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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
福島県の復興計画の課題
2013年3月24日 福島大学にて    e1 e2 e3 e4   

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 「ちょっと第二原発は」というような質問がありましたけど。最終的にはこの方も私の古里福島をどうしようかというときに、原発はやっぱり福島県には廃炉するよりないと。 全員でこの方向を決定することができました。

それで、もう一つの特徴は、緊急時対応ですね。これはね、政府の復興構想会議であります。岩手県の復興計画と宮城県の復興計画でのよいところです。私は今回の原発災害は非常に長時間掛かる、過酷な避難生活、長時間掛かる。従ってその為の支援、自治体だって丸ごと避難してる自治体が8つもあるわけですね。


そういうふうに考えると、その復興のビジョン、復興のあるべき姿を描くだけが能ではなくって。今避難生活をしているところをどうやって支援するか?よりましな生活にするにどうしたらいいか?ここの処スポット与えないと駄目だ、というので、主要施策を七つ。基本理念が3つ。主要施策を初に緊急時の復興までの過程の支援をどうするか?ということを7つ最初にあげてきたのはそういう意味であります。




 
そこまで一応考えたんですけども。実は市町村レベル計画 、浪江町の復興計画に関わって、その日までずーっと私は被災者、被災地に寄り添うという気持ちは持っていたつもりなんですけども。浪江町の復興計画に関わってみて、まったく僕は 実態の無い、寄り添うということだったということを思い知らされました。


浪江町の復興計画、最初町が出して来た、復興ビジョンの骨子は古里浪江を再生しようという骨子でした。

そこの復興計画委員会に山形、東京、1人の委員の人は大阪から来ましたですかね。委員会の為にだけ駆けつけてくれたんです。古里浪江を復興させようと、3,4回やる間に。

 私はもう山形に生活が決まっている、しかしそこで非常に過酷な生活になっている。その生活を支える。なかにはもう浪江に帰れない。帰らない決心をした人も居る。その人達のための支援というのは、古里再生の下に無視するんですか?という意見がそのときに沢山でて来たんです。ものすごい意見でした。

古里、再生だけが?古里の復興だけが浪江町の復興ですか?私たちちりぢりばらばらになって、それぞれ過酷な生活を強いられた人達に生活の復興をどう考えるんですか?というのが突きつけられました。

それで最終的には古里浪江の復興なんだけども、こういう理念を掲げてもいいけど、目標は1人1人の生活の再建こそが最初に重要なんだ、という議論になって。浪江町の復興ビジョンの1番最初に出て来る、それがこちらであります。

 これは議論しないと分からなかったことですね。議論すればすぐ分かるかも知れませんけど。自治体はですね、自分の自治体の存亡を賭ける。あたりまえであります。自治体にとっては当たり前。何年掛かろうとも浪江町という自治体を守り抜こうとするのが自治体の基本姿勢です。

もちろん自治体の職員の中にも町民がそこに残るっていうことを前提にしている。これが最終目標。でもその過程には住民以外2万1千人いる、浪江町町民に アンケート調査。1/3の7000名はもう戻りませんと。言わざるを得ない。という中で こういうものを大きな課題 でてるなかで、ひょっとすると軽視してしまう。

それで計画の中では先ほど言いましたけども、応急仮設住宅は最初の法律は2年。これは3年に延長して今4年になりました。たぶん5年6年になるでしょう。

なったとしても、浪江町には帰れません。では5年仮設住宅、見なし仮設、期限が切れた、その人達の生活はどうするのか?。ということも、直ぐ目の前に分かるのであります。

もう既に2年経ってますからね。そうるすと私たちはもうちょっとよりましな、さきほどの28ヶ所バラバラな、浪江町の応急仮設住宅団地をもうちょっとよりましな、居住空間の水準、コミュニティーとしての設え。こういうものを考えておかなきゃいけないということで、町内コミュニティーというのを考える。ということであります。(浪江町復興ビジョンHPへ)






中間貯蔵施設に反対し続けるマインドを推測できる動画 井戸川双葉町長インタビュー1



 同上その2








双葉町は今どこへ行くやら さっぱり分からない状態で、復興まちづくり委員会では持続しています。さきほどいった件ですが。この2つです。先ほど言いましたね。はしょります

 これは浪江町をやっているときに、考えたことで。このように、古里の復興、というけれども、ちょっと違うんじゃないのとう意見があって、全ての町民の暮らしを再建する。というようなことだとか。あるいは、仮設住宅をどうやって、よりましなコミュニティーにしていくのか?。というような課題として・・・、その結果として浪江町の町外コミュニティーこれは唯一絶対の選択肢ではないですけれども。

コミュニティーを作ろうとすると、この南相馬、二本松、いわき、それから先ほどお見せしましたけども。浪江の中でも低線量の所が在るよね。復興拠点を作ろう、前進基地を作ろうと。っていうようなことで始めている処です。


双葉町は大変であります。2回目の復興まちづくり委員会の時に放射線医学の研究者が講演をしていただいて。双葉町は160年戻れません。自分の放射線の線量の分析をした結果、双葉町は160年無理ですと。50人ぐらいの町民代表の復興まちづくりの委員がいたんですけどみんな難色を示します。どうすれば好いのか?ということですね。

そういう議論だどか、あっちに触れられたりこっちに振れたり。同時に町長選があったり、議会が解散あったり。なかなかその動きが充分ではない。

 要するにですね、双葉町前の町長さんは今の放射線量では福島に戻りたくない、というのが基本的な姿勢です

 でもここ福島もそうです。一定線量の中でリスクと向き合いながら 我々の生活は成り立たせようという人達も双葉町町民も居ます

 町長さんは福島に戻すべきではないという基本考えの人。福島で生活をリスクに向き合いながら、やろうとしてる、真っ向から対決しちゃっている。というようなことが今困難な状況を生み出しています。

ところがもう、それぞれ観ていただくと、分かると思いますので ちょっと省いていきますね。











FairDOプロジェクト

さて最後にですね、私が今日皆さんにお伝えしたいことは。先ほど言いました2011年の9月にポツダムという所に行ってクラステファーさんという安全なエネルギー供給に関する倫理委員会、議長2人居たんですけどね。その内の1人、ステファーさんをを訪ねて。

 EUでは、あるいはドイツでは、どうやって放射線防護を考える方に取り組んできたのか?ということを話しを聞いて、その結果としてですね、私は戻ってきてから、日本でこういう国際的な共同研究は必要だなというので、あとで講師の1人になっている難波さんと一緒に参加して、この FairDOプロジェクトを立ち上げました。




9月に行ったときのメンバーですね。この人がクラステファーさん。それで難波さんがおられて、この人は通訳の人です。それから、一緒に行ったのがコウダシャーミンさんという人で、この人が我々の資金だとかそういうのを支援してくれている  という所の理事をやっている、という方々と一緒に。・・・前にワークショップをポツダムで。、彼が社長をしている研究所にやったときの風景です


それで私たちは、ここであまり詳しくお話しませんが。私たちのテーマは除線に関する効果的なガバナンス、あるいは除線計画。具体的な効果的な除線計画をどうするか?と。それからリスクコミュニケーションどうしたらいいのか?っていうようなことを実は考えて、今取り組んでいて、去年の研究報告は完成をして、あとは来年度、2年目の研究に取り組をしていくというところです。


これは先ほどの話で除線計画をもうちょっと効果的にやろうとすると、皆さんも承知のように福島県の大きく言うと市町村が除線計画立て実施するところ非直轄)と。国が直轄でやるところと、大きく二つに分かれている。

ここのエリアは国が直轄でやる、それ以外は市町村が除線計画をつくる。というような、やりかたになっていて、それぞれが地域住民の了解の下に情報を開示する。
                (環境省の除線の取り組み講義録へ)

 環境省策定 搬入計画図



あるいは、仮置き場をどうするか?。それぞれみんな困難に直面しているどういう場合が上手くいくのだろうか?ということを含めながらですね、 考えていこうとしているのが、いまのfairdoのプロジェクトです。



これは、2012年の11月の除線の実施状況です。これも見ておいてください。



昨年の10月一杯。私たちが、学外の研究所を含めて、今の状況どうなってるのか?と。 昨年の第一次報告書で、とりあえず、まとめた除線の現状と課題。というので、除線がなぜ上手くいっていないのか?除線以外にどんな課題があるのか?ということをこんあチャートにまとめました。この文字を詳しく紹介していると時間がありませんので、観ていただければありがたい。





さきほど言いましたけれども。私たちが除線で経験している時に、何がなんでも除線では、たぶん荷が重すぎる。  もうちょっと別の選択肢を考えておかないといけない。放射能防護という考え方をもっと幅広く考えないと、というのが一つ。 それにしても除線の課題というのは、実際の被曝をしている人たちが、除線方法の当事者として参加するという俯瞰が無い

行政がこういうふうに説明して協力者としてその被災者の人達を、この構図では 信頼が構築できない。そういう人達も当事者として除線方法に決定に関わっていくような仕組みをつくらないといけない、というのが私たちの考えていることで、そういうことがこれから、どうやったら出来るか?次年度に復興への新しい挑戦を考えようとしているのが、今の考えであります。



それで一つだけ、昨年オスロに 11月にオスロに行って、福島の今の原発の被害状況を僕たち報告したんですけども。ヨーロッパではNERISって書いてありますが 要するにこの除線に対する、あるいは放射線防護に対する、ヨーロッパのネットワークがあるんです。ヨーロッパのネットワークがワークショップを頻繁に開いていて、そこでどういう議論をしているのか?ということを、一つだけ、ご紹介します。



最初のセッションでは福島原発災害なので、私と前の行政社会学に居た、村山武彦さん (支援フォーラムの講義録へに東工大教諭ですけども。彼はリスクコミュニケーションの発表を私と2人でしました。ヨーロッパの連中何をやったかと言うと一例としてですね、これから紹介すします。

その前に NERISというのはこのEUの中心に色んな政府機関だけではなくって、NGO、NPOを含めて、20ヶ所以上でこういう拠点が在って、それぞれのシュミレーションに、あるいはモニタリングするやっているわけです。

こういう人達が、ネットワークを組んでいるのがNERISです。オスロの時にですねスウェーデンとかスペインの研究者がこういう発表をしてくれました。どういうことかと言うと、ここ地中海。ここへバルセロナが在ります。バルセロナの南西の方向に原発が一つ在ります。

これをモデルにして、もし、ここで原発の災害が起きたら、政府、地方自治体はどういう情報を機敏に出さないといけないのか?という、そこいらの検証。それから。周辺の飛散が予想されるエリアの住民はどういうことに対処して、というシュミレーションをやって、それがここに書いてあります。

緊急時の準備として何をするか?地域住民を含めた自治体の、ステークホルダーの人たちは、それにどう参画するのか?っていう研究を、もう福島の原発災害後ずーっともやって居るわけです。具体的な中身を検証しているところです。


さて私たち日本では   次の段階、福島に原発 右往左往して、日本の原発は54機あると言われている。

それいついて、放射線原子力規制委員会が発足後すぐこういう地図を用意しました。もしそれぞれの原発事故起こしたら、どのような シュミレーションマップを紹介しました。紹介したあとあれは間違いでしたとちょっと修正をしました。しかしですね、そのことであります、こういう発表をしたのに私たちは次にこれは どういうにつなげて行くのでしょうか?。

私たちはこれを使って、どういう準備を?地域住民は何をしようとしているのか?、まったくその動きが無い。EUではこれが始まっているということですね。このことを行って見て思い知らされました。

福島だって次の被害あるいは事故が起きるかも知れない次の事故の為に何か準備を! 聞いたことありますか?今の事故に右往左往してる。次の 事故にどうしようと見えてこない。




ということをちょっと最後に紹介したかったです。

私はこの手の講演をするときに必ず紹介している言葉があって、これが 古代ギリシャのアテネ。都市国家で市民憲章して、お互いに約束事として、とり交わされていた文章

私たちはこの都市を 
私たちが引き継いだ時よりも
損なうことなく、より偉大に、よりよく、
そしてより美しくして、次世代に残します


いうけれど、私たち日本人には、哀しいけどこの気概はありませんね!私たちは今どういう方向に行こうとしているのか?というのが見えない。

私たちはこの災害を核にしてもう少し地域社会 ここでは都市と言ってますけども。地域社会の継承、そういうものの、将来の姿をきちっと思い描いて、そのことが 次世代に対する責任ではないか!というふうに思ってます。

以上です どうもありがとうございました 

 会場  ぱちぱちぱち ぱちぱちぱちぱち 

日本原子力産業協会の図 



 質疑応答 

 Q:福島県民には自分で築きあげるという政治意識がないのではないか

■私自身はですね、一つ思うのは、なぜこうなったか。、これを打開するにはどうしたらいいか?

私が思っているのは子ども達に対する 自分の立ち位置はね、歴史教育としてちゃんとやってないことの付けが ふふふふ 回っていると思って居ます。

だから私たちは大学の受験をやって社会、歴史教育は受験戦争の受験のための歴史教育で。明治維新であとはすっ飛んでしまっている。もっと私たち自身の今の歴史上の、世界史上の立ち位置を学ぶということをやらないと。今の立ち位置がよく分からないというのが大きいのではないか?ていうふうに思っていて。そのことが世界の中で日本はどういう問題を抱えていてるのか?

相対化する中で私たちの課題みたいなものが主体的に見つけられるようになるんじゃないか?今の私の考え方です。色々あると思いますけれども。



 Q:フクシマのこのこ(低放射線量)環境で暮らしていったら私たちに何が起こるか知りたい。誰も言ってくれない

■僕が言えるわけないでしょう。 ただですね。2,3日前に今野順夫さんが世話役をやっている ふくしま復興支援フォーラムというのがあるんです。行ったんですね、そこでね、広島の原爆症の治療を永年やっていて、その後、福島に病院に勤めているお医者さんが講演してくれたんです。

彼が、どうすればいいかっていうことを、我々にきちっと言ったわけじゃないんだけども、放射線が 色んな害 染色体にどういう影響を及ぼすのか?それを、色んな研究のの状況もしらべながら、こういうことが確率論的には言える、言えないっていうとを含めて、ずいぶん丁寧に説明してくださった。

私は最低限その入り口の議論をしていくと、私たちは多少のリスクが、それと向き合う向き合い方が分かるな〜という感じがした。

 2013年 3月24日 東日本大震災・原発事故と環境マネージメント 会議のようす 主催者の 後藤忍 博士 と2ショットする