オリジナル作品を観たい観たい。ロシア構成主義が彼の身体に受け止められ時を重ねアウトプットされると、リアルな人類の都市史時空に放り込まれてしまう。(俺だけそう感じるのかも)で、こわくもある一冊。なので若い人にはお勧め出来ない。
合わせて『ロシア アバンギャルド 建築』1993年刊行 八束はじめ著 も発掘。こちらは良い教科書です。若い人は所有してみてください。

my長女ドイツ移住に伴い多量の本や物が我が家にやって来た。それらの品々について大雑把な整理ようやく成る。人生にそうそう無いだろう出来事に対応して数ヶ月経った。資料と本の細かな仕分けが残る。ここからが大変な作業なので数年掛けてのんびり整えるつもりだ。




 7月19日 曇り夕日少し射す
 小学生は明日から夏休みだとかニュースが流れていた。冷夏のようだ。
■ 昨日書き始めた『日の名残り』のdvd感想を書き加えた。参議院選挙選も明日を残すのみとなる。底割れし死に体かした政治状況とそこで生まれた社会状況の様を止め、次世代へ期待を持たせるような選挙結果が記されるのか興味深い。

 7月18日  気温すこし上昇している

■食材買出しにいつものスーパーに行く。日照不足にて野菜など高値 茄子1個152円。バナナ4本で192円なので茄子にかわってバナナのピリ辛炒めにしたいほど。冷夏予想にて今後野菜の高値は続くような気配

■京都のアニメスタジオにガソリンまかれ放火に遭う。33人が亡くなったとのニュース。通り魔犯とはことなり目的地を定めされている。ここまで恨みを持って犯行に及ぶ者はいったいどんな動機なのだろうか。避難階段が2か所そなえてない3階建のようだ。なんとも痛ましい事件が起きたものだ。

■『日の名残り』REMAINS OF THE DAYを観る。my子DVD乱観13
 「伝統も明日も興味深い」そう思わせる作品。1993年公開(米国制作)ジェームズ・アイヴォリー監督134分。原作カズオ・イシグロ。彼は英国で準貴族の称号を与えられている。1954年長崎県の出身で両親は日本人。1989年ブッカー賞受賞・2017年ノーベル文学賞受賞作家。(原作未読)
 舞台は1938年、ロンドンの西部であろ、緑豊かな農園が広大につづく中に建つ貴族ダーリントンさんのお屋敷。映画は、第二次大戦後に落ちぶれた「反逆者の家が取り壊しに遭う」と知らせる屋敷の元使用人の手紙から始まる。トップの絵はお屋敷の立面図、お仕舞はお屋敷の俯瞰空撮、なので建物の中で行われているだろう中身を想うためにも建築関係者にはお勧めの一本かもしれない。近代世界史愛好家の方にはもちろんお勧めだ。

 主役は例えば一緒にお屋敷で働いている場所で父親が死んでさえも顔色一つ変えず仕事に励む、いかなる時でも「能面」ふう表情をもって主人のため奉仕し続ける執事。命じられた仕事を淡々とこなし続ける壮年男性。日本語であらわすなら「滅私奉公型の執事」という設定。イギリスではそのような姿を「品格を保ちその事に誇りをもって生きる」ということか。それが伝統的な紳士の在り方らしい。俺には受け入れがたい人格の人だ。
 恋も表情も一切禁じ一生を与えられ続けるだろう職務に忠実い従い尽くす変人型の執事を演ずるはアンソニーホプキンス(Anthony Hopkins)。異様な性格者を演じたらピカいち!の彼。この映画の主役に最適だ。お得意のはまり役。アンソニーが出演する映画を観ると「こんな人格の人間は存在しねーだろう!」と呟きたくなるほどに演技がさえまくる。最初に彼を映画で観たのは『羊たちの沈黙』か『ハンニバル』だと思うが、異常性格者を的確な表情で演じ過ぎるので寒気を催すほど恐ろしい!冷酷演技に感服したのを思い出した。適役の役者を探し出す、監督の目は高い(映画人なら当然の仕事か)

 筋はカズオ・イシグロの原作がそうなのだろうが、多様に読み込めるようになっていて、受け手が何を書いても見当はずれになるように仕込んである。映画でも回想シーンを使い20年の時を行き来し進行するのでやや煩雑。それが作品の評価を高めるため、あるいは現在と過去を混濁させることで効果をねらうためはっきり描かない。その押さえがなく全部あからさまに表現ししまえば一流作家にはなれない、著名作家となるためのあるべき技であり、表現者が持つべき一つの要諦だと思う、それ無しに文化の領域には踏み込めない。凡人にはやや分かりにくいメソッドでもある。作家の意図と違ってもよいので一応簡単に感想など書いおこう。

 1938年、第一次大戦後の英国にあって親新ドイツ派のダーリントンさんは「過大な賠償金をドイツに負わせるのは敵意をつくるだけで友好にあらず」という立場の英国の紳士。その事を広めようとし彼は世界各国の要人をダーリントン氏のお屋敷に招聘し親善会議を開く。つまり彼のお屋敷が第一次大戦後の世界において最も重要な外交の一つの基地だったという設定だ。ダーリントンと彼を支持する要人たちに向かって「ドイツを甘やかすのはアマチュア政治だ」と異を唱え、品の無い・鼻持ちならない若き富豪・政治家を一人配置している。彼はアメリカから参加し親善の場にさざ波を与える悪役として描く。
 親新ドイツ派のダーリントンさん没落し、第二次世界大戦終了後(回想シーンとの時差は20年)お屋敷と財産などは競売によって親善会議に参加していた先ほど書いた鼻持ちならない米人の富豪・政治家の手におちてしまう。世界史ふうに受けとめれば第二次世界大戦によって英国から真珠湾以外本土戦が無かったアメリカに覇権が移ったということを暗示して描いたのだろう。彼は英国サイドから見れば金は持っているけど元主人のダーリントンさんと比較するまでもなく下品このうえない男=アメリカ人という描き方のようにと受け止められる。イギリス紳士のアメリカ蔑視というツボを外さず代筆している点はカズオイシグロ氏の作品が英国で賞をあたえられ西欧の人々にも支持される点かもしれない。
 
 主役などの話に戻る。ご主人様の暮らしを支える執事たちの日常の働きぶりと主人に仕える苦労の数々を丹念に描いていて、その対応ぶりにイギリス人の品格ある振舞いはあらゆる隅々に至るのだという点も、映画の見どころだろう。
 だが生き物には必修な恋についてプラトニックラブ程度にしか描いていない。恋情の描き方は貧相で偏っていて、紳士的執事とは対照的に何でも意見を率直に表わす女性の副執事役を配置し、彼女・淑女とのすれ違いまくる恋心や配慮の行き違いの様子は滑稽でさえある。観ている者は恋なのか片思いなのか?と気をもむことだろう。男性の恋に対する態度の不明な描き方は長崎で生まれたカズオイシグロ氏による意図的な日本の男の古風な愛情表現を、英国の物語に移植しし描いているのかもしれない。で現在の私が観てると恋の描き方にメリハリがなく退屈であると感じさせるのだ。だが品格を重んじる紳士淑女が住む英国ではそこが益々受けるということのようだ。

■伝統などについて雑感。
 人という生き物は他者という人と暮さねば生きてはいけない社会をつくり上がている。社会の規範や生きるための約束事をつくりあげ、生き物としての人の行動を抑制することで人が創った社会を維持し続けた。そのことで地球上を人という生き物で埋め尽くすまでに至った。規範や品格を教え育て身にまとうことで生き続けてきた生き物である。だから人が作り上げた社会の規範を破り新たな地平を拓くという視点で「食と性」を外して描ことは保守的な態度となる。映画を観て新しい体験を得たいと思う者にとっては、「食と性が無い」ことは物語全体に精彩を欠いていると受け止めることになるだろう。現在のような孤食の時代が到来しても、まだ猿のように独り占め個食したり、聴衆の面前で皆が憧れる大好きな女性との交尾を公開し晒したりはしない(webでは起き出していのかも)。家族ドラマなら家族と共に飯ばかり喰らい続けるシーンだけでも映画は出来上がる。異性間あるいは同性間の性行為の多様さだけを描いても作品は出来上がる。どちらも訓練と技が要るので「食と性」の扱い方によって文化の成熟度が分かるように想う。

 『日の名残り』という映画には極度に洗練・形式化された食事風景は描かれているのだが、動物として子孫を残し仲間を増やすための性交渉の場面は全く描かれていない。日本には古くから春画があることでその領域は今も昔も変わらずの様なんだと分るのだが、イギリス貴族の紳士と淑女の子孫作り風景はどうなっているのだろう。子作りへ至ための異性間の豊かな対話関係と交渉術は多様な物語を生み出す一つの源でもあるだろうに。この映画におけるイギリス紳士の間ではそれを描くことは慎むべき事としているようだ。執事には修道士型が求められているのだろうか、主役の男は女性からの恋情の表現に対しても押し黙ったままだ。唯一主人公の父親が臨終の場で「母親を愛せなかった」と告白し息を引き取らせている。まったくもって異性への思いが欠落した描き方だ。紳士は恋のための技を磨くこともせず、極端に書けば人の生活を豊かにする努力もせずトラディショナルな暮らしばかり守る、主役男は片輪者なのかと誤解してしまうほど恋の描き方が極度に貧困なのだ。彼の父はインターコースのみでお前が生まれて来たと告げたように受け止めるしかない。作者がそうなのか、イギリスの人は異性に対する感情が貧相なのか分からない。だからイギリスに帰化しただろうカズオ・イシグロ氏による現在における恋愛小説を期待してみたくもなった。(すでに編まれているのかもしれない)

■明日についての雑感。
 日本における近世期の身分制度はぼんやりと分るけれどイギリスの階級社会の実態を全く知らない。イギリス人の間では階級社会についての話題になると「一晩話し続けても話し切れない」と言われるそうだ。俺は階級話に参加できそうもない。日本人は敬語を日々つかっていて話ぶりと内容によって発話者の暮らしぶりは分かってしまうのだが、イギリス人による階級による英語の訛り・単語の使い分けなど知っている者ならこの映画はさらに深く味わうことができるのだろう。この言葉は貴族階級の言葉だなとか、なんて下品は言葉だなーとか分かるとさらに楽しめるだろう。

 現在日本は世界の潮流に適切に適応できない政策とその施行によって総中流は崩れ去りつつ貧富の差は広がって来ている。税の徴収の仕方の偏りによって「格差社会」なる言葉が生まれ20年ほど前から使われだした。この現象によって英国のような階層社会が築かれつづある前触れなのだろうか。そうだとしたらイギリス人のような意識の中に現在の日本風差別が上書きされることになるのだろう。伝統保守の意識がないのでイギリスの人ような品格という抑制が効かず強い階層意識を持つ者を生み出ししまうだろう。加えてそれら一部の者を囲い込むことで日本的貴族社会を生み出す前段としての格差社会の出現ということだろうか。現在芽吹いている格差意識がやがてくるだろう階級社会においては人々の暮らしぶりはどのようになるのだろうか。今世紀に入って盛んになる格差が生み出す社会の先に対しての興味をこの映画は喚起してしまう。
 加え、TI革命によって加速されている伝統的家族のあり方と地域社会の消滅は生き物としての個にどのような影響を与えるのだろうか。個が砂粒の流れのように絶えず流動して生きることは可能なのか。流動化する個はそれぞれの精神にどのような事態を発生させるのだろうか。それらの反動として 『日の名残り』のような英国ふう身分と心を持つ人々に綺麗にわかれ、システム化され他者に無関心で不寛容は人々が現れるのだろうか。

 身近な体験を思い起こせば明治男の祖父の矜持ある暮らしとそれに対する元小作たちの忠誠と尊敬と誠実な対応振りに似ている社会の再出現なのだろうか。しかしIT革命によっておこる様は近世末期から戦後のある時期まであった日本における階層が明確なことで起きる様相とはまるで違う事態が起きる。だが具体的に想像するのが難しい。

 カズオイシグロ氏の描く回想と現在の混在物語のように、私の身にやがて来るだろう想像の未来を加算することで成る社会への想いがむくむくと湧き立ちに止めが効かなくなる。映画に暗に描かれているように覇権が英国から米国へ、今世紀半ばには中華と言われた現在の中国へ戻るだろう。そこでは映画の中の貴族と政治家たちが執事に話し合いに参加するようテストする、会議への腕試しをするような問いを3発する場面を思い出す。そこで描かれたのは「どんなに有能な召使でも国際政治の場では馬鹿で使いも者にはならない代物である」そういうパターナリズムを持ち上げる作家の態度には疑問を持つた。だが有識者と市民のありようを模索し協力し合うことで成る世界に想いをはせるのもこれからの生活には不可欠な点だろう。
 イシグロ氏が続編としてこれらの現世相を編み込み一層深い伝統と現在を混在させた物語を紡ぎだしみせてくれるのかもしれない。そんな期待も起きIT革命が起こした現象の反動としての歴史風味の有る彼の小説も期待してみた。そこでは伝統回帰を告げる者達によって明治期にあった祖父と小作人たちの姿のような互いの責任を持ち合うことによって互酬性をふくむ階級・階層社会が再来するのかだろうか。映画は現世を写す鏡であると同時に明日をも描き出す創造の魔術でもある」明日を含む歴史と伝統も大好きな方に勧めの1本。



 7月17日 曇り時々晴れ

 家人の70日ごとの通院日にて付きそう。途中農協の直販所により桃を買い求める。さらに期日前投票をする

■ FB投稿より 期日前投票する。
病にて長年にわたり投票所に行く事が出来なかった家人を期日前投票に誘い(20年振りかも)主權行使の支援をする。老眼鏡も備えてあり、投票人が少ないので親切な対応ぶりありがたし。人混みに立ち入ることが出来ない家人のよううなひとは棄権してしまう事が多いと推測する。多様な主権者に合わせ投票形式や方法も多様にしてほいものだ。
◆桃の季節が近づいているが日照不足で糖度がサッパリなのだろう。投票所そばの直販店で桃など買い求め、早速試食食した。1980年の酷い冷夏の桃より断然うまい。だがまだ福島桃感弱し。今後、日照が続きを期待して来週、再度試食してみよう。
◆庭のムクゲ咲き出すほどに 夏まじか


  7月16日  冷夏とのこと今日も日照時間ほぼない日かもしれない

 my長女の荷物を入れた運ばれて来た多量段ボール箱を資源ごみとして出す。

 13日は福島大学の公開授業に参加する。27日におこなわれる、残り3コマで終了する。歴史をつくる=記録をどう扱いどう歴史をつくるのか、歴史資料とはなにか、それらを作ることに関する興味から公開授業に参加している。
 311以降福島県内では津波と原発事故によって土地にあるはずの家、あるいは行政機関そものもが土地から離れ漂うという近代以降初めての事態が起きた。そのような中で311以降の福島県内の歴史づくりは誰も挑んだこともない、未体験な事態のなかで試行錯誤が続いている。そこで新しい記録の作り方や地域の人々大学の有識者、学生、行政などの関係機関との連携の中から、何かが生まれたり、消えたりしていてる。記憶づくりの最前線の場で起きている事態のあらましを知り、311以降の行動のための知見を与えてくれている。学びも多いし、色々トライ&エラーのなかから何かが生まれる、それを事例を通して知ることができる。興味深い授業である。

■FB投稿より

公開授業 これからの地域と歴史 文化遺産@福大
夏草は刈り取られ干し草の仄かな香りが満ちている福島大学で行われた公開授業。残り2日間6コマとなり3コマ連続の授業。

菊池芳朗先生による これから文化財の、あり方にかんする私見...

岩崎由美子先生による国見町内谷における地域連携による集落活性化の取り組み

天野真志先生による『大字ふるさと請戸』などポスト歴史学ともいえる最新 世界初の取り組みだと思う。それらは津波で全てが流されててしまった地域に歴史学は可能なのか、災害危険区域指定によって人の暮らしが、家をつくり住むことが不可能になった場合でのそれ は可能なのか。原発事故で地域から住民が離散しても可能な消えた地域の歴史のつくりかたは可能なのか。そこに挑戦している事例を紹介いただいて興奮した!やるもんだね。若い歴史研究者達が連結しつぎの、扉を開いていると実感できた。(昨年の仙台メディアテークでの、公開発表の交流による内容の裏舞台を知る)



 7月12 日昨夜の雨あがるも 気温上昇せず

■買い物したり、庭の草をむしったり、雑事をこなしつつ『巨怪伝』を読む。9年間かけた作品なので一気に読むのは難しいので、メモをとりながら1日1章読むことにした。(全18章)

■『めまい』VERZTIGZOを観る。my子DVD乱観13。
 1958年公開、アルフレッド・ヒッチコック監督作品。130分。舞台はサンフランシスコ。主役は退職した刑事と彼の友人の妻に扮した女性。
 恋心って不可解で他人には理解できないし、不思議ことを起す源の一つなだ。そのような共感基盤を監督と共有しないと面白くもなんともない映画だろう。異性を好きになることが万人共通ではないと認識されている現在、どのぐらい支持を得るのかは不明。
 劣化したネガプリント・フイルムを世界中から集め、2年掛けて再生し、音もつけ直したDVD作品だそうだ。元の作品とほぼ同質の画質だそうだ。ヒッチコック・ファンなら原版の画像と音なども詳細を知るだろうが、俺にはそれらの違いが分からない。目玉に渦巻きぐるぐる絵や謎めいた世界へ誘うためのドロンデロンデルヨの音楽は『ウルトラQ』の導入映像を思い出した。

■筋は、元刑事は友人が雇った女性を妻に仕立てていることは知らず、妻の殺害のため高所恐怖症の元刑事を教会の鐘楼に誘い込み妻は飛び降り自殺したのか?元刑事が深い追いしたので飛び降り死したのか?不明に描いている。
 前半は友人である元刑事を犯人に仕立てようという依頼者の思惑にそって展開する。だがそこもそうなのか?それも不明。そこをはっきり描いてしまうと鑑賞後の謎解き語りが盛り上がらなくなってしまうので、幾重にもはっきりと描かない。種明を追求しようとすると少し混乱するような仕掛け、そういう描き方をするのはサスペンス・ミステリー映画作家が外せない肝の一つだと思った。
■ 妻を演じたキム・ノヴァックも元刑事を演じたジェームス・スチアートも犯行前、犯行後で人格を入れ替えて演技しなければ、鑑賞者をミステリーの世界へドンドン誘い込む力が落ちてしまうのだろうが、がらりと変わった精神性を顔の表情と振る舞いを巧みに演じ分けていて完璧だと感心した。
 謎解きをするために後半は前半と同じ様な筋書きと映像を使いなぞるように描くのだが元愛し合った二人の心の変化を表すための仕掛けと工夫が随所に凝らされていて、そこも楽しめる。

 監視を頼まれた友人の妻(を演じている女性)と恋に陥る?なんて俺の感性には無いので「そんなに簡単に友人の奥さんとラブラブに成らんよ」と思い見ていたが、そうならないとミステリー映画として成立しないので野暮な観方というものだ。
 後半では妻を演じた女性に元刑事は騙されたと知ることころから、恋が破綻していくのだが、ラストをキッチリ映像化しない点も、筋が飛んだり不明だったりしきちんと描かないと同様、鑑賞後の話題を盛り上げ謎を解く楽しみを提供して巧だ。それら多義的な肝の重なり合いの妙が面白くてヒッチコック監督作品を観に行くのだろうと思った。

 7月10日  昨日より少し気温上昇しすごしやすい

■近所の眼科に行く。白内障は2週間の目薬点滴でも改善しない、老人病だ。なので施術するかどうかは自分の判断しかない。ほとんど目が見えなくなるとは思えないし視力がどの程度落ちると日常生活に困るのか、それさえ分からないので、様子見して、困るようなことになったら人工レンズと入れ替えるようにしよう。治らない薬も効かなさそうなので、眼科に行ってもしかたなさそうだ。

■『コーリャ愛のプラハ』を観る。my子DVD乱観12
 コーリャとは5歳ほどのロシア人・男の子の名。1996年チェコ・フランス・イギリス制作、106分の映画 。舞台は1988年プラハ。

主人公はコーリャと50歳ほどはなれ独身を続けている老楽師(チェリスト)。
 他者との交流の可能性に想いも至らない「島国根性」に暮らしていると気付かない。ゆったりルーズな男たちが暮らす事が無い日本では描けない内容だ。歳の差50もある赤の他人・男の子と老人男性の交流の中で生まれる葛藤と幸を同時に描く。日本映画だと『子連れ狼』になってしまうのが落ちだが、プラハの歳の差ありの男性同士の交流はそのような、外敵にあらがい滅多やたらに他者を殺してしまう筋だてにはならない点が興味深い。...
 オンナ・子どもに従う、ある種「マゾヒズム老人」の傾向に倒れているように見えるのかもしれないが、谷崎文学の『痴人の愛』や『鍵』のような異性に相手にされない金持ち成功男が盲目的に女に尽くすだけで惨めな筋いでもない、異性との豊かな対話を構築し日々生活を営めない男には、豊かな映画の中にあるメゾットも知らない。日本男性老人のあのバカげた老人たちの持つ一方通行の糞・マゾヒズムでもない。

■チェコスロバキアの人を初めて知ったのは1964年第18回東京オリンピックの女子体操選手総合優勝を果たしたベラ・チャスラフスカ選手22歳その人だった。彼女は1968年メキシコオリンピックでプラハに政変が起きた(主にソ連・ワルシャワ機構軍が潜入した)ことに抗議し、真っ黒に近いのコスチュームを身にまとい演技を続け、総合二連覇を果たしたことでも、日本のファンは多い。彼女自身の日本好きは有名だ。
 陸続きで為政者が絶えず入れ替わる中欧の地に暮らす人々は政治が絶えず揺れ動きその中で暮らす構えを身に着けているのだろう。他者との距離の置き方と入来る他者との付き合い方を想像する事は俺には限界がある。
 311時に身の回りに暮らす老人と対話していても、彼らは血縁・孫ばかっ可愛がったり、あるいは制度の内で手に入れた自分の成果に載り語る。片輪に近い男たちだ。捨てられた無血縁の男の子と共に暮している男性・老人に出会った事がない。彼らは経済的成功、あるいは日本会議的・単義的価値におぼれ暮らし、多義的な人の交流を試す術も持たないし、意味も理解できない化石男のようにも見える。(簡単に書けば価値観が変容し続けない死んでるような男)

 ■川向正人氏は建築において中欧の都市や建築について学ぶべきところは「幾つもの時代に亘って少しずつつくられた方が、精神性の深い、長く人々に愛される、優れた作品が生まれやすい」と語っている。さらに「都市が自然と共存し訪れる人の心を穏やかにする」と加えていている。再エネだと言いば単調に野山に太陽光パネルを敷並べ気張る島国の男とは異なる価値観を身に着けているかのようにも思える都市プラハに暮らす老人に描ている。

■筋は至って簡単である。男の子と50歳離れた他人同士の交流を単に表すのみ。そこに至るのは単身を続けている老人チェリスト、火葬場で演奏するしか仕事がない退屈な日常に言葉巧みに結婚詐欺を持ちかける友人によって起きてしまう、おせっかい話に近いだろう。
 ロシア人子持ち女性との再婚話に乗った彼は、結婚成立の数日後に子どもを置き去りにしてドイツに政治亡命してしまうとソビエト女とは知らない。やがてビロード革命が済み、再会し母子ともにソ連に戻ることになるのだが、別れ際の描き方がよい。
ビロード革命が真っ盛りというように直接すーっと分かるように描かないのは、永年にわたり映画監督たちは検閲に遭っていたからだろうが。そのビロード革命プラハに起きていることも(1989年11月10日以前のプラハとソ連の関係も)薄っすらと背景に描いている。なので外省人と本省人の対立を描いた台湾の候考賢(ホウ・シャオシェン)監督の『非情城市』と見比べて楽しむのもおすすめだ。

■制作者の意図はソビエトの人々との和解なのだろう。だが俺は単調な理解の仕方には沿いたくなかった。日本の現況に沿って書けば「豊かな老人とは多義的な思考でどのような状況にも合わせ柔軟に日々暮らし得る人の事だ」と再確認させてくれる。さらに「老人が努めるべきことは家事全般を難なくこなし、他者の行いに対し寛容で老若男女をも楽しませる技を多数身に着け軽やかに生きるを目指し勤める人なのだ」その事も教えてくれる1本だとしておこう



 7月09日  

 日曜日あたりから肌寒い日が続いている。陽射しが少ないので今年の桃は甘くないのかも。桃好きとしてはカンカン照りはこまるが晴れて欲しい。
『巨怪伝』をメモしながら1章を再度読む。 


■ 7日のFBより
 来た! 佐野眞一著『巨怪伝』上下
閉店まぎわの安売りにて買う。鯨、水蛸、巨大ホタテをサラダオイルで焼き入れ肴に、呑みながら、本を手にサラッと見る。どちらもいける!
◆311によるといわれる福島原発事故の記憶を継承するなら、戦犯にして越中人の欲望を忠実に生きた彼。70歳にして代議士初当選をはたした正力松太郎の人生の顛末を再確認することからだろ。
彼の末期は寂しかぎりの様だが、そうなる必然も再確認すべきだ。 明治男はなぜかくも立身出世を果たそうとしたのか?(現在の老人やビジネス成功を目指してる者も似た者かも)加えて赤狩りのボスにして大衆の連帯をことごとく潰して、仕出かした冤罪さへ握り潰し闇に葬る。そこでうまれたのは今日の主権のような政権のままになびく大衆化した国民たち。それをなしとげ意のままに大衆を動かしまくった異能の人でもある。
図書館にも無さそう、というよりは文庫で持ち記述されてる参考文献名いつでもすぐ知りたいからだが。で文庫注文した。ハードカバーの初版ほしいのだが無いとのこと、仕方ない。...

長嶋茂雄を知るなら天覧試合は知ってるはず。(1959年6月25日 いまから60年前、前後サラリーマン化すすんだ彼彼女たち大衆の欲望誘導に成功した事例の一つ)
ダメ新聞社読売を手に入れ手腕にて盛り立て日本一にそだてたり、マスコミを政治の広報とし常態化させた手法を定着されるための下ごしらをした怪人でもある。
(現天皇は背番号3のユニホームを着て撮った、あるはず。野球を皇室太鼓判つきの国民的スポーツに仕立てた手腕などてんこ盛り本なはず)

◆正力は日本の 原発のパイオニアにしてCIAをも巧みに金を引き出し使いこなしたようにも見える?使われたのか?(ソ連は金が無かっただけなのか)
今日の因に知りたければかっての正力の生き様に聞くことが最短かもしれない。
こんにちはの原発の愚を山紫水明の大地に設え放射能を振りまく結果をもたらした。そのような日本人のダメダメ化した俺の欲望の深層を観ることで、今日以降の知見になるといいのだが。
(佐野さんに著書は橋下批判事件で失墜してる)


7月08日

FB投稿より
monvments of EGYPTA THE NAPOLEONIS EDITIONを発掘する
200数十年前のエジプト遺跡調査記録の普及版。数万円で数十年前に手に入れたが忘れてた洋書。手にとると、権力者が絵師なども連れ未知の大地を旅する醍醐味を垣間見る気分を味わえること間違いなし。ブラぶら!なんやらの旅もお手軽でよさげだが。命張って連れの者を選別し連れ、異界の者達に生命を奪われたても、そらはなりにと覚悟し各所を訪ねて記録しちゃう。そこで共有可能な記録を作りあげる。(現在の未開地は災害地や戦闘地、原発災害地しかない)それの地球人の好奇心の逞しさの思い出させてくれる。そんな無謀な豊さの源さえ再確認さてくれるので数万円は安い!(今は空っけつなれど)金のある時に買うべき一冊なり。
バブル期の日本人たちははは、何か地球史レベルで記憶し継承するための調査記録をつくる放蕩さえできなかったのだ。と本を開いて、あの当時なにしたか、一億円を各市町村にばら撒いたなー。などいろいろ日本の権利者の所業を調べて見たくなる、そのキッカケを与えてるくれる一冊でもある



 7月05日 

日本酒一升瓶をもらう
マイ長男が送ってくれた。酒蔵は石巻市の住之江酒造、原料は岡山産の酒造好適米 雄町 。さっそく冷やして呑む呑む。近頃酒の肴はフルーツ各種なり。(ゴリラが酒を呑むかんじ)日本酒と果物を共に冷やすのが好き。今日の雄町は冷やすと麹の香りが薄れ辛口ますます。精米歩合56%の純米吟醸



7月04日

FB投稿より

アルドロッシ関連書@今日の掘り出した
大阪で建築系洋書店をいとなんでた大島哲蔵さんの手紙と共に見つけた。アルドロッシ作品と大島さん福田さん翻訳の『都市の建築』若い建築家志望の方々に手に取って頂きたい本だが。「ロッシ様をどれほどの日本の若い人達が知っているのか」さえ知らない俺。まいいや。



 7月3日  たり 

■雑用のため町に出る。すこし気温上昇していて蒸し暑い日だった。相変わらず本と資料の整理をし続けている。この1年で整理してしまいたいのだが。どうなるのか不明。
■モーリッツ コーネル エッシャー図録や本
今日の掘り出し物はESCHER系にかんする図録など。1975年ごろ渋谷区恵比寿の本屋で法律刊行物でエッシャー特集が編まれていた。手にとって面白過ぎまたので買った。(その本はまだ掘り出せてない)
1981年5月1?12日まで新宿伊勢丹で開催された『魔法の芸術 エッシャー展』図録。とう一冊は『エッシャーの宇宙』。この本は数学と物理学の教師のかたわら著者がエッシャーと共に全作品の制作秘話などをまとめたものを、1983年朝日新聞社が刊行。エッシャーファンなら誰でも持っているかもの一冊。
いまは新聞雑誌購読してないので近頃の日本でエッシャー人気あるのかどうか、それさえ知らない。
◆エッシャーの実のお父さんであるG A エッシャーさんは明治初め日本政府から招かれたお雇い外国人の一人だ。彼の日記によると、来日ご、まもなく大阪の外国人居留地に 腰を据え、お松という女性と帰国するまで終始行動をともにした、とある(1987年5月2日朝日新聞記事より) その記事も掘り出したので絵をのせておこう。...
明治初頭に日本政府は、お雇い外国人に現地妻のような日本人女性も与え雇っていたのだろう。近頃お雇い外国人が存在するのかどうか?知らないが居たとしても公式に日本人現地妻など提供するとは思えない。明治の官僚たちはそのような貢物まで与え近代化を急いだのだろう。現在でも、米軍に思いやり予算を出し続ける精神は明治初頭に芽吹いた外国人コンプレックスを表すかのようで興味深い。コンドルはホモで現地妻は不要で与えなかったなどよからぬ妄想してしまうな。
いずれ、唐人お吉を始めとする日本人女性たちの存在などを記した著書も集めてみたくなった@エッシャー関連掘り出したなーの日



■『11‘09 ”01 セプテンバー11 』を観える my子DVD乱観11 
2002年・フランス映画。11ヶ国11人の映画監督が11分9秒1のフレームにメッセージを込めた134分のオムニバス。
 現在の20歳前後の人人の多くは2001年9月11日に米国で何が起きたのか知らないかも知れない。1991年8月2日イラクによるクエート侵攻を切っ掛けとした湾岸戦争から10年の後、アメリカにて「同時多発テロ事件」と言われている世界貿易センターへ民間旅客機2機に突っ込む自爆テロを起こした。国家対国家の戦争ではなく、国家対テロリストの戦争になった最初の事例。それは世界の人々を震撼させると同時に「テロ対戦争の時代の到来」を自覚させ。死者2996人、負傷者6000名(Wikipediaより)に達し、2003年3月20日から始まったイラク戦争の切っ掛けとなった事件。日本では憲法拡大解釈しまくって自衛隊がサマーワに派遣された。福島市での髭の体長は著名になり主権者無視発言をし続けているが代議士を続ける切っ掛けもつくった派遣事件ともなっている。
 DVDのキャッチ・コピーには「911を風化させないために世界の映画界が誇る11人の監督が結集した」とある。順にちょっとした印象雑記を並べる

1) イラン:サミラ・マフルバフ監督
 子供達(小学1、2世ぐらいの男女)に暮らしや勉強の様子を描いている。子供たちは泥だらけになりシェルター用の日干し煉瓦を作る。先生がやってきて「こんな煉瓦じゃ核爆弾は防げないよ」というが何のことだか理解できていない。子供たちが作っただろうトンネル状の土づくり教室内で授業を受ける。机はなく土間に直座り。乳歯が抜けはじめた無邪気な笑顔の愛おしさは万国共通だろう。子どもたちは演技しているとは思えない自然なふるまいが素晴らしい。教室で子どもたちはお互い盛んに話し合うが内容は高度で哲学者も子どもたちに適切な言葉を与ええられないだろう。

2)フランス:サミラ・マフマルバル監督
 アパアートの室内に暮らす恋人どうしによる無音劇。お互いの手話でコミュニケーションをとっているので映画も対話音は消されていて物音が微かに入るだけ。他は映像と字幕でつくられている。聾唖者・耳が不自由な若い女性と健常者の手話による対話による心のすれ違いを描く。911による喪失と失恋の喪失を重ねているのだろう。

3)エジプト:ユーセフ・シャヒーン監督
 貿易センター前で無断撮影し警察に追い払われるアラブ人映画監督と戦争で亡くなった息子(亡霊)との対話劇。アラブ人は犯人扱いだが、ビンラディンはアメリカが教育した。アメリカは主権者が選ぶ政治家による民主主義国家なのに ベトナムでは400万人、イラクでは120万人、エルサルバドルでは100万人、広島長崎では数百万人、殺害したの文明を破壊している。と米国の蛮行を再確認する内容。

4)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ:ダニス・タノヴィッチ監督
 難民であろう娘と母親と両足を無くした恋人交流をとおし反戦のデモを描く。1991年・ボスニア戦争を経ただろう娘は反戦集会やデモに参加している。集会場のラジオから同時多発テロのニュースが流れ集会は中止となるも、大勢の婦人たちが布にメッセージを書いて訴える無言の行列が印象的だ。(日本で女性たちだけのイラク反戦デモ行進が行われたとは記憶していない)

5) ブリキナファン:イドリッサ・ウェドラオゴ監督
 母親が病で伏している貧しい家の少年と友たち4人の友情を描く。彼は母に代わりに新聞を売り日銭を稼いでいる。ビンラディンに似た男を町で見つける。手にもっている新聞には2500マンドルの懸賞金が掛かって記されている。偶然町中で潜伏中のオサマビンラデンを見つけ、仲間4人と武器をもち捉えようと計画するも失敗してしまう。この国の金持ち男は「女と別荘と車とタバコに金を使い病人やまずしい者を助けたりはしない」と子供たちは思っている。オサマを捕えないと母の病気は治せない。捕獲に失敗した少年たちはブッシュを捕まえて身代金を手に入れ学校へ行き同時に母の薬代のための金策をしようと友達と考え続ける。

6)イギリス:ケン・ローチ監督
 チリでテロリストと呼ばれイギリスに亡命している男性歌手が、アジェンデ政権をアメリカはこれを脅威とみなし弾圧し政権を転覆した、1973年9月11日チリクーデターの様子を回想し歌う。アメリカは後ろで軍を操り国民を拷問死させる。

7)メキシコ:アレハンドロゴンザレス・イニャリトゥ監督
 真っ黒で映像も音もない映像。DVD機械が壊れたのかと思うと何やら聞き取れない人の声が微かにおきる。2001年911の各国のニュース音声がながれツインタワーから飛び降りる、落ちてくる人人の映像が続く。崩れゆくツインタワーの映像のあと長い沈黙が続き真っ白な画面になり終える。ツインタワーで亡くなった方々への追悼作品なのかも

8)イスラエル:アモス・ギタイ監督
 町中の自爆テロ現場における人々の混乱した様子をひたすら描いているとツインタ〜ワー突撃のニュースが流れ来て終わるく

9)インド:ミラ・ナイール監督
 アメリカ移民中のイスラム教徒の母と息子の話。息子は事件当時、犯人と決めつけられ追求され続けるが、テロ現地で救命救急にあたり亡くなり英雄とされる。母親の苦しみを描いている

10)アメリカ:ショーン・ペン監督
 妻を無くした老人が暗い部屋で独り言を放ちながら一人暮らす様子を描いている。911が起きツインタワーが崩れると窓に光が差し込み始め枯れた植物も生き返る。ツインタワーによる日影によって生まれる暗い部屋であり、そこでは植物も枯れていたと分る。光によって植物は再生するが亡くなった愛しい妻は生き返らない。その悲しさも描いている。

11)日本:今村昌平監督
 戦地に行き精神を病んでしまい蛇のような仕草で生き続ける帰還日本青年兵を描いている。精神を病んでしまった彼を受け入れ人間に戻すことができない家族と地域の人々の対応を描ことで、戦争=聖戦の意味や生死ではなく、兵士に一人一人に与えた精神的苦痛を思い出せる。戦闘を受け入れられず精神障害者となるものの存在を描き出し伝えてもいる。今村テーストが炸裂しエロスと生が濃く出て「聖戦なんかありはしない」で〆られている。分かり易い強い主張の作品


 7月01日   02日曇りのち

 大移動し物。送られて来た段ボール箱を潰して、資源ごみに出す。一気に出すと多すぎる量なので半分だけだした。
 人生最大の本資料の大移動。たんに乱雑に本棚に収めただけの本と資料を分類し整理し始める。時間のあるときは心して、1年間をめどにこつこつ分類整理してしまいたい。まだ大枠の分類と配置が浮き上がってきていなのだが、大雑把には地下に建築系とmy子たちが幼少の頃に使った本や資料をまとめる。2階は今使う必要のある資料や本と美術系、建築系の分厚い本があつまりだしている。離れはmy長女の本。物置は娯楽系本というぼんやりした仕分けが出来始めた。

■今日の掘り出し物 
 倉俣史朗の世界 @原美術館1996年6月29?
「倉俣史朗のH ow High the Moon1986を手に入れ損ねた!」あの記憶蘇る。外商部に在籍していた知人の百貨店で使用していたこの椅子に目を付けていたのだが、忙しさのあまり「転売せよ」と催促するのを忘れていて、再確認したら処分された後だった。くそー!俺らしさ薄れてたのだろう。感じたら即、執念深く追わなければ一生後悔するものだ。
そんなことを思い出させる今日の掘り出し物 倉俣史朗の世界展図録など。
25年ほど愛用している伊東豊雄さんデザインの椅子は倉俣さんのそれの派生変容版だと推測するが、倉俣さんのH ow High the Moonと比較するとゆる甘だ。社会がそのような空気を求めていたのだろう。(ゆる甘な我が家に合っているけど。手放さず!家人べた褒め椅子)