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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
福島県の復興計画の課題
2013年3月24日 福島大学にて   e1 e2 e3 e4  






 阪神淡路大震災
 



















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  私は2010年の3月に福島大学を退職して6ヶ月間だけ特任教授で6ヶ月間居て。2010年の9月まで福島大学に所属しておりました。 それから何か自由なことできるか、起きるかな−と思って居たら半年経ったら、こういう とんでもない事に出遭ってしまってというのが経過です。

それで、私自身は、事故の3・11のときは東京に滞在しておって。それで10日間ほど新幹線が通じなくなったので。東京に実は滞在せざるを得なくなって。その間に原発の災害出遭うとか、色んな情報が流れてきて。「福島県はどうなってしまうんだろう?」本当に正直そう思って、最初に3月、4月、5月は避難所仮設住宅の供給にずーっと取り組んで来ました

実際に県の復興計画は5月からですから。

その3月と4月の間は他の事、特に仮設住宅を「何が何でもあの阪神淡路大震災の時のプレハブ仮設は悲惨な仮設住宅を供給させる訳にはいかない」というような。阪神淡路大震災のとき私も結構神戸に行ってましたので。

こんなものが!また出来るのか?」というのが一番大きな私の中で課題になっていたので。福島県庁と丁々発止して、少しだけれどもそういうのは何とか一部分木造仮設を作るような、結果的に言うとですね。後で話す機会がないといけないので 今話しちゃいますが。

 いわきに行って木造仮設を作っている現場を見ておりました。そのその脇には持ち合いで出来たプレハブ仮設が在って。プレハブ仮設に住んでいる人から、私の処に、そそっと歩いてきて「今ここで作っているやつは仮設住宅なんでしょうか?」「はいそうです」っていう話しをして。そしたらそのプレハブ仮設の人は「なぜ!私たちはこんな差別を受けるんだろうか?」というふうに言われて。本当に複雑な思いになりました

よかれ」と思った事がであっても、こういうことが起きるんですね。本当だったらね、木造仮設を順繰りにやればよかったんですけど。

仮設住宅を木造で作るって初めての挑戦だったので。臨機応変、避難所からプライバシーを要求する仮設住宅を直ぐには供給出来ないんですね。6の下旬、4月になってからです実際に動き出したのは。  そういう時間差もあって。実際に仮設住宅住んでいる人には、ものすごい負担をお掛けしてしまうことになる。いうなことがあって。

今 次の段階、この仮設住宅が延長して4年になりました。たぶん4年で済みません。5年6年になと思います。

なったとして。例えば5年に仮設住宅で延長されたとして。その後の見通しは無いんです

あるいは見なし仮設という民間賃貸住宅に住んでいる人達もたぶん5年に延長されるでしょう。でもその次の見通しは無い訳であります。

災害公営住宅というのは、それにきちっとと合わせて、全面的供給できるか?というと、戸数は限られているので。非常に厳しい状況になる。 ひょっとすると自力建設についても支援をもっともっと本格的にやななきゃいけない。

 私たちの木造仮設住宅供給は再利用の研究会を今やっていますけど。 出来ることならば自分の家を建てたい人に、ほとんどただ同然で払い下げてしまったらどうか。

ただ同然」と言うにしても、あれを解体して2戸を一戸に改築をして。今6坪9坪12坪ですから。これを自分の持ち家にするのはほとんど無理です。9坪のものを2戸で18坪にする。12坪のものを2戸一連で24坪です。そういうふうにして 廃材かと我々は考えているんですけども。それとても解体費をどうするか? 再建築費とか結構 掛かるので。「それはよかったね〜」と、単純にはそうはいかないわけですね。

(木造仮設住宅の再利用)そこのシナリオにはどう書くか? というのと同時に後々話しをしますが、いわき市でこういう木造仮設をなんとか次の災害公営につなげようという取り組みを いわき市当局でやっているんですけど。これが上手くいかない。受け入れ 正直 言うと今の状態は受け入れ拒否なんです。後ほどそれはお話しますけども。そんな簡単ではないというのが分かって参りました。

そんな事をやっていることを一寸 今日はお話をさせていただきます。




2013年アベノミックスについて


 JMケインズ vs FAハイエク



  ネットカフェ難民
 

孤独死問題は NHKの“孤独死”誰にも看取られない死を追う 『1人団地で』は 常盤平団地で起きた孤独死問題に投光しました。老人ではなく 働き盛りの40代の病になった男性が妻が見限られが 孤独死している そのような事実を伝ええ 無縁社会に警鐘を鳴らした 番組でした デレクターは 松木秀文さんでした
 その後常盤平団地の人々は孤独死もんだいをとくため 多様な活動とさまざまな人々を巻き込み ポスト無縁社会を拓いています



 2004年


2006年


 2009年



 昭和35年の集団就職の様子例 小松島の船出


 昭和30年からの連続ニュース映像













 fct 定点カメラ映像


「死ぬと思ったこと数度」吉田福島第一原発所長1/3(11/11/14)



「ストップ・ザ・無縁社会」全県キャンペーン紹介動画






 日本の特別な時代背景


今日お話する前提になるのは、私は今回の東日本大震災というのはかなり 日本の特別な時代背景。時代的潮流の下に起きたことで。そのことが復旧・復興に大きく影響を与えると。その事をキチッと捉えないといけないんではないか?というのが私がずーっと話しをしていることであります。

確かに東日本大震災はM9.0。大津波が来たわけです。大きな所だと30m越える津波だった。その物理的な災害の状況説明は 多くの方がされています。

でもこの災害が起きた瞬間、日本はどういう時代の潮流だったのか?このことを理解することが凄い重要で、今でもそうですが、そのことが復興過程に大きく影響を与えていると。これは私は一つの勘所だと思います。

ここに三つ書きました。経済低迷は前からずーっと続いています。それで21世紀に入ってから新自由主義の下で様々な改革が行われたけども、反面では例えばネットカフェ難民だとか(ワーキングプア・限界集落)次の新しい貧困が生まみ出されいる。というのが21世紀の最初でありました。それでなおかつ空白の20年とかそういうのがずーっと続いてきた時代です。



それはですね、もうちょっと具体的に言うと。今回の大震災、津波の被害。原発事故地域もそうです。それは日本の経済潮流から言うと置いてきぼりに遭って来た地域であります

日本は1960年からの高度経済成長は第二次産業に置き換えることで、高度経済成長を遂げて来ました。製造業を中心に展開しました。その時に、製造業の担い手はどこから労働力を得たか?農村と漁村地域であります。
        
東北地方では上野に向かう集団列車で農村地域から、大量の若い労働者を吸い上げていく。さらに言うと日本の農業・漁業は非常に厳しい状況に置かれたと。産業としてもそうです。コミュニティーとしてもそうです。
   
そういう地域を今回の災害はヒットしたんです。じゃーそのことを政府は本気で第一次産業の農業・漁業を復興させようとしているか?。案の定TPPであります。

という具合で、次の政治の混迷にも関わるんですけれども。丁度 民主党政権が誕生して本当にわずか経ってから、この震災、あるいは津波が起きました。

 少なくとも原発災害に関して言うと当時の政府、首相官邸にあった対策本部はもう右往左往どうしていいか分からない。原発の現地の事務所吉田所長(左欄下部吉田氏動画参照)っていうのが、「ベントを発令して欲しい」ということを言うわけですね。温度がドンドンドンドン高まっているので、ということで吉田所長だと思いますけども、首相官邸に東電の事務局を通して「15条の適用でお願いします」ってなことが、例えば・・中に書いてありますが、その時の経産大臣・海江田氏は「15条って何なのか?」分からない。「レクチャーをしろ」というようなことになってこれだけで20分ぐらい掛かる。

という不始末で。実は政府の中で、こういうものに、機敏に対応出来る体制出来ていないわけであります。

 私は次の処で申し上げますが、政治的混迷は要するに国家が県を含めてですけれども、こういう災害に対するガバナンス力の弱体化。こういうことによって、その次に評価される二次災害みたいなものが沢山あったのであります。というふうに思っています。それは後ほど又紹介します。 

それから社会不安定は先ほど言いましたように、21世紀に入ってから、無縁社会(左欄無縁社会動画参照)と、とんでもない言葉次々飛び交うようになった。

コミュニティー災害とか改めて気が付いたような表現をされましたけれども。元々日本の中でコミュニティーなんてのは議論すらされなかった

ちなみに言っておきますが1990年代以降 EUではですね、コミュニティーをいかに再生させるか、最大のテーマだ。それぞれの都市の中でクオリティー・オブ・ライフ、生活の質をいかに高めていくかというのがコミュニティー再生の重要なテーマになっている訳です。 1990年代からの戦略です。

では日本の都市政策や自治体政策の中でコミュニティー再生というのがそれほど重要な課題として取り上げらたことあるだろうか?充分ではありませんでした。


というような事を含めても日本はこういう状況の中で発生したという。私は3・11が起きてから1ヶ月ぐらいずーっとこんな事を考えていましたけど。その後ですね、じゃーなぜこういう負のスパイラルと言えるような事象がドンドンこういう深まってしまったのか?これにはさらに大きな背景があるんじゃないか?というふうに考えて、

その後1年以上過ごして来て。ようやくちょっとは、まだ整理は出来ていません。整理は出来ていませんけれども、僕が辿り着いたのは、こういうことが起こる時に社会全体の礎となるような基本的な価値観。「日本社会全体が社会全体として守るような基本的な価値観そのものメルトダウンしているのではないか」というのが私が今到達している認識です。「民主主義」と言うけど、本当に日本では 民主主義は根付いているんだろうか?

私は大学に居たときからゼミの学生の中で、よくこのことを話しをして。多数決というのは民主主義の権化のように日本では多用されるけど、少なくっとも、まちづくりとか、 そういう処で多数決という方法を採るのは間違いであります。少数の意見をどう位置づけるか?がまちづくり幅を広げる、深さを深くしていく。

こういう事に繋がるので「まちづくり多数決、これはある意味 本当に本質から外れた方法です」。でも私たちは小学校に入って以来、小・中・高・大学・社会まで多くの場合い多数決は一番便利な方法として採用してきました。

その中で実は「少数派はどういう考え方になるか」とと言えば多数派が少数派に対しては、「無視をする」だとか「なぶり者にする」。少数派はそこから逃げようとする。逃げないで生きようとするとそこにすり寄る。こういう世界は、子どもの世界まで蔓延るわけです。

というふうに考えると、民主主義はどうなんだろうかと。

 基本的人権に繋がる。 例えば私は住宅政策の場合いおいて。住宅政策の場面で言うと「居住権」 ところが2008年に住生活基本法という法律が出来るときに政府の審議会でこういう議論をやりました。前文居住権という概念を位置づけようかどうかを一連の会議でそういう議論がありました。

最終的にどういうことになったか」と言うと政府の担当者の方から「日本では居住権という概念まだ国民的なコンセンサスを得てない。ので時期尚早である」というので切てしまいました。これは国交省の審議会の議事録の中にちゃんと書かれています。

というような事がまだ日本では普通に起きているんです。

あるいは生活の質、先ほどいいました。福島の人達はクオリテーオブライフ、 極々当たり前の言葉、キーワードになりつつある。私たち一般市民にしてみると。生活の質?(ウィキ参照)何を指すんだろう?。何が生活の質を決めるんだろうか?と。そこまで我々は成熟しておりませんね。

自分の町、自分のコミュニティーでは何が兼ね備えられることが重要なのか?自分達の生活の質を豊かにすることになるのか? ということであります

暉峻淑子 てるおか・いつこ 埼玉大学名誉教授)ん埼玉大学の先生が、豊かさとは?何か?書いてからもう20年以上経ちました。

 ものすごい問題提起だったんだけども、日本ではこの生活の質が、私たちの生活の場面で定着するっていう状況は、このことはですね実は津波災害地もそうだ、原発被災地の人達が避難所に逃げる、避難所から仮設住宅に逃げる。その時の過酷な生活の状態の事を「あれは仕方ない。緊急時だから我慢してください」というふうに我々自身も見ている訳です。

その避難者、避難生活の質を考えた人は誰も居ません。

このことは、緊急時だから仕方ない」といういうことで気の毒なんです。 発想が湧かない。ずーっと強いんです。こういうことをコミュニティーにも 言える。

 それから私は3・11東京に滞在しているときに、たまたまこのマイケルサンデルのこのこの本を読んでいた最中でした。その時も色々考えさせられましたけども、今マイケルサンデル正義論というのは、あちこちで議論されていて、つい先だっても東北大学を会場にして、この地震津波災害に対してどういう論点があるのか?と。ということをマイケルサンデルが提起をし、かなり刺激的な議論に繰り返されました。イエスかノーか。という。

二分方なので、私からするとどちらでもないとう解答をする。せざるを得ないことを沢山あったんですけども。それでもこの正義というのは日本の社会において定着して、来なかったんです。次の倫理もそうです。

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 (参照)マイケル・サンデルの白熱教室@東北大学 (1/4)

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大震災以前 どのような課題が論じられていたか?の例

 参照: 佐藤敏宏が文字起こしの全てに関わり 2008年以降 出版された本 

  2011年
〈原発、核汚染、震災、戦争:「いのち」との対話〉
誰のためのメディアか――原子力をめぐる報道について  鎌仲ひとみ(映像作家)
世界の核汚染と福島でいま起こっていること  森住 卓(フォトジャーナリスト)
「NHKスペシャル」の制作現場から――「戦争・災害・事件」報道について 藤木達弘(NHK)

〈当事者との対話、取材者の自問〉
沖縄の貧困問題――連載「生きるの譜」取材を通して 与那嶺一枝(沖縄タイムス)
認知症問題のルポをどう進め、どう描いたのか 五十嵐 裕(信濃毎日新聞)
男女の境界を生きる子どもたち 丹野恒一(毎日新聞)

〈対話する「当事者ジャーナリスト」〉
東名高速酒酔い事故で子ども二人を失って――市民の声で出来た危険運転致死傷罪
井上郁美保孝(ともに会社員)

〈地域に生かされ、地域と対話する新聞経営者〉
地域紙の存在意義と事業性  近江弘一(石巻日日新聞)

〈対話の奇跡が生まれるとき〉
奇跡を体験できる幸福  国分 拓(NHK)
裁判官は“聖職”か――正義の名のもとに裁くという仕事 笠井千晶(中京テレビ)
「井の中の蛙」が語るドキュメンタリー論 阿武野勝彦(東海テレビ放送)

〈読者のために公権力の中に入って対話する〉
沖縄米軍基地報道の立ち位置――普天間問題が問う民主主義の熟度 松元 剛(琉球新報)
発表報道から調査報道へ 高田昌幸(ジャーナリスト)
特捜検事の証拠改ざんをどう明らかにしたのか 板橋洋佳(朝日新聞)

あとがき 花田達朗  Amazonへ


 2010年

はしがき――「境界」に立つジャーナリスト                花田達朗
  〈境界を疑う
           山城紀子  ジャーナリズムに女性の視点はあるか
           村上雅通  私の水俣病報道
           山本宗補  アジア取材が活きる、戦争体験者の取材
  〈境界を見つめる
           大西成明  「生老病死」を凝視する
           鈴木洋嗣  『文藝春秋』と『週刊文春』――雑誌づくりの現場から
           岡村黎明  沖縄・普天間と日本関係の方向
  〈境界に立ち尽くす
           小林 篤  ジャーリズムから落ちこぼれた雑誌記者の「境界」という曖昧な立ち位置
           丹野恒一  「性分化疾患」――タブーにしたのは誰なのか
           羽田澄子  映画『嗚呼 満蒙開拓団』に辿りつくまで
  〈境界から問い返す
           水島宏明  「ネットカフェ難民」から日本の貧困が見えますか?
           塩田 純  戦争の時代を記録する――『NHKスペシャル 日中戦争』より
           斉藤光政  地方から世界を斬る――グローカルな視点
  〈境界を越えて
          小貫 武  『日本海軍400時間の証言』取材8年の軌跡
          土井敏邦  映画『沈黙を破る』が出来るまで
          長井 暁  NHK番組改変事件に見る日本のジャーナリズム
  あとがき                             花田達朗  Amazonへ

 2009年 

はしがき:花田達朗

蘇る過去と問われる現在
・沖縄返還密約事件を追って:土江真樹子[フリージャーナリスト]
・日米同盟と情報操作:西山太吉[(有)西山ビル代表取締役]
・長期連載「新聞と戦争」の取材を通じて見たこと考えたこと:植村 隆[朝日新聞]

記憶の可視化と証言の空間
・「記憶」と「記録」:鎌倉英也[NHK]
・沖縄戦の記憶を伝えること:謝花直美[沖縄タイムス]
・『靖国』から「国家共同体」と「東アジア共同体」を考える:李 纓[映画監督]

社会変化とジャーナリズム
・2008年米大統領選挙とメディアの役割:藤田博司[朝日新聞 報道と人権委員会委員(非常勤)
・反貧困運動と報道:湯浅 誠[NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい事務局長]

当事者に寄り添うということ
・500人の村に住み込んで連載を書く:石井 研[高知新聞]
・心に火を灯す放送を:山縣由美子[南日本放送]
・当事者の言葉から考える:宮田 興[NHK]

裁判・世論・真実
・ドキュメンタリーは市民運動と連帯できるか:奥田雅治[毎日放送]
・弁護士から見た犯罪報道:村上満宏[弁護士]
・死刑制度を直視し、議題にする:森 達也[映画監督・作家]

あとがき−「可視化」のジャーナリズム:花田達朗 Amazonへ


 2008年 

第1部

 水俣病報道・取材を通して   進藤卓也[西日本新聞] 
 ・大きなテーマを細かな網目ですくいとる 「談合」「水俣病問題」そして「憲法」 山口和也[熊本日日新聞] 
 ・当事者の切実な声と姿から学ぶ 吉田敏浩[ジャーナリスト]
 
 ・誰に向けて書く? 地方紙記者の可能性 依光隆明[高知新聞]
 ・調査報道「志布志事件」の舞台裏   梶山 天[朝日新聞]
 ・社会を変えたキャンぺーン報道 「お産SOS」とスパイクタイヤの追放 練生川雅志[河北新報]

 ・アジェンダ・セッティング型の調査報道  「偽装請負キャンペーン」をめぐって 市川誠一[朝日新聞]
 ・インタビューの方法 「よく聞き、よく見る」のために  野村 進[ノンフィクション・ライター]

第2部

 ・映画『ガーダ―パレスチナの詩』ができるまで  古居みずえ[ジャーナリスト]
 ・「客観・公正」報道で社会は変わるのか?   小児難病「ムコ多糖症」を取材して 湯浅次郎[日本テレビ]
 ・“孤独死”誰にも看取られない死を追う  松木秀文[NHK]
 
 ・パレスチナ報道で何が伝えられないのか  土井敏郎[映像ジャーナリスト]
 ・報道が国家権力に影響を及ぼすとき 中国残留日本人の帰国支援事業の実態に迫る竹下通人[RKB毎日放送]
 ・TVによる「調査報道」 「同和行政」報道に至るまで   東田尚巳[毎日放送]
 
 ・現代史を検証する 日中戦争から靖国問題まで  東野 真[NHK]
 ・戦争報道  なぜ戦場取材なのか 野中章弘[アジアプレス]
 ・報道とドキュメンタリー  「水俣」から「靖国」まで 山上徹二郎[映画プロデューサー]