HOME   佐藤敏宏 shirasu 2024・01・17 クロニクル(2024年1月作成)    

年代  影響をうけた人物(敬称略)  事件  建築  活動  その他

1970年代

高校卒業設計提出褒められもせず

10年間は一級建築士になるまでの修行時代。結婚したよ


・渋谷区恵比寿駅前社員寮6、7階、設計部4階)

・渋谷区代々木6帖一間木賃アパート。下着泥棒出没
・調布市6+4.5帖木造平屋


設計部講読書は

・『新建築』
・『建築雑誌』
・『ドムス』

洋書屋さんが設計部に出入りしてたのでフランクロイドの本を買う
時々『都市住宅』も買う

東孝光塔の家66年竣工・西口広場)

内井昭蔵70年桜台コートビレッジ


70年支店と設計部の人々
・代々木デザインアカデミーの学生たち
バイト先の人々

70年代派遣された設計事務所の人々



72年中銀タワービル観に行く

西山夘三『住み方の記』

寺山修司
『家出のすすめ』

安藤忠雄(本社設計部員を奴隷扱い?)
  長屋図・新井組作図

「関西の三奇人」と知るのは後

会社サボって、積水ハムM1 大野勝彦さんの講義を拝聴しに銀座ソニービルへ行く。無料だったし本も配布してたので驚く

70年 日本万国博覧会
 新井組入社の日(給与3万円弱)
 よど号ハイジャック事件の日

 4月東京支店設計部へ

70年5月恵比寿駅前の東京支店転勤
 初任給をもらい製図机を買う

支店の傍に劇団天井桟敷

■地震発生、大陸プレート移動説を構造担当者に教えられ

70年9月からパース専門学校へ
70年11月三島由紀夫腹切り
  人妻に追っかけられる
71年3月26日福一原発稼働開始
  (工事1967年9月29日〜)

・誕生日にバラの花束とどき設計部内騒然となる。御裾分けで配る

71年京王プラザホテル
71年8月ドル(ニクソン)ショック
    為替相場へ

72年2月あさま山荘事件
イデオロギー、仲間を殺合う
72年5月沖縄返還
72年9月2日日中国交正常化
    田中角栄 大平正芳
72年10月大石寺正本堂
 設計部に1人女性学会員がいて入会をそそのかされそうになる

72年10月結婚代々木駅傍に借家

72年日本列島改造論

73年福島第一原発電所稼働
73年オイルショック
74年三菱重工爆破事件
 三菱系の社員寮を設計中!ビルに出入りしていた

75年2級建築士東京都登録。一度製図で落ちる二度目で合格し登録できた(笑)

75年伝統的建築群指定法整備

75年巨大洋菓子工場、ひとり設計監理 泣いた。
76年2月ロッキード事件明るみに

78年6月12日宮城沖地震
78年アフガン紛争
1979年3月28日スリーマイル島原発事故

自部役恵比寿 RC7階東京支店ビル

 6,7階に寮付き。6帖に2人の寮
 7階に和室12帖あり宴会など

・東京に住む、その実態を知る
寮ふくめ住宅の質が悪い。上司の家や設計した公団タイプの社員寮の設計など。

明治神宮〜代々木競技場・国立競技場 水泳やデートの場所となり愉快

70年桜台コートビレッジ
ゼネコン設計は到達できないと実感

空気は臭いし家は狭いし東京は住むため場所ではない!と感じていた。後、公害も徐々に消えた。


旧東京都庁舎(新橋)建築課に足繁く通う(現東京フォーラム)



72年中銀カプセルタワービル

・代々木駅傍6帖一間BTkあり

公団タイプの社宅6戸担当
川崎市鶴見市場駅から
南へ徒歩10分(51C型?)



調布市
6+4.5帖、浴室台所付の平屋木造に転居











77年頃千葉市戸建てに引っ越す
 6帖+ダイニングキッチン
 2階6帖+4.5帖


東京支店設計部へ
(恵比寿駅前)
24時間会社に暮らす









巨大企業の人たちが運営している新橋の設計事務所に通い毎夜・図面描きし結婚資金を貯める


バイトを寝ずに(?)し稼ぐ
家族を養う


高校卒業寄せ書き「静中動有」

卒制は研修宿泊施設

70年富士山登山
設計部員は非現業社員と

2.5%設計料年4億円目標
入社すると有名無名とわず派遣される事も多い。原図渡され描く事も


























77年頃〜設計部長は最高裁営繕課長天下り ふんどし愛用されていた。

■工業高等学校の卒制


模型をつくり写真も撮り提出 言及されず。無視か?
・千葉市内の1戸建てへ転居
(78〜80年2月)
一度で1級建築士試験合格 75年千葉県印旛郡に洋菓子工場
工場の人々に愛されつつデカすぎて泣く。
 社内では「どこの社員か?」と陰口でたたかれる



■東京支店は渋谷区恵比寿駅にあって、とても若い佐藤には都合のよい場所であった。渋谷駅や原宿で下車して明治神宮の森、代々木第一・第二体育館を逍遥しあるいはデートやスポーツを観戦して後、、渋谷で飯を食うというお金はないけど建築の山だった。
丹下健三さんの旧東京都都庁舎は確認申請のためひっきりなしに出入りしてた親しみのある建築だった。

 絵webより東京都庁旧庁舎




施主と同乗した車内で居眠り(あとで聞かされた・笑)した問題が社長に告げられてしまい、ビビり誰も設計せず。その工場を24才の俺が一人任される。(押し付け) 俺は発注先の会社に乗り込んで行き、幹部を集め、工場のシュークリム作りのフローチャート作成、各種量分析と工場内の人々の意見調整。一方、東京支店土木部への測量依頼。その間、農地転用、開発許可、工場立地法の井戸の掘削、下水処理場の設計と許可申請など1人でする嵌めになっていた。24才泣きながら1人で設計と監理し終え会社始まって以来の利益も出してしまい2人分ボーナスが支給される24才。現場監督の嫉妬とパワハラは凄かったです。2024年現役の工場で関東圏の人に毎日シュークリームを生産中。

 富士登山新宿駅より混雑してた


新婚初詣 代々木第一体育館石畳に立つ  4階設計部室内 ドラフター手描き
石畳は都電転用石  

     
 

代々木デザインアカデミーでパースを半年習い 仕事で描く


■東京支店設計部員でハイキング。写真はど真ん中が常。
下)恵比寿駅傍ビル4階 設計部室  伊豆大島若者の旅
・一番若いのでとにかく会社内の遊びの企画と、その世話係だった
 

1972年3月25日初版160円購入 昼飯代1日分
寺山修司『家出のすすめ』翌年、妻に見つかり怒る(誤解が解けず今に至る
先を越され、妻に何度も家出される。


人生初洋書 『フランクロイドライト仕事集』1ドル360円だったので半年月賦で買ったような気がする。値段思い出せず



豪華な昼飯4日分
西山夘三著 『住み方の記』1972年2月5日購入950円と高価 →




絵 サイトより 東孝光著は数冊あったが見つからず



絵 サイトより  右絵 サイトより 

  

1970年 週刊朝日3月13日号 黒川紀章ファッションデザインも970年 週刊朝日7月10日号

中銀カプセルタワービル 絵サイトより 


1971年2月
19才7ヶ月

給与明細

総支給額
36,982円

寮の食費
5、978円

手取り
22,100円



20才になって10日目の夏のボーナスは手取り
104,378円 約5ヶ月分の支給だった。



アントニンレーモンド自伝集1970年10月10日刊行
  箱型ケース入り 12、000円
この本を買ったのは20歳になったばかりのときで、月給が2万円ほどだったから半年月賦で買った記憶がある。建築の本は高価である、それが1970年代の常識の値段だった。2024年現在の値段に換算すると1冊10万円ほどになるだろうか?とにかく建築本は高いけど買う。数は買えないから目を効かせて買う。そして一生持ち歩く、それが本だったと思う。

年代  影響を受けた人々(敬称略)  事件  建築  活動  その他

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