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聞き語り記録 
 辻琢磨さんに聞き語る (SDL2018最も若い審査員)
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 08 辻さんの卒業設計 
   言葉と物について 
   三人で独立して 

 08

辻さんの卒業設計

辻:浜松に来てほしいですね
佐藤:そうだね。SDL2018に関しての記録を作り上げ公開し終えてからでも。
 「卒業設計」に関する事も面白そうだな〜と思って。多様な意見があって面白いですね。SDLは16年も続けて開催し、でも一位を決める根拠をまとめらてないようです。答えも無いのでしょうか、SDLを経て、そのの先にプロ・設計リーグも無いし。公共建築のコンペの方法も定かでないようだし。分からないことがたくさん出て来てしまいました。まずは「一人一人に会って、聞き取ってみるしかない」と思い始めました。

 辻さんも、横国で卒業設計をされたでしょう。どういう内容の作品でしたか

辻:僕の卒制は、六本木の前の首都高速道路の高架下に2kmの美術館を作ったんです。三重の入れ子構造のトンネルで、スパイラルでどんどん上がって行ったり、下がったりする。違う曲率で平行になっているという作品です。
 一番外側がパブリックで、一番内側が展示室で静かな場所で、中間層がホワイエみたいな感じ。

佐藤:三重の入れ子チューブがスパイラル、回転しうねり巻きつく構成ですか
辻:蛇みたいに
佐藤:床は、平らなんですか
辻:床は平じゃない作品だったんです。元々は全然違う案でした。敷地は一緒だったんですけど。

 首都高全体を使って墓地をそこに移設して寺を緑地にする。首都高自体を東京の新しい結界にするという、破天荒な、リアリティー無い作品なんですけど。
 僕的には面白いなーと思ってたし、都市全体を扱うっていうものあったし。高齢化で墓地問題もあるので、受け皿になるし。社会性もあるし、すごくいいいなーと思ったんですけど。

佐藤:三重入れ子スパイラルの墓地ですね
辻:それは美術館になった時に形が出て来た墓地の場合は形も何もないふふふふ。プログラムしかないみたいな感じでした。敷地とプログラムしかないみたいな。提出の二週間ぐらい前に、当時の非常勤でいらっしていた、金沢の吉村先生という人が居て。21世紀美術館担当をされていた。
 凄い僕は信頼してたので、直前のエスキスを、お願いして。「こうこう、こういう提案なんですけどどうですか〜」と言ったら。「全然だめだ!」みたいな。「何にもリアリティーが無いし、伝わらないし、好いところが一つも無い!!」、みたいな。「変えろ、変えろ」って。「敷地だけ残して全部変えろ」。結構強めに言われたんです。悩んで、変えてで、美術館って、もうちょっと伝わり易いふふふふ

佐藤:美術作品も、作者自身の死骸のような意味もあるが、そうも見えるけどね。辻さんは、まず人間の終わりの居場所を都心に造ろうとしたと。美術館に機能を変え、個人的な問いは棚上げして美術館にかえたと。
辻:そう。そっち側で、共感、伝わるという事に舵を切ったんでしょうね。面白い事を追求するから舵を切った。
 で、2週間で仕上げたにしては評価が悪かったわけじゃなくって。中盤よりちょっと上みたいな感じだったんですよ。
 自分のやりたい事、凄いやれている訳じゃないんだけど。それなりに伝わった、みたいな感覚はあって
 その時に人に伝えるっていうのはどういう事かというのを学んだ、経験をした。だから物自体はぜんぜん、たいしたしたことない、と思うんです。経験としては大きかったですね。

佐藤:首都高の下にお墓の案を作ってる時は、自分でもこの意図は伝わらないーと思っていたんですか。美術館だと伝わるという、違いはなんですか

辻:うーん。少なくとも吉村さんには伝わってましたね。ふふふふ。お墓の案は全然伝わってなくって、美術館にしたら伝わってきた。

佐藤:21美術館の現場担当した方だからかな。辻さん自身は理解してたんですよね、お墓では伝わらない理由は理解して変えたんですよね
辻:伝わらない理由は、分かって。建築じゃないし
佐藤:生きている人間のための施設を造ろうと、舵を切ったと。墓も人間のために在るし、お墓の名建築もありすよ

辻:ただプログラムを成立させる客観的な条件にあんまり、応えれてなかった。要するに何でお墓で首都高なんだみたいな事に。自然じゃない
佐藤:都市の隙間に死を安置し墓参するんじゃないの、隙間活用というか

辻:ただ隙間に入れただけでしょうっていう感じで。空間とプログラムと敷地というのが三位一体でどっからでも説明ちゃんと出来て。必然性があるっていうところを目指す教育だったので。全然違うものを入れ込んでいれば、いいという事じゃなくって。

佐藤:横国では空間とプログラムと敷地が三位一体に仕上がっている作品が評価される、そういう基準になっていたと
辻:そうですねいやいや、そういうふうには教えられてないですですけど。論理的に、自分の提案の都市的ビジョン空間というのを結びっけて、他者に説明できる作品になってないと駄目だ、という感じなんです。

佐藤:そうすると、手を動かす前にかなりの時間、議論してから物作りはスタートするんですか。
辻:どういうタイミングでですか
佐藤:自分の提案が幾重にも否定されたときにです
辻:吉村さんとですか、議論しましたよ。でも、凄い勢いで否定されたんで。

佐藤:好いと思って提案して、否定されたんじゃ、いきなりショックじゃないですか。
辻:そうそう。滅茶滅茶否定されたので、相当凹みましたよ。信頼もしていたし。だから精神的には落ちたんです。仙台で一位取れなかった比じゃない。信頼している人に、否定されたというのは大きかったですね。

佐藤:表現の話と重なるけど、自分が建築を通して一生懸命、頭の中にあるぼんやりした訳の解らないモノを形にしてイメージを図や模型にアウトプットし、提案して他者に伝える。その過程、表現行為が卒業設計で価値があると。
 それは最初に体験して意識したと。高校生の時分から表現してたわけではないですよね。大学に入ってから、誰かに見てもらうためにアウトプットを通して身の回り世界に投じる、というのは初めての経験だった。

辻:そうですね。そういうところは、あるかも知れないですね。
 山本理顕さんも「自分が何か発言するという裏には、誰かにどういうふうに見られるかっていう不安とセットでものを言うから、発言する。主観的な発言っていうのは本来的には無いんだ」と。もう全部他者との関係によって出来ていて、建築っていうのは、それを形に置き換えたモノだから、社会については当然、どうやっても発露してしまうものだし。それに対して凄く繊細でなきゃいけないっていうのは山本さんずーっと言ってるし。
 北山さんも社会に出た後のトレーニングとして、論理的思考というのはフィクショナルな課題を通して勉強しないといけない、っていうのはずーっと口を酸っぱ言われていたんで。
 都市を扱うっていう話と、人に何かを伝えるみたいなのは、割とセットで。今思えば。教育されていたんだなーと思いますね。


■ 言葉と物について

(右絵:2010年2月20日 17:09 辻琢磨 24才) 当事者としての声を記録してます

佐藤:辻さんを最初に見掛けたのは、ライブ・ラウンド・アバウト・ジャーナルのイベント会場で、文字起こししていた姿だったんです。

文章や編集に興味がある学生さんなんだと思って見てたんです。

 建物語を評価してなかったすが、言葉や文字についてですけど。言葉と、建築というか、物との関係はどう認識しているんでしょうか。

辻:うーん。そのまま言葉が立ち上がるっていうのは全然・無いと思うんですよ。だから、あんまり信じれないっていう。
 話クワッチーも、そういうところは有るんでしょうけど。記号論的に空間に翻訳するっていう手つきが、あんまり実感できない。そんなに簡単に置き換えられないなと思う。置き換えの判断を疑っちゃうっていうか。「これとこれは対応できます」みたいなのは疑っちゃう。もうちょっと違う論理でというか、違う価値軸で結びついているはずで。

 一つの建築が、一つの言葉によって理解が変わる瞬間みたいなのがたぶんあると思うんですよ。

佐藤:それは多くの他者との関係で、それとも自分の中でですか

辻:自分ですね 「見方がぜんぜん変わる」っていう言葉の力はあると思うし。設計してても、これってこれだよねー、みたいな時に案が伸びる瞬間もある

 自分たちの話ですが、タイトル、作品名を決めるんですけど、床とか壁とか。それが何 なのかっていうを事後的に凄い議論するんです。
 出来てからタイトル、何がしっくりくるかなー。で、そのタイトルによって、作品の解釈がばーっと広がるような感じがある
 言葉は基本的には、意味を限定、抽象するから他のものを捨てるんだけど、広がる捨て方みたいなのは、たまに出て来る瞬間があるので。それは面白いし。

 僕はチームでやっているから3人で共有出来た瞬間っていうのが一番刺激的ですね

 それまでのプロセスは、模型でこの方がいいかなーとか、壁こっちの方がいいかなーとか。曖昧な感じなんです。出来てから一言でぱーっと鮮やかに建築の価値が規定できる瞬間っていうのを一人じゃなくって、複数でやれるのは重要だから。自分一人でやっていたら、ちょっと違うのかなーと思いますけどね。


佐藤:建物語、沖縄の方言に引き戻して言うと、彼らは最初に言葉があって建築を具体的に作っていく。その次に言葉にして、もう一度言葉にして、それを繰り返せばよかったということですね
辻:そう。
佐藤:それを繰り返せば
辻:違う発見があったと思うし
佐藤:最初に言葉を置いて、そこに向かって進んで作品にした、そこで止まっている。
辻:出来たものが前提にあって、言葉が後から付いてくる方が面白いと思っているんでしょうね。成功体験とか、そういうのもあるし。


三人で独立して 

佐藤:言葉が最初に与えられて、それは揺るがないとせず、現実としてつながっている、だから合わせて練り込んでいく姿勢だ大切だと
辻:それ、学生だけじゃなくって、実務の設計でも、たぶんあると思うですよ。創造的、想像できる。
 例えば凄い白い箱をピン・ピンで合って欲しい。が一部分、出て来た時に、その自分の理想像に色んな職人さんが巻き込まれて、抑え込まれちゃうっていうか。「留で真っ白くしてください」っていう、スキルを強制するというか。現実が引っ張られるんじゃなくって、職人さんの技術が先に有って、そこから生まれる建築っていうのはどういう事か、っていうのを考えて。またそれに言葉を与えるっていう作業をしたいんで。

 どこまで行っても自分の頭の中だけで考えた事に対して、凄い疑義が有るんでしょうね。あんまり面白くない、ぱっと考えて「白い箱をここに在ったらいい」が、凄い浅はかに思えちゃうと言うか。

佐藤:一般には、設計者の考えに向かって職人さんの手は進んで欲しいという話だけど。辻さんには、そういう過程で出来たものは疑義があると。そうしなければ職人が生み出す技術の範囲でしか、手つき・手さばきの中の先を、言葉に直して、再度組み立てて改善して進めるのがいいのではないかと。

辻:そうです、それはねー、ヨーロッモダニズム、建築という概念、ヨーロッパから来たのと同じで。頭の中で生まれている先入観というのは、ヨーロッパの建築だから。それで、考えてもしょうがないっていうか。羨ましいで終わっちゃうんで。
 もっと日本的な、大工の技術だけじゃなくて、こういう気候もそうだし、文化民度もそうだし、建築に対する大衆の理解っていうのもコンテクストにしてどういう建築が出来るのかなーっていう方向に舵を切りたいと思っているんですよ。

佐藤:そこを自覚し三人で実践しているんでしょう。
辻:そこは自覚的です

佐藤:最近そう思い始めたんですか
辻:独立するぐらいからですかね。
佐藤:この5、6年ということですか
辻:そうですね。

佐藤:三人で独立して建築に関わると、作る根拠を問われたり、揺るがされるので、そう考えざるを得なくなってきたんですか
辻:どこで感じたのか分からないなー。建築の否定っていうようりは、建築以外の事を考える楽しさっていうのがあったんですかね。
 建築以外の事の中に、日本的な建築を取り巻く環境とういうのが。例えば大工だったり、解体の現場だったり、物を動かす搬出とか搬入の話だったり。
 それを自分で経験してみて、伊勢神宮と同じだなとか。自分で、日本の建築と結び付け始めて、段々そういう考えになったのか、最初から出て来たわけじゃないですね。
 ただ、フィクショナルな課題とか、ヨーロッパ的な建築の作り方っていうのに対して凄い違和感が有ったというのは、YGSAのときにありますね。

 建築家の人たちは面白いなーと最初も言ったんですけど。この人面白い、立衛さん面白いっていうのと。なんで自分はフィクショナルな課題を実感できないのにやらされているのかっていうのと。両方あって

 もっと、周りの壊す事とか動かす事とか、建築を勉強してない人の考えとか、建築を造るっていうこと以外の事、面白い事あるなーっていうことを。

 建築家が言っていることも面白いなというのも。両方感じてたんですね。

 それが、建築家の人たちが、ただの建築家の人たちではなかった、西沢さんの言葉は凄い面白かったし。作る建築も面白いなーと思うんだけど。僕らはちょっと違うなーとか。ベースとしては建築教育っていうのが、絶対あると思うんで。全否定は出来ないですよね。

佐藤:多少違和感を抱えながらYGSAで学んでいたと

  その09へ続く