HOME   佐藤敏宏 shirasu 2024・01・17 クロニクル(2024年1月作成)    

年代  影響をうけた人物(敬称略)  事件  建築  活動  その他


1980年2月
福島市に戻る




・RCアパート3DKに住む




1984年10月〜
  RC自邸で暮らしだす

福島市にもどり
10年間は面白かった



市内の若い人々(会田健一郎など)




東松照明

毛綱モン太ジャズ喫茶「涅雅」に出入り








勅使河原三郎・宮田佳

福大の若い先生方













大野一雄父息子
浜田剛爾 伊藤ターリ

森山大道

渡辺豊和『芸能としての建築

斎藤隆、瀬戸正人などの作品購入




80年1級建築士福島県登録
  しに行くと「三年働け!」
  事務所紹介され 入所。現存せず

81年新耐震法施工

82年12月18〜26日東松照明の世界・展 いま!!実行委員となり展示計画と展示を監督指導かかり、イラス担当も

82年 中曽根構造改革
82年ホテル二ュージャパン火災
83年3月第二次オイルショック

83年1月から朝日新聞にイラスト連載1年間はじまる
83年『東京漂流』話題に

83年5月26日秋田沖地震
84年土湯温泉アートイベント
   毎日新聞社より原稿掲載
   記録集刊行

84年10月自邸完成 
住宅金融公庫700万円借り入れ
  朝日新聞 自邸掲載 

85年自邸「信夫野」に掲載
  9月2日プラザ合意
  経済バブルスタート
  リゾート法による乱開発

86年4月チェルノブイリ原発事故

87年4月BOX2竣工
      新聞各紙掲載

87年9月頃
 渡辺豊和さん福島講演参加

88年県内雑誌掲載BOX4・5

88年BOX2商店建築掲載
88年宮崎勉幼女連続殺害事件

福島市内ゼネコンの株主

88年熊本アートポリス

89年ベルリンの壁崩壊
  東西冷戦後の世へ



福島市児童センター(現役)
県家畜市場(現役)




習作木造3棟 RC1棟など
事業計画書も作り稼ぎ出す


BOX1
BOX2
BOX3
BOX4
BOX5
BOX6





劇団状況劇場(赤テント)
福島市公演を何度も支援に借りだされる打ち上げの支援もする。

「カフカの城(秘書たち)」を観る
八戸市豊島重之主宰
モレキュラー・シアター











直方体の森(中村正義の美術館)
と交流しだす。原稿依頼も。

粟津潔邸見学
 奥さまに接待いただき体験




・80年5月アトリエ風に参加

82年頃フリーペーパー「イメージ・ボックス」仲間と発行する



81年ごろから掛け持ちで
 TAF設計はじめる









84年2月 RC自邸着工〜
84年10月20日〜自邸に住む

84年11月7日
朝日新聞福島版に自邸掲載
 

84年11月
「建築あそび」開始
 
 講師:毛綱モン太さん

10年経前に東京支店設計部を退社
































87年4月竣工のBOX2
一階がギャラりK
2階がジャズ喫茶
多くのアーテストに会い呑む

ギャラリーK
87年4月から1990年八月まで4年ほど運営し休止となり現在洋服店。

実行委員として参加。1982年12月18〜26日「東松照明の世界・展 いま!!」34人の実行員の1人として参加(佐藤 前列左 30才)朝日新聞福島版1982年12月8日には「「新しい空間使用集団」と記されている。実行委員34名と共に.オリジナルプリント554枚を文化センターに展示。

アートと身体表現のイベントを主催し 大変な目に遇う
1984年7月14日
 毎日新聞福島版 記事を読む
同年9月12日 毎日新聞東北版 寄稿記事を読む


1983年1月
から1年間 朝日新聞福島版アドリブ帳 
連載

1984年7月27〜29日路上で寝る駄弁る参加者は温泉宿の空き室に泊る


記録集刊行 84・10・1

勅使河原三郎は「俺買ったと」直に聞いた。交流は10年間ほど続い

温泉客にステージが乗っ取られるなど珍事多数
最終日警察に踏み込まれる逮捕者をだす
■ 1984年は節目の年であったと分る   33才4ヶ月 高卒から14年自邸完成したよ!

福島市児童センター80年5月、1ヶ月で設計書まで仕上げる(24年現存)



福島県本宮 家畜市場 住宅課長に叩かれ設計積算と監理をする

84年10月20日から自邸で暮らす。11月第一回建築あそびを開催
   11月17日朝日新聞福島版に掲載され驚く
 

自邸模型   自邸と世界の関係についての概念

   建築の理想は路上である

 俺の家はお前の家 お前の家は俺の家




■ 建築あそびの条件「他薦 無名 30才前後 独立系建築人 
■1日の流れについて
 交通費2万円を支払う。講義を受ける。食材費均等割り、作り一緒に食べてお酒を呑み語り合う。共に寝る。 WEBサイトfullchinにて2000年以降記録を作り発信する

 

講義を受けて後 飲み食いし語り合う 中央 田中浩也さん
2001年8月4日の事例 

合間に集合写真を撮る 
2000年8月5日の事例 

寝ながら語り合う 左から石川初・藤村龍至、漢那潤、田中浩也など
2004年3月27日の事例



1982年 『妻たちの思秋期』刊行 ショックを受ける。

1983年刊行二刷1988年1月
『芸能としての建築』
建築家が書いた「まともな本があった!」
渡辺豊和さんに1985年12月5日毛綱モン太さん学会賞受賞祝う会で会う

1987年渡辺さん福島市講演参加
佐渡島に渡り能舞台、銀山など観る

1991年秋2週間ほど渡辺さんの家に泊めてもらい初期建築をしらみつぶしに観る

1983年刊行『大和に眠る太陽の都』もお勧め

建築あそび開始 後に
 ちいさい公共圏(花田達朗著) と称される。

 1984年から佐藤が自・他の空間を使い
 共に駄弁る・喰らう・寝る、聞き取る、単に記録する行為
 自邸を造った1984年秋から開始(第一回ゲスト毛綱氏)
 活動内容の記録は2000年〜WEBで発信中

■2008年5月以降「ことば悦覧」開始
 他者の家や事務所などに寝泊り聞き取る活動
 「お前の家は俺の家」
 住経験つまり「星座型居住」の実践と思い込んでいる
 他者空間の場合は「ことば悦覧」と名付けWEB記録公開中

建築あそびの波及いろいろ

・阿部仁史さんのハウス・レクチャー
・名古屋学生会議FLAT 小林聖明さんなと
デザインイースト 柳原照弘さんなど
ライブラウンド・アバウト・ジャーナル 藤村龍至さんなど
・滋賀県大談話室 
・柳沢究先生発 住経験インタビューのすすめ


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