HOME  作成 佐藤敏宏
      
聞き語り記録 
 エスキス塾講師 堀井義博さんに聞き語る
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 03 大学の現在
    在野の建築家が なぜ
    建築スフィア (建築的公共圏) 



 03 

大学の現在

佐藤:大学改革で先生たちも、成果が求められるように、なってしまった
歴史君何人博論を書かせたとか、教え子が学会賞をとったとか。

堀井それ!お受験・ママと一緒だな
歴史君:その量の大小で教員の評価が決まる
堀井:えーえー!!気持ち悪いー

歴史君:学生は従うようになるし、管理しやすいから。大学で、文系として文句を言ってますけど。大学内の面々もそれでいいと思っているので、そういう状況が進んで行くのでしょう。

佐藤:明治以降に取り入れた西欧型の学問のありようが、終焉したんです。「終わってた」宣言する人が居ないから、終わりの次が、スタートしない。 よってで、だだらと死んでると言いましょうか、死んだような、殺し合いのような状態で、学問も続いていく。あるいはビジネス化が進む学問かな。大学はグローバル企業の下請け化になるのか。グローバル企業による、文科省への政治介入で、大学は二つの方向からの圧のもとで、彼らの下請け化が進み過ぎているんだな。

歴史君:善良な先生は自分の命と引き換えに、守っていく

佐藤:善良なる学徒が学問の最後の砦になる!それしかないかな。人間の砦か。
歴史君:学生の将来が大事だ」と思わない先生はいないと思うので、そうなっていくと、そこで色々ある。




■ 在野の建築家が なぜ

佐藤:建築系の先生も苦労してます。話を戻しますね。
 在野の建築家である堀井さんが、建築界では海の者とも、山の者とも判らない、学生さんたちに、なぜ熱く長時間にわたり応答し続け、関わっているんでしょうか。それも今年で三回目です。堀井さんには並みならぬ学生への愛情があるのではないか、一体それはどこから湧き上がってきているのでしょうか。

堀井:愛情かどうかは自分では自覚してないよ。だけど、要するに若い世代を育てる、それは「社会が育てる」っていうことなんだけど。俺はそれが建築だと思っているそれ自体が建築だと思っているので関わる。
 建物を造りはしないけど、社会を建築することだと思う。だから俺にとっては、建築を造ることと、学生を育てることは建築で、一緒なんだよね
 なので自分の中には、まったく違和感がない。

 確かに利益を目的とした在野で、大学人ではない。商売で建築設計をやっている人間、儲かってないけど。俺が、自分の時間とか労力をエスキス塾に費やして一銭もも儲からない。「何でやるのか」と聞かれたら、それだけ見れば不思議なんだけど。

 でも建築を創ることが自分の目的なんだとしたら、それって重要な建築だと俺は思うので。そっちの方が圧倒的に重要だから。人間が人間をまず信用できることが凄く重要じゃないですか。考えたことを伝えたり、理解したり、ディスカッションしたり、そのこと自体が重要じゃないですか。なので俺には建物を設計すること変わらない。金は儲からないけどね。

佐藤:なんで、こんな質問をしたかと言うと、仙台にも小洒落た建築家が一杯いるんでしょう、東北大を卒業した建築家も一杯いるでしょう。彼らは誰もエスキス塾に来ていなかったので、聞きたくなったんです。

堀井:それは彼は、頭が良いからじゃないの
佐藤:「どうして仙台周辺の在野の建築家は参加していないのか」、堀井さんに聞いてもしょうがないんだけどね。あの場には、在野の建築家は堀井さんしか居なかったことで、異様に見えちゃったんですよ。建築という事態が好きだったら、エスキス塾などを観戦したり、呑み会に参加したりして、全国から仙台にやってきた「建築系若者たちとワイワイしたい」と思うのが建築主義者の極・普通の行動じゃないかな。パンフで広告費支援、個人や組織はあるんだけど。

堀井:本当は、参加したり観戦したりしたい人は、一杯居るんじゃないですか。それで言うと。来ない理由は、東京と違って、人間関係が狭いわけよ俺は幸いにしてよそ者じゃん。来てまだ7年だし。仙台の事情が解ってない振りができるわけ。最初は解ってなかった、今はだいぶ分かって来たけど。

 エスキス塾に関して言えば、五十嵐君は俺と20年ぐらいの付き合いがあって。こういう事をやる時に、インデペンデンな・・何て言うんだ。本流から外れて別のことをやる人です。その俺は絶対乗ってくるし、そういうのにも向いていると。そう五十嵐君が想ったんだと思うんですよ。

佐藤:「堀井を誘えば必ず乗って来る〜」と五十嵐先生は思うと

堀井:地元・特有の他のしがらみ無いし上下関係とか無いし。俺はしかも空気読まないし。だから丁度いいいわ〜、本人に聞いたことは無いけど。

 もう一つは、教育、人を育てたりすることに20代の頃から、興味があったし。20代ですよ俺が。それを何となく五十嵐君的に知ってんじゃないのかな。「こいつを放り込むと好い」と思っているんじゃないかなー。批評が上手いわけでもないけど。そういう人間を入れて置くと、好いと思ってんじゃないの、分からないけど。


 (絵:sdlサイトより エスキス塾の様子)


■ 建築スフィア (建築的公共圏)


佐藤:堀井さんがエスキス塾をやろうと言い出したんじゃないのか。

堀井全然 俺は言ってない。面倒くさいこと嫌いだもん。
佐藤:3年やっているじゃん
堀井五十嵐君が言うから、付き合っているだけやってみたらオモロイから付き合っている。俺は自分からはやらないよ。

佐藤:なるほど。人間関係が生み出す妙が、エスキス塾にあると。五十嵐先生が全体の事態を掌握しているかのようだね。

堀井:彼は時々、ノンポリの無責任なミーハーな、お前本当に先生かという雰囲気の時もある。たぶん彼は自分が設計者じゃないから、色んなものに唾を付けたい感覚が、時々そういうふうに見えるんですよ。

 根本的なところで、人間がインデペンデンであるべきだし。皆もっと自由に発言していい。その信念みたいのは、俺とそんなに違わなくって。たぶん佐藤さんもそうで。だから俺は好みではない、振る舞いです。価値判断の基準において、何となく共通するものがあるんですよ。それは伝わるでしょう。

佐藤:五十嵐先生から、それを言えないでしょう。

堀井けっこう言っているけどね。公式には言ってないのかなー
佐藤:俺たちが言うぶんには、問題ない。公式には発言しないほうが。
堀井:非公式であれ、彼はそう思っていて伝わって来て。代わりに俺に言わせているのかも知れないけど。あるいは代わりに佐藤さんに言わせているのかも知れない。

佐藤:その様を、建築系の公共圏を共有している。建築スフィアの共有って言ましょう。公共圏・建築スフィアは可能態なので、そこでは止めどなく、色々問題は湧きつづけるんだけど。建築スフィアの維持・継続のためには、学生も自由に語り合える場が保証されていることが肝要です。自由な対話が可能な建築スフィアを、多く発生させる、というコンセンサスを持って、自由に建築を語り合うのっては健全です。大きな祭りが壊れちゃっても、小さなネットワークを作って、濃厚な内容を見せ合える時代が来ているんだが。

 ただ建築スフィア仲間が一堂に会することで、未だ見ぬ人間関係がSDLから生まれる。それが祭りの重要な効果だ。
 今ある大きなSDL的な祭りを壊し、ネットのみで交流するだけじゃ〜、人と人の交流は多様にならない。祭りの現場に立たないと寛容さも身につかないですよ。逆の欲望を持って祭りに来ている者だって入れちゃうと。

堀井お祭りだから、祭りでいいんだよ。それ以上でもなんでもないからさー。ぜんぜんそれ以上じゃないから。
佐藤:だったら審査員は花形役者なんで、お祭りらしく、言葉での喧嘩を演じて欲しいよ。建築系言論、喧嘩祭り〜ってなもんで。

堀井:そこまでは言わないけど、

佐藤:今回、初体験だったけど参加学生はその事を知っていると感じました。

 まぁ いいでしょう 美味い日本酒を呑みましょう。 俺は石巻産の日高見



堀井:俺は村田町産の乾坤一にしよう


 その04へ続く