長崎漫遊 2024  その3
作成:佐藤敏宏 2024年6月

谷中の煎餅を探しにいく

長崎空港から乗ったシャトルバスに置き忘れたお土産、「谷中の煎餅」を探しにバスターミナルに向かう。長崎駅前から見えるビルの1階が、県営の高速バスターミナルになっていて、ホテルからも目と鼻の先といえる場所だ。陸橋を登り降りし2階の県物産館をチラ見し、1階のターミナルへ。そこを仕切っている老齢の係員のかたに訪ねると、「直接、長崎県営バス本局に電話して聞いてほしい・・」と言う。番号を手書きして教えてくれた。電話すると、予想通りお土産は届けられていた。

「バス本局は駅から北にあり徒歩200mほどだ」というので新・浦上街道を歩きだした。少し進むと「右手の坂を登ると、日本26聖人記念館」と表示板があった。早稲田大学の今井兼次先生が設計されたことは写真で見て知っていた。そこで、my長女と29日に訪ねることに決め、バス本局に向かった。
遠くから見てもバスがたくさん駐車しているのですぐ分かった。駐車場を突っ切り、昭和のビルらしいバス本局の扉を開け、事務室に向かった。事務室に入り、「煎餅の土産を忘れたものです・・」というと、すぐあの煎餅の紙袋が出てきた。指名を確認し住所を書き入れ、受け取った。

「これから原爆資料館に行きます・・」と二言三言話してたら、男性の係員から、「昼食後の資料館は、気持ち悪くなるからおすすめしない・・・」との忠告をいただいた。我ら親子には当たらないアドバイスだ、と思ったがお礼を言って事務室を後にした。

体力も知力も落ちて来た老人だから、仕方がない忘れ物とも言えるが、昔からよく忘れたので、その影響でもないだろう。

路面電車に「千代町駅」から乗り、原爆資料館を目指した。こじんまりした快適な路面電車は5分ほどの間隔で運行されていて、停車場間隔も短いので「待っている」という思いは湧きあがらない。直ぐそばに電車があるという感じがするのだ。1両ずつの車両が繋がってでもいるかのようにひっきりなしに来るので、微笑ましい。観光客にはありがたい乗り物の見本をみている気がした。(1日、600円で乗り放題の乗車券もある)


 自動車ともうまく共存している長崎電気軌道(株)お車両に乗るのも旅の楽しみでした







長崎原爆資館へ

忘れた煎餅を受け取って千代町駅から路面電車にて、原爆資料館へ。赤迫駅行の電車の停車駅は、宝町、銭座町、茂里町、浦上駅前、大学病院、原爆資料館の順で北上する。と言ってもさほど急勾配ではない。

原爆資料館駅で下車し、4車線の新浦上街道を横断すると、原爆資料館への急な登り坂に、面食らう。web地図から採取した下の絵のように数メートル進んで、一気にビル1階分約3.5mぐらい登る。そのような心臓破りの曲がる歩道に出遭う。建築設計を生業とし暮らし老人になったので、訪ねた土地の地形や風向き、太陽の方角には特に目が行ってしまうのだ。それらは人々の暮らしに大きな影響を与える文化を育も基盤そのものだからだ。

長崎の町は東・西の山並みに挟まれた谷状の地形だから、町のあちこちに急勾配の地形で成り立っている都市でもある。道はそうそう改造できないので、先人たちが造ったであろう至る所に、無理に曲げた個性的な勾配のある道があり、それを楽しむのも長崎漫遊の醍醐味なのだ。福島市内のような北から南へ、ぼんやり勾配がある平坦に近い盆地に暮らしている老人は、日頃筋力を鍛えていないので、いきなり足がガクガク、息が切れてしまうことになった。

だから、my長女は坂の途中で老いた父を、何度も待っことになった。



右の絵のように壁が立っているかのような歩道だ。原爆資料館へ至る歩道はこの先は平凡なものではないことを告げているかのようだ。そんな手荒な歓迎をされている気分になった。

長崎の原爆資料館を訪ねようと思い立ったのは、今年になってからだ。2011年3月東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、福島県民のかたも含め多くの方は心を痛めたことだろう(まだ痛め続けているというべきか)。フクシマ被爆地にあって私は、詳細は省略するが「冥途の土産設計」として核廃棄物の置き場をふくめた、2323年完成を目指す、巨大な町「護福まち計画」を考え、スケッチしたり、フクシマを訪ね来た人々に語り伝えたりしている。

広島の原爆資料館は1988年、家族全員で夏休み旅行に行って体験していた。しかし、長崎市の原爆資料館や爆心地を体験したことがない。だから、2024年は「こつこつ金を貯めて、観察体験したいと・・・」考え始めたばかりだった。

長崎漫遊記の冒頭で書いたように、my長女のマイレージを使って突然長崎市に来てしまった。「事前の準備不足はいなめない・・」と諦め、「御縁のある者、物、場所に出会うだろう・・」と気楽な気分で長崎漫遊を始めた。いまさら慌ててもしかたのないことだが、長崎の奥深さに気づくことに時間は、さほど要さなかった。

長崎市原爆資料館についての話に戻そう。





原爆資料館駅の佇まい、格子状の垂れ壁がグラバー邸を模していることは直ぐ分かり微笑ましい。

長崎の人に愛されているデザインの一つと、膝を打つ。











長崎漫遊にて初日に体験すべき場所

繰り返しになるけど、1,原爆資料館。2,爆心地(原爆公園)。3、平和公園の現在。この3箇所となった。my長女は「出島も観たい・・」と言ったが、翌日の一番に訪ねることにし、原爆資料館に向かった。

 長崎漫遊その4 原爆資料館へ 続く 




サトウハチロー作詞
古関裕而作曲
長崎の鐘(昭和24年)