2004年9月18日建築家堀井義博さんと建築あそび講演記録 HOMEへ
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☆☆  スイス ★★

僕もついに・・98年もしくは99年の頭ぐらいには 家でリナックスを触るようになり始めました・・2000年の頭に嫁さんと結婚し、春に勤めていた会社をやめてフリーになったんですけど・・ 仕事が無くて・・失業保険を半年 9月までもらっていて・それ以降 計画も仕事も無かったんですよね〜

・「・さてどうしようヤバイナー」と思っているところに・・たまたま妹島さんが・・妹島和世さんが 丁度その10月からスイスで非常勤講師になるっていうことになって、「アシスタントを付けなければいけないんだけれど やってくんない」ということになって 僕は何もすることがなかったんで「はいやります」 と一つ返事で・・行きました。

佐藤 いいね〜・笑う・・・

h:これは・・スイスって段取りが悪いのかと思うと大間違いで、段取りが悪いのは単に妹島さんです・・10ヶ月以上前から スイスの大学から「あなたは来年きていだたけますか」に「イエス」って応えてるから。その段階からアシスタントを誰にしますか・・どういうシフトで行きますか、課題はどういう内容にしますか・・というのを10ヶ月前から・・ズーッと聞かれているのに、ズーット放っといて その年の7月末に「アシスタント必要なんだけど!!・」と言われて

会場 笑い

だから、その段階では選考も何もなく て大学側は受け入れが出来るのかどうか というせっぱ詰まった状況で、妹島さんが「ちょっとこういう人をアシスタントを付けたいんだけど・・」と言い出したから

佐藤 わらい

ぼくは 選ぶも 選ばれるもなく僕が「OK」だした以上、スイスの大学は受け入れざるを得なかっただけなんですよね。

佐藤 大笑い

h:ほんとにそれだけなんですよ。僕は 大学での現場担当という理由で押し込まれた。僕が「イエス」と言ったからなんですけど。

東京に居る段階で 妹島和世さんと「どういう課題やりますか・・」というのは スイスに行く前にネタ仕込みとして やって、彼女が「せっかくだから東京を敷地にして課題を出したい」と言い出したものだから、「だったら俺が・・してくんじゃん・・」と思って。

スイスに行く前に 槻橋修君とかに付き合ってもらって、都内を車で流しながら、あちこち撮影してまわったり、データを作ったり と かいう下準備をガンガンガンガンやって、それで2000年の10月10日に東京を出た。それはあくまで、僕の話であった。サイバーメトリックの話ではない。

とにかくさっきも言ったように その段階でリナックスを家で触るようになり始めて、今みたいにADSLみたいに繋ぎっ放しではないけれど、ISDNという、定額払えばどれだけ使っても変わらないシステムがすでにあって、僕はそれを使っていたもんだから、一部の友達と自分の家のマシーンを使ってチャットをやったりとか・・・実験は当時すでにやっていた。

で・・突然いきなりスイスに行くことになったもんだから、困ったことに嫁ハンそもそもリナックスとか興味ないし、頼むよとか言っても 頼めないわけですよ。



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