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聞き語り記録 
 辻琢磨さんに聞き語る (SDL2018最も若い審査員)
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 05 一位じゃなくって全然いい
    普通に就職する 
 

 05

一位じゃなくって全然いい

佐藤:槇さんの発言も知らないけど、税を逃れ海外に本社を置いたりし、資本家はネットを活かし瞬時取引で利益を得る、今は後期資本主義の時
:僕は歴史感としてはずーっと積み上がっているような感じがあって。「この人にも共感できるし、この人にも共感できるし」っていう部分の方が、「この人と違う」っていう事より目立つから。この人と違う時代を生きているけど、この部分でよく理解し合えるんじゃないか、っていう方に、注力してコミュニケーションをとろうとするタイプ
 基本は、筋道は違うけど、ぐちゃぐちゃにになっていて、何でもできるようなっているところは割と皆、共有できるじゃないかなーと思いますけどね。

佐藤:動物的ポストモダンでいいんでしょう、参照して議論を展開を繰り返す
辻:参照しただけじゃねー。ポストモダン的な手つきで、建築を造るというか、生きるっていう感じは皆共有しているはずですよ。

佐藤:1995年に阪神淡路大震災に遭って、役所がつくった法律で建てた建物が道に倒れ、崩れ落ちた。その後に猛毒サリンもまかれちゃったし。win95も出て、村山談話が出て、自虐史観を批判が出て、新しい教科書をつくる会がスタート。今ではネットウヨとパヨクはSNSで大賑わい。今日も嘘で固め、国会は私物化されちゃっいう政治状況に至ったんだし。1995年で戦後の大きな仕組みは終わったんだ。終わった後なんだけどジクジク、社会全体は自傷行為・リストカットふうに続いている。二番目は喜劇が増幅して311がやって来た感じです。

辻:その絶望感みたいなの、たぶん皆あるんじゃないですかねー。終わったという事に、どうなるんですかねー。何かそういう一言で何かが、全面的に変わるような感じでもないと思うんですよね。何か、終わっっているという観方もできますっていう事で。ある人は賛同するしある人は賛同しないっていう感じなんだろうなーと思うんです。終わる終わらないの話もそうだし。この作品いいかどうかもそうだし

 常に主体がたくさん入るっていうか、自分も含めて群として何かをものを考えているような、時代なんじゃないかなーとは思うんです。

佐藤:ゼロ年代にあったネット議論で豊かになりそうな希望や、それらが集まって群としてものを考え熟議が起きるかも〜。その幻想は消えてしまいました。SNSは資金を持っている者が、動員して世論を誘導できる政治的な道具だと、皆が分かったでしょう。人権や自由が侵される可能性も高まったよね。その中で俺の役割としては「終わった」「終わった」と言いまわり聞き取り記録を作り続ける事かな。

辻:佐藤さんが終わったというのは言いたいのは凄いリスペクトするというか。
佐藤:終わった、証拠を探さなきゃいけないので、聞き取り始めてみたんだす
辻:なるほどね。そうだとしたらそれに乗っかりたい感じはあります。

佐藤:繰り返しだけど、SDL2018で一位になった渡辺さんの俺の評価基準発言。

 ☆ 別に僕は一位じゃなくって、ぜんぜんよくってここで一位とっても、べつに、建築家になれるわけじゃないし建築家って職種もあいまいになって来ると思うんですけど。でもその、なんだろうなー。それに匹敵する者には、ここで一位にならなくっても、僕はなりたいなーと思ってます、それでいいんですけど。それだけです、終わりです ☆ 

 審査員に向かって、このような発言をする若者が出現した〜と驚いたし。今世紀に入って10数年、田中浩也さんや松川昌平さんをはじめ、TIで創造する社会に向かう若い人との付き合いが多かったので、納得もした。
 壇上で、建築の専門家の審査員は渡辺さんを拒否せず、彼の発言を受けて一位にしちゃったよ。審査員の皆さんも言葉にしないけど、「俺たち終わってんじゃねー」っていうことを感じているのでは、という疑問生まれた。
 赤松審査員が承服できないいうことを、壇上で大きく発言しないので、議題にならない。自分の体験の蓄積から判断せず、抽象度を上げて彼を論じて落としてもらわないと、彼女の建築は蘇生しない。学生には、彼女の311以前の建築感への共感は広がらないと思いました。
 価値観や建築に対する考えが異なる人が集い、議論している場なのだから、抽象度上げる努力をして、議論し合わないとね。感情をなげ出されても、観客には分かりにくいです。感情と体験の合流だけだで語られると、受け止めようがないと思いました。

辻:だから打算的になるのが、一番だめだと思うんですよ。こう・こう・こうで・こうだから、こうなります。分かんないけど、とにかくやる、。ちゃんと頭で考える。その繰り返しが一番大事なことだと思う。どうしても打算的な部分が目立ちゃうんですね。とくに学生の卒業設計は。
 例えばカテゴリーを意識するとか。地方系とか、プログラムが面白いとか、幾つか、いままでの先人たちの参照元を比較してみて、自分はここで勝負しようと。
 評価に対する意識は、すでに打算的だから。その枠組みの中でしかモノを考えれない訳じゃないですか。全身・全霊・賭けてやって、こういうふうに狙ったけど全然だめだったとか。嵌ったとか。予測不可能なところに打算をぶつけて、凹むみたいなタイプは健康的じゃないなーと思うので。それはやめた方がいいと思うんですよね。


普通に就職する

佐藤:自分が仮説を立てて、動かしてみたて、上手くいかなかったときがチャンスなんだけど。
辻:そう。そのときにどうするか。
佐藤:評価基準を作って、引きずり下す結果になり易いよね
辻:審査員が評価されるっていう話もよくありますし。
佐藤:審査員の立ち位置を明確にしないと、そういう勘繰りが起きるとは推測できるけど。曖昧になって物事が進んでいたから、悪口が始まるのかもしれない。
 審査委員長が初めに評価基準を語らせてから、審査始めましょうという提案は実施されず、審査の後半で語られるボタンの掛け違いはあった。
 審査委員依頼もぼんやりした依頼なんだろうから、明確に断る理由は無いでしょう、その辺りかな。

辻:一緒ですよ、カテゴリー作って大御所枠若手枠建築以外の枠みたいなのを設定して。その中で順位決めて、こっちは青木さんだとか、こっちは僕だとか。作品の評価と、ある程度同じところがあるんですよ。こっち系と、そっち系とで、一応議論が拡散するような、同じようなやつが選ばれないようにする、じゃないですか。だから相対化があって。その思考自体が差異化を要請するというか、効率を要請するじゃないですか。だから、どこまで行っても土俵の上で、資本主義的な土俵の上でやんないといけないんだなーっていう感じだ。学生もそうだし、僕らもそうだし。

 たまに建築じゃない人もいますけども。

佐藤:10選に選ばれた人たちだけど。建築家にならない人が選ばれているようにも思いました。町づくり系に行くとか
辻:それどころか普通に就職する人が多い、絶対それはそうで。


 その06へ続く