HOME  作成 佐藤敏宏
      
聞き語り記録 
 辻琢磨さんに聞き語る (SDL2018最も若い審査員)
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 03 渡り歩く 
    才能ってなに 
    知的感動あり

 03

渡り歩く

辻:人によるじゃないですか、建築家になったほうがいいのか。ならない方がいい人もいる。

佐藤:建物を作るという人も要るし、全体の仕組みを作る人も要るし、町おこし系の人も、素材を作る人も要る、行政の人も要るし、建築を語る人も要る。色々いる。一人の人が一つの職業で終わるのって、不自然なんで。渡り的な発想がないのも、どうかな。同じ事をし続ける人は地域を渡り歩く。今でも有名建築家は世界を渡り歩いてる。渡り職人の末裔としては正常。

 浜松に根付くのであれば、時々塾の先生をしたり、時々隣の人の愚痴を聞いてあげたり、町おこししたり、色々な職業を渡り歩くしかない

辻:づらす、ポイントとしてはね。今は浜松以外にも、ほどほどあるので。ずらしていった方がいいと思いますし。両方ありますけどね。怪我したフットサル仲間も、全然関係ない人達なので。高校の同級生と、高校の同級生の中学の同級生、僕が誰かよく分からない。サッカーやっている奴が居る。その方がいいですよ。

佐藤:仲間に建築が要るようになったときに、そこで職能を発揮すればいい。視野が狭くなるのは既存メディアの編集の影響力がおおきいのかな。SDlで勝って建築家一筋〜、単調に仕分けし、ここに道有と伝える方が受けるんでしょうか。
辻:なんなんですかね

佐藤:憧れのスター的建築家を載せないと紙媒体は売れないで、媒体ってそういうもの。
辻:建築家系のマーケット規模で言ったら凄いちっちゃいじゃないですか
佐藤:明らかにしたら、学生は憧れ本を買わなくなるんじゃない。

辻:価値感・マイノリティだって話と、専門的な知性の蓄積がちゃんとあるよっていう話と、両方あると思うんで。
 あぐらをかかずに意識して両方やる。もうちょっと当たり前の感じになって欲しい、というのはありますね。


才能ってなに

佐藤:未整理で不問の状態の方が何かと都合がいいこともあるでしょう。その辺りは俺には判断がつかない領域です。才能がある人と無い人、はっきり分れるんじゃない。

辻:才能といのはどこの視点から見た時の才能かっていうので、変わりますしねー。
佐藤:建築家になると信じ切て続けて死んでいく。そういう人は才能がある。続ける人だと思うんだけど。評価を与えられて続けるのは、別の話だ。まず自分が自分を信じられる人が建築家でしょう。自分の才能を磨いていこうと思う人が居ればいいだけ。 
辻:「建築家になろう」と思って建築家に成るというよりは。僕はいまだに建築家だとかどうかは、よく分からない好い建築を造りたいっていう感じはあるんです。人から言われるんですよね。目指してなれるのかなー、建築を目指してっていうのは解るんですけどね。

佐藤:俺はそういう人々をまとめて建築主義者と呼んでいる。建築を中心に生活を組み立てて暮らしている。それでいいと思う。行政で設計者は業者扱いなので、日本では建築家的人間は、ほとんど存在できない。自認の世界です。
 ゼネコンに入って暮らす人は、会社の利益を追求する事に生きているんだと思う。「違う」と言う人が居ても資本家から利潤を要求される。
辻:建築を中心に暮らしているんじゃないですか
佐藤:芯は利潤追求で、そのための組織でしょう。
辻:そうだけど、一方でゼネコンにしか出来ない役割もあるわけで。それは役割分担かなと思いますけどね。

佐藤:竹中工務店には建築家がいるように想うけど。ゼネコン設計者で、吾は建築家なりと言い張っている人に会ったことない。ゼネコンでそう考えて、冷や飯食わされている人もいるかもしれない。役所内にも建築家がいてほしいね
 もしかすると建築系ジャーナリズムが機能不全なのかも知れない。そういう存在に投光し、掘り起こして、伝えてない、で分からない事が多いのかも。そうだとすると、学生にとってのフックが少な過ぎる状態になり。伝えたり、評価する人の不在も続く気がする。


知的感動 あり

辻:何なんですかねー本当に。価値観というのは、もっと色々あるのになーと。面白さも、もちろあるんですけど。この人たち面白いなーと思って、そういう価値観で育ってきているし、ベースはそこだと思うんです。その他は知らないしなー。すげー面白いなーって言う気持ちも、建築以外では到達できない。建築には知的な感動みたいなのは有りますよ。

佐藤:知的感動・興奮は次の建築を拓いていくと。だから、実態の建築と、語り尽くせる建築部分と、空想する建築と、それぞれ在るのがいい。SDLでも語られていたけど、言葉と物の関係が問題になってしまうのかな。物だけと、物と制作者がセットになって語りると、立ち上がる意味が異なる問題

辻:ごっちゃになっちゃいますね。

佐藤:優劣を決める術がないね、本戦の場でもぐちゃ混ぜだったね。イベントは華やかで、やった気になれる。本戦の場で対立し熱い議論が起きたわけでもなく、すーっと冷えてしまう。その後に議論も起きず。悪く言えば、SDLに参加した各位は俺のせいじゃないと言うのに等しく、すーっと消えて忘れさられる。

    


  (絵: SDL2018追い出し宴会・仙台建築都市学生会議ブログより

辻:はははは
佐藤:一端、終わりにしてもいいじゃん。終わりを宣言すると、次に歩を進めるよ。終焉させると。
辻:そういう 終焉ね

佐藤:近代建築、それも西欧から入ってきたが、俺の身の周りに根付いてないように想う。建築を生み出す知的な営為を移植したが成長してない。当然そういう知的な営為も広まらない。建築に関わっている人全員の責任だと思うんだけど。さ〜て終焉した、ここから何をするか。まずはSDLに関わった方々に聞いてみようと思って、聞き取りを始めました。

 SDL2018も、ぐちゃぐちゃ〜真ん中に何もない。その状況は今日らしい!。終わったんだから、語ること、造る事、評価する事、学ぶ事、育てる事などが、ぐちゃぐぎゃな状態で、俺の目に前に出現した。そんな気分です


 その04へ続く