佐藤敏宏
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2023年11月の日記          



11月30日  陽射し弱い 天気下り坂か


■町にでむき用事を済ませる。 

■7月4日の聞き取り 記録を仕上げる昨日と今日で仕上げる


 松本花音さんより文章が届いたのでWEB頁にする。

11月はあと数時間でお仕舞 
冬至まではまだまだ日が短くなり、赤い陽ざしがくてでもあるが薪ストーブ炊いて煮物をする季節でもある。明日の朝飯用今に炊き始めた(19:26)

■夕飯はあいかわらず作っている、今日は筍飯と味噌田楽と味噌汁、好評だった。
















11月28日  風がでて天気変わり目か、夜小雨がち

7月4日の記録を読み直し修正しつづけた。午後いちで食材を買出しにスーパーにいく。家人は疲れるようで買い物にいかなくなってしまった。低気圧が発達しているのだろうか天候に合わせるように妄想が激しくなってしまった。が、次男が戻るとやや安定した。


■FB投稿

呑み友・北山研二兄貴3月死す
年末になると 喪中の挨拶状が届く。北山研二兄貴(福島大学教授→成城大学)の奥さまよりそれが送られてきた。研二兄が亡くなったのは読書新聞を購読している千万家の発注者にきかされていた。彼と俺の1980年代は福島市内にあったジャズ喫茶涅雅を根城に市内を呑みあるき駄弁り人生の体験が重なり合、奇遇があった。一つ年上の教養人であったが猥雑な俺のような土方上がりの者を面白がっていたし、頼み事もしたし、呑み喧嘩もしたり長い付き合いのすえ成城大学移籍し、福島市内も一段おもろない街になったのは事実だった。
彼はたしか山梨県うまれで横国卒し修士は外語大、俺が福島に戻った1980年初頭は福島大学のフランス語の教授だった。ジャズ喫茶に二人は出入り週3晩は呑んでは騒いでいたから福大の不良教授だったのだろう。なにしろいい加減なのだフランス人の真似だったのかもしれないがしょっちゅう呑んでいた記憶が蘇る。
 彼に呼ばれて人生初!大学で建築について講義したが、飲み屋のママや旅館の女将など花束持参で参集してしまい異様な授業になってしまった(笑)だが仏文・れーもんルーセルを研究していた彼は、そういう混雑猥雑を面白がって、さらに福島市内にクラブを貸し切りドンんちゃん騒ぎをした、ふるきよきバブル前夜の思いでを残して福島を去った、理由はきかなかった。
マルセルデュシャンの全著書を翻訳し続いて書簡も翻訳した。研二兄は絵描きになりたかったそうだが途中挫折し仏文を専攻しのちのちマルセル、ダリやル・コルビジェに関する著書も訳していた。身体表現を見るのも好きだ二人はよく出かけては観て呑んだ。
マルセル本は20冊買って「建築あそび」のゲストのお土産にした。翻訳書がでるたびに送ってきたが県美術館学芸員にあげた。手元にのこっているのはこの4冊だ。
人の死も、自分の死もさほど興味はなく生きわいわいできる生きた人間が好きだ。だから、偶然にして出会い人と交流が長く続くことが多い、そういう友達に巡り合えれる生は最も幸いなる事の一つだろうと俺は思っている。亡くなったしまった北山研二さんに改めて感謝を申し上げる。あんたはおもろかったよ!
彼の年賀状はフランス語のような日本文字で内容が読み解けなかった、意味不明な年賀状もまた楽しい、そんなものを送ってくる人が居なくなった。
(建築あそびんゲストに呼んだが問題が発生して記録になっていない)







11月27日  高気圧につつまれて穏やか

■家人の脳も気圧が安定していると、乱調にならないきがする。
 次男は生コン屋に縁あって歓迎され就職してしまった、我が家はコンクリート住宅なので、コンクリートに詳しくなってもらうのはとてもいい。昨日国家試験なのか受験したようだ。結果は年が変わって1月末とのこと。資格手当がつくそうだから、合格したら祝ってあげたい。

■朝からこつこつ7月4日の記録を再読し誤字や註や動画をはめ込む。こつこつ、今週中に作業が済むかもしれない。

■今日の夕飯は鱈のタルタルソース掛け、好評だった。

■FB投稿

粗夕飯づくり爺さん1週間(7日間の夕飯ローテーション決!
家人の脳の変調を機に飯づくり爺さんになる。数年ぶりだ。言葉での議論も大事だが飯づくりも大事な一つと「建築あそび」を方々で実践してきた俺はそう思うし、飯つくれない建築系の男は糞にちかいと思う。現場で美味い飯をつくって食わせる共感し合うことが肝心で、建築現場はどこでもあり、飯ぐらい簡単につくれないと建築を造営できないかも・・・荒野にあっても飯をつくりながら建築を造る気分も大切なように思う。
■粗食であるけれど鱈のタルタルソース掛けで洋風にしてみた。とろろ、春雨と人参のワサビ入りポン酢スープ(美味い)。出汁につかった昆布も食った。一週間こんなメニューで食費を切り詰めよう

お!おー1985年前後我が家でもワイワイ
勅使河原三郎+宮田佳(子)さんKARAS動画見つけたよ
(初舞台が福島市市民会館だったので手伝ってた俺)
懐かしい!どうしていいるのかな












11月26日  快晴にて気温もあがぎりみ

家人の乱調は一時とまり高気圧に覆われてお安定したのかも、季節気圧の変化に反応するような気がする。

朝から7月4日ワイワイ 記録の 目次をする サイド初めから目を通し、誤字や注などをつけて今年中に公開できるか?微妙。

今日の夕飯は鯖味噌と揚げ出し豆腐餡かけ

夜19時から勝部涼亮さんとテストzoomを40分もしちゃう。テストじゃなかった(笑)再度仕切り直して追加聞き取りZOOMをすることにした。

■今日のFB投稿

今年の多量な・・肉声が残るな・・・ぶつぶつ
■9時間半にわたるワイウィ 7月4日web録の目次作成中!!
1月、五十嵐太郎先生のお誘いワイワイに始まり、多数の人にお会いしワイワイがやがや・・・楽しい時間を持つことができ記録もでき、勉強ばかりしていた・・そんな気がするけど今年も残すところ1ヶ月ちょい。今年最長のワイワイ記録の目次を作成中。
■ついでではあるが・・・今年、話し合いに応じていただいた多数の皆さんのお陰様で面白い時間と興味深い記録を残すことができました。この場にて御礼もうしあげます(癌発見になったが数年は活動イケイケな感じです。

4テストZOOM前に 夕飯つくり喰らう
鯖味噌と揚げ出し豆腐餡かけ 美味かったとの評を得る
■追加聞き取りのためテストzoom
ドットアーキテクツの勝部涼亮さん追加聞き取りのため40分間してみた・・・40分もテストしてしまった(笑)
問題無く便利。ZOOM契約解除して1年半ほどたったかも。懐かしさがあった。



11月25日 風少し強く、朝がた小雪ちらつく寒い日

あさから自分語りの記録を訂正じつつ絵をつけてる。原発事故の話はどうも一方的な話になり共有の情報がないとそうなる。それに法律があり、省庁縦割りで事が進展しているので、よほど興味がある人、例えば官僚など政府関係者なら分るかもだが、一般の人には理解するように伝え方が無い。

■FB投稿

2023年7月4日「建築あそび」@ドットアーキテクツ 全記録できそ!
15年ぐらい他者の建築事務所をおかりした建築あそびは続ています、今回は大阪の家成俊勝さんの事務所を会場に、俺一推しの森純平さんをゲストに、家成俊勝さん、岡田栄造先生の三人で聞く構成、所員というか家成さんの仲間だの〜!勝部亮介さん、土井亘さん、小林明日香さん、宮地敬子さん、インターンの桂瑛さん、さらに加えて、京都から立会人・松本花音さんの豪華です。非公開で、9時間半話し続け、その肉声を全部文字にしたぜ。
絵は最後の俺〆語り(福島原発事故関連語り)となっていました。9時間半でも足らずだったので、今後ZOOMなど使ってワイワイし補記しつづけることにした。
どういうご縁で集まったのか?それは記録を読むと分かるし、現在の家成さんの構えも「パーティー」という小論に書き表されているままの姿だった。家成さんは演技しない好い人(勝手に思っている)で、素の家成さんが剥き出しになり、皆も途中即興の寸劇も演じていただき、すご面白かった。このような事務所が「日本に唯一ある」それは幸いなことだ。

テーブルは村野藤吾さんがデザインされたいいものでした。我が家の食堂テーブルよりは一回り大きいので大勢で囲みワイワイできます.
歳の差50才のかたがた3人だったけど話をお聞きした。なるほど才能の差異が分る若者たちだった










11月24日 晴れたり曇ったり時雨きたり、虹もでて今時ならの天候

■前立腺癌の診察よやく11時だったが採血などあるので9時半に日赤に着く。採血と血液検査に1時間以上かかるのでその間読書し。
 主治医の先生の話だと順調の一言だった。この間の疑問をいろいろ聞いたが快く教えてくれる。2年間は皮下ホルモン注射するとのことで来年3月、9月、再来年3月で終わるだろう。その後のことは聞かず。

■市役所にいき保険証の手続きなどする、ついでにサンチャイルド像の現在を知るために公文書開示申請をする

■建築士会により退会届をもらう。

■建築会館にいき、古川さんとワイワイする。

■午後2時頃戻ると家人は寝入っていた。目覚めてからは乱調でてに負えず、こまる。統合失調症の症状がキツイ、毎日妄想・独り言は言いつづけている。入院させるのはどうか・・迷うばかり。

■FB投稿

放射線治療後1ヶ月の診察(主治医 順調の一言・笑)
血液検査と問診3ヶ月ごとに継続、皮下ホルモン注射は半年に一度で計2年間とのこと。放射線治療で死滅した細胞は体外排除さえたり、繊維化するそ,うだ・・・など分からない点を問い教えてもらった。なるほど民間信仰や他者の体験にたよらず(←個体差があるから無駄な情報になりやすい)聞くことと自己観察が大切。暢気なおれは治療していることさえ忘れて薬を飲み忘れることがたびたびあったが、発見時の1/5000 にPSAマーカーは下がってしまった。
放射線治療はダメージが大きいと感じたの2週間ほどで1月後の今は発見前にもどった。ダメージの具体を記すと、午後3時ぐらから怠くなり動きが悪くなる、そして活動したくなるし、作業もしたくなくなる。それは、骨髄も被曝しているのでしかたのないことだろう。トイレも痛いし間隔も短くって夜は寝た気がしないのだが少しずつ間隔がのび現在は4時間超になったので、12時に寝ると一度トイレに起きる程度となりほぼち治療以前の日常にもどった。
やる気満々、ピンピンお爺さんである(老害にならないよう注意し活動しよう)

病院の待合では毎度同じ席に座るのだが、ここは方々から多種多様な音が重なって集まる、面白いので病院音がたくさん重なる場所で待ち続けるのがお気に入りとなり。ここで歴史の本を読むと数百年前の人々の対話を聞いているのでは・・錯覚できるから好きなのである

11月23日   

日記も書かず記録作りしてようやく目途がたってきて嬉しい。

7月4日大阪ドットアーキテクツで9時間半ほどワイワイした記録ほぼ完成まじかとなり。聞き取りは2の所員不完全で時間切れとなる。ZOOMなどでワイワイし記録を付け加えたいのでもうしいれた。さてどうなるか?

■FB投稿 

飯炊き爺さんとなる
家人のようすが異常になりつつあるので、今週から夕飯は俺がつくることにした、今日は鳥めしと煮物、昨日はハンバーグと添え物とスープ、一昨日はサバの味噌煮と揚げ出し豆腐、その前は天婦羅うどん、さらにカレーライスなど・・・それぞれ好評であった。もちろん後片付けも爺さんの俺がする。脂分が少なめにしたいので胸肉を買いぶち込む

家人は気が高揚しているのか独り言を言いつづけて、市販の荷造り紐を糸にし、猫の首輪にはじまり、自前の帽子など編み始めた!手作りしないと落ち着かない、で入院はさせず、まま見守って編みたい放題い作品をつくってもらうことにしよう。
次男の言うことは聞き入れるので気は楽に対応できている。
それにしても30年間と長い付き合い、その間様子がおかしくなると飯炊き爺さんしてたので、食い物はいつでもどこでも作ることができるので、食いたい食べ物を自分で造るのはたのしい。毎日注文がでるので、そうはいかず、明日は酢豚との指示だ。酢豚とラーメンにしたいが、老人なので油多すぎるのでラーメンなしの白飯にしよう、






11月20日 

長女にもらった古いPC壊れてしまって悲しい
めげずにこつこつ記録作りをする



■FB投稿

my長女にもらった古いpC10年ほどで昨夜イカレタ!
昨夜の作業は初めからやり直ことにしよう。古いPCなので、想定してたが、かといって新しいPCは10年ほどmy長男に父の日にもらったものだ。新しいPCを買うか・・などあれこれ迷う。
■WEB記録を作成していたら突然同じ画面が泉のように湧きあがって止まらなくなりお陀仏だった。
■今朝の福島盆地は北西の風が吹きあれ、吾妻山から吹き降りた雪が陽に照らされ雨となって我が家周りに振り落ちる冬特有の様。猫もストーブの傍から離れない。




11月17日    1日雨降り

サボって10時まで朝寝していた。1次中断していた7月4日のワイワイ分の記録作り再開した。

■FB投稿

記録作り再開
2023年7月4日 森純平さん、岡田栄造先生、家成俊勝さんとドット所員の方々を聞き取る(建築あそび@ドットアーキテクツ)今日から勝部涼亮さんに聞く、その話から再開、立ち合い人松本花音さん。ドットでドット全所員をオープンワイワイで聞き記録しちゃう!という初挑戦でもあった。隣に座るあなたの話を聞くという単純な行為なのだが、効くのであるある、けれどどこまで公開するか悩みどころでもあるある
みんな腹を抱えて笑うことが多かったよ












11月16日  小晴日和

記録作りが済んだので、家人の指示に従いいろいろ順序を決め作業する。今日は干し柿づくり。実がすくないので気合が入らないが転倒して頭を打たないようヘルメットを着用してはじめる。皮をむくのも1人で50個ほどだったから1時間もかからなかった。
家人の心が落ち着きつつあるように感じるが勘違いかもしれないので、慎重に対応しよう。夕飯もなるべく俺がつくるようにし始めた。頑張る女性なので、プライドを傷つけないようにしながら、ぼちぼち。

■今日のFB投稿

柿の実不作!
奥羽の山々、雪化粧始めたので柿の実を獲り皮をむき干し柿として物干し場に吊るす。今年は不作で50個ほどと少ないので一連の作業は数時間でお仕舞。たくさん実をつけると干場に困るのだが少ない実を吊るすとこれだけ?と寂しいものである。家の周りある目に付く柿木には実をたわわに付けているのもあるが、工場で生産される甘いお菓子は食べるのも簡単なので、近頃は野鳥の餌になりさがってしまった。柿の実は地面から1/3が旅人のため、中間が持ち主のため、天辺1/3は野鳥のためだと聞いて育ったので、持ち主や旅人の関心が柿の実に向かなくなったことを示しているのかもしれない。雪景色を背景にした柿の実も美しくあるけど、何か違う気もする




11月15日   いい天気だった。

■家人暴走気味なので、夕飯などてつだったり指示に従ったりした一日。だいぶ落ち着いてきたかもしれない。気圧と季節が変わる今時分と春先は毎年こんなふうに年老いていくのかもしれない家人。ステンレス製鍋磨きを指示されたのでカッターで焦げ跡を削りとり喜ばれる。

■今月1日、依頼の文字起こしとワードに絵を付ける作業をおえて、電送する。

■FB投稿

野間宏と沖浦和光さんの50年の付き合いから生まれた著

聖と賎をテーマに歴史と治政をベースに語り合い、91年に野間さんが亡くなり終わっているのだが、大阪に行くとこの本は必読書だと毎度思うよ。地形、政治、歴史のベースに流れている「聖と賎」は今でもある、特に政治家はいやらしいほど腹の底に持っているね。 
俺の座右の書というやつがあれば、この著書にその一つだ。何度読んだか忘れたが近頃、暇があるたび少しつ、イキッキよみすたくなるが1頁ずつ読んでいる(笑 30年間成長しなかった日本だそうだが、1600円+税は安いよ)フランス哲学書を毎日読むのは気性に合わなかったので途中で中止した。
中世編だけ帯がないのだが 探そう


11月14日  吾妻小富士の周囲の山々が雪化粧し冷たい風が福島盆地におちてきて、陽はさすものの時雨もあり、この時期とくゆうのひとなる。

家人は神経が高ぶり、活動も活発、妄言も活発ですこし心配ではあるが、入院させるまでは要らないだろうが、疲れもあり頑張り過ぎもあるので、いろいろ声を掛けたりしていた。

午後1に買出しに行食材をリック満杯買う。途中家人は行に2度腰をおそしてきゅうけいした。スーパーに着くと履いていたジーパンを脱ぎ捨ててしまった。着過ぎで足に負担がかかったのだろうか、帰りは安まず小さなリックを背負ってもどった。

食材が高くなっているので、節約して仕入れる。

■文字起こしし、絵を付けたデータを一部送る、残り3部をこつこつ見直している。

■床暖稼働し家人の部屋を暖かくし、今日から階の炬燵で作業することにした


■EB投稿
今夜から床暖稼働させた。
各種作業は2階から1階居間で炬燵に移動した。作業しにくいのでスピートは落ちるが薪ストーブの火守をしながら冬を間はこの格好で暮らそう。4月半ばまでかな。家人の暴走がとまらないので身近に見守るためでもある。(病院につれて行くか・・・・?こう症状や状態下は一番難しく対応に悩む、入院させてしまえば落ち着くだろうが、年齢もあり病院環境はさほど良くないので思いとどまりのんびり対応しよう。幸い高齢で体が動かなくなってきたので助かるん、頑張り過ぎるので困るけどそれは生来の気性だから止めない)






11月13日  時々時雨あり

家人にせかされて近所のスーパーへ、クリーニング代4000円もとられてしまう。虫食うよりは手製手織りだからしかたない。
このところ家人の活動が活発すぎて、対応できにくい悪化しないでほしいのだが、じっと見守るだけ。

■FB投稿

吾妻小富士周囲の山々に冠雪(仕事場から見えるよ)
冬型気圧配置は今日も弱まらないようで奥羽の山々は鉛色雲につづまれて冬を知らせ、里には陽射しとともに時雨が降る。寒くなりました。
■家人の妄想からくる妄言は防衛関係者によるミサイル攻撃に備えようとか、政府による増税しないとは破綻する・・などの妄言ほどひどくはない、が、季節の変化下にあって著しくなってきた。何とか対応できるので様子を見るが強制入院も考えておこう。
■庭の柿の実は不作である。葉が落ちたので、そろそろ干し柿にしようかな、この季節には鮭の遡上でにぎわう阿武隈川は放射能沈着以降、鮭など捕獲する人もいないので河原には死骸が散らばっているだろう。温暖化で遡上しなくなっているかもしれないな。
■放射線治療後の体力回復にやや手間取っているが2ヶ月後をめざして体力増加計画しているのだが、放射線はおもったよりダメージがあるもピンピンするものはするよ。

11月11日  一時陽射しあり 気温上がらず。

すこし寝坊をし、のんびり朝食。家人は季節の変わり目に妄想がちになるので、このところ静かに記録作りをしている。

見直しが済んだので明日から絵を付けるなど仕上げ作業に取り掛かることにする。明日は一日休むのがいいのかな・・。明日起きてから考えよう。

■FB投稿

『フクシマ・アンソロジー』ジャーナリストの写真歌集
おれたちの伝承館の中筋純さんの帯が付いていた。
著者:西里扶ゆ子(Pcで「ゆ」漢字でず)を花田達朗先生に送っていただきました。県立図書館に寄贈しようかと思うも、短歌はのぞき目を通した。偏りが多い主題だと思っているのだが、届いた本の内容はバランスのよい取材対象を選んでいると思う、フクシマに関する本を歴史的選択でどれを継承するのかは事故が現在進行中なので決められないのがムズイ。
福島とフクシマかの使い方は著者が思う使えばいいと思うが、俺は福島とフクシマを分けている(詳細省略)
日差しは居間の奥の壁まで立ち上がり始め、あと1月ほどで壁の中間まで射すのは駆け足のように早い、今年も年末が近づいてきた。猫ものんびり、俺ものんびりしている。



 11月10日 おてんき下り坂で寒くなってきた

1日中文字起こししていた。運動不足になるような気もするが。寒いので炬燵作業に移行しようかなと想ったりするんだけど、机に椅子の方が楽ちんなのだ。

■FB投稿

老人たちの原宿参りすたすた
とげぬき地蔵は言い訳だと思うのだが、老人たちの原宿を歩いてみた。なるほど歩きやすいし食べ物もいろいろあるし、老人専用のババシャツ屋さんもじじたちの帽子屋さんもあり都電から山手線まで行き来も親密な町の顔もよさげであった。
老女たちは下着がなぜか真っ赤を買うのであったが、なんでやろ?赤いシャツ着ている男は知っているが女性たちに赤い下着ですか?とは聞けないので女性の赤き下着事情は知らない



11月9日  
天気がいいので布団を干す。午後米10kgを買いに量販店に行く。

他は文字起こし三昧。文字起こしをすると話し方の勉強をしているようなもので、他者に伝える語りたは自然に修正されていくように感じる。他者に何を伝えたいのか、そのためにどういう相手であることを理解しないで語り始めると話が空回りしてしまうように思う。

答えはないので他者を理解する動物的感を養うしかない、そんな気がする。

■今日のFB投稿

花田達朗先生の読書部屋
今年もいろいろな人とワイワイし記録を作った。最も長い記録を作ったのは花田先生とのワイワイもその一つだったかもしれない。
先日東京に行ったおり、花田先生の日常の暮らしぶりを案内いただきいた、芭蕉が詠んだ古池も見たし、神田川の流れも見た、最後は早稲田祭があったので、混雑の中、近所の居酒屋で4時間も呑み駄弁った。
語り合いの内容一貫していて「住居問題、一人で暮らすその手法と家の具体」だった。日本の住政策は欠陥が多くあり、未だに解決せず空家が溢れているのも、同時に家を造るという現象がおきてもいる。その源流は敗戦による住宅不足によって生まれた住居観と政策のあやまりに本質の問題があって今も変わらず流れている。が、4年に一度選挙があるので政治はいつも場当たりであるのでそれが続く。
40年前に自宅をつくるときに考えてしまったことだが、木造持ち家住宅建築はあいかららず問題が多い。が、それしか知らない人々と持ち家政策によって、木造住宅は腐り果てるしかない哀れさを見せ続けているわけだ。都心に残された共有可能な施設を見ている福島でいろいろ提案してきたことが思いだせていい。今でもその事はかなり効き目があるのだ・・・と都市の暮らしぶりを見て聞いてい思う。多様な可能性を含む俺の家と建築あそびと障害と共に暮らすよい方法だったと思うのだ。花田先生+my長女とも久しぶりにワイワイし再確認した。(もう住宅建築を提案する気はない)


11月8日 のち晴れ、やや小晴日和

以来の文字起こしを1日中していた感じ、年老いて作業スピートと作業継続時間が短くなっている。こつこつ休みながらの作業。
家人は高揚していたがだいぶ落ち着いてきている、少し妄想が入っているような行動もある、疲れているのかもしれない。休むように声かけてはいる。

■今日のFB投稿


「都市あるき」のすすめ
2022年10月から大阪の中心部を徒歩で行き来し町と堀と地形を満喫したことで「都市は歩くものだぜ!」と思い込んでしまった。my長女に東京のことを聞かれたので、「語るより歩くことが始まりだ」二人でぶらぶら歩きを実践。「都市あるき」の面白さを共有することができた。上京したら毎度、興味ある「都市をあるき・地形なぞり」を体験することにしたい。老後の体力づくりにもなるし、山手線内ならさほど距離もはなれていない。経路には公園多めに選べる場所をなぞることにしたい。まずは今月初旬の山手線内あちこち逍遥し体験記を書いていこう。(楽しくなってきているよ東京圏あそび)
東京の町は江戸の大名たちと市民たちの連携でいい感じにつくられていたが、関東大震災や東京空襲を機に改良を重ねている点も面白い。利根川へ水路変更して水害を制御したり玉川上水などの水路整備の地を彷徨うのもいい感じかもな・・。

江戸期には糞尿は肥料として野菜と交換していると思い込んでいるのだが、詳しくは分からないので、上水・下水だぜ、東京歩きもいいかも。

この絵の公園は地下水をくみ上げていたそうだが、地下水くみ上げ地盤沈下などで出なくなり、現在は循環濾過していると通りがかりの人が語っていた。なるほどこんな高い場所に水は不思議だったが、そういうことか。雨は降るので貯めているのかなと思ったが、そういうことらしい。東京の年降水量地域べつ調査はいりそう
















11月7日 雨のち昼前に  風ややつよいくなる。東京は気温27℃あったとか夏じゃないか・・。

雨があがったので、11時すぎに食材を買いに家人と近所のスーパーへ徒歩で行く、往復一時間かかるので、老人には適度な運動となる。
家人は腰が曲がり始めたようで、腰が痛いと途中の道で休むこと1回。簡易椅子を持参したほうがいいのかもしれない。

昼寝をして東京活動の疲れをとろうろしたがさほどとれず、食欲があるのでまあよしとしよう。
■FB投稿

半世紀ぶり?羽田展望デッキへお上りさんする
my長女出国便は2時間遅れての出発となり、国際線出発ロビー(第三ターミナルビル)を散策したり50年ぶりの羽田展望へ。超音速・コンコルドを眺めていらいだと思うが展望デッキへお上りさんはしない。空き時間活用のため登ってみた。50年前は国際線の離発着は成田にかわっていたような気がする。石原都政下で羽田は国際線の離発着がすすめられ、大きな飛行場となっている。
仙台空港ぐらいのほうが離発着はラクダとmy長女と同意見だった。円安効果と東南アジアの富裕層が増えたことで、外国人子連れの旅行客があふれている。東京は江戸からつづく食い物屋の人気が高く下町の、蕎麦屋、すし屋、煎餅屋、古着屋、つくだ煮屋など溢れていた。
老人になったら東京に住むのがお勧めかも。(階段がおおいので、足腰もきたえられそう)




■06日のFB投稿

干し柿つくらねば。
上野あたりを数日ぶらぶらして福島に戻ったら柿木の葉が散ってしまいそう。東京は数日25℃ほどだったので、温度差やろうが下着まで入り込みすうすうしてる。


■先月末から6日まで、my長女帰国により東京逍遥記、というか東京漫遊記を書くことにして 詳しいことはいまは省略して疲れを取りたい




11月3日  日本列島高気圧におおわれて東京25度と暑いよ

スカイツリーと金の炎
ふたつ同時に見るとポストモダンの嵐を思い出すよ。?燭の炎とは誰も思わないチャーミングでインスタ映えする金の炎。
娘は羽田・成田空港から乗り換えなしで宿をさがすため毎年スカイツリーと隅田川と首都高とフラムドールが見える辺りに宿が決まる。11月とは思えない暑さに行き交う外国人観光客もやや疲れ気味にみえる。それにしてもこの辺りでも外国人が多く自転車を連ねていくインド系かな若い男性たちも意気がよい。でさらに賑わっていそうな雷門付近には近づかないことにしている。隅田川を越えると生活者の空間のようで騒々しさが冷却され、さらに食い物の値段が川向うと比較して安いと感じるし、対応が庶民的だなと感じる、賢い外国人がグループでワイワイ。
永井荷風や立原道造なども眺めただろう隅田川の川面は再生しる硫化水素が噴出したかのような1970年代の隅田川とは比べもようもない。スカイツリーとは夜景の方がいいように思える。高い処が好きじゃないので近づきもしないが・・・。




11月2日  
午後2時半日暮里駅でmy長女と集合し、谷中辺りをうろうろする。

■FB投稿
日暮里朝倉彫塑館から谷中銀座、西日暮里を逍遥
開成中高あたりの断面地形もろだし よよよろしい
谷中銀座でスリランカカレーを喰らう
つくだ煮屋と煎餅屋たいへんよろしおます
西日暮里公園、恋人 学生、サラリーマン
若者マウンテンバイクなど   あつまりたのし




ビール会社のイメージは黄色いうんこではなく炎なのだ
スカイツリーとうんこかなんだと誰しも思うしそう見るビルだ
三菱重工業が造ったはず(できた当初遊びに来て屋上に上がって見たきがする)
■今日は暑い日であるよ 東京25度福島市からお上りさんなので暑くて疲れるよ 金の炎もよろしく



















11月1日 

昨夜は家族5人と猫一匹が集まり大賑わいだった。午前中my長男と長女はそれぞれの地に戻る。

■FB投稿

午後年に一度の住宅に連絡協議会に参加する。
my家族会議と福祉・住宅連携会議を2つ体験して
こむこむの雨漏り対策に似ているのではないかな・・・。雨漏りを止めるかのような、努力はむだではないが、止まらないだろう。手に負えない。
■家族会議は俺が家父長制てき婚姻制度をはなから信用してないのでmy子には婚姻をすすめたことがない。で子どもたちは子供がいないので孫もいない。だからといって寂しくもないのだが、血縁かんけいなくとも、人種性別にかかわらず広く友達をもつことで幸いも異なる。家族がいても尊属殺人の多い日本では幸せになれるとは限らない。五月蠅い父親となんか暮さない方がいい奥さんや子供もおおいのではないか。
 家族会議の主目的は日本の世帯同様一人家庭が30%を超えていて、2人家族も老夫婦世帯が大多数を占めているので、それらが亡くなれば家も無用だし、もちろん家財だって要らない、残された者にとってはゴミなので、生きている間に自分の物を片付けるのが鉄則なのだが、面倒くさくてかたずけない捨てられない、思い切ってバシバシ捨ててしまえ、ついでにパートナーも子供もと過激に思ったりするのだが、人間を捨てるのはかなり面倒で捨てるよりは楽しく互いに暮らした方が楽ちんだ。・・・そのようなことは考えずともわかる。
で、俺は片っ端から物を捨て生きてきた。孫なども欲しいなど思いもしない。欲しいのは友達だ。歳のさがあり過ぎる孫と語り合うなど不可能だ、孫とコミュニメーションしたと感じるのは老人の勝手な思い込みだし、俺は若い人々に対する意見はなく、好きに生きよ、やりたいことはやってから考えろ、そういうリアルな個々人の行動の中にしか次の社会はないので、活動主義者といってもいいほど、極端なのだ。
■福祉、住宅連携会議は今年から車座というか講義形式から現場の人々の語り合いが加わり、すこし様変わりがおきた。
でもかれらが幾ら努力しようが、個々人が、ゆりかごから墓場まで安心できる日本の社会ではないし、できない。それは、今世紀に入ってからは自助、共助、公助で、自分で生きろ!という滅茶苦茶な、おおよそ必要な政治にはなっていない議論を世襲制の政治家二世三世の輩が仕切っていて、弱者を助け職を与え家を与お金を与え、死んだら弔いするなど、あたりまえのことができる社会に日本はなることが出来なかった。(個人の努力まませ)
長い、新自由主義にもとづく政治がつづいて、マスコミもそのような情報しか流さないので、個々人も自分の責任で何とかしようと涙ぐましい思いを、家に帰っては一人で悶々と考えているお父さん、あるいは家を仕切るママなど似たようなもので、連携し打開していく手法や仕切りかたをしらない。
で、心ある行政マンたちは、たまたま、であってしまい、弱者支援をしているのは女性が多い。近頃は建築士や不動産屋や各種住宅チェックマンなどが仕事としてやろうとしている、それしかない、だからやる、支援して欲しい人が制度をつくり磨き上げているわけではない。で、そういうどうしようもない状態のままだらだらと、時がながれていくだけだろう(いまの状態では解決しない・理由は省略)
■社会が激変している21世紀に人助けするには権力の傍にいて、自立した者か、宗教者にしかできない、行政マンではできないのは自明だ。なぜなら中世、公家の世界から武士の世界に代わる時に活躍した高僧たちの活動を見たり、実施したした溜池や寺院や別所、お助け小屋を見ているとはっきりわかるからだ。いまのような行政と政治のシステムではなしえない(理由略)
■家族会議のテーマは一人で生き死んでいくために?今何をすべきかわをワイワイした。見当はついていたので、あとは時間をかけて一つ一つ環境整備するだけだ。福祉住宅連携会議のような手法とはまったく違うことだと確認できた。(後者を実施するための答えと行動は「抱僕」という団体の人たちが具体的に実施してしまっているので、いまさらFBで書く必要なはない・・まじな宗教者など1000年に数人しか現れない、あとはどうしようもない、人々だというもの中世の聖たちの暮らしぶりを調べると分かることだ)