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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
桑折町における除染作業と仮置場 問題
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ただ今ご紹介をいただきました桑折町原発事故対策課のwでございます。本日はこのような席にお呼びいただきまして、本当にありがとうございました。

本来であれば私じゃなくって町長のTが来て、皆さん方の処にお話をする処でございますが、町長の方から「お前 やって来い」という一言で決まってしまいましたので。

、桑折町が除染が進んでいる訳ではなくって、ここに書いてあります通り、仮置き場問題。昨年度来 全国各地に桑折町で色々と仮置き場で放送されておりまして。色んな問題を起こしながら今 桑折町このようなかたちで、やって来ているというふうなお話をさせていただきたいと思いまして、今日は出させていただきました。

今日は時間をいただきならが、パワーポイントを使って説明させていただきたいと思います。

まず桑折町の位置です

福島市、伊達市、国見町、若干白石市と重なっておりまして、4市に囲まれました面積が43.97平方キロメートルで、人口がだいたい13,000弱。別段なにも取り柄の無い町でございます。

桑折の由来なんですが。この字なかなか読めないんですが。桑折という地名を若干説明させていただきます。

桑折の由来は奈良平安時代に 東山道(とうざんどう)に駅屋(うまや)が設置され郡家(ぐうけ)が置かれたところから、郡(こおり)となり、その後「桑折」の字に改められたということになっております。

この桑は元々この辺桑畑だったんです。今は桑はやってないで桃がほとんどですが、桑の町という感じになっておりました。

また桑折町は仙台藩の伊達氏の発祥の地というかたちでうたわれございました。1189年源頼朝が奥州合戦の石邦坂の戦いで戦功を挙げました常陸入道念西 一族が頼朝より伊達郡の地を与えられ、その後 中村 伊達姓を名乗り、その後伊達郡の桑折郷を中心に仙台藩伊達家が誕生したそうでございます

また、1532年には14代の伊達種宗が西山城に移り、城郭を整備を行ったり、当時伊達氏の所領については東北の地方の半分ほど、西山城がその中心になったと言われてございます。現在もこのようなかたちで石碑類が残ってございます。石類とか空堀が残っておりまして、今現在ここにつきましては1990年に史跡として指定されまして今現在 発掘作業を行ってございます。

また古くから交通の要所でございまして、奥州街道 羽州街道の分岐点が今現在整備されてございます。こちら(右)が奥州街道の仙台道、こちら(左)が羽州街道の最上道というかたちで今現在ここについてはこんなかたちで整備をさせていただいています。

羽州街道、奥州街道は江戸114つぎ、ありまして。白河までが幕府直轄でありました。桑折宿を通過します参勤交代の諸大名が18大名あったそうです。桑折町は日本橋から70里。北千住から数えて54番目の宿に当たるそうです。また羽州街道は小坂、天童、山形、秋田を通って、青森県の油川で再び奥州街道と接続をします。

桑折宿を通りました奥州街道の大名が5大名 また羽州街道を通って来た大名が13大名ほどございました。しかし、羽州街道は明治11年米沢福島を結ぶ万世大路が出来てからは急速に廃れてしました。

また桑折には佐渡と生野との並ぶ日本三大鉱山と言われました半田銀山がございました。

半田銀山は807年に開かれたと言われております。江戸時代は幕府の直轄地の領として江戸幕府の財政を支え、このようなかたちで当時はあったそです。今現在は二つの坑道がこのようかかたちで、桑折町と国見町の所に残ってございます。

1879年に明治天皇が銀山を行幸されたときに醸芳という名前を残していただきました。これは木戸孝いんが書かれた字なんですが。この醸芳という字を使いまして今桑折町では小学校 醸芳小学校、醸芳中学校というふうなかたちで、この名前を使わさせていただいております。

また半田銀山の運営については民間人をやられておりました。1867年早田伝之助が戊辰戦争の最中に銀山の採掘を再開しまして北側には実際に今現在もございます早田邸の北側には羽州街道の筋道が今も残っています。

この早田さんは牧場経営もやられましたので、ビワハヤヒデとかナリタブライアンというふうな馬を育てまして三冠馬、五冠馬というかたちになっておりました。が今現在は潰れてしまいました。

桑折は伊達郡の政治経済の中心地でありまして、明治16年に擬洋風の伊達郡役所が設置されました。伊達郡の政治経済の中心地というかたちで昭和44年まで県の地方事務所が置かれました。昭和52年には国の重要文化財に指定されましてされまして、残念ながら、今回の大震災で、かなりやられまして。今耐震工事を行っておりますので、来年4月には再オープンというようなかたちになるかと思っております。

桑折は現在、桃の郷というかたちでおこなっております。平成6年から19年間連続 天皇家へ桃を献上してございます。このようなかたちで献上の選果式を行っておりまして。平成8年には皇太子・皇太子妃雅子様が来られましので行幸記念碑のかたちでのっております。

それを記念しまして、ピーチロードを歩こう会というかたちでやっておりましたが、今現在まだ除染が進んでおりませんのでピーチロードについては来年以降させていただきたいというかたちで進めております。

こちらが平成8年に皇太子皇太子妃雅子様が来られたときに郡役所で演奏会をさせていただきまいしたが。実際あとでお聞きしますと、浩宮様はここで演奏を聴くんじゃなくって「西山城ぜひ観かった」というふうなかたちの話しを、「後で県の総務課長の方に言付けをされた」ということをお聞きしました。

また桑折町には王林という林檎が、皆様方よく御存知かと思うのですが、この王林については桑折町の伊達崎の大槻只之助様がゴールデンデリシャスと印度を交配せまして、林檎の王様ということで王林を名付けて それを交配されたそうです。

今現在はこのようなかちで顕彰碑と地碑が残ってございます。

桑折町には半田山自然公園がございまして。ここは100年前に崩れたりして色々ございましたが。春の季節とか秋の季節になるとこのようなかたちで自然がいただいております。
  
また、震災の直前だったんですが、100周年っていうかたちで皆様方と共に焼香祭をさせていただきました。 8:35



平成23年度の原発事故の対策

 ここから除染の話しをしたいと思います。どこでやったかと思うのですが。事故当時どこの小学校も中学校もそうだったと思います。うちの小学生も夏場長袖長ズボン。窓を閉め切って暑い中で授業をやっておりました。

桑折町に立地しております、日立系の会社がございまして。そこにお願いをしまして、とにかく早急に小学校、幼稚園、中学校のエアコン設置というようなかたちで、とにかく夏休み中には全部終わりまして、今現在使わさせていただいております。

これはどこの市町村でもやりました。学校の除染です。ここも芝生だったんですが全部剥がさせていただきました。グランドを掘らさせていただきまして、この中に全て入れさせていただきました。

この小学校、実は震災前の秋に父兄の方々が子ども達に裸足でグランドで遊んでいただきたいということで、芝生を貼りました。ところが、震災後線量が高くって芝生の上で一度も運動会をしないまま、このように深く掘って全部埋めてしまいました。

でも除染をしましたので、昨年は全ての小学校でこのように安心して、運動会をしていただきました。


 農作物の放射能低減化

ここで農作物の放射能低減化について、一寸お話をさせていただきたいと思います。

昨年、1月に桑折町は桃、柿、林檎、果樹の盛んな地域でございますので。とにかく、放射性物質が果物に移行しないようにっていうかたちで、これ県北地方どこでもやったんですが。とにかく樹皮洗浄=高圧洗浄で樹皮洗浄させていただきました。

本当にこのようなかたちで寒い中1月、寒い中。農家の方々がこのようなかたちでやっていただきました。おかげさまで昨年桃からセシウムが検出されませんでしたので、おかげさまで19年連続 桃が県の知事に買っていただいて、それが県の方へもっていくことができました



こちら柿です。柿も同じように高圧洗浄で放射性物質の低減化事業をしました。特に柿の場合は樹皮が硬いのでとにかくもう徹底的に樹皮を落しました。このようなかたちで。させていただいたんですが、残念ながら、昨年も一昨年も同じようにやりました。特に柿の場合いは、上の剪定枝が高いと言われたので、ここについては桑折の造園屋の皆様方にお願いしまして、3.5m以上の処を切らさせていただきました。

で「なんとかなるのかな?」と思ったんですが、実際柿については原料柿からは30ベクレルぐらいしか出てないんです。がだたし干し柿にしますとだいたい8倍ぐらいになってしまいます。そうすると240ベクレルになってしまいますので、2年間出荷停止というようなかたちに成っておりました。

とにかく柿につていは梁川の五十沢のあんぽ柿とか県北地方の主産業でありますので、来年は是非なんとか出荷できるようなかたちにしていただきたいなーとは思ってございます。


 次に米です  11:39
米も若干桑折町も100ベクレルを越える所がございました。昨年4月 田植えの時期だったんですが、ケイ酸カリとゼオライトを1反歩当たり200キロ蒔かせていただきまして農家の方々に本当に忙しいなかやっていただきました。

このようなかたちで、やりますと スカートはかせて飛び散らないようなかたちでさせていただきました。実際1昨年度100ベクレルを越えた所についてはこのようなかたちで30センチぐらい深く させていただいて、安全な所についてはロータリーで転耕させていただきました。おかげさまで、昨年の10月に24年度産米の全量全袋検査をさせていただきました。

このようなかたちで県に買って頂いた物を使いながらさせていただきました。桑折町については全部で測定したのが70、046俵を検査しました。その中で検査限界値が69,537袋。約99.3%残り0.7%についても、ごく微量のでしたので、安全に出荷をすることが出来ました。

このようなかたちで、実際これのバーコード押しますと県のHPでこの米は安全ですよというようなかたちで見ることが出来ます。

おかげさまでこれは今年の1月県知事が日馬富士の方に初場所 渡したと思うのですが。JAの組合長が後日。これは民報新聞の写真ですけれども。お米を届けたそうでございます。



24年度の教育施設の除染のお話をさせていただきます。

23年度中に幼稚園、保育所、小学校、中学校グランドの表土の除染をさせていただきました。しかし やはり保護者からすれば、それでは全然安心しません。とにかく、桑折町におきましては町長の考えの下、とにかく「学校施設、幼稚園施設、保育園施設、中学校施設、全て物を除染しろ」というようなかたちで。4月からさせていただきまいした。

これは保育所でございますが。ときに保育所 1番気になったのはここ、送迎用の駐車場なんですよ。砂利が敷いてありました。ここで結構 砂利の所って高いんですよね。ここを子ども達がお母さんと一緒に朝来て、また帰りに とにかく5センチ剥がせていただいて、除染をさせていました。

このようなかたちでコンバックに入れて除染をさせていただきました。

これは幼稚園雨樋でございます。 これは幼稚園の園庭です。見ていただくと23年度に こっち(主な校庭)だけやったんですよ。でもなぜか周囲は除染してなかったですね。とにかく除染してないところは全てさせていだきました。

また小学校も同じです。他の学校の皆さんは保護者の方が自主的にやったとこもあるんですですが、うちのPTAはあまり盛んでなかったんですけども。私以前 中学校のPTA会長 長くやったおかけで、たぶんそういうことは出来なかったのかな−と思ってはいるですけども。とにかく全てさせていただきました。

小学校の校長先生が虎ロープを張って危険ですよと。というところもありました。とにかく一刻も早くというかたちで綺麗にさせていただきました。グランドはやってまいしたけど周囲裾はやってませんでした。中学校も同じです。土手の法面も全部させていただきました。小学校も同じです。

後ろのコンクリートブロックも除染させていただきました。

プールサイドなんです。どこに市町村もそうなですが。プールは皆さん気にして。プールの周りとコンクリートのプール周りをやったかと思うんですが。実際はここはそんなに高くないんです。高いのは周りの草木が結構 高かったです。

桑折町についてはこの(学校の)全域を全部やるということで、やらない所を無いようにさせていただきました。

ここの小学校もそうですがこちら職員さんの駐車場で、ここの部分を取ることによって子ども達が受ける放射線量を少なくするというかたちで させていただきました。

おかげさまで子ども達 昨年は安心して、お子様方がプールで遊ぶことができました。

我々は教育委員会に話をしまして、「学校施設で除染したものを学校の校庭にいれさせていただきたい」という話しをさせていただいたんですが、グランドの土は校庭に置かせてもらったんですが、「それ以外の物は学校に置いてもらっては困る」と言われました。

置くところがなくって。色々と相談した中で、たまたまプールが震災でやられてしまったので、このプールの中に このようなかたちでシートを貼らさせていただいて、フレコンバックに詰めまして させて いただきました。

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