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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
震災復興における高校教育の現状と課題
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 我々としてはそういうものを是としてやってはいないので。無くしていこうという立場を守っています。日本の軍隊文化というのでしょうか。そういうなのが学校文化のなかに根深くですね隠れているのかな−と。

体罰というのは、だいたいが「カット!」して殴ってしまう人が処分されるんですね。日頃から凄い指導者で部活の実績を上げたり、「あの先生が出て来ればぴしっと締まる」と。いうような先生が日頃やってる体罰は問題にならなくって。生徒をなかなか指導できなくってもう頭に血が登っちゃって、本当は殴りたくないんだけども、興奮しちゃって手を出しちゃった。そうして怪我させてしまったと。という人が実は懲戒処分を受けたりします。部活でみっちりと厳しい強い指導をしているような先生は、実は処分されないと。いう状況もあります。

自殺の問題になんかなったりして、そういう指導者が今回処分されましたけども、先生も見えない処でも沢山あると。

それから子ども達は学校推薦の生徒があまり「芽が出ないとですね、すぐ排除されてしまうから〜」って不安におびえながら生活をする。

発言された先生は実は1人1人固有の名前を持っている人格のある人間なんですが、我々処理するときにですね、それを番号でばーっと並べてしまうことはやる訳なんですが。その先生が各クラス毎の成績単票をを見たときに、生徒の名前ではなくって、番号で出していた先生が居て愕然としたと言うんですね。

だから人間ではなくって、名前ではなくって。数字で記号として処分出来るという先生も。我々教員の教員文化の中に、実際体罰をしなくってもですね、それを許してしまうっていうか。「強い指導をしてびじっと生徒を黙らせることが出来る先生の指導力には立ち向かえないような〜」。そういう状況があるのかなーと思います。

それから部活動も今指導が大変なので、なり手がいなくってですね。産休明けの若い先生を強い部活の顧問にするなんていう学校もあるそうで。 ほんとうに過労死する状況ノイローゼになってしまう状況なんかもあります。


3頁ですね。最後の4頁の処ですが、時間がだいぶ過ぎましたので急ぎます。そういう中で高校生が、どういうことを表現したり発言したいりしているのか?

実は被災した高校の中では文集を作られているそうです。我々「見せてください」って言いってもなかなか見せてもらえません。見せてもらっていません。学校の中のもので、個人情報なんでしょうけれども。部外者にはなかなか見せられない 103:20の、研究者の大学の先生なんかが入って、ご覧になるということはあるのかも知れませんが。「ください」って言ってはいどうぞというのではないので。なかなか子ども達が書いている文章というのに触れるというのは、当該の学校の先生じゃないと出来ないのがあるのかなーと。

それで、苦労して集めた文集を組合の方では、これも女性部の先生達がまとめられたんですが。『福島から伝えたいこと』という文集にまとめました。これ一冊500円で 普及していたものなんですが。4回増し刷りをしまして。4000部ぐらい普及しました。今第二部ですかね、二番目の冊子を今準備しておりまして。まもなく発行されると思います。

他に演劇とか朗読とか、絵画の表現、そういう部分で沢山の作品が作られて来ています。とくに近年今日の夕方、NHKの全国放送にのったようですけれども。相馬高校の放送局という処では女子高校生達が「今伝えたいこと」という劇を自分達の言葉で、顧問が、手を入れている訳では無くって。高校生がお互い話し合って。皆なの意見をまとめて、高校生たちの思いを「今伝えたいこと(仮)」っていう劇にまとめているんです。3月3日に南相馬市鹿島区のさくらホールで公演されたのを私も観にいきました。ふくしま会議っていう何か団体が主催して行われた公演です。赤坂憲雄っていう民族学者がでて来ていました。

 「たねまきうさぎ」っていうのは、福島の吾妻山のことですけれども。女子校生の朗読のグループに名前を付けまして。私が、高知に連れて行ったり、色々しています。

西高校にはデザイン科の学科がありますので、その生徒達がいろいろ表現しました。これは別刷りの資料の3番っていうところに、小林みきっていう先生が卒業した後にですね、東京に高校生達を訪ねて、元高校生たちを、卒業生を訪ねて、そのときに思いを聞き取った文章が雑誌『教育』に載ったのが。資料として配付しまいしたご覧いただければと思います。

資料の4番に私が高校生座談会で司会をやったんですが、そこで高校生たちの語りが載せられています。

福島で学校で地震があって恐かったなー避難所の支援で気持ちが張って疲れたけど、なんか充実していたなーと。その後こうで、ああでという、私には計り知れないですね。高校生たちの生の声を聞くことができました。

陸前高田の高田高校の生徒は。おとうさんは離婚されて、別にいらっしゃるそうですが。同居していたお母さんとお兄さんと妹さんが、津波から避難されした避難した場所で津波に遭って。3人ともお亡くなりになったそうです。嫁いだお姉さんが居て、お姉さんの所にちょと世話になったんだんですが、そこには馴染めずに今は仮設住宅で高校2年生で1人暮らししているんです。お父さんとお姉さんは居ますけれども。一緒に暮らしていた家族3人をいっぺんに失うという、その子がでて来て話しをしてくれました。

 本当に言葉に詰まってしまう、どういうふうに言葉掛けていいのか分からないような状況ではありましたが。そういう中で高校生たちが色々考えていることがあります。その中で同級生を失ったり家族を失ったり。とにかく「命を守れる教育を学校でして欲しい」と言ってました。 1:07:22

それからいじめとか体罰とか人権を踏みにじるようなことが行われているわけですが。学校という場で子ども達側から「人と人とが尊重し合うような、お互いに繋がりを付け合うような、そういう学校にしてほしい」というようなことを発言していました、 

丸4番の二本松市のA高校というのは安達高校です。原発ゼロを目指す報告は意図的に外されたのかそもそも無かったのかは分かりませんが。原発の再稼働を前提とする、報告ばかりがでて来てました。

ただ福島を復興させる、その持続可能な教育という教育の概念で色んな課題解決をしようとする学習ですので、その枠組みにはめてですね、子ども達は色んなことを考えてその部分を作っていましたけれども。そういう前向きな部分はありますから、自分達の地域を見詰めて、どういうふうにしてそれを解決していくのか?何が出来るのか?ということ考えるのが重要だと思います。それは賛同すべきものだと思いますが。

 だけどその時に外してはならないものというのでしょうか、再稼働が前提でいいのか?いう部分ですよね。そういう部分でどこを内容を深めて吟味していかなければならないのではないかなーと。

実はこの二本松のA高校では聞いた話ですが。直接担当の先生とお話はしてないのですけれども。家庭科の授業で素晴らしい取り組みされていると聞きました。 これこそが「持続可能な教育じゃないかなー」と私思うんですけれども。家庭科の授業で1年目は雑巾を縫われて。仮設住宅を訪問して、その雑巾を使って「掃除をする」っていう奉仕活動されてたそです。

2年目はですね、同じ事もやっているのかも知れませんが。今度は避難されてきたお母さんやおばあちゃんから、その土地の「郷土料理のことを聞く」という取り組みをしているんだそうです。「どういうものを使ってどういう料理を作って食べていたのか?」を聞いているそうです。そうすると、その方は、「こっちきてどうですか?」と聞くわけじゃなくって、昔の小高町なら小高町の浪江町なら浪江町で、どういうものを自分でつくったりして、食べていたのか?って 聞かれますよね。そうすると自分の思い起こした古里について、振り返りながら子ども達に語って聞かせてくれると。

そういうその人の人生、自分の人生を重ねて話しされると思うのですが。そういう人生も合わせて聞き取るようなことをしている。 「どういうふうにして避難して来たのか」。その避難の様子ものことも聞くと。避難するときに何を持ち出して来たか、何が大事で何を持って来たのか?。そういうことも聞いているそうです。

食文化とか生活とか。命を守らなければならない、避難をしなきゃならないときに何を持って来るべきなのか。そういうようなことも合わせて、防災について学ぶ事に繋がるんではないかなーと。そういう処にこそ、地域を見詰めつつ、学ぶべき事というのはあるんじゃないかなーと。


実は私会津の川口高校とう所におりますときに、過疎地で。2年間定員割れで、今年も定員割れだったら、分校にされるという学校だったんですが。なぜか今年は定員が大変増えましてですね。西会津高校なんか やばいんですけども。川口高校は大丈夫と。若松に避難した大熊の子どもの何人かは入っているんですね。昨年度。1人入ったんですかね。

本当に良い学校なんですけども、そこでは県の会津振興局のですね、お金を支援していただいたりして、地元学習ですね。地元学をやりました。元の枠組みは水俣病で風評で苦しんだ水俣の人達が、「町全体をエコタウンにする」っていうので、取り組まれてる中で自分達の古里を水俣を見つめ直しましょうとという学習でした。地元学っていうのが、水俣病資料館の館長さんされた吉本さんという方の提唱で始まったようです。

実は地元学というのは福大の下平尾先生もお使いになっていて。吉本さんに会いに行ったんですよね。そしたら「下平尾先生が勝手に使った」と言って怒ってましたけども。どっちが先なんだか分かりませんが。そういうことで今は岩波ジュニア新書に載っている吉本さんの取り組みは。要するに自分達の古里を「何にも無い田舎だ−」と思っていたなかに、「昔からの暮らしの色んなものがあって、豊かな生活文化があった」そういうことを見つめ直す学習なんですけども。そういうものが今必要なんですね。

実は今日も境野先生来ておられますが、福大の先生方が、飯舘のですね、相馬飯舘の分校に入られまして 子ども達と一緒に飯舘の事を勉強する。会津若松に避難されている大熊町の小中学校では大熊の事を勉強する。子どもが一生懸命やってます。

古里、地元を離れて「離れた所で地元のもう一回見つめ直す」ということですね。そこに戻れない人も居るでしょうから。会津の山の中もそうです。離れざるを得ないので。そうなると「どこの地域に行ったって、自分の地域が地元だ」と思えばそこに価値を見いだして、そこで自分の生きていく地域社会を有用なものに作り替えていこうと。古里だけが地元じゃなくって、今住んでいる所も地元だと考えれば、どこに住むことになってもですね。

今 被災でいずれ帰れるかどうかということでも、帰れなかっとしてもですね。自分が住むことになる場所をよりよい地域社会に作っていく。民主的な社会につくり変えてく。「学習の土台になるものではないかなー」と思います。


それから平和ゼミナールというのを1月27日にこむこむで結成集会を終わりました。今の処は10名ぐらいの高校生、ただ半分は3年生で、卒業しましたので。下の学年の子ども達を入れないと人が居なくなってしまいます。

実は福島県では十数年前に20年前か?。私が採用になった頃に一回作られたんですが、数年間で廃れてしまいました。厳密に言うと「再建した」ということなんですが。「何とか続かせていきたいな〜」と思っています。実は高校生と教員だけだと続かないんですよね。例えば退職したとか転勤したとか、先生が居なくなる。それから、まとまっていた学校の生徒達がみんな卒業して居なくなるとすぐ無くなっちゃいます。

なので、できればこういう 復興フォーラムに来ている方も一緒になって大人の方も一緒になって学んだり、行動したりする。そういうことが出来るゼミナールになるといいなーと。

 地域の中で高校生も参加して大人も一緒に学ぶ。これ川口高校で、地元学習やっているときに、地域のプロフェッショナルな方が学校に入って来て、郷土料理を教えてくれたり、只見川では流し雛がありますので。流し雛をつくれるお婆さんが教えてくれたりする。大学の先生じゃないけど、その道のプロフェッションが来て教えてくれる。本当に子ども達 いきいきとして、我々教員が教えるより、もとっと楽しそうにですね。意味のある学習をします。 1:15:13

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