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林野紀子さん編     2014年5月29日   真夏日 
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林野:古建築活用への試み。 これは金沢の町だから出来るんだと思うんですけれど。金沢のみんなさん 家・町家の使い方を分かっている人が多いんですよ。私はまだ分かってないですけど。

 たとえば、町家に色んな方がみえた時に、今借りている幸町の町家でお友達にお茶をやっている人がいて。茶会をやったことがあるんですよ

 朝早く 日の出る前から。「朝の茶会やろう」ふふふ 日が出る前にやるので滅茶苦茶早い時間。その時は まだ子供がいなかったし。で金沢の町のよさだと思うんですけれども。ちょっと声を掛けると懐石料理つくれる友達がいたりとか。実際に自分で茶碗を作っている人が居たりとか。そういう人がいて。みんなお友達なんですね。集まって来て茶会をやるんですけれど。

 私の全然 使ってなかった座敷を見て。「これはこうなっているから、ここで こういうふうにやったら いいんだよ」とか「この窓はこういう意味があるんだよ」とか。「この場合はこっちから入るんだよ」とか。何か町屋の意味あいが残っているんですよ。金沢の人々の間に。

 それは その人達だけじゃなくって、そういう体験を何回もしていて。たぶん「おとか伝統工芸があるから」という方に行くのかも知れませんけど。

 「こうい時季には こういうお花を玄関に飾る」というような事が残っていて。結構それを紐解くのが意外と面白かったんですよね。鷲田なんかがけっこう填まっちゃって。今 すごいお茶をやっていて。ふふふふふふ。この町家も こんなちっちゃな庶民的な町家なのに。炉を作ったりとかして。

佐藤:一階の庭に面した和室に炉が切ってありましたね
林野そうなんです。その作法をやれるように。もちろん町家なんで。茶室じゃないんで。キチンと全部は出来ないんですけれど。鷲田なりのストーリーで。ここで人を招いて お茶会が出来るっていうように作ったらしいんですけど。それは凄く面白いなーと思って。

佐藤:交流の場作りとしての お茶ですね。礼儀作法、立ち居振る舞いで他者と交流する 他者の領域を侵さないとか。壁じゃなくって躾で見つけていくという手法が まだ金沢には残っているのかも知れないですね〜

林野
:だから、そういう体験をしていると、町家は町家で。私が買ったから家なんですけど、でも家じゃないんですよ。ここの家は こうなおしておけば使い方が分かって人が来れば、また何か使ってくれるだろうそういう思いが凄く面白くって。そうすると家を建てたり、家に住むっていうことが滅茶苦茶 気楽に感じられてその気楽さというのは新鮮です

佐藤:俺の家はお前の家の気楽さですね。自邸を作るっていうのは大変だと思っていたんですか
林野私には 大変なことですね〜
佐藤:経済的に 建築家として もつくろうとする決心するのも。
林野:経済的によりも「どういう家に住むべきか!?」みたいな。

佐藤:どうしても新しい暮らし方を発明して、それを宣言して、それを具現化して建築を作るみたいな重さを 背負っていたんだと
林野:仕事柄なのか、なぜか分かりませんけれども。凄い気負う部分もあったんだけど。ここはそういうこと無しに、半分「実験だ」という思いと、「ここを一瞬借りるけれどまた返します」みたいな。そういう感覚でしたね

佐藤:林野さんは古い建築を逆に読み込んでいって、新しい建築としてそれを次の世代に引き渡すんだと、ここで古建築活用の路への体験をスタートしてしまった訳ですよね。これから その生活をここでつくっていくんだと思うんですけど。
 じゃー「まっさらな建築を、町家でなく作ってください」と注文をされたときに、ここでの体験活きますね。新しい建築でも 自分が作りだした建築の終末や継続性の形式など考えてますよね。直接の発注者が いなくなったり住み手が代わっても 継続して生きている新建築も作れると 神様から 当然の町屋活用するぞ〜の行為結果として背負わされてしまった訳ですよね。
林野凄い 考えますよね〜。
佐藤:すごくスケールがおおきくなって現在の人類にとって必要な建築とは何かというような話しになりますよね。

林野
:そこまで大上段には構えないまでも、少なくっても 次の世代。あるいはその人達が引っ越してしまったとか。どこか手放すことになっても、「住み手が代わったんじゃーこれ全然意味ないよ」っていうことには成らないようにしたいなーっていう思いはありますね。凄く


佐藤:雑誌を賑わせている最先端の建築をつくっている建築家に対して、少し距離が出来てきたということですか。
林野確実に出来ましたね!はははははは。凄い面白いと思うし、未だに好きなんですよ。ですけど自分が目指しているのは写真を撮って かっこうの好い写真が出来て、雑誌に載るような建築とはちょっと違うなっていうことが ハッキリ解りました

佐藤:そこに暮らす人々の生活が豊かになって、そいうい場を建築が保ちつづければいいっていうことですよね。写真を撮って綺麗でも そこに暮らす人々の生活の豊かさが生まれなかったり、無かったら 建築をつくりだした意味を感じられなく成ってきていると

林野
:だから作品とかいう感覚は本当になくなりましたね
佐藤:金沢が持っていた力で林野さんが磨き出されたってこと
林野磨かれたんですか ははははは

佐藤:そんな気がしました。建築は深淵ですから。建てた人が消えて当時の思いを探ることもできず 思いが消えてしまっても 他者が使える建築的地力は残って居るんです。 林野さんは金沢の建築的状況に磨かれてしまってるんじゃないかなー。そこを考えずに新しい建築だけ作ろうとしても建築の可能を見てないことになるでしょう

林野町家って強いんですよどんなに滅茶苦茶な改修したとしてもその枠組みは凄い強くって。逃れられないようなものでもあるんですよ。例えばここに何か新築するとしても、この町家の町並みって絶対逃げられない。そういう町なんですよね。そのことは私は今肯定的にとらえてるし。

佐藤:前回聞き取らせていただきました時よりもそのことが具体的で明解になって来てますね
林野それはありますね
佐藤:前回は金沢を夢の中でとらえていたように感じました

林野
そうですか ははははは
佐藤:ほんわ〜んと、とらえてるような気がしました。具体的にカーク活動されたばかりで町家の強さだとか知ることが出て来ませんでした。改修の苦労話を 呑みながらした覚えがあります

 ともにふふふふふふふ

 カークの活動は隣の人々に 迷惑掛けるので この時間に終わって 町に繰りだそうでした。ですから今回お聞きして 町家を以前より消化しているなーと強く思います。
 金沢の町が林野さんを教育しているというか磨き・鍛えているといいますか。ということは まっさらな新建築をつくるときに何すればいいんでしょうかね?

林野:うんうん
佐藤:現在の社会は職能も暮らしぶりも多様ですし。ですから老人の俺は自らの建築の所有感を変えたいと思って、各地の家々に泊まり歩き、そこらじゅうに 自分の家があるかのように活動実践していますけれども。
 前回はカーク泊でしたし今回は横山町の町家ゲストハウスに滞在させていただいてます。福島の家はコンクリートで暮らしてます。それぞれの好さがあって。これ一つじゃなくって、社会の中にある生きている色々な建築を共有して活用し合うのが好ましいと思います。
 既存の建築に対する所有概念を少し変えないといけないと 次の建築の路が拓かれないと考えてました。

 林野さんは200年ほど前に作られた この建築を改修し活用し次の世代に引き継ぐんだ と 工事中にも関わらず 話すまし。

 で、自分のために家を作るている最中に発注した人々は 「次の世代に何かを引き継ぐんだ」とは 言わないでんすよね〜。ここが近代主義の限界ですよう。 これは私の物 私の家だと言うのが一般的なんです、現在の日本の状況下では

林野:それは凄い自覚してて、私と鷲田とはこんな感じだなって解るじゃないですか。ここまで許容できると。たぶんその度合いが普通の人とはずれているというのは自覚しているんですよ

 そのことは人に押しつけるつもりは全然無いし。自分の所に来ていただくクライアントさんにはクライアントさんの価値観と私が思っている普通の価値観とあまり。ずれないような処で仕事はしているつもりなんですけど。

佐藤:
一般的な建築、自分のために建てるという考えから少し外れるというか、拡張して幾世代もの人々と共有できる建築をつくろうとする姿勢が肝要かなと。

 そうしないと、みんなの町とか市民社会とかは個々人の対立の調整だけが ある町になってしまうっている し。 「みんなの町はいいよね」とは渋々しか言えない状況だし。 あらゆる物が自分の物になってしまえば 「一体 自分の所有するというのは何か」という 原理主義的所有感が消えたかのようになります。でも生きているって 何も所有できないですよね、そういう感じですよね、DNAなど連綿と続くための生命継続を想うとそう思いますよ

林野:でも不思議なもので私の処に来ていただくクライアントさんはそれを明言かして自分の中でハッキリ思っているかどうかは分かりませんけれども。なんとなくそいうことを共有出来ているような気がしますよ。




佐藤:それは好かったですね。ではこれから5年間またそれらを実践していただき、次の機会に 色々教えて頂ければと思います。

  そこで話しを変えますが 311は千年に一度の大災害と言われました 大災害が起きて、それを見たり聞いたりして。そいういう事態に接して建築に対する考え方は変わりましたか

林野:うーん。やっぱり大きい事件ですよ。さっきちょっとお話した、でも個人的な体験のことしか自分には分からないので。自分がどうだったかというのは、その時に丁度妊娠・出産していて自分が弱い立場だったということが強烈だし。

 それを建築の角度から観れば。ここを買ったときは子供はまだ居なかったんです。ここを契約したその何日か後に「子供が出来た」っていうのが分かって

 妊娠出産もあって、改修が3年ぐらい放置してあって遅れたんですけれど。その前は自分達の責任でここに住むので、万が一何かあったとしても、そこにナーバスにはなっていなかったんです。

 
子供が産まれ3・11があってから、何かが起こった時に この家が倒れるということに対して 恐いなーと思うようになって。「建物は倒れちゃいかん」って。そこを凄い新たにしました。今まで倒れていいと思って建築を作っていたわけじゃないんですよ。ふふふふ

 佐藤さんは分かってくれるんですけれど この記録を読んだ人が「この人に頼むと倒れてもいいと思って居る危ない人だ」思う人も居るかもしれないので・・ 

佐藤:そういう受け止めはしないでしょう。 まづ壊れない建築をつくるのは 誰でもそうつくりますよ

林野:改めて思いました。それと ここ何年間に 思いはあったんだけど。具体的に何も出来なかったなーということはあります

佐藤
:林野さんにとっても 大仕事である お子さんの誕生と子育て おめでとうございました ご苦労様です  2019年の次回またその後の展開を お話聞かせてください 

 ともに ありがとうございました
 

 2014年 林野紀子さんに聞く 記録を読んでいただきありがとうございました
 次回記録は 2019年予定です お待ちください
  文責 佐藤敏宏