HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
山崎泰寛さん井口夏実さん 2017年1月29日京都市内にて その01 その02 その03 その04 その05 その06 その07 |
、 | その02 山崎:ドレクスラーという人は元々デザインの勉強をしていて。 1920年代に生まれた人だと思うんです。最初にジョージ・ネルソンというデザイナーの事務所で働いて。ネルソンのゴーストライターみたいなことをするんですよね。 (絵 博士論文より) その後に自分で雑誌に書いた評論がフィリップ・ジョンソンという建築家の目にとまって、それでMoMAに引っ張られて。 日本の建築の展覧会とか、最初は自動車の展覧会をするんですけど。そいう人なんです ドレクスラーは建築も芸術作品のあるジャンルだっていうふうに考えて。建築も芸術の成果として美術館で展覧会をする。 本人が日本に来たのは・・1930年前後ぐらいに調査で送られて来て。で、日本の建築家たちを2か月程度 調べて。その間に日本の展覧会をするようになったら書院造の建築をアメリカに紹介したり。そいう結論に到達して。 吉村順三という、当時すでに名前が出ていた建築家に、その設計と最後まで作品として完成するところまで依頼して。 そこで吉村と二人でいろいろやりとりしながら、パビリオンとして実物の書院造の建築をMoMAに建てたんですけど。 (絵 論文より 松風荘) その時にモダンなものを選らばないんですよね。 佐藤:そこが興味深いところですね。当時の日本の建築家たちは「こんなに洋風建築つくれてますよ」と。一方ではあったわけですよね 山崎:そう、当時 1954年が展覧会で52年53年だったかな、調査に来ているはずなんだけど。 その時は すでに小住宅のブームが来ていて。最小限住宅みたいな、いくつかの建築家が、野心的に住宅供給 集合住宅で言うと51Cが出来たし、個別の住宅で言えば出来るだけ工業化された部材とかで、小さいけどよい家建てるみたいなことになっていたと思うんです。 絵: 集合住宅 51C 一戸の平面図 ネットより そういう意味ではモダンな時期、みんなが凄い頑張ってて、「けっこういけてきている〜んじゃない」っていうところに・・ 佐藤:日本の建築家は胸張ってた時期に 書院 山崎:すごく批判されたみたいですね。当時の記事を読んでみると。 その前に浜口隆一という評論家がいたんだけど。東大にいたときにニューヨークに留学するんですよ。それは51年ぐらいなんだけど。 向こうの建築の雑誌の編集部に机をもらって、そこで働くんですね。そこで「日本の建築の特集を作ってくれ」と言われて。その企画をするんですよ。 「モダンなものを出来るだけ紹介して」 ふふふ て言ってやるんだけど。「いや、ちょっとそれは」って言われ、結局 彼がいる間にはその特集はでなくって。日本に帰ってきてから。 日本の古建築の桂離宮とか、神社とか、そういう古建築を集めた特集が出ちゃって。そこにも一個もモダンなものが載らないかったですね それは凄く日本の建築家たちにとっては屈辱で。ある種 すごいコンプレックスを その時に生まれたんじゃないかなーって思うんですけど。ふふふふ 佐藤:敗戦し、内乱も起こさず、西洋化〜進め〜で。けっこうモダンいけてきてるのに〜ね。日本人は敗戦の影響もあって日本古来の建築のよさを理解できなかっただろうね 鬼畜米英がころんとね・・米国大好きに 山崎:そうですね、もちろん最小限住宅の話とか、和風の畳とか、必ずしもそうではないんですけど。でもカツ・カレーみたいなこと起きるわけですよね ともに ふふうふふふ 凄い折衷した文化になっていて。 本当はなんで それが評価が低かったのかっていうのは面白いところだと思うんだけど。 もうちょっと評価してあげてもいいと思うですけどね。何でそんなに評価されなかったのかって興味 逆にあるところですね 佐藤:そうですね、それがずーっとつい最近まで 今聞き取りさせていただいている古建築を改修されて生まれ変わるような建築のあり様が、その当時にもできていたとすれば、評価されたろうか?。 そうなってれば暮らし方も建築の作り方も変わっていたように思います ようやくその時点に戻ったか。 日本の建築のよさや古い既存建築を生かしたり、地形を生かしたりして考えつくるという点に立っているようですね。この家に居ると ふふふ、山崎さんがその点に立って流行りではなく 日本の暮らしと建築を実践しているなーと妙に納得してしまいます 山崎:別にこういうのって自分が言った通りになって欲しいとか、なって欲しくないとか、こうしないと駄目ですよ、みたいなふうにはならない。だからそれ言い出すと逆だと思うですけど。 教育ってどこまで行っても、すごい個人的なことだと思うんです 。話を聞いた人が、その後どうするかだから。僕みたいな人の話を聞いていたこと、全部すっかり忘れてくれても構わないし。ふふふ。 もしかしたら、ちょっと引っ掛かる人もいるかも知れないし。「引っ掛からないといけない」とも思わないし。 佐藤:この家を設計された森田さんは京都で古い家を改修されたり、鏝を手に世界を回ったり、チベットの研究もされ、偶然の出会いの重なりがあって。こういう場所に呼び込んで・・・関係者は無理なくよく作っるなーと。将来の生活にも無理を強いないで「ゆったり暮らせそうだなー」と思います ここは快適すぎますね 井口:快適すぎる ふふふ 山崎:僕というよりは夏実さんの意見というのを・・ 佐藤:強烈な意見があったんですか 山崎:強烈だし、二人でね 頼んだって感じしますから。「森田さんにお願いしようか」と言い出したのは夏実さんだし、僕も「そうだな」と思っていたけど。話し出すときりがない話しなんで ふふふふ 井口:森田さんにお願いしたかったのは、建物の素材、施工のことを、職人さんに関する知識が豊富だし理解されていて、そのうえで謙虚な設計をされる方だという印象があって、ごく自然に「森田さんしかいない」と思いました。当たり前のことのようだけど、他にそういう方が思いつかないんです。 山崎:それまで拝見していたリノベーションも丁寧な設計だったし、おおらかな人柄もいいなと。実際にでき上がってみると、そのおおらかさが大事だった気がします 絵 改修された家の壁と柱 佐藤:ふふふふふふ この新居といいますか古い建築と新しい素材と建築家の思考が融合した場所をなんて表わしたらいいのかわかりません。 ここからは新居の話に移りますね 繰り返しになりますが日本の建築が持っている力と現代建築を学ばれた建築家の力と、それらを理解して建築家に依頼する発注者2人がいたわけです 素直にいい事態だなーって思います。 開口部のありかたとか観てても建築としてまっとうなので 何も言いようがないですが・・・ その03へ |